最新の近況はこちらです。


2012/10/29 ちゃぐりん・書評・愛媛の講演・梅田での襲撃事件

家の光協会(は、農業・農村文化の向上を目指す、JA(農協)グループの出版・文化団体です)のこども向け雑誌「ちゃぐりん」の「いのちの音色」に、「子ども夜まわりと『ホームレス』の人たち」という文章(と写真)を出してます。単行本『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?』の内容を雑誌向けにしたもの。子ども向け雑誌に書くのは初めてです。

その『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?』の亀井みゆきさんによる書評が、「子どもの本棚」(「子どもの本研究会」が作っている冊子)に載っている(「10月19日 子どもの本棚11月号<今月の書評><目次>をアップしました」のところ)。
短い紹介はいろいろな雑誌に載ったけど、これがいままでで一番詳しい紹介。ありがとうございます。

愛媛県松山市で野宿者襲撃事件が続き、それを考える講演会を地元の支援団体オープンハンドが企画した。そこで10月20日に話をしてきました。毎日新聞の記事愛媛新聞の記事朝日新聞の記事はオープンハンドブログにアップされている。
この日は、襲撃を行なう少年たちや自傷行為をする少女たちの内面的問題を、中高生の感想文や証言を使いながらかなり詳しくたどった。けど、新聞では主に話の前半の紹介だなあ…

そして、大阪では14日、若者たちにわる野宿者襲撃で、一人が死亡、2人が入院するという非常に深刻な事件が起こった。事件の数日後、野宿者ネットワークのメンバーで現場に行き、被害者や目撃者から詳しい話を聞くことができた。
この件では、連日新聞やテレビの取材を受けている。野宿者ネットワークの夜回り地域でも最近襲撃の報告が多く、こちらも気がかりだ。この事件については、運動団体が連携し、事件を考えるシンポジウムなどを行なうことになるだろう。


2012/10/7 矢島さんに関する記事・ラジオでの生活保護問題

5日(金)、野宿者ネットワークなどで活動していた医師の矢島さんに関する記事が朝日新聞に掲載。ウェブ版。新聞紙面ではもっと詳しく、ぼくや他の方のコメントもある。
同日、「週間金曜日」でも矢島さんに関する記事。ライターの方に取材され、その話も使われています。

4日、お昼にMBSラジオの「with…夜はラジオと決めてます」(「たねまきジャーナル」の後番組)で生活保護に関する取材を受けて、その日の夜に放送。吉永純さん(花園大学教授)が電話でコメントしていくという形の放送だった(らしい。聞いてないので)。

今日は、河合由美子さんの映画『わたしの釜ヶ崎』の上映とトークに参加。
河合さんについては、釜ヶ崎での「私を見つめて」上映の事を書いたことがあるが、その後、知り合いの先生(『わたしの釜ヶ崎』の英語字幕を付けた大場さん)の紹介で一緒に高校の授業をしたことがあり、そのご縁ということでこの話が来たと思う。釜ヶ崎については映画ではあまり説明がないので、ぼくが話の中で補っていくという感じ。
実は、きのうになって、いただいたDVDで初めて映画を見て、予想と全然ちがうのでびっくり。会場でも言ったけど、これは「私をみつめて」の延長となる内容で、「わたしの釜ヶ崎」と言うより「釜ヶ崎のわたし」と言うべき映画でした。ただ、今回は知ってる人がたくさんくいろんな形で出てくるので、見たあとの気持ちはかなり複雑。
鈴木さんが来ているということもあってなのか、映画ファンだけでなく、右翼・左翼の活動家などで立ち見が出るほど人が入り、客入りの心配をずっとしていた主催者は大変喜んでおられました。


2012/9/23 税金の話など

最近、節約のため、銭湯で入浴券10枚セットを3800円で買っている。現金だと一回410円なので多少は安くなる。
ところがこの間、銭湯に行って入浴券を買った翌朝に洗濯していると、洗濯機に紙の切れ端が浮かんできた。なんだと思ってすくって見てみると、それは入浴券だった! うかつにも、うっかりポケットに入れたまま洗濯機に放り込んでしまった模様。
あわててポケットを探ってみたが、入浴券はちゃちな紙でできているらしく、トイレットペーパーみたいにほとんど溶けて消えていた。
9枚=3420円が文字通り泡と消えた! 節約のために買ったのに! 自業自得とはいえ、ショックで半日立ち直れなかった。

今年も例年通りに確定申告をしたが、6月をすぎても住民税のお知らせが郵送されてこない。うちの近辺ではごくたまに郵便物が紛失することがある(以前、郵便局の人が「そこは郵便事情が悪いですから」と言っていた)ので、先週、市税事務所に確認に行ってきた。
説明すると、事務所の人はパソコンで調べて「生田さんの場合、これこれこういう所得なので、非課税になってます。滞納状態ではないですよ」と言う。前年は年収が200万いってなかったのでそれも納得だ。
「ああ、税金がゼロなんだ。ゼロだとお知らせも来ないんですね」
「そうなんですよ。生田さんは扶養家族3人なので、確かにこの収入では税金はゼロです」
「? 一人暮らしなんで、扶養家族はいないですが」
すると向こうの表情がにわかに変わった。「担当者に確認します」と言って、なにやら別の人と話をし始めている。
しばらくして、別の窓口に呼ばれると、
「申し訳ありません。確かに生田さんは扶養家族ゼロで申告されてますが、こちらの手違いで、扶養家族数が3になっていました。そのため、税金が発生します。これこれで、合計5万○千円となります」と言われた。「ただ、生田さんは過去2年、国民健康保険料を報告してなかったので、その分を計算すると、4万○千円の還付金があります」。
こうして、市税事務所に確認に行った結果、差し引き1万円強を納めることになった。
行って損した…
などとは決して思いませんとも、ええ。
それにしても、税務処理でこんなミス。ぼくの場合は税がゼロになってたけど、逆にミスで実際より税金を多く請求されている人もいるのではないだろうか。住民税のお知らせには普通、金額しか書いてないからわからないよな…
それはそうと、市税事務所に行くと、右の席も左の席も「失業していて、請求されている税金が払えないです」という相談の人ばかりでした。

お金の話といえば、今度公立高校に講演に呼ばれるんだけど、担当の先生から「謝礼は1万5000円になります」と言われた(源泉徴収して1万3500円になる。なお、講演でなく「授業」の場合、たいてい1万円いかない)。それはいいんだけど、ついでに、「実は、これは国にお金を請求するんですが、それにランク付けがあって、大学教授などだと50000円になるんです。おかしいと思うので、もう少し上げられるようにしたいんですが…」と内情を教えてくれた。
確かに、考えてみればそれって身分差別か職業差別になるのでは。一般論として、人権問題(の枠での講演なんだけど)は、ふつうの大学教授より、現場に関わっている人間の方がリアリティのあるいい話をするはずだ。「同一(価値)労働同一賃金」の原則からもずれていると思うけど、まあ、日本国の人権教育における発想ってそういうものらしいです。


