DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。)

スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。


最新の近況はこちらから


2008/3/27 「愛と表現のために」・「論壇時評」

23日は次のイベントに出席。
愛と表現のために〜信じる仕事をコツコツとつづけること
会 場:南方人権文化センター
第一部 パフォーマンス 14:00〜
月乃光司(朗読)、上田假奈代(朗読) 

第二部 トークセッション 14:50〜16:00
生田武志(野宿者ネットワーク)、月乃光司(こわれ者の祭典)、山下耕平(コ
ムニタスフォロ)、上田假奈代(ココルーム)

月乃さんの朗読はさすがにインパクト抜群だった。特に、会社の上司のフルネームを連呼する詩の朗読は笑わせてくれた。ひきこもり時期に来ていたパジャマを衣装に、自分のありのままの姿を「表現」へと換えていく有様は間近で見ていて圧巻。見に来てくれたみなさんには、月乃さん、上田さんの朗読で大満足だったのではないだろうか。
会場からもいろんな声が出た。その後、ココルームのイベント「貧困・格差・連帯  〜今の生きずらさについて〜ゲスト 中村 研(ユ二オンぼちぼち 関西非正規労働組合)」にも行ったが、昼の連続で来た人が何人もいて、9時ぐらいまでみんなでいろいろ話した。
しかし、一番感心したというか驚いたのは、その月乃さんが会社員生活を続いていることだった…。

今日の朝日新聞、政治学者・杉田敦による「論壇時評」で、「世界」4月号に書いた「学校で野宿者問題の授業を」が取り上げられている。
「近年、少年らによるホームレス(野宿者)への凄惨な襲撃事件が相次いだ。「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと嘯く犯人らの偏見が、厳しい現実をふまえずに野宿者を怠け者として扱う大人たちの態度の反映であったことを生田武志は示す。実際に、生田の授業で野宿者と接することによって、子どもたちの偏見は払拭されていったが、一部の親や政治家からは、接触そのものを危険視し、妨害しようとする反応があったという。/こうしたセキュリティー意識は、一般の人々の間に深く根を下ろしているが、それは現在の政治経済体制のあり方と無縁ではなかろう。そこでは連帯は無用であり、「雑音」や「異物」を排除し、周囲を蹴落とすことで、競争力を高め続けなければならないとされている。こうした体制下で疲弊しながらも、それに代わりうる選択肢が見えないという事情が、人々を頑なにしてしまっているのではないだろうか」。
取り上げてくれたのはありがたいことです。しかし、肝心の学校関係の人からはまだ全然反応がないですよ…


2008/3/19 「日雇い派遣を禁止しろ」。では日雇労働者は?

(昨日ぐらいの発行の人民新聞社「人民新聞」に日雇い派遣について短いコメントを書きましたが、もう少し長いパージョンを以下に出します)

前から気になっているが、日雇い派遣を禁止しようとする動きがあちこちで続いている。各野党からそうした動きが見られたが、毎日新聞の10日の社説は「日雇い派遣 法改正で禁止へ踏み出せ」
「労働者の権利を守るには直接雇用が大原則」で、「日雇い派遣が抱える不安定・低賃金・危険という根本問題」は監督を強化するだけでは解決しないから「法改正で禁止へ踏み出せ」ということだ。
確かに、グッドウィルやフルキャスト(ぼくも登録して何度か仕事に行った)などの労働者の状況を見ると、細切れ型の就労で雇用保険や健康保険に加入できない、一カ月に平均十四日間働き、月収は十三万円あまり、3〜4割の中間マージン、その上、二重派遣、偽装派遣、違法派遣、データ装備費など意味不明な名目のピンハネが多発している。それが問題にされるのは当然ではある。
だが、ぼくたち釜ヶ崎の知り合いどうしでは、この「日雇い派遣禁止」の動きについて「なんだそれ」と言い合っている。というのも、釜ヶ崎や山谷などの寄せ場では、いま挙げたほとんどの問題を持った日雇労働、おまけに現在の日雇い派遣では禁止されている「危険な」港湾・土木・建築現場の労働が「違法」のまま50年も60年も(というか、戦前から)存在し続けているからだ。「日雇いは問題だ」と言うなら、真っ先に従来からの日雇労働者について一言あるべきだろうが、それについては政党からも新聞からも各メディアからもまったく語られることがない(のはなぜなのか)。
「知らない」からでは、もちろんない。寄せ場の日雇労働者の問題については繰り返し報道されてきた。特に、繰り返された暴動のたび、寄せ場の日雇労働者の問題がクローズアップされてきた。
現実として不安定就労は「貧困」と直結している。例えば、一般に結核は日本では「過去の病気」とされているが、いまも釜ヶ崎の「一〇人に一人が結核」と言われている。釜ヶ崎の結核罹患率はカンボジアや南アフリカよりも二倍近く高く、二〇〇六年でも「世界最悪の感染地」(毎日新聞)と呼ばれている。原因は、もちろん栄養不足や不安定な生活、つまり「貧困」である。不安定就労から失業へ、そして究極の貧困である野宿へ、というルートが成立してしまっているのだ。
90年代以降、野宿者が激増したが、そのほとんどが日雇労働者であることは繰り返し報道されていた。にもかかわらず、「日雇労働は問題が多いから法的に禁止してみんな正規雇用にしよう」という話はほとんど全く聞いたことがない。寄せ場の日雇労働については半世紀以上もほぼ知らん顔しておいて、日雇い派遣が広まったから「禁止しろ」という発想がイマイチ理解できない。そもそも、「日雇い派遣を禁止しろ」と言ってる人たちは、釜ヶ崎などの寄せ場の日雇労働者についても「法改正で禁止」させるつもりなのだろうか?
これは「ネットカフェ難民」の問題と似ている。去年からマスコミはネットカフェで寝泊まりする日雇い派遣などで働く若者のことを繰り返し取り上げている。もちろん、それは問題にされて当然だが、一方で全国にある、主に日雇労働者が泊まる日払いの「ドヤ」の問題はほとんど全く問題にされない。「不安定な仕事で不安定な宿泊場所」という点で全く同じなのに、「若者問題」ではないために無視されているようだ。
「日雇いは今のままでいい」と言いたいのではない。むしろ、従来の日雇労働者も含めた「不安定就労」問題全体について、トータルな対策を考えるべきだろう。
これは当然、女性労働についてもあてはまる。非正規雇用問題については、常に日経連が1995年に発表した終身雇用制と年功序列賃金を否定する「新時代の『日本的経営』」が引き合いに出される。それは、雇用形態を(1)長期蓄積能力活用型、(2)高度専門知識活用型、(3)雇用柔軟型の三種類に分け、企業ごとにその組み合わせを活用していく指針を示した。そして、まさにこの時期から「雇用柔軟型」であるフリーター層の拡大が加速していった。
しかし、1990年の調査では、パート労働者のうち、正社員と同じ時間働いている人は約2割、正社員と同じ仕事をしていると答えた人は約6割だった(日本労働研究機構)。つまり、この時期にはパート労働者は「単純労働をする短時間労働者」というより、日経連が言う「雇用柔軟型」基幹労働者へとすでに変貌していた。大沢真理が言うように、「日本の雇用を全体として考えてみると、複線・多様・流動は、この時点(90年代前半)での「今後の」というより「従来の」あり方だったといえる。もともと日本型雇用慣行が適用されてきたのは、大企業と公務部門の正規雇用者のみ、性別でいえば圧倒的に男性で、雇用者総数の20%程度にすぎなかった。(…)大企業の正社員であっても女性は若年のあいだの短期勤務が通常で、終身雇用も年功賃金も享受しなかった。中小企業の雇用者や臨時労働者、パートタイムなどについてはいうまでもない」(大沢真理『現代日本の生活保障システム』)
「フリーター≒ニート≒ホームレス」(「フリーターズフリー」創刊号)で書いたように、
「今まで不安定就労を女性に任せてきた男性社会が、不安定就労が自分の身に降りかかってはじめてそれを「社会問題」として捉え始めたのである。それに対して、女性労働のマジョリティは昔も今も不安定就労だった。したがって、ジェンダー問題へのアプローチのない不安定就労問題への提言や解決策は、事実上ほぼ無効である。」 
ただ、日雇労働、広くフリーターなどの不安定雇用をなくして、みんなが例えば「正社員」になることが「よりマシ」かといえば、そうではない。というのも、「日雇労働」「短時間労働」だから労働できる、という人もたくさんいるからだ。ぼく自身も多分そうだった。不安定雇用は、ぼくの人生にかなり適合していた。普通の会社などの仕事なら、活動などがあるたび休むのは大変だが、日雇労働なら「賃労働と活動(と余暇)」のバランスを自分でかなり自由に決めることが可能になる。
そして、会社の正社員になると「会社に身柄を売る」ようなしばりがあるが、非正規雇用、特に日雇労働の場合は、感覚としてある程度の「自由」が確保される。ただし、その「自由」は政財界側の「新自由主義」と交差しているのだが。
根本的には、「正規雇用」と「不安定雇用」という作られた二極分化を解体すべきではないか。特にこの10年、「同一価値労働・同一賃金」「社会保障の完備」を否定された「雇用の流動化」(いつでもクビにできる)の対象としてのフリーターと、極端な長時間労働を強いられる正社員という二極分化が急激に進んだ。雇用の「流動化」は、経営者側のみに都合のいい雇用の「柔軟性」(フレキシビリティ)とも表現されている。
これに対して、ワークシェアリングの一つであるオランダモデルは、柔軟性(フレキシビリティ)と保証(セキュリティ)の両立の実現を意味する「フレキシキュリティー」という概念を提出していた。その法的現実化が、1999年に施行された「柔軟性と保証法」だった。「非正社員=不安定就労=低賃金」というパート・アルバイトの基本問題がこれによって(原則としては)解消する。
われわれ自身にとって働きやすい方法を選択できる雇用の「柔軟性」と、どのような働き方にも生活が保障されるという「社会保障(ソーシャル・セキュリティ)」が両立できるシステムを作る必要がある。日雇い派遣の禁止問題は、ジェンダー・家族を含んだトータルな労働形態のリストラクチュアリング(再構造化=組み替え)の入り口として考えるべきものなのだ。(これについては、「フリーターズフリー」に書いた「フリーター≒ニート≒ホームレス」でかなり突っ込んで書いてます)。


