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2012/4/14 幾つかの演奏

電子ピアノで録音した曲を時々アップしていたけど、自分でもどこに置いてあるか、よくわからなくなってきた。なので、「幾つかの演奏」という形でページを作っておいた。トップページにリンクあり。
それで、これを機会にこの一年弱に録音したうち幾つかをピックアップした。一年でも結構な量を録音できるものです。


2012/4/7 入試に出る『貧困を考えよう』・収入の話

札幌学院大学から、今年の入試(小論文)で『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)を使用したので問題のコピーを送ります、と連絡があった。
「こどもの貧困」について、「こどもの里」がかかわった家族の野宿に関する事例などが載っている箇所。問題は、「これはどういう意味か、200字以内で説明せよ」「あなたはどのような対応が必要だと思うか、300字以内で意見を展開せよ」というもの。
去年も『貧困を考えよう』が大学入試問題で使われていたけど、受験という形でも、ああいう内容が読まれるのはありがたいと言えばありがたい。


人のブログなどを読んでいると、「この人、本とか音楽とかの話をよく書いてて優雅に暮らしてるみたいだけど、どうやって、どれぐらい収入があるんだろう?」と思うことがよくある。「年収7000万円」の社長さんのことがいま国会で問題になってるけど、まあ、誰でも関心のある問題だろう。
ぼく自身は、3月に確定申告で計算してみたところ、2011年の収入が200万を切っていた。所得税、市民税、国民健康保険などを払うと、おおよそ「生活保護水準」ということになる。
ぼくは、大学を出てから日雇の肉体労働だけで稼いでいた。釜ヶ崎での活動が最優先だったし、日雇の仕事はあったり少なかったりするので収入は一定しないが、なんとか借金しないで生活していくことはできた。また、山王こどもセンターのアルバイト(最低賃金程度)も、正規スタッフが足りないときに時々入るようになった。
その後、釜ヶ崎の特別清掃事業で、道路清掃などを登録者と一緒に行なう仕事に呼ばれ(これも位置づけは日雇労働)、何年か続けた。その後、いろいろあってそれを辞めたが、それからはこどもセンターのバイトの他、知り合いから声をかけられるアルバイト、原稿料、印税、授業・講演料で食いつないでいる。
そしてそのころ、「貧困」が社会問題になった。全国から講演やシンポジウムなどに呼ばれる機会が増えて、それだけでかなり忙しく動き回る状態になった。週に何度も飛行機に乗ったり新幹線に乗って会場に向かい、ホテルに泊まって、また別の講演場所に移動、という感じだ。ピアニストのラフマニノフやグールドが、コンサートで各地を移動し続け、緊張と不慣れな環境と、毎日「枕が変わって」心身が休まらない暮らしぶりを「ひどい生活だ」とこぼしているのを読んだことがあったが、それがどういうものか、はじめてわかった。
様々な地域の人や層の人たちに貧困や野宿の問題をわかりやすく伝わるように話すのは、かなりの責任と緊張を感じる仕事で、話し終わるとヘトヘトになる(遅刻は絶対できないから、行ったこともない目的地に、交通機関を乗り継いで時間までに必ず到着しなければならないことにもかなり神経を使う)。そのあと、たいてい打ち上げが数時間あって、深夜にホテルに入ってバッタリ寝る、みたいな生活だ。移動時間も含め、自分の時間というものがほとんど消えて、「文章をじっくり書けない」「電子ピアノにも触れない」など、日常的な習慣が成り立たなくなっていく。人気絶頂期のカーペンターズが、求められるまま世界各地でコンサートツアーを続けて、「こんな生活をしていると新曲を書くなんてことはできなくなります」とリチャード・カーペンターがインタビューで言っていた。もちろん忙しさの度はぼくとは全然ちがうだろうけど、それもよくわかった。
とはいえ、そのときも「こんなの、そんなに続くわけない」と思っていた。貧困が社会問題になったのはよいことだが、いわば世の中がマスコミを中心に、言葉は悪いが「貧困ブーム」になっていたのだ(以前、「ひきこもりブーム」があったように)。それが何年も何年も続くなんてことはありえない。事実、しばらくすると講演などのペースは落ちてきたが、決定的だったのは、やはり震災だ。これ以降、市民団体などの講演はほぼすべて「原発」それから「被災地支援」の問題になり、講演の話が一気に減った。
ぼく自身は、その分の時間ができたので、それで被災地に一週間単位で何度もボランティアに入れたので、それはそれでよかった。だが、組織ではなく個人のボランティアとして行ったので、交通費だけで10万円ぐらいかかり、去年の収入を考えるとかなり大きな負担にはなった。
収入が減ったらバイトをすればいいのだが、ややこしいのは、忙しいときは相変わらずすごく忙しいということだ。普段の活動(夜まわり、生活相談、居宅訪問、自分たちの主催する学習会、シンポジウムなど。これらはすべて無償)は当然、日常的にある。そして、どういうわけか11月は講演や授業に呼ばれる機会が多い時期で、去年も連日、場合によっては1日に2回あちこちに話に行っていた。そうなると、「山王こどもセンター」のバイトも「すみませんが、しばらく行けませんので」と断わらないといけない。そうすると、こどもセンターも穴を開けることはできないので、新規のバイトを募集する。こうして、ぼくが時間ができたときには、バイトのシフトはなくなっているということになる。勝手知ったるこどもセンターでもこんな感じだから、普通の常勤労働に入ることは現実的にかなり難しい。なので、今は、こどもセンターをはじめ、知り合いから単発で入るアルバイトなどに行っている状態だ。
書いた本が売れれば、当然収入になる。しかし、ぼくの本は、読んでくれた人には評判はいいが、そんなに売れない。『〈野宿者襲撃〉論』『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』は、この数年、印税が全然入っていない(『〈野宿者襲撃〉論』は去年、5000円ぐらい入ったかな?)。時間をかけて一生懸命本を書いても、時間給で考えると、下手すると「最低賃金以下」という感じだ。
しかし、去年の収入が200万円弱として、今年はどうなるのだろう。もっと厳しいかもしれない。ま、日雇のころからの貯金が多少あるし、収入が減ったと言ってもゼロではないから、ケガや病気なんかのトラブルがなければ、数年はやっていける。しかし、あらたな生活の手立てを考えなければいけない時期は近々来るだろう。ぼくの知り合いの活動している人たちもみんな生活に四苦八苦しながらもなんとかやっているのだから、ぼくもなんとかやっていけるだろう。
それにしても、多くの知り合いたちが、社会のために一生懸命活動しても貧乏生活をしている一方、「年収7000万円」のああいう社長さんたちがいる世の中っていうのはなんなんでしょうか。「格差社会」とかいう言葉以前のような気がするのだが。