2012/9/8 第11回西成特区構想有識者座談会

9月4日の西成特区構想有識者座談会にゲストスピーカーとして参加した。この第11回は、「治安、不法投棄ゴミ、公園問題」がテーマで、公園問題について、釜ヶ崎内の公園について「こどもの里」の荘保共子さん、西成公園についてはぼくがゲストスピーカーとしてそれぞれ10分ほど発言、そして議論という内容。
西成区のホームページで報告がアップされている。 
このページのページに「資料02」として「坂本さんの話1」「坂本さんの話2」がある。これは『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?〜子ども夜回りと「ホームレス」の人たち』(あかね書房)から、「坂本さんの話」の25ページ分のテキストを抜き出したもの(本では挿絵やふりがながある)。
西成公園でどういう人がどういう経緯で住み生活しているか、ということの具体例として挙げている。
当日のようすについては、「VOICE OF NISHINARI」がすべて動画配信している。
発言については、あとで「間違いを言った」(西成公園で野宿していた人を生活保護につないだのは当時野宿者ネットワークから離れた方だったが、時期を勘違いして「われわれの関係者」と言った、など)、「言い落とし」とかあるけど、10分ではあんなものではないかなあ。
なお、釜ヶ崎内の公園についても西成公園についても、当初打診された方が辞退し、西成公園については2番手でぼくに声がかかったということだ。


2012/9/5 反貧困全国キャラバン大阪イベントの案内

反貧困全国キャラバン大阪イベント
10月14日(日)「反貧困フェスタやねん!!」開催! 賛同・参加のお願い


各位の日ごろよりのご奮闘に敬意を表します。
さて、反貧困全国キャラバン2012大阪実行委員会では、反貧困全国キャラバン2012の大阪イベントとして、2012年10月14日(日)に扇町公園にて、「反貧困フェスタやねん!!」を開催することを決定しました。
今回の反貧困キャラバンでは、貧困問題に今まで関心をもたなかった人たちにも理解を広げ、普段から感じる閉塞感・生きづらさは自己責任ではなく、世の中を変えていくために共に声を上げようということを一つのテーマにしており、本フェスタを広く貧困問題について考える契機にしていただければと思っています。
 具体的には、扇町公園の多目的広場にてメインステージやテントを設置して、さまざまな企画を同時並行的に行う「おまつり(フェスタ)」として企画しており、講演、パネル展示、出店、総合相談会、トークショー、各種アピールなどが多種多様に行われるイベントをイメージしています。
 つきましては、各分野で活動しておられる皆様のご賛同とご参加をお願いしたく、ここに呼びかけ文を作成しました。ぜひともご検討いただければ幸いです。

反貧困全国キャラバン2012大阪実行委員会
委員長 生田武志(野宿者ネットワーク)、事務局長 徳武聡子(司法書士)
〒582-0006 大阪府柏原市清州1-2-3豊永ビル4階
とくたけ司法書士事務所
TEL 072-970-2232 FAX 072-970-2233
Email satotoco@nifty.com

フェスタ賛同呼びかけ文(ワード文書)
反貧困全国キャラバン2012へのご協力のお願い(rtf文書)


2012/8/31 矢島さんの家族からの告訴状を警察が受理

野宿者ネットワークで一緒に活動していた矢島祥子さんが2009年に亡くなった事件について、22日、ご家族が殺人と死体遺棄の容疑で告訴状を提出し、警察に受理された。これをきっかけに新聞やテレビなどで報道が続き、ぼくも何度も取材を受けている。ネットの報道の中ではFNNニュースの記事が比較的詳しい。
矢島さんが亡くなった状況については、記事にある他にも不審な点が多く、家族のみなさんが情報提供を求める活動を必死に続け、ここで告訴状提出という段階に至ったということになる。
矢島さんについては、この「近況」の2010年9月1日で書いた。家族のみなさんとはたびたびお会いして情報交換などをしているが、これを機会に真相が明らかになることを願っている。
26日朝に放送された「報道ステーションSUNDAY」では、矢島さんの人柄や活動のようすについて釜ヶ崎で話した。そして、矢島さんが病院や施設に面会に行き、生活保護でアパートに入ってからは訪問に行って買い物や相談をしていたAさんの部屋に行って、矢島さんのことについて話していただいた。最初は「テレビ取材はいろいろあってイヤ」ということだったが、テレビ朝日の人に矢島さんの話をしているうちにいろいろな話をしてくれて、最後には「テレビで使ってもいいよ」ということになった。Aさんはぼくが持って行っていた矢島さんの追悼文集や写真の入ったチラシ、それと矢島さんが病院にお見舞いに行って「時間つぶしに」と贈ったルービックキューブを大切に置いて、毎晩ろうそくを点けて手を合わせているということだった。Aさんのところにはたびたび訪問しているが、はじめてその話を聞いた。
あいりん総合センターをテレビ朝日の人と歩いて話していると、矢島さんが夜まわりしていたときに顔見知りだった、当時は野宿状態だったBさんがやってきて、「あの人は本当にいい人だった」と、矢島さんのことを話してくれた。Bさんは矢島さんの夜まわりのコースによくいた人だった。
取材につきあったことで、あらためて矢島さんの人柄を思い出す機会になったが、矢島さんが健在だったら、当然、今でも夜まわりや病院、アパート訪問などで一緒に活動していたはずだ。「遺体で発見された」という知らせを聞いた時以来の、突然「断ち切られた」という思いは消えない。


