DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「極限の貧困をどう伝えるかを参照してください。)

スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。

最新の「近況」はこちらです。


2008/9/21 反貧困キャラバン岡山集会

8月21日以来、なんか忙しくてホムペをやってるヒマがなかった。
ようやく時間が空いたので、しばらく前の報告から幾つか。



9月6日(土)、「反貧困全国キャラバン2008in おかやま」で、講演「現代の貧困をどう理解するか −経済の貧困と関係の貧困と−」を依頼され、1時間半ほど話をした。
ぼくのあとは、岡山・野宿生活者を支える会の豊田さんと、水島協同病院の医療ソーシャルワーカーの志賀さんからの話など。
講演の冒頭でも話したが、ぼくは実家が岡山県倉敷市なので、いわば地元の人間だ(今回はそれで呼ばれたわけではないですが)。倉敷を離れて、大阪を中心に野宿者問題やフリーター問題などに関わっている人間が、自分の地元で「貧困問題」の集会が開かれて呼ばれたわけで、いろいろと考えさせられる。
ぼくは1973年から1983年まで倉敷で住んでいたが、そこで貧困問題があるなんて全然思っていなかった。実際、集会のあとの打ち上げで話題になったが、岡山県は生活保護受給率も不安定就労の率も低く、貧困の実感は他府県と比べてそれほど深刻ではないという。
しかし、NHKスペシャル「セーフティネット・クライシス」で、「国民健康保険代を払えずに病院に行くのをためらい、ガマンできなくなって病院に行ったときには手遅れだった。しかも、入院中、入院費を気にして病院から逃げ出してみんなが説得して連れ戻したが、やがて死亡した」という事例があった。そして、このケースが倉敷市の水島協同病院のものなのだ(番組のサイトの冒頭に出ているのが水島協同病院の医療ソーシャルワーカーの志賀さん)。
「セーフティネット・クライシス」ではぼくも大阪で取材協力を依頼されたので、どんな番組になったのか興味津々で見たが、このケースを見て「釜ヶ崎であるような話が倉敷で起こっている」ことにびっくり仰天した。だが、こうした例が各地で起こっているようなのだ。
今回、志賀さんと連絡をとって水島協同病院でいろいろ話を伺った。そこで感じたのは、やはり「釜ヶ崎で起こったようなことが倉敷でも起きている=極限の貧困が全国で広がっている」ということだ。
ところで、ぼくの講演は、30分が釜ヶ崎近辺の野宿者問題、30分がその一般化としての若者の不安定就労とこどもの貧困問題、30分が貧困問題の構造的背景(更に釜ヶ崎の近況のビデオ13分)。
取り上げた問題の一つは「こどもの貧困」。岡山集会では1999年に起きた池袋殺傷事件の造田博死刑囚の問題について話した。リンク先には
「高校2年時、ギャンブルにのめりこんでいた両親が知人やサラ金から金を借りるようになる。その総額は2000万から4000万だと言われている。家には借金取りが押しかけ、両親はそれから逃げるように自宅を空けるようになる。結局、造田は高校を中退する。(…)94年1月、造田は広島県福山市で自活していた大学生の兄の元に身を寄せるようになる。市内のパチンコ店で働き始める。しかし長続きしない。99年の事 件時に勤めていた足立区の新聞販売店までにわかっているだけで14回の転職を繰り返している。工場、新聞配達、船舶塗装、住宅美装の仕事していた」とある。また、彼は仕事のない時は駅や公園で野宿していたという。
事件のあと、地元住民から「不遇の少年を救えなかった」と減刑嘆願書の署名活動が広がり、1834もの署名が集まった。ただ、何もしていないぼくが言うのも問題はあるが、あえて言えば、やはり「事件が起こってから手をさしのべても遅い」のだ。造田事件の場合、地域や学校が貧困に陥った少年に支援の手を伸ばすことができなかった。もし高校と地域、行政が彼が卒業まで生活できる対策を取っていれば、おそらくあのような悲惨な事件は起こらなかっただろう。家族、学校、地域、行政から結果的にネグレクトされたという意味で、彼は「社会的排除」の典型的な例だった。
読売新聞の最近の記事にあったが、造田くんの勤め先の一つは秋葉原事件の加藤容疑者が最後に勤めた会社でもあった。事実、この2つの事件は多くの点で共通している。造田くんの陳述には「大学を出て、事務系の仕事に就きたかった」「真面目に働いているのに評価されず、腹がたった」「努力しない人間は生きていてもしかたない」といったものがある。こうした発想は、加藤容疑者のそれにかなり近いかもしれない。
しかし、1999年の池袋事件当時、これを「貧困問題」としてとらえる視点はほとんどなかった。ある意味では、社会が「こどもの貧困」「若者の貧困」問題をとらえるのに、池袋事件から秋葉原事件までの10年近い時間がかかってしまったのだ。
なお、ぼくの出身校は造田くんが退学した倉敷天城高校だ。当然ながら、ぼくはあの学校をよく知っているが、生徒の家庭の問題に深くかかわるような親切な学校ではない。この点については7年近く前にここで書いたことがあるので、長くなるが下にその箇所をコピーしておく。
キャラバン岡山集会のあとは、実行委員会のみなさんで岡山市内の居酒屋で打ち上げ。わいわいいろいろ話したあと、ぼくの実家まで、車で実行委員会の方に送っていただきました。車を運転した人は造田くんと中学の同級生で、塾でも一緒だったという。「無口で真面目なヤツだった」ということです。

「反貧困」全国キャラバン2008in おかやま
〜人間らしい生活と労働の保障を求めて、つながろう!〜
《反貧困全国キャラバンおかやま集会》のご案内
講演「現代の貧困をどう理解するか −経済の貧困と関係の貧困と−」
講師 生田武志氏(「ルポ最底辺」著者)

報告 「岡山の野宿者支援の現状と課題」
豊田佳菜枝氏 (岡山・野宿生活者を支える会)
日時 9月6日(土)13:00〜16:00
場所 岡山市津島西坂1-4-18

労働福祉事業会館(ろうきんビル)※「おかやま集会」はどなたでも参加できます
(予約不要・入場無料)
反貧困全国キャラバン2008「反貧困キャラバンin おかやま」実行委員会
【主催】生活保護問題対策全国会議 弁護士法人岡山パブリック法律事務所倉敷総合法律事務所
【共催】全国クレジット・サラ金問題対策協議会、岡山県青年司法書士協議会 岡山県労働者福祉協議会 倉敷つくしの会 、高金利引き下げ全国連絡会、
【後援】岡山弁護士会岡山県司法書士会 全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会、人間らしい労働と生活を求める連絡会議( 生活底上げ会議)、反貧困ネットワーク、労働者福祉中央協議会
〒700-0905 岡山市春日町5 番6 号弁護士法人岡山パブリック法律事務所


2001/12/31〜2002/1/1より
(…)
1999年9月8日昼、池袋の繁華街の路上で、若者が歩行者を包丁やハンマーで襲い、当時29歳の主婦と同66歳の主婦2人を殺害し、6人に重軽傷を負わせた事件があった。その容疑者が、当時23才の造田博。我々と同じ高校の出身だ。
以下は当時の産経新聞より。
゛造田博容疑者は警視庁池袋署捜査本部の取り調べに対し、「社会に認められず、イライラした」と短絡的な犯行動機を口にする。高校時代まで「優秀でおとなしい生徒だった」(関係者)という造田容疑者が、「殺意のハードル」を越え、凶行に走った心の底流はまだ不明のままだ。/白昼の繁華街で無差別殺人を起こした造田容疑者。その生い立ちは、恵まれたものではなかった。/岡山県灘崎町で、腕のいい大工の父親と母親の間に生まれ、兄を含めた四人家族に育った。造田容疑者が中学校に通うころ、家族に不幸な転機が訪れる。「父親が体調を崩したことで、両親がパチンコ店に入り浸りになり、借金が膨らんでいった」(近所の住民)/両親は借金の取り立てから逃れるため、早朝から深夜まで家を空け、兄と造田容疑者が取り立てに対応していた。近所の住民は「そのうち、夜になっても電気もつけず、電話も取らなくなった」と話す。/平成三年、倉敷市の進学校、県立天城高校に進学。高校二年のころ、両親は「これで何とかお願いします」との書き置きを残し、二人の子供に現金一万円だけを残して失跡。造田容疑者は「毎晩、債権者が借金の取り立てに押しかけてきて、惨めな思いをした」。/造田容疑者は高校を中退。広島県にいた兄のもとに身を寄せ、塗装工や自動車部品製造業など七年間で六回も職を変えるが、「どの職場でも存在が認められず、不満だった」という。/今年四月に上京。東京都足立区の新聞販売店に就職し、同店の借り上げアパートで一人暮らしを始めた。数カ月トラブルもなく過ごしたが今月四日、「私以外のまともな人間がアホを殺している。私もアホを全部殺す」と無差別殺人を予告するメモをアパートに残して突然行方をくらます。/そして、八日正午前、凶行に及んだ。「仕事がいやになり、一週間前から人を殺そうと思うようになった」。大事件の動機としては、あまりに幼稚で、自分勝手なものだった。/造田容疑者は反省の色もなく取り調べに応じていたが、逮捕の数日後、被害者や遺族に「被害者に申し訳ないことをした」と初めて謝罪の言葉を口にした。/極端な思い上がりと自己中心的な性格のもとに起こされた事件だが、根底に少年時代が暗い影を落としているかもしれない。だが、息子が世間を震撼(しんかん)させる事件を起こしてからも、両親の行方はいまだに分かっていない。゛

