DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況


今頃言うのもなんだけど、ここでは、釜ヶ崎での活動のハードな面については触れません。また、僕が今主軸にしている野宿者ネットワークの諸活動についても、書ける事は全部ネットワークのページに書き込んでいるので、ここでは書きません。となると、書ける事ってかなり限られるけど、まあ公開の「近況」ってそんなもんでしょう。(2001/12/11より)


なお、文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。


2003/11/20■ 大阪市長選に出馬した小谷君(25才、コンビニアルバイター)、アンケートで野宿者問題を語る

先ほどともだちに電話で教えてもらったが、大阪市長選挙に立候補した5人に対して毎日新聞が幾つかの質問を出している(19日付)。
そのうち「国内最大のホームレス問題や全国より高い失業率など、景気・雇用問題にどう対処するか」という設問があるのだが、それについて、最年少の小谷豪純候補(25)無新はこう答えている。
「この現状なら、ホームレス天国大阪は、全国の2分の1のホームレスが集まるのは時間の問題でしょう。それを防ぐには、断固として大阪市は不法に占拠しているブルーシートを撤去の上、一般市民の生活を守ります。」
おい!
他の候補はなんと言ってるか。
あの羽柴秀吉(54)だって
「野宿生活者に対して、再教育、訓練施設を整備提供し、自立できるよう指導していく。大阪の再生は中小企業の元気にかかっている。中小企業の設備、技術開発、経営改善等に対し、助成金、補助金等、行政が手助けする制度を確立します」とか言っている。
一般市民の生活を守ります」って、野宿者は「市民」ではなく、犯罪者(「不法占拠」)扱いなんですか。
と思ったら、小谷豪純候補(25)は新聞の他の設問に対して、
「市政でいう一般市民とは何か。それは「まじめに働いて、悪いことをせず、家の中の自由と社会の秩序をふまえて、苦しくても税金を払っている人」です。この視点から、福祉、医療、教育を根本的に見直せばいいのです」
と言っている。
なるほど、野宿者は「税金払って」ないから、もう「市民」じゃないんだ。ということは、失業や震災なんかで財産を失った人もみんな「市民」じゃなくなるんだ!
なお、毎日新聞には「候補者の横顔」が載っており、それによると小谷豪純候補(25)は、
「日常の理不尽さに怒り出馬。
これまで政治に無関心だった。しかし市が後援した公募型イベントの選考基準が不透明だと感じたり、周囲の治安が悪化したことで、「普通に生活していて、理不尽なことに出くわすことが多い」と怒り、立候補を決意した。「市民主権」を取り戻すために、重大な政策は原則として住民投票するシステムを作ると公約する。
大阪で育った。4歳のころから子役でテレビなどに出演、現在はバンドのボーカルを務める。生活のためにアルバイトを続ける庶民派だ」とある。
しかし、フリーターが市長になって野宿者排除に邁進していていいんだろうか。ぼくの理解では、「フリーターは多業種の日雇労働者であり、将来その一部は野宿生活化する」のだが。
いずれにしても、他候補たちの発言を見ても一目瞭然なように、野宿者に対する政治的な視線は、羽柴候補のようなポリティカル・コレクトな無害なものと、小谷候補のような偏見まる出しの「本音トーク」との両極に別れる傾向が見られる。もちろん、われわれにとってこの両者ともが闘うべき対象である。


なお、19日の京都新聞に、最近やった「野宿者問題の授業」についての記事が載った。共同通信の記者が高美中学での授業と釜ヶ崎でのフィールドワークとを取材したのだが、それがこれからしばらく幾つかの新聞にバラバラと載るということだ。それを下に引用(元は写真付き)。
これを見て、関心を持っている先生などが連絡をとってくれれば大変ありがたいんだけど、でも以前にも姫路の淳心学院高校での授業が読売新聞の地方版に載ったことがあるが、それには何の反応もなかった。というわけで、今回も反応については予想不可能。

「一生懸命いきてる普通のおじさんだった」
 中学・高校でホームレス問題学ぶ授業

 全国各地で青少年によるホームレス襲撃事件が相次ぐ中、一部の中学、高校などでは人権学習の一環として野宿生活者の問題を学ぶ授業が始まった。大阪での授業を取材した。

 「ホームレスは役に立たない人間。だから襲った−」。テレビニュースの中で悪びれず話す若者の言葉に、生徒は静まり返った。大阪府八尾市の市立高美中の1年生を対象にした総合学習の授業のひとこまだ。
 授業には大阪のホームレス支援団体「野宿者ネットワーク」の生田武志さんを招いた。生田さんは「17年間野宿者を支援してきたが、問題は年々ひどくなっている。襲撃は毎週起きている」と語り、野宿者にガソリンをかけて火を付けた事件など具体例を報告した。
 「野宿生活者の多くが働きたいと考えているが、連絡先がなく職業安定所に行っても就職できない。昼間寝ているのは、夜空き缶集めなどをしているから」と生田さん。公務員などさまざまな職種の人が、野宿者になっていく現状を指摘した後、問題解決の方法を生徒に考えさた。
 同中では、この問題をテーマにした授業は今回が初めて。諏訪修一教諭は「学校のストレスが野宿者への襲撃という形で現れているのは事実で、避けては通れない問題」と授業を計画した動機を話す。今後もフィールドワークなど授業を継続していく意向だ。

 三重県伊賀町立霊峰中の2年生14人は大阪市西成区を訪ね、青テントが並ぶ公園を歩き、71歳のホームレスの男性から生活の様子などを聞いた。
 ある学生は「ホームレスの人はこれまでは怖かったけど、実際に話してみたら普通のおじさんだった。一生懸命生きていることが分かった」。
 生田さんは「子どもには事実をしっかり教えたい。その結果、野宿者への偏見を減らすことができる」と強調する。
 実際に生田さんの授業終了後、炊き出しなどにボランティアで参加した高校生がいたという。神奈川県川崎市では、以前からこうした授業に積極的に取り組んでおり「授業の実施前と比べ、襲撃事件が半分以下になった」とされている。

進まぬ取り組み

野宿者の人権問題などを学ぶ授業は、学校現場であまり実施されていないのが現状のようだ。野宿者が特に多い大阪市でも「市民団体の申し入れを受け前向きに検討している段階」(市教育委員会)といい、具体策はまだ決まっていない。
ある学校関係者は「普段の生活では野宿者と学校との接点はほとんどない。教師からも必要があるのかといった声すらある」と打ち明ける。
保護者の偏見の影響もあるようで、授業の実施に批判的な声が寄せられることも。大阪市教委の関係者も「授業で教えたことが後で保護者に否定されるのも…」と漏らし学校と保護者、地域が一体となった取り組みが不可欠だと指摘した。
一方、神奈川県川崎市では、ホームレスの支援団体「川崎水曜パトロールの会」の申し入れを受け、市教育委員会が野宿者への差別と偏見をなくすために数年前から冊子を各学校に配布。野宿者が多い地区などでは授業も実施した。同団体の協力で子どもと野宿者の交流も行った結果、「襲撃事件が半数以下になった」(関係者)という。
川崎市では最近、中高生らの野宿者集団暴行事件があり逮捕者が出たが、川崎水曜パトロールの会の関係者は「野宿者という弱者への攻撃は、学校でのいじめの構図と同じ。今後も学校現場と連携していきたい」と話している。
(共同通信)