2012/3/31 バルトークの「ミクロコスモス」第6巻

クラシックの世界では、ピアノを弾く学習者が必ず弾く曲集がある。ハノン、チェルニー(ツェルニー)、バイエル、ブルグミュラー、ソナチネアルバムなどだ。
ハノンは機械的な「指の体操」で、まんべんなく指を鍛える目的のために合理的に作られている。バイエル、ブルグミュラーは愛らしい小曲集、ソナチネアルバムはクレメンティ、ハイドン、モーツァルトなどの簡単なソナタ集で、弾いていてそれなりに楽しい。
一方、チェルニーは「100番」「110番」「24番」「30番」「40番」「50番」「60番」と大量の練習曲を書いているが、そのほとんどが「音楽的に無味乾燥」で、しかも技術的に面倒なものが多い。ピアノを弾く人の多くが、チェルニー練習曲の「つまらなさ」に苦しむ。実際、この練習曲を完全にやり通すことは、キャラが相当に「M」でないと不可能ではないかと思う。
もちろん、どんなジャンルでも「無味乾燥な練習に耐え続ける」ことが必要だ。だが、クラシックピアノの場合、本来「補助的」な存在のはずの練習曲が、ピアノを弾いている時間の大半を占めてしまうという「けったいな」事態がよく起こる。一方、ヴァイオリンやクラシックギターの場合、練習曲は数種類しかないし、楽器によっては練習曲自体がそもそも存在しない(岡田暁生『ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史』に詳しい)。つまり、クラシックピアノの教育慣習はかなりな程度、倒錯的なのだ。
また、昔、吉田秀和も書いていたが、チェルニーの練習曲は「ベートーヴェンを弾くため」に特化した曲集で、あれだけを弾いていても、バッハ(バロック)もシューマン(ロマン派)もドビュッシー(印象派)も弾けない。それだったら、「ピアノを弾く時間がいくらでもあります」という人は別として、チェルニーを弾く時間があれば直接ベートーヴェンを弾いた方がいいんじゃないか、ということになる。
ぼく自身は、高校までは普通に練習曲とかを弾いていたが、大学、そして釜ヶ崎に来てからは、そもそも電子ピアノもなかったので、10年以上ほとんどピアノを弾かなかった(土方仕事で指を痛めたし)。その後、電子ピアノを買って弾き始めたが、時間がそんなに取れるわけもないので、基本的に弾きたい曲だけ弾いている。
といっても、ある程度は「全般的な指の練習」も兼ねた方がいい。たとえば、古典〜ロマン派ばっかり弾いていると、「右手がメロディ、左手が伴奏」というパターンで左手がどんどん退化していってしまう。一方、たとえばサティばっかり弾いていると、今度は古典〜ロマン派の難しい曲が弾けなくなってしまう。
ぼくは一時期、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を2日かけて全曲弾いていた(1日目で前半、2日目で後半)。ポリフォニーなので左手と右手を同等に使うし、難しいアルペジオやスケールがぎっしり使われているので、音楽的にも指のコンディション維持にも「最高」に近い。繰り返し弾いていたので、この「主題と30の変奏」(ほぼCD一枚分)を知らない間に暗譜してしまった。とはいえ、同じ曲ばっかり弾いていると、新鮮な気持ちがだんだん消えていくので、精神的にあまりよくない。
その他、練習曲に使えるものとして、当然ショパンの「エチュード」がある。ぼくは作品10と25のうち作品10(「黒鍵」とか「別れの曲」とか「革命」が入っている方)を弾いた。だが、ショパンは相性が悪くて、マズルカぐらいしか繰り返し弾く気が起こらないので、もう弾かないと思う。
個別の曲では、ドビュッシーの「水の反映」「5本の指のためのエテュード」がスケールとアルペジオの練習にいいし、そもそも曲が好きなので、ときどき弾いている。あと、指慣らしとして、中学生の頃から「ブランデンブルク協奏曲」第5曲のカデンツァもよく弾いた。しかし、学習者用の曲集として、音楽的にもトップクラスのものがある。バルトークの「ミクロコスモス」だ(ウィキペディア)。
ここで書かれているように、全くの初心者の曲から始まり、難易度が上がって「第6巻」はコンサートでも弾かれる内容になる。そして、初心者向けの曲でも、「複調」「無調」「教会旋法」「半音階」「民族旋法」、「リズムと拍の多様性」「対位法」「変奏」など、当時の現代音楽を含む多様な音楽語法が盛り込まれている。
以前、チェンバロを習っているとき、この「5巻」と「6巻」を全曲弾いた。ドレイフュスのチェンパロによる「ミクロコスモス」(CD一枚)を聞いたのがきっかけだったが、チェンパロの不協和音はバルトークと奇妙に合致してすごくおもしろかった(バルトークはそんなこと想定してなかっただろうが)。
それから何年も弾いていなかったけど、今度、電子ピアノで「6巻」全曲をあらためて弾いて録音してみた。そもそも、なぜだか「ミクロコスモス」の録音は数種しかない(「ゴルトベルク変奏曲」やショパンの「エチュード」はあんなにあるのに)。しかも、全巻収めたものが多く、「5巻」あるいは「6巻」だけのCDは見あたらないようだ(ぼくはコチシュで全巻を聞いたが、「4巻」までは曲が簡単なので、聞いててもさすがに退屈する)。
しかし、この曲を弾く人はそこそこいるはずだ。なので、一つの参考に録音したものをこのページにアップしておいた。


2012/3/29 ネズミとの戦い

以前も書いたけど、うちの部屋は数年おきにダニ、ノミ、南京虫が大量発生してきた。それは全部、釜ヶ崎の越冬や野営闘争などで服にくっついて持ち帰ったもの。服をはたいても、どうしてもくっついて、それがだんだん繁殖していくわけだ。大量発生してから、そのたびに大掃除したり薬品を散布したりと大変な苦労していた。そして、今回、ついに「ヤツら」がやってきた。
1月のある日、夜中になんかカサコソ物音がする。ゴキブリかなあ、とゴキブリ駆除剤を置いたりしていたが、なんだかカサコソの音量がちがう。そして、台所でだけ音がしていたのが、寝ている部屋の机の裏などを駆け回る音が聞こえてきた。
そして、深夜に物音で寝られないので、3時に起き出してまわりを調べていると、頭上の出っ張りから「ヤツ」がジャンプして、髪をかすって逃げていった。
うちのアパートでは20年前から屋根裏で「運動会」が行なわれていたが、ついに部屋への入口を作り出したらしい。それ以来、朝起きると、パンが食われ、粉チーズは容器ごとかじられ、レトルトのホワイトソース(匂いしないはずなのに)に穴を開けられ、石けんがかじられていた。夜中にときどき「チュッ」と鳴いているし、おまけに、よく見ると部屋の奥にフンが点々と転がっている…
一番早いのは出入り口をふさぐことだ。だが、冷蔵庫や棚を動かして探したが、なぜか見つからない。ヤツらは1pの隙間があれば出入りできるということで、出入り口を見つけるのは予想以上に困難だ(ウチは戦前から建っている木造アパート)。
とりあえず、食料品はすべて箱に入れて、対策を考えた。考えた末(音波発信器、とりもち等々)、最終的に毒餌を試した。最初は安い大きな餌を使ったが、まったくかじる様子がない。そこで、「こぶり」で「効く」とアマゾンなどで評判の餌を置いてみた。すると、2〜3日たつと、ぱったり深夜の物音がなくなった。これで退治に成功したようだ。
安心して寝ていたが、1ヶ月ほどすると、また深夜のガサコソ音が始まった。以前とは別のネズミやってきているらしい。毒餌をまくと、2〜3日たって姿を消すという事態が続いている。とはいえ、夜は物音でどうしても起こされるので、その間は耳栓をして寝ている。
そして今回、3日前からまたまたヤツらが現われ始め、うっかり置いてた食パンを見事に食い荒らされた。ネズミとの戦いは当分続く…


2012/3/26 近況

●2月10日のところでアップした「すばらしい日々」は思ったより聴かれてた(現在135回)。確かに、聴いてると気持ちのいい曲だよね。
近々、もっと規模の大きい音源をアップする予定。