事件直後は、我々の高校にもテレビ局から取材があって、それが相当のものだったらしい。ぼくも、テレビで自分のいた高校が写るのを何度も見て、「とうとうこういうことが起こったのか」と思っていた。これは直接ぼくが見たのではないが、テレビでは高校の当時の担任へインタビューをしていて、その先生は「だんだん学校に来なくなったと思っていたら、知らない間に退学していた」みたいな事を言っていたという(それを見た人は、なんて無責任だとあきれた、と言っていた)。
まあ、どこの地方の進学校もそうなのかもしれないが、うちの高校も完全に予備校化したところで、入学早々にテストをするわ、絶対にこなしきれないような宿題を毎日出すわ、日曜日に生徒全員をテストで呼ぶわ、本来ある「倫理・社会」は受験に関係ないと言って勝手につぶしてしまうわ、果ては日常生活の時間割を一週間分書かせて、ここはもっと詰めてここで勉強せよと指導するわと、なかなかやりたい放題の学校だった。中学校の雰囲気がよかっただけに、ぼくは入学してから驚くばかりだった。先生たち個人個人は別に悪人ではない(と思いたい)のだが、ともかく学校全体としては完全に非人間的な抑圧施設になっていた。実際、ぼくの担任の先生も、「みなさんが大学に受かることが第一の幸せだという考えで学校は動いている」と言ったことがある。この先生は、前年まで定時制高校で教えていた人だったから、多分、本当は納得できない自分にそうやって言い聞かせていたのかもしれない。
そういう学校だから、生徒もストレスが常にたまる。それで、たまの学園祭などで爆発して、羽目を異常にはずした大騒ぎをやることになる。ぼくが1年生のときには、学園祭のあと、数十人が近所の中学校の屋上で飲めや歌えの打ち上げをやって、一人が足をすべらせて転落死するという大事件が起きた。これは最もひどい例だが、それに限らずこの学校は、毎年誰か死ぬか死にそうな大事故が起きるということで有名だった。多分、この学校の受験第一の抑圧的な体質が生徒をそういうところに追い込んでいたのだと思う。(死んでしまった生徒はもちろんだが、友だちが目の前で死ぬ体験をした生徒たちのその後も気になる。クラスがちがえばそれはぼくだったかもしれないのだ)。ぼくも、宿題をしなかったからといって、職員室で何発も殴打され「学校をやめろ、親を呼んでこい」とか言われたりした。今だったらさっさとやめて大検でも受けるか、1年くらい読書三昧の日々をおくるかするが、当時はそういうことはできない雰囲気だったので、仕方なく毎日学校に行っていた。というわけで、今も、そこでの友だち関係は当然別として、この学校に関して「懐かしさ」とかのプラスの感情はまったく持ってない。というか、早いとこ壊して、永遠に消えていただきたい。
そのとき中西圭三が言っていたのは、「あの学校の非人間的な雰囲気が彼をああいうところに追い込んだという面があるんじゃないか」ということだった。ぼくも全く同感だった。家庭訪問ぐらい例えばしろよって話なのだ。大体、いまどき経済的理由で退学なんて話はまずない。そうして相談に乗っていたら、奨学金その他で何とかする方法もあったかもしれない。それに、あの高校では「退学」はほぼゼロなのだ。そういう結果になった彼の悔しさと屈辱は想像できる。
もちろん、人を殺してしまったら何を言ったって言い訳にはならないだろう。被害者、あるいは遺族の感情があるからだ。しかし、あのように結果になってしまった過程で、高校時代が彼にとってのターニングポイントになったことは疑いがない。その時点で学校の果たした役割については、相当の責任があるはずである。それは、この学校で3年間過ごしてきた我々には確実に想像できる。(…)


2008/8/21 反貧困キャラバン岩手集会



20日、いま全国で展開中の「反・貧困全国2008キャラバン」の岩手集会で基調講演。(ホワイトボードに「カフカの階段」「いす取りゲーム」の説明の跡が…)
盛岡市の「プラザおでって」で、基調講演のあと、「労働、生活、行政に関する実情報告」という内容。さらに集会のあとは、実行委員のみなさんと打ち上げに。岩手の野宿者問題など、いろんな話をうかがうことができました。
集会では、若者の貧困問題への一つの解決策として「フリーターズフリー」の話もしたけど、会場に18冊持っていって、なんとすべてお買い上げいただきました。ありがとうございます!
なお、みなさんは、21日も「反・貧困なんでも110番」として生活保護、借金、年金などについて、相談体制を組んであたるそうです。

岩手(というより東北地方)に行くのはまったく初めて。集会は6時からなのに、送って頂いたチケットは「花巻空港10時着」だったので、強制的に(^_^)花巻や盛岡の観光に行くことに。
花巻空港に着いてから、歩いて羅須地人協会のある花巻農業高校へ。下の写真にある、復元された「宮沢賢治の家」(黒板に「下ノ畑ニ居リマス 賢治」とある)なんかを見てから、宮沢賢治記念館へ。自筆原稿や、宮沢賢治が使っていたチェロや聴いていたレコード(「未完成」はクレンペラー指揮)を幾つか見られたのがよかったなあ。
記念館の売店で、「銀河鉄道の夜」の現存自筆原稿を写真で構成した「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の原稿のすべて」(監修・解説 入沢康夫)と、冒頭ページの原寸大「精密複製」を買いました。
行けるものならいつか行ってみたいと思っていた場所に、思いがけなく行けました。飛行機の時間もあまり確認してなかったので、行く予定を立てたのが前の日のことでしたよ。


クイック・ジャパン79号に6月の釜ヶ崎暴動についての2ページの原稿を書いてます。この号には杉田俊介さんも「秋葉原事件の『男性性』」を書いてます。


2008/8/15 第37回釜ヶ崎夏祭り(12〜15日)


例年のように、8月12日〜15日は三角公園で釜ヶ崎の夏祭りです。
メインスローガン
安心して働き、生活できる釜ヶ崎を!

釜マネー アルミ1`=200カマ、 現金がなくても祭りが楽しめます。
前夜祭ステージ(12日 5時より)
ステージ(13日 3時より)、のど自慢・労働者名人会(5時)水木美穂ステージ(7時)
ステージ(14日 3時より)、おおまきちまき(4時)、すいか割り・綱引き(4時半)、珠木奈美ステージ(7時)
ステージ(15日 3時より)、相撲大会(4時)、ヘンリー松山、(5時)曽野恵子(7時)
慰霊祭(18:20〜)、三線の会・エイサー(7:45〜)
連日 盆踊り(20:00〜)、 屋台・出店、 フェスタ 三角公園舞台(15:00〜)

写真はSHINGO☆西成のステージの様子。SHINGO☆西成は、この夏祭りの司会の一人でもあるね。
写真にあるように、いろんな人間が踊りまくっていた。ラップは本人曰く、「お経のようにうるさいだけなので、短いバージョンだけ」に自粛したそうである。
やぐらの周囲の露店では釜ヶ崎関係の支援団体が勢揃いのようにいろんな出店を出している。毎年のことながら、なんともハイテンションなお祭りである。


2008/8/8 録音図書・「世界」の対談記事

大阪では最高(日陰で)35℃前後の日々が続いている。
仕事の特別清掃(←4年前の記事)では、釜ヶ崎地区内の路上の大量のゴミを55才以上の(主に)野宿者のみなさんと掃除しているけど、夏に入って以来、熱中症で何人も仕事中に倒れてしまっている。直射日光の差す中、アスファルトの路上で仕事を続けるので、感覚としては「熱すぎる風呂にずっと入り続けている」みたいな感じだ。なので、30分も仕事をするとフラフラになります。おかげさまで、夏バテというのか、毎日朝っぱらからすでに疲れてしまっています。


『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』の録音図書作成の許可依頼が岐阜県の図書館から来た。これで3件目。そこで、「同様の依頼が「○○市中央図書館」「NPO ○○」からも来て、すでにOKしています。どこかが作って、それをコピー・配布できればいいような気もしますが(その分、他の本を音訳できるので)、そういうわけにもいかないのでしょうか」と返信したところ、「他館で製作されているものは、図書館で相互貸借を行い、利用者に提供することも可能になる」ので、そうします、という返事が来た。
「このような形で本が読まれ、さらに聞かれることを大変ありがたく思っています」と返事をしました。

▼今日発売の月刊誌「世界」(岩波)に湯浅誠さんとの対談「貧困は見えるようになったか」が載ってます。6月23日に岩波書店の会議室で話した記録で、載っているのは話したうちの半分くらいかな?
「臨界を越えた98年の大波」「目に見える貧困」「裏口の民営化」「〈自立支援〉というイデオロギー」「これ以上絞ることはできない」「自己責任論をめぐって」「18年ぶりの暴動」「秋葉原事件と自己責任論」といった見出しになってます。
なお、目次の
生田武志(野宿者支援ネットワーク)は(野宿者ネットワーク)の間違いです。


2008/7/27 録音図書の製作・「ウェークアップ!ぷらす」・「であい」

『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』について、愛知県の市立図書館やNPOから録音図書の製作の承諾依頼が来た。利用者からの依頼があったためということで、もちろんOK。
最近、「生活保護切り下げ反対」集会などに参加しているけど、貧困問題に関する集会では障がいを持つ人が参加することが当然多く、手話や速記の準備を常に念頭に置くことになる。というより、本来はあらゆる会議や集会で必要なのだろう。その意味でも、本を出版する場合も、その朗読と録音を準備するべきなのかもしれない。
とはいえ、現実的には自分ではそこまではとてもできない。その意味でも、公立図書館やNPOが録音図書を作ってくれるのは本当にありがたいです。

