ここは、2004年12月〜2005年8月の「近況」です。
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2005/8/19■ 遅ればせながら、釜ヶ崎夏祭りの写真

第34回釜ヶ崎夏祭り 8月12日〜15日   主催 釜ヶ崎夏祭り実行委員会
テーマ :助けあい・働きあい・結びあい
メインスローガン:戦争や失業・排除のない社会を勝ちとろう!
* 失業・野宿する仲間への就労支援策を拡大せよ!
* 自ら仕事を作り出すたたかいに立ち上がろう!
* 戦争を許さず、世界中の抑圧されている人々と結び合おう!


ところで、今日カール・バルトの「ローマ書講解」(平凡社)を読んでたら、こういう箇所があった。
「預言者的感動として明白に存在しているものが、神の前には『奴隷的心情』、すなわち、『雇い主ならとるような献身的態度なしに、ただ賃金のために自分の労働をするのを常とする日雇い労働者の考え方と人生観』(ツァーン(1838―1933)ドイツの新約聖書学者)であるということが起こるかもしれない」。
つまり、「日雇労働者の考え方と人生観」は「ただ賃金のために」働くという、「雇い主」とは異なる「奴隷的心情」なんだって。
不安定就労(非典型雇用)に対する差別は根深いが、しかしこれほどわかりやすいものはなかなかお目にかかれない。
なお、イエス自身は、マタイ20.1〜15で、早朝から仕事した者も、昼から仕事したものも、夕方5時頃から仕事したものも同一賃金だと、という譬え話に日雇労働者を登場させている。この譬えについて田川建三は、「朝早く雇われて丸一目働いた労働者も、夕方まで仕事にあぶれて立ちつくしていた者も、同等に一日分の賃銀をもらうのはいいことだ。いや、そうするのが正しいのだ。――それ以外の結論をこの話から引き出すことができるだろうか。一言で言ってしまえば、能力に応じて働き、必要に応じて消費する、ということだ。もしも運も能力のうちであるとすれば、であるが。たまたまその日の職を見つけられた者は、十分に働くがよい。だがたまたまその日は職にあぶれた者であっても、今目は空きっ腹をかかえて何も食わずにいてよいということはない」と言っている(「イエスという男」)。
こうした発想から振り返ると、ツァーンやバルトがどれだけピンボケしてしまっているかがよくわかる。
ちなみに、「ローマ書講解」は150ページほど読んだところだが、キルケゴールのごく一部を単純化したような内容が延々と続いている。典型的な一文、「神に喜ばれる『業』は、むしろ終極において、すなわち、かれが置かれているすべての人間の義の完全な終極において、かれの疑いなく見捨てられた状態において、すべての宗教的・道徳的幻想を断念することにおいて、この地上にある、この天にある、すべての希望を拒絶することにおいて成り立つであろう」。もしかして、この調子がこれから1000ページも続くのだろうか。


2005/8/12■ ブーレーズ・シェローの「ニーベルングの指輪」
(15日訂正)

ブーレーズ指揮、シェロー演出によるヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」の再DVD化。たいへん評価の高いこの上演記録をはじめて観た(全部で約14時間)
当時(1976〜80)バイロイトで激しいショックを与えたとされる、ダムの底でのセックスワーカー風の衣装の「ラインの乙女」たちの登場に始まって、19世紀風の衣装のヴォータン、背広姿のハーゲン、ジークフリートという当時としては思い切ったアイデアの演出が続く。特に、冒頭とラストに登場するラインの乙女たちの演出は今観ても斬新で、ヴァーグナーの指示に忠実に作られたメトロポリタン歌劇場の演出はここから観れば完全に古色蒼然としている。
一方、ジークフリートが倒す大蛇のファーフナーはどうするのかと思っていると、車輪のついた大蛇の像を黒子さんたちが押して舞台にやってきた。それを相手にジークフリートがやあやあと剣をふるうんだけど、どうにもこうにも盛り上がらないぞ。さらに、「神々の黄昏」のハーゲンが背広姿のくたびれた初老男性という扱いはなんなんでしょうか。いくらなんでも「話がちがう」んじゃないでしょうか。
ともあれ、全体としては意欲的な演出と、ブーレーズによる切れ味鋭くと緊張度のきわめて高い指揮によって、例えばレヴァイン指揮による「指輪」DVDとは大人とこどもほどもちがう価値の上演になっている。ギネス・ジョーンズによるブリュンヒルデをはじめ、歌手の出来映えもかなり良好。

と、これを観て、そう言えば中学生のころ読んだ吉田秀和の「私の好きな曲」に「ニーベルングの指輪」の短い分析があったなと思って、久しぶりに読み返してみた。
「指輪」の作曲プロセスを追いながら、
「『ジークフリート』」を通してきく人は、第一幕と、第二幕との間にちがいがあり、ことに第三幕に至って、そのちがいは、非常に深刻なものに至るということを感じるだろう」「構造は緊密度を加え、声部進行はより多声的になり、旋律はのびを加え、そこから新しいデクラメーションの仕方と、それから和声の大胆で、そうして全く自由な、――響きの上での未開の豊穣さと精妙さとが、書法のこの上ない純粋さから獲得されるという奇跡のような結果が生まれてきた」と書いている。
それは同感だが、吉田秀和がその実例としてあげるのが、「ジークフリート」第三幕のヴォータンとヴェルダが語り合う場面の中のごく目立たない一部である。下は、歌手の「歌」を除いたオーケストラ部分の(ピアノ譜による)引用。



実際にピアノででも弾いてみると、この箇所の和声進行の微妙さと大胆さは一発で感得できる。これは、明らかに機能和声の限界にたどりついた「トリスタンとイゾルデ」以降の音楽なのだ。
しかし、DVDで聞き返しても、この箇所のオーケストラは実はあまりよく聞こえない。つまり、録音が「歌」に重きをおくため、オーケストラは「伴奏」としてテキトーにしか聞こえないようになっているのだ。こういった微妙な点は、したがってDVDで観ていても大体聞き逃してしまう。音楽として聞くなら、(ドビュッシーが「電話帳」と言った)楽譜を見ながらCDを聞くのが一番良いようだ。
それにしても、吉田秀和はこういう、人が見逃してしまうような目立たない箇所を取り上げて、そこから一気に音楽の特異性を浮き彫りにしてしまうのがとても上手だ。こういうことをしてくれる評論家って、いま他に誰かいるのかな?
また、これを観た機会に、今まで読んでなかったニーチェの「ヴァーグナーの場合」「ニーチェ対ヴァーグナー」を読んだ。「細部における偉大な巨匠」という指摘をはじめ、なるほどおと思うところは多いが、これはニーチェが自分の問題にあまりにひきつけすぎたヴァーグナー像ではないかと思う。
ヴァーグナーをよりよく理解するためには、ニーチェより吉田秀和を読む方が明らかにためになります。


2005/8/5■  橘安純さんと一緒に長吉西中学で「野宿者問題の授業」

夏休みの登校日に、600〜700人の全校生徒対象の「野宿者問題の授業」。天王寺で野宿しながら詩を作り朗読を行なう橘さんと組んでの授業だった。
この授業の前、この学校の先生たちが夜回りに参加し、さらに野宿者問題についてのビデオを生徒に見せるなどしている。
今日の内容は1時間で、橘さんがまず自分が野宿に至った経過や知り合いで野宿している人たちの様子を語る。そのあと、ぼくが大阪の野宿者がどのように生計を立てているか、なぜ大阪市に野宿者が多いか、野宿になるのは自業自得といわれるがそうなのか、あとは「カフカの階段」を使っての全体的な話をする。最後に、橘さんが自作の詩と「ぼくらはみんな生きている」の(野宿生活についての)替え歌を歌った。
なんと言ってもうけたのは橘さんの歌と詩で、生徒の注目がいっぺんに集まった。感想文を読むと、「橘さんの歌と詩に感動した」「最後のうたがよかった」「歌で思いが伝わった」というのがいっぱい出てくる。大変なインパクトを生徒たちに与えたことがわかる。あとで橘さんのテントに感想文を持っていってその話をすると、「路上で詩を見せても、大人たちよりこどもの方がパッと理解してくれる」と言っていた。橘さんは学校での授業は初めてということだが、路上と同様に学校でも10代のこどもたちと素晴らしい出会いが作られたことになる。
これまで何度か野宿当事者と一緒に授業をやっているが、こどもにとってはやはり当事者と出会うことのインパクトが大きい。支援者がその立場から話をすることにも意味はあるが、なんてったって「野宿者問題」なんだから、野宿当事者が話すのが一番いいに決まっている。
ぼくは単発の授業の場合は一人で話すことがほとんどだが、その理由は、「野宿者問題についてほぼ何も知らない、つまり偏見でいっぱいの状態のこども(と先生)のところに野宿当事者と行くのは、野宿者問題についての知識も関心もない人たちをいきなり夜回りに連れて行くよりさらに無謀ではないか」「支援者がほとんどの時間を話して、当事者が10分ぐらい話すというスタイルはどうしても気が進まない」など。なので、当事者と一緒に行くのは連続授業の場合、ただしその場合は1時間まるまる生徒と野宿当事者とでやりとりしてもらうというやり方をしてきた。
しかし、今回の橘さんとの授業はとてもうまくいったので、単発でもこういうやり方でいけるなあと思った。次回は、先生たちの集まり(100人ぐらいとか)でまた橘さんと授業をやる。これを機会に、大阪でこうした授業がどんどん作られ、野宿当事者が学校に行ってこどもたちとやりとりしていく機会を作っていけるかもしれない。