●きのう、テレビ朝日の「スーパーJチャンネル」で西成特区問題の特集。ぼくも少し話してます。(用事で外に出てて、まだ見てないです)。

●まだまったく書いてない原稿の告知が出ている…。そろそろ書き始めようか。

しばらく前から、「kindle keyboard」(kinlde3)で本を読んでいる。タブレットで本を読むのは、最初、意外に違和感が強かった。電子インクの画面の読みやすさは問題ない。だけど、もの心ついた頃からずーっと紙の本を読んでいたので、「紙の厚み」や「ページの概念」がない読書はなんとなく奇妙な感じがする。ボリュームの大きい本でも「かさばらない」のは大きな利点だけど、軽い文庫やペーパーバックなら、そっちの方が読みやすいのではないだろうか。
とはいえ、「英辞郎」をインストールして、カーソルを単語に合わせれば意味が出てくるのは本当に便利。これで、辞書を調べたり、電子辞書のキーボードを打つ手間がなくなった。英語(外国語)を読むなら、もう電子書籍がダントツの第一候補になった。逆に、日本語なら、重い本でなければ、Kindleでなくて普通の本でいいと思う。
Kindleで予想してなかったのは、楽譜をPDFファイルで入れておくと「楽譜ビューア」として使えることだ。画面が小さいけど、弾いたことのある曲なら、譜面台に置いて十分に使える。よく、コピーした楽譜の束を持ち歩いてたけど、Kindleを買ったらそれも必要なくなった。これはとっても便利。
あと、いまさらながら、古典(翻訳や楽譜も含め)がすべてKindleで無料で読めるのは本当にすごい。われわれは、著作権が切れた作品も、基本的には本屋で買わなければ読むことが難しかったけど、古典の公開と読みやすい読書デバイスの開発で、それがすべて無料で(しかも、部屋から出ずに)普通に読めるようになったわけだ。
とはいえ、今は有料の「ENDGAME」を読んでいる。いま、15歳のボビー・フィッシャーが23歳のタリと闘っているところ。棋譜は一切ないけど、伝記的情報は非常に豊富。将棋ファンが升田幸三、クラシック音楽ファンがグールド、哲学マニアがウィトゲンシュタインの伝記を読んだらきっとおもろしくてたまらないように、この本はすごくおもしろいです。


2012/3/2 西成特区や襲撃の記事など

再びカゼをひいて寝込むハメに。この冬3回目で、こんなハイペースでカゼをひくのは生まれて初めて。すごく寒かったのも関係あるのか。いろんな作業が進まず、ホントに困る(生活相談があるので、役所に同行したりはしているが…)。
ただ、「偽物語」「夏目友人帳」「あの夏で待ってる」など録りためたアニメが見られるのはうれしい。

○2月25日、朝日放送の「キャスト」で西成特区問題でインタビューがあり、夕方に放送。録画したけどまだ見てません。この問題でのテレビ取材はこれで3つ目。

○2月24日の東京新聞の記事「「西成特区」構想 橋下市長が意欲「ワーストの町」脱却を」でインタビューに答えた。東京新聞のサイトでは全文は有料だけど、こちらに全文コピーされてた。新聞も送ってもらってます。

○広島県福山市で小学生たちによる襲撃があり、記事にするのでコメントを、という電話があり、しばらく話した。中国新聞の記事

『ホームレスと社会』に、中学校の釜ヶ崎への研修旅行についての記事を書いてます。

福祉のひろば」の連載で、西成特区問題について書いてます。


2012/2/10 「自分の葬式の音楽」その3

1月末に「フリーターズフリー」の税務書類を書き上げ、2月になって野宿者ネットワークのニュースの発行・印刷作業でてんてこ舞いになった。それが「やっと終わったあ」と思ったその晩から気分が悪くなって、まる6日間、熱を出して寝込み続けた。やるべき作業が何も進まない。年末もカゼをひいて寝込んだし、この冬は体に来てます。
カゼをひくと、寝ながらDVDを見ていることが多い。今回は、アニメの「巌窟王」と「蟲師」をずっと見ていた。「蟲師」もよかったけど、「巌窟王」のかっこよさにはしびれました。
どっちもアメリカのアマゾンで買ったリージョン1のDVD。リージョンフリーのDVDプレーヤーがあれば普通に見られる。円高もあって冗談みたいに安く、「巌窟王」は1800円代、「蟲師」は1600円代だ(送料込み)。日本の価格の10分の1以下! もう、レンタルで借りるより安いです。本といい、アメリカとのこの価格差は何なんでしょうか。

▼寝込んでる間に、1月26日のところで触れた東京都江東区の強制排除(行政代執行)がとうとう行なわれた。こちらに詳しい報告がある。
江東区の対応は非常に問題あるもので、そもそも今後の問題解決を自ら遠のけたと思う。特に、当事者に対する仕打ちはひどすぎはしないか。襲撃と排除は大阪でもどこでも常に問題だが、今回の行政代執行は、その暴挙ぶりがショッキングだ。
これは一般論だが、野宿している人には、「生活保護で人のお世話になるよりは、アルミ缶集めで自力ががんばりたい」と言う人が多い。そういう、ある意味「自立」している人を、無理やりに施設やアパートに入れることがベストだとはどうにも思えない。その姿勢を尊重しながら関わり続けて、機会があれば生活保護や施設を紹介して、そこからもできる限りつきあい続けていくのが「当たり前」というか、目指すべき方法だと思うんだが。
しかし、区民からの問い合わせに対し、江東区の担当者は「工事後は公園の野宿者をゼロにする」と回答したそうだから、そういう発想は全然ないんだろう。

▼「自分の葬式の音楽」とその「続き」で書いたけど、自分の葬式に使う予定の音楽に、中川俊郎の「ひまわり」とラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を録音してアップした。その続きで、奥田民生(作曲)+矢野顕子(アレンジ)の「すばらしい日々」を弾いた。
これは、ユニコーン時代の奥田民生が作曲したのを、矢野顕子が編曲したもの。ほとんど全然別の曲にまで徹底的に改変しているのに、その切実さが本当によく生かされている。ラストにかけてピアノが盛りあがる構成で、矢野顕子の中でも「夢のヒヨコ」と並んで特に好きなナンバー。少し切り詰めたソロピアノバージョン(それでも8分弱)の楽譜を手にいれて、それに手を加えて弾いている。
曲の歌詞はこう。
「僕らは離ればなれ/たまに会っても会話がない/一緒にいたいけれど/とにかく時間がない/人がいないとこに行こう/休みがとれたら/いつの間にか僕らも/若いつもりが歳をとった/暗い話にばかり/やたら詳しくなったもんだ/それぞれ二人忙しく汗かいて/素晴らしい日々だ/力溢れ全てを捨てて僕は生きてる/君は僕を忘れるから/その頃にはすぐに君に会いに行ける/懐かしい歌も笑い顔も/全てを捨てて僕は生きてる/それでも君を思い出せば/そんなときは何もせずに眠る眠る/朝も夜も歌いながら/ときどきはぼんやり考える/君は僕を忘れるから/そうすればもうすぐに君に会いに行ける」
これは「別れの曲」の一つだ。なので、お葬式のどこかの場面で使うと実にいいんじゃないだろうか。「実用音楽」の一種ですね。



これは「soundcloud」というドイツの音楽配信サービスで、ファイルのサイズに関係なく、2時間分は無料で誰でもアップできる(ようだ)。ここでは可逆圧縮のFLACファイルでアップしている。
(音質はMP3よりいいはずだけど、聴いてみると、気のせいかフォルテが効いてない感じがする。少しダイナミックが圧縮されているような…)。


2012/1/31 「生活保護当事者の声を聞く」「知っていますか?子どもの貧困」

自分たちが主催したシンポジウムや学習会については、ついついここで書くのを忘れてしまう。たまには書いておかないと。

2012年1月22日(日)※ 連続座談会第13弾「生活保護当事者の声を聞く」
(ワード文書。画像に変換してアップするのが厄介だったもので)