2003/11/18■ 大阪YMCA国際専門学校国際高等課程(IHS)で野宿者問題の授業

毎年行ってるYMCA系の高校で50分×2の「野宿者問題の授業」をやる。
多分、どこで授業やってどうだったみたいな話は人様にはあまり(というか全然)関心ないだろうが、ぼくにとっては一つ一つ意味があるのでせっせと書くのだが、
授業は最近よくやるように野宿者襲撃をこってり扱うことから始める。
今回の出席者は「ボランティア」のクラスを取る1年生と3年生。1年生はおとなし目。だが、3年生は何か思いつくごとに疑問をばんばん言ってくる。その内容はいろいろだが、授業後半になると、「でも、失業した人でも、がんばれば就職できるんちゃうん」「さがせばバイトだってあるで」「実力社会なんだから、実力ない人のことまで考えられないんとちゃう」と結構強硬に主張する生徒がいた。
「失業者300万人が探せばみんな仕事がありますかねー?」「歳取ったらホンマに仕事ないよ」「野宿者がどんどん増えてるのは、じゃあ、仕事探さない人が増えたからですかー?」とか反問しても納得しない。「いすとりゲーム」の比喩も効き目なし。「他のみなさんは、彼女の意見にどう思います?」と聞いて、生徒みんなでの議論を図ったりしたが、むしろ、「失業→野宿は構造的な問題」というこちらの主張が納得いかない生徒が何人もいるようだった。そうした質問疑問が多く、それに答えていて、用意した授業内容が全部はこなせなかった。
授業のあと、担当の先生たちと長々と話したが、生徒たちは家が裕福なところが多く(この学校はそう)、自分たちもバイトには不自由しないので、「仕事がない」ということがどうしても現実としてわからない(らしい)。「仕事がない」という問題は、より一般的な「社会的構造と自己責任の問題」として、今までの授業でも繰り返し問題にしてきたが、しかし生徒たちの反応はちょっとやそっとでは変わっていかないということだ。
ぼくの方の反省は、授業内容をこなすことにかなり追われて、質問疑問に徹底してつきあうことができなかったことにある。「失業は自己責任」論についても、生徒どうしの議論にもっていけば1時間や2時間は話し合えただろうが、そうするとこちらが伝えたい内容がこなせなくなる。そこで、適当なところで質問を「それは後で!」(これは当然、生徒たちには不満)と切っていったが、そうなると議論も授業内容も中途半端になる。(今回の場合、あと1時間あれば何とかなった)。
釜ヶ崎で泊まってのレクチャーだったら、何時間でも時間をかけられるが、学校の授業の場合、チャイムが鳴ったらどうせ生徒は帰ってしまうのだ。そこで、こちらも最低限の事は話して伝えたい。その兼ね合いは不可能に近いのではないかと思われた。そのクラスの雰囲気があらかじめわかっていれば、それに対応していけるが、ぼくのようなゲスト型では無理である。こういうのって、なんかいい解決方あるんですかねえ。
とはいえ、3年生のうち2人が僕のところに来て、「夜回りに行きたいので行き方教えてください」と言ってきた。ありがたいぞ。(でも、こういうのって何でいつも女の子ばかりなんだ?)。
あと、授業のいろいろな面について先生たちからアドバイスを受け、ニューヨークから来ているアフリカン・アメリカンの担当の先生から海外のホームレス問題のことを聞いたりする。すべて終わって学校を出ると、疲れて頭はくらくらになる。


2003/11/16■ きのくに国際高等専修学校の釜ヶ崎研修・フィリピン・マニラのストリートチルドレンたちの夜回り

11月12〜14日・去年も来た「きのくに国際高等専修学校」の高校生たち5人が釜ヶ崎研修に来た。12日はレクチャー、13日は釜ヶ崎を歩く、西成公園、中之島前野営地へ行く。夜、木曜夜回りに参加。14日・特別清掃に参加。こどもの里のバザーに参加、という具合。
このクラスの5人は、何ヶ月か釜ヶ崎・野宿者の問題を学習した上で現地に来ている。それもあって、このクラスの高校生たちの理解と態度は、ぼくが今まで見たどんな中学生、高校生よりもよいようだ。そのうち一人の男の子は、去年も野宿者問題のクラスを取ったが、今年も(本当は無理なのに)頼み込んでまた野宿者問題のクラスを取って釜ヶ崎にきた(他のクラスじゃ沖縄行ったり北海道行ったりしてるのに!)。彼は、ぼくも出たイラク攻撃反対のデモに友達と来てたし、たまにぼく宛てに野宿者問題のことなんかでメールで質問してきたりする。「野宿者問題の授業」をやってると、女の子の反応が男の子に比べて圧倒的によいんだが、彼のようなのがいるおかげで、全員が必ずしもそうではないと言える。
去年と同様、全員に主に野宿してる労働者と一緒に特別清掃の仕事をしてもらった。あとで聞いたら、労働者の方から学校のある橋本市近辺の話とか、仕事の話とか話しかけてきて、お互いにいろいろ話ができたそうだ。さて、この生徒たちにとってこの3日間はどのような印象を残すだろうか。去年送ってもらった文集も、大変内容のあるものだったが。

この間、13日には大阪市教育委員会と交渉を持ち、さらに15日の夜回りにはフィリピン・マニラのストリートチルドレン保護施設「カンルンガン・サ・エルマ」から、こどもたち10人ほどが野宿者ネットワークの夜回りに参加した。
こどもたちは11月14日から16日まで釜ヶ崎に立ち寄り、三角公園の炊き出しや「こどもの里」との交流会に参加した。その一環で、夜回りにも来たわけ。
グループ分けの関係で、ぼくはこどもたちと夜回りができず、夜回り後の集約のときに一緒になった程度だった。
同行の日本人通訳と話したが、フィリピンでは野宿者はめちゃくちゃに多く、正確な数はわからないが200万人ぐらい(!)とか言われているらしい。見た目としては、日本で見るような段ボールハウスだったりテントだったりの様子とそっくりで、繁華街が多い。ただ、フィリピンでは単身ではなくて家族の野宿が多いという。
こどもたちの夜回りが終わった後の感想(大意)
○見ててかわいそうで、眠気がとんでしまった。こどもから暴力を受けるというのがかわいそうだと思った。あしたフィリピンに帰ってしまうけど、もっといたいと思った。
○かわいそうで、みててさびしそうな感じがした。
○日本にもこういうところがあると知って興味深かった。声をかけてあげるなどして、助けになれたことがうれしかった。