2012/8/7 生活保護の現物支給と「片山さつき議員の金銭感覚」の記事

「アサヒ芸能」8月2日号の記事にインタビューで「生活保護の現物支給」問題などについて少し答えている。ぼくの箇所は、電話で40分ぐらい話した内容をライターさんがまとめたもの。
生活保護の現物支給については、「維新八策」の最終案(7月5日)の「社会保障制度改革」で「現物支給中心の生活保護費」が謳われている。記事にあるように「食料品や生活必需品などと交換できるクーポン券のようなものになる見込み」ということだ。また、自民党も「食費などの生活扶助、住宅扶助を現金給付から現物給付へ」という案を出している。
こうした現物支給案は、生活保護の「不正受給を減らし」「国民に自立を促すため」という目的で提案されているが、そもそも生活保護の不正受給の割合は1%以下で、むしろ不正の少ない優良な制度なのではないだろうろか。ただ、ここ数年で不正受給の割合は増えつつあるかもしれない。しかし、それはケースワーカーを増やしてチェックすべきもので、生活保護受給者すべてに「現物支給」のような制限をかけて対策するようなものではない(生活保護の多くは、ずっと前から高齢者、障がい者、母子家庭)。第一、現物支給にしても、不正受給がそれほど減るかどうかは疑わしい。現物支給を受けた上で、隠れて別収入を得ようとする人は今と変わらずいるはずだ。
「現物支給」については、例えば食品などを直接配布するか、上にあるようにクーポン券にするかで話はちがってくる。まず、どう考えても食品などの直接配布はほぼ不可能だ。世帯や年齢によって食費はちがうし、アレルギー(小麦、卵、蕎麦…)などの問題もある。第一、輸送、配布の手間暇で膨大なムダが発生する。そして、当然、行政と受給者の間に入る業者には、賄賂、汚職の他、コスト削減の動機が発生しにくいため、膨大な「貧困ビジネス」が発生する可能性が高い(もやいの稲葉さんが「国家による貧困ビジネスになる」と言っているらしいが、その通りだ)。それくらいなら、今の通り生活保護費をお金で渡して、近所の商店街で買い物してもらった方が地域経済にとってはるかにマシというものだ。
また、自民党は「住宅扶助を現金給付から現物給付へ」と言っているけど、まさか「生活保護の街」をどこかに作って全員を押し込めるつもりなのかな? だとすれば、近隣との関係を破壊し、就職活動に不便を強い、今賃貸している物件を空き家にして「民業を圧迫」することになるが、それがそんなにいい施策なのだろうか。というより、それってただの「生活保護ゲットー」だろうって。
食料品や生活必需品などと交換できる「クーポン券」という案もあるが、生活保護の人だけ必需品を買うにもクーポン券を使うという屈辱を強いる理由がわからない。生活保護を受けている家庭のこどもは、友だちと買い物に行っても、一人だけクーポン券を出すのだが、それってどうなんだろう。また、アメリカの生活困窮者に対する「フードスタンプ」制度ですでに前例があるが、スタンプ制度にしたら不正が減るかどうかは微妙だ。アメリカのフードスタンプの規模は2010年度に5兆4000円だが、2010年の会計検査院(GAO)の調査によると、不正受給額は1580億円。店側が手数料を差し引いて現金化して渡す、あるいは、紛失したことにして転売する、などの不正があるらしい。
現物支給を言う人は要するに、片山議員が言ってるように、生活保護を受けている人がギャンブルをしたり酒やタバコをやることを止めさせたいということなのだろう。このテーマは「2ちゃんねる」などでもよく取り上げられている。「どうしても生活保護が必要なくらい逼迫してんなら、どっかの施設にまとめてぶち込んどけよ。現金なんか支給せずに衣食住だけ補償すりゃ問題ないだろ」「生かせてもらっているだけだということを忘れるな。パチンコはおろか漫画を買うことも許すべきではない」。生活保護受給者には、合法的な趣味も娯楽も許されず、「生かさず殺さず」の生活しか送れない、という雰囲気である。
 この点について、テレビなどのインタビューで聞かれたとき、ぼくはこう答えている。「ギャンブルは、確率的に損をするのが普通なので全くお勧めしない。ただ、生活保護保護費の一部をギャンブルで使ったら、その分、あとの生活費を本人が節約するだけだから、その意味では誰にも迷惑をかけていない。それを公共の場で非難するのは疑問だと思う」。
どうやら、困窮している人は「自業自得」で、生活保護はその人たちに「人様のお金」をお情けで渡しているもので、したがって「酒やタバコも許されない」、と考える人が世の中には大勢いて、片山議員はその人たちの一部の意見の代弁を買って出ているようなのだ。そもそもこんだけ「稼働年齢層」の生活保護を激増させた根本原因の一つが自民党政権の政策にあったことは間違いないが、そういうことについての考察はないらしい。
その片山議員について、こういう記事が出ている。ぼくもこうして雑誌からの取材を受けるが、謝礼は出ない。ラジオ、テレビでスタジオに行って話をすると謝礼が発生するが、スタジオの外でインタビューを受けても謝礼は普通は出ない。雑誌の取材も同様(もちろん、営利活動に時間を割いて協力するのだから謝礼を出すべき、という考え方はありうる)。
今回の記事の場合も、片山議員は「マネジメント会社に連絡したところ、いきなり『おいくらいただけるのでしょうか?』といわれ」「規定のギャラを説明して支払」ってもらったのだろうか。
ぼくは生活保護の問題について、現場に長くいる人間として、片山議員よりはるかに現実に基づいたまともな意見を言っている。もちろん、片山議員はその逆だと考えるだろう。だからそれはいいのだが、ぼくの場合、もともと低収入なのに加えて、同じような取材を受けてもノーギャラで、あちらには謝礼が発生するのかもしれない。そうだとすれば、「世の中おかしい」と少々感じる一コマである。


2012/7/31 片手のためのピアノ曲(その2)

片手のためのピアノ曲の最大の問題として、「そもそもレパートリーが少ない」ということがある。少なくとも10年前まで、「左手のためのピアノ曲」の楽譜なんて探してもまず見つからなかった。前にぼくが手首を痛めて弾いたときに入手可能だったのは、スクリャービンの「プレリュードとノクチュルヌ」とブラームス編曲のバッハの無伴奏ヴァイオリンの「シャコンヌ」ぐらいで、おまけに日本の出版社は出してないので、ベライエフ版(スクリャービンは楽譜6ページで1150円した)やドーヴァー版などを買うしかなかった。
ところが、これらは今、ネットで無料公開されている(誤植が多いが…)。また、アルカンの幻想曲、バルトークのエチュード、ブリッジの3つのインプロヴィゼーションなど、あまり知られていない片手のための曲も、ネットで簡単に楽譜PDFをダウンロードできるようになった。
そして、2005年以降は、舘野泉の「左手のピアノ・シリーズ」の楽譜がある。舘野泉はリサイタル中に脳溢血で倒れ、その後遺症で右半身に麻痺が残ったが、左手のピアニストとして再起して活動している(NHK「平清盛」のテーマ音楽のピアノで有名かな)。その舘野泉がさまざまな作曲家に左手のためのピアノ曲を委嘱して、それを演奏し、「左手のピアノ・シリーズ」として7冊ほどを出版している(間宮芳生の「風のしるし、オッフェントリウム」、ノルドグレンの「小泉八雲の『怪談』によるバラードU」、林光の「花の図鑑・前奏曲集」、谷川賢の「スケッチ・オブ・ジャズ」、末吉保雄の「土の歌・風の声」など)。
それにしても、依然として両手のものよりレパートリーが圧倒的に少ないのはなぜだろう。舘野泉は「私は左手だけで弾いているという意識は最初からないし、片手になって不便と不足を感じたこともない。やっているのは音楽なのである。手が三本でも一本でも関係はない」(CD(「シャコンヌ」)のライナー)と言っている。
確かに、片手の音楽が本質的に両手の音楽より「質的に劣る」ということはないだろう。片手の方が両手より制約が多いのは確かだが、両手で弾いたとしても制約は多いのだ(例えば、ナンカロウのプレーヤー・ピアノ曲の多くは人間には弾けない)。制約が少ない方が音楽が高度になるとすれば、両手のピアノ曲より、連弾(4手)、あるいは数台のピアノによる曲の方が本質的に「優れている」ということになりそうだが、実際にはそんなことは全然ない。
両手の曲にいい曲が多いのは、「一台のピアノを一人で両手で弾く」ケースが断然多いためだろう。その意味では、片手で弾く人が増えれば、曲を作る機会もいい曲もどんどん増えていく可能性が高い。そうなれば、片手が使えない人だけでなく、両手でも一部の指が使えない人など、さまざまなハンディがある人にとってもピアノを弾く可能性が広がる。
事実、片手のためのピアノ曲は、「障がいに打ち克って演奏する」ということで評価されることがある。もちろんそういう面は確かにあるけど、両手で弾く人間だって、社会のマジョリティであるために不便を感じないだけで、実際には制約(障がい)だらけなのだ。片手(一手)の曲や演奏は、両手(2手)のと同等に広がって評価されればいいと思う。

