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2010/12/15 沖縄の基地と少年犯罪

9日の上智大学でのDVD「ホームレスと出会うこどもたち」上映と模擬授業のようすが「クリスチャン・トゥデイ」の記事で出てました。かなり詳しい記事。
参加したのは主に上智の学生で、話のあと、学生からいろいろ熱心な質問が出た。感想文を見たけど、いっぱい思いを書き込んだものが多く、「夜回りに参加したい」「こどもと野宿者の問題について考えさせられた」という内容が多くて、来てよかったなあと思いました。
今日知ったニュースだけど、仙谷由人官房長官が、普天間飛行場を名護市辺野古る案を「沖縄の方々に誠に申し訳ないが甘受していただくというか、お願いしたい」と言って、沖縄(そして全国)の多くの人から怒りをかっている。
民主党政権の沖縄問題への取り組みは、鳩山総理(当時)の「さんざん期待を持たせて」「最後は落とす」やり方といい、自民党よりずっとひどいものになった。その上で「甘受」と言われては、それは怒るしかないと思う。
考えてみれは、橋本総理の時期には、沖縄の米軍基地の「整理・縮小」を自民党政府が言っていた。いまや、「縮小」も「整理」もどこかへ行ってしまった。
管総理は、振興策で仲井真知事を説得する予定のようだ。基地と引き替えの経済振興策は沖縄復帰以来の自民党政権の不変の政策だったが、民主党はそうした政策を批判してたんだよなあ。
沖縄の基地と経済振興策の問題については多くが語られているが、参議院選挙のとき、この問題と沖縄の少年非行について「福祉のひろば」に書いたことがある。掲載してから大分経ったので、ここでコピー。

▼参議院選挙と沖縄の格差問題

 第22回参議院選挙は「政治とカネ」「消費税増税」などさまざまな争点があったが、「障害者自立支援法」「野宿者の選挙権」など、あまり問題にされなかった点も多い。そして、沖縄の基地問題はこの1年間、最大の政治トピックだったが、この選挙の争点として議論されることはあまりなかった。
 その沖縄の選挙区は、投票率が52・4%で全国最低になった(過去の全県選挙でも補選を除けば最低)。沖縄選挙区では、4人の候補者のうち、当選した自民公認の島尻氏ら3人が県内移設に反対し、普天間飛行場の県内移設を決めた政権与党の民主党が全国で唯一候補者を立てなかった(なお、比例代表の県内得票数のトップは社民党)。この点について、琉球新報は社説で「政権へ審判を下す機会が失われれば、有権者の関心がそがれるのは必然だ。民主党は米軍普天間飛行場の県内移設を決めたが、それが正しいと思うのなら県民の審判を仰ぐべきだ。それを回避したのは政権政党としてあまりに無責任であり、投票率低下の責めはまず民主党が負うべきだ」(7月13日)としている。
 沖縄県議会は全会一致で日米合意の見直しを求める意見書・決議を可決し、県知事も名護市長も基地の県内移転に対して反対している。しかし、日本政府は県民の頭越しに普天間飛行場の移設先を決め、日米共同声明を発表した。そうした中での投票率の低迷は、沖縄県民の政治そのものへの絶望を意味するかもしれない。
 ぼくは沖縄に行くと、他では手に入れにくい本を買い込んでいくが、去年買った本に、大久保潤『幻想の島 沖縄』(日本経済新聞出版社 2009)がある。この本によると、全刑法犯少年の内訳を見ると、沖縄の中学生が全国平均の2倍の62.2%で2年連続で全国1位、再犯率が36%と全国2位とある。「沖縄の少年事件の特徴は、再犯が多く、更生が難しいと言われるのですが、その理由について、その(那覇家庭裁判所の)裁判官は「沖縄には希望がないからです」と言いました。「窃盗を繰り返す少年に先生や家裁の調査官や裁判官が『一生懸命に頑張ってごらん』と励ましても『頑張るとどうなる?』と少年に切り返される。その時、『頑張ればこうなる』という大人の成功例、モデルケースが、この島には少ないのですよ」と言うのです」。
 沖縄に対する過重な基地負担に対して、日本は膨大な経済振興策を長年続けてきた。しかし、「沖縄への特別な振興策は、支援を受けられる人と受けられない人との間に直接的な格差を生み出しました。もう一つは支援を長く続けることが民間企業の創意工夫や技術革新を阻害して成長を妨げ、その結果、公務員との官民格差を固定化するという形で間接的に格差を助長した面があります。(…)日本全体が『努力しても報われない社会』になりつつあるとの指摘があります。沖縄はそれが極端に進行しているのかもしれません」。
 沖縄への振興策は、一種の「麻薬」のように沖縄の自立を困難にし、同時に格差を助長した。大久保潤は「基地縮小こそが自立への近道」と言う。「沖縄には希望がない」という言葉は、この参議院選挙についても当てはまるのかもしれない。そして、沖縄の絶望は、われわれ日本全体がその解決の責任を負うものなのだ。
(以上)

なお、ここで引用した大久保潤『幻想の島 沖縄』にはこうした記述もあった。
「05年に赴任して間もないころ、那覇家庭裁判所にいた裁判官と話していた時、沖縄の家庭環境の危機的な状況を聞く機会がありました。さらに「沖縄にある立派な建物はすべて国の税金で造られています。努力の結果ではないのです」とも付け加えました。私は、当時抱いていた沖縄イメージとあまりに違うので「なんと悲観的な人だろう」と驚き、違和感を覚えました。しかし、その見方に共感するまでに半年はかかりませんでした。」
「昔から沖縄の学生は県内での就職志向、公務員を希望する安定志向が強いのですが、その傾向について琉球大学教育学部の島袋恒男教授は「その内向き志向は就職だけの問題ではない」と指摘します。振興策依存が続いた結果「自分たちの努力と無関係にいつのまにか道路ができ、建物が立派になる。プロセスを経験しないまま結果が出る。苦労せずに成果を手に入れたがる傾向がまん延しているのではないか」。そう危惧していました。」
「県警では『間題を起こす子は「困った子」ではなく、家庭にトラブルがあって家に居たくないと「困っている子」』だと分析しています」


2010/12/3 ようやくのCDリッピング

パソコンを初めて買った2000年以来の一つの目標が、持っているCDを全部デジタルデータ化することだった。
「データにすれば、プラスティックのCD盤は必要なくなる。火事になってもハードディスクを一つ持ち出せば全部助かる」。
「データにすれば検索すればすぐ再生できるので、『あのCD、どこ行ったかなあ』と捜す必要がなくなる」。
これだけでも手間ヒマかける意味がそこそこありそうだ。
でも、音楽をデータにしても、それを「CDプレーヤー+アンプ」相当の音で再生する方法が当時なかった。パソコンのデジタルデータを(スピーカーやヘッドフォンに)アナログ出力するDDC・DACは、パソコン付属の超・低スペックのものしかない。手間をかけてデータ化しても、「一応、聞こえますけど」程度にしかならないのだ。そんなわけで、デジタル携帯プレーヤー(COWONの数年前の16Gモデル)のため以外、CDをリッピングすることは全然なかった。
ところがこの数年、「PCオーディオ」という形で、パソコンを使って高音質で音楽を聴ける状況が急に整って、場合によってはCD規格以上の音源を聴くこともできるようになってきた。早い話、USB接続DACコンバーターを追加すれば、「パソコン+DAC+アンプ」で従来のオーディオ相当、あるいはそれ以上の音質で音楽を聴けるようになった。そして、ハードディスクの単価も急速に下がってきた。
PCオーディオの雑誌やサイトが作られるようになって、それを読んで、パソコン+USB接続DACコンバーターとヘッドフォンアンプの複合機+ヘッドフォンという、シンプルで小型なシステムを考えた。うちは木造のアパートなので、もともとスピーカーは置いてないし(友だちが来たときはヘッドフォン2台で聴いたりしている)、パソコンは、データを正確に再生できれば十分なので、いまある旅行用のネットブックでOK。「DACコンバーターとヘッドフォンアンプの複合機」+「ヘッドフォン」の品質がよければ、そこそこいい音になるはずだ。
フリーのリッピングソフトExact Audio Copy と、外付けCDドライブ(本体のドライブを酷使して故障したら、本体のデスクトップパソコンごと修理に出さないといけなくなる)を使って、きのうからCDのリッピングを始めた。目標は全CDのリッピング。1枚あたり10分ぐらいかかるので、寝る前とかに少しずつ進めていく。いつ終わるんだろう。