2003/11/11■ 八尾の中学校での「野宿者問題の授業」の感想文

10月28〜29日に、八尾市立高美中学で1年生対象にやった「野宿者問題の授業」に対する生徒の感想文のコピーを送っていただいた。
そのうち、特徴のある感想文を4つ紹介。


生田さんのお話を聞いて、とても心が痛みました。ホームレスの人達が、あんなむごい事件にあっているなんて、ぜんぜん知らなくて、そんな人達をゴミあつかいするなんて絶対間違ってる!と心から思いました。
そして、あの日本のホームレスの数!!信じられません。それに、外国にも、日本の何百倍もいることを初めて知りました。少し前から、よくニュースやテレビに、この問題がとりあげられていることが多く、私も見てました。その中でも、ストリートチルドレンの内容がよく心に残っています。親に見捨てられ、とっても小さな子が下水道の地下で子ネコを育てながらも自分も生きていくというものでした。とても、とてもかわいそうで…。日本のホームレスの人にもがんばってもらいたいと思います。そして、私にできることがあれば、お手伝いしたいです。


前のアンケートで、「野宿者の人を見てどう思いますか」とゆうアンケートに私は、「クサイと思う」とかいたけど、今日、生田さんの話を聞いて、「あっ、それはちょっとちがうな」と思った。水道とかで、服とかも洗っていて、たまに、おふろやさんとかにも行っていて。今、思えば、私はホームレスさんたちのコトをぜんぜんしらなかったのに、偏見をもっていた。おかしいコトだと思う。水曜日の学校登校中、4人〜5人ぐらいのアルミ缶を集めている人に会う。後ろからみると、アルミ缶の山で、人がみえないくらい集めているのをよく見かける。アルミ缶、2個で3円とか少なすぎと思った。もうちょっと値段を上げればいいのに…と思った。


最初ビデオを見て、前 野宿者をボコボコにしていたと言う人が出ていた。その人は、働いていない野宿者はじゃまで、くじょのつもりでやっていただけと言っていた。私ははっきしいってボコボコにした人たちをどつきまわしたろかとか思った。あと話でガソリンを体中にかけられ火をつけられて大けがをした人もいるっていっていた。日本では大阪が一ばん多いらしい。野宿者をかいだんで表したら最後はかべが高すぎていけない。いけないならボランティアとかみんなの協力でかいだんを作る。と言っていた。私はその通りだと思った。みんなが野宿者の事を知り、協力したらかべへあがれる人がいっぱいふえると思った。今の計さんでは20年ごにはもっともふえてるだろうと言うことだけど、今日知った私たちがかえて20年ごは野宿者がいないようになればいいなと強く思った。


今日は、ありがとうございました。
ぼくは、前々から西成区の新今宮周辺になぜ野宿者があんなに多いのかと思っていたけど、やっとその理由が分かりました。
放火や花火の事件は、人間としてゆるされない行為だと思います。
ぼくは、これからもしっかり勉強していすとりゲームのいすにすわれるようになります。
今日の事で野宿者に対する疑問や見方がすこしだけかわったような気がします。


2003/11/8■ 学者や政治家はなぜ「ホームレスも糖尿病」の話が大好きなのか?(その2)

さて、(その1)で言ったように、3万から4万いる野宿者層の中で、たまたま糖尿病の人がいたからといって、文字通り「鬼の首を取ったように」、「ホームレスはぴんぴんして生きている」「豊かな時代」と発言する人たちの政治的ふるまいの意味は何なのか。
これは、「先進国は豊かだから、たとえホームレスになってもぴんぴんして生きていけるはずだ」ということなのか? (経済学で言う「再分配より経済成長」?)
問題は医学にかかわるのだが、この点でもう一つよく言われるセリフがある。それは、「ホームレスも救急車を呼べば、先進医療をただで受けられる。豊かな時代だ」というものである。しかし、本当に野宿者は救急病院で先進的な医療を受けられるのだろうか?

日本の野宿者の医療問題に関わった「国境なき医師団」は、「日本の野宿者の置かれている医療状況は難民より悪い」と言っていた。ぼくはそれをテレビで聞いて「やっぱり」と思ったものだが、なぜ救急病院がそこら中にある日本において、そのようなことになるのだろうか。
まず、野宿者のほとんどは現金をほとんど持たず、健康保険も維持できないため、体調が悪くてもひたすら我慢するしかない。そして、我慢に我慢したあげく、最後に救急車を呼んでもらって病院に行くことになる。(つまり、この時点で相当に病気が悪化している)。
ところが、多くの地方都市の場合だが、野宿者を乗せた救急車は救急病院に着かない。なぜなら、地方都市の救急病院は、野宿者の場合そうである「行路の福祉」の経験がないため、「どう手続きしたらいいのかわからないから、そんな患者は受けられない」と、救急車からの受け入れ要請を断ってしまうからだ。こうして、あちこちの病院で断られ、野宿者を乗せた救急車は市内をさまよい続けることになる。最後にはどこかの救急病院に行くことは行くのだが、病院はその場の治療はしても、入院はできる限りさせないように、野宿者を追い返そうとする。
実際、かつては寄せ場の近辺でもそのような事態が続いたため、支援者や活動家は救急車を呼んだら自分も乗り込み、病院に入ったら入院が決まるまで座り込んでいた。こういうことを繰り返して、特に寄せ場の近辺で、だんだん野宿者を受け入れる病院が現れることになった。
では、(たとえば釜ヶ崎がそうなのだが)野宿者を当然のように受け入れる救急病院があることは、いいことなのだろうか? 
答えは、「あまりよくない」、場合によっては「病院があるよりもっと悪い」、というものである。
実は、野宿者を受け入れる救急病院というのは固定しており、たとえば釜ヶ崎近辺で野宿者を受け入れる救急病院は、主に大和中央病院、北区では何々病院というふうに相場が決まっている(釜病棟と言われる)。たとえば野宿者が府内のどこかで救急車を呼ぶと、近隣に救急病院があってもそこは素通りして(!)「釜病棟」に直行する。
で、大和中央病院のような救急病院に入院すると何をされるかというと、一言で言うと、カルテに書かれた診断に全然関係なく、高価な薬を山ほど投与されるのである。この結果、殺されてしまう日雇労働者、野宿者もいる。
実は、大和中央病院でのこうした医療の結果として日雇労働者が死亡した事件について、ぼくは医療ミス裁判にずっと支援で関わって、完全勝訴したことがある。その裁判の過程で、大和中央病院のカルテ、医療記録のたぐいも証拠保全してコピーを手元に持っている(裁判記録集も作っております)。それを見ると、「狭心症と結核」という診断で入院した患者に対して大和中央病院は、「出血改善剤」「肝疾患の薬」「消炎鎮痛剤」「脾臓の薬」「抗生物質」「消化性潰瘍治療剤」「消化機能改善剤」などを投与している。
もちろん、この点は裁判で問題になった。