2008/3/16 田中秀臣『不謹慎な経済学』(2月刊)によれば

 大阪・釜ヶ崎で野宿者支援活動に20年以上携わってきた生田武志の『ルポ最底辺 不安定就労と野宿』(2007年、ちくま新書)は、まさに名著と呼べる本である。この本には、高度成長期に集団就職で地方から東京や大阪など大都市に移住してきた人たちが、満足な職に就くことなく不安定就労者となり、そのまま高齢化して、いわば都市部のインフォーマルセクターに吸収されてしまった様子が描写されている。まさに彼らは、景気と関係なく、日本の構造的な歪みが生み出した社会的弱者である。
 そして、彼らへの対応策と景気対策はまったく矛盾しない。いや、矛盾しないどころか、景気対策は新たな不安定就労者を生むのを防ぎ、新規の職場を作り出す効果を持つので、むしろ彼らの生活改善に大きく貢献する(ただし生田は残念ながら、先に述べたグローバリゼーション論者であり、これは不幸なことだ)。(『不謹慎な経済学』P112)


さて、「先に述べたグローバリゼーション論者」とは、同書P109にある
「経済格差の原因はグローバリゼーションやIT革命、規制緩和などの構造改革である」とする見方は、日本の90年代におけるデフレと失業の増加や不況の進展を、整合的に説明できない(一例として、野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社を参照されたい)。もし「バブル崩壊以降の長期停滞と経済格差は、グローバリゼーションやIT革命を原因として発生した」と唱える論者がいれば、それだけで僕はその人の見識を疑ってしまう。
ということなのでしょう。
一方、ぼくは『ルポ最底辺ー不安定就労と野宿ー』でこう書いている。
「先進国内部に現れた野宿者問題は、世界的な南北問題あるいはグローバル経済と幾つかの段階を置きながら結びついている。第三世界で安い労働力が大量に使われると同時に第一世界で失業が起こるという、第一世界の産業空洞化と国際分業の進行、先進国内部での専門的な中核社員層とマニュアル通りに働く低賃金の不安定労働者との二極分化の進行。そしてこれは、世界市場における富の極端な集中と同時進行している。いわゆる「ニューエコノミー」における格差拡大、家族像の変容、公的社会保障システムの機能不全が世界的なホームレス問題の背景にあり、日本の野宿者問題もその流れにあると言えるだろう。」
ここで言いたいことの一つは、野宿者問題をはじめとする貧困問題は、「ニューエコノミー」における格差拡大、家族像の変容、公的社会保障システムの機能不全の3つの要因を考えるべきだ、ということだ。その意味で、経済問題(グローバル化も含め)は要因の一つにすぎない。
その意味からも、野宿者問題は「グローバル経済と幾つかの段階を置きながら結びついている」と言っている。(「経済のグローバリゼーション」と「格差拡大」「貧困拡大」が無関係と実証したと言うならともかく、無視し得ない関係があると考えるのが普通でしょう。)
ここで問題は、「景気対策は新たな不安定就労者を生むのを防ぎ、新規の職場を作り出す効果を持つので、むしろ彼らの生活改善に大きく貢献する」という見解だ。
実際には、そもそも釜ヶ崎をはじめとする日雇労働者は「バブル期」に激増していたので、この見方は疑わしい。また、新書からは最後に削除した記述だが、「行き倒れである「行路死亡人」は、1988年度までは年間200人前後で横ばい状態だったが、90年度に252人に急増した(大阪市保護課)。その後も、92年度は248人、93年度も235人にのぼった。これは、市内の交通事故による死者数(年間平均約160人)を上回る。それは、経済が好調でも、野宿を強いられ、最後に路上死に至る人々が一定数いることを意味していた」。バブル絶頂期にも路上死は「急増」していたのだ。
「景気対策は(…)生活改善に大きく貢献する」。これは、「経済成長こそ失業や格差・貧困問題への最良の対策」ということなのだろう。これについては、「フリーター≒ニート≒ホームレス」(「フリーターズフリー」創刊号)で触れたので、長くなるが以下に(一部略して)自己引用する。

 ちなみに、「景気が回復すればフリーター問題のかなりは解決する」ということも「よく言われるセリフ」である。一般的にも、「経済成長こそ失業や格差・貧困問題への最良の対策」と言われている。(…)
 まず、当然のことだが「不況」を望む人は(まず)いない。特に不安定就労の労働者の多くは、日雇労働者がそうであるように不況の影響を真っ先に、そして「もろ」に受ける。そうである以上、多くの人は当然のこととして不況より好況を望む。
 ところで、2007年3月現在、その期待通り日本は好況を維持している。そして、これはすでに「戦後最長」であるという。しかし、格差・貧困・不安定就労問題はこれによって解決されただろうか。むしろ、拡大進行し続けていると見るのが適当だろう。つまり、事実として「戦後最長の経済成長でさえ格差・貧困問題を解消するに至らなかった」のだ。一つには、「わが国の所得分配の不平等化は80年代から長期的なトレンドとして認識されるので、ここ最近の景気回復によって、そのトレンドが修正されることはない、と判断される。せいぜい言えることは、バブル崩壊以降の不景気によって一層悪化した所得分配の不平等化を、元々の長期トレンドによる不平等化の流れに戻すことはありえよう」(橘木俊詔・浦川邦夫『日本の貧困研究』)からである。永遠に好況が続くというのならともかく、景気変動を前提とする限り、貧困問題は遠くない将来、現状以上に悪化するだろう。しかも、雇用と家族の安定が失われたいま、生活保障を行なう国家が前面に出るべきであるのに、日本の社会保障費の国庫負担はむしろこの20年間で約29%から19%へと激減していた(そんな国は先進国では日本だけだと言われる)。「所得再分配」を担う所得税の最高税率も、1986年の70%から現在の37%まで急減している。したがって、貧困問題の解決は「限られたパイの切り分け方を変え、豊かな人々の負担によって恵まれない人々の状態を改善する」再分配なしに考えることはできない。
 そして、この「長期的なトレンド」は日本だけの現象ではない。格差と貧困の拡大は、好況期の国家でも不況期の国家でも、また福祉国家でもそうでない国家でも世界的に拡大傾向にある。例えば、アメリカ経済の景気拡大は91年から2000年まで続き(1945年以来、戦後最長)、その間、失業率も年々低下していった。にもかかわらず、究極の貧困である「ホームレス問題」は、その間にも激化し改善することはなかった(「1987年から1997年まで、多くの都市でホームレス対象のシェルターの収容量は2倍(幾つかでは3倍)になった」「この20年間、アメリカのホームレス数は劇的に増加し続けている」http://www.nationalhomeless.org/publications/facts/How_Many.pdf)。
もちろん、不況が続けば、「雇用の減少、失業率の上昇、企業倒産、賃金カットなどにより所得格差は拡大」する。しかし問題は、たとえ経済が好調であってもそれらの問題が解決されない状況にわれわれがいるということにある。一つには、第二次産業を中心に進行したかつての「高度成長期」とは異なり、情報・コミュニケーション産業を中心にしたポスト工業化社会の中で、労働形態や家族形態が自由化する傾向をとどめることがもはや不可能だからだ。経済成長を否定することに意味はないが、それと同時に「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するに必要な何らかの「再分配」の必要性は自明である。