母子家庭で生活保護を受給している世帯は多いが、この「保護者団」は、数人(7人だっけ。今回の参加者は3人)が保護者グループとして子育てに参加して、フリースクールの保護者会などにも交代で参加している。また、路上でのバザーなどで子育てに関する費用も工夫しながら捻出している。そのあたりの生活のようすの話をうかがった。
家族に対するオルタナティヴな試みの一つだと思うけど、創造性豊かな社会関係作りが印象的だった。母子家庭には経済的な貧困問題がつきまとうが、貧困や様々な生きづらさの中、どのように希望を持って生きていくことができるかということを考えさせられる内容でした。

2012年1月29日・子どもの貧困を考えるシンポジウム
(こちらもワード文書)

こちらは、埼玉や東京からもシンポジストを招いての大規模なシンポジウム。ぼくも企画者の一人として、趣旨説明を行ないました。
釜ヶ崎や母子家庭でこどもに係わる人間にとっては「こどもの貧困」は常に大きな問題だけど、ここ10年で明らかにそれが社会全体に一般化した。
大阪ではこうしたシンポジウムはたぶん初めて。大阪での学校現場での取り組みの報告も聞き応えがあったし、近畿圏で20代の人たちによって取りくまれている教育クーポンや無料朝食、学習支援などの報告も新鮮だった。
「当事者の声」として、春日丘高校定時制の生徒が発言してくれた。高校受験や、大学進学のとき、経済的な支援が少ないために、希望の進路に進むことが非常に困難な問題を、緊張しながらもわかりやすく話してくれた。
この生徒には、ぼくが春日丘高校の先生を通じて、話をしてくれるようにお願いした。負担の多い当事者としての発言を担ってくれて、本当にありがたかった。その話は参加者の多くに印象深かったようで、シンポジストからその発言が何度も引用されていた。


2012/1/26 「西成区特区」構想と江東区の襲撃・排除問題

今年に入って、橋下徹市長が「僕が市長兼西成区長を務めて、特区を引っ張る」と、西成区を「直轄区」とする案を公表した。
「西成を変えることが大阪を変える第一歩。責任者は僕がやるのが筋かと思う」「西成区については、お金と人を使って、とことん政治の力を注入しないと街なんて簡単には変わらない」と言っている(区長兼務の案は、地方自治法の「普通地方公共団体の長は、常勤職員と兼ねることができない」という規定に抵触することが分かり、撤回)。
その後、西成区の一部地域で、大阪府外から転入するすべての子育て世帯の市民税などを一定期間ゼロにする、子どもが私立の小中学校に通う場合は助成措置を実施する、保育所など子育て施設を拡充するなどの方針を出している。
もちろんこの背景には、「あいりん地区」(釜ヶ崎より広い範囲を指す)でほぼ「3人に1人」が受給者となり、それが西成区全体の受給率「人口約12万のうち2万8442人」(受給率23.5%)を引き上げているということ、さらに、西成区の65歳以上の人の割合が34.5%、65歳以上の単身世帯の割合が30.6%と大阪市24区で最高であること、さらには不法投棄ゴミや覚醒剤の売買問題も、他の地域と比べて突出しているという問題がある。
この件で、西成区というか釜ヶ崎があらためて注目されたらしく、21日と25日、テレビ番組の依頼で釜ヶ崎を案内して、特区構想についての考えを話した。(それぞれ、22日のテレビ朝日「報道ステーションSUNDAY」と26日の毎日放送「VOICE」で放送)。録画はしてるけど、自分が出ている番組は、見ると決まって憂鬱になるのでまだ見てないです(内容チェックのため、見ないといけないのだが…)。
特区構想については、釜ヶ崎の根本問題は「日雇労働」という「不安定雇用」と「貧困「野宿」にあるので、そこに手をつけない限りほとんど意味がないということに尽きる。とりあえず、一番現実的で効果的な対策としては、生活保護受給者の社会的孤立の解決、そして雇用の確保という意味で、現在も釜ヶ崎で行なわれている「公的就労の拡大」があると思う。この点については、以前に、ここの「11月9日」「12月13日」のところに詳しく書いたので参照してください。

東京都江東区で野宿者への襲撃が続き、強制排除の動きが強まっているということで、それに対する抗議活動が継続して行なわれている。
22日には、「野宿者強制排除と襲撃を許さない江東デモ」が行なわれた。この日は大阪で学習会を主催していたので行けなかったが、集会のアピールを求められたので、メールで書いて送り、それが山谷ブログ-野宿者・失業者運動報告に載っている。
野宿の現場では、「健康」問題と並んで、「襲撃」と「排除」の問題が本当に頭が痛いです。ここで触れている「江東区の教育委員会や土木部、総務部との話し合い」の報告はまだ公開されてないよう。なので、あまり触れられないけど、本当にビックリもので、これを読んだ人どうしで「こんなにひどかったら、まともな話し合いに到底ならないなあ」と言い合った。
江東区は、いままで野宿や貧困問題があまりトピックにならなかった地域らしく、それもあって、こうした問題に異常に無理解な役所の人が多いのかもしれない。関西でも地方(奈良とか和歌山)の役所で、相談に来た失業者を、「家がないと生活保護は受けられません」と、普通に法律違反の「水際作戦」で追い返すことがよくあるらしく、その人たちからの相談がこちらにときどき入るけど、それと似ているのかもしれないと思う。


2012/1/11 セロニアス・モンクのようにバッハを弾けるか

前にも書いたけど、電子ピアノをオーディオインターフェィスでPC録音するのを始めてから、ピアノを弾くのがおもしろくなって、いろいろ練習している。弾いてはその録音をチェックして、アーティキュレーションやフレージングの不自然さ、テンポの揺れ、打鍵の硬さなどを矯正する作業を続けている。
これは要するに磨き上げ作業、いわば洗練化だ。実際、そうしないと、そのままでは「聴けたものじゃない」から仕方がない。ただ、そういう作業をひたすらしていると、一方でだんだん「違う方向があるんじゃないか」という気もしてくる。
これは、「録音すると、ノーミスで演奏するのに気を取られて演奏に活気がなくなる」という、よくある話でもない(それもあるけど)。不自然さを取りのぞく洗練作業を続けていくと、だんだん結論というか出口が狭くなって、演奏が不自由になっていく気がするということだ。
ある意味では、クラシックのピアノ弾きは、プロもアマもほぼ全員、こういう作業(洗練化)を日々続けている。「ある一定の方向へ向かってみんなが走っている」ような感じで、やってることは、みんなそんなに変わらない。「1日練習を休むと自分がわかり、2日休むと周囲がわかり、3日休むとみんながわかる」という、この業界ではよく言われる言葉があるけど、プロのピアニストなら、その多くが休むことなく1日5〜6時間以上かけて、ひたすら自分の演奏の精度をあげ、表現を磨き続けている。その中で、たとえば陸上でボルトとかブブカみたいな「超人」がときたま出現するように、ピアニストではホロヴィッツとかアルゲリッチ、グールドみたいな化け物が時々出てくる。
例えば、ショパンの「エテュード」に代表される70年代のポリーニは、ピアニストにとって一つの極限で、多くの人が「このように弾けたら」と考えた。ポリーニの衝撃の一つは、楽譜の「再現能力」の圧倒的な高さだったと思う。ケタ外れな精度で、複雑な音符が一音一音エッジの効いたタッチで弾き上げられ、歪みなく組み建てられた建築物のように音楽の全体像がくっきり浮かび上がってくる。それは音楽の「解釈」「表現」というより、曲そのものの「構造美」と言った方がいいものだ。そんな演奏を実現できるピアニストは、当時のポリーニしかいなかった。実際、ポリーニのあとで別のピアニストの演奏を聴くと、「再現能力の低さを『表現』と言ってごまかしてるだけじゃないの?」という気がしてくるほどだ。もちろん、実際にはそんなことはないんだけど、そう思わせるぐらい当時のポリーニは別次元に精緻な演奏を繰り広げたピアニストだった。
しかし、他の人ががんばって追いかけても絶対にポリーニにはなれない。理由の一つは、ポリーニの「再現」能力の高さと同時に、それに相反するように、ポリーニが「表現」能力に関して信じられないほど欠落しているピアニストでもあるからだ。『エテュード』のように技術面が優先される音楽での相性はピカ一だけど、ある種のリズムや和声の色彩、ポリフォニーについての感覚は(やはりショパン弾きとして評価されているホロヴィッツやカツァリスと比べると一目瞭然だが)びっくりするぐらい機能していない。そして、その普通とは思えない音楽的「欠落」が、冷徹な構造美を描き出す特性と一体化していたという面がある。その意味で、ポリーニの演奏はある種の「アウトサイダー・アート」と近いとさえ言えるかもしれない。
だから、他の人がマネしようとしても、良くも悪くもポリーニにはなれない(ある時期以降のポリーニ自身、ほとんど別人になっている)。もちろん、ホロヴィッツにもアルゲリッチにもグールドにもなれない。ホロヴィッツもアルゲリッチもグールドも、ポリーニとは違った性質で、極端な「欠落」と「過剰」をそれぞれ抱え込んでいる。そして、こういう「お化け」演奏家の一方で、多くのピアニストは、そのお化けの「魔」の部分を抜かして追いかけているという面もある。
「いろんな顔を合成していくと、だんだんみんなが評価する均整のとれた美人になります」という話があるけど、多くのピアニストはいろんなピアニストを参考に自分の演奏を磨きながら、「みんなが評価する均整のとれた美」しい、つまり「化け」てない(マジックのない)、そこそこ「美しい」演奏を作っていく傾向がある。そして、この点は、プロもアマも多くはそれほど変わりないのではないだろか。もちろん、ぼくのようなアマチュアとプロとでは技量が全然違うのは当たり前だ。だが、『カラマーゾフの兄弟』でアリョーシャがイワンに言っているように、「ぼくはいちばん低いところにいて、兄さんはもっと上の十三段目あたりにいるけど、同じ階段にいることでは違いないんです」。だが、その階段とは別に進む方向もあるのではないだろうか。

