DAYS                           めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「極限の貧困をどう伝えるか」を参照してください。)

スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。


最新の「近況」はこちらです。


2009/5/22 貧困とインフルエンザ


きのうの朝日新聞で、「野宿者『マスク代ない』 ビラで呼ぶかけ/せっけん配布」と、野宿者に関わるインフルエンザの問題について記事が載っている。(ネットには上げられていない模様)
「新型の豚インフルエンザの感染が広がるなか、ホームレスの人たちに対する感染防止の啓発と支援の動きが神戸や大阪で始まっている。生活苦のために情報の入手や治療が遅れがちな人たちの健康をどう守るのか。支援団体や行政の取り組みを追った」という内容。
例えば「神戸の冬を支える会」の炊き出しでは、豚汁などを会場で作って出してきたが、多くの人が一緒に食事をすることで感染のリスクが高まるのを防ぐため、弁当の配布に切り替えたという。また、携帯電話を持っていなかったり、公衆電話の小銭もなかったりする人が発熱したときに相談できるよう、コレクトコールで会に連絡する方法も伝えた。
釜ヶ崎には宿泊専用の1000人規模のシェルターがあるが、ここは2段ベッドがズラッと並んだ造りなので、感染症が起こったらあっちゅー間にどんどん感染してしまう。とはいえ、「1人が感染してシェルターを閉めたら、残りの何百人もの人が路上で寝ることになる。全面閉鎖は難しい」(NPO釜ヶ崎)と、対応が難しい。
ぼくもコメントを求められ、
「夜回り活動をしていると、体調が悪くて発熱をしている人によく出会う。彼らはお金がなくて、病院に行けない。収入が途絶えるので、アルミ缶集めなどの仕事も簡単に休めない。多くの人が、満足な食事もとれずに路上で我慢している。早急に無料もしくは低額で受診できる体制を作るべきだ。療養する家すらない貧困が、感染を広げ、深刻化させてしまうことを心配している。」としている。
野宿している人は、お金がないからマスクも買えないし、病院にも行けない。政府は軽症の場合は「自宅で療養」と言っているが、多くはその「自宅」がないわけだ。貧乏人は感染しやすいし、感染しても治療できず、路上で寝てるしかないということか。
今回のインフルエンザは5〜60代はかかりにくいらしくて、野宿者の間ではさほど大きな騒ぎにはなってないけど、場合によっては大変なことになってしまう。
1999年には釜ヶ崎で赤痢が大流行して、100人以上が隔離入院させられた。いまどき日本で「赤痢が流行」ってすごいけど、原因はもちろん、シェルターやあいりん総合センターを始めとする「過密」な生活環境、衛生的な住居の不足、貧困ゆえの体力不足などだ(赤痢の場合、体力は関係ないっけ)。
以前にも書いたが、このとき、ぼく自身「赤痢の疑い」で隔離病棟に担ぎ込まれた(結局、急性胃腸炎だったらしく、1週間ほどで無事退院しましたが)。
SARSのときも、釜ヶ崎で流行したらどうなるんだろうと、知り合いどうしでいろいろ話したことがある。あれは「かかったら死ぬ」と言われていたからなあ。
いまでも釜ヶ崎では結核が「世界最高」レベルで蔓延しているが、結局、貧困と感染病は切っても切れない関係だ。「医療をサービスとして経済力に応じて買う」のではなくて、誰でも医療を受けられるようにしないと、社会全体にとってもマイナスになると思うけどなあ。

しかし、今回のインフルエンザ騒ぎはなんなんでしょうか。山王こどもセンターも、大阪市から「閉めて下さい。強制はできませんが事実上99.9%の強制です」と電話で言われ(強迫?)、仕方なく閉めている。
大阪では小中高校をはじめ、学童保育や児童館がほとんどが閉鎖している模様。こどもたちは「自宅待機」を言われているが、小さいこどもを家で放っておくわけにはいかず(それってネグレクトになるかも)、とはいえ働いている親としては仕事を休むこともままならず、対応が大変なことになっている。
実際、こどもの施設の中には「家庭の事情を考えると、閉めるわけにはいかない」と、大阪市の「99.9%の強制」を無視して開けているところもある。
感染症の専門家たちは、学校などの閉鎖は感染を押さえ込むために効果的だと推奨している。けれど、リスク管理の問題として、今回はインフルエンザ感染のマイナスより、社会機能のマヒのマイナスの方が大きいんじゃないかという気がするけど、どうなんでしょうか。


2009/5/2■ 第40回釜ヶ崎メーデー・「生きるねん」関西テレビで放送




5月1日は釜ヶ崎でメーデー。あいりん総合センター→三角公園→大阪城公園→大阪市役所のコース。
写真は釜ヶ崎を進行中のようす。

山王こどもセンターからのご案内

山王こどもセンターにかかわるこども・おとなを1年半ほど追ったフジテレビのドキュメント番組“ザ・ノンフィクション” 「生きるねん〜大阪・西成の街に生きる女たち〜」が関東地 方で4月5日(日) に放送されました。
関西での放送はないはずでしたが、急きょ関西テレビで放送されることになりましたので、お知らせします。
私たちもテレビ放映後に初めてみたので、「ちょっと違うよなぁ」ってところもあったのですが、良ければごらんください。
5月3日(日) 26:22〜27:22 関西テレビです。


2009/4/28 福祉のひろば・今日のセンター

グーグル和解問題で自分の知らないところで著作物のデジタルコピーが出回る問題を考えていたら(ぼくのところにも出版社から、「ベルヌ条約により、日本で出版された著作物についても米国で著作権が発生しうる」「グーグル和解は承服したくないが同意せざるをえない」旨の手紙が来た)、想定もしなかったメキシコの豚からパンデミックインフルエンザの問題が押し寄せてきている。
それぞれ起こっている事態はちがうが、世界のどこかで起きた問題が、たちまち自分の身近な問題になりかねないという意味では似ているのかもしれない。

「福祉のひろば」5月号の「特集 子どもの貧困U」で生田武志/仲井さやか/牧野真美/黒田孝彦によるシンポジウムの記録。
これは、3月1日、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」の授業づくりセミナー・大阪と同日に行なった。うっかりダブルブッキングをやらかして、芦原橋でのセミナーを昼に抜け出して自転車で阿倍野のシンポジウムに駆けつけて、終わると同時に芦原橋のセミナーに戻ったという。そんな顰蹙を買うムチャクチャな日の記録がこれです。