(注、「雇用の減少、失業率の上昇、企業倒産、賃金カット」は経済成長によって解決されうるのだから、「それらの問題が解決されない」は間違い。「所得格差は解決されない」と修正します。)


2008/3/9 「越冬する野宿者たち」全10回

京都新聞の文化面で去年12月から今年3月まで10回連載した「越冬する野宿者たち」が京都新聞のサイトでアップされてます。
毎週重い内容を書くのは結構こたえました。
記事を書くにあたって、釜ヶ崎キリスト教協友会、こどもの里、ふるさとの家、越冬闘争実行委員会、高齢者の仕事と生活を勝ち取る会、大阪城公園よろず相談所など、団体や個人の方にお世話になりました。
最初にプランを決めたときには、「若い野宿者・「ホームレス中学生」の将来」「女性野宿者の問題」「ビッグイシュー」「河川敷で増える野宿者」「日雇労働と日雇派遣」「いすとりゲームとカフカの階段」「日本と海外のホームレス問題」についても書く予定でしたが、連載の間に路上死など様々な事件が起こり、結局「死」について書くことが多くなりました。仕方ないとは思うのですが、こうしてまとめると「これってどうなんだろう」という気が自分でもします。
この記事を読んで、カンパ・寄付を送ってくださった読者、さらに夜回りに参加してくれた人などが何人もいました。大変ありがたく思っています。


2008/3/7 血を見る腹筋運動・「学校で野宿者問題の授業を」

私事ですが、ぼくは何年かに一回、仕事もできないようなひどい腰痛になるので、予防のために部屋でなるべく毎日腹筋運動をしている。
足に重石(建築現場で使う、水を入れるプラスチックの大きなヤツ)を置いて、ヒーヒー言いながら100回程度腹筋をする。しかし、やっていると、負担がむしろ「腹筋」以外の場所にくることに気がついた。体の支点になる「尾てい骨」あたりが床や服と擦れて痛くなってくるのだ。
きのうも「イテテテテ」と思いながら腹筋を100回やって、やれやれと銭湯に行った。そして服を脱いで気が付いたのだが、下着(パンツ)が血だらけになっている! 腹筋のやりすぎで、なんと皮膚が破れてお尻が血まみれになっていたのだ。
銭湯では、まわりの人たちがぼくの方をチラチラ見ていた…。パンツを血だらけにして銭湯にやって来た男を、あの人たちは何と思ったのだろうか(血便とか?)
しばらく腹筋運動は止めます。


4月8日発売の雑誌「世界」(岩波書店)に、「学校で野宿者問題の授業を 『極限の貧困』問題と教育の課題」という文章を書いています。
2001年から教育現場で「野宿者問題」を扱う意義を訴え、大阪市教育委員会と交渉を続ける他、各地の学校・フリースクールで「野宿者問題の授業」を70数回行なってきました。
しかし、襲撃は依然として続発する中、「野宿者問題の授業」はごく少数にとどまっています。
原稿の最後に
「野宿者問題の授業に関心のある方は、「野宿者問題の授業を学校で行っています」にアクセスするか、野宿者ネットワークの携帯電話、090−8795−9499まで連絡をくださるようお願いします。」
と書いています。
みなさんのお知り合いの教員の方に、「こういう文章が出てるよ」と伝えて下さると大変ありがたいです。
また、学校などでの「野宿者問題の授業」もできる限り受けたいので、要望などがあれば紹介をよろしくお願いします。


送られてきた「介護保険情報」3月号(社会保険研究所)に『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』の書評が載っていた。
「ブックレビュー・ケア読考感」のコーナーで、冒頭「今回はちょっと気の滅入るような本と、でも元気になろうよっていう本を1冊ずつ」ということで、ぼくの本と蜂須賀裕子『脳を元気に保つ暮らし方』(大月書店)の紹介。もちろん、ぼくのが「ちょっと気の滅入るような本」。
書き手は環境ジャーナリストの本橋恵一さん。内容をいろいろ紹介してくれてます。忘れた頃に書評がやってきました。


2008/2/27 「不登校・再考」座談会をアップ

1月6日に梶屋大輔さん・山下耕平さん・栗田隆子さん・生田の4人で新宿の喫茶店で話しあった「不登校・再考―学校に行かなかった/行けなかった声はいまどこで響いているのか」を「フリーターズフリー」のページにアップしました。(トップページへのリンクなどはいずれ入ります)。
「不登校、ひきこもり、フリーター、野宿者、女性」問題について4人で2時間半にわたって話をしましたが、終わってみると、不登校についての話がメインになりました。
この座談会は、参加者とテーマを変えながら、これからも続けていく予定です。

参加者プロフィール
梶屋大輔
1982年兵庫県生まれ。大学卒業後、新卒紹介予定派遣で営業職に就くが、営業の
資質がないと判断され、半年で雇い止めをくらう。その後、NPO法人ニュース
タート事務局の活動に参加し、訪問活動等を行う。一昨年より、フリーター全般
労働組に所属し、プレカリアート労働運動にも力を入れ、日雇い派遣会社(株)
グッドウィルのユニオン立ち上げにも携わる。

山下耕平
埼玉県生まれ。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て
、1998年、『不登校新聞』創刊時から、2006年6月までの8年間、編集長を務めた。
また、2001年10月、フリースクール「フォロ」設立時より、同事務局長を務める。
2006年10月より、NPO法人フォロで、若者の居場所的ネットワーク「コムニタ
ス・フォロ」を立ち上げ、コーディネーターを務める。
コムニタスフォロ http://foro.blog.shinobi.jp/

栗田隆子
1973年東京生まれ、高校を「登校拒否」で中退。
大阪大学大学院博士課程中退。 現在、有限責任事業組合フリーターズフリー組合員。国立保健医療科学院の非常勤として勤務。
『月刊オルタ』2007年10月号PRIDE OF X (4) 「構造的貧困」を本気で考えるために―無力からの出発 :http://www.parc-jp.org/main/a_alta/alta/2007/10/pride
『女も男も No.110―自立・平等―』 労働教育センター 特集「品格」ブームって何? − 「強くもなく美しくもない」者たちのつながりへ


また、この座談会企画の元となった、去年12月17日の人民新聞社主催「フリーター運動・座談会」が「人民新聞」1月5・15・25日号に掲載されてます。


2008/2/20 愛媛県松山市での荷物撤去事件

朝日新聞愛媛版のこちらの記事
この件についての松山市の支援団体オープンハンドのブログ
新聞報道を簡単にまとめると、1月29日、松山市が市役所前地下広場に置いてあった野宿者の毛布や衣服などの荷物に「2月6日以降に撤去する」と記した紙をテープでそれぞれに張り付けて通知し、2月7、8日に15カ所の荷物を撤去したという。市の総合交通課は、「いずれの張り紙も1週間以上はがされておらず、ごみだと認識して撤去した」としている。(ブログを読むとわかるように、オープンハンドの夜回りでの報告とはかなり異なる。)
ぼくのコメントとして、「路上生活者の支援団体「野宿者ネットワーク(大阪市)」 の生田武志代表は「毛布や衣類は真冬に暖を取るための必需品。それを撤去するのは死ねというのに等しい」と指摘している。」とある。

きのう、愛媛の朝日新聞の記者からこの件についてコメントを求められ、
「この時期に寝具や衣類を撤去するのは、「殺す気なのか」と思わざるをえない」
「公共の場所に寝具や荷物を置くなと言うなら、どこへ置けというのか」
「不法を言うなら、行政こそ憲法と生活保護法を遵守して最低限の生活を保障す
べきだ」
といったことを言った。それがこうまとめられている。
生活している状態のテントを破壊してきた日本橋公園の事件(裁判が進行中)をはじめ、釜ヶ崎近辺でも同じようなケースはたびたびある。
松山市のその日は最低気温が0度になったという。先の西成署の警官の関わった凍死事件といい、浜松市での女性の野宿者の市役所前での放置事件といい、野宿者の生命をあまりに無視した事件が各地で続いている。