「フリーターズフリー」について、他の組合員ともども取材を受けて、26日(土)8:00〜「ウェークアップ! ぷらす」(読売テレビ)で放送されました。「ロスジェネ」など、いろんな動きについての報道のようです(録画したけど、まだ見てない…)。ぼくの分は、木曜日、通天閣の下と日本橋公園で収録。最初は釜ヶ崎で収録という話もあったけど、局から「暴動があったばかりで、何が起こるかわからないからダメ」と指示があったそうだ。
企画書によると、「秋葉原連続殺傷事件という悲劇もあったが、30代の作り手が主導する論壇誌の創刊も相次ぐ。さらには、「蟹工船」ブームの影響で若い人の日本共産党への入党が激増している。厚労省はこのほど、ワーキングプアの温床とされる日雇い労働を禁止し、7月中に契約社員の待遇改善制度をまとめる予定だ。政府はともかく…自ら声を発し、動きはじめた30代の活動を通して、閉塞感脱出の道を探りたい。」ということでした。

全国同和教育研究協議会の機関誌「月刊 同和教育であい」に記事を書いてます。「人権文化を拓く」の項目で、タイトルは「『日本の縮図』釜ヶ崎から」。


2008/7/13 証人尋問・人民新聞の座談会

7月10日、10時15分〜3時10分、大阪地裁1010で、日本橋公園テント破壊裁判の証人尋問。この日は、ぼく、テントを破壊され公園を追われた原告、排除の指揮をとった、当時の天王寺公園事務所・施設管理担当課長部が出廷して証言。
証人尋問はまったく初めてだけど、まあ普通に証言してきたかな?
あとになって、「あそこはこう話せばよかったか」「ここはこう言えばよかった」という点はあるけど、争う焦点とはそれほど関係はないか。
公判はこの証人尋問でほぼ終了し、年内あたりに判決が出ると予想される。
この事件についての詳細は下を参照。


「人民新聞」7月5日号は
座談会 『越えなき者』の反撃と連帯の可能性 
どうやって生きのびるのか? ニート ひきこもり 野宿者 女性… 
『経済的貧困』と『関係の貧困』を越えて

として、6月19日に行なった座談会の記録が載っている。
主な発言者は
司会、中桐康介(人民新聞社)
生田武志(フリーターズフリー・野宿者ネットワーク)
イダヒロユキ(立命各大学非常勤講師)
馬野骨介(KY(くまもとよわいもの)メーデー実行委員)
鍋谷美子(障害者ヘルパー・神戸YMCA夜回り準備会)
吉岡多佳子(不登校や高校中退やヒキコモリの当人ネットワーキング『Soui』)
藤室玲治(神戸大学非常勤職員)
山下耕平(コムニタス・フォロ)
山西麻依(大阪市立大学院)

この号と次号に掲載予定。

日本橋公園テント破壊の裁判への支援のお願い

 2006年5月2日、野宿者ネットワークが夜回りをしている日本橋公園(大阪市浪速区)で、大阪市によるテントの破壊が行なわれました。
 2月末、日本橋公園に大阪市・公園事務所施設管理担当課長・阿部ら数人の公園事務所職員が現われ、「この公園もそろそろ出て行って欲しい」「3月末には公園から出て行ってもらわないと困る」などと一方的に通告してきました。その後も繰り返し同様の通告を強圧的に行ない、半強制的にテント撤去の「承諾書」を書かせました。(当事者たちは「公園を出ても行く場所はないから書きたくなかったが、寒い中、4〜5人に40分近く取り囲まれて「不法占拠だから出て行け」と強く言われ、書かないと許されない雰囲気だった」と言っています)。自立支援センターや生活保護についての説明は「ほとんどなし」でした。
 野宿者ネットワークとして、公園の当事者と繰り返し話し合い、「行政のやり方はひどすぎる。公園を出てもいくあてがない」という声を受けて、不当な追い出しを拒否するという姿勢で、できる限りの支援を行なおうとしてきました。
 「野宿者ネットワーク・釜ヶ崎医療連絡会議・釜ヶ崎キリスト教協友会・釜ヶ崎パトロールの会・釜ヶ崎反失業連絡会・長居公園仲間の会・西成公園よろず相談所」の連名で抗議文を出し、弁護士有志の連名によって「不当な排除を止めよ」という申し入れを大阪市ゆとりとみどりの振興局・天王寺動植物公園事務所に対して行ないました。4月20日には、野宿者ネットワーク、野宿当事者による「人権救済申し立て」を大阪弁護士会人権擁護委員会に対して行ない、さらに釜ヶ崎の労働センター、大阪市役所前で排除中止を求めるビラまきを行ないました。にもかかわらず、テントに居住している状態で行政は無理矢理に強制排除を行なってきました。公園で工事予定があるわけでもなく、単に「不法占拠だから公園から出て行け」という理由でした。
 壊されたテントは4。被害者は5人。本人の話によると、「テントの中にいると、いきなりテントが壊され始めた。襲撃かと思った。外を見ると、役人が「つぶす」と言ってきたので、「ちょっと待てや」と言ったが、行政は無視してテントを壊し続けた。着の身着のままでテントを出た。そのため、食料、コンロ、鍋、下着など、生活必需品をほぼすべて廃棄された」ということです。
 知らせを受けて現場に到着した野宿者ネットワークのメンバーが「テントの破壊を止めろ」「違法行為は止めろ」と抗議すると、阿部は「うるさい」「不法占拠物件を本人に承諾書をとった上で撤去するだけだ」「訴えるなら訴えてみろ。そんなことをすれば誣告罪(ぶこくざい)で訴える」と怒鳴り返しました。不在だったテントについて「本人がいないんだから帰ってくるまで待て。必要な物まで撤去するのか」と言いましたが、行政は本人不在のままテントを完全に破壊しました。撤去された生活物資は、そのあと直ちにすべて「ゴミ」としてすべて捨てられたことを確認しています。
 野宿者ネットワークと当事者とで取り出せるものを公園の中央に運びだし、釜ヶ崎キリスト教協友会、反失業連絡会、西成公園よろず相談所、NPO釜ヶ崎など多くの団体、個人から生活物資や車両の提供を受けて、非常事態での引っ越しを行ないました。
 なお、日本橋公園の野宿者と近隣住民との関係は非常に良く、近所のマンションの住人の犬を夜の間テントで預かったり、逆に住民がテントの人の犬を散歩させたりという交流が続いていました。公園の清掃も毎日行ない、近隣住民から「あんたたちがいると公園がきれいで助かる」「あんたたちがいるから公園に夜来ても安心だ」と言われていました。野宿しているために近隣住人に著しい迷惑をかけたという事実は全くありませんでした。

 天王寺動植物公園事務所によるこのテントの破壊に対し、損害賠償訴訟を起こします。この事件では、大阪市および天王寺動植物公園事務所の野宿者への姿勢が鮮明に現われました。野宿をしなくてすむ「対策」を示すことも、本人たちとの十分に話し合いも、本人の真の同意を得ることもなくただ公園からのテント撤去のみを急いだこと、公園を出て行っても他に行くことがないことを承知の上で強制撤去を行なったこと、現に人間が中に住んでいる状況でテントをたたき壊したこと、さらにテント、食器、衣類などの生活必需品を廃棄して生活そのものを不可能にしようとしたこと、それらは、近年の大阪市の野宿者への非人道的な姿勢を明確に表しています。一言で言えば、それは公園からの撤去のみを目的として、野宿者の存在そのものを否定する行為でした。
 テントを壊された当事者は、野宿に至った経緯を「仕事を(あいりん総合センターに)朝4時前に起きて探し回りましたが(…)皆目仕事にありつけることなく」「4、5日間水以外飲まず食わず」、「飯場にいても仕事が一週間に一日しかない(…)借金がかさんで、とても生活できない」と証言しています。ほとんどの野宿者がそうであるように、日本橋公園の人たちの多くも失業や病気といったアクシデントで野宿に追い込まれ、公園ではアルミ缶集めや粗大ゴミ集めといった月収数万円の仕事で働いていました。行政は、野宿という究極の貧困にある人々が唯一得た生活場所を奪い、路上に追いやりました。行政は、テントを破壊し排除するのではなく、野宿者が仕事と住居(生活保護水準以上の)を得ることのできる支援策を率先して行なうべきでした。
 日本において、生活保護水準以下の収入しか得られない、貧困層にある人々が増えつつあります。今回行政が行なった行動は、貧困者に対する住居権と生存権の破壊と言えます。このような暴挙は許されるものではなく、決して繰り返されてはなりません。
 裁判では、テントを破壊された当事者が、原告として裁判を起こし、そして証人として参加します。わたしたち野宿者ネットワークも、最後まで支援を行ないます。
 大阪市および天王寺動植物公園事務所の姿勢を糾し、野宿者の人間としての生存と生活を守るため、野宿者問題に心を寄せる多くの方々にこの裁判への支援を呼びかけます。