最近、山王こどもセンターが人手不足なのでアルバイトに時々入っている。88年から関わっているけど、最近の特徴の一つとしては、以前にも増して障害を持った子が多いかな? だいたい半数が自閉症や脳性マヒなどの障害を持っている。他のこどもたちはふだん一緒に過ごしているのですっかり慣れていて、「あの子が今日はいるから、遊びはあれ以外だな」てな感じで遊ぶ内容を自然に選択したり、障害のある子が可能なコミュニケーションの方法をいろいろ発明・発見したりしている。大人のスタッフがそういう空気を作っているということもあるけど、そこら辺のこどもの感覚はいいなといつも感じる。
こどもセンターの日録は、紙の書類とホームページの日記があるけど、バイトに入ったときは、時々ぼくが記録をつけている。例えば、4月21日の「あめのセンター」とか他何日かはぼくが書いている。
中学生の中にはこれを読んでる子がいて、「きのうのホームページの日記、いくちんが書いたやろ〜」とか言って来る。誰が書いたかは、来てる人間にはだいたいわかるわけだ。


2009/4/20 長野・松本・「大阪市内ホームレス増加」

スパムメールがすごい勢いで増えてきて鬱陶しい今日この頃ですが、
このシンポジウムで長野へ。長野県は高校の修学旅行で行って以来だ。
日帰りするつもりだったけど、打ち上げで主催者の方々に「善光寺は、いま7年に一度のご開帳だから行かなきゃ!」「善光寺のすぐそばの東山魁夷館もいいですよ」と勧めていただき、翌日の日中は用事もないので、5500円奮発して出して長野に泊まった。
翌日、善光寺、東山魁夷美術館、それと松本市の松本城と松本市時計博物館とかを歩く。
東山魁夷館で、「花明り」を見て「あっと、これ中学(2年かな)の国語の教科書にあった」と思い出した。東山魁夷の文章の口絵だったんだけど、どういう文章だったか、すぐには思い出せない。
館内に東山魁夷の本もいろいろあったので、それが『日本の美を求めて』であることを確認。「花明り」もその文章も、中学以来、完全に忘れていた。原画と文章を見て、その時の印象を一気に思い出した。絵自体は、詩情にあふれてて、やはり何度も見入ってしまった。
教科書には、確か『』についての文章もあったはずだ。その「道」も、幾つかの習作と完成作の復元が美術館にあった。
この作品は「人生」を象徴するものとして多くの人から共感を集めたそうで、メチャクチャ有名。複製は見ていたが、ただ、昔から絵としてはイマイチではないかと思っていた。あらためて美術館で見てもそう感じた。色彩と構図といい、かなり単調なのではないだろうか。そして、あからさまにシンポリックなのが作品としてマイナスに感じる。
かりにシンボルとして見るとしても、「堅い地盤の上に伸びていく道」という形象に、まったく共感できなかった。ぼくなら、3月20日に書いた「ビビリ橋」の絵でも描くのだろうかと絵の前でしばらく考えりたりした。
というか、ぼくは「ビビリ橋の比喩」について文章で書いているわけか…

▼その「ビビリ橋」で喩えたしんどさは続き、この間の夜、激しい苦しさで一睡もできなかった。体の痛みでのたうちまわって眠れないように、内的な苦痛でまったく眠れない。
その夜を経過して、自分の体の組成がかなり変わってしまったような気がした。大げさに聞こえるかもしれないが。
松浦理恵子の「ナチュラル・ウーマン」に、好意を持つ人から誤って膝頭をつかまれ、「喉元に突き上げるような鮮やかな快感を覚えた」「私は由梨子に夢中になっているのを自覚した。全身の細胞が一挙に新しくなったような気がした」という印象的な描写がある。だが、人は恋愛でなく、苦痛によっても全身の細胞が変化するのだと思う。
そして、その次の日に「何か書こう」という気持ちが久しぶりにわいて、それ以来、少しずつ再開した。その意味で、苦しさはそこで「底を打った」のかもしれないと思う。それとも、まだ揺り戻しがあるのか。少なくとも日常生活が成りたたないような苦しさは減っている。
しかし、苦痛は減っても当然、困難は変わらない。いまの自分をご破算にしなければ先に道がないという困難と、いまの自分となんとか折り合いをつけなければならないという、矛盾するような二つの困難。
「底打ち」には憶えがある。10年前には、苦痛の頂点が過ぎて、霧が晴れるように先が見えてきた。しかし、今回はどのような変化があるのか、さっぱりわからない。
年月を経て、事態はますます悪化しているのか、それとも前進しているのだろうか、どちらにも見える。
間違いないのは、年齢は徐々に重ねていくのではなくて、ある時一気に進んでしまうということだ。

大阪市内ホームレス増加 3724人。減少ストップ「移動型」「若年化」目立つという記事にコメントあり。
(「野宿生活に陥ってしまう」とあるけど、価値判断を避けるため、「野宿になる」という言い方をしたと思う)。
東京、名古屋などでは去年と比べて野宿者数が1.5倍に激増という話を時々聞くけど、大阪ではまだそれほどではない。しかし、これからどんどん増えていくだろう。
「インターネットカフェなどで寝泊まりする『予備軍』からの相談が目立ち」とあるけど、近頃、野宿者ネットワークの携帯電話で若い人からの相談が度々入り、対応を続けています。


2009/4/13 「フリーターズフリー創刊号」3刷到着

「フリーターズフリー」2刷がついに4人の組合員の手元になくなったので、3刷1000部を印刷所に発注。きのう、我が家に200部届いた。これで創刊号は総計5000部発行。
2007年6月の創刊以来、少しずつ売れ続けてます。
われわれは「有限責任事業組合」という企業の一種なので、商品である「フリーターズフリー」が売れなければわれわれ自身の赤字になってしまいます。少なくとも赤字にしないため、そして黒字にしてそれを2号、3号の資金にするため、イベントなどの機会をつかまえては、あっちこっちでせっせと売り続けてきました。いままで、ぼく個人で売った冊数が、創刊号514冊、2号330冊。
いままで買って頂いた方、ありがとうございます!
なお、2号はまだ在庫有り。連続ものの宿命なのか、創刊号ほど売れ行きが伸びてないですが、2号もよろしくお願いします。
そして現在、3号を計画・準備中。