2008/2/16 日本橋の生卵の投げつけに関する記事など

こちらの今日、読売新聞夕刊の記事。
野宿者ネットワークで夜回りしている日本橋・でんでんタウンタウンでは、相変わらず襲撃が続いているが、去年の夏あたりから、自転車の少年グループが生卵を100円ショップで買って投げつけるケースがよく起きている。以前のエアガン襲撃のように「毎週何回も」というのではなく、思いついた時にやってくるようで、来る日を予測することが困難。夜回り報告に書いているが、1月末には、6〜7人の自転車の中高生がプラスチックケースに入った小麦粉をケースごと投げつけ、無言でさらに卵を数十個、ひっきりなしに投げつけてくるというのもあった。
その他、今週の京都新聞の連載「越冬する野宿者たち」で書いたが、大阪城公園では高校生くらいのグループから石を投げ込まれ、木の棒で背中や足、腕など複数を殴られ、もう一人は頭から血がでる怪我を負い、救急車が呼ばれた(入院はせず)。
 また、1月のこども夜回りでは、「大阪市の浪速区で、中学生4人にペットボトルをなげつけられ、今日も生卵を投げられた」「天王寺区のゲームセンターの近くで寝ていたら、5〜6人の男の子に石や包丁を投げられた」という話もあった。襲撃は年中続いている。
記事で「殴られたり、けられたりするより、傷ついた」という声があるが、確かに生卵の投げつけというのはそうなのだろう。(ぼくもコメントしているが、「こんなこと言ったかなあ」という感じだ…)。

「福音と世界」(新教出版社)3月号に「若者の不安定就労と貧困を問う―「フリーターズフリー」の試みを通して」という文章を書いてます。
雨宮処凛さんの講演記録の他、釜ヶ崎の知り合いの大谷隆夫さんの「釜ヶ崎の現在」という文章もあり。特集「押し寄せる貧困の波」


2008/2/8 「西成署員が野宿者を保護せず立ち去り、死亡」

読売新聞へのリンク
要約すると、
2月4日午後7時ごろ、60代らしき野宿者が大阪市浪速区の路上で倒れていて、西成区内の病院に救急搬送された。点滴の途中で暴れたので、病院が西成署に通報し、駆けつけた巡査部長2人と巡査2人が午後10時ごろ、野宿者を病院の外に連れ出した。
約1時間後、近くの民家前に倒れているのが見つかり、警官4人が再び急行した。野宿者が「雨のかからんところがいい」と話したので、約40メートル離れた高架下に運んで座らせた。その際、「大丈夫か」と声をかけたところ、男性が「大丈夫。しばらくしたら移動する」と答えたことから、4人は立ち去った。
 男性は約25分後、意識不明の状態で倒れているのを近くの住民に発見され、救急車で別の病院に運ばれたが死亡した。行政解剖の結果、死因は凍死だった。
同署は「男性は病院で治療を受け、会話もできる状態だった。セーターの上にジャンパーも着ており、保護の必要はないと判断した」と説明している。

実は、ぼくのまわりの反応は、「よくあることなのに、何で記事になったんだ?」というものだった。西成署は野宿者がケガしてようが苦しそうに倒れてようが、ほったらかしなのが当たり前だからだ。
しかし、この事件はやはりムチャクチャだ。詳しい事実関係はこれから究明されていくだろうが、そもそも「点滴を受ける体調で」「雨に濡れていて」「真冬の深夜に」「毛布もふとんもなく」「路上にダイレクトに寝て」いたら、それは普通、凍死するだろう。事実、そのたった25分後に意識不明になって救急車を呼ばれている。
警官は、自分が路上で濡れて毛布なしで寝ていたらどうなのか、全く考えなかったのか? 「ホームレスはそこらにいっぱいいるんだから、こいつも別にどおってことはない」程度にしか考えていなかったのだろう。言葉通りの意味で、警察が野宿者を「見殺し」にしているのだ。
今週、仕事で寄せ場の「あいりん総合センター」のまわりの道路を朝の5時すぎに掃除していたら、コンクリートで毛布もなしに寝ている人がいた。起こしてみたが、手は冷たくて氷みたい。7時頃が一番冷えてくるので、仕事を中断して毛布を2枚捜し出して、それでその人の体をくるんで暖まるようにした。どうなったか、しばらくして見に行くと、一応元気にしていてほっとした。釜ヶ崎にいると、こういうことは時々ある。毛布もかけずに行ってしまうのは警察ぐらいだ。
この件については、ぼくも抗議活動などに関わっていく予定。


2008/1/25 最近書いている文章から、『犬身』についての箇所を(一部カットして)抜き出す

(…)しかし、『犬身』の中に現われる最も興味深い動物は、「フサ」以前に玉石梓が飼っていた犬「ナツ」なのではないか。

「かわりに」啼く犬

「栗色で毛足が優美に長いあどけない眼をした中型の雑種犬」「もう一三歳の老犬という」ナツは、人間だった時期の八束房恵と何度か出会っている。その一つの場面は、玉石梓の自宅で八束房恵が「お喋りはじゃれ合うことに似てる、わたしは今梓と遊びたくてじゃれかかるように喋ってる、と感じ」ながら、「犬を見ただけでわたしたちのような犬好きの胸に湧き起こる快さ、人間を始めとして他の動物を見た時にはほとんど湧くことのないあの快さ」について話している時である。
「房江がことばを切ると、梓が房恵の後ろを指して楽しそうに言った。/「ナツの耳が立ってる」/振り返ると梓のことば通り、マットレスに蹲っているナツは首を起こし、両耳をぴんと立ててこちらを見つめていた。/「うちに来る人は少ないから、たまにお客さんが来て話し声がすると、何だろうと思うようですね」/梓と房恵の視線を受けたナツが立ち上がった。房恵の所に来たので頭から首筋にかけて撫でてやると、気を許したように耳を倒して床に寝そべった」。
 当たり前の場面のようだが、ナツのこの反応は奇妙に印象に残る。先に言ったように、犬の特徴の一つは人間の気分を時に気味の悪くなるほど見抜くことである。事実、房恵の言葉に「耳を立て」、彼女の所にやってきて「気を許したように」耳を倒してしまうナツの反応は、「気味の悪くなるほど」ではないだろうか。
 ここでナツは、まるで房恵の言葉の意味を理解して耳を立てているようにも見える。ナツは、単に「梓と遊びたくてじゃれかかるように」喋る気配を房恵に感じとっていたのだろうか? それとも、ナツは房恵の言葉を理解した上で、彼女に対して「気を許した」のだろうか?
 また、それから三週間ほどたった日のこと。「梓は手を伸ばし房恵の顔にかかった髪を指で押しやった。房恵の眼前にナツの鼻面や頭を撫でる梓の手つきが浮かんだ。梓の方も何か感じるところがあったのか、伸ばした手をそのまま房恵の頭の側面にあて、軽くすべらせた。掌が上下するだけではなく、指先が髪をとかすような細かい動きをした。撫でられているのだとわかると、房恵は気持ちよさに眼が眩んだ。/「ほんとだ。ナツの毛の手触りに似てる」梓は微笑みながら言った。「犬化の始まり?」/房恵は人間のことばを話せるような状態ではなかった。そのかわりのように、扉口でナツが待つことに飽きたのかワンと啼いた。」
 読み手をしびれさせるようなこの官能的な描写の中で、しかし、やはり奇妙に印象に残るのは、「房恵の眼前にナツの鼻面や頭を撫でる梓の手つきが浮かんだ」というイマジネーションに対して「梓の方も何か感じるところがあったのか」という二人のあまりに触感的な交流と、その「眼が眩む」ほどの気持ちよさの中で「ことば」を失った房恵の「かわりのように」ワンと啼くナツの位置である。
 なぜこの瞬間、ナツは啼くのだろうか。語り手が言うように「待つことに飽きたのか」。それとも、ここでナツは「犬化の始まり?」で「人間のことば」を失った房恵とその物語上の位置を「かわる」ことを示していたのか。
 事実、この次の日、朱尾と房恵が「わたしがあなたを愛らしい犬に変えてあげますよ」「だけど、梓さんが二匹犬を飼う気があるかどうかわからないじゃない? ナツが死んだら次の犬を飼うかどうかは決めてないとも言ってたし」という会話をしたその直後、「ナツが死にました」という電話が梓から房恵に入るのである。「昼頃からぐったりしてたので病院に連れていったんですけど、夜になって…」。
 ナツの死の様子は『犬身』で直接は描写されない。しかし、「ナツの死」は物語の上で決定的な意味を持っている。まるで、「梓―ナツ」から「梓―房恵」という関係への移行を、ナツが自分の死によって実現させたかのように。先に、「躊躇している私の心を汲み取ったかのように、自分から薬を飲み込み、そして私の顔をそっと舐めて死んでいった」犬の四郎の例を出したが、ここでナツは「梓と房恵」の来たるべき関係を「汲み取ったかのように」死んでいる。
 後に、朱尾の「犬の一匹くらいなら楽々殺せるけどな」といういやみを聞いたフサは、「まさかナツに手を下した?」と強いショックを受ける。
「馬鹿を言うな。あれは血栓で死んだんだ」と答える朱尾に対して、フサは「簡単に信じることができたらどんなに楽だろう」と思い悩む。「思えばナツの死は突然過ぎた。それに、わたしが朱尾に犬になれと勧められ、だけど梓に飼ってもらえるかどうか案じていたまさにその時に、梓の飼犬が死んだのはタイミングがよ過ぎる。朱尾が、梓が新しい犬を飼えるような状況をつくってわたしが魂譲渡契約を交わす決心をするように仕組んだのだとしたら、万事辻褄が合う。もしそうだとすると、わたしもナツの死に責任があるということなのか」。
 しかし、「まさにその時に」ナツが死んだのは、朱尾の意思でもなく、あるいは作者の意思でもなく、物語の中でのナツの位置の必然性によるものだったのかもしれない。しかし、そうだとすれば「ナツの死に責任がある」のは、房恵、朱尾、そして梓のすべてなのではないだろうか。ある意味で、ナツの物語上の位置は、他の登場「人物」すべてに匹敵する。いわば、物語の上で最も「犬身」(献身)したのは、ごくありふれた犬としてのナツである。