2008/7/9 新潟の高校で「野宿者問題の授業」

6月の東京の国際基督教大学高校に続いて、遠方の学校での「野宿者問題の授業」。新潟県立八海高等学校で全校生徒に90分の授業をした(8日)。
八海高校があるのは南魚沼市。釜ヶ崎のある地下鉄「動物園前」から新幹線で新大阪→東京→越後湯沢と乗り継ぎ、そこから六日町駅へ。朝6時50分発の電車に乗って、学校に着くのは12時10分。なんとなく新潟って涼しいイメージがあったけど、意外に高温多湿(だから米がおいしいんだとか)。
八海高等学校は以前は女子校だったそうで、いまも70%が女子。福祉専門コースや体育専門コースがあって、例えば福祉科に行くと介護福祉士の資格が取れるという特色のある学校。
昼ご飯をごちそうになったあと(やっぱり米がおいしい)、1時半から授業。というより、全校生徒対象の講演。今日の午前に期末テストが終わったこともあって、生徒はなにか解放モード。体育館は全校生徒が集まったこともあって異常に暑かったけれど、みんな90分間、よくぞつきあってくれました。
ぼくを呼んでくれた先生たちと話をしばらくして、駅に向かって大阪へ帰る。部屋に着いたのは夜10時20分。
さすがに大阪→新潟→大阪の日帰りはキツイ。新潟に行くのは初めてだったけど、結局学校にしか行かなかった。宿泊すれば他に何かできそうだが、とはいえ月曜は仕事があるし、水曜も用事が入っているので日帰りしかない。結局、一日のほとんど新幹線に乗って、「フリーターズフリー」2号の依頼原稿をチェックしたりCDを聞いて過ごしていた。
新幹線の中で、久しぶりに矢野顕子の「夢のヒヨコ」(「ポンキッキーズ」で放映)を聴いたりした。こども向けの曲で特に好きなものの一つ。
最近、こどもの本の出版社から小学生向けの野宿者問題の本の依頼を受けていて、どうしようかと企画を考え込んでいたが、「夢のヒヨコ」を聴いて、「やっぱりこども向けに何か作るのは絶対に意味があるよなあ」と強く確認しました。


2008/7/1 プアプア批評8

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)2008年夏号に連載コラム「プアプア批評」の第8回を載せています。今回は、「フリーターズフリー」創刊号に関する会計の話や、「フリーター論争2.0」についてなど。
なお、29日の朝日新聞の読書欄で、「若者の貧困」というコラム(浜田奈美)の中で『フリーター論争2・0』が紹介されている。「ロスジェネ世代の表現者たちの対談集。どの発言も、『現在の労働=生存運動を、新しい局面へと押し上げ』ようという気迫に満ちている」とある。(とはいえ、別に「表現者」でやってるわけじゃないし、ぼくはロスジェネ世代じゃないんですが)。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。


2008/6/29 人民新聞6月25日号の「実録 釜ヶ崎「暴動」」

暴動で逮捕された労働者への救援活動が始まり、ぼくも逮捕された一人へ面会に行って来た。「体の調子はどうですか、差し入れで必要なものはありませんか、連絡する人はいませんか」などのやりとり。分厚いプラスチック越しなので、お互い大声で会話する。
話が終わって部屋を出ると、署員5〜6人が部屋の前でたむろして立ち聞きしていた。どっにしても会話は記録されているとはいえ、どうも気持ちのいいものではない。
なお、7月5日の3時には、釜ヶ崎の三角公園で、救援会の主催で抗議集会が行なわれる予定。

人民新聞6月25日号は、1面から3面までが釜ヶ崎暴動の特集。現場にほぼずっといた「釜ヶ崎パトロールの会 内永徳」さんが5日間の様子を克明に報告している。
写真も多数。特に、1面の「高圧放水をかいくぐり、ダンボールを満載したリヤカーで(機動隊の隊列に)突入を繰り返した」という写真は大変なショット。この突入はぼくも現場で見てたけど、これは本当に真横で撮影している。
このリヤカー突入については記事で触れていて、「聞けばこのリヤカーはダンボール集めをしている労働者から借りてきたらしく、『いいよ。持っていけ』と快く貸してくれたらしい」とある。
また、「自転車を積み上げてバリケードにしていた時も、何人かの労働者が『ワシの自転車が混じってるんやけど…』とやってくるが、みんなで自転車を捜してバリケードの中から引っ張り出すと口々に『すまんな。許してや』と持ち主に声をかけている。すると自転車の持ち主も『かまへん。こんな時やからしゃあない』と笑いながら去っていく」とある。また、多数来ていた若者と労働者のやりとりについても幾つかのエピソードが触れられている。
今回の暴動=抗議行動については、全国的にはほとんど報道されなかった。かりに、東京で日雇い派遣の若者たちが(グッドウィルや厚生労働省に抗議して)暴動を起こしたとすれば、当然、大変なニュースになっていただろう。これほどまでに釜ヶ崎の出来事が無視されるのはつくづく異常だと思う。これは、「ネットカフェ難民」が話題になっても、やはり不安定就労で不安定なドヤ(簡易宿泊所)で生活する寄せ場の日雇労働者がほとんど話題にされないのと似ている。(日雇い派遣の禁止が大きな問題として議論される中、寄せ場の日雇労働については完全に無視されていることもそうだが)。その意味でも、人民新聞の記事は、日雇労働者の問題の一つの極限を伝えるものとして、多くの人に読まれるべきだと思う。
ぼくも一つエピソードを。ぼくもほぼ毎日現場に行っていたが、知り合いの中学生や高校生が何人も現場に来ていた(92年暴動の時に来ていた中学生が、30歳過ぎてまた来ていたりしていた…)。
逮捕者が多数出た6月17日も、昔から知っている高校生の女の子が来ていたが、彼女の自転車がいつの間にかなくなっている。捜してみると、自転車バリケードにされて積み上げられていた。引っ張り出して見てみると、カギが曲がって開けられなくなっていた。「困ったな〜」とガチャガチャやっていると、それを見ていた周りの労働者が何人も「どうしたんや」とやってきた。
みんなで「こうしたらええ」とカギをこじ開けようとしたが、どうしても外せない。「ドライパーでカギを外すしかないなあ」と話していると、労働者の一人が探し回って、柄の長い(普通の長さだと使えない)ドライバーを持ってきて渡してくれた。それを使っておっちゃんたちが何とかカギを外した。ドライバーを貸してくれたおっちゃんは、投石にでも行ったのか見つからない。結局ドライバーはもらったままになったが、みなさんにお礼を言って、「みんな親切だなあ」といいながらその高校生たちと帰って行った。
釜ヶ崎でよく言われるように、労働者にはこどもに優しく親切な人が多いが、こういう極限状況でもそれは全然変わらなかった。(自転車をバリケードにされたその子も『こんな時やからしゃあない』と思ったようです)。


2008/6/19 釜ヶ崎地域合同労働組合委員長の逮捕 

18日午後、西成署前での抗議行動を続けてきた釜ヶ崎地域合同労働組合の稲垣浩委員長が逮捕。「14日、西成署前の市道に軽四輪の街宣車を2時間半止め、許可を受けずにマイクで街宣活動を行って労働者を集め、不正に道路を使用した疑い」ということだ。
実際には、こうした街宣活動は釜ヶ崎では何度も行なわれているが、逮捕されるということはなかった。つまり、暴動に対する弾圧と考えるしかない。
逮捕後、昨夜も今日も西成署前で抗議活動が行なわれているが、数は減りつつある。今日の雨で収束に向かう可能性が高い。過去の暴動も、5日過ぎで収束しているからだ。
なお、現在逮捕されている人数は分かっているだけで15人。救援がこれから本格的に始まる。
また、新聞報道では「労働者側のケガは1人」と報道されているが、こちらが把握しているだけでも、かなりの人数がケガを負って入院や通院をしている。放水で眼球を痛めて手術することになった人、肋骨を折った人、近隣の中学3年生は機動隊に顔面をどつかれて血まみれになっていた。
今回の暴動(公的には暴動と定義されていない)についてはいろいろ思うところがあるが、それについてはおいおい触れていくことにしたい。


2008/6/18 釜ヶ崎暴動・5日目 多数の逮捕者

釜ヶ崎の暴動は続いている。17日の夜10時半頃、多くの逮捕者が出たようだ。機動隊が一気に労働者と若者の群衆を四方から挟み撃ちにする陣形でいっせい検挙に出て、狙い撃ちのように数十人を捕まえ、西成署に連行していった。若者もかなりの人数が連行されたようだ。
逮捕者数など、詳しい情報は明日以降にならないと不明。
(追加・18日朝の報道によると、「5日間の逮捕者は計16人」とある)

↓逮捕直後、機動隊が引き上げていくのを見る労働者


↓歩道からはがされ、投げられていた敷石のあと


2008/6/16 釜ヶ崎暴動・4日目
(17日、ちょっと追加)

↓今日の西成署前


「暴動に登場した若者たちに対して、マスコミ報道はほぼ全面否定だった。そして、先に言ったように釜ヶ崎で活動するキリスト者、労働運動家たちの間でも評価が2分された。「彼らはおもしろがって便乗しているだけだ」というのが一方であり、「彼らも警察に対して怒りを持ってやっているのだから仲間だ」というのが一方である。事実、彼ら彼女らは釜ヶ崎の現実や問題についてはおそらくほとんど何も知らなかっただろう。また、少年たちによる野宿者襲撃は、ずっとそうであったようにこの時期にも多発していた。もしかしたら、投石していた少年たちの中には野宿者を襲撃していた者もいたのかもしれない。だとすればそれは、ふだん野宿者に投げていた石をこの2〜3日だけ機動隊に投げていただけということになる。(…)
 しかし、19歳の女性が「同じ年ぐらいの子とかもすごいいっぱい来てて、マスコミからはすごく悪く言われてるけど、そんなんじゃ全然ない」と言うとき、それを信じない理由は特にない。かなりの部分は、たいした知識はないとしても、直感的に「これは自分の問題だと思った」(他のテレビのインタビューで暴動に来た若者が言っていた)から来たのかもしれなかった。
(…)多分、「これは自分の問題だと思った」と若者に言われたとき、われわれは寄せ場・野宿者の運動の今までとはちがう可能性を与えられていた。それに気づかなければ、社会運動としては多分終わっているような何かの可能性に。つまり「彼らはおもしろがって来ているだけで、われわれとしては釜ヶ崎のことを誤解されて迷惑だ」と言っている場合ではなかった。先に言ったように、現場の活動家の中で、釜ヶ崎についての内容と、いわば連帯の呼びかけとのビラを少年たちに撒こうという動きもあったが、それが実現する前に暴動は終わってしまった。当時のぼくも、若者向けのビラどころではなかった。しかし、やはりこのビラは何をおいても必要だった。」