↑これだけ(あとハードディスクやアダプター)だけで聴ける(はず)。
ヘッドフォンは、アームが折れたのでピンバイスで穴をあけて針金でくくってゴムをまいてる。見てくれ悪いけど、機能は問題なし。


28日の高松でのワークショップ(でも、講演に近かった)の報告がネットの記事になっていた。
ワークショップ:経済・関係、二重の貧困 野宿者ネット代表、支援呼びかけ/香川
同じ記者さんのコラム
17年前、親の借金が原因で家を失った…/香川

主催者は高松の「二五(にんご)の会」。憲法二五条・生存権からついた名前で、命名者は高松で野宿していた方だという。高松でも野宿者支援が行なわれていて、水際作戦に抗議をしたり、生活相談をしたりという活動が続いている。襲撃もあるということで、どこでも問題は同じようだ。
駅に迎えに来ていただいた方は、80年代後半、四国の大学時代に釜ヶ崎の越冬に来ていた人で、釜ヶ崎の知り合いが多くて、「あの人は今」みたいな話でしばらく盛り上がった。(「あの人は死んだ、この人も死んだ」という話が多かった…)
終了後は、打ち上げでみんなで牡蠣の食べ放題の店へ。このブログで紹介されているところ。普段、牡蠣フライとかで牡蠣を5〜6個食べる事はあるけど、ここは食べ放題ですよ。30個ぐらい食べましたよ。
でも、みんな牡蠣をこじ開けて食べるのに手一杯で、黙々と食べる作業に集中して、「打ち上げには向いてなかったなあ」とあとで笑っていました。
翌日は船で50分の直島のベネッセハウスに一人で2〜3時間行ってみた。ご近所の地中美術館は月曜定休でやってなかった。直島って、倉敷から近いけど(宇野港から船で10分)、行くのは初めて。自然豊かな島のあちこちに、草間弥生の巨大カボチャを始め、様々な作品がドカンと置かれている。あちこち歩いて、「行ってよかった」と思いました。でも(その一日で高松もあちこち歩いたので)疲れた。



27日(土)、京都キャンパスプラザにて「ブラック企業で働く若者のいまと、NPOのこれから」シンポジウムに参加。
苦しむ若者、労働シンポ…京都
POSSEのブログ
ここ数年、反貧困運動が広がる中、政府をはじめとして行政の姿勢はかなり変化した。しかし、派遣切りがそうであるように、もともとの要因の一つである企業の姿勢は何も変わっていない。このシンポジウムは、特に労働法を無視した労働者を苦しめる悪質な企業を「ブラック企業」として問題を追及する内容になった。


2010/11/22 最近の講演など

最近やった講演などの報告がいくつか、新聞のネット版に出ていたので、消えないうちにここでリンク。

11日、関西学院大学での講演。野宿問題の変遷から、「こどもの貧困者への暴力」としての野宿者襲撃と、「貧困というこどもへの構造的暴力」としての「こどもの貧困」の問題を共通の課題として考える。お昼に西宮市で、それから車で50分の三田市のキャンパスで2回同じ話をした。
貧困を考えよう 野宿者ネットワーク代表、関学大で講演
貧困問題から人権を考える

20日、「岐阜・野宿生活者支援の会」に呼んでいただいて、DVD「ホームレスと出会うこどもたち」30分を上映し、学校での模擬授業。「いすとりゲームとカフカの階段」を使う、ぼくにとってスタンダードな形の授業。
最近は、釜ヶ崎のようすの映像を使い、現場の具体的なケースの話をするという形の授業をよくしている。ぼくも学生のときそうだったけど、現場のようすを現場の人間から聞けばそれで十分衝撃的だと思うようになったので。
野宿生活者:支援の会、岐阜で勉強会 「偏見なくしワークシェアを」 /岐阜

21日、部落解放研究の兵庫県集会で講演。関西学院とのほぼ同じ内容。講演のあと、いろんな人から声をかけていただきました
その場で、定時制高校で1986年から短歌を使って指導した23年間の授業記録の
『生きていくための短歌』を書いた南さんから本をいただいた。本当にありがたかった。(青春の短歌を参照)。しっかり読もう。
市川で部落解放研究県集会 若者、女性の貧困考える

この「近況」でも触れた、一緒に活動していた矢島祥子さんについての記事。この「集い」は、ぼくの司会(と奏楽)で行ないました。釜ヶ崎の知り合いたち、病院での先輩、同僚、後輩のみなさんがおおぜい集まり、会場の「ふるさとの家」に何十人もが入れきれない状態でした。
野宿者支援の女性医師を「しのぶ集い」14日大阪で


2010/11/17 世界に冠たる道具屋筋のシャッター

毎週やっている野宿者ネットワークの夜回りでは、大阪市の道具屋筋商店街(業務用の調理器具や食器、食品サンプル、イス、机などを扱う店が集まっている)でよく最後にミーティングをしている。
かれこれ10年ぐらいここで集まっているんだけど、先週、夜回りに参加していた高校生が、目の前のお店のシャッターを指さして「このマークって、もしかしてアレですよね?」と言った。「なに?」と思ってみんなで見てみると、こういうデザインだった。



これって、アレだよ!
(↑「ハーケンクロイツ」で画像検索すると出てくる)

この店は、なぜこのマークを掲げているのか? どう見ても戦後に建てられた商店街だから、日独伊三国同盟の時代のものというわけじゃないだろう。シャッターにある「世界の冠たる」とかけているのかな? というか、ドイツだったら、これ犯罪になるんじゃないっけ? ということをみんなで話した。
しかし、われわれは10年このロゴの前でミーティングしていたのか…


2010/11/13 「蟻族」書評など

「週刊読書人」11月12日号に、廉思著、関根鎌監訳『蟻族―高学歴ワーキングプアたちの群れ』(勉誠出版)の書評を書いてます。
「蟻族」というのは、「知能が高く群居生活を送る」という意味で著者がつけたネーミング。この本は去年、中国で出版されて以来注目され、「蟻族」は中国で「新型インフルエンザH1N1」に次ぐ2009年のキーワードになったという。
学歴があっても不安定で低賃金の仕事に就いて、将来への展望が見いだせない。その意味で、「蟻族」と日本の若者は状況がいくらか重なって見える。
この間、フリーターズフリー3号掲載予定で、韓国の若い批評家や活動家たちとの座談会をフリーターズフリーのメンバーで行なった。日本と韓国の状況の類似や違いについて考えさせられたが、中国の「高学歴ワーキングプアたち」の問題も、(尖閣諸島問題以降の反日デモの問題も含め)、われわれにとって無視できないものになっていくと思う。


「ホームレスと社会」3号の連載エッセーで、2009年10月末に起こった神戸大学生の野宿者襲撃「自作自演」動画事件とその後の動きについて書いてます。
神戸大学の学生が野宿者襲撃の映像を公開した問題で、問題の動画は、若者が三宮で寝ている野宿者の上を飛び越えながら何かを顔面に投げつけ、「深夜の大都会で寝ている不届き物(ママ)に大沢親分顔負けの「喝っ」! 助走をつけ力走した生卵が顔面(口)に直撃。口から血が出てました」というコメントまでついていたというもの。
これに対し、神戸大は自作自演の動画を撮影しインターネット上に投稿したとして、4年の男子学生を厳重注意としたと発表。ここでは、その後の大学との話し合いや学内の学生たちの取り組みについて書いてます。


福祉のひろば12月号の連載「現代の貧困を訪ねて」で、京都市などで起こっている「空き缶回収禁止条例」について書いてます。
この連載では、今までこのような内容で書いてきた。
・2009年3月・反貧困ネットワーク大阪実行委員会による生活相談会
・「野宿者とインフルエンザ」あるいは「貧困と感染症」
・「反貧困学習 格差の連鎖を断つために」(解放出版)について
・貧困ビジネスとしての「山本病院」事件
・激増する生活保護と「福祉の街」
・冬を迎える野宿者
・貧困を伝える教育―ホームレス問題の授業づくり全国ネットのDVD
・神戸大学生の野宿者襲撃「自作自演」ビデオ
・老齢加算訴訟・原告敗訴
・公設派遣村と南港臨時宿泊所
・貧困ビジネスとしての生活保護業者
・全国化する野宿者支援活動
・高校無償化と朝鮮学校
・生活保護が「3年で打ち切り?」
・尼崎での襲撃事件とマイノリティ問題に関する授業
・「岸和田生活保護事件」集会
・参議院選挙と沖縄の格差問題
・所在不明高齢者と行旅死亡人の街
・今年の暑さと貧困と
・野宿者いじめの空き缶回収禁止条例