「そばに」いる犬・「そばに」いる狼
 
 それでは、ナツの位置を引き継いだフサの「献身」はどうなのか。フサは梓の「銃」となって闘った。しかし、彼女が「銃」になったのは数回で、物語のほとんどで彼女は(ナツがそうだったように)梓の隣にい続けていただけだ。事実、犬との関係について、房恵は梓とこう話している。

「人と犬との関係は、人は犬を可愛がり犬は人を信頼し慕うというものしか思い浮かびません。犬を従わせようとか用事を言いつけようとか思うことはないです」/「わたしもそうですよ」梓が言った。「犬は何もしてくれなくてもいい。自分だけになついてほしいとも思いません。ただ、可愛がらせてくれればいいんです。撫でたり食べ物をやったりというように」/梓の言葉に胸がときめいた房恵は、勢い込んで確かめた。/「ほんとうに?」/「ほんとですよ。ナツだって毎日ぼんやりのんびり過ごしているだけですし」。

 「犬は何もしてくれなくてもいい」。用事はせずただ梓の隣にいることによって、フサは梓の最も強力な拠り所でい続ける。このあり方を、別の場面で梓は言葉を換えて語っている。

「犬といることでわたしは変わるというか」梓は注意深くことばを選んでいるようだった。「犬に向かい合った時、わたしはいちばん穏やかで安定した好ましいものになる。わたしの中のいい要素を犬が惹き出して拡大してくれる。そういうものとして、犬が必要なんだと思います。あくまでわたしのために犬をそばに置く。」

 「そばに置く」こと、言い換えれば「隣にいる」ことを、『犬身』は様々なあり方で描く。(…)そして、「隣にいる」関係は「犬と狼」の場面としても描かれている。「すべて錯覚だったらどんなにいいか、とフサは思った」出来事、彬が梓と強引に性交する場面を目の前で見せられたフサは、そのあと、朱尾の本体である銀色の狼に誘い出されるように、庭を出て雑木林を抜け丘にたどりつく。

「何で黙ってるの?」何度尋ねてみても朱尾は返事をしなかった。(…)/狼は少し離れて地面に横たわり、かすかに光る二つの眼をフサに向けていた。その眼には何の感情も表われていなかったけれど、朱尾がフサの気欝を慰めるために丘の奥地へと連れ出したのだということは、もう訊いて確かめる必要もなかった。フサは朱尾といることでかつてないほど安らぎ、狼と同じようにその場に肢をたたんで休んだ。心が通い合っているというのは大袈裟でも、ことばを交わすことがまわりくどく感じられるほど、その時フサは狼と気分を一つにしていたと思う。動物同士の連帯は、こういう気配の伝達と気分の共有を基本にしているのかも知れない、そんなことも考えた。
 
 「フサは朱尾といることでかつてないほど安ら」ぐ。いわば、梓に対するフサの位置を、ここでフサに対して朱尾が占める。狼の朱尾といることで、フサもまた「変わる」。梓が犬に対してそうであるように、フサは狼に「向かい合った時、いちばん穏やかで安定した好ましいものになる」。ふだん、フサと朱尾は互いに共感はできずに一定の距離を保ち続けるが、ここでは二人(頭)は語り合う言葉が不要になるような親密さの中にいる。
 それをフサは「連帯」と呼ぶ。フサは「わたしの久喜や梓に向ける感情も名づけようがないものだ」と言うが、おそらく、フサの朱尾に対する感情も「名づけようがない」。しかし、この関係は「犬形ゲロ噴射銃」とは別の形で「家族的公理系に対して戦いを挑む」のではないだろうか。『犬身』は、玉石家といういびつな家族関係と、犬という存在を通してそれと闘う「名づけようのない」関係の闘争としてあると言えるかもしれない。

「やおい」としての『犬身』

 そして、このフサと朱尾の「名づけようのない」関係は、よしながふみの定義によれば「やおい」なのである。よしながふみは、三浦しをんとの対談でこう言っていた。 
「価値観の違う者同士、でも相手を認めてはいるその関係は、女性同士であっても、私にとってはやおいなんですよ。(…)私や友人たちは昔から、登場人物が男女だろうが女同士だろうがそういう関係をやおいって言ってたんですけど、無意識のうちに使い分けていたみたい。(…)私や友人たちの言うやおいっていうのは、セックスをしていない、つまり恋愛関係にない人たちを見て、その人たちの間に友情以上の特別なものを感じた瞬間に、これはやおいだと名づけるわけ。二人の関係が性愛に踏み込んでいたら、それをやおいとは言わないんです。そういう人たちの間柄を妄想して、創作物の中でセックスさせていることもやおいと言うから、世の中の人はやおいというものをごっちゃにしていると思うんだけど。(…)最初は反発し合っているけれど好きになっちゃうという展開ではなく、ずっと最後まで平行線をたどりながら、たまに交わることもあるというのがミソなんですよ。
(三浦しをん)わかります。私も、自分がいちばん好きな人間関係はどんなものだろうと考えると、テーマは「孤独と連帯」なんですよ。
(よしなが)まさに(笑)。それこそやおいの本質ですよ。」(『あのひととここだけのおしゃべり』2007)
 よしながふみは、BL(ボーイズラブ)は「今の男女のあり方に無意識的でも居心地の悪さを感じている人が読むもの」だと言う。いわば、BL(そしてやおい)は今の男女関係の「公理系」、家族関係の「公理系」を相対化するため、別の公理系による世界を作り出す。「二人の関係が性愛に踏み込んでいたら、それをやおいとは言わない」。通常のやおい作品は女性によるポルノグラフィティとして性愛関係を描くが、それと同時に、「友情以上の特別なものを感じた瞬間」を「今の男女のあり方」とは別の世界に移して描き出すものでもある。
 『犬身』は、その主要な登場人物が揃ったように性行為に執着しないと語る小説だった。「(房恵)わたしはセックスでときめいたことは一回もない。性行為に執着はないの」「(梓)わたしには恋愛感情もないし、人との触れ合いへの欲求もあんまりない」 「(梓)朱尾さんはご結婚は?」「(朱尾)興味ありませんね。セックスにすら関心がない」。
 朱尾は「もしあなたが犬になった後玉石梓に性的欲求を覚えたら、生まれて何年目であろうともあなたの犬としての寿命はそこで尽きます。魂はもちろんわたしのものです」と房恵に契約させる。そして、物語の中で触れ合いの快感と性的快感の境界についてフサと梓に繰り返し注意を促す。「打ち明けた話、わたしは見きわめたいんですよ、あなたの玉石さんへの気持ちは犬の慕情なのか、人間の同性愛的恋愛感情なのか」。それは、「二人の関係が性愛に踏み込んでいたら、それをやおいとは言わない」ため、つまり『犬身』で作られる関係を「やおい」にとどめておくための方法だったのかもしれない。性行為に究極の意味を見いだそうとする傾向に対して、『犬身』は性愛とは別の様々な関係を描く。そこでは、登場人物たちは性行為に踏み込むことはない。その意味で、『犬身』のフサと梓、フサと朱尾の関係は「やおい」である。われわれは、梓とフサ、フサと朱尾、そして梓と朱尾という三角形が作り出す「友情以上の特別な」さまざまな関係のあり方に魅惑させられる。そして、その微妙で多彩な「三角形」が、「梓―母親―彬」という「三角形」の引力に抗い続けるのだ。『犬身』もまた、「今の男女関係のあり方」、家族関係のありかたを回避し、相対化するため、別の公理系による世界を創り出そうと試みている。(…)


2008/1/18 「週間金曜日」の記事

「週間金曜日」1月18日号に、「野宿者<襲撃>と若者たち―虐待と暴力の連鎖を断つために」という文章を書いてます。
(これ、実は昨年の夏に掲載予定で書いたものでした。掲載が半年ずれたので、その後の経過なども追加)。