たとえばジャズピアノは、クラシックピアノと同じ楽器を弾いているのに、あまり交流のないジャンルだ。もちろん、古くはホロヴィッツがアート・テイタムを聞いて感嘆した話があるし、グルダやプレヴィンなどはプロとしてジャズを弾いている(最近のピアニストはもっと多いだろう)。しかし、そのスタイルは、例えばビル・エヴァンスやキース・ジャレットではあっても、決してセロニアス・モンクやセシル・テイラーではない。
セロニアス・モンクについて、岡田暁生の『音楽の聴き方』 (中公新書)にこういう文章がある。
「ドタ足で行儀悪くペタペタと歩くような右手のタッチは、少なくともクラシックの常識からすれば、いかにもたどたどしく拙い。ジャズ・ファンにはおなじみの、モンクの好きな下降する全音音階のパッセージでは、何度弾いても指がもつれる。左手のブギウギ風のリズムは貧乏ゆすりをしているみたいだし、おまけに突拍子もないところで急停車/急発進を繰り返すものだから、リズムは奇妙にひきつって、まるで『どこかの少しいかれたおじさん』が弾いているようだ」。
こんな感じでクラシックのピアノを弾く人は、(こども以外は)まずいない。
「にもかかわらず、この演奏がひとたび鳴り響き始めるやいなや、すべての音が強烈な生命力をもって聴く者の耳に焼きつけられるのである」。
岡田暁生がいろんな場でこの演奏を聴かせて、例外的に2回拒否反応にあったが、それはどちらもクラシックのピアノの先生の集まりだったそうだ。
これはアルバム『ソロ・モンク』の「モンクス・ポイント」の演奏についての文章だ。この間、この『ソロ・モンク』を初めて聞いて、「同じソロでも「セロニアス・ヒムセルフ」とは大分違うけど、やっぱりモンクは普通じゃないよなあ」と思いながら、「モンクのスタイルでバッハを弾いたらどうなるのかな?」と思いついた。たとえば、クラシックの奥義みたいな「フーガの技法」をモンクのように弾いたら、もしかして成立するのではないだろうか。
もちちん、「ポリーニのように弾く」ことが意味がなく不可能なように、「モンクのように弾く」のも同じだ。ただ、モンクをヒントに、ある種の奏法を考えることができるかもしれない。
具体的には、手法としてこういうことが考えられる。
「フーガのテーマは(こどもが時々やるように)一本指で弾く。もちろん、声部が増えると不可能になるが、なるべく一本指でやってるように弾く」
「メロディは『輪郭を描く』のではなく、音を一つ一つ(いわば)壁にぶつけるように弾く」
「フレージングやアーティキュレーション、テンポの揺れ、打鍵の硬さは不自然であっても直さず、むしろ活用する」
もちろん、これはクラシックでは一般に真っ先に排除される弾き方だ。だが、たとえばバルトークは二〇世紀前半にこうした奏法を作品として織り込んでいたのかもしれない。バルトークのいくつかのピアノ作品の、拳でたたきつけるような不協和音の連打、和声の濁りを全然構わないペダルの長い踏み込み、断片的なリズム構成は、クラシカルなピアノ奏法ではとても考えられない。バルトークを何曲か弾くと、「ふだん使わない筋力を使った」ような感覚を持つが、これは、古典的なピアノ奏法が演奏能力のかなり限られたものしか使っていないということを意味する。その一方で、バルトークのこうした作品を弾いていると、何かから解放されたような「気持よさ」を感じるが、多分それはぼくだけではないだろう。例として、「ミクロコスモス」144番の『オスティナート』を挙げる(これはぼくの演奏)。
ともあれ、この方針で「フーガの技法」の第1曲「Contrapunctus 1」をしばらく練習してみた。
この曲は、例えばこのように弾かれている。これはこれで素敵な演奏だ。
こちらは、ぼくが弾いたもの。これ、どうなんだろう。少なくとも、結果としては全然モンクっぽくない。いま聴いてみると、おもしろい線をたどっていたのに、クラシカルな枠に収まっているようでもある。「あんまりやると、バッハじゃなくなる」という怖れがあるわけだけど、でも、この方向でもっと先に行くこともできそうだ。
ともあれ、こうして聴いていると、「もっとちがう演奏ができるはずだ。もう少し弾いてみよう」という気になってくる。普通に弾いていると、結論というか出口が大体見えて、「こんなもんでいいだろう」と思ってしまうものなんだけどね。


2012/1/3 「現代詩手帖特集版 シモーヌ・ヴェイユ」など

12月31日は(毎週土曜日の)夜回り、1月1日は公園でもちつき大会と、例年通りの越冬活動をしていますが、
今日、「現代詩手帖」のシモーヌ・ヴェイユ特集が届いた。ぼくも、「拒食するシモーヌ・ヴェイユ その食生活の一断面」と、最首悟さん、川本隆史さん、今村純子さんとのシンポジウム「シモーヌ・ヴェイユと〈いま・ここ〉」に出てます。
シモーヌ・ヴェイユについて書くのは「シモーヌ・ヴェイユのために」(「群像」2001年3月号)以来。こういう内容のことをシモーヌ・ヴェイユについて書いた人はいないのかもしれない(だとすれば、なぜだろう)。「これをシモーヌ・ヴェイユが読んだら(←ありえないけど)ショックを受けるだろうなあ」という緊張を背負いながら書いてました。
本が出るのが予定より遅れたので、書いたのもしばらく前。「フリーターズフリー」についての言及など、今だったら書き換える内容だけど、仕方ないのでそのままにしてます。
シンポジウムについては、たとえば川本さんからぼくに「生田さん、どのように読み解かれるでしょうか」とふられたところで、どう答えるかちょっと考えていると、最首さんが「私の方が先に(笑)」と話され、結局答えずじまいになるとか、情けなくて笑ってしまうところが結構あります。