そのときどきのトピックになった、貧困と関わる問題について書いてます。


2010/10/24 京都市のアルミ缶禁止条例など

山王こどもセンターのアルバイトや単発の授業、講演、原稿書きで食いつないでいる今日この頃ですが、
今年は「史上最高の暑さ」で、しかもここ大坂は「8月の最高気温が一番高い都市」。ようやく秋になって何が楽になったかというと、こどもセンターのバイトだった。夏休みのあいだ、「木造の長屋づくり」の「冷房なし」の中で「9時〜6時で」「こどもと遊び続けて休憩は1分も無し」っていうお仕事だったので、仕事が終わったら毎日死にかけていた。その上、部屋に戻って温度計を見ると37℃あったりする。
それが、10日ほど前から部屋の最高温度が30℃を切ったので、ようやくまともな生活ができるようになってきました。
しかし、来週から寒くなるんだとか。大坂にいると、「季節が夏と冬しかない」ですよ。

京都市は、家庭から出された空き缶などを持ち去ることを禁止する条例改正案を提出した。市民が出している空き缶などを、車で根こそぎ持ち去ってしまう業者があること、そして「缶を持ち去る音がうるさい」という苦情が市民から来ているためだ。
しかし、野宿者の多くはアルミ缶やダンボールを集めて売って、生計を立てている。日給1000円とかだが、業者もろとも一緒くたに「禁止」されては、アルミ缶集めをしている野宿者にとっては死活問題になってしまう。
しかし、こうしてアルミ缶集めを禁止する自治体は増え続けている。たとえば、熊本市でも、2007年2月に「資源ごみ持ち去り禁止条例」が市議会に提出され、それに対して「熊本ホームレス自立支援の会」と野宿者が「改正案は、私たちの生命と生活を脅かすものです」と条例反対の署名活動を行なったが、条例は可決された。現在も、箕面市、東京都隅田区などでこうした条例案が検討されている。
確かに、車などを使ってアルミ缶をごっそり持って行く悪質な業者がいて、それについては何らかの対策が必要かもしれない。しかし、ほとんどの野宿者は、周囲に迷惑にならないように気をつかいながらアルミ缶集めをしている。
 9月9日に、「空き缶回収禁止条例」改正案に反対する集会とデモが京都市内で行われ、約80人の野宿者、支援者が参加した。また、10月20日には、京都市役所を囲む「人間の鎖」が350人あまりの参加者によって行なわれた。
ぼくも行くつもりだったが、こどもセンターのバイトが入っていたりして行けなかった。以下は、20日の「人間の鎖」で寄せたアピール。その場で読んでいただいたそうです。

釜ヶ崎を中心に野宿者に関わる活動をしてきましたが、多くの野宿者にとって、アルミ缶集めはずっと、食べていくための最大の手段でした。しかし、その生きて行くための手立てが奪われ続けています。
夜回りで話した一人は、(釜ヶ崎から電車で約50分かかる)富田林市までアルミ缶を集めに行っていましたが、そこの住民から「出していたアルミ缶がホームレスに横取りされる」という通報があり、警官から直接「やめておけ」と警告され困っていると言っていました。こうした話をあちこちで聞くようになっています。
この京都市のアルミ缶禁止条例について、野宿者ネットワークの夜まわりでビラを配り、いろいろな野宿者と話しましたが、「これはあかん」「こんな条例が大阪でも始まったらたまっもんじゃない」と何人もが言っていました。
野宿生活の実態を知っていれば、このような条例は考え出せるはずがありません。
残念ながら、釜ヶ崎の児童館でのバイトがあり、今日は参加できませんが、この行動が成功し、条例が撤回されることを強く願っています。

生田武志(野宿者ネットワーク)


2010/10/19 「すぐそこにある貧困 ―かき消される野宿者の尊厳」

10月にこんな本出ました。ぼくは「序章」を書いてます。
今日、手に取ったんだけど、全部読んだらすごく勉強になりそうです。

▼小久保哲郎・ 安永一郎編「すぐそこにある貧困 −かき消される野宿者の尊厳」法律文化社
序章 野宿生活の実態
◆ 野宿問題・その現状と課題 生田武志
 「野宿者」という言葉/09〜10年の野宿の現状/拡大した「不安定雇用→失業→貧困→野宿」パターン/「唯一のセーフティーネット」としての生活保護/襲撃・排除・健康/カフカの階段/セーフティーネットの現状/セーフティーネットの綻びに入り込んだ「貧困ビジネス」/自殺か刑務所か野宿かという「究極の三択」/これからの日本

第T部 裁判からみる野宿者問題
第1章 林訴訟――稼働年齢層に対する生活保護の適用
〔支援者の視点〕生活保障のための闘い        藤井克彦  
 名古屋での支援活動と林訴訟の背景/林さんとの出会い、林さんの決意/支援運動の展開/振り返り/おわりに
〔法律家の視点〕すべての人の生存権保障を実現するために  森 弘典  
はじめに/出会い/第一審判決/控訴審判決/上告審での闘い/上告審判決をどう見るか/今後の課題
第2章 佐藤訴訟――野宿者にも居宅を
〔支援者の視点〕釜ヶ崎の野宿者と裁判を共有しながら    加藤亮子  
佐藤さんの揺るがぬ意志に支えられて/提訴当時、大阪市では……/生活
保護の誤解を打ち破る/長すぎる裁判とその後
〔法律家の視点〕路上からアパートへ        小久保哲郎 
   前哨戦/収容保護主義への挑戦
第3章 自立支援法の課題――生活保護制度と自立支援システムのはざまで
〔支援者の視点〕自立支援センターの役割と課題       奥村 健  
生活保護法とホームレス自立支援法/施設の仕組み、役割と問題/施設主
導の施策転換/現在の社会状況と最後のセーフティーネットのあり方
〔法律家の視点〕新宿七夕訴訟                戸舘圭之  
「ホームレス」は生活保護を受けられないのか/訴訟に至る経緯/本件訴訟の
争点/おわりに
第4章 住民票訴訟――市民社会からの排除
〔当事者の視点〕公園に住みたいわけではない        山内勇志  
公園での生活/住民票の移動/裁判/訴訟支援の状況
〔法律家の視点〕公園を住所に               永嶋靖久  
裁判はなぜ起こったのか/裁判はどのように進んだのか/判決はどのようなも
のだったか/裁判は何を後に残したか
第5章 靭公園・大阪城公園訴訟――強制立ち退き
〔当事者の視点〕「何かええ方法がみつかったはずや」    大和重雄〔仮名〕 
野宿生活に至る経緯/公園での生活/強制立ち退き
〔法律家の視点〕排除への抵抗               石側亮太  
はじめに/提訴に至るまでの経緯/訴訟の経過/問題点
コラム1 路上の「初夜」 湯浅 誠 

第U部 さまざまな野宿者問題
第6章 野宿生活者がかかえる法律問題
◆ 路上弁護士による法的支援
大橋さゆり・浮田麻里・小久保哲郎・普門大輔 
野宿者プロジェクトチームの誕生/法律相談ニーズは借金にあった/借金問題の解決
/勝手に縁組、勝手に借金/囲い屋という新たな問題
第7章 法律扶助制度
◆ 法律家が野宿者支援するため          安永一郎  
「ホームレス自立支援法律扶助事業」の生成と発展/生活保護申請と法律扶助
/日本司法支援センター発足後の法律扶助/民事法律扶助事業の抜本的改革の必要性
第8章 世界の「ホームレス」問題
◆ 各国の現状と支援に学ぶ
中村健吾・福原宏幸・小池隆生・全泓奎・コルナトウスキ=ヒェラルド・垣田裕介 
欧州のホームレス問題とFEANTSA/フランスのホームレス問題/アメリカ
のホームレス問題/韓国のホームレス問題と居住支援/香港のホームレス問題
コラム2 野宿生活とお酒 三好弘之 
あとがき