14日は「ホームレス法的支援者交流会」の設立記念シンポジウムに参加。



「ホームレス法的支援者交流会設立記念シンポ」
格差と貧困の拡大の中で、究極の貧困問題ともいえるホームレス状態におかれた人々をめぐる状況も依然として深刻であるといわざるをえません。
そんな中で、全国各地で路上や自立支援センター等での相談等に取り組んできた私たち法律家・支援者は、法的な観点からの支援について情報交換と交流を深めるべく  2004年京都で第1回の「ホームレス法的支援交流会」を開催して以降、年3回から4回程度の交流会を重ねてまいりましたが、このたび、相談・支援体制の充実させ取り組みをより豊かなものにしていくべく、今般団体として「ホームレス法的支援者交流会」を立ち上げることにいたしました。
当交流会のスタートにあたりまして下記のとおり、記念シンポジウムを企画しております。まだ年末年始のあわただしさの残る時期ではございますが、皆様ぜひご参加ください。

「ホームレス法的支援者交流会」設立記念シンポ(総会)」
法的支援を必要とするのは誰か?
−拡大するホームレス問題−
日時 2008年1月14日午後1時半〜

■NPOダンスボックスによるダンス
■記念シンポ 「法的支援の必要性−拡大するホームレス問題−」
生田武志 (野宿者ネットワーク)
黒川渡 (くろかわ診療所医師)
谷口伊三美 (東淀川区ケースワーカー/フリーダム常任理事)
中村研 (ユニオンぼちぼち/派遣労働ネットワーク・関西)
■NPOココルームによる紙芝居のむすびの映像作品上映
■各地の取り組みの報告(札幌、東京、大阪、京都、鹿児島・・・)
■当交流会設立総会


2008/1/7 フリーターズフリーの座談会・日刊ベリタ



↑6日夜、新宿区の大久保駅近くの喫茶店で、山下耕平梶屋大輔、栗田隆子、生田武志の4人で2時間半にわたって話をする。「不登校、ひきこもり、フリーター、野宿者、女性」問題について。
終わってみると、不登校についての話がメインになった。これからテープ起こしを始めて、いずれ「フリーターズフリー」ブログにアップする予定。
この日は夕方に新幹線で東京に来て、10時過ぎに話が終わると一人でマクドナルドで12時過ぎまで時間をつぶし、それから5時間パックでネットカフェに泊まり、早朝の新幹線で大阪に帰ってきました。
しかし、これからテープ起こしが大変だ…

日刊ベリタに釜ヶ崎について記事を書いてます。不定期連載の予定。


2007/12/31 第38回越冬の開始・京都新聞の連載・月刊「オルタ」のインタビュー



釜ヶ崎は越冬に入りました。30日は2日遅れ(雨のため)で「越冬突入集会」。医療センター前での布団敷き、炊き出し、人民パトロールなどはすでに始まっています。8日まで越冬実行委員会による越冬で、その後は釜ヶ崎キリスト教協友会による越冬が3月まで続き、ほぼ毎日の夜回りなどが行なわれます。
30日夜〜31日朝は布団敷きの警備に入ってました。今日ここで寝たのは52人。
寒波がやってきた上に凄い風で、布団が吹き飛びそうな寒い夜でした。(上は今日の布団敷きの写真)

京都新聞の12月27日号から、「越冬する野宿者たち」というタイトルの連載を始めています(週1回、文化面)。最初は「地図にない街」という章立てで「釜ヶ崎」の冬の様子について。(27日に電話でカンパの問い合わせがあった。ありがとうございました)。

「月刊オルタ」12月号で、インタビューを受けてます。編集の細野秀太郎さんが釜ヶ崎に来られてのものでした。「フリーターズフリー」掲載の「フリーター≒ニート≒ホームレス」について、など。
(「フリーター≒ニート≒ホームレス」は、フリーター労組の人から「はまって、コピーを取って人に読ませている」と言われることもあり、関心は持たれているようだ。しかし、なんせ小さい字でびっしりなので、「フリーターズフリー」を買った人にもそんなに読まれていないかもしれない。『ルポ最底辺――不安定就労と野宿』よりずっと発展可能性のある内容だと自分では思っているが…)。


2007/12/25 プアプア批評6 「世界のホームレス中学生」 

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)2007年冬号に連載コラム「プアプア批評」の第6回を載せています。今回は、「麒麟」の田村裕の自伝本、『ホームレス中学生』について。今や150万部の売り上げ! この10年ほどいろんな「ホームレス本」が出たけど、この本で行くところまで行きました。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。


12月22日は「釜ヶ崎講座」へ

第12回講演の集い・講演と対談
「生きさせろ!難民化する若者たち」
〜野宿労働者と非正規労働者をめぐって〜
講師 雨宮 処凛さん(作家)
対談者 生田 武志さん(野宿者ネットワーク)
    中村 研さん(派遣ネット関西・ユニオンぼちぼち)
会場 エル・おおさか 709号室

「フリーターズフリー」の執筆、創刊記念トークセッションなどでたびたびお世話になった雨宮処凛(かりん)さんとは実は初対面だった。60年代生まれのぼく、70年代生まれの雨宮さん、80年代生まれの中村さんと3人で、野宿者問題から不安定就労問題、不安定住居問題、貧困問題といろいろ話し合いました。

また、17日には人民新聞主催の「フリーター運動・座談会」に「フリーターズフリー」組合員として参加。いずれ人民新聞から記事が出ると思うけど、当日は、フリーター全般労組、フリーターズフリー、ダ★メーデー実行委員会、反戦と生活のための表現解放行動、ユニオンぼちぼち、フリーターユニオン福岡、その他の個人参加など、日本各地のフリーター運動のメンバーが集まって、現状報告、生きづらさの問題、現状とは別の働き方の問題など、いろいろなテーマで話し合いました。


2007/12/12 シュトックハウゼンの死・新聞記事の反応
(13日・一部追加)

ドイツの作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)が12月5日に79歳で亡くなった。「20Cの現代音楽」はこれで更に過去のものとなっていく。
1950年代以降、ノーノ(やベリオ)、ブーレーズ、シュトックハウゼン(不思議にもイタリア・ドイツ・フランスというバロック以来の音楽大国の作曲家たち)が、20世紀後半の前衛として音楽の概念を更新していったが、これで彼らのうち生きているのはブーレーズだけになった。ブーレーズは最近マーラーの交響曲全集を完成するなど異様に元気だが、とはいえ活躍しているのは指揮者の方で、作曲家ブーレーズはご隠居状態になっている。
シュトックハウゼンの場合、初期から1960年代前半までの評価は絶大だが、その後は「神秘主義にかぷれて作品の魅力が急速に衰えた」という評価が一般的のようだ。事実、50年代の「コントラプンクテ」や「グルッペン」を聞くと、ウェーベルンの死後たった数年で、ここまで革新的な音楽が作られてたのかと、今聞いても結構驚く。
しかし、その後の作品は、そもそもCDなどを入手することが簡単ではない。シュトックハウゼン・フェアラークから出ているCDは、日本では一枚6000円とか7000円もする!(シュトックハウゼン・フェアラークに直注すると、まともな価格で買えるらしいが)。なので、他のレーベルから出ている「ピアノ曲集」や「12宮」などを聞くのだが、それらのクオリティは「グルッペン」と比べてそれほど衰えているとは感じられない。
例えば、1993年のかの有名な「ヘリコプター弦楽四重奏曲」。この作品では、奏者たちは一人ずつヘリコプターに乗り込み、会場の周りを旋回するヘリコプターの爆音で自分の音がまったく聞こえないままひたすら演奏する。異常(誇大妄想?)そのもののこの作品は、とはいえ実際に音を聴くと、延々と続くヘリの爆音と縦横無尽に走り回る4つの弦の音が重なり合い、聞き終わると他では味わえないような開放感と爽快感が体験できるのだ。
ところで、この弦楽四重奏曲はシュトックハウゼンが見た夢が元になっている。ちょっと思うのは、シュトックハウゼンのこの夢は、たぶんコッポラの「地獄の黙示録」から来ているのではないだろうか。つまり、ヘリコプターが「ヴァルキューレの騎行」を大音量で鳴らしながら飛ぶあの超有名シーン。だとすると、ヘリコプターつながりで、この弦楽四重奏曲はヴァーグナーの「ニーベルングの指輪」に接続する。事実、この曲はシュトックハウゼン版「ニーベルングの指輪」のオペラ「リヒト」の一部になった。
シュトックハウゼンは、晩年はピエール・アンリがそうであるように「電子音楽(あるいは音響派)の始祖」として若い聞き手からリスペクトされ、日本でも熱い歓迎を受けていた(9.11事件に関する発言で世界的に物議をかもしたりもしたが)。しかし、シュトックハウゼンの後半生をかけた「リヒト(光)」全曲(約30時間!)は、まだCDでもDVDでも聞くことができない。ライヴではなおさら機会がない。その最大の作品を聞く機会が望めないわれわれは、しばらくシュトックハウゼンへの評価について「奥歯にものがはさまった」状態であり続けるだろう。