これは1990年暴動についての『〈野宿者襲撃〉論』の記述。
もうこういう機会はないと思っていた暴動が18年ぶりにやってきたので、今日、釜ヶ崎に来た若者たちにビラを作ってまいた。「釜ヶ崎についての内容と、夜回り・炊き出し、生活相談など支援活動への誘い」。
「この抗議行動をきっかけに、どうか釜ヶ崎や釜ヶ崎の労働者のことをもっと知ってください。そして、釜ヶ崎の人たちとつながって、いっしょにできることを見つけてほしいと思っています。」と締めている。
今日は西成署に花火を打ち込む若者もかなりいたようだ。上で「野宿者に投げていた石をこの2〜3日だけ機動隊に投げていただけかもしれない」と書いているが、それを見ていると、よくある野宿者への花火の打ち込み襲撃を思い出さざるをえなかった。
つまり、共闘か襲撃かは紙一重でありうる。だからこそ、「彼らはおもしろがって便乗しているだけだ」と切り捨てるのではなく、ビラであれ何であれ語りかけるべきなのだろう。
ビラをまくと、みんな(労働者も)「くれくれ」と手を出してくる。17くらいの男の子が「何のビラ?」と聞くので、「釜ヶ崎にはじめて来た人向けに書いたビラ」と言うと、「え?釜ヶ崎って何。ここ、西成やろ?」と言っていた。ま、そんな感じだろうね。
なお、暴動初日に16歳の女子高校生が逮捕されたのに続き、きのうは17歳の配達員の少年が逮捕されている。

あと、朝日放送の「ムーブ!」から取材があり、今回の暴動の背景について幾つか答えた。今日の番組で使われている。
それにしても、この暴動はほとんど報道されていない。どう見ても大事件なのだが…

↓自転車のバリケード。この後、ゴミが大量に置かれて火が高く燃え上がった。


2008/6/14 釜ヶ崎でこういう光景を再び見るとは思わなかった
(15日・追加)

今日、釜ヶ崎・西成署前に警官の暴行への抗議に集まった(おそらく500人近い)労働者へ向かって放水車が放水を始める。↓


きのうと今日、西成署の刑事たちによる暴行事件への抗議活動が多くの釜ヶ崎の労働者によって行なわれている。13日から14日にかけては、新聞報道では10人が逮捕された。
抗議活動を呼びかけた「釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会」のビラによると、鶴見橋商店街のお好み焼き屋に行った労働者(生活保護受給ということなので、元労働者と言うべきか)が、店員の態度に苦情を言ったところ、 店員は「営業妨害だ」と言って警察に電話した。労働者はパトカーの署員にいきさつを話したが、そのまま西成警察に連れて行かれた。パトカーに乗せられた労働者は西成警察署の個室に連れて行かれ、イスに座らされ、4人の刑事に変わるがわる顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、気がつくとまた暴行。挙句の果ては両足持たれて逆さ吊りにされた、という。
なお、西成署は暴行を否定。事実確認は完了していない。

昨日(13日)夕方、西成警察署前に多くの労働者が集まり、「暴力警官は謝罪せよ」「署長は出てきて謝れ」と抗議を開始。暴行を受けた当事者も、殴られて腫れ上がった顔や、首に縄で締められた跡が生々しい状態で抗議に参加した。話を聞いている最中、「オレもやられた」と話に入ってくる人がたくさんいたという。
夜8時30分ごろから、府警の機動隊数百人が出動し、それと同時に労働者側から空き瓶や自転車、石などが投げつけられ始めた。さらに、フェンスを越えて署に突入した労働者など10人が逮捕された。報道によると、逮捕者には女子高校生一人が含まれている。抗議活動の中で負傷した労働者は救急車で病院へ運ばれているという。

そして今日(14日)、再び西成署に多くの労働者が抗議に集まった。その抗議に対して、西成署は8時過ぎに機動隊を配備。空き瓶や自転車、石などが投げつけられ始めた。機動隊は消火剤を撒いて労働者を追い散らし、さらに放水車が労働者に向かって放水を始めた。
労働者は自転車を路上に並べてバリケードを作って対抗。さらに、機動隊に体当たり、消火器の投げ込み、もみあいや投石状態になって深夜に至っている。
ダンボールを満載したリヤカーで機動隊めがけて突撃とか、ワンカップを飲み干して空瓶を投げるとか、釜ヶ崎の「色」が強い攻撃も相変わらずだ。

釜ヶ崎の日雇労働者は、「日雇い労働」という労働形態のために常に貧困に直面し、さらに野宿、路上死、襲撃などの問題に直面してきた。
今回、西成署に集まった労働者の多くは、自身や友人・知人が西成署に受けた暴力や差別を体で知っている。(寄せ場ではよく知られた話だが、西成署の警官は釜ヶ崎労働者のことを「450」(ヨゴレ)という隠語で呼んでいた)。その抗議に対して、西成署は謝罪はおろか、話し合いをすることもなく、放水、消火剤噴霧、そして再びの暴行で応じている。
きっかけは今回の暴行事件だが、すでに西成署の長年にわたる釜ヶ崎労働者への差別・暴行、そして今回の対応に対する直接の抗議へと変化している。
いま、釜ヶ崎には多くの若者が集まっている。報道は、若者を「野次馬」と呼ぶ。だが、90年暴動でもそうだったように、「これは自分の問題だ」と直感して駆けつけてきた若者も多いはずだ。

1990年10月の釜ヶ崎暴動は、西成署刑事が手入れ情報と引きかえに、暴力団から1000万円以上の現金を受け取っていたことから起こった。また、1961年の暴動は、交通事故で負傷した労働者を放置した警察への抗議から広がった。
数々の暴動は、西成署の釜ヶ崎労働者への差別・暴行、不祥事に対して労働者が抗議を行なうことから始まっている。しかし、過去、常に西成署は自分たちの過ちを労働者に対して謝罪することなく、むしろ抗議に集まった労働者を捕まえては、警察に引きずり込んで暴行を加えていた。
西成署は、同じ事を繰り返すつもりなのだろうか?

↓放水を横から見た光景


↓西成署北側の道を封鎖している。奇妙な光景だ。(この奥にある門から警官たちが出入りするため)。


13日に知り合いが撮った写真

なお、現場は、悲壮感というより、お祭りのような活気にみちている。
放水車が放水を開始すると(これがまともにあたると体が吹っ飛ぶ)、みんなから「わーっ」という大歓声が上がった。みんな、怒りながらも、久しぶり(92年・市立更正相談所前の暴動以来)の直接行動に沸いている。
なお、過去の暴動では、周辺への拡大や商店への略奪、放火などが起こっている。機動隊や放水車などの物理的壁が厚いため、向かうべき対象である西成署にエネルギーが向かわず、別の対象へ向かってしまうのだ。だが、「西成署への抗議」という筋を守り続けなければ、周辺の人々からの反発を引き寄せてしまう。
そうした事態は絶対に避けなければならないが、そのためには、まず西成署が釜ヶ崎の労働者を追い散らすのではなく、誠実に抗議に対応し、労働者への態度を根本的に改めなければならないだろう。


2008/6/13 入試に出る『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』

6月4日、東京の国際基督教大学高校(1〜3年生40人)で50分×2の授業をしてきた。
近畿以外の学校で授業をするのは初めて。内容は野宿者問題全般。
授業の最後に、釜ヶ崎の「こどもの里」の「こども夜回り」の映像を見てもらったが、小さいこどもや小学生たちが路上で野宿者と話をしたりおにぎりを渡す様子を見て、みんなかなりインパクトを受けていたようだ。「こういう夜回りに東京でも行けますか」と質問する生徒もいた。
東京の高校生に「こども夜回り」など、釜ヶ崎の話をするのはちょっと新鮮。


『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』が、今年の大阪府立大学・人間社会学部・社会福祉学科の入試小論文問題に出題されたということで、世界思想社の「赤本」と、学習研究社のテキスト集「小論文問題・分析集」に収録する予定だがどうしますか、という連絡がそれぞれ入った。ちょっと考えてから承諾した。
ところで、その大阪府立大学からは事前も事後もまったく連絡がない。入試問題は著者に連絡なしでいいのだろうか。
と思ったので、ちくま書房の編集の方にメールで尋ねたところ、
学校の入学試験問題での複製は、著作権法上の制限項目(36条)として無断使用が認められており、大阪府立大学が連絡しないのは違法ではない、ということだった。ただ、一般的には見識のある学校からは事後報告が来るそうだ…
なお、出題は212〜225ページの抜粋で、
▼「自業自得論」について、著者の考えを説明し、あなたの考えを述べよ。
▼「野宿者問題はマイナーな問題にとどまっていた」について、著者の考えを説明せよ。
というもの(解答時間2時間)。解答を読んでみたいものだなあ。


「リプレーザ」2008年春号で、「日雇労働・寄せ場とは何か─釜ヶ崎から」という文章を書いてます。
また、これは大阪人権博物館でしか販売しないと思うけど、「リバティセミナー講演集 環状線と差別・人権」の中に、2008年2月23日にやった講演「新今宮―スラムから寄せ場、そして野宿へ」の記録が載ってます。