弁護士「なぜ抗生物質を使うように指示したのですか」 
医師推測です、炎症があるんです」 
弁護士「どこに炎症があったんですか」 
医師「どこというか、体のどこかに炎症があるんです」 
弁護士「炎症は全然どこにもなかったでしょう」
医師そうです
弁護士「あなたの渡した薬の中で、狭心症に効くものは、どれか一つでもありますか」
医師「その中にはないです」
 
こうした先進国の先進医療の結果、すでに心筋梗塞を起こしていた患者は肝心の心筋梗塞に対する治療を受けられず、心臓を破裂させて亡くなった。この医療記録を見た医療関係者は、「ごっつい高い薬ばかりやなあ」と言っていたが、ほぽ間違いなく大和中央病院は、病状に関係なく高価な薬を来た野宿者の入院患者にガンガン打ち込んでいるのだろう。この事件は、たまたま裁判に出来たので証拠があがっただけである。
大和中央病院をはじめとする釜ヶ崎近辺の医療状況については、1時間以上レクチャーできる情報をぼくは持っているが、ここではこの辺にしておこう。とにかく、これだけでも「ホームレスも救急車を呼べば、先進医療をただで受けられる。豊かな時代だ」というセリフが単なる無知のなせるものであることは明らかである。まことに「日本の野宿者の置かれている医療状況は難民より悪い」のである。ついでに言うと、事は医療に限らないので、「衣料」「食料」「住居」についてもほぼ同様だろう。しかもそれは、豊かな社会になっても、つまりどれだけ経済成長しても解決するわけではない
(続く!)


2003/11/4■ 「兵士たち」

相変わらずオペラにハマって、時間がある限りDVD等でオペラを見る日々だが、B・A・ツィンマーマンのオペラ「兵士たち」のビデオを見た(コンタルスキー指揮)。
1965年に初演されたこのオペラは、
「18世紀シュトルム・ウント・ドランクの代表的作家レンツの戯曲に基づく。貴族の兵士に誘惑され売春婦にまで落ちていく市民の娘を描いている。言葉、電子音楽、ミュジック・コンクレート、舞台美術、バレエ、管弦楽およびジャズなどの多様な素材が混合され一大コラージュになっている。全体の構成はシャコンヌ、リチェルカーレ、トッカータ、カプリチョ、コラールといった部分に区分され、ベルクのオペラあるいは古い番号オペラを思わせる。戦後の最も注目すべきオペラ作品の一つ。」(「音楽の友」付録「作品小辞典」)
ビデオは英語字幕。途中でセリフがつかめなくなると気持ち悪いので、最初、辞書をひきながら音抜きの映像だけで見たが、無音でさえびっくらこくような作品だとは知らなかった。このオペラでは大勢の登場人物全員が上下3層で構成された舞台のあちこちに最初から登場し、出番のときは照明があたり、出番が終わると照明がなくなるという演出になっている。(たとえばペケットがこの手法を使っていた)。そして、オペラの冒頭、ティンパニのパルスが続く中、オーケストラがツィンマーマン特有の混沌とした音響を奏で続け、18世紀風の衣装にえぐいメイクをした出演者全員はティンパニのパルスに合わせて、しゃっくりを起こしたみたいな律動を延々と繰り返す。この冒頭だけで、この世のものとも思えない異常な光景である。
音楽については、CDを聴いてこの「近況」(02年1月17日)で、「この代表作とされる大作は予想を超えて異常な空間性とテンションとをはらんでいる。セリー音楽の語法を基本線にもちながら、それが一気に展開される中で、激しい感性の爆発と、多元的な空間の発生とが同時進行する」などと書いたが、舞台の多元性と劇的構成は、音楽単独のエネルギーを何倍かに展開し激化している(それにしても、歌手たちによって必死に歌われるセリー(と思う)語法のなんと美しいことだろう)。
ツィンマーマンは、ぼくにとって20世紀後半の中でも最も関心を惹かれる作曲家の一人だが、このオペラはやはりこの作曲家の代表作なのだろう。幾つかの点で「引用の音楽」であることは確かだが、これはポストモダン風の「引用」とはまるで違う。舞台で展開される音楽の異常なエネルギーと沈黙の同時進行は、知的な「戯れ」ではなく、自己破壊すれすれの暴発的な神秘主義ではないか。しかもそれが、「古い番号オペラを思わせる」構成と18世紀風の登場人物と舞台によってなされている、ということが驚きなのだ。同じようでもリヒャルト・シュトラウスの「バラの騎士」の「過去のオペラのいいとこどり」をしたエンターテイメントとは全然ちがう。「バラの騎士」が懐古趣味において大成功した傑作だとすれば、「兵士たち」は、今なお汲み尽くしがたい力に満ちた衝撃作なのではないか。早いとこ、ヤナーチェクの「イェヌーファ」等と同様、日本のプレーヤーでも見られるDVDで出してくれ!
(でも、最近気づいたけど、どんなDVDも見られるリージョンフリーのDVDプレーヤーって、日本橋行ったら免税店でいっぱい売ってるな…)

ついでに、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスで2001年12月に収録されたビョークの「ヴェスパタイン・ライブ」DVDも今日見たけど、かなりよかった。
ビョークは、シュガーキューブスのセカンドアルバムくらいからリアルタイムで聴いているが、正直なところ、ビョークのベストはシュガーキューブスのサードアルバムにしてラストアルバムになった「stick around for joy」だと思っていた。これはロックの中でもぼくの特に好きなアルバムで、買ってから何度聞いたかわからない。手軽で爽快なアイデアが一杯詰まってて、しかもそれが大当たりしていた。ヴォーカルもビョークのソロではなくて他のメンバーとのかけあいが多かったが、それがまた聴いててとてもよかったのだ。
その後、ビョークがよせばいいのにソロになって、アルバムをいくつも出した。それは全部聴いていたが、ぼくにとっては、最初の「デビュー」がまあまあで、あとは一度聴いたら「なるほどなあ」程度で、それらは聞き返すことすらなかった。「ヴェスパタイン」も同じである。
ところが、ライブ映像を見てみると、音楽的な緻密さと多彩さとがうまく組み合わせられた見事なステージで、見始めたらとても止められない。メンバー同士のアイデアの協力関係の素晴らしさもよくわかるステージで、見ていて気持ちよく、かつ刺激的なのだ。これから繰り返し見ることになると思う。これを見て、ビョークがソロになったことが(10年たって)初めて納得いった。

また、今日は大阪・河内長野市で家族殺害計画で逮捕された少女のホームページの日記を見つけて読んだ(中の写真などはすでに削除されている模様)。
報道では、リストカットを繰り返し、彼が出来てからは完全に2人だけの世界に入ってしまっていたという程度しかわからなかった。それだと完全に「家族への過剰適応」から「性愛による一体化」というパターンだと思ったが、日記を読むと、たいした分量ではないのだが、それでもも少し彼女のことがわかるようになっている。(掲示板はすでに書き込みで凄いことになってる…)。
今後、みんながホームページを持つ時代になれば、逮捕された人も自爆攻撃した人も自殺した人も、みんな「日記」を後に残していって、それが広く読まれることになるのだろう。すでに「卒業式まで死にません」の例もあるが、「誰も私のことをわかってくれない」と言っていたという彼女のような多くの少女たち、少年たちにとって、これは今後どのような意味を持つのだろうか?