12月1日の朝日新聞の「異見新言」で、「野宿者支援 国や自治体は仕事を保障せよ」という見出しの文章を書いた(なお、見出しは記者がつけている)。釜ヶ崎で削減が危ぶまれる特別清掃事業について触れ、むしろ野宿者に仕事を保障すべきだ、例えば学校でのガードマンの仕事を、という内容。
文章も短いので、遠慮は一切なしでストレートに「行政は仕事を保障すべきだ」と書いたが、全国版でこういう内容だと、2ちゃんねるとかで「自業自得のホームレスのために税金を使う必要などない」「そんなことを人様に言う前におまえがホームレスを引き取れ」とか書かれるかもしれないなあと思っていた。が、ネットで調べてみたが、そういう反応はなかったようだ。
調べてみるとブログで反応が2つ(こちらこちら)見つかった。どちらも好意的な内容。
あと、朝日新聞で番号を聞いたということで、電話が2つかかってきた。一つは、「野宿者の方には農業の仕事を紹介するのがいいんではないですか」という内容で、「アドバイスをありがとうございます」(大意)と答えた。もう一つは、今日の電話で、「記事は本当にそう思う。うちでも背広などがあるけど、それを使ってもらえないだろうか」というもので、ありがたくカンパで送っていただくことにした。
今のところ、穏やかな反応で終始している(「寄せ場ML」などの反応は別として)。というか、それ以前に、記事はあまり読まれていないのかもしれない。(考えてみれば、ぼくも「異見新言」のコーナーって読んだ記憶がないではないか)。

追加。13日には、鹿児島大学の韓国人留学生から「記事をゼミのみんなに読ませたいので、幾つか質問に答えてください」と電話があった。質問のあと、「何か学生に言いたいことはないですか」と聞かれたので、「鹿児島にも野宿している人がいるし、支援団体もある。実態を知って、何か自分たちでできないか考えて欲しい」と答えた。


2007/12/2 緊急集会・新聞記事など

11月29日、「生活扶助の切り下げに反対する緊急集会・大阪」(エルおおさか)へ。野宿者、シングルマザー、障がい者、パートタイマー、フリーター、外国人労働者などなど、多くの立場の人が150人ほど集まった。



ただ、ぼくは「託児所」担当になって、当日、4歳の子とずーっと一緒に遊んでたので、集会の内容がまだまったくわかりません。(誰かブログにでも報告するかと思ったけど、見つかりませんわ)。


明石書店からこういう本が出ているけど、買うべきなのだろうか…(すごいタイトル。そして、お値段が!)
『世界ホームレス百科事典』 
「社会政策、保健衛生、法制度、リサーチ方法から歴史、文学にいたるまで、ホームレスに関する様々なトピックを世界ではじめて体系的にまとめあげた百科事典の待望の日本語訳。アメリカを中心に世界各国のホームレス事情を網羅。」
B5判 850頁 本体38000円+税 (「3800」円ではない!)


月刊「ガバナンス」の「著者に訊く」で『ルポ最底辺――不安定就労と野宿』についてインタビューを受け、記事になっています。「今、貧困層の問題がクローズアップされている。本書は、『究極の貧困』としての野宿者問題を生々しく伝える一冊だ」と始まる内容。


11月30日の毎日新聞夕刊(大阪版)の「若者観察室」のコーナーで、「野宿者を襲撃する若者たち」という見出しの記事を書いています。襲撃の背後にある親など大人たちの偏見の問題、地域や行政による「排除」との関係、そして大阪市教育委員会との交渉について触れ、「野宿者問題の授業」の必要性について、などの内容。


12月1日の朝日新聞の「異見新言」で、「野宿者支援 国や自治体は仕事を保障せよ」という見出しの文章を書いています。釜ヶ崎で削減が危ぶまれる特別清掃事業について触れ、むしろ野宿者に仕事を保障すべきだ、例えば学校でのガードマンの仕事を、という内容。
新聞の記事では、ある意味、雑誌や単行本にもまして事実関係のチェックが厳正で、1ヶ月近く、何度も記者と原稿のやりとりをしました。


2007/11/22 中学での「野宿者問題の授業」・「試される憲法」
(24日・一部追加)

今日は大阪市内の中学校で野宿者問題の授業。70分の枠で、ビデオ(アルミ缶集めの様子、こども夜回りの様子)を使いながら、野宿者問題の話をする。
ところで、今年度は高校や、大学、中学校教職員、一般向けの授業や講演はいろいろやってきたけど(今までで一番多かった)、中学校の授業はこれが初めて。中学校は今後も予定がないので、下手すると今年度は中学校はこれだけかもしれない。
個人的には、中学生への授業に一番関心がある。人に時々言ってるけど、可能なら毎日、各地の中学校を回って授業をしてやっていきたいぐらいだ(それで生活できるかどうかは別として)。まず、川崎市で全ての公立学校で野宿者問題の授業が行なわれた結果、襲撃が半分以下に激減したという事実がある(襲撃に対してこれほど効果的で本質的な対策は他にない)。それと、中学生の反応(感想文など)への関心。
2001年の「野宿者問題の授業」の開始以来、ホームページを作って、市の教育委員会に「授業の実現」を求めて交渉し、教材を作る教員のグループと協働し、1000人以上の教員へ研修をして授業の機会を作ってきたが、どういうわけか中学校からの授業の依頼が少ない。学校があまり必要性を感じていないのか、それとも何か「諸般の事情」があるのだろうか。
今日の授業は、700人の全校生徒対象の講演形式。これだけの人数になると、生徒の表情が見えないし、やりとりも全くできない。単発の授業は、こちらが「放出するだけ」で、唯一の財産は生徒の感想文だ。しかし、今回の授業は「来週からテストなので、感想文はなし」ということだった。
世の中、なかなか自分の思うように進まないですね。

東京新聞のシリーズ「試される憲法」で話しています(11月19日朝刊)。


2007/11/9■(13日一部修正) 書評・インタビューなど

「図書新聞」2845号(11月10日)に「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」の書評が載ってます。評者は山口恵子さん。引用を多くして、なるべく内容を紹介するというスタイル。「このような著者の経験を通した平易な文体での記述や、『新書』という形での表現は、『野宿者問題の未来』をより広く人びとと共有したい彼の意図をとらえるものであるし、私もそれを願ってやまない」とある。最後に『〈野宿者襲撃〉論』と「フリーターズフリー」の紹介をしてもらえて、ありがたかったです。

また、「週刊アサヒ芸能」(11月15日号)で本の紹介がされている。「深刻な経済格差が影を落とす現在。本書はその最果てに生きる野宿者を追う。足を棒にして空き缶やダンボールを集める日々。社会復帰の道は険しく、行政的不整合が立ちはだかる」と始まる。
最初、ちくま書房を通じて取材要請があったとき、「どんな雑誌?」と思ってウィキペディアを見たら「やくざ、エロとスキャンダルが売り物」とあった(掲載紙も表紙が「山本モナ パンティ丸見え」とか!)。どうしよう、としばらく考えてから取材を受けた。受けてみると、編集者も取材記者も真摯な態度で、とてもいい紹介記事を書いてくれました。ありがとうございます。

消費者情報」11月号・「多重債務追放キャンペーンU 脱・借金 解決への階段」でインタビューが載っている。新書を読んだ編集の人からの依頼。野宿者問題とセーフティネットのあり方などについて。ただ、記事のチェックなしだったので、修正すべき内容が幾つかある。例えば、野宿者支援について「炊き出しをやっている」といった内容があるけど、ぼくは炊き出しはやっていません。「支援としてこういう活動が行なわれている」と話したことが、「ぼくたちがやっている」と読める形になっている。他にも修正すべき内容が幾つかある(事前に文章のチェックをさせてください…)(いや、もしかして、自分から「チェックはいいです」と言ったかも? だとしたらこっちのミスだった)
また、今日の朝日新聞の市内版に、市長選についてのコメントが載っている。取材に答えたものから、記者が内容をまとめたもの。「野宿になっても助けてもらえない社会では、誰も思い切って頑張れない。財政難も分かりますが、野宿者の就労の場をもっと提供するなど、全国のモデルとなるような施策を進めることは、誰にとっても意味があると思う」といった内容。
なお、よく聞かれるけど、こうしたインタビューや取材では、基本的に謝礼やギャラはありません。こちらが取材対象で他の人が文章を書く場合、時間はとられてもギャラは発生しないという慣習がある模様(喫茶店で話したときのコーヒー代をおごってもらうとか、個人的におみやげをいただくくらい)。