▼音楽の話を幾つか。
最近一番驚いたサイトが「ScorSer」。フリーの楽譜はいろいろあるけど、ここを探してみると、ラッヘンマン、リーム、ファーニホー、ブーレーズ、あるいはヴァレーズ、アイヴズ、ウェーベルン、シェルシ、あげくの果てにはソラブジ、藤倉大の楽譜がザクザク出てきた。完全にコピーライト違反と思うけど、スコアを見たときは思わず感激。ロシアのサイトらしいけど、誰がどうやって運営してるんだ?これ。

ずっと読んできた『Rest is Noise』をようやく読み終える。アレックス・ロスのこの本は20世紀を語る音楽』の原書で、本文だけで600ページの大著。
二〇世紀音楽の作曲家の列伝、通史として抜群によくできたおもしろい本で、ぼくは現代音楽関係の本はよく読んでる方だけど、何度も「こんな話(トリビア)初めて知った!」とびっくりした。
曲の内容に関しては、たとえばベルクの『ヴォツェック』第一幕で、ドクトルが短いアリアを歌うが、そこの一節にはシェークベルクの『オーケストラのための5つの小品』からの引用があるという。そして、ドクトルが登場するときのバスラインは「A」→「Es」と動く。これはアルノルト・シェークベルクのイニシャルにあたる。これに対して、ヴォツェックは「B」→「A」の音で答える。これはアルバン・ベルクのイニシャルにあたる。つまり、ベルクはシェークベルクとの関係を、ドクトルとヴォツェックに投影している可能性があるという。ベルクとシェークベルクの師弟関係の複雑さについてはこの本にいろいろ書かれているが、その上でこの話を聞くと、「確かにそうかも」とも思う。
本に出てくる作曲家はだいたい作品を聞いているけど、アメリカ音楽の歴史がかなり詳しく、たとえばアメリカ音楽のある時期の前衛としてのラグルスなどについては、この本で初めてある程度の情報を知った。ジャズについては、デューク・エリントンについて詳しく、Black Brown & Beige」もこの本で関心を持ってアルバムを聞いた。こんなふうに、この本を読むと、いくつもCDや楽譜を探し出して聞いたり弾いたりすることになる(例えば、アルヴォ・ペルトの「アリーナのために」)。
60年代以降のロックやジャズ、あるいはヒップホップなどについても現代音楽との影響関係(たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケールの経歴が代表的)をかなり突っ込んで書いている。ただし、JAZZANOVAなどのクラブジャズは完全に無視。2000年代はジャズよりクラブジャズの方が相対的に冴えてたと思うけど。副題が「Listening to the Twentieth Century」だから仕方ないのかとも思ったが、その割にはスフィアン・スティーヴンスには触れているのにovalは挙がってないとか、そこは突っ込みどころが幾つかある。
ミニマリズムなどの前衛とロックの融合の例として、この本ではソニック・ユースがたびたび挙げられている。ソニック・ユースをよく聞いた90年代前半は、むしろ「ジャズのイディオムを消化した前衛ロックバンド」という印象が個人的には強かった(一番好きなアルバムは、変なポップ色の「Goo」)。確かに今から思えば、ソニック・ユースはポップ、ジャズ、前衛を一挙に音楽化した希有なバンドなのだと思う。
なお、この本は翻訳された上下巻が合わせて8190円で、ぼくの買った大型ペーパーバックは2100円だった(厚み5.5p、重量930g。寝ながら読むのが大変だった。KINDLE版があればよかった…)。小さい版のペーパーバックだと1400円以下。すごい価格差だ。「貧乏人は原書を読みな!」ということなんですね。
いま、ロックウッドの「Beethoven: The Music And The Life 」を読んでるけど、これは1700円だったが、翻訳本は9450円。なんでこんなに違うんだろう。訳書と原書で値段がそんなに変わらなかったら、訳で読むのに。未翻訳本は原語で読むモチベーションになるけど、貧乏人にとっては、こういう異常な価格差も十分なモチベーションになります。


2011/12/13 人民新聞のインタビュー「生活保護受給者、過去最多」(再現)

11月27日のところで書いたように、人民新聞11月25日号の「生活保護受給者、過去最多」についてのインタビューに答えた(インタビュアーは、「フリーターズフリー」などで一緒に活動していて、いま人民新聞編集部の栗田さん)。
人民新聞に載ったのは実際に話した1〜2時間分の一部だったので、ここではインタビューの内容をもう少し詳しく書いておく。

―生活保護受給者急増とマスコミは喧伝していますが、路上生活者からの申請者数は今なお急増しているのでしょうか?

2008〜09年にかけて派遣村が作られ、その後2009年に厚生労働省からの通達があり、「たとえ稼働能力があっても困窮していれば生活保護受給ができる」ようになりました。その後、野宿の現場の他にも、電話での生活保護申請の相談も毎週のようにありました。しかし、今年になってそのピークは越えたと思います。
ちなみに、その頃は、西成区などではウソみたいに生活保護が通りやすかった。水際作戦が「手のひらを返した」感じです。不正受給についていろいろ言われていますが、あれは、役所のチェックがいい加減だった事が大きいと思います。でも、不正受給より、補足率が他の国と比べてずっと低いことの方が問題ですよね。

―大阪の生活保護予算の内訳の半数以上は医療扶助です。稼働年齢層の増加も目立ちますが、病気の人が多く働けないわけですよね?

高齢者も多いし、病気を抱えている人は多いです。医療扶助が生活保護費の半分なので、医療に関する貧困ビジネスがはびこっています。安田病院とか、最近の山本病院とかがいい例です。
 いま広がっているのは「過剰投薬」かもしれません。生活保護受給者に対して、価な投薬をする方法ですが、山本病院などであったように、本当は必要のない投薬を大量に行なっています。レセプトの矛盾であれば発見されるでしょうが、単なる「過剰投薬」は発見されにくいですよね。
ぼくの知り合いで、本人が知らないうちに医者が「統合失調症」などいろいろな薬の処方箋を出していて、本人の知らないうちにその薬が薬局から第三者に出されていたというケースもありました。病院と悪徳団体がグルになっている可能性が高いです。

―実際に支援する際には生活保護だけではまずい、と考えていらっしゃるのですよね?

生活保護は素晴らしい制度なんですが、一方で、社会的孤立を作りやすい制度でもあります。ぼくのいる野宿者ネットワークでは、生活保護で入ったアパートを訪ねて話を聞く訪問活動や、ボランティアと当事者が集まって食事やレクリエーションをする「寄り合い」活動などを行なっていますが、活動するほど「孤立」や「生きがいのなさ」という問題が見えてくます。
たとえば、アパートに入ると、野宿しているときよりも元気がなくなる人が多いんです。せっかくアパートに入っても、誰とも口をきかないで部屋に閉じこもっている人、「淋しくて仕方ないから」と部屋を捨ててしまう人がいます。ぼくたちの経験では、野宿から生活保護になった人の2割が野宿に戻っています。
生活保護の場合、まず、仕事をしなくていいので、労働の場の人間関係がなくなる。そして、区役所が親族に「あなたの親戚の○○さんが生活保護を受けたいと言っていますが、そちらで生活の面倒を見られないですか」と照会していく「扶養照会」で親族との縁が切れる人が多いです。
そして、地域の人間関係も作りにくい。とくに最近は、ふつうのマンションに生活保護で入ることが多いですから。同じアパートの同年代の住民と会ったとき、「おたくも年金かね?」と挨拶がわりに話しかけられて、返事に困って、それから部屋から出るのがすっかり難しくなって野宿に戻ったという話を聞いたことがあります。昔の仕事仲間から「俺らの税金で暮らしやがって」などと言われることもあるしね。
こんな感じで、生活保護を受ける生活の中で、いわゆる「社縁、血縁、地縁」が全部とぎれてしまう。これでは「社会的孤立」になるのも当然です。「経済の貧困」は最低限度のところでクリアできても、それが「関係の貧困」に変わっただけとも言えます。個人的には、これは「不正受給」よりもずっと深刻な生活保護制度の副作用だと思います。