2005/8/2■  アスベスト話の続き

夕方のニュースの時間にはどこのテレビ局でもアスベスト問題をやっている今日このごろですが、
きのう、「あいりん労働福祉センター」の前を通ったら、アスベスト除去作業の手配の車が来ていた。「単価13000円・大阪市内・けれん作業・石綿撤去」とカードを出している。土方の単価がいま9000円ぐらいなので、かなりいい値段だ。仕事も少ないことだし、「かりに吸い込んでも、発症するのが40年後なら、ま、いいか」と考えて仕事に行く労働者もいるかもしれない。
下で、「これからアスベスト除去作業は飛躍的に取り組まれていくだろうが、現場で作業するのは一体誰なのか」「ぼくがそうだったように、日雇労働者やフリーターがこうした作業をやらされるのではないか」と書いたが、やはり現実はそうなっているようです。


2005/7/17■  日雇労働者はアスベストをどのくらい吸っているのか

3ヶ月ほどここで書かなかった。理由は、1・書くことがあまりなかった。2・数年がかりの2つの文章の仕上げに時間をとられた(長い「仕上げ」だな。まだ終わってないし)。3・NHK特集「フリーター漂流」が大変おもしろかったのでここで触れようと思って、実際、人とはいろいろ話したが、書くと時間がかかるので手をつけられなかった。関心あることを書けないようでは意味がないなあと思った、など。
それはさておき、アスベスト(石綿)。いまや日本でトップニュース扱いが毎日続くこの問題だが、ぼく自身も関係がある。日雇労働をやっていると、アスベストを物理的に避けて通れないからだ。
ぼくの場合は、88年か89年の冬に、アスベストの除去作業に行ったことがある。学校の体育館みたいなところで、建物全体をビニールで覆い、作業員がアスベストを「けれん」でこそぎ落とし、それをバキュームで専門の車両内に吸っていくというやり方である(車には「安全な環境を次世代に」とか書いてあった)。つまり、当時からそういう専門業者があったわけだ。しかし、実際にアスベストをこそぎ落とす作業は誰がするかというと、社員は一切しない。全部、釜ヶ崎から連れられてきたわれわれ日雇労働者がやるのである。
釜ヶ崎から手配されたぼくたち3人は、チャックつきのビニール服で全身を覆い、その上でマスクをして建物に入り、アスベストをこそぎ落としていく。アスベストがもうもうと舞い、部屋は真っ白(ということは、白アスベストだったのか)。仕事をやっていると、マスクのために息ができずに苦しくなってくる。それで、時々マスクをはずして服の中でハアハアやっていた。今だったら絶対そんなことはしないと思うが、仕事をやっていると、つい夢中になってしまうわけである。(あとで、ここで使っていたようなマスクはアスベストには「効果なし」と知った。業者の日雇労働者に対するいい加減な扱いには深く傷つけられる)。
また、昼休みには、ビニール服を脱いで食事にする。どうしたってアスベストが多少は舞い、吸い込むことになる。
この作業に行ったのは2日間だが、それでどの程度アスベストを吸いこんだのかはよくわからない。それに、考えてみれば、解体やコボチの現場ではみんなろくにマスクもせずに仕事をやっているわけで、建材中のアスベストは作業員みんな吸っていることになる。
昔から日雇労働をやっている人に聞くと、60〜80年代は「アスベストは発ガン性がある」という事実は現場で無視され、作業員はアスベストがもうもうと舞う中をマスクも何もなしで仕事していたという。「ワシら、アスベストが危ないなんて聞いてないから、鼻の穴が真っ白になるくらい吸ってたがなー」と言っていたのは、釜日労の藤井さんである。藤井さんはその後、肺ガンで亡くなったが、アスベストに起因するものだったのかどうなのか。
アスベストは吸ってから、平均40年程度で一部の人が発症し、肺ガンや中皮腫などを引き起こす。特に中皮腫は、発症すると大体1年後に死亡し、仮に早期に発見して取り除いても再発する確率が高いとされている。要するに、なったら非常にやばいということだ。発病する臨界量については不明ということで、「この程度なら大丈夫」とは全く言えない。
ぼくなどは、「平均40年だとすると、発症したとして64才ぐらいかあ、だったらそれまでに他の事故や病気で死んでるかもしれないしなあ」と考えたりしているが、実際に発症したらそりゃ一大事だ。そして、平均40年とすると、日雇労働者にとっても発病はこれからがピークになる。
また、これからアスベスト除去作業は飛躍的に取り組まれていくだろうが、現場で作業するのは一体誰なのか。「やるなら当時アスベストを使ったヤツがやれよ」「除去するなら、専門会社の社員がやれよ」と言うのがぼくの本音だ。しかし、ぼくがそうだったように、日雇労働者やフリーターがこうした作業をやらされるのではないかという気もするわけである。


2005/4/16■  「散り行く花」・4月になってはっきりしたしたこと

(間違って、11日から書きかけの文章をここにアップしていたみたい。これが正式版です)

グリフィスの「散り行く花」(1919)のDVDが出ていたので、買って初めて見た。
マッチョで暴力好きなプロボクサーの父と、その父に虐待される娘(13歳の設定)、その娘に夢中の中国人青年が登場し、娘は最後に虐待のあげく死んでしまい、中国人青年は父親を撃ち殺し、最後に自分も死ぬ。こうして見ると冗談みたいにそらぞらしいストーリーだが、映画を見終わると、ショックで他の事が何も考えられなくなっている。
例えば、娘役のリリアン・ギッシュが父親のドナルド・クリスプから逃れて物置に閉じこもり、父親が斧でドアを壊していく場面。これは、キューブリックの「シャイニング」でジャック・ニコルソンがシェリー・デュバルを追って斧でドアを破っていく場面そのまんまだが(キューブリックの引用?)、この二つを比べると、比べようもなくグリフィスのほうが凄い。特に、この場面のリリアン・ギッシュの絶望と混乱の演技は、これ以上のものがありえると想像できないようなものだ。「映画の演技」にはこういうことが可能だったのか、いわば「今まで見ていた映画の演技は一体何だったんだ」と思わせるような極限状態である。そして、この直後に、リリアン・ギッシュが笑顔を作って死んでいく有名な場面が来る。こんな衝撃的なシーンを連続で見せられたら、普通の人間はショックでしばらく思考不可能になってしまう。この間、青年が必死に娘のところに駆けつける場面の切迫感もまたすさまじい。
グリフィスの映画では、今はなき大阪のACTシネマテークで「イントレランス」を見て、「映画の可能性と限界のほとんどがこの作品に詰まっているのではないか」と思ったことがある。「散り行く花」でも似たことを感じたが、「イントレランス」と比べてのこの作品の美点は、1時間20分弱で終わることである(いつも思うけど、「2時間強」という映画のスタンダードな上映時間は、長いか短いかのどっちかではないだろうか)。

4月になってはっきりしたことが幾つかあるが、その一つはぼくたちがやっている特別清掃の基金問題だった。前にも書いた通り、前年度(つまり3月)までの5年間、この事業は主に国の「緊急地域雇用創出特別基金」を使って行なわれていた。その継続を求めて、釜ヶ崎反失業連絡会を中心に国に対しての署名集めや陳情活動を行なってきたが、結果として今年度の国の予算は「0」になった。結局、大阪府と大阪市が予算をかき集めて、特別清掃は2割減程度の規模で存続することになったが、ここでの問題の一つは、「ホームレス自立支援法」とは何だったのかということだ。
この「近況」の2002年7月22日のところで「ホームレス自立支援法」についてかなり長く書いた。この法律についての幾つかの論点を出した上で、「問題は『支援』と『収容』の両側面を持ちえるという点にある。つまり、それは両刃の剣なのだ。にもかかわらずこの『ホームレス自立支援法』制定に賛成するとすれば、それは、たとえ『両刃の剣』だとしても今は『剣』が必要だ、という判断にたってのものだろう。ぼく自身は、そういう判断である」と書いた。「公的就労をはじめとする『安定した雇用の場の確保』を全国で劇的に拡大させる必要がある。しかし、行政が大幅に動くためには何らかの法的根拠が必要となる。法案推進派が最も求めているのはこの点」ということだった。
しかし結局、肝心の公的就労については、「ホームレス自立支援法」が制定されても国による予算は今年度は全然つかなかった。つまり、支援法は国による野宿者の公的就労の法的根拠としてはほとんど全く機能しなかった。なによりも「公的就労」を求めて支援法に賛成したことを考えれば、結果として「支援法賛成は間違いだったのではないか」と考えざるをえない。
ただ、「就業機会の確保」として10億程度の予算が付き、「日雇労働者等技能講習事業」や「ホームレス等試行雇用事業」などが開始されている。これは支援法を前提として作られているのだろう。日本国家は、野宿者の「公的就労」を否定し「再就職」路線を選択したわけだ。もちろん技能講習も試行雇用も必要とされる事業だが、しかしその規模から言ってやはり「焼け石に水」「重傷にバンドエイド」だとしか思えないし、そもそも現状の高齢に近い野宿者にとってはハードルがあまりに高い。
一方で、野宿者の生活保護受給は支援団体の努力(そして野宿者の高齢化)もあってかなり進み、当初懸念された「支援法による生活保護の反古化」はそれほどではなかったようだ。一つには、行政には最後になると「生活保護」しか手がないからだ。(むしろ、悪徳業者による野宿者への生活保護費のピンハネの大規模進行が問題になっている)。
そして、これも懸念された「中途半端な施策を出口にした野宿者の強制排除」の方は全国各地で進んでいる。特に支援団体の関わっていない公園などでは、文字通りの「追い散らし」が行なわれている。とはいえ、支援法以前から排除は常にあったので、「支援法ができたから排除が進んだ」かどうかはよくわからないところがある。「排除をするとき、支援法が使われる」のは間違いないが。
残念ながら、野宿者問題への対策として最も望まれていた「公的就労」の劇的拡大は現実的にもうほぼ望めない。そして、就労支援事業はおそらく「焼け石に水」である。「ホームレス自立支援法」への判断を含め、考え方をかなり切り替えなければならない時期に来ていると思う。