2008/6/2 「福祉のひろば」「ZAITEN」

灰羽連盟」を一気に見た。いま、うちのパソコンの壁紙(ネットで捜すと幾つか見つかる)はレキとラッカになってます。
過去の記憶を失ったこどもが突然「繭」の中から生まれ、やがて天使の姿になり、「壁」によって外界から遮断された街に住む。彼ら彼女らは街で何年か暮らしたあと、呼びかけを受けて壁のそばの「西の森」に行き、そこから光となって天に昇るが、どこに行くのかは誰も知らない。(設定に村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の影響が強い)。
全13話を見ても、設定のほぼすべてが「謎」のままに残される。その意味では、ここでは「世界の終わり」だけがあって「ハードボイルド・ワンダーランド」が欠けている。それにしても、非常に丁寧に作られた画面と、レキとラッカを中心としたキャラクターの関係描写によって、「自分たちも、どこからともなくやってきて、誰も知らない世界に向かうという意味で、この「街」の人たちと変わらないのかもしれない」と思わせる力を持っている。(以前に放送中に見てハマッた「serial experiments lain」もそうだが、安倍吉俊の描くキャラクターはすごい魅力がある)
しかし、個人的には、13話は「第1部」、あと13話を使って「第2部」として、灰羽や街、壁に関する謎解きを含めた展開をして欲しかったなあと思った(ぜいたく?)。

福祉のひろば」6月号(おお、いま話題の超左翼マガジン『ロスジェネ』と同じ「かもがわ出版」)に、「究極の貧困としての野宿者問題」として、「釜ヶ崎のまちスタディツアー」の講演記録が載ってます。 
ZAITEN(財界展望新社)の「情報のキーパーソン」のコーナーにインタビューが載ってます。(ゲラにあった「プロの日雇労働者」という表現は止めてくれ、と言ったんですが…)

今日は誕生日ということで、新たなプロジェクトを今日から本格開始。詳細はいずれ。


2008/5/23 「西暦2008年7月、人類は絶滅の危機に」

「西暦2008年7月、人類は絶滅の危機に直面していた。
核兵器を遙かに超える超磁力兵器が、世界の半分を一瞬にして消滅させてしまったのだ。地球は大地殻変動に襲われ、地軸はねじ曲がり、5つの大陸はことごとく引き裂かれ、海に沈んでしまった…。」


このナレーションから始まる未来少年コナンを、中学2〜3年の春休みに毎日見ていた(これを見るのが生きがいだった)。2008年と言えば30年先だったが(今で言えば2038年!)。それが本当にやってきたのだ。
というわけで、きのうまでずっと「コナン」をDVDで見続けてました。これ、いまだにテレビアニメの最高傑作だろうなあ。
(今日から「灰羽連盟」を見始めています。再放送で毎週土曜日に見ている「電脳コイル」もクライマックスに入り、久々にテレビアニメ生活が充実してます。)

今日の朝日新聞の「ひと」で紹介されてました。写真は、5月7日の兵庫県立尼崎小田高校でのもの。「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」の流れで取材を受けて、この記事になってます。
記事を見た知り合いから「手の形が不思議でした」と言われましたが、本当だ。あの指はいったい何を意味しているのでしょうか。

「ベリタ」2008年6月号でインタビューが載ってます。李隆さんによるインタビューです。


2008/5/13 京都新聞の「『格差』を問う5」

京都新聞のシリーズ「『格差』を問う」で、インタビューの記事が載ってます(5月11日)。今まで登場したのは、赤木智弘さん、雨宮処凛さんなど。今日、掲載誌が届きました。
しばらく前、何かと問題のフェスティバルゲートの唯一残ったお店で、記者の二松さんと話した内容です。
(ウェブ上にはアップされていないようです)。


2008/5/11 今日の読売新聞の記事

今日の夕方、「記事を見たが、ホームレスみたいな甘えた人種はまず冷たく公園から追い出すべきだろう。私はこどもにそう教えている。学校で教えるなんてとんでもないことだ」と抗議の電話が入った。いろいろ話したが、説得不可能。
記事というのに心当たりがなかったので、「この人、いつの新聞を見て電話してるんだ?」と思っていたら、夜に新聞記者から「取材していた件を今朝の朝刊で記事にしました」と連絡が入った。あわてて買いに行った。
記事は下の通り。ぼくだけが全国ネットや夜回りの呼びかけしているようになっていることとか、「命の大切さをじっくり教える生田さんの授業」とか幾つか「?」があるけど、ともかく記事で紹介してもらうのはありがたいことです。

野宿者襲撃 根絶を
出張授業の輪 全国に
今夏組織化 教師ら120人

 若者による野宿者襲撃をなくそうと、中学や高校への「出張授業」に取り組んでいる大阪市西成区のホームレス支援団体代表、生田武志さん(43)が、活動の輪を広げるため、今夏にも全国組織を発足させる。教諭らの参加を呼びかけている生田さんは「生徒たちの理解が進むことで、各地の襲撃問題の解決につながれば」と期待する。
 生田さんは2000年から大阪・ミナミなどで夜間、ホームレスの安否を確認する活動を始め、「野宿者に対する若者の偏見をなくさなければ襲撃は根絶できない」と、翌年から出張授業も続けている。これまで訪れた中学、高校は大阪府や兵庫県など約30校。3000人以上の生徒に語りかけ襲撃にかかわった少年が体験を話すビデオを映したり、ホームレスヘの聞き取り結果の冊子を配ったりしてきた。
 「他者への思いやりを学んでほしい」。そう呼びかけると生徒から「同世代の犯行に腹が立ち、情けなくなった」という感想文が寄せられた。「もっと実情を知りたい」と夜回り活動に参加した生徒もいる。
 全国組織は「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」。
各地の襲撃情報を共有、▽講師の派遣▽授業プログラムの開発▽教材の作成にあたる。襲撃が頻発する地域の学校では、重点的に授業ができるように連携を図るという。
 現時点で教師ら約120人が参加する予定。その一人の武田信子・武蔵大教授(教育心理学)は「野宿者への襲撃は、子どもたちが自分の素の心を殺して集団で友人をいじめることに似ている。命の大切さをじっくり教える生田さんの授業は意義深い」と話す。問合わせは生田さん(野宿者ネットワークの携帯電話、090−8795−9499)。


2008/5/10 「大竹まこと ゴールデンラジオ!」

9日の大竹まこと ゴールデンラジオ!(文化放送・昼1時〜3時半)に出てきました。
番組内の、「大竹のいいたい放題」というコーナー。送られた企画書では、「このコーナーでは毎回、街の声や専門家のお話をもとに、日替わりのテーマについてパーソナリティとパートナーがお話しをしています。今回は、増えつづける日本の貧困層について、その実態はどうなっているのか『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』」の内容をもとにお話しを伺いたく…」。
1時前に大阪のABC朝日放送へ(通常は東京の文化放送から生放送だけど、この日は大竹さんの都合で大阪で放送)。
構成作家の方たちと簡単に打ち合わせをし、あとは本番へ。内容は、野宿者を食いものにする貧困ビジネスをメインに、2回にわけて20分ほど質問に答える形。
放送の合間にも大竹さんと少し話しましたが、日本はセーフティネットをもっと充実させるべきだ、という点で同意見でした。
短い時間で生放送はなかなかキツイけど(失言したら取り返しがつかない!)、ま、普通にしゃべったかなあ。
なお、前には番組で堤未果の『ルポ 貧困大国アメリカ』を取り上げたそうで、「それでは日本の貧困はどうなっているのか」という流れでぼくのところに話が来たようです。

今日はこの集会がありました。


★この生きづらさって何? みんなが働く場から考える★
主催:生活保護切下げ反対実行委員会
日時:2008年5月10日 13:3016:30

「働く」ことが、なぜいま、これほど苦しいのでしょうか。
いくら働いても満足な収入が得られない「ワーキングプア」、都合よく使い捨てられる「フリーター」、限界以上に働かせられる「超残業正社員」、働く場は誰にとっても、どこを見ても「働きづらさ」で満ちているようです。
日本は「史上最長」の好景気なのに、なぜ働く側の人間はこんなにしんどいのか。こんなことでは、近いうち、多くの人が働くことを拒否してしまうのではないでしょうか。実際、「社会で働くことに意味を感じられない」と言う人は増え続けています。文部省が1992年に「不登校はどの子にも起こりうる」と認めましたが、厚生労働省も近いうち「労働の拒否は誰にも起こりうる」と宣言してしまうのではないでしょうか。
しかし、それでは、働かないでもいい社会は実現できるのか。それとも、何か今とは「別の働き方」はありえるのか。
わたしたちは、「生活扶助の切り下げに反対する緊急集会・大阪」(2007年11月29日)に集まったメンバー(の一部)です。自分の尊厳を維持できる生活を守るため、何ができるのかと集会からも集まって考えてきました。
労働の問題は、生存の問題と強く結びついています。わたしたちは、いろんな労働の場で働く人たちの話を聞き、そこから労働と生について考えていきたいと思っています。
今回の開催場所は、「日本の不安定就労と貧困の中心地」である釜ヶ崎です。みなさん、「生きづらさと労働の問題」について考えるため、集まって話してみませんか。

発題者(予定)
釜ヶ崎と日雇労働について(生田武志)
元正社員の立場から(田中保盛)
女性パートについて(赤羽佳世子)
日雇い派遣について(阪口エキン)

☆託児、筆談の必要な方は事前にご相談ください。safetynet_osaka@.yahoo.co.jp
場所:ふるさとの家の1階(大阪府大阪市西成区萩之茶屋3-1-10)
(JR大阪環状線「新今宮」駅から一つ南の道路にあるローソンと「作業服 マルキュー」の間の道を南へ徒歩5分・左側の消防署の隣)
当日連絡先:090−8795−9799(野宿者ネットワーク)


ぼくも企画から関わりましたが、「やってよかった」と思いました。


2008/4/29 「フリーターズフリー対談集」が出る




人文書院・近刊案内より


「フリーター論争2.0」 ―フリーターズフリー対談集―

編者:有限責任事業組合フリーターズフリー
四六判並製208頁 価格1500円 刊行予定5月中旬

好評「フリーターズフリー」1.5弾!各地で行われたイベントでの対談を収録した、新世紀フリーター前夜祭!