2003/10/29■ 学者や政治家はなぜ「ホームレスも糖尿病」の話が大好きなのか?

養老孟司の「バカの壁」に以下の記事があることは「寄せ場メール」の情報で知っていた。(太字は生田による強調、赤字は生田記)
「ホームレスでも飢え死にしないような豊かな社会が実現した(栄養失調死してるって)。ところが、いざそうなると今度は失業率が高くなったといって怒っている。もうまったく訳がわからない(そっちの方が訳わかんねーよ)。 失業した人が飢え死にしているというなら問題です。でもホームレスはぴんぴんして生きている(!)。下手をすれば糖尿病になっている人も居ると聞きました
 人間はコロッと忘れるものです。戦前の人が見たら、なんと羨ましい人たちがそこかしこ、公園や橋の下に寝ていることか、という状態なのです。働かなくても食えるというのが暗黙の理想の状況だった頃を私はまだ覚えています。「あの人は働かなくても食える」と素封家を羨ましがっていた時代が嘘のようです。様々な「あべこべ」によって生まれた現象のおかしさが、ホームレスについての認識にあらわれている気がします(もう何を言えばいいのかわかりません)

京都新聞10月21日付の以下の記事は知り合いからのメールで知った。
ホームレスも糖尿病 麻生総務相が発言
 麻生太郎総務相は20日、鳥取県東伯町で開かれた講演会で「新宿のホームレスを警察が補導(!)して新宿区役所が経営(!)している収容所(!)(施設)に入れたら『ここは飯がまずい』と言って出て行く。新宿のホームレスも糖尿病の時代ですから。豊かな時代だ」と発言した。
 講演会は自民党鳥取県第2選挙区支部が主催し約600人が参加。同総務相は戦後、自民党の経済政策、産業育成政策が成功したことで日本が豊かになったとの内容を話す中でホームレス問題に言及した。」

こうした発言は何年も前から繰り返されている。
桝添要一がテレビ等で「ホームレスの人で、糖尿病の人がいる。いいものを食べ過ぎているんだよ」といった発言を繰り返ししているのはぼくも見ていた。しかし、現実はどうなのか。
ぼくはこの17年間、数多くの野宿者とかかわってきたが、「いいものを食べ過ぎて」糖尿病になったという人にはお目にかかったことがない。まあ、3万人の野宿者の中にはそんな人もいて、桝添氏はその例をたまたま知っていたのだろうか。しかし、そもそも「糖尿病」とは、「いいものを食べすぎて」なる病気なのか?

ぼくのパソコンにプリインストールされていた時事通信社「家庭の医学」から糖尿病の項を見てみると、
「新分類では、1.インスリン依存型糖尿病を1型糖尿病、2.インスリン非依存型糖尿病を2型糖尿病と呼ぶこととし、さらに(…)3として特定の原因によるその他の糖尿病をまとめ、さらに4に妊娠糖尿病が位置づけられるようになりました」とあり、「1型糖尿病とは、インスリンを産生・分泌する膵臓のβ細胞が破壊されてしまい、インスリンが分泌されず、その結果いちじるしい高血糖になり、それを改善するためにはインスリン注射が不可欠な病型です。β細胞の破壊の原因は自己免疫のしくみによることが多く(自己免疫性)」とある。
また「2型糖尿病の真の原因はいまのところ不明です。すなわち、なぜインスリン分泌が低下するのか、インスリン抵抗性が起こるのかという根本的な点は解明されておらず、特殊な糖尿病にみられるような(単一)遺伝子の異常はあきらかではありません」とある。さらに「2型糖尿病の臨床的特徴は、中年以降に発症することが多く、発症はゆるやかで、肥満している者が多いこと、家系内に糖尿病の者がいることが多い(遺伝性が濃い)ことなどです。すなわち、糖尿病を起こしやすい遺伝素因がある人に肥満、過食、高脂肪食、運動不足、ストレスさらには加齢などの環境因子、後天的な因子が加わって発症に至る」とされている。
また「第3の病型は、さらに細分類して、A「遺伝因子として遺伝子異常が同定されたもの」と、B「他の疾患、条件に伴うもの」に分けられます。(…)Aは、最近次々にあきらかになった単一遺伝子異常による糖尿病であり、インスリン遺伝子やインスリン受容体遺伝子異常などのほか、若年発症で濃厚な家族歴を有し(常染色体優性)、タタソール症候群と呼ばれるものやミトコンドリアDNAの異常による糖尿病などが含まれています」とある。
結局、糖尿病は(遺伝子などの)先天的な素因がとても大きく、「過食、高脂肪食」は原因の一部になることもある、ということであるらしい(間違っていたら教えてください)。とすれば、野宿者の中に糖尿病の人がいたとして、だから「いいものを食べすぎて」なった、「豊かな時代だ」からだとは(診断した医師以外は)断言できないはずである。しかし、養老、麻生、桝添といった人たちは、それをなぜか自信たっぷりに断言する(養老孟司って医学博士だろう?)。このような無知そのものの厚顔な発言は一体どうして起こるのだろうか。
さらに問題は、3万から4万いる野宿者層の中で、たまたま糖尿病の人がいたからといって、文字通り「鬼の首を取ったように」それだけを取り上げて「ホームレスはぴんぴんして生きている」「豊かな時代」と発言する人たちの政治的ふるまいの意味である。こんな希少な例を挙げて一般論を語ることが統計学的にまったく意味のない妄言であることは、学者なら誰でもわかるだろう。学者としての良心を捨ててまでして、野宿者問題についてあえて発言しようとするこの人たちの社会意識というのは、それ自体、政治的に関心ある題材である。
しかし、この点は後日また触れましょう。(初めての連載もの!)