2005/3/18■  数字の間違い・申し訳ないです

上山和樹さんのブログの3月17日のところに次の記事がある(文中のリンクは省略)。

私は次のような趣旨の発言をしました。
「ホームレスは2万5000人ほどですが、対策費は全国で1億8000万円。(…)」
この「1億8000万円」ですが、
これはこちらの記事にある「ホームレス就業支援事業」のことを指したつもりで、だから「1億1800万円」の誤りなのですが、さらに記事をよく読めば、これは「新規事業としてはこれのみ」ということで、ホームレス対策予算の総額ではない。それでネットで調べたところ、この資料が見つかりました。
「ホームレス対策予算」として31億9700万円が計上されていますが、「ニート支援」が「就労支援」であることを考え、「III 就業機会の確保」と記されている箇所だけを単純に足し合わせると、「10億8300万円」となります。
★というわけで、講演では「ホームレスの就労支援対策費は10億円あまり」などとすべきだったわけで、情報として著しく間違っていたことになります。会場におられた方々がこの私のBLOGを見てくださっている可能性は低いのですが・・・・、ここに記して訂正させていただきます。ごめんなさい。」


実はこの「1億8000万円」という数字、ぼくが上山さんに伝えたものでした。上山さんはそれを使って発言したのですが、あとで上のように間違いを発見して、ぼくのところにも知らせてくれました。
上山さんにはすでにメールで謝りましたが、完全にぼくのミスでした。いやー、面目ないです。

なお、同箇所に
「 生田武志氏によれば、これは現場の支援団体の多くからは「信用されていない数」とのこと。夜回りなどをする現場の方々の考える「妥当な推定数」は、「3〜4万人」とのことです。」
とあるが、この点について、かつて共同通信に書いた記事から引用すると、
「野宿者(ホームレス)は、特にこの10年の間に激増したという印象を持ちます。本当のところ、いま日本全国で野宿者は何人くらいいるのでしょう? 去年の厚生労働省の調査では全国で25296人とされましたが、これは実態からかなり遠い数字です。野宿者をたずねて生活相談などをする夜回りグループがいま全国にありますが、そうしたグループの多くは、厚生労働省がカウントした各地の人数は実数の70%程度だろうという事で大体一致していました。そこから計算すると、日本全国の野宿者の人数は約3.5万人から4万人、広く取って3〜4万人という結果が出ます。おそらく、これが妥当な推定数です。」
厚生労働省の調査は、野宿者について全然知らない民生委員などが担ぎ出されてやったため、このような杜撰な結果になってしまった。
知り合いの夜回り団体の人は、地元の調査が実数の70%くらいの数を出したので、知り合いの調査員の人に「これ、全然事実とちがうけど、いいんですか?」と聞いたら、「いいんです、いいんです」と答えられたと言っていた。大阪の調査に至っては、商店街などで移動して寝ている野宿者数は入っていないと聞く。「25296人」というのはそういう数字です。


2005/3/16■  富山妙子・高橋悠治の「けろけろころろ」



去年の9月に出た、上にように高橋悠治のピアノソロCDがついている絵本。カエルの表情、そして草や花の輪郭が鮮やかで、見ていてあきない。
帯の裏面には「音楽は絵本を見ながらきいてもいいし、見た後それだけきいてもいいのです。カエル語を音の絵にして、演奏するたびに音が変わる楽譜をつくり、技術にたよらず、初めてピアノを叩くこどものように演奏してみました」と高橋悠治が書いている。実際、聞いてみるとそういう演奏なのだが、「初めてピアノを叩くこどものように演奏」することと「初めてピアノを叩くこども」の演奏はどうちがうのか。
この点で、かつてやっていたNHK教育の「ピアノのおけいこ」(時々見てました)でカツァリスが出ていた回を思い出す。カツァリスが先生、小学生中学年の女の子が生徒という設定で、確かモーツァルトのソナタかなんかをやっていた。カツァリスは生徒の前で模範演奏をしながら、いつものように「この箇所ではみんなが狩りをしています、ここでは人々がいっせいに走り出しています、ここではこうです云々」と、音楽を物語にして説明していた。そのあと、小学生の子が同じ曲を演奏し始めたのだが、それがカツァリスとは次元の違うインパクトのある演奏になっているのにぼくはびっくり仰天した。それこそ第一音から全く「ちがう」のだが、しかしそれは「凡庸な教師と才能ある生徒」というお話ではない。小学生の演奏は、いわばカツァリスが音楽を「物語」にしたことで消えた「人間がピアノという機械を叩く」という生物的・物理的な現実を露出させていた。指でキーを叩き、それがアクションを通じてハンマーが弦を叩き、それが音となるという(不可避な)リアリティを、その演奏は生々しく示していた。なぜその子の演奏がそういうものになったのか、これはよくわからない(本当に素晴らしい才能だったのかもしれないし、そうではないのかもしれない)。しかし、こどもの演奏には時々こういう「演奏の現実性」を示す場合があるようだ。そして、上手なアマチュア、そしてプロのピアニストにこういうリアリティを感じることは稀である。(例えば、グレン・グールドの最後の「ゴルトベルク変奏曲」はマリエリスムという言葉で語られることが多く、実際そういう面も強いのだが、ピアノの前フタをはずして内部がぎくしゃくと動くさまを見せながら演奏するグールドは、この「リアリティ」に意識的だったと思う。実際、そのずっと前からグールドはピアノのとんでもない改造をためらわないピアニストだった)。
高橋悠治の演奏は、「初めてピアノを叩くこども」が示す「演奏の現実性」を示すことがあるようだ。例えば、現在は5本の指全部を使ってピアノ(チェンパロ)を弾くことが当たり前だが、バッハ時代にはそうではなく、親指抜きの4本指で弾くのがスタンダードだったという。つまり、現在ピアノを習うと真っ先にやらされる「指くぐり」は存在しなかった(らしい)。したがって、スケールやアルペジオ(音階・分散和音)を長々と弾く場合も、4本指を入れ替え入れ替えつぎはぎで弾いていた。メロディと音楽に生物としての「指」の存在が露出するのである。これは演奏の「なめらかさ」の点ではマイナスだが、バロック音楽の演奏で重要な「語るような」アーティキュレーションのためには有効に作用する。これは現在では忘れられているやり方だが、「初めてピアノをさわるこども」だったらこんな「つぎはぎ」の弾き方をするかもしれない。
高橋悠治はかつて大阪で「親指なしの4本指でバッハ、ショパンを弾く」というコンサートをやったことがある。ステージ上で高橋悠治の指の動きがリアルタイムで映し出されるという趣向のものだった。ショパンでさえ、つぎはぎによる「間」と一種の「語り」を与えられるという魅力的なコンサートだったが、それを聞きながら「こういうアイデアを考えるだけでなくて、実際に練習してコンサートをやってしまうとは、この人は本当にプロの音楽家だなあ」と思ったものだ。
高橋悠治は最近「ゴルトベルク変奏曲」を再録音して(一部で)評判になっている。これも、音楽の中に様々な「間」や「空気」が差し込まれる独自の演奏だが、「人間がピアノという機械を叩く」というある意味不自由な生物的・物理的な現実の露出という点で、この「けろけろころろ」がさらに上をいっているようだ。CDを聞いていると、指の動きや鍵盤やアクションの動きが目の前に見えるようなのだ。これは、カエルの動きや鳴き声の「模倣」という意味で、大成功しているかもしれない。何より、飄々(ひょうひょう)とした味は唯一無二に感じられる。
この飄々さは何だろうか。いわば、多くの(才能ある)作曲家たちが直線に進もうとする中で、高橋悠治はその進路を斜め斜めに斜行している。あれよあれよと言う間に見えなくなったり、また現われたりと、つかまえどころがない。そこらへんもまた、「カエルの絵本」というコンセプトにうまいこと合っているのではないだろうか。


2005/3/10■  スピネット(小型チェンバロ)がやってきた

家電製品が壊れる時期なのか、10年近く使ってきたビデオが動かなくなり、テレビの画面も上下に狭くなっていってついに1センチくらいになった(掃除すれば直ると思って、テレビを分解して掃除機をかけたら、元に戻せなくなった…)。仕方ないので日本橋に買い物に行く。液晶テレビやDVDレコーダーは手が出ないが、アナログものは驚くほど安い。何店か回って選んで買った。
最近、懸案だった電子辞書も買った。前から狙っていたセイコーSR―T7000が型落ちになって2万円で出ていたので即買った(リーダーズ英和、リーダーズプラス、ジーニアス英和大辞典、コンサイスオックスフォード英英辞典などなどが入ってる。標準価格は5万円以上)。電子辞書と紙の辞書はどちらがいいかという議論があるが、少なくとも電子辞書を使い出すともう紙の辞書には戻れません。
しかし、家電製品の買い換えで金が消えるのは悲しい。

相変わらずチェンパロを習っているんだけど、近頃ぼくの先生と親しいチェンバロ製作者がスピネット(小型チェンバロ)のニューモデルを制作して売り出した。小さくて値段も手頃(スタンダードな大きさのチェンバロは数百万する)なので、ぼくも楽器の写真を見て「いいなあ、これ」と思っていた。
ある日レッスンに行くと、そのスピネットが教室に置いてあった。先生が言うには、売っているスピネットより鍵盤が少し多いタイプを製作者が試作していた。そして、それを無料で譲ってくれたという。
「生田さん、これしばらく貸してあげてもいいよ」「ありがとうございます!すごくうれしいです!」
というわけで、下の写真の楽器を担いで持って帰った。
今は、調律するためのチューナーやチューニングレバーをどうしようかと考えているところである。チューナーは楽器店に行けばあるが、チェンバロ用のチューニングレバーが普通の店で売ってるとは思えない。チェンバロ製作者に依頼しなければならないのだろうか。