2007/10/20 『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』3刷・その他

8月10日発行のちくま新書「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」の3刷が届いた(10月15日付け)。
3刷りにあたって、気がついた何カ所かに手を入れた。
P98、アルミ缶「100個で約200円」「500個で約2000円」というとんでもない間違いがあったが、ようやく「500個で約1000円」と修正。
P232、ビッグイシューについて「日本では青森から福岡まで」販売されているとあったが、9月3日から札幌でも販売されているので、「札幌から福岡まで」と変更、など。(なお、ビッグイシューは現在の発売号から従来の200円から「300円」になったが、3刷では変更できなかった)。
それでも、あらためて見ると、他にも変更した方がいい箇所があるのに気づく。いろんな問題や過去の話題に触れているので、なかなか修正が完了しない。
増刷が決まったのは読売新聞の書評が出た翌日。書店が動きがあったという話だ。
この本について、京都新聞10月7日の「本を語る」のコーナーで取材を受け、記事になっている。
また、共同通信配信(東京新聞などに掲載)の笹沼弘志さん(静岡大教授・野宿者のための静岡パトロール事務局)による書評も本の編集者から送ってもらって、ようやく読んだ。最後は「最底辺に限らず、いすを奪い合い、人を使い棄てるこの世の中に息苦しさを感じているすべての人びとに本書は新しい出会いの機会を与えてくれることだろう」とある。ありがとうございます。
あと、「赤星」(蜂起社)9−10月号にも書評が載っている。最後は「研究者ともジャーナリストとも違う、支援者として関わる中で書かれたルポと問題提起は、今後の運動の力になっていくだろうし、『貧困』をめぐる論調に一石を投じるに違いない」とある。蜂起派の人とは釜ヶ崎で一緒に活動することが多いけど、党派機関誌に書評が出るとは驚きました。


知り合いから、下に書いてある大澤さんについての文章に批判があった。おおざっぱには、「若いけどかなりの人だな」と思ってました というような言葉を書く感性はあまりにひどいんじゃないか、ということなんだけど、指摘されると確かにそうでした。大澤さんとの関係の上でも、こういうヌルイい無批判なことを言っててはダメでした。
そこで、せめて今回の受賞作について自分自身の印象をあらためて具体的に言ってみよう。
「宮澤賢治の暴力」が受賞に値する充実した作品であることは疑う余地がない。その中で、宮澤賢治の生涯や作品の検証に関していくつも学ぶことがあったけれども、ただ、それによって自分自身の宮澤賢治への読み方、ないし思考の方法が大きくインパクトを受ける、ということはなかったと思う。
宮沢賢治の作品にはかつて完全に熱中したが、ある時期から、宮沢賢治にはむしろ恐るべき自己中心性があって、そこでは現実的に「他者」が存在しえないのではないか、と感じるようになった。(もちろん、こうした問題は「宮澤賢治の暴力」の視野に入っている)。
例えば、動物。あの感動的な「なめとこ山の熊」の場合、熊たちは人間のように言葉を話し、会話をする。主人公が感動させられる熊の母と子の会話も完全に「人間の母と子」の会話で、あれでは主人公が熊を殺すことに罪悪感を抱くのも「当たり前」としか言いようがない。つまり、宮沢賢治の描く「動物」は人間が感情移入したイメージであって、現実の動物とはほぼ関係がない。『〈野宿者襲撃〉論』で検討した「隣人」概念で言えば、動物が人間の延長で「隣人」化されているわけだ。だが、そうした思考そのものに問題があるのではないか。
また、「宮澤賢治の暴力」は、弱い者がさらに弱い者を叩くという暴力の連鎖を一つのテーマとして扱う。それは、「〈野宿者襲撃〉論」でも一つのテーマだった。「宮澤賢治の暴力」の終結部分には、「そのとき彼は、もっとも殺してはいけない人を殺した人間は自分を愛し得るか、という問いにつかまれる。もちろん不可能に決まっている。しかし、あるいは、自分を殺そうとする者を愛そうとするときだけ、それは可能になるのかもしれない。なぜなら、それは、自分を彼らにとってもっとも殺してはいけない者へと近づけることであり、それはつまり、自分自身をその人のように愛そうとすることだから。それは善意でも慈悲でも欺瞞でもなく、まさに自分自身を愛するように万人に愛を向けること、向けさせられることではないだろうか」とある。
問題の根源をこうした「不可能に決まっている」ものに集中させていくことを、ぼくはどうだろうかと思う(町田康の選評もその点に触れているが)。不可能に向かう地点をむしろ逸らせ、別の角度を提示すること、言い換えれば、問題を具体的に検証し、それを別の角度から「開く」べきなのではないか(「〈野宿者襲撃〉論」終章はそうした試みだった)。
ぼくが宮沢賢治について考えるとしたら、こうした角度から宮沢賢治の可能性あるいは限界を検証するだろう。そうした関心からは、「宮澤賢治の暴力」にインスパイアされることはなかった。
先には「この作品は「第一作」というより、今までの「総決算」ではないか」と書いた。作家には、第一作が過去の自分への「決算」となるケースと、以後のすべてがそこから生まれる「跳躍」となるケースの二つがあるような気がする。その意味では、「宮澤賢治の暴力」は「決算」であり、その印象においてやや閉じられている。「この作品から予想される方向よりもずっと多様でアグレッシヴな活動を見せる」だろうと書いたのは、そういう意味である。


先日、ある大学の講師として教授会に推薦する話があるが、受けるかどうかと打診された。釜ヶ崎関連の内容を10数回講義して、最後は学生にテストをして評価をつけるという仕事だ。半日考えて、お断わりした。
だが、中学や高校では一生懸命「野宿者問題の授業」をやっているのに、なぜ大学の講師の話は断わるのか、自分のスタンスについてあらためて考えた。
まず、これが「中学か高校での連続授業」の話なら、無条件で引き受けた。一つは、ぼく自身がこの(フロイトがどこかで「エディプス期の諸問題がいわば逆向きに現われる」と言った)年代に関心があるからだ。
そして、自分自身が大学のときに一人で釜ヶ崎に来て活動を始めたので、「大学生なら、関心があれば講義なんか関係なく自分で現場に行けばいいじゃん」と考えてしまうところがある。
もっとも、大学でも単発の講義や講演は引き受けることはある。だが、単発の授業や講義は「ゲストとして」学校に行く、つまり現場に関わる人間が学校でしゃべるというスタンスだ。それに対して、講師として教えて評価までつけるとなると、自分自身が「大学関係者」になってしまう。そういうスタンスで若者と関わるのはどうなのかという気がする。
ただ、もしも収入も貯蓄もなくて、いよいよ困ったぞという状態だったら、「収入のたし」として講師もやるかもしれない。ぼくは学校を出てから、基本的に肉体労働でしか稼いでないので(原稿料、講演料では絶対に暮らしていけない)、体が故障を起こしたりしたらどうやって生活していくか、そこは本気で考えざるをえないからだ。
とにかく、「中学、高校での授業」の話を持ってきてくれるのが一番ありがたいです。


2007/10/11 大澤さんの新潮新人賞・パチンコ・パチスロ脱却道場


「フリーターズフリー」で一緒に活動している大澤信亮さんが、「宮澤賢治の暴力」で第39回新潮新人賞(評論部門)を受賞しました。掲載紙の「新潮」はいま発売中。受賞記念原稿「十年の批評」も掲載。
大澤さんは「重力02」を読んだ時から「若いけどかなりの人だな」と思ってました。その大澤さんから若年就労問題を特集するという「重力03」編集委員への誘いのメールが来て参加し、紆余曲折の末「重力」を離れて「フリーターズフリー」として雑誌を創刊したわけです。
受賞作と「十年の批評」を読んで思うのは、この作品は「第一作」というより、今までの「総決算」ではないかということです。おそらく、大澤さんはこの作品から予想される方向よりもずっと多様でアグレッシヴな活動を見せることでしょう。
自分の経験から言うと、新人賞をもらうと(落ちるより受かる方がずっといいとはいえ)あらたにいろいろな気苦労が始まってなかなかめんどい。が、彼なら問題なくやっていけるでしょう(ぼくは最近、フリーペーパー「早稲田文学」のコラム以外は文芸誌とすっかり縁がなくなってますが)。

あっしの小学校からの友だちが、パチンコ・パチスロ脱却道場を開設しました。「依存症に悩んでいる方々が、自らの力で脱却することをまじめに応援するサイト」とあります。本人もかなりハマッてたことがあると覚えているけど、こういう問題に関心ある方は一回見てみてください。



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