雨宮処凛、赤木智弘、城繁幸、貴戸理恵、小野俊彦、生田武志、大澤信亮、栗田隆子、杉田俊介…、多彩なメンバーを迎えての5つの対話。フリーター運動と、生存と労働をめぐる議論のネクストステージ!
目次
1 フリーターの「希望」は戦争か? 
赤木智弘×雨宮処凛×杉田俊介
 この生きづらさをもう「ないこと」にしない 
貴戸理恵×雨宮処凛×栗田隆子×大澤信亮
3 若者はなぜ「生きさせろ!」と叫ぶのか 
雨宮処凛×城繁幸×大澤信亮×栗田隆子×杉田俊介
4 支援とは何か 
武田愛子×ちろる×そら豆×生田武志×栗田隆子×大澤信亮
5 新たな連帯へ 
小野俊彦×大澤信亮×杉田俊介


今日、うちに届きました。書店に並ぶのは5月中旬の予定。
主に書店のトークイベントの記録を収めた対談集。イベントはどれも東京の書店だったので、大阪のぼくが出たのは「4」の座談会と、ジュンク堂池袋店のトークイベント「フリーターズフリーのつくり方」の二つだった。
ジュンク堂のトークイベントはテープ起こしもしたが、諸般の事情で本にするのは「ボツ」。なので、ぼくの出番は一つ。うーん、もう一つ無理して出とけばよかったかも。

「フリーターズフリー」1.5弾としての「フリーター論争2.0」の出版と同時に、「フリーターズフリー」2号も着々と準備は進んでいる。
今日は、「2号」収録予定で、グッドウィル労働組合委員長で反貧困ネットワーク副代表の梶屋大輔さんに梅田でインタビューをしてきた。



「フリーター論争2.0」を持ってもらって記念撮影(ちょっとピンボケ)。
梶屋さん、ありがとうございました。


2008/4/23 ネットカフェで住民登録

「昨年末、蕨駅前にオープンしたネットカフェは、長期滞在割引を設け、「住民登録可能」と宣伝する。通常利用は30分200円だが30日以上なら1時間80円。
41部屋のうち18室が長期滞在用の部屋。「住所がなく、就職活動ができない人を応援したいと考えました。2人の方が住民登録されたのを確認しています」と、経営者の男性は話す。
だが、30日利用すると5万7600円で、アパートを借りられるほどの額だ。
「考えてもみてください、ビジネスホテルなら1泊6000円、次は歌舞伎町に進出します」
一昨年、大阪市西成区で発覚した大量の住民登録、雇用保険手続きに住所が必要な労働者に対し、区が慣行で3施設への登録を黙認していたが、「居住実態がない」として、約2000人の登録が抹消された。
蕨市の担当者は困惑する。「ネットカフェでの登録は想定外、でも、住んでいるということなら…」」

(読売新聞08年4月18日 シリーズ「貧困 底流」4より)

ネットカフェで住民登録! 
記事でも触れられているように、釜ヶ崎の日雇労働者や野宿者の書類手続きなどのために支援団体がその施設に置いていた住民登録は、「居住実態がない」として2000人以上抹消された。また、ドヤ(簡易宿泊所)での住民登録も、「ずっと住んでいるわけではない」から基本的にはなかなか認められなくなった。
ドヤは、法的には「旅館」である。「旅館」だから、というわけで住民登録は難しい。ところで、ネットカフェは「喫茶店」で、「旅館」のように「寝るため」の施設ですらない。あるのはイスだけで布団もベッドもない。にもかかわらず、ネットカフェの経営者が申請すると、「実際に住んでいるから」と住民登録が通ってしまうのだ。
一方、公園でテントを張って実際に住んでいる人が公園に住民登録しようとすると、役所はそれを認めない。裁判の結果、大阪高裁は「『生活の本拠としての実体』があると認められるためには(…)単に一定の場所において日常生活が営まれているというだけでは足りず、その形態が、健全な社会通念に基礎づけられた住所としての定常性を具備していることを要する」(二〇〇七年一月)と、公園での住民登録を認めなかった。
では、ネットカフェは「健全な社会通念に基礎づけられた住所としての定常性を具備している」と認められたのか。まったく不思議な現象が社会では起こっている。
ネットカフェの経営者は「住所がなく、就職活動ができない人を応援したい」と言う。本当に応援するなら、まともなアパートを低家賃で提供すればいいと思うが、こんな「ビジネス」が生まれてしまうのは、一つには、行政やわれわれ民間の「住所がなく、就職活動ができない人を応援」する態勢があまりに遅れているからだ。
しかし、この調子で住民登録するネットカフェが増殖すると、釜ヶ崎の「ドヤ」をも越える超「ケタ落ち」(ケタが落ちるほどひどい)「ドヤ街」が日本中に広がってしまう可能性すらある。

なお、この蕨市のネットカフェや、シリーズ「貧困 底流」の「3」で取り上げられた、野宿者に声をかけて「10畳のスペースに2段ベッドを並べ、14人が生活保護を」かけて、その保護費のかなりを受け取っている団体などについて、記事になるかなり前から記者から電話で話を聞いていた。「3」では次のようなぼくのコメントも載っている。「対価に見合っているか疑問だ。ただ、野宿者が生活保護を受けようとする際の敷居の高さ、不充分な自立支援策など、行政の安全網のほころびがある限り、こうした『サービス』は増え続けるだろう」。
ところで、その記事は、知り合いの労働者から掲載の次の日にコピーをもらって初めて知った。記者からは何も聞かなかったし、実はいまだに「コメントを載せました」の連絡も何もないんですけど! 

以下、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』から、住民登録問題の箇所を引用。

 ところで、野宿をしている人の法的な「住所」はどこになるのだろうか?
 テントで暮らしている人の場合、「居住実態」は当然公園にある。だが、行政は公園や路上に住所を置いた住民票の届けを受理することはない(一方、本籍地は「富士山山頂」でも「皇居」でも自由に届けることができる)。実は、住民票がないと、人は「運転免許の更新ができない」「日雇雇用保険手帳を作れない」「就職活動で住所欄に記入ができない」「年金の給付を受けられない」「銀行口座を持てない」「選挙権を持てない」「自転車の防犯登録ができない」など、様々な権利を失ってしまう。このため、ドヤや飯場を転々とする日雇労働者、ドヤにさえ泊まるお金のない野宿者のため、支援団体や支援者個人が自分の住所にその人たちの住民票を置き、郵便物や年金の手続きを手伝う活動をしてきた。
大阪市北区の扇町公園でテント生活をしていた山内さんも、支援団体「釜ヶ崎パトロールの会」のメンバーのアパートに住民票を置いていた。ところが、二〇〇四年二月、大阪府警はこの支援者を「居住の実態がないのに虚偽の記載をした」として逮捕した(不起訴処分)。実際には、下宿している大学生が住民票を実家に置いている場合など、住民票の住所が居住実態とちがうケースはいくらでもあるが、支援者がねらい打ちで逮捕されたのだ。
 逮捕を受け、区役所は山内さんの住民票を抹消した。別の人の住所に住民票を置くとその人がまた逮捕されかねないので、山内さんは実際に住んでいる扇町公園の住所で区役所に転入届を提出した。区役所はその届けの受理を拒否し、山内さんはこれを不服として提訴を行なった。その結果、大阪地裁は「生活の本拠がある限り、転居届の不受理は許されない」として公園に住民票を置くことを認める判決を下した(二〇〇六年一月)。しかし大阪市側は控訴し、大阪高裁は「『生活の本拠としての実体』があると認められるためには(…)単に一定の場所において日常生活が営まれているというだけでは足りず、その形態が、健全な社会通念に基礎づけられた住所としての定常性を具備していることを要する」として逆転敗訴を言い渡した(二〇〇七年一月)。
 ここでの根本的な疑問は、公園でも支援者宅でもダメと言うなら、山内さん(をはじめとする三万人の野宿者)の住民票は一体どこに置けばいいのかということである。二〇〇六年には、釜ヶ崎で日雇労働者・野宿者のために住所を設定してきた「釜ヶ崎解放会館」「ふるさとの家」「NPO釜ヶ崎」の三五〇〇人あまりの住民票が問題になった(失踪中の福岡県警の元警察官が「釜ヶ崎解放会館」にあった他人の住民票をネット上の裏取引で買い取り、別人になりすましていたことがきっかけ)。大阪市は「居住実態のない住民票を消除する」と宣告し、それに反対する運動団体による市役所前での野営闘争や座り込み、弁護士の反対声明などの反対運動にもかかわらず、二〇〇七年三月、大阪市は二〇八八人分の住民票の抹消を強行した。
 大阪市、大阪高裁の判断によれば、公園であれ支援者の住所であれ、野宿者は「住民票」を持つこと自体が許されないことになる。これは、ネットカフェ難民など「健全な社会通念に基礎づけられた住所としての定常性」を持てない多くの人々に将来波及してしまう可能性が高く、深刻な問題をはらんでいる。
なお、現在、徳島県那賀川町ではアザラシの「ナカちゃん」、富山県入善町ではダチョウの「善ちゃん」、三重県名張市では「怪人二〇面相」、愛媛県松山市では松山城天守閣の「チャチホコ」に特別住民票が発行されている。一言で言えば、行政にとって野宿者は「ダチョウ」や「シャチホコ」より気にかける価値のない存在なのである。