↑楽器の全体(我ながらすげー部屋)


↑楽器内部。ここにあるチューニングピンを回すレバーを捜している。


2005/2/9■  「ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦」

日曜日に放映された「たかじんのそこまで言って委員会」は野宿者問題が扱われたということで、翌日に何人もから話を聞いた。
「捜せば仕事はあるはずだ」「ホームレスは山の中にでも収容しろ」といった話のオンパレードだったらしく、「あれはひどい」「まったく実態を知らない人間ばかり」「あんなの公共の放送でよく流すよなー」とみんな言っていた。野宿当事者の人も何人か見ていて、「あいつら、ホンマのことは何も知らんなー」とあきれ顔で(穏やかに)笑って言っていた。
しばらく前に「ニート」問題について「自衛隊に入れろ」「親が悪い」とムチャクチャ言っているのを見ていたが、ああいう感じだったのだろうか。話を聞いて、「見なくてよかったかも」と少し思った。見ていたら、確実に数日は精神不安定になったにちがいない。

最近出た野宿者関係の本。
「ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦」は、社会的企業としてのビッグイシューの創立のいきさつと内部事情、ビッグイシュー販売員である野宿者何人かの密着ルポ、そしてスウェーデンで開催されたホームレス・ワールドカップへの日本からの参加の模様のルポから成っている。
著者はビッグイシューを売ってるのを見て、はじめて野宿者に関心を持ったという人で、この本もほとんどぶっつけ本番的な書き方になっている。が、それがいい方に作用してか、ビッグイシューの内幕も販売員の苦労話も、自分が見てきたようによくわかる書き方になっている。
読んでて最もおもしろいのは、やはりスウェーデンで行なわれたホームレス・ワールドカップにビッグイシューを売っている(30歳代から65歳までの)8人が参加したところだ。特別清掃に来ている川原田さんも参加したこともあって、多少は話を聞いていたが、詳しいことはこの本で初めて知った。
「大きなスクリーンに『選手平均年齢53歳、最高年齢65歳』という文字が流れ、両チームの選手たちは日本一色の歓声の中、その雰囲気を楽しみながらの試合だった」とあるように、日本のチームはスウェーデンで常に一番人気だったらしい(フェァプレー賞を受賞)。各選手たちもそのキャラが受け、いろんな国の人から「最高だ!」「良いプレイヤーの集まりだ!」と声をかけられまくったという。地元の少年から慕われた選手もいて、一緒に写った写真も本に載せられている。
参加者自身、自分がスウェーデンに行ってサッカーをするなんて直前まで考えたこともなかったというが、ここには、ビッグイシューから始まって予想もつかない流れに乗っていきながら、その中で生き生きと個性を発揮している人たちの姿が幾つも描き出されている。例えば映画「あしがらさん」にも、支援者との関わりの中で驚くほど変化していった野宿者の姿が映し出されているが、あの人も変わっていきながら、いつも当たり前のように自然体だった。それと同じで、ここに描かれた野宿の人たちも、ワールドカップに参加して人気者になっていくが、同時にそれが大変当たり前のようにも感じられる。それで、「たまたま野宿になってる人も、機会があったら海外でこうして大人気になるようなこともあるんだなあ」「人間は、チャンスがあればいろんな面を出せるんだなあ」と単純に感心してしまう。これは、言い換えれば、日本で野宿をやってる人には自分を発揮できる「機会」や「チャンス」が極端に少ないということなのかもしれない。
とにかく、ふだん「運動」とか「支援」で関わる野宿者の姿とは全然ちがう、めちゃくちゃにおもしろい著者の言う「陽気なホームレス」の生き様が描かれる大変興味深い本である。


2005/1/28■ 名古屋・ソウル・三角公園

何が原因か下痢が何日も続き、痛みで全く眠れない夜があり(あと、外にいるとなぜか涙目になる…)という不調が続く中、いろんな出来事が起こっている。

名古屋・白川公園テント撤去:路上生活者「最悪の選択」

月曜日、名古屋・白川公園で、8つのテントに対し、市職員311人、ガードマン207人など594人、愛知県警の私服警官50人による行政代執行、強制排除が行なわれた。名古屋市がこうした強硬手段に出た理由としては、愛知万博開幕を2カ月後に控えていることが最大の要因とされている。
記事中に、
「市はこれまで、白川公園の路上生活者に対し、300回以上の福祉相談を行ってきた、などとして、「今回の強制撤去は性急なものではない」とする。しかし、シェルター入所を第一にすすめる市と、シェルター入所を嫌う路上生活者の話し合いは、これまでもすれ違いに終わってきた。
 この日、テントを強制撤去された男性(55)は「シェルターに入った仲間で、入所中に仕事が見つからず、結局テント生活に戻った人を何人も知っている。市にそのことを言うと、『それは一部だ』と切り捨てられた。困っている人を、そんなもの一部だ、と言ってしまうような市は信用できない」と話す。」
とある。
自立支援法成立以後、確かにシェルターと自立支援センターが各所にできたが、そこに入った人の大半が「入所中に仕事が見つからず、結局テント生活に戻った」ことは行政自身の数字が示す明らかな事実だ。そこに入ると、大半の人は仕事が見つからずに期限が来て路上に戻り、しかも元の場所にテントはもう建てられず、という最悪の状態にもなりかねない。そのため、多くの野宿当事者はシェルターを敬遠してテント生活を続けている。(もちろん、シェルターが必要と考えてそこに入っている人もいる)。
必要なのは中途半端な(生活保護水準以下の)シェルター類ではなく、野宿者への「公的就労」、(働けない状態の人への)「生活保護」、あるいは無期限の「就労斡旋」や「低家賃住宅の提供」などだろう。多くの野宿当事者は「仕事さえあれば、こんなところには寝ていない」と言っている。就労対策が本格的になされれば、公園のテントは自然に減っていく。
ところが、来年度の野宿者への就労対策の全国の予算は1億1800万円となっている。一方、厚生労働省はニート対策を「若者人間力強化プロジェクト」と名付け、来年度予算で231億円を要求した(この予算についてはこちらを参照のこと)。
1億1800万円は、231億円の約0.5%。若年就労問題が重要なのは当然としても、野宿者対策はあまりに粗末にすぎはしないか。なんでこんな対策や予算しかしようとしないのか、まったく理解できない。

ホームレスがソウル駅で集団暴動
22日午後10時半ごろ、ソウル駅で、ホームレス100余人が「鉄道公安員がホームレスに暴行を加えて死亡させた」として、待合室の椅子とゴミ箱をキップ売り場の窓ガラスに向けて投げるなど、大規模な騒ぎを起こした。 このため、数百人の市民が待合室の外に緊急避難し、乗車券発券業務も1時間ほど中断した。
中央日報 - 24日(月)19時21分

きのうの「報道ステーション」でも報道されていたが、鉄道公安員の野宿当事者に対する態度がひどく、関係はかなり悪化していたらしい。
それにしても、韓国の野宿者問題は様々な対策によってかなり緩和されたという話も聞いているが、実体はどうなのかよくわからない…

三角公園のニセ札話
今、「報道ステーション」の「緊急追跡! ニセ札列島闇ルートの謎」を見た。
「いま話題のニセ札を作っているのは関西の暴力団組織だ」と言ってると思ったら、番組スタッフを乗せて日本橋の高島屋前を北上しているタクシー運転手が「ニセ札は西成の三角公園で売ってるで!」と言い、ついに映像は今日もわれわれが仕事中に休憩していた三角公園を映していた。
本当ですか! 釜ヶ崎は関西の覚醒剤売買のメッカとされてるが、ニセ札はまだ見たことないんですけど。


2005/1/23■ 橋本崇載・徐翠珍・渋谷慶一郎

将棋のNHK杯戦テレビ放送で、 ビロードのジャケットの下は紫のシャツ、さらには金髪という姿で登場し各所で話題をかっさらった橋本崇載四段が、今日放送のNHK杯で羽生善治二冠と対戦した。
思わず見入ってしまいましたが、 羽生二冠が中盤、誰も予想しなかった「36歩」から優勢を築き、テレビ将棋では見たことないような粘りを続ける橋本四段を、逆転を決して許さないいわゆる「真綿で首を絞めていく」ような寄せでしとめて見せた(ネットでは「動物虐待番組」と言われていた…)
それにしても、解説の藤井猛九段が言うように、羽生二冠の「36歩」は「今後定跡になりうるような」流れるような見事な手筋で、「すごいものを見た」とテレビの前で感心してしまいました。

今出ている雑誌、季刊「前夜」2号(特集「反植民地主義」)に、徐翠珍(ジョ・スイチン)さんが87年に指紋押捺拒否裁判の意見陳述として書いた「抗日こそ誇り」が載っている(「読み返すたびに発見のある文章を紹介していきます」というテーマ)。
中国の上海で生きていた両親の話に始まり、西成区で働いていた民間保育園が大阪市へ移管されたさい国籍条項を理由に解雇され、大阪市と闘った末に国籍条項を撤廃させて職場復帰した経緯、「障害児と健常児が共に育ちあえる」学童保育「芽」発足の話、83年の野宿者襲撃事件にともなう釜ヶ崎との出会い、指紋押捺拒否の理由などが語られている。
徐さんは、野宿者ネットワークの事務所の横の「スペース・ローカル」の3階に住んでいるが、そこはかつて学童保育「芽」で、ぼくもヘルパーや指導員のアルバイトでしばらく通っていた。徐さんとは何人かで山登りに行ったりしたこともある。(障害児の介護で「芽」に泊まり込んだその日に、隣のアパートの出火で建物が全焼するという恐ろしい出来事があった… 逃げ遅れたら死んでいた)。
なお、文章からはわからないかもしれないが、徐さんはおそろしくキャラの明るい、話しててすごくおもしろい人ですわ。