2010/9/27 ラヴェルとモーツァルトの12音

最近、ルイ・ロルティの弾いたラヴェルのピアノ曲全集を聞いた。ほぼ完璧なテクニックによって楽譜の隅々まで十全に再現された演奏は驚異的で、息を呑んで聞き入った。ただ、あまりに剛直な完成度のため、特に初期の曲の幾つかは独特の色合いが薄れてしまうという反面がある。とはいえ、ここまで演ってくれれば、文句を言うのは贅沢なのかもしれない。
その中で、1913年に作られた「プレリュード」が印象に残ったので、電子ピアノで弾き始めた。この曲は、パリ音楽院の初見の試験用に作曲されたもので、全体が27小節。音大の試験用なので、臨時記号が多量にあって初見では四苦八苦するが、2〜3度繰り返したらだいたい弾ける。冒頭の優雅な響きに始まって、独創的な和声展開が短いながらもラヴェルの刻印を感じさせる…と思っていたが、しばらく弾いていて、他のラヴェル作品とはかなり作りが違うことに気がついた。
ラヴェルは、有名な「亡き王女のためのパヴァーヌ」(24才頃の曲)にしても、メロディから通常想定できる和声をあえて離れた、かなり凝った和声をたびたび使う(それもあって非常に弾きにくい)。この「プレリュード」もそうだが、ただ、時としてラヴェルのどの曲にもありえないような破格の響きが展開されているように聞こえる。
「もしかして」と思って楽譜をよく眺めてみたら、やっぱりそうだった。この曲は、意図的に12音を極力平等に使うように展開されている。
楽譜はここ
4〜5小節。とても豊かな響きを奏でる箇所。しかし、この2小節の中で「B」(シ♭)以外の11音が出そろっている。


では欠けていた「B」はどこで出てくるのか。15小節にある。



この2小節少しで12音がすべて揃う。これは(確率的に)偶然ではありえないので、明らかに意図的に作られている。音大入試の初見曲で、こういう実験を行なうあたりがラヴェルのしゃれているところかもしれない。(なお、12音音楽を体系的に使ったのはシェーンベルクの「五つのピアノ曲」作品23・1921年が最初とされる。これはその8年前)。
これについて日本語と英語で検索してみたけど、指摘している人が見あたらなかった。簡単な話なので、誰かがとっくに言っていると思うけど…
こういった例で有名なのは、例えばバッハの「音楽の捧げ物」の第1曲で、12音が展開される箇所がある。
そして、モーツァルトのK574のジーグがある。
楽譜はここ
まず、冒頭の2小節で「E♭」以外の11音が出てくる。
5〜6小節では「B」(シ♭)以外が出てくる。
13〜15小節で12音がすべて出そろう。
そして、21〜22小節のこの箇所。ここでは一気に12音が揃う。



これも明らかに意図的に行なわれている。
たぶん、12音音階の成立以降、「12音をすべて使うこと」は作曲家にとって一つの理想(夢想)で、バッハ、ラヴェル、モーツァルトはその「夢」の一部をこうして実現していたのだと思う。
ラヴェルにしてもモーツァルトについても、こうした「12音」に近い作りでありながら、どちらもそれぞれ彼ららしい音楽として(ギリギリのところで)成立させているところが興味深いところか。
このラヴェルのプレリュード、モーツァルトのジーグ、どちらもあまり演奏されない曲だ(音源も少ないし)。わりあい簡単な曲だから、ピアノを弾ける人は演奏してみることを強くお勧めします。(一番お勧めは「音楽の捧げ物」だけど)。


2010/9/20 あけっ放しの部屋

17日、長野県大町高校(松本市から、1時間に1本程度の大糸線で63分の信濃大町駅近く)へ全校生徒対象の授業に行った。片道早くて5時間以上かかるし、土曜は用事がなかったので(夜回りは休ませてもらい)、松本で泊まって18日の夜に大阪に帰ってきた。
大阪のアパートに帰ると、なぜか自分の部屋のドアが全開になっている。「また泥棒にやられた!」と思って部屋に入ってみたら、出たときのままで何も盗られてないみたい。部屋は無残に荒らされているが、荒らしたのは自分自身だからとりあえずは問題ない。結局、自分でドアを開けたまま2日間出かけていたんだと気がついた。
今まで、カギをかけても何度かドロボーさんにこじ開けられてきた。「カギをかけてもやられる時はやられる、空けたままでもやられない時はやられない」ということをあらためて知りました(では、カギはなんのためにあるのだろう?)。
しかし、移動の途中で「カギかけてない!」と思い出したら、2日間、長野でパニくっていたにちがいない。すべて忘れていて、精神衛生の上で本当によかったと思いました。

長野では、宿泊して割合時間があったので、黒部ダム、松本市美術館、安曇野ちひろ美術館、安曇野近辺(黒澤明の『夢』のロケ地になった水車とか)に行った。松本市美術館の草間彌生の常設展示室で作品の空間で無限に増殖していく網の目と水玉に呑み込まれて、今まで体験してきた自分の世界が相対化される目まいのような感覚に陥った。美術館で草間彌生の自伝を買って帰りの電車で読み続け、ほとんど打ちのめされて帰ってきた。

長野県大町高校は大町市にあって安曇野の近くで、野宿者など一人もいない地域だ。こういう場所で野宿の話をするとき、どうしようといつも考えるが、釜ヶ崎の冬のようす、こども夜回りの映像を使った。ぼくもそうだったが、「同じ日本の、電車で数時間の距離にところにこういう現実が広がっている」ことを映像で知るだけで、10代にとってはかなり大きなショックになる。さらに、そこで活動する人間が現場の話をするのは、けっこうなインパクトになるのではないだろうか。
長野では、去年に「生活底上げ実現シンポジム」で話して、長野での話をいろいろうかがったし、今年は長野県の高校の進路指導担当の先生の集まりに呼ばれて高校生たちの就職状況を聞いていた。そこから、「釜ヶ崎であるような問題はいま長野や松本、安曇野でも広がりつつある」ということ、そして「野宿者を襲撃する若者」から、「ハウスはあるけどホームがない」こどもの問題について触れていった。
全校生徒対象の場合、話のあとで生徒から質問がでることはまずない。でも、この学校では何人かの生徒が手をあげて、「野宿している人と出会ったとき、ぼくたちはどういうことをすればいいんですか」などの質問が出た。生徒の真率さにびっくりして、「この学校、いい学校ですね〜」と思わず言いました。


2010/9/1 矢島さんに関する報道と追悼文

8月21日のTBS「報道特集」や、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」(予定)などで、釜ヶ崎に関わり続けてきた医師、矢島祥子さんが昨年11月に亡くなった件について報道がされています。
矢島さんは野宿者ネットワークに参加して、夜回りや交流会、様々なセミナーや会議に中心的なメンバーとして活動していました。
昨年11月、突然行方不明になり、そのとき沖縄にいたぼくのところにも「何か聞いてないか」と勤務先の病院から電話が入り、心配していましたが、16日に川で遺体で発見されました。
知らせを聞いたとき、矢島さんの人柄から考えて「事件にまきこまれた」(自殺ではない)と思いましたが、その後、西成署によって「自殺の疑いが強い」と判断されます。具体的な状況や証拠がよくつかめないまま、「矢島さんが遺書も残さずに自殺するなんてことがあるんだろうか」「キリスト者だから自殺には強い抵抗があったはずだが」と思いましたが、一方で「もし自殺だとしたら、ぼくたちにも誰にも相談もできないまま矢島さんは亡くなったのだろうか」とみんなで考え、思い悩む状態が続きました。
その後、「自殺ではなく事件ではないか」という疑いが幾つも浮かび上がり、ご家族が大阪府警に捜査を求めて何度も話し合いを求め、亡くなってから何ヶ月かたってから、ようやく捜査が本格的に始まりました。
その過程で、ぼくや仲間たちも何度か警察で聴取を受けました。ぼくは西成署で2回でしたが、人によって繰り返し10時間以上事情を聞かれたりしたようです。そして、警察は結局「事件性が薄い」と結論し、捜査態勢は縮小されます。
ご家族は捜査結果から疑問点がほとんど解消されていないことから捜査の継続を求め、地域でビラをまきなど情報提供も求め続けてきました。ぼくも何度もご両親やご兄弟と会って、知っている限りのことをお伝えしてきました。その後、「報道特集」など(ここにその内容)テレビ局などで矢島さんに関する報道がされ、いまさまざまな情報が集まってきつつあるようです。
矢島さんに関する取材については、野宿者ネットワークとしても個人として受けてきました。しかし、テレビの取材はごく一部分だけしか使われないし、思っていることを伝えるのも難しい。
ここで、野宿者ネットワークのニュース(2月)のために書いた、矢島さんへの追悼文を転載します。