4月11日、26時からテレビ放送が始まった「忘念のザムド」。(ボンズ制作のWebアニメで、プレステストアで26話をすでに配信している。)
第1話「ザムド陽炎に現る」を見た。画像の完成度と伏線の張り方で期待大。というか、これほど1話で次を期待してしまう作品ってそうはない。これから毎週欠かさず見ます。
ちなみに、その30分後の「戦場のヴァルキュリア」も先週の第1回以来見ている。この時間帯のアニメはあなどれません。


2009/4/7 「生きるねん〜大阪・西成の街に生きる女たち〜」



4月5日(日) フジテレビ “ザ・ノンフィクション” 「生きるねん〜大阪・西成の街に生きる女たち〜」で、山王こどもセンターのことが放映された。2007年秋から撮影に入ってやっと放映。ただしフジテレビのみで関西地方では放映されず。
担当ディレクターから今日DVDが届き、こどもセンターで昼ご飯のあと鑑賞会。
いつものセンターの光景やこどもたちの家での様子が映ってて、みんなで「映ってる映ってる!」「大将や!」「ひろきや!」とゲラゲラ笑いながら見続けた。(このテレビの画面も笑える…)
後半、「籍を入れるか入れないか」の話とかになると、こどもたちはわけがわからなかったかもしれないなあ。


2009/4/4 「朝日中学生ウィークリー」とか

朝日中学生ウィークリー(09年3月29日)で「ホームレス問題」の記事が出ている。「こどもの里」のこども夜回りに参加している鶴見橋中学校の生徒たちの様子、ぼくが授業とフィールドワークをした三重県伊賀市の島ヶ原中学校の様子が記事になっている。ぼくのコメントもあり。
学校での野宿問題への取り組みは、やはりまだ非常に異例です。

▼フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)に連載コラム「プアプア批評」の第11回を載せています。今回は、シオドア・ドライサーの「シスター・キャリー」などについて。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。
「プアプア批評」もこれで最終回。

山王こどもセンターが人手不足で、ぼくのところにバイトの話が来た。1日3時間とかで時々入ってます。こどもセンターのバイトは久しぶりだ。
ようやく、「無職」じゃなくて「学童保育アルバイト」(時給700円台)になった!
あっしもこれで立派なフリーターです。


2009/3/28 毎日放送ラジオ・「月報司法書士」

1998年からチェンバロを習って、チェンパロ奏法のイロハを教わっていたけど、去年9月末で道路清掃の仕事を抜け、収入が激減するので、さすがにレッスンも止めた。
チェンバロで弾けるバロック、そして(これもチェンパロで成立する)スコット・ジョプリンやバルトークだけを長らく弾いてきたけど、いまは時間があれば主にピアノの曲を電子ピアノで弾いている。
ドビュッシーも幾つかやり直しているけど、やはり実際に弾くとすごいね、この感覚は。坂本龍一が最近の『音楽は自由にする』で、「ドビュッシーの、あの人類史上最も洗練されていると言っていい音楽」と言っているけど、確かに響きに対する感覚では他に比較するものがないと思う。しかも、単に「洗練」だけでなく、他のどの音楽も捉えたことのない「暴力性」さえ時として発揮されている。なお、坂本龍一は続けてその音楽「にも、フランスの帝国主義、植民地主義の犯罪性が宿っている。それは意識しておくべきことだ」と言っている。それも確かなのだろう。

▼26日、毎日放送(MBS)ラジオ「ニュースレーダー」(21:00〜22:00)内の特集コーナーで、「反貧困・春の大相談会 〜生活・労働・借金・住まい〜」(主催:反貧困ネットワーク大阪実行委員会)についてインタビューに答えた。
○3月末を前にこの前の週末、相談村を開きましたが、どのような状況でしたか?
 ・どのような人が来ていましたか?
 ・どのような相談がありましたか?
 ・どのような対応ができたのですか?
 ・課題や問題点は感じましたか?
○前回のご出演(12/18)から比べて、職を失い路上で生活する人の状況に変化はありますか?
○ボランティアなど市民の支援活動をよく見るが、生田さんの周りはどうですか?
現状、感じておられる問題点や、行政のやるべきこと、市民に期待することなどありましたらお聞かせ下さい。
といった内容。
▼今日、3月28日(土)20〜21時、同放送の「特集1179」で、「年度末に向けて増える「派遣切り」の現状と対策」について、コメンテーターの一人として出る予定。

▼「月報司法書士」3月号に「貧困を探る〜釜ヶ崎から」第6回の「越冬」。
これで最終回。


2009/3/26 横浜、大阪市役所前、『派遣村 何が問われているのか』

3月23日は横浜市立みなと総合高校で全校生徒に105分の野宿問題の講演。近頃、あちこちの学校で呼ばれる機会があるけど、関西圏以外の中高生に話をするのはやはり新鮮。
いつものように、最後に「こどもの里」の「こども夜回り」のビデオを見せると、みんな食いついて(驚嘆して?)見ていた。
「カフカの階段」のところでみんなのところをまわって一人一人に聞いていく。ここの反応で学校のカラーがわかる。ちょっとおとなしめだったか?
会場の体育館で質問が一人あったあと、「質問のある人は校長室へ」ということになった。「校長室まで来るような生徒はおらんだろ〜」と思ってたら、2人来た。「この近くでああいう夜回りはやってないですか」「やっぱり、頑張りによって野宿にならないですむと思うんですが」といった質問をしてくれた。「みんながいる体育館では質問しにくかった」そうだ。前の質問については、この学校は寿のすぐ横なので、担当の先生が「今度寿の夜回りに行こう」と答えてくれました。
帰りは、寿はこの間講演で呼ばれて一泊したので今回は行かず、横浜中華街を500円の肉まんを買い食いしながら通って、初めて山下公園へ行った。1983年、中学生グループによる複数の死者を出す襲撃が起こり、日本で初めて野宿者襲撃が社会問題になった。「ここか〜」と思いながら歩いた。