最近、渋谷慶一郎のCD「ATAK000」を何度も聴く。テクノ・ミニマルに近い限られた要素から成り立った音楽だが、それが決して単調に陥ることがない。よじれたノイズやデジタル処理されたピアノ音が音楽に介入し、その動きを絶えず移動させ活気づけていく。その結果、繰り返し聴いても飽きさせないある魅力を音楽に与えている。「同時代」を感じさせる音楽を久々に日本人から聴いた。特に、第1曲と第8曲。
最近はこのCDを聴いてぼーっと考えてから、文章を書くようにしています。


2005/1/17■ 近況など

9日に、元ひきこもり当事者で支援者の上山和樹さん、近くフリーター問題に関する本が出る予定の杉田俊介さん、編集者の方と京都で会う。(上山さんのFreezing Point の1月11日の箇所でも触れられている)。
上山さんとは初対面だが、話し合う中で、ひきこもり問題と野宿者問題との接点や社会構造の変化にともなう共通の課題などについて、問題意識の幾つかがが通じ合うのを実感する。今後、協力して実現できるかもしれないプランなども話し合う。
前にも触れたが、寿支援者交流会では「ひきこもりと野宿生活者」という学習会が行なわれ、その内容が冊子で報告されている。また、現野宿者の方のブログ「ミッドナイト・ホームレス・ブルー Plus One ホームレス問題と支援・ニート・引きこもりを暴くッ!」 では、タイトルどおり野宿者問題とニート・ひきこもり問題との接点を以前から追求しており、最近のエントリーでも「もうずっと前から考えていたことだが、ホームレスのボランティアをニートや引きこもり諸君の社会参加の機会としてもらうのはどうか? そうすれば一石二鳥 だよね。こういうのをコラボレーションとかなんとかいうのかな? 双方の支援団体が横の連絡を取り合えば不可能なことではないよね」と言っている。
誰もが自分たちのフィールドの人間としか会う機会があまりないが、こうした出会いを通じて新しい展開が作られるなら、大きな可能性があるかもしれない。自分にもできることをやってみようと思っている。


“ZAP MAMA”のアルバム『アンセストリー・イン・プログレス』 を何度も聞く。
タワーレコードで6曲目の「Show Me the Way」 がかかっているのを聞いて、即買った。複雑に練り上げられたリズムの多様さと、圧倒的な存在感とどこかユーモアを持った声の重なりが素晴らしい。公式ホームページのインタビューで、彼女は「 "Yelling Away"のメッセージは、どんなに人生が苦しくなっても、その灰色の現実から脱出しようと挑戦することはできるということだ。そして、それが私がこのレコードで自分に求めようとした問題だった。たとえ他のすべてが悪くなっていくときでも、どうやったらみんなが幸せになり、よい生を生きることができるのだろう?」と言っているが、確かにアルバムを通して感じられるのは、強靱な生命力と多様なスタイルを組み立てていく音楽的知性の高さである。ぼくは、特に赤ちゃんの声をフィーチャーした「 ザップ・ベベ」にハマッている。

「“ZAP MAMA”を始めたシンガーのマリー・ドルヌは、ベルギー人の父親と、アフリカ・ザイール人の母親のもと、母方のザイールで生まれた。3歳の時、戦禍を避けるために原住民のピグミー族としばらく起居。物心がつくかつかないうちに、ピグミーたちが伝承してきた古来の音楽や文化を擦り込まれることになる。」
「アフリカのパーカッション、アメリカのソウル、ヨーロッパのアーバンさを見事に融合させ、まるで“ひとりの女性が様々な文化を内包している”様をカタチにしたかのような音楽を作りあげた」(米『TIME』誌)。」
http://www.bluenote.co.jp/art/20041216.html


2005/1/2■ 天王寺での小林さんへの追悼

2日前の難波・戎橋での藤本さんへの追悼に続き、釜ヶ崎越冬闘争の人民パトロールでの小林さんへの追悼。
2000年7月22日、高校生たち4人の若者が、天王寺駅前商店街で野宿していた67歳の小林俊春さんを襲撃、暴行し、その結果、小林さんは内蔵破裂によって死亡した(小林さんは釜ヶ崎で日雇労働者として仕事をしていたが、不況と高齢との影響を受けて野宿に追い込まれ、一ヶ月ほど前からその場で段ボールハウスで野宿していた)。
襲撃した4人の若者は、2000年はじめから「ホームレスは臭くて汚く社会の役に立たない存在」「格闘技ゲームの技を試し、日頃の憂さをはらしたかった」と、「こじき狩り」と称して野宿者への襲撃を繰り返していた。彼らは「スリルがある」「憂さが晴れる」と集団化し、「かかと落とし」や「回しげり」などのゲームの技を試していたという。 他の少年9人も、その年の1月から約半年間に20数件、野宿者襲撃を重ねていたとされている。
 彼らは事件当夜も「狩りにいこう」「ノックアウトするまでやろう」と誘い合い、コンビニで襲撃目的の花火を買い、酒で勢いをつけて6件の襲撃事件を起こしていた。天王寺の襲撃の1時間前には、同じ区内の公園で71才の労働者のテントに爆竹を投げ込み、驚いてテントを出た労働者に暴行を加え、さらにビニールひもで首を絞めた。また、他の野宿労働者から数千円の現金まで奪い取っていた。
下の写真は、小林さんが引きずり出されて暴行された現場である。



2004/12/31■ 難波、戎橋での藤本さんへの追悼

1995年10月、戎橋でダンボール集めをしながら野宿していた当時63歳の藤本さんが、24歳の若者によって水死させられた(この事件については北村年子「ホームレス襲撃事件」に詳しい)。
事件直後、釜ヶ崎の有志で現場に祭壇を組み、何日も泊まり込んだ後、追悼会を行なってみんなで花を投げた。そのときに「死んでしまってから花を投げてももう遅い」と痛感した(毎週の夜回りなどを続けているのは、一つにはこの思いがあるからだ)。
越冬闘争中の人民パトロールでは、毎年この現場にやってきて藤本さんを追悼し、献花する。
下の写真は、今日の追悼で道頓堀川に浮かぶみんなが手向けた献花。


2004/12/30■ 釜ヶ崎・三角公園での「私をみつめて」

摂食障害とひきこもりに苦しみながら、自分や人との関係を問い直す過程を赤裸々に描いたドキュメンタリー映画「私を見つめて」が越冬闘争のプログラムの一つとして三角公園で上映された。
ビッグイシュー19号にも記事があるが、主演・制作にあたった河合さんが、釜ヶ崎にたまたま来てすっかりはまり、「生きる力をもらった」。「釜ヶ崎では、痩せたいだの、髪が乱れているだの、風呂に入ってキレイにするなんていうのは二の次。とにかく皆が生きるために必死に食べている。その風景との出会いは、自分の生き方をひっくり返すような大事件だった」(ビッグイシュー)。その「恩返し」として、この上映を、越冬実行委員会の会議に自ら出て提案したということだ(ぼくは会議には出てませんでした)。
1時間ほどの映画で、父との関係、母との関係、友だちとの関係や恋愛関係に対して、自分の存在を賭けて問いつめ、立ち向かう主人公の姿はほとんど凄絶。その中で浮かび上がる問題は多様だが、ポイントの一つは、女性にとっての(すなわち男性社会の中での)女性の「容姿」と「居場所」の問題だ。
主人公は中学のクラスメイトや父親から「デブ」「ブス」と言われたことに深く傷つき、その後、摂食障害の中で痩せた時にはホステスをし、太ったときにはひきこもるというような過程をたどる。彼女がホステス時代について言っていたが、「男の視線に対して復讐するという気持ちもあった」(記憶で書いているので、言葉が違うと思う)。
また、セックスについての話題も度々出てくるが、それは性的欲望というより、「体ごとに受け入れられたい」「自分の存在を肯定されたい」ということの即物的な表現のように聞こえる。
では、そのような彼女が釜ヶ崎で何を見て、何を直感したのか。一般社会からの差別にさらされながら、ある種の自由や優しさが確かにある釜ヶ崎は、それまで彼女が無理して生きてきた世界を相対化し、別の可能性を見せているように思えるのかもしれない。彼女には、釜ヶ崎に行くことが「…でなければ価値がない私」を「私そのもの」に変えていく機会のように感じられるかもしれない。実際、そのような思いを釜ヶ崎に来た多くの人たちが持つ(しかし、そうした思いに釜ヶ崎は常に応えられていただろうか)。
考えてみれば、食うや食わずの野宿者や日雇労働者にとって、「食べ過ぎ」になったり、食べ物があるのに「心理的に食べられない」状態の摂食障害は、ある意味ではまるで別世界の話なのだと思う。しかし、映画上映中、いつものように怒号が時折飛び交いながらも、多くの労働者が興味深く見ていたようだ。上映の前と後では、河合さんと監督が壇上に立ってスピーチをした。河合さんがそこで「これから釜ヶ崎を撮影していきたい」と言うと、公園からは拍手がパチパチと起こっていた。河合さんは、ムチャクチャ緊張していたようだった。