「左手のためのピアノ曲」で最も有名なのは、スクリャービンの「プレリュードとノクチュルヌ」だろう。
ブレリュード

ノクチュルヌ

楽譜はこちら
ぼくは、この曲をアナトール・ウゴルスキのリサイタルのアンコールで初めて聞いた。ウゴルスキが左手だけでこの2曲を弾くのを目の前で見て、「片手で弾くこんな曲があるんだ、すげー」と感心して、すぐに楽譜を探して買ってきた。その後、手首を痛めたとき、左手、右手の両方で練習して弾いた。
この曲は、スクリャービン自身が練習のしすぎで右手を痛めた時期に作った曲で、右手が回復したあとも、自身のリサイタルのアンコールでよく取り上げてすごくウケていたそうだ。
この2曲はよくできた曲で、目を閉じて聞いていると、普通に両手を使って弾いているとしか思えない。後のスクリャービンの個性はあまり出ていないが、憂鬱なメロディと洗練された和声の響きが独特の感動的な世界を作っている。おそらく、ピアニストとしての未来が閉ざされたと絶望したスクリャービンの苦しみと覚悟が曲想に反映しているのだろう。
この曲に限らず、片手のためのピアノ曲(独奏曲)はこういう「アンダンテ」ぐらいのスローな曲が多い。ある音域をダンパーペダルで残したままただちに別の音域を弾くという作業で曲を作る限り、どうしてもゆっくりした曲になりがちだ。そして、スクリャービンもそうだが、「右手が使えない」というハンディあるいは苦悩が背後にあるせいか、悲痛な曲が多いかもしれない。もちろん、今では明るく楽しい曲もいろいろとあるが。
舘野泉はNHK「平清盛」のテーマ音楽を弾いているが、この曲は吉松隆が書いている。テーマ音楽はオーケストラと左手のピアノ独奏の曲だが、吉松隆は舘野泉の「左手のピアノ・シリーズ」にも幾つか楽譜を出している。「タピオラ幻景」「アイノラ叙情曲集」「ゴーシュ舞曲集」「3つの聖歌」。
「3つの聖歌」はシューベルトとカッチーニの「アヴェ・マリア」とシベリウスの「フィンランディア」の片手用編曲だ。


1990年代以降、ものすごく有名になったこのカッチーニの「アヴェ・マリア」は、バロック時代の作曲家カッチーニの宗教曲ということになっている。しかし、実際にはソ連時代の作曲家、ウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲であるらしい。ウィキペディアにあるように、「ヴァヴィロフは自作を古典作曲家の名前を借りて発表する事がよくあったが、自身が共演している(…)1972年の録音では「作曲者不詳」の『アヴェ・マリア』として発表していた。ヴァヴィロフの没後十年を経てCD録音されたMaria Bieshu(1996)やイネッサ・ガランテのデビュー盤(1994)では作曲者が"D. Caccini"と表記され、ジュリオ・カッチーニの作として広まった」。
作曲家が誰であれ、聞いた人がみんな思うように、この曲の美しさはただ事ではない。ふつうは声楽曲として歌われるが、それを吉松隆が片手ピアノ用(両手用の編曲もある)に編曲している。
この「3つの聖歌」について、舘野泉が楽譜の前書きでこう言っている。
「《「3つの聖歌》については申し上げるまでもなく、どれも名曲中の名曲である。率直に申し上げて、私にはこれら3曲を演奏することが難しく、2006年暮のCD録音は例外として、吉松さんから楽譜をいただきながら長い開演奏できずにいた。難しいとは技術的な問題ではなく、シューベルトとカッチーニの場合は一種の羞恥心のようなものであろうか。あまりにも美しく、あまりにも有名な作品で、弾いていると涙が出てきてしまうのだ。吉松さんの編曲は一見何の変哲もないようでありながら、非常に細やかな配慮がいたるところに張り巡らされている。左手だけで演奏するのは自然な呼吸ができて、もしかすると両手で弾くよりは、歌いやすいのではないだろうか。そのような感想を多くの方々からいただいた」。
片手のためのピアノ曲を久しぶりに1ヶ月ほど弾いて思うのは、「音楽的に両手のための曲と遜色ない素晴らしい曲がいくつもあって、隠された宝のよう」ということだ。そして、一本の手で弾くという行為は、弾き手にとって独特のスリリングさがある。これは両手の場合とは少しちがった難しさとおもしろさだ。
舘野泉がCD(「シャコンヌ」)のライナーにこう書いている。
「8年前にステージに復帰した時には弾けることが嬉しくて、その喜びだけで2年ほどは過ぎて行ったと思う。だがそのうちに左手だけで弾くことにはそれなりの難しさがあって、両手で弾くのと同じ姿勢では弾けないということが分かってきた。手首や肘の使い方、身体のバネの使い方なども違う。そういう要求を克服していくと作曲家達は表現領域を拡大して、また新たな挑戦を強いてくる。それが面白くて残りの年月も過ぎていった」。
いま多くの片手のピアニストたちが様々な曲を弾いているが、それは両手のピアノ曲の「代替」ではなくて、舘野泉が言うように、面白くて挑戦しがいのある独自のジャンルとなっている。
とはいえ、舘野泉やフォーカル・ジストニアなどで片手が演奏不可能になった人たちが弾くのを聞いていると、将棋棋士の藤井猛が「こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない」という名言を思い出す(鰻=四間飛車。ファミレスの鰻とは、オールラウンダーが四間飛車を使うこと)。その意味では、この人たちの演奏は、「鰻しか出さない鰻屋」のようなもので、マネが簡単にできるものではないようだ。一言で言うと「覚悟がちがう」という感じがする。とはいえ、羽生の「藤井システム」が「2番目にうまい」と藤井猛自身が言うように、両手使いの「ファミレスの鰻」もそこそこいい味を出すことはある。両手使いの弾き手も、どんどんこうした「一手のピアノ曲」に取り組んだ方がいいと思う。


2012/7/26 片手のためのピアノ曲(その1)(30日一部追加)

カゼというものは定期的にかからないといけないようで、4日ほど夏カゼをひいて寝込んでいた。今回は「鼻と喉」に来て、鼻をかみすぎて耳の調子も悪くなりました。
ゆうべは、またまたネズミが深夜にやってきて、ゴソゴソするので起きて見てみると(日本女子サッカーが2点目を入れたあたりの時刻)、ヤツのウンコが部屋のあちこちに落ちていた。そのあと、音がしても構わないように耳栓をして寝たけど、寝不足になってつらい。
ネズミの出入り口を防ぎたいんだけど、その場所がわからないんですよ。

手首の故障が続いているので、片手のためのピアノ曲を弾き続けている。以前も右手首や左手首を痛めて左手や右手で弾いたことがあるが、今回は左を痛めているので右手で弾いている。
ふつう、片手のためのピアノ曲は「左手のための」というタイトルになっている。これは、戦争で右手を失ったピアニスト、ウィトゲンシュタイン(哲学者の2歳上の兄)が多くの作曲家に左手だけで演奏可能な作品を委嘱したことに始まるようだ。
それと、左手でなく右手を故障するピアニストが多いことからも来ているかもしれない。ピアニストにとって恐怖の病、フォーカル・ジストニアは右手で発症することが多いようで、確かレオ・フライシャーもミシェル・ベロフもこの病気で右手が使えなくなったんじゃないかな? これは、多くのピアノ曲では左手より右手に多くを要求していることが原因で、当然、腱鞘炎なども右手の発症率が高いだろう。
左手でも右手でも片手という点では同じだが、実際には、左手を想定した和音を弾くことが右手では困難になることがある(親指の位置がちがうため)。とはいえ、右手で弾いた方が楽な場合もある。
これに関連するが、右手の場合は低音域、左手の場合は高音域が、通常の座り方では「物理的に弾けない」。片手の場合、体を斜めに(相撲で言う「半身」)の姿勢でないと、鍵盤の全音域を弾くことができないのだ。この結果、いすの座り方、上半身から指先への力のかけ方など、多くの点で両手の場合と弾き方がちがってくる。これは、練習を繰り返して体で覚えるしかない。
それも含めて、片手のためのピアノ曲は、やはり弾くのが難しい。両手だと、ふつうメロディは右手、伴奏(和音)は左手で演奏するところを、片手の5本だけで全部こなすため、片手に大きな負担がかかる。指の使い方に「頭が混乱する」という感じだ(靴のひもを片手だけで結ぶ感じ?)。また、広い音域を一本の手でカバーする必要から長距離ジャンプが多く、難易度がどうしても高くなる。「ミス無し」で弾き通すハードルが高くなるのだ。
そして、片手のための曲の場合、両手の場合以上に「手の大きさ」が意味を持つ。小さい手ではとうてい弾ききれない和音が頻出するからだ。たえとば、スクリャービンの「左手のためのノクチュルヌ」の最後から2番目の和音。