反貧困ネットワーク大阪実行委員会として、年度末に全国で数十万人の「派遣切り」が起こることを受けて、3月21〜24日に大阪市役所前でテントを張って「生活相談会」を行なった。
反貧困・春の大相談会in 大阪  「反貧困・春の大相談会 〜生活・労働・借金・住まい〜」主催:反貧困ネットワーク大阪実行委員会
  委員長 木村達也弁護士(全国クレジット・サラ金問題対策協議会代表幹事)
  副委員長 生田武志(野宿者ネットワーク代表)
  副委員長 中村研(派遣労働ネットワーク・関西 事務局次長)
事務局長 小久保哲郎弁護士(生活保護問題対策全国会議事務局長)
  事務局次長 徳武聡子司法書士・普門大輔弁護士(近畿生活保護支援法律家
ネットワーク事務局次長)
3月21日(土)、22日(日)
テントにおける面談相談・電話相談
  <テント>大阪市庁前(南側中之島プロムナードと河川敷) 午前10時〜午後5時
   ・受付テント(インテーク)
・医師・看護師・歯科医による健康診断テント
   ・相談テント(生活相談と労働相談の専門家が2人一組で聞く)
   ・女性による女性相談窓口を別に設置する(別テント)
   ・川べりに憩いのコーナーテント。弁当(1日250食限定)・味噌汁・お茶などを提供
  <電 話>プロボノセンター 午前10時〜午後8時
   ・フリーダイヤル 0120−158794(貧困はなくす)
・4回線
(2) 3月23日(月)24日(火)
生活保護申請同行を中心とするアフターフォロー

相談会開催と同時に受付に多くの人が列をつくり、テントと電話で計212件の相談があった。
事務局長の小久保さんからの報告
「女性用相談テントには私たちの予想を超える15名の方が訪れました。女性には来にくい会場の雰囲気の中、15名の方が相談に来られたということは、以前から貧困であったにもかかわらず放置されてきたという点ではホームレス問題と同じである、女性の貧困問題がそれだけ深刻な現状であるということを浮き彫りにしたと考えます。
 また、何らかの障がいを有するがゆえに社会から排斥されてきたと思われる方や、長い貧困生活の中で身体や心の健康を害してきたと思われる方が多いのも印象的でした。社会に余裕や温かみがなく、ギスギスした今の日本の世相の中で、日々多くの人々が痛めつけられて続けているのだと感じさせられます。 
ボランティア参加者数
 しかし、一方、相談会に参加したボランティアは延べ330名に達しました。法律家、労働組合、医師・歯科医師・看護師、ソーシャルワーカーなどの専門家、さまざまな分野の支援団体だけでなく、新聞報道などを見て多くの市民の方々がボランティアに駆け付けてくださいました。不動産業者や簡易宿泊所経営者の方には、生活保護申請を予定するホームレス状態の相談者の方々に37室を提供していただきました。さらに、マスコミ報道を見たという多くの「大家さん」たちから、「困っている人たちに物件を安くで提供したい」をいただいたりもしました。」

ぼくは初日はテント設営から出て、その晩の泊まり込みの警備もやってたが、翌日は昼から尼ヶ崎でシンポジウム(この2日目のテント撤収は大雨だった…)、次の日は横浜と、あまり動けなくて申し訳なかったです。みなさん、お疲れさまでした。


今日、『派遣村 何が問われているのか』(岩波書店)が届いた。宇都宮健児・湯浅誠編、3月26日刊、1200円。ぼくも書いてます。
目次
はじめに 湯浅誠
T
派遣村は何を問いかけているのか 湯浅誠
反貧困運動の前進 宇都宮健児
U
派遣村はいかにして実現されたのか 棗一郎 井上久 遠藤一郎 関根秀一郎
セーフティネットとしての派遣村 湯浅誠 猪俣正 後閑一博 信木美穂
V
越冬と年越し派遣村 生田武志
帰って来た「移動する村落」 楜沢健
分断社会を超えて 井手英策
「もやい直し」で「世直し」を 石田雄


2009/3/20 「部落解放」とか「ビビリ橋」とか

今日、以前に授業に行った市立小学校の先生1人とクラスの生徒2人(おととい卒業式だった6年生)が、服いっぱいとカンパを持って釜ヶ崎にきてくれた。
先生によると、学校全体でカンパを集めようとすると、先生や保護者から「働かない人たちのためになぜカンパをするのか」みたいな意見もあって、なかなかうまくいかなかったらしい。しかし、その先生とこどもたちのクラスでは、ほぼ全員からカンパ物資が集まったという。ありがたいです。

「部落解放」4月号は、特集「五月病をこじらせろ!―働き方を考える」
特集の内容は、
「働かざるもの、食うべからず」と働かない労働組合―働かないぞと叫ぶ労働組合の存在意義について/丸田弘篤
被害と加害の二重螺旋を超えて―「フリーターズフリー」の挑戦/大澤信亮
2月も続く、釜ヶ崎の越冬―もうひとつの「派遣村」のいま/生田武志
「蟹工船」のリアル―2009/田野新一
大澤さんの「フリーターズフリー」の記事と隣あわせという素晴らしいラインナップ。

▼大阪日々新聞が、21日からの反貧困ネットワーク大阪実行委員会による、「反貧困・春の大相談会in大阪」(大阪市役所前)にあわせ、連載記事を出している。
今まで、「派遣労働」 「生活保護」 「ホームレス」 「母子家庭」と、ぼくも含め、反貧困ネットワーク大阪実行委員のみなさんが出てます。

▼読売新聞の記者から電話があり、いろいろ話したのがこの記事のコメントに使われている。
社会的孤立の問題や、新たに野宿になっている人たちの問題など、多分1時間近くいろいろ話したけど、こういう簡単なコメントになっている。「社会復帰するためにも」という言い方が出ているが、それについては「ぼくは社会復帰という言葉は使うことはない」と釘を刺したんだけど。内容といい、釈然としない使われ方だ。

自分のいまの状態を比喩で考えた

テレビ朝日の「Qさま!!」の企画の一つに「ビビリ橋」がある。海の上の高さ10mに渡された、長さ15m、幅45pの橋を歩く企画。風が強くてかなり揺れる上、橋にはバナナの皮やらシーソーが置かれていて、ものっすごく怖い(らしい)。たいがいの人は一歩踏み出すだけで何分もかかって、15m歩ききるのに10分ぐらいかかってしまう(アンタッチャブルの柴田がスタートと同時に全力疾走し、3秒で渡っていたが、あれはすごかった)。しかし、この橋は、海上すれすれで置かれてたら全然怖くなくて、誰でもあっさり渡れるものらしい。
この罰ゲームの最後、参加者を目隠しして橋に立たせたことがあった。実際には、クレーンで吊った橋は地上50pぐらいに下ろしている。出川哲朗とか罰ゲームの参加者は、自分が海上10m以上のところにいると思いこんでいるから、泣きながら橋にしがみついて這い続けていた。あれは笑えた。