2003/10/28〜29■ 八尾市立高美中学校で「野宿者問題の授業」

待望の初めての中学校の授業は、八尾の高美中学だった。同和教育に力を入れるこの学校は、新たな人権教育の一つとして野宿者問題に着目し、その依頼がこちらに来た。担当の先生とは何回か打ち合わせをしたが、うち3人はすでに野宿者ネットワークの夜回りにも参加されている。
さて、相も変わらず授業の日はプレッシャーで体調が悪く、朝からきつい。授業が始まればそれからは「一気」だが、始まるまでが何ともつらい。デメリットしかないプレッシャーなので、もう慣れなければいけないのだが…
授業の内容は高校でやっているのとほぼ同じだが、言葉は言い換えていく。(たとえば「行政」と言ってもわからないだろうから、いちいち「大阪市や大阪府は…」と言い換える、といった具合)。いつも触れる「生活保護法」などについてもカットし、代わりに50分×2の授業の冒頭は襲撃問題で固める。
こちらの予想としては、(襲撃はともかく)「夜回りに見る野宿者の現状、日本の野宿者の現状」について触れる前半が生徒の興味を引くかどうか心配で、「いすとりゲームとカフカの階段」を使う後半では意見のやりとりができて興味を引くのではないかと思われた。しかし、実際にやってみると、具体的な話が多い前半に興味があり、後半は、聞いても意見が出ないし、むしろややざわついたという感じだった。
先生に聞くと、「意見を聞かれても、怒られるんじゃないかと思って言わないのかもしれない」。また、「44%というのも、生徒たちにはピンとこない。44%は、たとえば10人に4人、とか言わないとこどもらにはわからない」ということだった。
今日は共同通信の記者の人もきていたが、生徒と話してみると「ごはんはどうしてて、着るものはどうして調達して、洗濯はどうしてるのか、ということが疑問だ」と言っていたという。自業自得論への答えとしての「いすとりゲーム」も、そのままではピンとこないので、まず具体的なケースから答えた方がいいかもしれない、ということだった(後で感想文を読んだら、「いす取りゲーム」はわかりやすかった、ともあったが)。
中学での授業にあたっては、今までやってきた生徒との年齢の違いが大きな問題だと思っていた。やってみると、確かにいろんな面で高校生とは勝手がちがう。抽象的な話はできるだけ避けて、具体的な話をするというのがいいようである。
(しかし、そうなると小学生はもっと勝手がちがうぞ!)

そこで2日目は、抽象的な話はかなりカットし、野宿者は食べ物をどうしているか、犬や猫を飼っている人がいるけどなんでなのか、救急病院は野宿者を受け入れるのか、というような具体的な話をあちこちで入れていくという形で修正してやってみた。
(ところで今日は学校へ行くのに乗ったJRの電車が一つ前の駅でストップした。「人身事故のため、現場検証が終わるまで少々お待ちください」ということなので待っていたが、40分たっても出発しない。あきらめて降りて、学校に電話して迎えに来てもらったが、実質的に5分遅刻した。不可抗力とはいえ、はじめての遅刻だ)。
授業については、何を言うにも具体例を出していくというやり方で、これはベターだったようである。生徒の反応も集中力が続いて上々。あれこれ発言してくる生徒もいて、「あれはどういう奴なんだろう」と興味もわく。
授業のあと、前日の生徒の感想文を見せてもらう。襲撃についての感想が多く、やはり最も印象に残った模様。(一人、公園で野宿者に追っかけられたのでエアガンで撃った、というのもあった!)。全体に、今まで思っていたのと授業で聞いた野宿者の話は全然ちがったので、考え方が変わった、というのが多い。あと、アメリカのホームレス数、特にこどもの数の多さに驚いた、というのも多かった。
授業の合間に下の階を歩いてみたら、2年生の教室だった。中学1年と2年では、見るからに雰囲気が違う。中学2年、3年に対しても授業をやってみたいと思う。
また、学校を歩いていると、きのうの授業を聞いた生徒が「生田さん!」とか言って触ってきたり声をかけたりしてくる。連続授業をやると、こういう生徒なんかが熱心に関わってきてくれるのだが…
授業のあとは、校長先生と話し、あと担当の先生とご飯を食べに行ってあれこれ情報交換をしたりする。今回の「野宿者問題の授業」に対する先生たちの態度のちがいなど、内部の話は大変興味深いものがある。ともかく、2日間を終えると、「終わったあ」という思いで一杯になる。


2003/10/26■ 山王こどもセンターの秋の大バザー

山王こどもセンターの秋の大バザーがあって、お呼びがかかったので手伝いに行ってきた。
こどもセンターは何年か前まではバイトやボランティアで毎日のように行ってこどもと遊んでたが、最近は忙しかったり他に優先するものがあったりしてあんまり行けない。このような行事で出かけていって、「あいつも大きくなったなあ」とか「知らない子がいるなあ」などと思うことになる。
ま、こどもセンターのこどもについては、10年以上関わっていることもあって、すごくおもろい話や深刻な話が山ほどあるが、そういう話をここで書く機会はあるのだろうか。なにしろ山王はかなりの低所得地帯で、暴力団事務所がやたらと多く(山王はヤクザの人口密度が日本一高いという話を聞いたことがある)、家が「遊郭」というこどももいたりする地域である。そういえば、「じゃりん子チエ」のチエちゃんの住んでいるのはこの近辺らしいが、他の地域から「こどもセンター」に来た人は、「こどもの雰囲気が違う。よその子はこんなにエネルギーがあって言いたい放題ではない」とよく言っている。よその地域の子ってぼくはあまり知らないけど、まあ確かにそうかもしれない。こどもの好きな人は、一度来て損のない学童施設である。
さて、本日の売り上げは約10万円で、最も売れたのはセンター名物の「たこ焼き」でした!

↓いろんなゲームや紙芝居をやっている

↓あっしの今日の持ち場


2003/10/20■ 「ハリー・ポッターがホームレスに魔法をもたらす」

DW-WORLD.DE  DEUTSCHE WELLE (英語版)の10月18日の記事(下に引用)によると、「ハリー・ポッター」第5巻の第1章が、ドイツ語訳本の出る2週間前の10月25日に、ホームレスの人々が売る路上雑誌(ドイツ・オーストリア・スイスで販売)で独占掲載されるという。これは、かつて生活保護を受けながら「ハリー・ポッター」シリーズを書き始めた著者の意向による。そのことが発表されると、路上雑誌のオフィスにはドイツ中からジャンジャン電話が鳴り始め、編集者は "The vendors are over the moon. It will give us a massive boost." 「売り手の人はもう有頂天よ。我々にとって最高の支援になるでしょうね」と言っているという。
なにしろ、世界で1億冊以上売れているシリーズのことである。確かに、効果は最大レベルかもしれない。おまけに買い手は子供たち中心だろうから、ホームレス問題についての教育効果もあることになる。(ま、記事の最後には、「ハリー・ポッター」を掲載できない他のホームレスの路上雑誌のコメントも出ているが…)
さて、これは日本に当てはめると、どうなるだろうか。日本でも「ビッグイシュー」が大阪で始まったことだから、ここで売れ筋の作家が最新作の第1章とか連載物の「番外編」とかを掲載する、ということは可能ではないだろうか。
たとえば、「村上春樹が短編を一つ書いて掲載する」「桐野夏生が最新作の第1章を先行して掲載する」「小川弥生が『ぼくはペット』の番外編を掲載する」なんてのはどうだろうか。結構、効果ありそうだ。ぼくがビッグイシューの関係者だったら、絶対にこの線を当たるけどな。村上春樹なんか、のってくるんじゃないだろうか。(ただ、文学者といっても、現代詩とか批評関係の人を使っては、まるで逆効果になるかもしれないので、やめておいた方がいい!)