2004/12/29■ 細川俊夫・雅楽 「deep silence」


細川俊夫と雅楽の作品を集めた、笙とアコーディオンによるCD。
細川俊夫は、現代音楽シーンの前線をクリアした上で、繊細な美意識による透明感のある作品を作り続ける、ある意味では現代日本で最も注目すべき作曲家。だが、作品を聞き続けていると、資質によるのか「現代音楽」そのものの問題なのか、次第にその内容が先細りになっていくのが気になっていた(特に数年前に大阪で聴いた「個展」で感じたことだが)。それが今回は雅楽作品とのカップリング。
このCDの注目点の一つは、ステファン・フッソングのアコーディオンの使い方だ。なにしろ、ポルカとかの軽い印象のこの楽器で「雅楽」ですよ。しかし、笙と共演する第1曲の「盤渉調の調子」からして、アコーディオンの音感と笙のそれとが見事にはまっている。多分、このCDの中でも最も感動的ナンバー。ここでは、アコーディオンの音が、抽象的で静的な音楽の中で、ほとんど宗教的な世界を作っていく。(情熱系楽器と思われがちなギターが、ある種の曲では厳格な形而上学性を持ちうるのとちょっと似ている)。一方の宮田まゆみの笙は、相変わらずの安定した精緻な演奏だ。 
CDを聞き通して感じるのは、やはり雅楽の特殊性というか、素晴らしさだ。静かな音が次第に別の音を呼び込んで変化し動いていく様子は、光が別の色の光を呼びこみ、それが次第に燦然たる白色光への変わっていくのを見るかのようだ。そして、なだらかの音の連続は、ほとんど沈黙それ自体と区別がつかないものになっていく。
雅楽は中国、韓国を経由して日本で独特の形で完成された儀式音楽だが、その素晴らしさは、西洋で言えばカトリック教会音楽の典型とされるパレストリーナに相当するかもしれない。ただ、パレストリーナの極度に人工的に作り上げられた清澄さに対して、雅楽は非個人的な音そのものの展開という風情がある。ありがちな言い方だが、こういう音楽を知らずに死んでしまうのは本当にもったいないので、機会があれば雅楽を(特に実演で)聴いておいた方がいいと本当に思う。
細川俊夫の曲もなかなか聴き応えがあったけど、雅楽の印象があまりに強く、どうだったかよく思い出せない…
音楽を聴く気分がわかない日がなぜかずっと続く中、久々に夢中になった一枚。

盤渉調の調子(アコーディオンと笙のための)
クラウドスケープス − 月の夜 (アコーディオンと笙のための)
黄鐘調の調子 (笙のための) 線 V (アコーディオンのための)
双調の調子 (アコーディオンのための)
光の中の呼吸のように (笙のための) 壱越調の調子 (アコーディオンと笙のための)
宮田まゆみ (笙) ステファン・フッソング (アコーディオン)


2004/12/27■ 恐ろしい新聞記事を二つ

法改正後に少年11万含むホームレス67万人保護


(中国民政部の李立国・副部長は、「全国ホームレス保護管理経験報告会」に出席。03年8月から今年11月までに中国全土のホームレス保護管理所で約67万人の都市部路上生活者を保護したことを明らかにした。22日付で中国新聞社が伝えた。/保護された人の中には16歳以下11万4144人、60歳以上12万9650人、知的障害者5万1392人、重病患者9823人、精神病患者2万3791人、身体障害者5万4048人も含まれる。)

5月にも、中国のホームレス・チルドレンは「公的統計では15万人。しかし実際の数はもっと多いはずだ」という記事をリンクしたが、事実、実態はすさまじい。
5月の記事では「1978年まで、計画経済が行なわれていた間は、ホームレス・チルドレンはほんど存在しなかった。しかし経済改革と開放化の結果、人々の経済格差が増大し、ホームレス・チルドレンの問題が浮上した」とされていた。
この記事で驚くのは、保護されただけで「67万人」という膨大さもともかく、16歳以下の「こども」、60歳以上の「お年寄り」、そして重病患者、障害者の比率がきわめて高いことだ。つまり、社会的「弱者」が野宿に追いやられていることが一目瞭然だ。このような社会は「共産主義」とは言わない。
とはいえ、日本の場合も、厚生労働省による去年の「ホームレスの実態に関する全国調査報告書の概要」によれば、野宿者のうち障害を持っている人の割合は9.1%だった。そして、日本の野宿者の平均年齢は大体55歳前後となっている。そもそも、日本の野宿者はその大部分が失業によって野宿に至っている。つまりは社会的弱者が野宿に追いやられているわけで、規模を別にすれば内容はどっこいどっこいと言うところだろう(以前にはあまり考えられなかった未成年を含むホームレス・ファミリーにも出くわすことがある)。
最近、北朝鮮で野宿者が激増という報道がよくされているが、北朝鮮の場合は国家体制と経済体制の破綻によるものなのだろう。一方、中国の場合は経済的な格差増大という点で、欧米や日本と本質的に変わらないようにも見える。かつての「東西問題」は事実上消滅し、「南北問題」がその南北の境界を「国家内部」に広げている、という印象である。

あいりん雇用原資ゼロ 特別交付金打ち切り

(西成区のあいりん地区で、高齢者やホームレスのための仕事の原資となっていた「緊急地域雇用創出特別交付金」が打ち切られることが決まった。)

ぼくもやってる「特別清掃」の財源が打ちきり決定。ここに登録する3100人の野宿労働者、それとぼく自身が4月からどうなるか、今のところわかりません。
いま、反失業連絡会やNPO釜ヶ崎では、通常国会に向けて新たな署名活動を展開中。


2004/12/25■ 第35回越冬闘争の始まり

例年のように、25日をもって越冬闘争が始まりました。
下は、医療センター前の布団敷きの様子。今日は寒かった…

(「寄せ場メール」より引用)
■■■2004〜2005年 第35回釜ヶ崎越冬■■■

―第35回釜ヶ崎越冬闘争を闘おう!
 野たれ死に攻撃を許すな! 仕事を軸に支援策を出せ!
 戦争への国づくりを許すな! 自衛隊はイラクから撤退せよ!―

 今年で35回目の釜ヶ崎越冬闘争を迎えます。
 労働者の町・釜ヶ崎には、今日も野宿を強いられている労働者たちがあふれています。
経済状況は、釜ヶ崎の労働者の生活をしっかりと支えるには程遠く、労働者は仕事をしたくても仕事を得られず、夜間シェルターと炊き出し、そして特別清掃事業(公的就労)とでかろうじて命をつないでいます。
 今年は'04年12月25日〜'05年1月10日の期間で、釜ヶ崎越冬闘争を行います。
 取り組みの内容は恒例ですが盛りだくさんで、「越冬まつり」として餅つき大会やのど自慢大会、バンド演奏などを行うほか、「人民パトロール」で釜ヶ崎や釜ヶ崎を飛び出した市内の繁華街で市民にPRを行ったり、「医療パトロール」「炊き出し」「布団敷き」などで、野宿を強いられている労働者たちに共に寄り添い、苦痛を少しでも和らげられるよう取り組みます。
 過酷な状況の中で踏ん張っている労働者たちと連帯し、ともに越冬を闘い、2005年を迎えよう!どなたでも、多くの方々の参加をお待ちしております!!

★釜ヶ崎越冬闘争スケジュール
2004年12月25日から2005年1月10日まで
(なお、詳細のスケジュールは「日刊えっとう」にてお知らせします。)

▲第35回越冬闘争突入集会
 12月25日(土) 午後6時〜(9時終了予定)
 場所 釜ヶ崎・三角公園
* 越冬闘争突入にあたり、越冬実・支援団体のアピール・情宣・活動報告など。
集会後、映画上映。
▲医療センター前布団敷き 12月25日〜1月10日 午後8時〜翌朝5時
 場所 医療センター前
 (あいりん総合センター内の医療センター前で布団を敷き、野宿を余儀なくされる労働者に寝場所を提供します。)
▲医療パトロール 12月25目〜1月10日 午後10時〜12時頃
 場所 釜ヶ崎地域内 ※午後10時 医療センター前集合
(釜ヶ崎の地域内を、毛布やカイロを持って、労働者に声をかけて夜回りします。)
▲越冬まつり 12月31日〜1月3日 午後3時〜8時(予定)
* 連日 バンド演奏などアーティスト多数出演、のど自慢大会、餅つき大会などイベント多数
 場所 三角公園
▲人民パトロール 12月30日〜1月3日 午後8時〜10時
 (午後8時 三角公園出発)
* 釜ヶ崎地域内外で、野宿生活者を励まし、野宿問題を訴えてパトロールします。
▲お礼まいり 1月4日(火)
▲炊き出し 12月25日〜1月10日 場所 三角公園
 1日から3日までは、1日3食の炊き出しです

★医療パトロール(夜回り)、布団敷き、人民パトロール、炊き出しなどは、ボランティアの力が必要です! 1回だけでもかまいません。多くの参加をお待ちしております!