―ひきこもることそのものは悪いことではないのでは。

そうなんですが、多くの場合、本人がそれを望んでいるわけではないです。たとえば、趣味や、それを通じての友人や地域でのつきあいがあればいいんですが、それがない人がとても多い。楽器をやっていたり、囲碁や将棋が好きなひとは、それを通じて他の人ともつきあっていますが、そういう人は実はかなり少ないです。部屋を訪問して、PSのゲームがあると「珍しいな」という感じで。そうなると、部屋にいても何もすることがない。実際、たまに病院に通院する以外は朝から晩までテレビを見ているだけ、という人が多いです。釜ヶ崎の労働者の場合、本当に「仕事だけが趣味」という人が多くて、生活保護になると、本人が「生ける屍や」と自嘲して言う感じになってしまいがちです。
テレビなら全然いいんだけど、ギャンブルや薬物に行ってしまうこともあります。今年、釜ヶ崎で日本最大の賭博場が摘発された事件がありましたが、あれは生活保護費目当ての賭場でしたよね。あそこに時々行ってた知り合いから話を聞きましたが、「ドーム」と言われる大きな賭場で、そこでおにぎりとか食べ物を「炊き出し」みたいに生活保護受給者に出して、それで釣って、賭博に引き寄せるという。賭場の前でまず「食べ物あるからおいで」と声をかけるんですよ。
当然、ギャンブルは儲からないことの方が多いので、かなり多くの人が、月末になると炊き出しに並んで食いつないだり、ヤミ金融に行って「10日で1割」の利子でお金を借り始めます。月初めに保護費が入ると、それを金融屋に持って行って、本人はしばらくしたら、また炊き出しに通うという。賭場とヤミ金業者のために生活保護を受けているみたいな状態になります。ギャンブルの場合、最後には家賃が支払えなくなって野宿になったり、あるいは依存症になってしまうということが問題です。

―生活保護受給者で依存症の人は多いのでしょうか。

受給者に限らず一般の人でも、アルコール依存、恋愛依存、買い物依存などは多いですよね。でも、生活保護と依存症の関係はこれから大きな問題になると思います。
たとえば、阪神・淡路大震災で問題になった被災者の「孤独死」について、その多くにアルコール依存が関わっているということが指摘されていました。震災後、仮設住宅で亡くなった多くの人が一人暮しで、アルコールに起因する内臓疾患や自殺が多く見られたという。そうしたケースについて、震災によって家族や仕事や地域とのつきあいを破壊されて、「酒が唯一の友だち」になってしまっているとも言われました。これは今後、東北でも問題になるかもしれません。
震災被災者と同じように、「仕事や地域とのつきあい」をなくした生活保護受給者には、何もすることがなくなって、ギャンブルやアルコール、それからご近所で売られている覚醒剤が「唯一の友だち」になってしまう場合があるのかもしれません。この場合、生活を破壊する「悪友」なんですが。
たとえば、いわゆる「あいりん地区」(釜ヶ崎より広い範囲を指す)で2010年に覚醒剤、大麻取締法違反の容疑で摘発された容疑者のうち生活保護受給者が145人(密売人も含む)、全体の30%だったと報道されました。
このニュースを聞いたときは驚きましたね。いくらなんでも、生活保護費は生活ギリギリだから、覚醒剤なんか買うお金はないだろうと思ってたから。でも、みんな食費を削ってでも覚醒剤を買ってるみたいなんです。これは釜ヶ崎だけの話ではなくて、たとえば神奈川県でも覚醒剤の逮捕者の20%が受給者でした(神奈川県警の2011年の発表)。しかしそれは、ギャンブルや酒や覚醒剤以外の「生きがい」を作らないと、本人を責めているだけでは解決しません。

―就労支援についての考えを聞かせて下さい。

 ホームページでも書きましたが、行政は生活保護受給者への「就労支援」に力を入れつつあります。それ自体は問題ないんですが、今は仕事を探してもなかなか見つからない、つまり「出口」がほとんどないじゃないですか。出口がないのに、「がんばれがんばれ」といくらお尻を叩いても無意味なんです。受給者の中には、「面接に何回行きなさい」「もっとがんばりなさい」と繰り返し迫られて、耐えきれなくなってアパートを出てしまうという人が続出しています。こうなると、「就労支援」じゃなくて「追い出し支援」です。
「探せば仕事はあるじゃないか」という事は常に言われるんですが、今どき残っている仕事の多くは、いわゆる「ケタオチ」(桁が落ちるほど条件が悪い)である可能性が高い。20代で、野宿生活のあと、頑張ってヘルパーの仕事に就職した人がいましたが、就職後に無理な作業で腰を痛めて、おまけに上司から「労災にはならんからな」と言われてました。その人はしばらくして辞職しましたが、そんな職場だったら、無理して続けるより辞めた方が正解かもなと思いました。いま、そういう話だらけですよね。
実は、いま夜まわりをしていると、野宿している人の2〜3割が、「この間まで生活保護を受けていた」という人なんです。とにかく、どんどん増えてて、生活保護と野宿の境界線がなくなっている感じです。大阪市の知り合いのケースワーカーに聞いたら、「いまどんどん生活保護を切ってます」と言ってました。そこにはケースワーカーの「就労(自立)支援」のやりすぎ、社会的孤立、対人・金銭トラブルなど様々な原因があります。生活保護から抜け出すのも難しいけど、維持するのも意外に困難なんです。
社会全体の状況として、ある程度働いてある程度の収入があってやりがいもそこそこある、という仕事があればいいんだけど、それがなかなかないです。一生懸命に仕事を探しても、不安定で低賃金の労働しかなくて、結果として「生活保護より賃金が安い」とくれば、誰だって仕事をする気がなくなります。ここでも問題は「生活保護」ではなくて「雇用の劣化」です。
まともな就労という「出口」がないのなら、最終的には、行政自身が仕事を作る「公的就労」、あるいは雇用の形を変える事(ワークシェアリングなど)を企業に提案することが必要だと思います。
生活保護受給者については、社会との接点を持ちつつ、少なくとも生活保護受給レベルの収入は得られる公的就労につなげたほうがいい場合もあると思います。ぼくの知り合いで、ケースワーカーが了解した上で、生活保護を受給しながら被災地のボランティアを続けていた人もいます。それもある意味では、一種の公的就労ですね。
根本的には、企業の労働形態をなんとかしないと生活保護からの「出口がない」状態だと思います。繰り返しになりますが、本気で生活保護受給者を減らしたいのなら、生活保護の増加や受給者を批判するのではなく、原因である「企業」「セーフティネットの不備」を批判すべきだと思います。