こういうことをよく考えた。普通、われわれは固い地表に立っていると思っている。しかし、本当は海の上に置かれたボロボロの橋の上に立っているのかもしれない。一歩間違えば、たちまち落ちて水に呑まれて死んでしまう。足下には無限の水が控えているが、ぼくたちはそれを普段意識していないだけなのかもしれない。
片足を海に突っ込んでバランスを崩したとき、それとも橋そのものが崩れたとき、初めて自分の危うさに驚くのだ。

そこで思い出した「ビビリ橋」
ぼくたちは普段、自分がいる足場の橋が海上すれすれ(あるいは地表)に置かれていると思っている。だから、日常的に特に恐怖もなく、あっさり渡っていく。
しかし、現実にはぼくたちは、高さ10mの橋の上に立っているのかもしれない。出川のように、自分が「高さ10mにいる」と感じれば、泣きながら橋にしがみつくか、恐怖にふるえながらのヨチヨチ歩きしかできなくなるだろう。
それを見て、周囲の人、つまり自分は海上すれすれ(あるいは地表)にいると思い込んでる人たちは、「弱いヤツだ」「なんで普通に歩けないんだ?」「なにビビってるんだ?」と思うだろう。
考えてみれば、10mだろうが何mだろうが何pだろうが、橋を歩く(落ちないでいる)難しさは本当は変わらない。
しかし、「落ちたら怖い」という恐怖が足をすくませる(体にくる)。それは不合理な反応なのか?
けれども、事実として、ぼくたちは「落ちたら死ぬ」橋の上に立っているのではないか。というより、「いつ」であるかは別として「誰でもいつか必ず落ちる」のだ。
だとすれば、むしろ泣きながら橋にしがみつくか、恐怖にふるえながらのヨチヨチ歩きをしている方が、現実をまともに見(てしまっ)た反応を示しているのかもしれない。
出川のリアクションは笑えたが、それは笑う側が「地表スレスレにいる」「落ちることはない」と思い込んでいるからだ。しかし、出川の方が実はまともなリアクションを示している可能性はある。少なくとも、どちらが正しいか決めることは不可能ではないのか?
いったん、自分が「落ちれば死ぬ高さ10mの橋にいる」と気づいてしまえば、それまでのように平気で(平常心で)歩くことはできなくなる。これは当たり前だ。
しかし、それでもなお「歩く」ことを決断したとすれば、どうするべきなのか。いつまでも橋にしがみついているわけにはいかないとしたら。
「落ちれば死ぬ高さの橋にいる」ことを自己催眠的に忘れさせて、「地表にいるんだ」と勘違いさせて、平常心を取り戻させることなのか。(多くの人はそうさせようとする。時にクスリを飲ませたりして)。
それとも、極めて困難だとしても、アンタッチャブルの柴田のように、スタートと同時にいきなり全力疾走してしまうことなのか。
多分後者だ。
危機は切り抜けるのではなく、直面するしかないのだと思う。


2009/3/18 「野宿者問題」でなく「野宿問題」

ずっと「野宿者問題の授業」とか言ってたんだけど、今後、「野宿者問題」でなく「野宿問題」あるいは「野宿の問題」に言い方を変えます。「野宿者問題の授業を行なっています」のホームページなどもこれからタイトル変更。
最近、釜ヶ崎資料センターの松繁逸夫さんが、「野宿生活者が「問題」なのではなく、野宿を余儀なくされる人々を生み出す状況が問題なのだ、ということを示すために、通常「野宿生活者問題」となるところを、「野宿問題」としています」
ということを言っていて、「そう言えばそうだ」と思ったわけ。
例えば、「女性問題」と言われることがあったけど、それについて「それは実は「男性問題」だ、「女性」に問題があるわけではないのだから」ということが言われていた。最近は「ジェンダー問題」と言うことが多いけど、その意味でも「野宿者問題」はどうもおかしい。
とはいえ、「野宿問題」と言ったとしても、「野宿が問題ではなくて、野宿を強いられる構造が問題だ」、あるいは「野宿自体はいいものでも悪いものでもない」という意見もありえる(というか、ぼくはそう思っている)。
ぼくは問題は「野宿」ではなくて「経済の貧困と関係の貧困」という「二つの構造的貧困」だと思っていて、よく「解消すべきは野宿ではなく(二つの)貧困だ」と言っている。最近、野宿問題ではなく貧困問題で声がかかることが多いが、それは時代の流れという面もあるけど、ぼく自身の関心も「二つの貧困」にある。「野宿者襲撃」なんてまさにこの「二つのホームレス」問題なのだから。
とはいえ、野宿に関わる問題について授業などで語る機会は続くわけで、その場合は「野宿問題の授業」という言い方にしようかと思っております。

完全に個人的なことだけど、近頃精神的に不安定になっていて、今までフタをしてやりすごして生きてきたのが、そのフタが取れて中が噴き出したようになっている。苦しさがただ事ではなく(体にきて、用事のないときはだいたい寝込んでいる)、なんだろうといろいろ考えていて、これは14歳の頃の苦しさに近いな、と思いあたった。
それから思い出してみると、同じような経験が1979年、1990年(つまり1989+1)、1999年とあったことに今日(3月12日)、きっかけがあって気がついた。そしていま2009年。ようするに、10年周期で同じようなことを繰り返しているのだ!
以前、ここでこう書いた。
「30歳になった時はというと、とにかくそれまでの20代が「ひたすら苦しいだけ」だったので、30代はいくらなんでもそれよりはマシだろうと思ってホッとした(実際、30代はそうだった)。20歳になったときは、10代が終わるのが悲しかったなあ。
しかし、ぼくにとっては10年じゃなくて7年区切りの方が重要だった。というのは、約7年周期でとんでもない苦しみ方をしたあげく、生き方や発想そのものがいわば「モデルチェンジ」するという経験を生まれてからずっと繰り返しているからだ。
今考えると、20代がキツかった原因の一つは、この周期が2回来た(年齢でいうと21頃と26〜7の頃)こともあったのだろう。(…)
いつ来るにしても、その度に文字通りに「果てのない苦しみ」、つまり生きるか死ぬかという思いを経験することになるが、そういう「果てのなさ」の経験は、 ある意味では意義のあることなんだろう。「生と死の境界」というか「生の限界」を体で受けとめるみたいなところがあるからだ。ただ、ぼくにとって疑問の一つは、「果てのない苦しみ」はあってもなぜ「果てのない喜び」が存在しないのだろうか、ということだ(例えばニーチェを読んでひたすら羨望するのは、一つはこの点である)。」(★)