ぼくはこの和音はそのまま弾けるが、男性でも普通の大きさの手だと届かないだろう。その場合、アルペジオで処理しなければならない。
しかし、同じ曲の3小節目の和音


これはぼくには同時に弾けない。しかし、YOUTUBEで見てたら、普通に弾いているピアニストがいてびっくりした。ここはアルペジオよりも同時に弾く方が自然なので、こういう場合、大きい手の方が当然有利だ(スクリャービン自身は弾けたのかな?)。こういうことは両手の曲の場合でもあることだが、片手の曲の場合、しょっちゅう出てくる問題になる。
(続く)


2012/7/4 「週間金曜日」の記事

久しぶりに手首を痛めて、片手のためのピアノ曲(スクリャービンとか)を弾き続けている今日このごろですが、
「週間金曜日」6月29日号に、「特区構想の西成で何が起きているが起きているか」という文章を書いてます。生活保護受給者の行く病院を「一つの診療科につき一つの医療機関、一人の受給者につき一つの薬局をあらかじめ登録」しようとした「医療機関等登録制度」(原稿校了間際にバタバタと事態が動きました)、最近繰り返された露店のおおがかりな排除、「子どもの家事業廃止」問題、そして世耕弘成自民党政調・生活保護に関するプロジェクトチーム座長による釜ヶ崎に関する発言などについて書いてます。
「子どもの家事業廃止」問題については、講演などで話すたびに、山王こどもセンターのニュース映像などを使いながら事態を訴えてます。反応はいいけど、市議会に向けて、事態はどのように動いていくのか。


2012/6/28 西成区「医療機関等登録制度」・「子どもの家事業」問題

6月8日のところで触れた西成区で「医療機関等登録制度」について、6月21日に大阪市西成区は、医療機関を1診療科につき原則1か所に限るとしていた従来の案を「医学的必要性に応じて複数の選択も可能とする」とし、必要性があれば複数薬局も可とする、転医にあたり医師の紹介状等が必要という説明は削除、名称も「医療機関等確認制度」に変える、という方針を示した。
「ここまで来れば、登録証自体もう要らないじゃないか」と言われてて、その通りだと思うけど、これについて、こちらも対応を検討中。

「子どもの家事業」廃止問題については、きのう、ついに大阪市は「市政改革プラン」最終案をまとめ、その中で「子どもの家事業」廃止を決定した。7月の臨時市議会を経て正式に決まる。
橋下徹市長は、生活に身近な行政サービスの削減が多いことについて、「ほかの都市との比較で標準を上回るものを是正し、(財源を)子育て世代のサポートにまわした。きちんと説明すれば市民は納得してくれると思う」と話したという。
現場のわれわれ市民はまったく「納得」できない。市長がテレビなどでこの問題について発言しているのを見たが、実態を知らないで幻を語っているだけだった。その点について、パブリックコメントや新聞・テレビの報道が問題点を伝えているのに、正論が通らない事態になっているのだ。この問題についても、今後の対応を検討しなければならない。
こどもの貧困問題に関わる全国の人たちが、この関心を寄せてくれている。『ドキュメント高校中退』の著者で、いま「NPO法人「さいたまユースサポートネット」の青砥恭さんは、こどもの里、山王こどもセンターに来られたことがあるが、WEDGE Infinityでこの問題について書いている。


2012/6/14 テレビ取材・橋下市長のコメント・西成特区有識者座談会

12日、「たかじんのそこまで言って委員会」のインタビュー取材があり、野宿、釜ヶ崎、生活保護について30分ほど話した。どのように使われるのか?

8日、橋下市長が「子どもの家」をなくすことが目的ではありませんというコメントを出している。
〃「子どもの家事業」と「留守家庭児童対策事業」は、時間延長や障がいのある子どもの受け入れを行うなど、ほとんど仕組みは一緒なのに、「子どもの家事業」の利用は無料、一方の「留守家庭児童対策事業」の利用は有料となっています。〃
〃このような考え方のもと、今回の改革素案では、「子どもの家」を廃止するのではなく、「留守家庭児童対策事業」に一本化し継続することとしました。〃
しかし、「子どもの家事業」と「留守家庭児童対策事業」はその内容がまったく異なる。これについては、5月14日のところで触れた「陳情書」「こどもの家事業存続のお願い」(いずれもワード文書)に詳しい。
おまけに、同じ(実際にはちがう)だから「有料」の方向に一本化しようと言うのだが、そのようにして、こどもや世帯に負担をさせようということ自体に、多くの人が反対しているわけですよ。

11日、西成特区構想についての有識者座談会が始まった。こちらに日本経済新聞の記事。知り合いが何人も入ってますが、どのような内容が出てくるか、注目です。


2012/6/8 西成区「医療機関等登録制度」導入撤回を求める要望書

大阪市は西成区で「医療機関等登録制度」を8月から試行しようとしている。西成区の生活保護受給者について、「一つの診療科につき一つの医療機関、一人の受給者につき一つの薬局をあらかじめ登録する」もので、原則として登録していない医療機関や薬局の利用を認めないという制度だ。これに対して6月4日、「生活保護問題対策全国会議」「反貧困ネットワーク」やぼくのいる「野宿者ネットワーク」など27団体の連名で、制度導入の撤回を求める要望書を市に提出した。
毎日新聞の記事
提出した要望書(ワード文書)
 この登録制度は一見、「それって当たり前じゃない?」と思えるかもしれない。しかし、考えてみると、精神科では患者と医師の「相性」がかなりあり、信頼できる医師を見つける会うために幾つかの病院に通うことがよくある。
また、少し珍しい病気の場合、受診した病院で間違った病名を付けられ、7軒8軒と病院をまわった結果、やっと正しい治療が始まったというケースもたびたびある。
また、西成区で実際にあった事例だが、狭心症による胸痛で病院に行くと「神経痛」と誤診され、次の日に心筋梗塞に進行して死亡したケースがある。その人が生活保護受給者だった場合、診断に疑問を持ったら、ケースワーカーに別の病院の医療券を請求しなければならない。だが、相談を受けたケースワーカーは「医者が言うんだから神経痛でしょう」と言う可能性が高い。仮にその人が死亡した場合、ケースワーカーの責任が問われるのではないだろうか。問題は、命と健康に関わる選択肢や自己決定権が「西成区の生活保護受給者」だけ制限されていいのか、ということにある。
 大阪市によると、この制度は重複受診や重複薬剤などを抑制することが狙いだという。だが、医療内容は担当ケースワーカーが把握しているのだから、不必要な受診や投薬を受ける本人を指導すればそれで済む。にもかかわらず、一部の悪質ケースを根拠に、すべての生活保護受給者の権利を制限しようとしていることになる(河本準一問題と同じですね)。
大阪市は、西成区を手始めに市全域でこの制度を広げる予定だという。また、世耕弘成自民党政調・生活保護に関するプロジェクトチーム座長も「行政による病院の指定や少額の自己負担の導入などによって(生活保護受給者の)無規律な受診に歯止めをかけなければなりません」(『自由民主』)と言っている。この意味で、西成区の制度導入は、全国の生活保護に関する一つのモデルとなる可能性がある。
「医療機関等登録制度」はいまのところ西成区独自の制度で、事実上、橋下市長の言う「西成特区構想」の一部になっている。西成特区構想は、区長が選出される8月以降に動きが本格化するはずだが、「こどもの家事業」問題といい、橋下市長のおかげでやらないといけないことが増えて困っております。