矢島さんへの追悼

 野宿者ネットワークに参加されていた矢島祥子さんが11月に突然亡くなられました。死因は水死ということですが、その原因についていまだにはっきりしたことがわからず、どう考えればいいのだろうと混乱した思いが我々の中で続いています。
 矢島さんが野宿者ネットワークの夜回りなどに参加されてから、その献身的な活動に驚かされることが幾つもありました。
 夜回りにほぼ毎回参加して、体の調子の悪い人の相談に乗り、夜回りの次の日にも出かけて話を聞くということがしばしばでした。その後、入院した人たちにはお見舞いに行き、退院してから生活保護へつなぎ、その後の様々な相談にも乗っていました。
 生活保護でアパートに入ってから様々な問題を抱える人がいます。例えば一人は、生活保護でアパートに入ってしばらくすると「隣の部屋の人がこっちをにらんでくる。壁を叩いてくる、怖くて部屋に戻れない」とアパートを出て野宿を始めました。ぼくも矢島さんとその人を訪問して、「それは大丈夫ですよ」「部屋で寝た方がいいですよ」と話しました。しかし、ずっと野宿が続き、部屋を借りる意味がなくなってきました。その人は、字が読めない、学校や職場でイジメを受けてきたなどの経験があり、簡単なことで他人を極端に恐れるという対人恐怖があるようでした。そこで、矢島さんがケースワーカーと話し合って、生活保護のまま引っ越しをしました。そして、しばらくは調子よく暮らしていましたが、やがて「上の部屋の人がこっちをにらんでくる。天井を叩いてくる」と言い始めました。ぼくも部屋を訪問して「それは大丈夫ですよ」と話しましたが、やはりしばらくして野宿を始めてしまいました。この時も矢島さんが何度も部屋に行って話を聞き、最後はケースワーカーと話して、もう一度引っ越しをしました。こうした問題を抱えた人は他にも何人かいて、矢島さんはその人の部屋まで訪問して話を聞き、場合によっては自分の勤める病院に来てもらい、投薬などで被害妄想を抑えるなどの対応をとっていました。
 他にも、「生活保護をとってアパートに入ったけれど、誰とも話す機会がなくて寂しくて寂しくて死にそうだ」と言う人のところに訪問して話を聞いたり、病気で障害を持ち、生活保護でアパートに入ったけれども生きがいを感じられなくなり「もう生きていても仕方がない。死にたい」と言う人のところにもたびたび訪問し、その都度話を聞いて励ましていました。
 矢島さんが亡くなったあと、矢島さんが訪問されていた人たちのところに行って、亡くなったことを伝えなければなりませんでした。その人たちは強いショックを受け、「あの人がいなくなったら、これからどうやっていけばいいんだろう」と驚き悲しんでいました。
 また、矢島さんはこの数年、野宿者ネットワークが冬の時期に配布する寝袋を一人でカンパしていました。寒さが厳しい時期、夜回りでは寄付していただいた毛布を配りますが、野宿している人からは、日中に持ち運びが難しい毛布よりも、持ち運びができて暖かい寝袋の方が歓迎されます。しかし、毛布は全国から釜ヶ崎にカンパで来ますが、寝袋はなかなか送られてきません。矢島さんは寝袋を毎年100個、自分の給料から出して買って野宿者ネットワークにカンパしてくれていました。毎年数十万円になったはずですが、「これは必要なものだと思うので」と、買い続けたのです。いまも、残された矢島さんの寝袋を夜回りで配り続けています。
 活動の中で、矢島さんにはいろいろなケースの相談をしましたが、医師としての仕事の他、野宿者ネットワークの夜回りや訪問活動、さらに様々な活動に参加されている中で、過重な負担を押しつけることになっていたのではないかと、考えてしまうことがあります。
 矢島さんが関わってきた人たちの多くが大変なショックを受けています。ぼくたちも、矢島さんがいなくなって、あらためてその存在の大きさを感じています。いまだにその死をどう受け止めていいかわからないながら、矢島さんの思いやその真摯な姿勢をできる限り受け継ぎながら、活動を続けていかなければと思っています。
 野宿者ネットワークの会議で、夜回りや入院、生活保護をとったあとのケアについて、人手不足で継続的な活動が難しいという話をしたとき、矢島さんからメールをいただいたことがあります。矢島さんには無断ということになりますが、ここで引用させていただきます。

(2008年6月25日のメールから)
「この間、山王で出会って長らくどうにかできないか、と思っていたケースがありました。何度か相談させてもらっていた、半身麻痺と構音障害(しゃべっていることが聞き取りにくい)があって車椅子で野宿をしていた○○歳の男性です。冬の間から野宿していて、当初は病院は絶対嫌だ、といっていて、どうにもならないと思っていたのですが、車椅子のタイヤは外れてしまって、梅雨にも入るし、この状態で、ただただ入院生活が苦痛だ、というだけで野宿をしなければならない状況はおかしい、と思ってあれこれ考えました。9年間も病院を転々とさせられて、これ以上入院生活はできない、と病院を出てきてしまった方です。それまでに自己退院をしたこともなく、どうにかすれば、居宅生活を送ることが十分可能であろうと思いました。でも、最初に入院を経ずに居宅生活に移行するには、介護の問題、車椅子などの利用の問題などが絡み、なかなか話が進みませんでした。結局、今池平和寮のOさんに相談して、巡回相談員からの手配で話をすすめてもらうことになりました。巡回相談さんが西成区役所に付き添ってくれ、三徳寮ケアセンターに入所し、その後も居宅生活へ移行したいという本人の希望を実現させるために、面談などにOさんやその巡回相談員さんが入ってくれました。そして、今は今後住むところもほぼ決定したうえで、介護保険の利用が開始できるまでの間という限定で、本人同意のうえで入院中です。

この方のことは、木曜夜回りの人にも伝えていたし、ふるさとの家にもどうにかならないかという話がもちこまれて、関わっていた方がいたみたいです。でも、入院は嫌、というところで前に進まない状況だったようです。

こういうケースに出会うと、自分たちで手続きが出来なくとも、パイプ役になることは出来るんだ、ということは感じます。夜回り団体は多いとは言っても、通年で釜ヶ崎の外を夜回りしている団体はあまりないですし、しかもあの時間帯である程度話が出来ている団体もあまり無いと思います。いろんな手続き自体ができないとは言っても、この方々に出会う人間がなければつなぐことも出来ないわけで・・・。今野宿者ネットワークが夜回りしている場所に寝ている方々は、ほとんど巡回相談員も定期で関われる状態にないですし、釜ヶ崎の支援からも少し離れてますし、そういう意味で私はこの夜回りはとても大事なものと思ってます。
なんだか、今のままでは夜回り自体が消滅してしまいそうな危機感に襲われて、長々と書いてしまいました。

山王や天王寺でも、もっと積極的に関わろうと思ったら、生活保護受給などを実は希望していると思われる人、しんどそうな人は数人いるんです・・。強く希望されているわけでない、というところで、深く話しをせずに流してしまっている部分が時にはありながら、そんな夜回りに疑問をもちつつやっています。でも、関わり続けたいと思っています。

こちらの診療所で仕事をするようになって、患者さん達が、いとも簡単になくなってしまうことに、しかも病院で、ドヤでひとりぼっちで死んでしまうことが、悲しくて悲しくて仕方がないです。病院勤務時代にもたくさんの人を看取りましたが、こんなに最期が悔しくて悲しくて泣くことはありませんでした。あまりに過酷な人生を送ってきた方々が、せめて最期は穏やかに、安心して過ごしてほしい、と思います。そのために、いろんなところに必要な場面、手伝ってもらいながら、関わっていけたら、と願っています。いろんな思惑が絡んで、難しいことは多そうですが・・・。」

矢島


2010/7/11 「貧困テーマに社会を学ぶ」・「大阪の貧困」

日本経済新聞7月9日夕刊に、「貧困テーマに社会を学ぶ」として、
大阪私立田辺中学での小島先生やぼくの授業、神戸の六甲高校の野宿者ネットワークの夜回りへの参加のようす、西成高校の反貧困学習、岐阜県中津川中学の修学旅行のようすがレポートされています。
記者の方が、いろいろ取材をして書いた記事です。
「日経がこういう記事を書くって、めずらしいですね」という声をあちこちで聞いた…
(記事はネットでアップされていない模様)