Harry Potter Brings Magic to the Homeless
The wait is almost over for Germany's impatient Potter fans

Two weeks before the fifth Harry Potter book gets its German-language release, fans will be able to satisfy their curiosity and help the poor at the same time when the first chapter appears in 21 charitable publications.

Underprivileged German-speaking Muggles are set to get a bit of help from Harry Potter when the opening excerpts from his latest adventure appear in magazines sold by homeless people starting next week.

The first chapter of the boy wizard’s fifth outing, Harry Potter and the Order of the Phoenix, will be printed in over 20 street magazines in Germany, Switzerland and Austria ahead of the publication of the German translation of the book on November 8. The initiative was officially unveiled at the Frankfurt Book Fair earlier this month.

Author Joanne K. Rowling has broken her own golden rule of not releasing any hints or extracts from her phenomenally successful series by giving her approval for the chapter to appear first in the designated street newspapers, according to German publisher Carlsen.

Author remembers the hard times

The writer, who first imagined the world of Hogwarts School and the struggles between good and evil while an unemployed single mother living on welfare benefits, supports several charitable causes with her book sales and gave exclusive rights to the street newspapers in a bid to boost funding for the homeless and jobless projects the publications support.

"By giving newspapers sold for the homeless in German-speaking countries the right to print advance copies for free, it is giving them the chance to boost their circulation and awareness for the social concerns of such projects," Carlsen said in a statement.

A massive boost

Birgit Muller, editor of Hinz & Kunzt, Germany’s biggest-selling street magazine, said the offer from Rowling's publishers was a wonderful surprise and too good to refuse. "It was the greatest gift to us to be able to publish the chapter," she said. "The vendors are over the moon. It will give us a massive boost."

The special Potter edition of Hinz & Kunzt goes on sale in Germany on October 25. It will cost ?1.50 ($1.75), of which 80 cents goes to the vendor. The magazine and those others which will carry the exclusive preview are expecting massive demand for the copies, since kids of all ages will likely be clamouring to feast their eyes on the opening chapter of Harry Potter und der Orden des Phoenix.

Huge demand

A spokesman for the Stutze homeless publication in Berlin told the daily newspaper Tagesspiegel that their offices had already been flooded with phone calls from across Germany asking for copies to be mailed to them. Impatient German Potter fans are likely to snap up the magazines in huge numbers if the latest book’s popularity and success in its original language is anything to go by.

The English version of the novel, published in June, has already stormed the bestseller charts in Germany, selling some 500,000 copies. The homeless papers getting the Potter extracts are not the only ones who are expecting to benefit from Harry’s latest arrival in his German-speaking form. German booksellers are hoping that the launch of the translated edition will spark a much-needed revival in a book market currently afflicted with economic malaise.

Potter hope for book sales

Book sales in Germany recorded a 4.9 percent year on year drop in August but experts believe Christmas business and the “Harry Potter effect“ would probably less the pain reduced that number to 2 percent come the end of the year. Previous Potter releases had boosted annual sales of some retailers by as much as 5 percent.

But not everybody is happy at the magic Harry and his friends are about to weave on the funds of the 21 publications granted the publishing rights. An unnamed representative for a competing homeless publication that is not among the chosen group complained about unfair competition. "This will mean a drop in sales for us," he said.

TITLE:Deutsche Welle: Culture & Lifestyle
DATE:2003/10/18 07:25
URL:http://www.dw-world.de/english/0,3367,1441_A_1002089_1_A,00.html


2003/10/18■ 川崎市で小・中・高校生10人が野宿者襲撃で逮捕・補導

今朝、起きて新聞を見たら、下の記事が載っていた。
伝えられる襲撃自体は珍しいものではなく、こういうのは、たとえば我々が夜回りする日本橋では毎週のように起こっている。要するに、たまたま少年たちが逮捕されたから報道されただけである。だが、この事件で目を引いたのは、一つは襲撃者に小学生がいたということ、そしてこれが川崎市で起こったということである。
9月2日のところで触れたが、川崎市では野宿生活者への偏見と差別をなくすための市教育委員会による取り組みとして、▼教職員向け「啓発冊子」作成、▼冊子の市内の180校全部(市立の幼稚園、小・中学校、及び市立と県立の高校)への配布と学校への市教委の指導、▼人権教育推進委員会設置と各学校に人権推進教育担当教員を任命。その核の1つとして「野宿生活者問題」を位置づけ、▼「襲撃防止ホットライン」(24時間365日電話)設置、などが行なわれている。
こうした取り組みの結果、野宿者襲撃は半分以下にまで激減したとされていたが、それでもこうした襲撃はやはり起こるのか、という思いがある。まあ、半分になろうが「あるものはある」ということなんだろうか。
さて、今日は野宿者ネットワークによる西成公園交流会(大阪でも野宿者の多い公園の一つ)があったので、この事件についても野宿者のみなさんに報告した。とりあえず、下の記事を全部読み上げたが、少年たちの言ったという「社会のゴミを退治するという感覚だった」というセリフを野宿している人たちのまん前で読み上げるのは、さすがに心苦しかった。
幾つかの点をコメントしたが、要するに、こうした襲撃は、根本的に野宿者への社会全体にわたる差別・偏見から引き起こされているということ、こどもたちは大人から「ああいう人になっちゃいけないよ」「絶対に関わり合わないようにしなさい」などと洗脳されているが、そうした偏見を解消していく場が全然ないということ、野宿者ネットワークも襲撃をきっかけに大阪市教育委員会に対して「野宿者問題の授業」をすべての公立学校で行なうように求めているが、野宿者が仕事や生活保護を得て路上で無防備に寝なくてすむような取り組みを進めると同時に、教育現場での取り組みを通して野宿者への偏見を解消し、逆に生徒たちが野宿問題へボランティアに来るような形を作っていく必要があるだろう、というようなことを言った。
話し終えると、思いがけず野宿のみなさんから拍手をもらってほっとしたが、しかしこうした事件が起きると、釈然としない暗い思いを現場の誰もが抱え込まされることになる。