2011/11/27 人民新聞のインタビュー記事など

人民新聞11月25日号が「生活保護受給者、過去最多」問題について特集していて、ぼくもインタビューに答えてます。一部ここにアップされている。
「生活保護と社会的孤立」についても話しているけど、この問題は、ぼくたちが関わっている受給者のみなさんのプライバシーなど表に出せない話題が多くて、文章で出すことがなかなかできなかった。しかし、生活保護が社会的に大きな焦点になりつつある以上、ある程度出していく必要があるのかもしれないと思い始めている。
このインタビュー記事については、後日(人民新聞の次の号が出たあたり?)、話した内容をもう少し詳しく補った文章をここに出します。
さて、今日の大阪府知事選、市長選はそれぞれ、松井一郎、橋下徹が当選。一瞬、大阪から逃げ出したくなったけど、東京ではみなさんが石原都政のもとで長年頑張っているのだから、こちらもなんとかしないといけないと思い直しました。やれやれ…


2011/11/9 生活保護受給、過去最多の205万人超に

今日、「全国で生活保護を受給している人が7月時点で205万495人となり、1951年度の204万6646人を超えた」と厚生労働省が発表した。
その問題で、関西テレビ「ニュースアンカー」からぼくのところにも今日、取材があり、お昼にしばらく話をした。
今夕の放送でどう使われるかわからないので、話した内容を(話せなかったことも含めて)ここで簡単に書いておく。

▼今回、保護受給者「数」が史上最高になったが、人口に占める保護「率」は約1.6%とされている。一方、過去最多の1951年度の保護率は2.4%だった。つまり、実質的には1951年の方がずっと生活保護受給者が「多かった」と言える。
また、よく知られているように、日本の保護率は先進諸国の中では際だって低く、現状でも他国の3分の1以下ぐらいだ。その意味では、そんなに大騒ぎするような数字ではない。

▼ぼくたちは野宿者支援や、生活に困ったひとからの電話相談などをしているが、世界不況以来、めだって生活相談が増えた。そして、その大半は「派遣切り」によるものだった。
その人たちは、「生活に困って野宿している(野宿になりそうだ)、なんとかなりませんか」と相談に来る。ただし、「生活保護を受けたい」と言って来る人はまずいない。ほとんどの人が、「仕事をしたいが、みつからない」と訴えている。実際、住む場所と貯金がある程度ある人でさえ就職先がなかなか見つからない今の状態では、部屋もなく、交通費や食費にも困っているような状態の人が仕事をそうそう見つけられるわけがない。
その人たちとは、ゆっくり相談した上で、一緒に生活保護の申請をしたり、行政が衣食住を保障する「自立支援センター」に行ってもらい、そこからハローワークに仕事を探してもらう事が多い。
生活保護がベストとは思わない。本人も「仕事をしたい」と言っているのだから。また、「雇用保険」や「住宅手当」などが機能していれば、生活に困ってたちまち生活保護になる人はこんなに多くないはずだ。しかし、今は「雇用保険」「年金」「健康保険」「住宅手当」「生活保障付き職業訓練」などのセーフティネットがあまり機能せず、事実上、生活保護が「最初で最後」、つまり「唯一」のセーフティネットになってしまっている。
いまは、「貧困」の蛇口が全開状態で、それを生活保護だけで受け止めている状態と言えるだろう。

▼大阪市は生活保護受給者が全国最多で、特に西成区は「人口約12万人のほぼ4人に1人」が受給者となっている。これは、最大3万人いた釜ヶ崎の日雇労働者の多くが野宿になり、生活保護になっていることがかなり大きな要因だ。
日雇労働者は「今日仕事があるかどうかわからない」究極の不安定雇用だが、不安定雇用の人が(「派遣切り」がそうであるように)失業しやすく、失業した人が貧困になり、家賃が払えなくなって野宿になり、そして生活保護になる、というパターンをたどっている。
現在、日本の(雇われて働いている)労働者の38%がパートやアルバイト、派遣などの「非正規労働者」だ。この人たちも、釜ヶ崎の日雇労働者と同じパターンで貧困、そして野宿になりつつある。大阪市、そして西成区の現状は、日本全体の明日の姿だと言える。
最近ぼくたちが受けた相談の大半は、「派遣切り」だった。つまり、「低賃金で、企業の都合でいつでも首を切られてしまう」労働の形が広がってしまった。こんな労働者が増えれば、貧困が激化し、生活保護が激増するのはある意味では当たり前だ。

▼事故やさまざまな病気、障がい、高齢、そして失業によって生活できなくなった人々が、自殺することも路上死することもなく、生活保護でなんとか生活ができるようになった。これ自体は、大変素晴らしい話だ。批判すべきものでもなんでもない。
一方で、「生活保護受給者は甘えている、けしからん」という論調も高まっている。しかし、生活保護受給者が増えたのは、あるゆるデータが示すように、決して「やる気のない人」が増えたからではなくて、「働きたいのに仕事がない」人が増え、さらに生活保護の水際作戦が批判されて法律通りの運用がされたためだった。
本気で生活保護受給者を減らしたいのなら、受給者を批判するのではなく、原因である「企業」「セーフティネットの不備」を批判すべきだろう。「原因(企業、セーフティネットの不備)と結果(受給者)」をとり違えてはいけない。
生活保護が問題なのではなくて、貧困が問題なのだ。それを解決しようとするなら、生活保護の増加を批判するのではなくて、貧困の蛇口を閉めないといけない。

▼大阪市は生活保護受給者への就労支援として、ケースワーカーの増員や就職活動の応援などを行なっている。それ自体は問題ない。だが、仕事探してもなかなか見つからない、つまり「出口」がほとんどないのが現状だ。出口がないのに、「がんばれがんばれ」といくらお尻を叩いてもあまり意味はない。
受給者の中には、「面接に何回行きなさい」「もっとがんばりなさい」と繰り返し迫られて精神的に追い詰められ、耐えきれなくなってアパートを出てしまうという人が続出している。こうなっては「やりすぎ」だ。
就労という「出口」がないのなら、行政自身が仕事を作る「公的就労」、あるいは雇用の形を変える事(ワークシェアリングなど)を企業に提案することが必要だと思う。

▼「公的就労」の例の一つは、釜ヶ崎にある。釜ヶ崎では、反失業連絡会の強い働きかけの結果、55歳以上の日雇労働者や野宿者対象に道路清掃などを紹介する「高齢者特別清掃事業」が1994年から行なわれている。予算は大阪府と大阪市が出し、業務はNPO釜ヶ崎(釜ヶ崎支援機構)が委託されている。この事業には2000人ほどが登録して、釜ヶ崎地区内の道路清掃、大阪市の保育所や公園のペンキ塗り、草刈りなど一日5700円の仕事をしている。清掃も保育所のペンキ塗りも、「道からゴミがなくなった」「ボロボロだった保育所がキレイになった」と、地域からの評判がとてもいい。
 しかし、この事業の一日の紹介数は200人程度で、登録者に仕事が回ってくるのは「月に5回」程度、つまり月収で2万8500円ぐらいしかない。ぼくたち支援者や野宿者は、この事業の拡大を最優先の対策として要求し続けてきた。けれども、行政は「予算がかかりすぎる」「公的就労を作ると、そこにしがみついて他の仕事に就職しなくなる人が多くなる」と、事業の拡大を拒み続けている。
 しかし、「公的就労」と「生活保護」とのちがいは、一言で言うと「お金を渡して、なおかつ働いてもらう」か「お金を渡すだけ」かだ。いま、行政は「公的就労」に消極的なまま「生活保護」を増やし続けているが、それは「お金を渡して働いてもらう」代わりに「お金を渡すだけ」にするという究極の不効率政策なのだ。
 保育所のペンキ塗りや道路清掃の他、地下鉄などのバリアフリー工事、リサイクル事業や保育事業、福祉事務所のケースワーカーの増員、NPO、NGOなどへの就労支援を希望者に行なえば、失業者だけでなく社会全体にとって税金がはるかに有意義に使われるし、民間の仕事への就職も、生活保護よりずっとスムーズにいくと思う。

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