「反貧困大阪ネットワーク実行委員会」に参加して、大阪市役所前での「反貧困・春の大相談会」、今年4月13日は、「生活保護を3年で打ち切りって、ホンマでっか?〜私たちが求める生活保護改革案〜」というシンポジウムを行なったりしましたが、「私たち自身が、違う取り組み分野のことについて学んでいく取り組みが必要ではないか」という議論があり、2009年7月から、反貧困ネットワーク大阪実行委員会の各団体が担当する「大阪の貧困を見つめる連続学習会」を始めました。
そのうち、
第1回「女性の貧困」 第2回「医療現場から見える貧困」 第3回「“ホームレス”ってどんな人?」 第4回「外国人労働者の仕事と生活」 第5回「公営住宅から見える貧困」 第6回「子どもの貧困と学校の役割」 第7回「貧困に潜む依存症」を講演記録として本にまとめたものできました。以下のチラシを見て下さい。
800円で売ってます。第3回「“ホームレス”ってどんな人?」は、ぼくとビッグイシュー販売員の人でやった学習会の記録です。



2010/6/10 寝て使える電子辞書

『貧困を考えよう』2刷が何日か前に届いた。帯がついていて、「岩波ジュニア新書2010夏のフェア 本読み名人がすすめる25冊」で「落合恵子さんがすすめる『いのちをつかみたい』5冊」の一つに入っていた(他に小泉武夫『いのちをはぐくむ農と食』、金子由美子『思春期ってなんだろう』など)。ありがたし。

大阪で生活保護に関する貧困ビジネス業者が連続して逮捕され、数日間、新聞社やテレビ局から一日10回ぐらい電話が入って、電話で話したり会って話したりした。新聞でコメントを求められるたびに「コメントを使ったら新聞を送ってください」とお願いした。そのうち、日本経済新聞社の記者からは「新聞を送りました」と電話をもらったが、なぜか届いてない。
もはや、掲載された自分の発言に責任が取れないという(話をまとめるのは記者だし、掲載されたものをチェックできない)状況です。

ここんとこ、風呂あがりや寝る前、寝っ転がりながらディケンズの『大いなる遺産』などを英語で読んでいる。机で使うのは2つ折りのクラムシェル型電子辞書なんだけど、これが寝て使うには恐ろしく不便。そもそも両手を使わないと入力できないし、180度は開かない。だから、いちいち読んでる本を横に置かないと辞書が使えないし、体を起こしたり横向きになったりしないと(角度によっては読めないので)液晶を読むこともできない。それでも、「電子辞書ってこんなもの」と思って使っていたら、2月にキヤノン電子辞書 wordtank S502を発見した。
ここのレビューに「クラムシェルが一般的な電子辞書の中では異端の関数電卓型(?)筐体のため、電子辞書に馴染み深い人にむしろ毛嫌いされているフシがあります」とあるけど、これは「片手で使える」唯一の電子辞書なのだ! 要するに、右手で本を読んで、調べる単語が出てきたら左手で辞書を使う。ずうっと寝っ転がったまま、ちゃちゃっと辞書が引けてしまう。クラムシェル型の電子辞書と比べたら、3分の1くらいの時間で辞書が引ける(紙の辞書とくらべたら「10分の1」ぐらいじゃないか)。収録英和辞書は「ジーニアス英和大辞典」だから内容も問題ない。寝て本を読む人間には、ほんとによくできた電子辞書だ。他にも、例えば電車の中でも立ったまま(使おうと思えば)使えるし、軽いからポケットに入れてどこでも持って行ける。
キンドルやiPADで本を読めるようになってきた。電子書籍で英和辞書が機能すれば、同じ画面内でワンタッチで辞書が引けるので、「早く出ないかな」と待っているが、キンドルではまだないらしい。とはいえ、紙の英語の本を寝て読む場合、現在最強はこの「S502」だと思う。
こうした電卓型電子辞書は、キヤノンのこのシリーズしか発売されていないらしい。なんで他社はこの形の辞書を出さないんだろう。「S502」が発売中止になったら壊れたときにものすごく困るので、予備にもう一つ買っとこうかと考えているぐらいだ(現在の最安値が6900円)。


2010/5/25推薦入試の課題図書など

沖縄大学が11月に実施する「推薦入試」に課題図書を2冊指定している。2冊のうち1冊を選んで、推薦入試を受けるという。その2冊に、『世界がもし100人の村だったら 総集編』と、『貧困を考えよう』がなった。(沖縄大学の広報)。県内高校の進路室には、この2冊が配布される。
2冊のうちどちらかだと、生徒の多くが『世界がもし100人の村だったら』を選ぶような気がするなあ。だけど、『貧困を考えよう』を選ぶ人も少しはいるか。沖縄大学受験生のみなさん、よかったら読んでください。
沖縄の県立高校に配布されるのもうれしいね。

22日(かな)の読売新聞地方版に、尼崎市で起きた襲撃事件について、ぼくが共同代表をしている「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」、そして「尼崎貧困問題研究会」「神戸の冬を支える会」の人たちと行なった尼崎市教育委員会との話し合いの記事が載っている(ウェブではアップされていない)。
教育委員会の話では、校長会で事件について周知し、市内の学校に「人権教育の徹底」を教材を指定して指導しているということだった。野宿問題については、10年ほど前、指導主事が尼崎で野宿している人たちのもとを聞き歩きし、それをもとに教員研修を行なったという。
こちらからは、「一般的な人権教育や「命の大切さ」の指導ではなく、具体的な野宿の問題を伝えるプログラムが必要では」「こどもたちが野宿している一人一人の生活や思いを実感できるような取り組みが必要」ということを話した。
話し合いは今後も継続する予定。

大阪日日新聞の連載コラムでも、この事件について書いている。この記事は、気持ちとしては大阪近辺の教育関係者に読んでいただきたいと思って書きました。

福祉のひろば」6月号(リンクがまだ5月号です)では、特集として、札幌、大阪、京都、広島で夜回り活動をしている4団体のシンポジウムの23ページの報告。ぼくは大阪の夜回り活動について話してます。
いまや全国で夜回り活動が行なわれているけど、一般誌でこうした企画が行なわれたことはなかったかもしれない。地域それぞれの特性のちがいが興味深いです。そして、生活保護が受けやすくなったことで全国で野宿者がアパートへ続々入居しているいま、焦点が「野宿」から「生活保護」への移行しつつあることも話題の一つになってます。
「福祉のひろば」のこの号では、連載「現代の貧困を訪ねて」で「生活保護が3年で打ち切り?」問題について書いてます。


2010/5/20 掲載の文章とか

山王こどもセンターのバイト中、こどもやスタッフの大人とドッジボールをしてて、反射神経が鈍っているのか、膝をねじったり小指を突き指したりした。あちこち「イテテテテ」と痛く、生活に不自由している今日この頃ですが、
先週、日本経済新聞から、生活保護に関する「囲い屋」(野宿者に生活保護を受けさせて、ピンハネし続ける悪徳業者)についてコメントを電話で求められ、月曜あたりに記事で出ると聞いたけど、どうなったのかな? 
記事が出たのか、出たとしてどんな記事でどんなコメントになったかわからないので、困っております。

「部落解放」2010年増刊号『人権キーワード2010』(リンクが見つからないので、バックナンバーのリンク)に「野宿問題と貧困ビジネス」について書いてます。4ページ。

「ホームレスと社会」vol.2 (リンクが見つからないので、vol.1のアマゾンのリンク)に「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」についての記事を書いてます。2008年の呼びかけから、いままでの取り組みの報告。2ページのエッセイ。


2010/5/11 コメントした新聞記事から

ピンハネ防がれ、保護受給者を大阪市外に誘導(2010年5月3日 読売新聞)

