極限の貧困をどう伝えるか・講演資料

(2008年3月29日・反貧困フェスタでの講演資料の解説)

1・カフカの階段
2・いす取りゲーム
2.5・再び・カフカの階段
3・国家・市場・家族の失敗
4・「自立」って…
5・経済の貧困+関係の貧困=現代の貧困





1・カフカの階段



「たとえてみると、ここに2人の男がいて、一人は低い階段を5段ゆっくり昇っていくのに、別の男は1段だけ、しかし少なくとも彼自身にとっては先の5段を合わせたのと同じ高さを、一気によじあがろうとしているようなものです。 先の男は、その5段ばかりか、さらに100段、1000段と着実に昇りつめていくでしょう。そして振幅の大きい、きわめて多難な人生を実現することでしょう。しかしその間に昇った階段の一つ一つは、彼にとってはたいしたことではない。ところがもう一人の男にとっては、あの1段は、険しい、全力を尽くしても登り切ることのできない階段であり、それを乗り越えられないことはもちろん、そもそもそれに取っつくことさえ不可能なのです。意義の度合いがまるでちがうのです。」
(カフカ「父への手紙」)


                 


↑「カフカの階段」と書き込み前の「カフカの階段」。いずれも、クリックするとPDFファイルに飛びます。
(印刷するときは、PDFファイルを一度パソコンに保存してから印刷してください)。

「コピーレフト (copyleft) とは、著作権 (copyright) に対する考え方で、著作権を保持したまま、二次的著作物も含めて、すべての者が著作物の利用・再配布・改変できなければならないという考え方である」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


▼「カフカの階段」の図は、階段を手で描いたあと、ありむら潜の「カマやん」シリーズからあちこち切り抜いて貼って作った。ありむらさんは、運動用途のためならマンガも無断使用OKとされているので、使わせていただいている。
カフカの引用は有名な「父への手紙」からだが、この比喩はもともとは結婚問題について言われていた。読んだとき「うまい比喩だなあ」と感心したが、あとになって「これは野宿者問題の比喩に使えるな」と気がついた。すなわち、いったん極限の貧困としての野宿に至った人が、そこから脱することがなぜ難しいのか、ということをイメージとして示そうということである。(われわれの社会は「カフカ的」なのである!)。



★以下、「カフカの階段」のプリントしたものを見ながら読むのをお勧めします!



仕事があって家もある人(カマやん)が、何かのトラブルで「低収入」「貧困」になっていく。
いくつもの要因があるが、ここでは「家族からの排除」「健康からの排除」「仕事からの排除」「住居からの排除」「金銭からの排除」を挙げた。

そして、これらは相互に関連する。例えば、「病気や事故によって仕事を失う」「仕事を失ったことによって家族と別れる」「家族と別れることによって仕事を失う」「仕事を失うことによって住居を失う」…。





本来、こうしたトラブルがあっても階段から落ちないように、「網」が張ってあるはずだ。これを「セーフティネット」と言う。
しかし、これが今やボロボロになって、どんどんそこから人が落ち続けている。

このセーフティネットの「空洞化」に入り込んだのが、貧困につけ入り再生する「貧困ビジネス」だ。
例えば、失業しても雇用保険が十分に機能しない場合、困って駅のあたりをフラフラしていると、「駅手配」の手配師が近づいてきて、「兄ちゃん、仕事行こか」と声をかけてタコ部屋(ケタオチ飯場=ひどい労働宿舎)に誘う、ということが今でもある。現在、グッドウィルやフルキャストといった「人材派遣業者」がその役割の一部を担っている。
また、体が悪くても病院に行けない人には、入院患者を検査漬けにして医療保護費を儲ける「悪徳病院」「行路病院」
住居のないひとには「ドヤ」「ネットカフェ」「ゼロゼロ物件」
生活保護を受けられない人には「消費者金融」、そして野宿者をスカウトして生活保護を取って保護費をピンハネする「悪徳生活保護業者」
行政のセーフティネットの「空洞」にこれら業者が入り込み、「貧困ビジネス」を展開している。
そして、これはビジネスではないが、最近しばしば指摘されるのは刑務所の「福祉施設化」だ。食い詰めた人は、犯罪を犯して「刑務所」で生き延びる他になくなっている。

こうして極限の貧困=野宿になった人は、「多重債務」ならぬ(社会的)「多重排除」状態にある。
なお、厚生労働省のホームレス全国調査では「金融機関や消費者金融などへの借金」が「ある」人は18.7%だが、「ホームレス自立支援センター北九州」が調査したところ、入所した208人中62%にあたる128人が多重債務を抱えていた。2005年に名古屋の「笹島寮」で個人信用情報チェックを取り入れて調査した結果、入寮した野宿者の70%強が多重債務者だった。厚生労働省のホームレス全国調査はまったく実態を反映していない(野宿数などについても同様)。