★越冬期間中は、毛布約1000枚を必要とします。支援物資のカンパなどご支援宜しくお願い致します。(毛布、布団、カイロ、米、野菜など食材ほか)
●送り先 〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋 1-9-27
 生活道路清掃事務所
●振込口座:みずほ銀行 萩之茶屋支店 普通 1387094
   釜ヶ崎実行委員会 代表 山田実

―主催 第35回釜ヶ崎越冬闘争実行委員会―
連絡先:〒557-0004 大阪市西成区萩之茶屋1-9-7
釜ヶ崎日雇労働組合気付  Tel 06-6632-4273


2004/12/19■ 最近見かけた海外の記事から

Homeless families total 100,000
イギリスのホームレス・ファミリーは10万世帯との発表が公式にあったという。支援団体は、ホームレス総数は50万人ぐらいになるだろうと言っている(BBC NEWS 12月13日)。
イギリスのホームレス数についてはいろんな数値が出ているが、とりあえず最新の情報がこれ。ただし、記事の中にもあるが、イギリスのホームレス数は増えているが、路上で寝る「野宿」(rough sleeping)は減って、施設にいる人が大半になっている。Now the homelessness is not about people living on the streets」というわけだ。
また、やはりBBCの12月16日の記事には、 Homeless face more violent crime
とあって、ホームレスの人たちは一般人に比べて暴力犯罪の犠牲になる割合が13倍であり、インタビューを受けたホームレスの52%が被害にあったとされている。
(しかし、ここにインタビューの模様の写真があるが、こういうのってどこの国でも同じだね…)。
そして、インタビューを受けた人の3分の2が一般の人から侮辱を受け、10人に一人が小便をかけられたことがあると言っている。アメリカでは野宿者襲撃について非常に詳しい報告があるが、イギリスのものは初めて見た。
反失業連絡会でも、数年前にアンケート調査の中で襲撃について聞いた覚えがあるが、数値を忘れてしまった。しかし、夜回りなどで聞く感じとしては、日本もイギリスとあまり違わないだろうと思う。
また、 Homeless and hopeless (12月8日)は、イスラエルの官庁の近所でテント村を作り、ホームレス問題と格差増大を放置し続ける行政に対して抗議を続ける当事者にして活動家の話。反失業連絡会(このサイトは長いこと更新されてません)が大阪市庁・府庁前でやってた野営闘争のようなことをイスラエルでやっている人がいる。
なお、8月21日のところでも触れたが、イスラエルでは推定で約1万人がホームレスであり、その多くがテル・アビブとエルサレムにいて、しかも若者が多いのだという。
なんというか、「どこの国でも同じだなあ」という記事が続いています(最初のは違うが…)。


2004/12/14■  「働きマン」・メールデータが消えていく(続)

最近出た安野モヨコの「働きマン」があまりにおもしろくて、何度も読み返す。相変わらず見るだけで快感という絵のタッチに加えて、出てくる多様なキャラがみんなよく立っていて、繰り返し読んでてもあきない。
「働きマン」って「労働者」ってことだけど(「仕事ができて、気が強くて、感情表現が激しい」週刊誌の女性編集者が主人公)、仕事場での人間関係のこもごもや、労働現場のリアルなゴタゴタをここまで描く作品って、考えてみればそうはないような気がする。例えば「セクハラ? そんなの別に気にしません。女で仕事もらえるならそれでいいじゃないですか。そういうの否定してるのって不自然でみにくいと思う」と言う同僚に、あるとき主人公がカチンとくる。「くそ!!! 女のコだと思って下手に出たらコレだよ。だから女と仕事すんの嫌なんだよ」「じゃあ、あたしは男なのか?」「いや… 女だ!!」「闘う女だ!!!」。しかもそのあと、その同僚の堅実かつしたたかな仕事ぶりが明らかになったりする。一筋縄ではいかないストーリー展開だ。90年代は「ハッピーマニア」と「エヴァンゲリオン」に代表されるという意見があってぼくもそう思うけど、庵野秀明(この二人はいつの間にか夫婦になってる)の迷走を考えると、安野モヨコは本当にあい変わらずパワフルだ。(しかし、こういうのでフリーターを主人公にした作品ってないんだろうか?)

メールデータの消失があって、メールソフトを変えようと思っていろいろ調べた。「2ちゃんねる」を見ていたら、「Becky!」と「鶴亀メール」が双璧で評価が高いことに気がついた。「Becky!」はあまりに有名だが、「鶴亀」はテキストエディタ「秀丸」の作者が作成したソフト。使いやすさと多機能性とで、総合評価が大変高い。「Becky!」は4000円、「鶴亀」は2000円だが、「秀丸」に送金した人は無料(ぼくは送金済み)。
「鶴亀」の売りの一つは、エディタが同じなので「秀丸」ユーザーには大変文章が書きやすいことだ。問題はネーミングで、「2ちゃんねる」でも「使っていても恥ずかしくて人に名前が言えない」との悲しい声が出てくる。でも、これを使おうかといま検討してます。
また、消えたメールデータはファイナルデータとかの復元ソフトを買って何とかしようかと思っている(しかし、1万円ぐらいする…)。

ニートだけか、生き方の迷い子たち(ブログ時評1)について触れようと思って、まだやっていない。今週中には書いとこう。


2004/12/8■  メールデータが消えていく

何日か前、「受信箱」の以前のメールの本文を見ようとしたら表示できなかった。「あれ?」と思ったが、「なんだろ」程度で特に気にしないでいた。
昨日になって、あらためて「受信箱」を見てみると、昨日より前の「受信メール」数年分のデータがタイトルも何もぜーんぶきれいに消滅していた!
びっくらこいてパソコン内をあちこち捜したが、どこにも見つからない。完全に消えてしまった模様。バックアップもかなり以前からとっていないので、回復はもう不可能だ。
おまけに、今日になったら他のフォルダのメールも消え始めている。「ウイルスか?」と思って調べたが、それは見つからない。ウイルスではない以上メーラーの問題なんだろう(多分)。メールデータの消失の話は時々聞く。が、いざ自分の身に降りかかると、記憶の一部がごっそり消えてしまった感じで、かなりのショックですよ。過去のメールをあらためて読むことなんてめったにないが、それでも時々は必要になるし、そもそもいろいろ思い出があるわけだ。
ぼくが使っているのは安定性で評価のある「シュリケン・プロ2」だが、もう怖くてとても使ってられない。明日、別のメールソフトを買いに行きます。
というか、やっぱりバックアップはしっかり取ろう!


2004/12/6■  開発教育セミナー「野宿生活から見える日本の社会 〜偏見から理解へ〜」

おとといからここのアクセスが急に10倍ぐらいに増えてるんだけど、なんでだ?

西成署前での連日の抗議行動はきのうの7時半で終わり、あとは裁判で争っていくことになった。ときどきワンカップのビンが西成署に飛び、警官に連行されそうになる人を取り返そうと労働者と私服・警官がもみあいになったりしながらも、今回は暴動にまでは発展しなかった。これは、釜ヶ崎の高齢化のためなのだろうか、他の理由なのだろうか。今回はセミナーなどで現場にいる時間が少なかったので、イマイチわからない…

下の11月7日のところで予告を出したように、「野宿者問題を考えるための参加型教材」を実践する開発教育セミナーを京都でやってきた。
去年は野宿者問題を取り上げるのが初めてということで、ほとんどぼくが一人でしゃべりたおした。今年は、去年のセミナー後に夜回りなどに関わってくれた教員の人たちを中心に、実際に参加型の授業で行なえる教材を考案し、それをセミナー参加者でやるという形。
内容は、野宿者をめぐるトピックの写真あわせや、様々なクイズ、「なぜ襲撃はおこるのか」についてのディスカッションなど。ぼく自身がする「野宿者問題の授業」でも実行可能なものがあるので、それぞれ興味津々で見ていた。
特に、「シェルター反対派住民」「シェルターはよそで作れ派住民」「行政」「シェルターに入る野宿者」「シェルターに入らない野宿者」という役割で議論する「シェルター建設をめぐるロールプレイ」は、実際にやってみないとどんな感じか全然わからなかった。やってみると、みなさん自分の役割をこなしながら、だんだん「地」が出てきたり、立場をやや離れて「本質的な解決策」を考え始めたりと、様々なバリエーションが現われるようである。
夜には(7月2日のところで触れた)映画「あしがらさん」を上映し、2日目は北村年子さんが野宿者襲撃について1時間ほど話をする。参加者の多くは、北村さんの話に非常にインパクトを受けた模様。
プログラムのあいまに、北村さんと情報交換など話をする。前から、野宿者問題に熱心に関わる若者には摂食障害、特に拒食症の女の子が多いのではないかと感じていた。それを話すと、北村さんも「実際そうで、東京では摂食障害の人のグループが野宿者問題に関わっていたりする」と言っていた。
授業のあとで思いつめたように話しかけてくる生徒や、炊き出しや夜回りに熱心にやってくる生徒には、摂食障害の女の子の割合がどうも高い。考えてみれば、彼女たちの多くは「大人の男」が大の苦手なのではないか。なのに、ほとんどが中年男性である野宿者の話には彼女たちは非常に熱心に聞いてくる。ぼく自身、彼女たちと話しているといつも「何か」が強くひっかかるのだが、何がひっかかるのかがどうもわからないままでいる。


2004/12/3■  「警官が暴行」西成署に250人抗議



西成署前で昨日も今日も抗議行動が続いている。アサヒ・コムの記事はこちら。今日はさらに人が増え、暴行を受けた人もマイクで当時の様子を語り、あれやこれやで熱気が高まっている。こういう雰囲気は1990年、92年の暴動以来のことだ。
抗議している釜ヶ崎地域合同労働組合によるビラでは下のように報じられている。
(なお、釜ヶ崎には幾つか組合があるが、ぼくはこことは関係を持っていない)
ふだんから西成署の実態を知っているわれわれ釜ヶ崎の人間としては、「これくらいのことはあるかも」というところ。