これは、野宿者に声をかけて生活保護を取らせ、敷金・礼金や家賃を上限一杯に設定してボロもうけする「生活保護業者」について記事。この他、「弁当サービス」「病院・役所への送り迎え」などの名目でぼったくりしている業者が多発している。
こうした業者は7〜8年前からある。2003年には、兵庫県西宮市のアパートに入れられた人がいた。一月間に1万2000円しか渡されなかったが、最近は全く金を渡されなくなったので逃げ出して日本橋でまた野宿している、その建物にはまだ一〇人ぐらいいるはずだ、と言っていた(その人は体調も悪く、釜ヶ崎であらためて生活保護を受けることになった)。
 あまりに問題なので、野宿者ネットワークのメンバーで西宮市の福祉事務所に話を聞きに行った。あらかじめ電話を入れて福祉事務所に行くと、二人の職員が待ち受けていた。その職員がぼくたちに言うには、「わたしどもは、確かに本人さんに生活保護費を渡している。そのあと、本人さんがその金を誰に渡そうと、わたしどもの関知するところではない」というお答えだった。
 もちろん、こちらは「それはおかしい」といろいろ話をしたが(「放っておいたら、おたくの市の福祉がどんどん食い物にされるぞ!」)、最後まで福祉事務所の答えは変わらなかった。(『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』でも書いた)。
こうした団体には、北海道から沖縄まで全国展開している組織もある。その一つでは、大阪の日本橋で野宿者に声をかけ、最初は福岡に連れて行き、最終的に那覇市のアパートに入居させた。大部屋で生活させ、小遣いは月に数千円という極悪な方法だったので、一人が必死にお金をためて大阪に逃げ帰ってきた(2007年)。
2009年からは、「年越し派遣村」以降、厚生労働省の指示で生活保護が受けやすくなり、一年で3割ほど野宿者が減った。釜ヶ崎の労働者・野宿者専門の福祉事務所である市立更生相談所(市更相)の統計では、2009年度だけで2000人が市更相で生活保護を受けている。他に区役所(西成区)で生活保護を受けた人もいるので、釜ヶ崎周辺では2009年度に3000人以上が生活保護でアパート暮らしになったと考えられる。こうしたわけで、生活保護を食いものにする業者が爆発的に増えているのだ。
こうした背景があるので、新聞記者にはいろいろ話して、〃「野宿者ネットワーク」(大阪市)の生田武志代表は「低所得者が振り回されている。業者は、ピンハネしやすい自治体を全国規模で探し回っており、自治体任せでなく、国が音頭をとって悪質業者の根絶に取り組むべきだ」としている。〃とまとめられている。
悪いヤツは頭がよく、しかも全国展開しているので、自治体任せだけではダメということです。

襲撃続発、狙われるホームレス 行政の排除も進み孤立化
(2010年5月6日 朝日新聞 4月30日に関西版で出たのが初出)

この襲撃事件については直後に知り合いから報告があって、内容を聞いていた。それによると、被害者は事故で足が少し不自由なのに、地面に倒された後も、寄ってたかって顔面などを蹴られたという。少年たちは「ホームレスはくせえ」などと言っていたという。肋骨が骨折し、顔面も腫れ上がって眼も開かない状態だった。
記事にあるように、警察の対応が「突然襲う『ホームレス狩り』とは違う。けがもそれほどひどくないことなどから、広報の必要はないと判断した」としていた。この事件はたまたま新聞記者が事件にきづいて記事になったが、警察が発表しないと、そもそも記事にならないことが多い。
「突然襲う『ホームレス狩り』とは違う」とあるが、襲撃は突然の場合もあるけど、ちょっかいを出してやりとりがあった上で襲われることもある。そこで何が「違う」と言うのだろうか。
たとえば、障がい者やこどもが同じような形で少年たちに襲撃され、ケガを負えば大きな事件として報道されただろうと思う。野宿者襲撃はほとんど報道されず、野宿者が襲撃で殺されても2〜3行で済まされることもあり、釈然としないことが多いです。
ここでは「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」や野宿問題の授業についてコメントしている。
記者の方は大阪市で多発した幼児虐待を同時に取材しており、「虐待家庭には生活保護家庭が多く、貧困であった上、近くの部屋の人も『こどもがいるなんて知らなかった』と、孤立しているところが多かった」と言っていた。虐待と襲撃は、その理解を超えたような残虐性を含め、いろいろな面で共通していると思う。

あと、尼崎で起こった、中学生2人が野宿のテントにオイルをまいて放火し、「殺人未遂」で逮捕された事件については各紙で大きく報道された。ぼくも日本経済新聞でコメントを求められ、事件の背景や、「野宿問題の授業」を行なうと、炊き出しや夜回りに来る生徒がいるなど、一定の意義があるということについて話している(5月1日朝刊。ネットにはアップされてない)。
この件については、ぼくが共同代表をしている「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」として取り組みを行なう予定でいる。

こうした新聞へのコメントは、記者と実際に(時には何度も)会って話すこともあれば、電話で話すだけのこともある。また、時間をとって話をしても、記事にならないこともよくある(今回の尼崎市の事件についてもそう)。
コメントについて、謝礼はなし。掲載誌を送ってこないこともよくある。ただ、以前、産経新聞でコメントをしたときは(唯一)謝礼が出た。
新聞社は営利企業で、コメントはその営利活動に時間を取って協力するものだから、謝礼は出すのが普通の感覚ではと思う。その点、産経新聞は正しいと思いました。


2010/5/7 『フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集」

山王こどもセンターのバイトとか原稿書きとかで日々を送っている今日この頃ですが、去年の10月に『貧困を考えよう』を出して、「やることやって疲れたなあ」というのと、11月に授業や講演で忙しくなってたのとで、半年更新をしてませんでした。

有限責任事業組合「フリーターズフリー」編著による対談集『フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集』(人文書院・1890円)が4月30日付けて発行しました。
フリーターズフリー4人の他、上野千鶴子、貴戸理恵、村上潔、鈴木水南子、森岡正博という方々との対談の記録。フリーターズフリーが編著の形で作った対談集としては2本目になります。
詳しくは人文書院のホームページをどうぞ。

『貧困を考えよう』は5月に2刷が出ます。ごく一部の修正があるのみで、内容は変更なしです。

松浦さと子・川島隆編著『コミュニティメディアの未来  新しい声を伝える経路』(晃洋書房・2010年3月30日発行)に「フリーターズフリーという試行――不安定雇用の若者たちによる社会的起業」という文章を書いてます。

「歴史地理教育」2010年5月号に「貧困をどう伝えるか−野宿問題の授業」を書いてます。

連載中のものとしては、「福祉のひろば」に「現代の貧困を訪ねて」を書いてます。
5月号では「高校無償化と朝鮮学校」について書きました。この件、「子どもの貧困」問題の中でも気になっています。(朝鮮学校だけでなくて、フリースクールも無償化の対象外なんだよね)。
なお、「福祉のひろば」のこの号、山野良一「なくそう! 子どもの貧困全国ネットワークを立ち上げて」や浅尾大輔「日本国憲法と若者、そしてぼくのこと」などがあってなかなかいい内容です。 

大阪日日新聞のコラム「澪標 ―みおつくし」で月1くらいで書いてます。第3回の「生活保護を3年で打ち切り?」。前のもアップされてたけど、今でもあるのかな?

この間、いろいろあったはずだけど、思い出そうとすると思い出せないなあ。自分の記録としても、時々は書き付けておくことにしよう。


2009/10/21 『貧困を考えよう』岩波ジュニア新書

10月20日、岩波ジュニア新書から『貧困を考えよう』を刊行。
(240ページ・税込 819円)
岩波書店ホームページでの紹介

この本は貧困問題全般を扱っているけど、3分の1を「子どもの貧困」に費やしている。東京都の児童館で行なわれた「子どもための炊き出し」、釜ヶ崎にあった「あいりん小中学校」、こどもの無保険問題、西成区で行なわれている子どもたちの困難なケースに対応する「ケース会議」など。
そして、後半は貧困問題全般についてかなり包括的に触れている。
この本のため、西成区の中学校、高校の教員の方、福生市の児童館の職員、
ピアノ講師、脳性マヒの方、DV被害者の方、外国人支援の方たちなどに話を伺い、そのインタビューの一部を使った。

■目次
1章  二人のひろし
2章  日雇労働者の貧困――あいりん小中学校
3章  子どもの貧困
4章  大阪市西成区で
 1 ケース会議/2 反貧困の教育
5章  激化する貧困
6章  貧困の解決のために