2012/6/3■(4日追加) 生活保護当事者の話

今日、山王こどもセンターの運動会の競技「強奪ゲーム」で引きずり回され、指をケガして、肩と手首を痛めてすごく痛いです… 

木曜日、フジテレビの取材で西成区の生活保護の問題について話した。また、生活保護を受けている当事者の話を聞きたいと言われていて、テレビ取材はいろいろ精神的負担になるので「どうしようか」と考えたが、生活保護を受給しながらヘルパーの学校に通って仕事を始めている人や、夜まわりやこどもセンターのボランティアとして関わっている人を紹介して、話してもらった。いずれも野宿者ネットワークの生活保護受給者の寄り合いに参加している人。
路上や部屋でのインタビューに立ち会ったが、お二人ともいろんな立ち入った話をしてくれました。東京ローカルで今週(今日か明日か)に放送の予定。
「現代思想」に書いた「釜ヶ崎と「西成特区」構想」はわりあい読まれたようで、朝日新聞の5月31日の「論壇時評」「担当記者の選ぶ注目の論点」にも「特区構想が検討されている西成区の釜ヶ崎の現状と、今後の日本を重ね合わせる」として触れられていた。ただ、『個人的には、よく言われる「不正受給」よりも、これこそはるかに深刻な生活保護制度の「副作用」ではないかと思う』と書いた『生活保護の問題は「不正受給」ではなく「孤立」(関係の貧困)にある』という問題について、特に議論をしてほしいと思っているのだが。
「生活保護」生活保護の問題河本準一の母親の生活保護受給に関する今回の報道で、マスコミはもちろん政治家、学者、評論家の多くが生活保護に関わる問題についてほぼ無知だということはこの数日でよくわかった。この問題については、吉本興業の給与体系や扶養照会の問題、そしてかつて「フリーターは働く気がない若者」「ホームレスはやる気のない人間」といった「思い込み=差別」バッシングとまったく同様の「生活保護バッシング」など幾つかの論点について、まとまった文章を書こうかとも考えている。「フリーターズフリー」3号で書くかもしれない。


2012/5/29 「有限責任事業組合フリーターズフリー」解散のお知らせ

生田、大澤信亮、栗田隆子、杉田俊介が組合員として活動した「有限責任事業組合フリーターズフリー」については、とても多くの方たちに、いろいろな形で協力して頂きました。
しかし、フリーターズフリーは、組合員4人の話合いの結果、今年3月を持って有限責任事業組合として解散することになりました。
ホームページでその経緯について簡単に説明しています。

ここでも触れていますが、フリーターズフリー1・2号の購入は従来通りネットから可能です。

今後は、任意団体「フリーターズフリー」として生田武志・栗田隆子で改めてスタートを切り、ながらく休止していたフリーターズフリー3号製作に取り組む予定です。
3号のテーマの一つは、「反貧困運動と自立支援」になります。ここ数年、反貧困運動がある程度は盛り上がったものの、根本問題の一つである「雇用」や「家族」の問題は解決しないまま、行政や民間による障害者、野宿者、母子家庭、ひきこもりの人々に対する「自立支援」が進行するという流れがありました。
現実の「自立支援」自体は否定すべきものではありませんが、反貧困運動にあったはずの「社会構造を問う」という視点からの運動はほとんど進みませんでした。「フリーターズフリー」は、特に「国家・資本、家族」の社会構造の変革を考え抜こうとしました。社会が変わらないまま、「自立支援」だけが進行してしまっている現状への違和感が「3号」の出発点になるはずです。

有限責任事業組合フリーターズフリーを支えてくださった皆さんに、心から感謝をお伝えします。

▼有限責任事業組合フリーターズフリーからの大事なお知らせ

 有限責任事業組合フリーターズフリーは、2007年6月に「フリーターズフリー」1号を創刊して以来、皆様にながらく支えられてきましたが、今年の3月末日を持ちまして解散の運びとなりました。
 フリーターの当事者が声を出す、そんな雑誌も本も1冊も出ていない頃に、この本は創刊されました。「本当にそんな本が成立するのか?」といわれていた時代から、ワーキングプア、反貧困の動き、リーマンショック後の派遣村と続き、私たちの問題提起は以前よりは受け入れられるようになりました。そして昨年の東日本大震災および東電福島第一原発の爆発事故といった激動の状況のなかにいま、私たちはいます。
 この状況の中で、私たちメンバー一人一人の方向性の違いが明らかになり、フリーターズフリーとして結集するよりも、個々で活動し、おのおののやり方で個人と社会を問うことをよしとした結果、解散という道を選ぶに至りました。
  この「フリーターズフリー」の活動は、私たちにさまざまな出会いをもたらしてくれました。「フリーターズフリー」が問おうとしてきた課題はまだまったく解決していませんが、この場が与えてくれた出会いを財産に、私たちはあらためて当事者として声を上げていこうと思っています。
今後ですが、任意団体「フリーターズフリー」として生田武志・栗田隆子で改めてスタートを切り、ながらく休止していたフリーターズフリー3号製作に取り組む予定です。なお1号・2号のウェブ販売はこの場で継続いたします。
 今まで、わたしたちの活動を支えてきていただいた読者の皆さん、シンポジウムなどに来ていただいたみなさんに、心から感謝いたします。また、編集・出版においてほとんど素人であった私たちを支えてくれた人文書院の松岡隆浩さん、デザインを担当してくださった戸塚泰雄さん、書店の皆様、その他、支えて下さった皆様に改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。


2012/5/27 テレビ朝日の取材

今日の3時過ぎ、テレビ朝日から電話があり、夕方に釜ヶ崎に「ワイド!スクランブル」のリポーターが行くので、釜ヶ崎でインタビューをお願いします、という依頼があり、インタビューに答え、釜ヶ崎を歩いた。
生活保護についての取材ということで、ここの「11月9日」「12月13日」で話したような内容を話す。リポーターの三井さんと撮影の方が、釜ヶ崎で何人かに生活保護を受けている人たちにインタビューしていた。
明日放送だが、どのような内容になるか、数時間の即席取材なので不安。お二人には「釜ヶ崎では夕方からは出歩く人も少ないし、話を聞くなら、午前中から少なくとも半日かけた方がいいですよ」と言ったが、「われわれもいきなり『行ってこい』と言われて、来させられてますので」ということだ。
こちらとしては、言うべきことを話すが、それがテレビでどう使われるかについては全然わからないという状態だ。