いったん「極限の貧困」としての野宿になると、今度は「元の状態」に戻ることが非常に困難になっている。
つまり、クリアしないと元に戻れない幾つかの条件が「壁」のように立ちふさがっている。

(以下は一例)




「福祉事務所の水際作戦」 
生活に困って福祉事務所に相談に行っても、「まだ働けるでしょう」「住所がない人は生活保護は受けられません」「兄弟に相談しなさい」などなど言って相談者を追い返す事態が続いている。

「就職しても給料日までの生活費がない(金がないと就職もできない!)」 
日雇い派遣や、あるいはアルミ缶集めなどで日々少ないながらもお金を稼いでいた人も、うっかり就職すると今度の給料日まではお金が入らなくなる。つまり、20万円ぐらいはお金がないと就職もできないのだ。

「住所がないとハローワークが相手にしてくれない」 
ハローワークなどで仕事を探すと、どうしても連絡先と住所を求められる。生活に困ったあげく、その住所がなくなっているのだが。

「保証人がいないとアパートなどに入居できない」 
野宿者の友だちは野宿者だったりする。他にも様々な事情があり、保証人を見つけることが難しい場合が多い。

「資格・技術がなく、低賃金の仕事しかない」 
フリーターが正社員になることは稀れである。また、低学歴の人々にとって、資格や学歴は就職の時に大きな問題となる。仕事の二極分化(「オリジナルを作る」人と、その「コピーを使う・配る・売る」人)の中、低賃金の仕事への固定が進行している。

「自身と社会への信頼を失った」
野宿者もそうだが、生活困窮者には「こうなったのは自業自得だ」と思っている人が非常に多い。「自己責任論」が世間だけでなく当事者にも滲透しているのだ。
そして、「野宿(貧困)になったのは自分が悪い」は、「野宿(貧困)になったのはそいつが悪い」という発想へとつながることがある。そのとき、貧困者どうしの連帯はたいへん難しくなる。
また、苦しんでも手をさしのべてくれなかった「社会」に対する不信も重なっている。自身と他者(社会)に対する信頼が失われれば、自暴自棄になる可能性は高い。



貧困者(野宿者)が自力では事実上、元の生活に復帰できないこの状況を解消するためには、どうすればいいのか?
右の壁に段差を入れていけばいい。


具体的には、
○福祉事務所につきそう
○入りやすい生活保護制度へ
○給料日までの生活費を援助
(あとで月々返してもらう)
○公営住宅を増やす。家賃補助制度
○アパート入居の保証人になる
○資格をとる通学期間の生活保障
○生活を保障し関係の貧困の解決へ



例えば、「一月先の給料日までの金がない」人には、「お金を貸しましょう、あとで月々返してね」、
「住所がないとハローワークが相手にしてくれない」人には、「保証人になりましょう」あるいは「低家賃住宅を用意しましょう」といった支援を行なう。
「資格・技術がなく、低賃金の仕事しかない」場合、通学期間の生活費の保障が有効だろう。 
「失業扶助と教育訓練+住宅手当という保障の組み合せをシングルマザーにも適用していくことが不可欠である」
「家族なし・資産なしの単身者やシングルマザーの貧困、あるいは労働宿舎型のホームレスにもっとも効果的なのは、おそらく住宅手当であろう」(岩田正美「現代の貧困」)


こうした「段差作り」に入ってくるのは、行政や支援者だけでなく、再び「貧困ビジネス」でもある。
「金がない」人には、「お金を貸しましょう、あとで月々(高い金利で)返してね」
保証人が居ない人には「(お金を出せば)保証人になりましょう」。
生活保護を受けられない人には「うちのアパートに来たら、(保護費はビンハネするけど)生活保護を受けられるよ」
などなど。


この譬えの狙いの一つは、野宿者問題の解決のためには、「段差を作る」ことが、つまり「衣・食・住」にわたる行政や市民の援助が必要だ、ということである。個人ががんばれば自力でなんとかなる、という話ではない、ということだ。
こうした「階段」を作ることなしに、「がんばれ、がんばれ」「努力すればなんとかなる」とお尻を叩いても、できないものはできない。人間には限界があるからだ。むしろ、無理にせっつけば、逆にやる気をなくさせてしまうだけかもしれない。
しかし、階段ができて、「努力すればなんとかなる」見通しが見えれば、「がんばろう」という気力も出てくるのではないだろうか。




  (2・「いす取りゲーム」