しかし、7年周期と同時に、10年でも似たことを繰り返しているみたいだ。(本当に不思議なのは、内的な問題だけでなくて外的な問題も繰り返すことだが)。10年周期の方は7年より危機度は少ないが、2つの周期が重なると、とんでもないことになっていた。
考えてみると、7年と10年の周期を見れば、ぼくの人生はかなり理解できてしまうようだ。いろいろジタバタ動いてきたとしても、結局最初からプログラムされていたように。これはぼくにとって自分の人生観が変わるような発見だ。ただ、発見したからといって苦しさは別に減らないんだが。

(★)先の文章を書いた後、いま「フリーターズフリー」をやってる栗田さんとメールでこういうやりとりをしてこのホームページに引用した。一部再掲。
▼(2004年6月5日)栗田
(…)一番最近の生田さんの日記を読んで、「果てのない苦しみ」はあっても「果てのない喜び」はないのか?というの話がとても趣き深く感じました。
喜びは、時空間を越えるような形で存在しているから、「果てのない喜び」というのは、形容矛盾のようになるのではないか、と。
 苦しみってヴェイユの「不幸」じゃないけれど、やはり身体をともなった、時空間があるからこそ発生するものなのではないか、と思います。
イメージ的にいっても苦しみというのは、すごく遠くにあるものが得られなかったり、自分が果てしなく下のほうに行ったり、はたまた、後悔だとか、絶望だとか、なんとなく時空間が関連するような気がします。
それに対して、「喜び」は、それこそ陳腐な言い回しだけれど「一瞬が永遠」になるようなもののような気がします。
ニーチェの永劫回帰は、まさに「永劫回帰」という言い方そのものによって、苦しみの持つ、三次元的かつ直線的な時空間から距離を置こうとしているわけだろうし。
変な話ですが、友情や恋愛における喜びでその実際の相手との友情や恋愛は終わっていたとしても、そのときに感じていた喜びは、厳然として今も喜びに感じる、なんて思えるときに、「一瞬にして永遠」ということをわたしはふと感じたりします。(…)

▼(6月7日)生田
(…)確かに「苦しみ」は時空間にあるもので「喜び」はそれを超えているかもしれませんが、そうであるにしても、「苦しみ」が無限で「喜び」が有限、というのはぼくの実感です。
カフカがともだちのブロートに「われわれは神の不機嫌の産物みたいなものだ。絶望というほどのものではなくて、神にとっては、なんかちょっと気がふさぐな、というもの程度のものなのだ」と言って、ブロートが「では、救いはないということか」と聞くと、「神にとっては、もちろん救いはある。しかしわれわれにはないんだ」と言って笑った、という話がありました。
カフカの発想は「なんかヘン」と思いますが、しかし現実を言い当てているのは他の人よりもカフカではないかと思います。奇妙なのは、「人間には永遠への道が開けている」「人間の存在は基本的に祝福されている」みたいなセリフよりも、カフカの言ってることの方にある種の「救い」を感じる、ということです。
かつて(「c.s.l.g」や「シモーヌ・ヴェイユのために」で) 書いたように、「捜す者は見いだす」(人間には永遠への道が開いている、という肯定的神学)→「捜すものは見いださない」(否定神学)→「捜さない者は見いだされる」(カフカの断片。トポロジカルなねじれ)をぼくはよく考えますが、その意味では、われわれが捜す「喜び」は存在しませんが、われわれが「喜び」によって見いだされることはあるのかもしれません。ただし、見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれませんが。(…)

▼(6月10日)生田
前回メールを出したあと気づきましたが、
「われわれが捜す「喜び」は存在しませんが、われわれが「喜び」によって見いだされることはあるのかもしれません。ただし、見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれませんが」
というのは、キリスト教で「イエスはあなたの横におられるかもしれない。すぐ横にいるその人かもしれない。しかし、あなたはそれに気づかないでいるかもしれない」という話(ヨハネ福音書だったか?)と同じかもしれません。
「カラマーゾフの兄弟」の挿話の中で、イエスは突然中世のスペインの町中に現われると、民衆は意義深いことに「ただちにイエスと気づいた」とされています。
だとすれば、同様に「だれもイエスと気づかない」場合もあるのでしょう。そして、それもまた意義深いことではないでしょうか。
ついでながら、「人間には永遠への道が開けている」「人間の存在は基本的に祝福されている」みたいなセリフを聞くと、ぼくは違和感を感じるんですが、それって多分、鬱病の人が楽しい音楽聞かされたり「人生は素晴らしいよ」とかいって励まされるのと似ているんだと思います。(…)
(再掲終わり)

「われわれが「喜び」によって見いだされることはあるのかもしれません。ただし、見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれませんが」。
これを書いたとき、その時期書いた「〈野宿者襲撃〉論」で触れた「90年暴動」のことを思い浮かべていたのだろうか。
その「〈野宿者襲撃〉論」の次の段階にあたる文章をいま書き続けているが、それは「野宿」とも「貧困」とも「襲撃」とも関係ない内容だ(主に小説やマンガなどを扱っている)。だが、やはり「見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれない」というすれ違いを一つのテーマにするのかもしれない。
考えてみれば、「〈野宿者襲撃〉論」は、ある意味では「二つのホームレス」=「経済の貧困と関係の貧困」という極限的な場合の、つまり導出しやすい「特殊解」だった。それに対する「一般解」は無理としても、「〈野宿者襲撃〉論」とは別の「部分解」を得ることができるか。それがいまの課題なのだろう。(と、自分にハッパをかけているわけだが)。


2009/3/9 YouTubeとか

昨年の3月29日の反貧困フェスタでやった講演がYouTubeで公開されてます。こちらのチャンネルアドレス
「反貧困の学校」と「フリーターズフリー」02号で文章化した「究極の貧困をどう伝えるか」の本番です。全部で1時間。後半は「極限の貧困をどう伝えるか」の内容。
撮影、アップした方によると、「現在、第1回目をアップしていますが、随時公開していきたいと思います。」ということです。