「先月11月25日夜、.西成市民館の前で、Kさんとその場で知り合ったAさんとがちょっとした金銭トラブルになりました。そこに通りがかったIさんが間に入り、トラブルを解決しようと思いましたがうまくゆかず、「それなら警察へ行って話をつけよう」ということになり、3人で目の前にある西成警察署の一階受付に行きました。
 出てきた私服警察官が身体障害者のKさんを階段で、沖縄出身のIさんをエレベーターでそれぞれ上にあげ、別々の取調室に入れました。
 そしてKさんには、目にいきなりスプレーを吹きかけました。痛くて目が開けられない状態のなかで、踏まれ、蹴られ、靴等で頭をたたかれ、逆エビ固めをされ、息の詰まる思いをさせられ全身打撲を負いました。その後本人の記憶にないまま調書をとられ、人差し指で指印を押したと言うことです。今も左鎖骨辺りに傷跡が残っています。
 一方、Iさんはこれも取り調べ室に入れられたとたん倒され、踏んだり蹴ったりされました。床に流れた血は私服警官が持ってきたトイレットペーパーで拭かされ、血が止まるまで傷口をトイレットペーパーで押さえていました。出血がおさまったころ帰らされましたが、ドヤのトイレの鏡で顔を見て傷口が開いているのに驚き、西成警察に引き返して救急車を呼んでもらいました。私服警官が一人救急車に同乗し、杏林病院で治療を受けましたが、全身打撲、左の眉毛の上と額を合わせて6針も縫う怪我でした。右の頬には私服警官に踏まれた靴のあとが残っています。
 国営暴力団西成警察による釜ヶ崎労働者への暴カリンチは許されません。泣き寝入りはするな。近頃の酉成警察の横暴は目に余るものがあります。野宿生活者への威圧、露店への妨害行為。警察がハバをきかせる釜ヶ崎は住みにくくなりました。 労働者は団結して警察の暴力、リンチ、嫌がらせを跳ね返そう。」


2日で触れた掲示板の続き。

松井さん、応答をありがとうございます。
松井さんの言われる「カテゴライズの問題」については、「ニート」というカテゴリー自体の持った意味について考えることがあります。もともとイギリスで使われた「ニート」という言葉が日本に(やや定義を変えて)導入されると、ただちに「ニート問題」が発生しました。それまで数十万の単位で存在したにもかかわらず、ほぼ無視されていた「働か(け)ない・学校にいか(け)ない」人たちの問題が、このカテゴリーの導入によって一気に浮上しました。それは、フリーターとひきこもりの間をつなぐものでした。言い換えれば、ニートというカテゴリーによって、「フリーター問題」「ひきこもり問題」「不登校」といった幾つかの若年層問題を統一的に捉える視点が今まで以上に現実性を持つようになりました。
しかも、ニートはフリーター以上に、ぼくが関わる野宿者問題と強い関係を持っています。フリーターは働いていますが、「働か(け)ない」ニートには収入がありません。しかも、「働くぐらいならホームレスになる」と言って現実にホームレス化している例がすでに複数報告されています。われわれが知っている「仕事がないための野宿」とともに「心理的に働けないための野宿」がすでに日本では進行していることになります。ぼくはこの「ニート」というカテゴリーの登場を機に、「フリーター・不登校・ニート(そして「ひきこもり」)・ホームレス」を日本の社会構造の中で統一的に捉えるべきだと思うようになりました(それで、いま「フリーター・ニート・ホームレス」という文章を作っています)。そうした意味でも、カテゴライズはそれ自体暴力的ですが、同時に大きなインパクトを持つこともあると思いす。
このカテゴライズがニートと呼ばれる当事者にとって持つ意味は、社会のこれからの対応によって左右されるだろうと思います。「あんなのに『ニート』なんて言葉を作る事自体まちがっている。ただの甘えだ」と言う橋下弁護士の発言はその意味では興味深いです。少なくとも、われわれは「ニート」というカテゴリー以後の方向を探っていく必要があるのでしょう。
(今回はちょっと批判(反論)の形になりましたが、ここでの松井さんの投稿もいつも興味を持って読んでいます)。


2004/12/2■ 掲示板に書き込み

こちらの掲示板で、下の11月30日の記述について言及がありました。それに対して下の文章を書き込みました。

はじめまして、生田武志です。
今日の松井さんの書き込みで、連続した「ニート」による殺人事件に関するぼくの文章についてのコメントがありました。それに対して幾つか書きます。
松井さんの書き込みのポイント一つは、「両者の共通点ばかりを強調するのは、「ニート」や「ひきこもり」を危険な「犯罪予備軍」として見るステレオタイプの偏見を強化するだけだろう」「私が言いたいのは、二つの事件を「ニートによる殺人事件」と一括りにする前に、個別の具体的なディテールを見るべきだということ、そしてそれらの事件を家族の日頃の言動に対する加害者の「応答」として見る必要があるのではないかということです」ということでした。そして、二つの事件に対する具体的な考察が述べられています。
まず、「二つの事件を「ニートによる殺人事件」と一括りにする前に、個別の具体的なディテールを見るべきだ」という点は同感です。ぼくが書いたものは、「ニートによる殺人」という一般論がほとんどで、個別の事件に対する判断がほとんどありません。松井さんの書き込みを見て、この点はやはり大きな偏りがあったと思いました。
一方、「両者の共通点ばかりを強調するのは、「ニート」や「ひきこもり」を危険な「犯罪予備軍」として見るステレオタイプの偏見を強化するだけだろう」という箇所には同意しません。なぜなら、この二つの事件は、一般的な殺人事件の容疑者が「たまたま」ニートに分類される若者だった、というのではなく、事件の内容そのものがニート問題と深く関わっているからです。
例えば、何らかの、例えば殺人事件の容疑者が連続して「たまたま」少年だったとします。この場合、確かに「両者の少年という共通点ばかりを強調するのは、少年を危険な「犯罪予備軍」として見るステレオタイプの偏見を強化するだけ」です。それは、少年であることと殺人が直接結びついていないからです(一般に、殺人事件の容疑者の多くは中年男性だし)。それを「少年犯罪の凶悪化」「少年は殺人を犯しやすい」などとするのは単なる偏見でしかありません。
一方、野宿者殺人事件が起こったとき、その容疑者が連続して少年だった場合は全く意味が異なります。なぜなら、特に少年たちが日常的に野宿者襲撃を繰り返しているという状況がある上で、「たまたま」殺すに至ったからです。この場合は、「少年であること」と「野宿者襲撃」との間にほぼ間違いなく何らかの因果関係があります。したがって、その場合は「連続した少年による野宿者殺人について」考える必要が生まれます。
今回の二つの事件についてはどうでしょうか。28歳の男性が言っていたように、彼にとっては「家庭」というものが「居場所」ではなく、「殺すか殺されるか」場所でしかありませんでした。「殺される」とは、「心理的に居場所がない、存在する価値が保てない」という意味でしょう。そして、この家族は明らかに破綻していましたが、事件自体は氷山の一角で、こうした家族はものすごく多いはずです。つまり、「引きこもり」や「ニート」のいる家族のかなり多くには、程度はさまざまであれ「殺すか殺されるか」という強烈な葛藤が存在していると思います(もちろん、家族の問題はニートやひきこもりには限られませんが)。したがって、今回の二つの事件は、容疑者が「たまたま」ニートだったのではなく、ニートのいる家族特有の問題が「たまたま」殺人に至ったケースの方だと思います。
10月19日にも、東大阪市で20年間引きこもっていた36歳の男性が「職に就けない自分がふがいなく、3人の将来の生活が不安になって」両親を殺したとされる事件がありました。この事件の場合、経済問題が大きかったようです。そして、それと同時に家族間に「殺すか殺されるか」「自分が死ぬか親が死ぬか、あるいは両方か」という葛藤があったのでしょう。そうでなければこのような殺人にはまずなりません。
繰り返しますが、これらの事件は、容疑者が「たまたま」ニートや引きこもりだったのではなく、ニートやひきこもりのいる家族固有の問題が「たまたま」殺人に至ったケースだと思います。したがって、「連続したニートによる両親殺人について」考える必要があります。ぼくが「近況」で触れようとしたのはその点です。
あれを書いているとき念頭にあったのは、1999年に文京区音羽で専業主婦(「音羽の母」)が主婦仲間のこどもを殺した事件、それについての上野千鶴子と落合恵美子の言及でした。この事件は明らかに特異な事件で、容疑者に固有の問題があったことはまちがいありません。しかし、上野千鶴子はこの事件は「東電OL事件」とともに「「男並みに競争するか、女性性を資源に生きるか」という「二つに引き裂かれた女の『いま』の状況の両極を象徴する」と言い、落合恵美子は、この事件を機に専業主婦による子育ての不可能性を痛感し、すべてのこどもの保育園入園を実施すべきと考えるに至った、と言いました。彼女たちがこのように語るのは、この事件の背後に「専業主婦」問題、つまり社会=家族、あるいは社会=母子関係という極度に歪んだ生き方を強いられる(あるいは自ら参入する)女性たちの問題があったからです。それは、彼女固有の問題であると共に、女性や家族にかかわる社会的問題の「氷山の一角」だったからです。
ぼくが、二つの事件について触れた上で、行政が若者の独立、就業を支援する必要性や、従来とは全く別の家族形態を創造について言ったのは、それと同じ発想からです。松井さんが「個別の具体的なディテールを見るべきだ」と言うのには同感しますが、それでもなお、「両者の共通点」を強調することには、問題への認識と解決とを求める限りにおいて、やはり妥当性があると思います。

(なお、落合恵美子の発言は正確には
「子育て支援の近隣ネットワークに希望を見出した。しかしその後、育児雑誌などで『公園デビュー』という言葉が作られ、育児にからむ近所づきあいがお母さんたちのストレスの種と言われるようになった。その行き着く果てが1999年に東京都文京区で起きた、母親どうしの葛藤からくる相手の子どもの殺害という痛ましい事件だった。今や近隣ネットワークに頼るより、『母親による育児の限界』を社会的に認知して、母親の就労いかんを問わず保育園全入を進めるべき段階なのではないか、とわたしは考えを一歩進めた」(「21世紀家族へ」)というもの)。


「近況6」(2004年6月〜2004年11月)
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