インタビューでは8人ほどに登場していただいたが、インタビューをして引用できなかった方が他に12人ほどいる。
内容が本に合わなかった場合や、話し手の都合で使えなくなった場合もあるが、多くは「新書」というページ制約のために入れられなかった。インタビューのどれも内容はとてもいいもので(どの方にも約2時間、話を聞いている)、このインタビューだけで本を作ることもできただろう。
最後の最後まで使いたいと思ったのは、生活保護の老齢加算廃止に対する「生存権」裁判第1号原告の松島松太郎さんのインタビュー。昨年夏、京都の松島さんのアパートにうかがって話をしていただいた。松島さんは、釜ヶ崎で日雇労働を長年していて、京都で生活保護を受け、「生存権」裁判を日本で最初に起こした。
釜ヶ崎での60年代の日雇労働の話、飯場の話、生活保護の話、いまの生活の様子など本当に興味深かったし、厚生労働省は生活保護の「母子加算」は復活すると言っているが「老齢加算」は復活する気はないらしいので、その意味でもインタビューを出したかったが、これもページ数の関係で断念。2〜3ページぐらいのものだが、どうしても無理だった。本の最後、「あとがき」の最後にインタビューを引用するかたちで原稿を書いたが、最後の最後に仕方ないので切り落とした。キツイです。
さて、貧困問題は政権交代によって変化が早く、本の中で「日本は貧困に関する公的な調査を行なっていない」と書いたが、発売日に厚生労働省が「相対的貧困率」を発表したので、この箇所は発売と同時に記述が古くなってしまった。おそらく、今後数ヶ月でさらに事態は動くだろうが、「本」というメディアではこれはどうしようもない。
本はきのう届いたが、いつものように、自分の書いた本を見ても全然うれしくない。本文は4月から集中的に書き続けていたが、おしまい頃には書く作業の過重な負担に疲労困憊して、「この作業から早く解放されたい」という気持ちが強かった。だから、本ができて家に来ると、悪い夢が形をとって自分に返ってきたような感じがする。なので、届いても中身は全く見る気になれず、まだまったくページを開いていない。
とはいえ、増刷などのときに修正する必要があるので、いずれ全部読み返さないといけないかもしれないが、そのときは「苦行」になりそうな気がする。時間がしばらく経てば、ふつうに読む直すこともできるのだが。
なお、表紙は「カマやん」シリーズのありむら潜さん。ありがとうござました。
本の内容については「読めばわかります」としか言いようがないけど、インパクトのあるものにはなっていると思う。


2009/10/14 「学校で教えたい授業シリーズ」のお知らせ

11月23日(東京)と12月6日(大阪)、
「学校で教えたい授業シリーズ」企画を行ないます。
詳しくはこのチラシを見て下さい。
東京  ▼大阪 
―――――――――――――――――――――――――――――
名称:学校で教えたい授業シリーズ
主催:ARC(Alternative Rainbow Class)実行委員会
http://d.hatena.ne.jp/a-r-class/
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呼びかけ文

わたしたちは、貧困や野宿、セクシュアル・マイノリティ、不登校、ひきこもり、精神障害などの問題の当事者、支援者として長年、取り組みを続けてきました。
 活動の中で痛感したのは、これらが身近な問題であっても、こどもたちがその問題について学び、当事者と語りあうような場がほとんどないということでした。野宿、女性の貧困、セクシュアル・マイノリティ、不登校、ひきこもり、精神障害に対する無理解や偏見は依然として根強くあります。わたしたちは「学校教育」がこれらの問題を社会的に解決する一つのカギではないか、そして、これらの問題に取り組むことで、「学校が社会とつながる」ことができるのではないか、と感じてきました。
 わたしたちは、自分たちが関わるこれらのテーマについて学校教員や小中高校生を対象に模擬授業を行ない、意見交換をする場をもとうと考えました。そして、それぞれの現場で活動する個人や団体がこの企画を通じてお互いの理解を強め、あらためてネットワークを作っていきたいとも考えています。
 差別や貧困を絶ち、新たな社会を創造するための授業がどのようなものか、ともに考え、学校や社会での実践につなげていくため、多くの方々に参加を呼びかけます。

講師の詳しいプロフィールなどは、こちらのブログをご覧ください。
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▼内容
4つの「学校では扱われる事の少ない」テーマ、
「貧困・野宿問題」「精神障害」「不登校・ひきこもり」「セクシュアル・マイノリティ」について取りあげる。
それぞれ2時間枠。2つのテーマを同時進行。
(申込時にAかBを選択してもらう予定)
最後にパネルディスカッションを行なう。

10時〜12時 A:貧困問題  B:不登校・ひきこもり
13時〜15時 A:精神障害  B:セクシュアル・マイノリティ
15時〜 パネルディスカッション

▼対象
主には教職員(小・中・高)
しかし、教育は教職員だけで実現するものでなく、社会的な問題であるという認識から、広く興味のある人(子どもも含める)に呼びかける。
▼定員
最大70人程度
▼参加費について
1500円。18歳以下無料
→資料代込み。(参加できなかったコースの資料も含む)。


2009/9/13 大正の第35回エーサー祭り

何年ぶりかで行ってきました大正区のエーサー祭り。
年々巨大化し、回りを取り囲むテントのお店でシーカーサーを飲んだりソーキそばを食べたり知り合いと会って話したり(知り合いだらけ)はしても、間近でエーサーを見ることはできない状態だ。


しかし、会場近くの平尾商店街で3時すぎから100人近い「沖縄風車」のエーサーが練り歩くプログラムに遭遇。
目の前で鳴り響くエーサー太鼓と指笛はさすがに圧倒的だった。行ってよかった。


(数年前に書いたものを再引用)
大阪大正区のエイサー祭りに行ってきた。1920年代のソテツ地獄以来、大正区には沖縄出身の人が多く生活している(現在では2世、3世の人が主流)。ヤマトでは、沖縄への強い差別があったため、エイサーをはじめとする沖縄の文化は長い間あまり表だって継承されることはなかったという。1970年代以降になって、自分たちの文化を見直そうという機運が高まり、関西沖縄文庫などの活動拠点を作り、その流れでこのエイサー祭りも行われるようになった。
例年のことながら、公園内にはびっしりと人が詰まって、移動するのも大変だ。周囲はテントが並び、シーカーサーやゴーヤー茶、沖縄関連の本などを売っている。参加団体は沖縄、愛知、東京などからも来ていた(愛知琉球エイサー太鼓連、東京沖縄県人会青年部…)。
12時開始で、暗いなるまで勇壮なエーサーが続く。エーサーの間、指笛が鳴り続け、あっちゃこっちゃでカチャーシーを踊る人が出始める。最後には全員が立ち上がってカチャーシーを踊り、とんでもない熱狂状態で幕を閉じる。


2009/9/4 「子どもの貧困白書」(9月4日発行)

子どもの貧困白書」(明石書店・9月4日発行)に「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」の紹介と「大阪にみる世代間の貧困連鎖」を書いてます。
2800円也。執筆者105人。

「人民新聞」に選挙に向けての記事を書きました。
結果は自民党が惨敗、民主党が圧勝。逆よりはるかにいいけど、民主党と自民党だけで議席がほとんどという状態はどうなんだろう。

▼31〜9月1日、講演で鳥取へ。午後は時間があったので、車で20分の鳥取砂丘に行った(小学生以来)。ラクダ(一乗り1800円だって)はよく覚えていたけど、砂丘そのものは記憶から消えていた。歩いてみると、砂がきめこまかいのにビックリ。空気は涼しいのに、砂は日光で焼かれてメチャクチャ熱く、足の裏がヤケドしそう。
全国、特に都市部や郊外は「どこ行っても景色が同じ」だけど、さすがにこういう砂丘はどこにもないです。



2009/8/23 近況など

ちょうど3ヶ月、このホームページを更新しませんでした。
4月から長い文章を書き続けて、それにエネルギーを吸い込まれて、 ホームページの更新する時間があればその原稿をやりたいという感じでした。
しかし、その原稿の「終わりが見えた」あたりで、なにやら息切れ状態に。しばらく別の事をやって、いったん頭の中を入れ換えないと全く進まない精神状態になったので、ほったらかしにしてた「フリーターズフリー」3号(秋に刊行予定!)の原稿に取りかかかってます。いま、その一部で、「近代家族」を(「フリーター≒ニート≒ホームレス」ともちがった形で)再検討して、自分ではやってて興味深いです。
この間、「福祉のひろば」で「現代の貧困をたずねて」という連載を月1で続けてます。あと、「消費者法ニュース」に大阪で3月に行なった相談会について記事を書いたり、朝日新聞の大阪版で選挙に向けての提言の取材を受けたり。
福岡県のRKBラジオの人権問題を扱う「ウイ・ラブ・ヒューマン」という番組には電話で取材を受けた(けど、あれはもう放送したのかな?)。
というわけで、しばらく原稿を書くのに頑張ります。


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