2012/5/24 『ルポ 子どもの貧困連鎖 教育現場のSOSを追って』

5月20日発行の共同通信の長期連載を単行本にした『ルポ 子どもの貧困連鎖』のインタビューに答えてます。
第2章の「中学校編」についてのインタビューで、ここで取材された中学校は、連載時も単行本でも匿名になってるけど、ぼくが『貧困を考えよう』でも取り上げた釜ヶ崎近辺の中学校。ここの中学は、もともと貧困家庭が集中している地域で、中学校の担任や担当の先生を中心に地域の役所や保育所、小学校などと一緒にケース会議を持って対応を続けている。
このルポでも、発達障害を持つお母さんと2人こどもの母子家庭へのかなり壮絶な関わりが描かれている。先生たちが家庭訪問を続け、片付けができなくて「ゴミ屋敷」になりつつある部屋を半日かがりで一緒に片付けたり、一時的に車中生活になったあと児童擁護施設に入所したきょうだいを先生が車で学校へ送迎したり、平日にも先生2人で朝と晩に家庭訪問をして話を聞いたり。
こうした「靴減らし」の関わりを続けることで、家族との信頼関係を作り、地域間の連携で可能な方法を考えて、こどもたちや親にとって最も有効な方法を作り出していく。読んでて「すごいなあ」とため息が出てきますよ。
ぼくは、釜ヶ崎にあった「あいりん小中学校」、そして「こどもの里」や「山王こどもセンター」で長年行なわれてきた「教育と福祉の接点」という視点から、いまの教育現場で可能な取り組みの方法をインタビューでいろいろ話してます。
アマゾンのレビューで、「時間の経過を忘れて一気に読み進んでしまえるリアルな子ども達の、今の見たくはないが、見なければいけない現実と、様々な現状の子どもへのサポート、対策を本書から学習できることを考えると、是非一読をお勧めしたい」とある。アマゾンではかなり売れてるみたい。ぼくもまだ自分の関わった中学校編しか読んでないので、これからじっくり読んでみるつもり。


2012/5/20 「釜ヶ崎から児童福祉を考える」など

うっかり書くのを忘れてましたが、「福祉のひろば」5月号で「児童福祉法65年─釜ヶ崎≠ゥら児童福祉を考える」特集を組んでいます。
「釜ヶ崎の真ん中にある保育所で」蕨川晴之
「『多様性』の中で育つことのすばらしさ」荘保共子
「 親の失業・貧困と子どもたち」生田武志
「第5回 釜ヶ崎のまちスタディツアー参加者の感想」といった内容。
大阪市によって廃止が予定されている「子どもの家事業」を行なっている「こどもの里」の荘保共子さんも書いている。今度の廃止問題で難しいのは、「子どもの家事業」が何なのか、ほとんどの人が知らないということだ。「学童保育」はたいていの人が知っているけど、「子どもの家事業」は大阪市だけだし、28施設しか行なっていないこともあり、「子どもの家っなに?」という反応が最初に来てしまう。
そこで、山王こどもセンターやこどもの里などが行なっている活動を知ってもらい、理解を得ることから始めなければならない。最近、新聞報道が続いていて、その意味で大変ありがたいが、こちらの「福祉のひろば」の特集記事は新聞よりずっと詳しい。ぜひ読んでみて下さい。
また、「福祉のひろば」6月号では、「生活保護利用者の『人としての生活』保障を考える」という特集で、大口耕吉郎さん、伊東弘嗣さんたちと一緒に発言してます。
「福祉のひろば」の連載「現代の貧困を訪ねて」は、5月号は『「派遣法」改正と「絆」という言葉』、6月号は「おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?」。

これもうっかり書くのを忘れてたけど、
朝日新聞記者の神田誠司さんが「ニッポン人・脈・記」として新聞に連載していた記事が、「釜ヶ崎有情」として本になり、神田さんから贈っていただきました。どうもありがとうございます。
新聞のときよりもっと詳しく、釜ヶ崎で活動している知り合いのようすが紹介されてます。


2012/5/14 大阪市「こどもの家事業」廃止問題についての陳情書など(16日、「こどもの家事業存続のお願い」の訂正に伴いファイルを差し替え)

4月29日に触れた、大阪市の「こどもの家事業」廃止問題について、
5月11日、大阪市改革プロジェクトチームから、児童の放課後事業に対する見直し案の一環として「子どもの家事業」を廃止するという素案が発表された。
これについて、山王こどもセンターなどから「陳情書」「こどもの家事業存続のお願い」(いずれもワード文書)が出ている。
陳情書の締め切りは5月28日。みなさん、よろしくお願いします。

『部落解放』増刊号「人権キーワード2012」に「釜ヶ崎のいま」という文章を書いてます。
メインは2011年に起こった、日雇労働者や野宿者の選挙権に関わる弾圧事件と西成特区問題。西成特区については、『現代思想』で書いた内容とかなりかぶってますね。

▼きのう、友だち2人と梅田で会って、「本屋に行こう」と紀伊国屋書店(梅田本店)に行って歩いていたら、下のポップが出ていた。珍しいので写真を撮った。
こういうことで、「現代思想」に書いた「こどもの家事業」廃止など釜ヶ崎の問題が多くの人に知られるならありがたいことだ。
それと、『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち』は平積みで置いててくれてた。うちの近所の、大きな児童コーナーがある書店は一冊も置いてくれない(というか、ぼくの本は全く置いてない)。
本屋のポリシーの違いをひしひしと感じる今日この頃です。



2012/5/8 「100分de名著 カフカ 変身」
「プレイアデス舞曲集」への反歌としての「ピアノ・フォリオ」
 
100分で名著 カフカ 変身」を著者の川島隆さんから贈っていただきました。ありがとうございます。
この中で、ぼくがよく使う「カフカの階段」(あるいはこちら)について触れられていて、その縁で。テレビでは5月23日放送の第4回になるけど、放送中で紹介されるかどうかは不明です。

吉松隆の「プレイアデス舞曲集」を田部京子の2枚のCDで聴いて、「いいな」と思った曲はマルをつけて自分で弾いている。そのうち幾つかは前にこっちにアップした。
この「プレイアデス舞曲集」の補遺として1997年に書かれたのが「ピアノ・フォリオ」(楽譜は『レグルス回路』音楽之友社)。この曲の副題は「消えたプレイアードによせて」で、作曲者によれば、ギリシャ神話の7人姉妹プレイアデスのうち消えた1人がいる伝説に由来するという。
確かに「補遺」なんだけど、この曲は、「プレイアデス舞曲集」本篇のどの曲より、音楽的にも技術的にも高度になっているんじゃないだろうか。柿本人麻呂の長大な「長歌」の余韻を短い「反歌」が引き受けて別の次元へと引き上げていくように、「プレイアデス舞曲集」全9巻とこの「ピアノ・フォリオ」一篇もほぼ対等に立っているようにも見える。繰り返される音型のみずみずしさは何度聞いても素晴らしい。一方、技術的には、中間部の分散和音はかなり広い音域を高速に駆け回るので、反復練習を相当にしないと「さま」にならない。
この「ピアノ・フォリオ」は、YOUTUBEに榎本玲奈のライブがアップされている(この人と新崎誠実とで、5月20日に兵庫県たつの市でライヒ、アダムズ、メシアン、吉松隆を弾くリサイタルがあるようだ。しかし、たつの市は遠いな…。これ、大阪だったら絶対行くけどなあ)。
榎本玲奈の演奏は、特に出だしのセンスがとてもいいのでよく聴いた。ただ、中間部はライブということもあって、ちらほらミスタッチがあるようだ。
ぼくの弾いたものがこちら(4月末の演奏)。音楽的にはともかく、ミスタッチはないはずだ。いずれ、他の「プレイアデス舞曲集」の幾つかと一緒に演奏のページにアップする予定。