▼産経新聞の6日の記事。
不況で日雇い求人数過去最低水準に 大阪・あいりん地区
5日に西成労働福祉センターに行って就労状況について資料をもらっていろいろ教えてもらったんだけど、次の日にこんな記事が載っていた。とにかく、釜ヶ崎は史上最悪の就労状態です。
アルミ缶の単価も去年の3分の1に下がっているし、生活できない多くの日雇労働者、野宿者が今後、生活保護になだれ込む可能性は高いかもしれない。
アルミ缶なんか、去年までは1000個集めてやっと2000円だったのが、いまや不況の影響で600円ぐらい。時給は平均50円ぐらいだろう。これでやっていけるはずがない。夜回りなどで話を聞いているけど、みんな本当に「生きていけるかどうか」の境目にきてしまっている。
おまけに、4月からは例年の「アブレ期」に入るし、6月は梅雨でさらに仕事はなくなる。この世界不況も何年続くかわからない。釜ヶ崎は、「寄せ場」としていよいよ終わろうとしているのだろうか?
関連する記事(同じく産経新聞)で、2月24日の「失業者の「救世主」低調 キャリアアップハローワーク 求人激減 雇用ミスマッチ」はコメントを求められたもの。

▼うちの雨漏りは、大工さんが3日ほどかけて修繕してくれて、雨が降っても大丈夫に。一緒に屋根に上がって見せてもらったら、一部バラバラになっていた瓦を並べ直して、あちこちにコーティングして、さらに強力な防水テープで補強してました。
大工さんによると「瓦は戦前のもので、端を踏んだら割れる。屋根自体も歪んでいて歩いてるとかなり危ない」んだそうだ。しばらく、ハシゴを持ったり瓦のガラや荷物の上げ下げとか、大工さんの手元をやりました。
こういうのは慣れてるけど、普段着で自分のアパートでやってるとなんかヘンな感じでした。


2009/2/25 雨漏る我が家



ここんとこ雨が続いてますが、我が家(風呂なし、ガスなしの木造アパート)は雨漏りがひどいです。とにかく、夜中にポタポタ落ちてくると、そのたびに起きて洗面器を並べないといけない。それで、あまり寝られなくなるんですよ。(雨もりの場所が日によって微妙に違うし)。写真のとこだけでなく、他でも結構漏ってます。
うちのアパートはなんでも戦前に建てられた建物だそうで、造りはしっかりしてるけど、耐用年数はとっくに切れてます。大家さんには言っていて、近々大工が直しに来るけど、ここの天井にはコンセントもあるし、漏電でもしないかと心配でオチオチ安眠できないです。
とはいえ、その代わりに家賃がメチャクチャ安くて、引っ越しできないです。「火事と泥棒と雨漏りの心配のない部屋に住みたい」という願いはずっとあるんですが。


2009/2/24 また寝こんでました

今年に入って、(多分)インフルエンザ(A型とB型かな)にやられて2回寝込んでた。その合間にも講演を幾つかやったげと、声が出なくて苦しかった!
去年は予防接種を受けたのに、今年は油断した。しかし、ようやく完治しました。

原稿が幾つか掲載。
「あけぼの」3月号(女子パウロ会)に「日本国憲法は世界の宝」第27回として25条「生存権」について。
「人民新聞」1555号に「崩壊しつつある憲法25条と9条の縮図=釜ヶ崎・沖縄」
「月報司法書士」1月号に「貧困ビジネスと社会的起業」、2月号に「こどもの貧困」。


2009/1/30 寝込みました

月曜の夜から調子がおかしくなり、ひどいカゼ。
ここ数年、カゼをひいても「ちょっと調子悪いな」ぐらいでなんとかなったのに、今回は体が痛くて眠れないわ、味覚が完全になくなるわとかなりキツイ。インフルエンザかもしれない。去年は予防接種をしたけど、今年はやってなかったし。いまはなんとか回復過程だけど、頭痛が続いてます。
2001年から「野宿者問題の授業」をやっているけど、今回、ついに初めて「病欠」(延期)してしまいました。(さらに、派遣問題でテレビの生放送出演の話も来たけど、これも辞退)。
明日はなんとかしてこれには出ます。

ジュンク堂大阪トークセッション■
2009年1月31日(土)14:00〜
『フリーターズフリー』vol.02 出版記念
(有限責任事業組合フリーターズフリー編集・発行/人文書院発売)

労働にとって「女性」とは何か―家族・性・労働をめぐって―
栗田隆子×生田武志×村上潔

「フリーター問題は女性労働問題だ」
労働問題、とりわけ不安定雇用問題において、
もっとも重要でありながら、見落とされがちな「女性」と「家族」。
戦後日本における女性たちの運動を振り返りながら、
あらためて「労働」を問い直します。
「フリーターズフリー」創刊以来、初めての関西イベントです。

パネラー紹介
★栗田隆子(くりた・りゅうこ)/1973年生まれ。有限責任事業組合フリーターズフリー組合員、「女性と貧困ネットワーク」呼びかけ人。現在、国立保健医療科学院非常勤職員。雑誌・新聞などに寄稿多数。
★生田武志(いくた・たけし)/1964年生まれ。有限責任事業組合フリーターズフリー組合員。現在、野宿者支援活動。著書に、『〈野宿者襲撃〉論』(人文書院)、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』(ちくま新書)。
★村上潔(むらかみ・きよし)/1976年生まれ。立命館大学大学院先端学術総合研究科博士課程に在籍。戦後日本における「主婦」の「労働」をめぐる思想と運動について研究。

☆会場…3階喫茶にて。入場料500円(定員40名)
☆受付…3階東カウンターにて。電話予約承ります。

ジュンク堂書店 大阪本店
TEL 06-4799-1090 FAX 06-4799-1091


2009/1/26 毎日新聞・NHKスペシャル

25日の毎日新聞・大阪版「なにわ人模様」で出ています。こちらがウェブ版。紙の新聞はまだ見てないけど、10日ぐらいまえに記者の方と会ってお話しした内容。
「日雇いで働き」とあるけど、仕事と活動の両立が難しくなって、いま日雇労働の仕事は全然行けてません。(釜ヶ崎で日雇労働の仕事が激減していて、仕事にありつくこと自体ほとんど不可能ということもあるけど)。ほとんど「無職」に近くて、特に今月は月収が10万に遠く届かない状態です。
今日夜10時放送のNHKスペシャル「リストラの果てに 〜日雇いに流れ込む人々〜 」でスタジオ出演しています。
全国で派遣の解雇にあった人の多くが地元に帰り、そこでかなりの人が日雇い派遣の仕事に入り、日雇い派遣がすごい活況を呈しているという話から始まります。
ぼくは日雇い労働や派遣労働についてのコメントの役割。ただ、不自然なスタジオ環境での収録で、調子がよくなかった上に後半は疲労で頭が回らずグタグタです。トホホ…。ともかく見てみてください。18日収録。