2008/4/13 今日の毎日新聞の記事

今日の毎日新聞の1面(!)に次の記事が出ている。

ホームレスに理解を 授業通して 教職員らが全国ネット

 大阪市や東京都などの教職員や支援者らが近く、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を設立する。若者による野宿生活者の襲撃事件が後を絶たないためで、全国で連携して教育現場から、若者の野宿生活者に対する偏見や差別をなくそうと声を上げる。
 近畿の学校で70回以上講演してきた「野宿者ネットワーク」 (大阪市)の生田武志代表(43)や東京都教員ら4人が呼び掛け、既に70人余りが賛同。今月中にもメーリングリストを開設して活動を始める。 「すべての学校でのホームレス問題の授業実践」などを文部科学省に要望するほか、模擬授業を公開するなどして各地の教育委員会にも働き掛ける。
 これまで、教育現場での取り組みは一部に限られてきた。川崎市はすべての市立学校に人権推進教育担当の教員を置き、道徳などの授業で野宿生活者を生む社会的背景や生活実態を教えるよう指導。大阪市や兵庫県姫路市も教職員向け冊子などを学校に配布している。しかし、川崎市教委指導課は「襲撃事件は確実に減っている」と話すものの、大阪市教委は「同和問題や在日外国人など、人権問題の課題設定は各校が判断する」としている。生田さんは「各地に関心を持っている人は多く、協力して学校現場での取り組みの充実を呼び掛けていきたい」と話している。
 野宿生活者を巡っては、姫路市で05年10月、少年4人が60歳の男性に火炎瓶を投げ込んで焼死させる事件などが起きている。
 【加藤小夜】

北村さんと共同代表だと言ったはずですが、ぼくだけ代表みたいになっている…
(参加者も70人じゃなくて、昨日の段階で85人だし)。
連絡先が出てないのが残念!
でも、記事で出るのはありがたいことです。


2008/4/10 「極限の貧困をどう伝えるか・講演資料」

極限の貧困をどう伝えるか
ここからもリンク。
(注、かなり画像が重い!)

反貧困ネットワーク主催の「反貧困フェスタ2008」での講演の資料解説をアップ。
この日の講演は、前半で野宿者問題の現状説明、後半で「貧困をどう伝えるか」について、資料を使っての説明だった。
全部で1時間だったのでかなり簡単な説明にしたが、ここではある程度詳しく資料を解説しています。


2008/4/5 「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」 参加へのお願い

「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」 参加へのお願い

 わたしたち「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」呼びかけ人は、これまで野宿者問題にかかわりながら、支援者、ジャーナリスト、学校教員等、それぞれの立場から、学校での「ホームレス問題の授業」に取りくんできた有志の集まりです。
 このたび、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を立ち上げるにあたって、広く、全国の皆さんのご参加を呼びかけます。

呼びかけ文

いま、日本各地で、子ども・若者たちによる野宿者への襲撃事件が起こっています。投石、エアガン・花火を打ちこむ、消火器を噴霧して投げこむ、ガソリンをかけて火を放つ、殴る・蹴るなどの暴行が、日常的に頻発しているのです。
 06年には、姫路市の中高生ら少年4人が、野宿者に火炎瓶を投げこんで焼死させるなど、被害者が「死」に至る事件も後をたちません。
 襲撃した少年たちは、「ホームレスは臭くて汚くて社会の役にたたない存在」「ゴミを掃除しただけ、大人は叱らないと思った」などと語っています。そこには、大人・社会の野宿者・貧困者への差別意識が、あからさまに反映されています。
 そして、子どもたちの野宿者襲撃には、「いじめ」問題との強い共通性があります。いま、多くの子どもたちが、学校、家庭、社会から「ありのままの自分」を認められず、仲間に対しても「過剰な同調」と「競争意識」を強いられ、そのストレスから「自分より弱い他者を攻撃すること」で、自分の存在・価値を実感しようとしています。子どもたちの「ホームレス」いじめも、まさに同じ背景・構造にあり、加害者自身が「自分を尊重され、他者を尊重できる」という、基本的な関係性が築けず、心理的に抑圧されています。
「ホーム・レス」を、安心できる「家や居場所がない状態」と捉えるなら、彼らもまた「心のホームレス」「関係のホームレス」であるといえるでしょう。
 また、多くの若者たちが、学校を出て働いても、満足な収入が得られないワーキングプアや、都合よく使い捨てられるフリーターになるという現実、さらに社会に出て働く意味そのものが感じられないという問題にも直面しています。「ネットカフェ難民」といわれる若年層の「ホームレス」化とともに、野宿者と若者たちの抱える貧困・労働問題は、もはや切りはなせない地続きのものとなっています。
 わたしたちは、「襲撃・いじめ」といった若者たちと野宿者の「最悪の出会い」を、希望ある「人と人としての出会い」へと転換していくために、襲撃問題を解決するための取りくみや、学校での「ホームレス問題の授業」を行ってきました。しかし「ホームレス問題の授業」の実践は、日本では、まだごく一部です。子どもたちが加害者となる残酷な襲撃・殺害事件が頻発しているなか、教育現場の対応は信じられないほど遅れています。
 襲撃問題の解決のために、野宿者をはじめ、子どもや若者たちが安心して生きていける社会の実現のために、「ホームレス問題」への理解と共感、あらゆる命・人権を尊重するための「授業の実践」を、至急、教育現場で展開していくことが必要です。
 わたしたちは、こうした問題に関心をもつ全国のみなさんと、授業の実践、情報交換、教材の開発、そして文部科学省・各地の教育委員会へ「学校でホームレス問題をおこなうこと」を求めていくために、つながり、力を合わせていきたいと願っています。ぜひ仲間に加わっていただけますよう、多くの方のご参加を呼びかけます。

「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」
呼びかけ人
  生田武志(野宿者ネットワーク)
  北村年子(フリージャーナリスト)
  清野賢司(東京都教員・NPO法人TENOHASHI事務局長)
  飯田基晴(ドキュメンタリー映画監督)

●「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」メーリングリストの開設を予定しています。ご参加希望は、氏名・所属等を明記の上、こちらのアドレスまで。    cex38710@syd.odn.ne.jp
※サイト「野宿者問題の授業を学校で行なっています」のメールでも送れます。
●連絡先:090−8795−9499(野宿者ネットワーク)


2008/4/2 「論座」5月号・「ゼロ年代の言論」

論座」の特集は「ゼロ年代の言論」。冒頭の鼎談では、「フリーターズフリー」創刊号責任編集の大澤信亮、「エクス・ポ」の佐々木敦、「思想地図」の東浩紀が出て、それぞれの雑誌や様々な問題について話し合っている。関心ある人は読んでみよう!
その他、執筆者何人かから「フリーターズフリー」に言及があり、鼎談で呼ばれていることといい、それなりに注目されているのかとは改めて思う。(しかし、それにしては実売2200部程度というのはどんなものなのか。こんなものなのか)。
ちなみに、岩波書店社長の山口昭男は「フリーターズフリー」について、「雑誌全体について言うと、中にはしっかりした議論もあるし、僕自身、勉強になる話もあったけど、概して、ブログやネットの書き込みを一冊にまとめたという感じがどうにも否めません。もう少し作りに工夫があってもよかったかなと思います」と言っている。だが、一般的なブログやネットの書き込みと「フリーターズフリー」の中身は全然ちがうのではないか(価値の問題ではなく、性質の問題として)。
中森明夫は「フリーターズフリー」について触れ、「フリーター≒ニート≒ホームレス」結末の「『フリーター・ニート・ホームレス』、この閉じられた『奇妙な』日本社会で生まれ続けた『奇妙な言葉』たち! しかし、われわれはこの閉じられた社会を『開き』、腐り朽ちた柵を打ち破るため、そこに新たな窓を開けるだろう」を引いて、
「端的に言って、私はこの一節に心を撃たれた。『彼らの言葉』『奇妙な言葉』を『わたしたちの言葉』として解放すること。こんな真率で切実な言葉の届き方は、既存の論壇誌ではありえない。「フリーターズフリー」は〃趣味〃の雑誌ではない。1970年代以後生まれの参加者が多数を占めるこの若い世代の雑誌の姿勢が、新鮮な驚きだった」と書いている。これはとてもうれしかったです。


2008/4/1 プアプア批評7

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)2008年春号に連載コラム「プアプア批評」の第7回を載せています。今回は、内田百閧フ『ノラや』やフロベールの「純な心」など、動物の出てくる小説についてなど。
なお、『ノラや』について、内田百閧フ反応について「薄気味悪いものがある」と書きましたが、ペットロスの症状として考えるとこの言い方は適切でありませんでした。とはいえ、内田百閧フ悲嘆ぶりは「病的なペットロス」(林良博『検証アニマルセラピー』)として考えなければならないとは思います。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。


2008/3/31 反貧困フェスタ2008



3月29日の反貧困ネットワーク主催・「反貧困フェスタ」に行ってきました。
「究極の貧困をどう伝えるか―経済の貧困と関係の貧困と」の講演と、「フリーターズフリー」のテント出店で書籍の販売。
いろんな人にお会いできました。
講演で配った資料は、近日アップ予定。

「近況12」

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