2012/4/29 「釜ヶ崎と西成特区構想」(「現代思想」5月号)
「こどもの家事業」は橋下市長によって潰されるのか


「現代思想」5月号特集「大阪」で、「釜ヶ崎と「西成特区」構想」という文章を書いている。
見出しは、
・「西成を変えることが大阪を変える」「大阪から日本を変える」
・「特区構想」は注目されたが「路上死・餓死・暴動」は無視された
・「労働者派遣法」改正と釜ヶ崎
・日本の3分の1は釜ヶ崎になった
・生活保護の問題は「不正受給」ではなく「孤立」(関係の貧困)にある
・生活保護と公的就労事業
・「こどもの家事業」は橋下市長によって潰されるのか

橋下市長の意向により、大阪市の「こどもの家事業」が廃止の予定になり、釜ヶ崎の「こどもの里」「山王こどもセンター」が存続に関わる事態に至っている。ぼくは、1988年から西成区の児童館「山王こどもセンター」にボランティアやアルバイトとしてかかわっている。原稿の最後で、この大阪市の「こどもの家事業」廃止問題について書いた。その箇所のみ、ここで引用。
また、「山王こどもセンター」「こどもの里」からも「緊急のお願い」が出ているので、こでアップしておく。
「山王こどもセンターに集うこどもたちと保護者と地域のみなさんへ 緊急のお願いです」(ワード文書)
「こどもの里」からの「お願い」(4月23日)

「こどもの家事業」は橋下市長によって潰されるのか

 釜ヶ崎キリスト教協友会を構成する施設の一つ、「山王こどもセンター」は、西成区山王で1964年に始まり、保育所として活動した後、自主運営で学童保育を続け、1996年から社会福祉法人となり大阪市の「子どもの家事業」(児童館)を行なっている。「こどもの家事業」は、大阪市が学童保育に代わる事業として力を入れたもので、1989年度に始まり、現在市内に28カ所ある。大阪市によれば「地域の社会福祉協議会や社会福祉法人など地域の方々にかかわっていただき、子どもたちに遊び場を与え、地域における子どもの活動の拠点としての役割をもちながら、放課後等における児童の健全育成を図ることを目的として、その経費を補助する」とされ、幅広い年齢層の子どもたちや障害児が来ることができる事業として位置づけられている。かつて大阪市が自信を持って推進した事業で、「山王こどもセンター」は大阪市から「法人を取って『こどもの家事業』をやってください」と勧められたという経緯がある。
 「山王こどもセンター」の職員は三人で、保護者からもらうのはおやつ代や外出時の交通費などの実費程度で、大阪市からの「こどもの家事業」としての年数百万円の補助金やバザーの収益で運営している。
 ここに来る子どもたちの多くは、以前からいろいろな家庭の事情を抱えている。以前いた子どもの例では、お母さんが飛田遊郭のセックスワーカーだったり、家が遊郭だったり、あるいはお母さんが覚醒剤の売人で子どもが顧客リストを持たされていたり、母子家庭でお母さんが時々家に帰ってこなくてお金がない家で子どもが暮らしていたり、などだ。6畳の部屋に親子4人(子どもがいる再婚どうし)が生活し、毎日のように夫婦げんかしている、という家もある。当然、そういう環境では、子どもは勉強したくてもできない。そこで、20年前から「山王こどもセンター」では毎週一日、夜に「べんきょう会」というプログラムを作って子どもたちが勉強できる場を作っていた。また、不登校の子どもや、アルバイトなどで働く高校生たちも来ているが、その子たちが過ごしたり、生活や家族の問題の相談をすることができる「居場所」としての役割も果たしている。かつて通っていたこどもは大きくなっていったが、中には犯罪で逮捕された子もいる。そういうことがあると、山王こどもセンターの施設長が裁判の傍聴に行ったり、身元引受人になるなどしてかかわりを続けている。
 しかし、「こどもの家事業」に対する市の補助金は、橋下市長の意向によりいきなり廃止の予定となった。2012年度の7月までは暫定的に予算がついたが、8月以降は未定で、来年度は「期待しないでください」と言われている。
 「こどもの家事業」に対する予算がカットされれば、「山王こどもセンター」は経済的に存続にかかわる事態に陥る。また、やはり釜ヶ崎キリスト教協友会の一つである「こどもの里」も、この「こどもの家事業」を行なっている。この地域に、この二つに代わるような施設は存在しない。市長は「西成特区構想」で「地域による子育て支援」を謳いながら、地元でこどもたちを支え続けた施設をつぶしにかかるつもりなのだろうか。
 先に触れたように、橋下市長はかつて飛田新地料理組合の顧問弁護士だったが、山王こどもセンターは飛田新地料理組合から歩いて1分以内のところにある。市長は、「西成特区構想」を語る前に、山王こどもセンターをはじめ、釜ヶ崎の人々やこどもたちを数十年の間支え続けてきた活動を学ぶ必要があったはずである。


2012/4/24 『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち』(あかね書房)



『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち』という本を出した。(あかね書房 131ページ。税込み1260円)。今日ぐらいから書店に出るようだ。
題名の「おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?」は子ども夜まわりの感想文から取っている。
「こどもの里」のこども夜回りから始まって、全国の野宿者のようす、中学で不登校になり、中学生の時からいろいろな現場で働き続けて野宿になった坂本さんの生い立ち、夫婦で野宿し、飼っていた犬たちを最後まで面倒をみ続けた塩野さんの生活のようす、襲撃の問題などについて書いている。
3年ほど前から計画を立て、今年になってようやく完成した。襲撃をする子どもたちが読める本を作るというのが前からの一つの目標だったが、これでようやく果たせた。
絵や写真もいっぱい入っている。画家の下平けーすけさんが、あたたかみのある絵を描いてくださった。この方は、以前にこども夜まわりの様子をテレビで見て、とても印象深かったということだ。
 こどもたちから見た野宿生活の深刻さ、2人の野宿者の詳細な生活のようすは、今までのどの本も取り上げなかった生々しいものかもしれない。しかし、こどもたちや二人の野宿者の言葉や行動に、強い信念や優しさが感じられるだろう。
それにしても、本を作り上げるのは、いつものように疲労困憊する作業で、できた本を見ても、心労がよみがえってきてうれしくない。今回は、インタビューやドキュメントの部分が多かったので「少しは楽かな」とも思ったけど、実際にはそんなこと全くなかった。編集の加藤さんには、本当に細かいところまで頑張っていただきました。
できた本は、小学生でも大人でも、読んで驚いて感動できるものになっていると思う。特に当事者お二人のインタビューは読み応えがありすぎるほどだ。

目次
はじめに
1・こどもの夜まわり
2・なぜ子どもが夜まわりをするの?
3・野宿をしている人とのかかわり
4・坂本さんの話
5・塩野さんの話
6・野宿をするようになるのはその人が悪い?
7・なぜ子どもたちが野宿者を襲うのか
8・みなさんになにができるか
あとがき

こちらは表紙裏。 


「近況18」
「近況17」
「近況16」
「近況15」
「近況14」
「近況13」
「近況12」


■HOME