2009/1/24 原稿と「こどもの野宿」

年末に書いてた原稿が幾つか掲載。
季刊 Shelter-less No.36 2008 Autumn & Winter
「野宿者襲撃と野宿者問題の授業のこれから」
「解放教育」2月号に
「貧困とこども(へ)の暴力」
「部落解放」2月号に
「野宿者襲撃をなくすために 『ホームレス問題の授業づくり全国ネット』始動」

「週刊SPA!」1月13日号で「子連れホームレス」問題について聞かれてインタビューを受け、その流れでフジテレビの「サキヨミ」から取材を受けた(放送済み。見てないけど)。
野宿の現場に関わっていて、さらにこどもの問題にもずっと関わっているので、「こどもの野宿」の事例にはごくたまに現場で出会うし、情報は実は結構入ってくる。ただし、「こどもの野宿」は、特にこどもが当事者ということもあって堅い守秘義務があり、ほとんど場合、全く何も話せない。話せるのは、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』で触れた事例とか、他は「主な要因には「親の(家庭の)貧困化」と「DV」がある」という一般的な背景ぐらい。
ぼくの知る範囲で幾つものケース情報が入っているから、おそらく、全国の児童相談所は「こどもの野宿」に関して相当数を把握しているはずだ。もちろん、西成区近辺が飛び抜けて多いのだろうが。
一つの問題の立ち方は、「こどもの貧困」の激化ということだろう。この点については、「解放教育」2月号の「貧困とこども(へ)の暴力」で触れたし、「月報司法書士」の次の連載でさらに詳しく触れる予定。


2009/1/21 「不思議の国のアリス」のオペラ、とか



韓国の作曲家、チン・ウンスク(陳銀淑)の音楽、演出・美術・照明:アヒム・フライヤー、衣装・仮面・人形:ニーナ・ヴァイツナー、ケント・ナガノ指揮による「不思議の国のアリス」(英語)。
チン・ウンスクの光と色彩に満ちた多彩な音楽が、シュールな衣装と仮面で歌い続けるキャラクターたちにハマって、見ていてなかなかいい感じ。
児童文学のオペラで有名なのはフンパーディングの「ヘンデルとグレーテル」だけど、あのロマン派の音楽では「不思議の国のアリス」は絶対にできない。チン・ウンスクの、ジャスありバロックありときにはロマン派ありのかなりハチャメチャな音作りが「アリス」にはうまり当てはまった。ちなみに、「クィーン」役のギネス・ジョーンズが「首をはねよ!」と歌い続けて(絶叫系音楽で全然聞き取れないが)笑えます。チン・ウンスクはドイツ・グラモフォンから作品集CDが出ているけど、それより聞いていておもしろいかもしれない。
「不思議の国のアリス」は好きで英語で何度も読み返しているけど、これはアリスファンは一度は見ておく価値がある作品だと思う。なお、これは2007年のミュンヘン・オペラ祭での初演ライヴ映像で、国際的月刊オペラ誌『オーパンヴェルト』によるこの年の<世界初演作品>1位になっている。



パーセルの「ディドーとエアネス」。ここに割合詳しい紹介。
振付:サシャ・ヴァルツ/音楽指揮・再構成:アッティリオ・クレモネージ/ステージデザイン:トーマス・シェンク、サシャ・ヴァルツ/衣装:クリスティーネ・ビルクレ/演奏:ベルリン古楽アカデミー
パーセルは音楽史上屈指のメロディメーカーだと思うが、よく代表作とされるこの「ディドーとエアネス」はそこがイマイチで、例えば「アーサー王」(アーノンクールの指揮したDVDは素晴らしかった)と比べても魅力に欠けると思っていた。しかし、全曲を聞き返すと、特に後半の美しさがやはり素晴らしい。
このDVDの最大の売りはサシャ・ヴァルツの振り付けにある。冒頭の巨大水槽でダンサーが泳ぎ続ける光景からびっくりだが、2時間にわたる全曲を通して「こういうことを思いつくのか」というアイデアが次から次へと舞台にかけられ、それが見事な効果を上げていく。ステージに灯されたロウソクが最後に消えていくシーンがひたすら美しい。
音楽と舞台がここまで独立しながら拮抗する作品は他に知りません。オペラの映像作品として、今まで見た中で屈指の一枚。


鬼束ちひろの単独公演としては4年8ヶ月ぶりとなった2008年4月、復帰ライブのDVD。
松浦理恵子が「ポケット・フェティッシュ」で20歳前後の女性にしか存在しない感受性について書いていたが、2000年から2001年頃の鬼束ちひろはまさにそうした感性を示す存在だった(1980年代では紡木たくがそう)。しかも、松浦理恵子はそうした感受性は多くの場合徐々に消えていくと書いたが、その言葉に合わせたように、鬼束ちひろも曲を書けなくなって長期間にわたる隠退生活を続けることになる。
その彼女が復帰し(おそらく)唯一行なった単独ライブの記録。MCは一切無し、前半は伴奏がピアノだけという切り詰めたステージ。観客も異様な空気に包まれて、曲が進むたびに緊張が高まっていくように見える。
喉をつぶしてしまうような力を込めた歌い方は、以前の鬼束ちひろのものではない。アンコールで歌った「月光」も、かつてののびやかな「歌」は失われてしまっている。しかし、その切迫感と緊張においてほとんど衝撃的なライブになっている。
このライブの後、「極度の疲労による体調不良」によって彼女は再び活動を休止する。
「〈野宿者襲撃〉論」の後半を書いていたとき、合間によく渋谷慶一郎の「atak000」と鬼束ちひろのビデオクリップスを聞いていた。あの本には、どこかで鬼束ちひろの歌の(ぼくなりの)反響が入っていると思う。彼女がどういう方向へ行くのか、気になっているのだが…

「近況14」
「近況13」
「近況12」


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