    ホームレスに暴行、小中高生10人逮捕・補導 傷害容疑

 神奈川県警川崎臨港署などは17日までに、ホームレスの男性3人に暴行し、けがをさせたとして、川崎市川崎区に住む小中高校の男子の児童、生徒計10人を傷害などの疑いで逮捕、補導した。調べに対し、少年らは容疑を認め、「ストレス解消のためにやった。社会のゴミを退治するという感覚だった」などと話しているという。
 同署によると、10人はいずれも公立校に通う。中学の先輩後輩、兄弟などの関係で遊び仲間だった。中学3年の5人と高校1年の2人、高校2年1人の計8人が逮捕され、小学6年と中学1年の2人が補導された。小学生を除く9人が家裁に送られ、すでに4人が保護観察処分とされているという。
 調べでは、少年らのうち7人は5月24日夜、同区の公園で、いすに寝ていた男性(52)をけったり、頭を自転車の空気入れで殴ったりして18日間のけがをさせた。さらに、メンバーが一部違う7人が8月28日午前1時半ごろ、同区の公園のベンチで寝ていた男性(68)をけるなどし、2週間のけがをさせた。6月21日夜にも6人が駐車場で寝ていた男性(64)に暴行した疑い。小6は8月の事件に加わっていたという。
 同署によると、少年らは昨年末ごろから、ホームレスの男性らが暮らす小屋に石を投げるなどのいたずらを始めた。自転車で連れ立って行動し、暴行を繰り返したという。
asahi.com : 社会 DATE:2003/10/18 07:27


2003/10/17■ 中学2年と高校2年生による釜ヶ崎フィールドワーク

相変わらずオペラにハマって、時間がある限りDVD等でオペラを見、道を歩いていてもオペラのことで頭が一杯という今日この頃だが、
久々の「野宿者問題の授業」は、三重県伊賀町立霊峰中学校2年生と高槻市立島上高校2年生(すべて男の子。希望者に女の子がいなかったということだ)による釜ヶ崎現地での「野宿者への聞き取り・レクチャー・フィールドワーク」だった。
野宿者への聞き取りに関しては、野宿者ネットワークに参加している西成公園の79歳の藤井さんに登場を願い、その後にぼくが野宿者問題全般について話し、弁当を食べた後に釜ヶ崎地区内をフィールドワークという寸法。
それぞれの学校では、事前に数時間費やして野宿者問題について学習している。(そうでなければ野宿当事者をぼくは呼ばない)。藤井さんには、中学生からあらかじめ出ていた質問「どうやってお金を稼ぐのですか」「寒いときにはどうしているのですか」「まわりの人の目は気にならないですか」などをぼくの方から聞いていき、藤井さんが答えていく。藤井さんはいつも通りの明快な返答。生徒たちからすれば、こういう高齢の野宿者が(時給で言えば100円にも満たない)空き缶や段ボール集めで自力で生活しているのを聞いて、それなりのインパクトはあっただろう。
フィールドワークについては、特に三重県の中学生にとっては初めて見る光景ばかりで、むしろ「何がなんだかわからない」という感じだったかもしれない。どのように受け取られたかはイマイチ不明。最近よく思うことだが、単発の授業では生徒の反応がよくわからなくて、もちろんこっちは一生懸命にはするけど、やっててもあんまりおもしろくない。いわば、「放出するだけ」という感じである。連続授業の場合、関心を持った生徒がどんどん発言してきて、炊き出しに行ったり夜回りに行ったりするのだが、単発ではそれは難しい。9月28日のところで触れたように、授業の大分あとになって感想文をもらって、なるほどこういう反応だったのか、と初めてわかるという形である。

なお、今日はそれぞれの学校はこちらが聞いていた到着時間よりも30分から1時間遅れて到着してきた。やむを得ないこともあるだろうが、でも、今まで学校関係のフィールドワークで、時間通りにやって来たところは実は一つもない。
われわれが学校で「野宿者問題の授業」をやる場合、なんせチャイムが鳴ったら始め、チャイムが鳴ったら終わるという「しばり」があるので、われわれは授業開始の30分前にはスタンバイし、絶対に遅刻しないようにしている。
フィールドワークも時間が遅れると内容も変えないといけなくなるし、そもそも現場の人間だっていろいろ忙しいのだから、学校のみなさんも約束の時間は守るようにしていただきたい、と思う今日このごろです。

別の話だが、きのう釜ヶ崎内で知り合いの野宿者に会ったら、「オレもビッグイシューを始めた」と、今もらってきたというIDカードや雑誌数十部を見せてくれた。IDナンバーは10088だったので、おそらく88人目なんだろう。
明日から担当者と一緒にナンバに行って、指定の場所で売りにつくと言う。ビッグイシューは大阪では結構人気である。


2003/10/8■ 釜ヶ崎で求人していた山梨・朝日建設の3遺体遺棄事件

ここ数日のニュースで、山梨の飯場「朝日建設」で元作業員とみられる3遺体が土中から発見された事件が大きく報道されている。
この「朝日建設」は、以前から釜ヶ崎で(違法に)労働者を集めていた業者だった。「朝日建設」に行った労働者の多くが、賃金未払いに遭って「西成労働福祉センター」に訴え、その結果、センターは下の写真のように事実上「行くな」という注意を呼びかけていた。そういうことは知っていたが、「まさかここまでやるとは」さすがに思わなかった。
報道によると、「朝日建設」社長は労働者の賃金をピンハネし、保険金を横領した上で、自分は豪邸に住んで高級外車を何度も買い換えていたという。
しかし、こういう絵に描いたような「殺人飯場」はそうはないものの、日雇労働者をあの手この手で食い物にする悪徳業者は以前からいっぱいいる。その意味では、「氷山の一角」なのかもしれない。

しかし、こういうピンハネ、横領は、現在、むしろ野宿者の生活保護をめぐって頻繁に行なわれている。つまり、多くは暴力団つながりらしい「業者」が夜回りをして「アパートに入って生活保護を受けられるよ」と野宿者をスカウトし、元は飯場みたいな「アパート」に入居させ、家賃を法定限度いっぱいの4万5000円ぐらいに設定して生活保護を申請するわけだ。60歳を越えた人の場合、比較的すんなり申請が通るので、家賃プラス8万円程度の生活費が月々おりることになる。
そうすると、「業者」(「ボランティア」と名乗っている!)は、アパートに集めた元野宿者から月々に下りてきた生活費をピンハネし、本人には月に1万円程度のお小遣いしか渡さないようにする。業者は、支給日には車で元野宿者を集団で役所に連れてきて、その日のうちに金をピンハネするという用意のよさである。
元野宿者としては、野宿していたところを、まがりなりにも「部屋に住めるようにしてくれた」という恩を感じているので文句が言えない。文句を言ったら、追い出されて、また野宿になるのではないかという恐怖がある。そもそも、ヤクザまがいの「業者」が元野宿者に恫喝をかけている。それで、生活保護がピンハネされ続けることになる。その上、家賃も毎月4万5000円入るし、今では敷金礼金が20万円以上も行政から出るので、真のぼろもうけである。
こうした悪徳業者による生活保護申請の話は、いま全国で激発している。ぼくが夜回りしている日本橋では、以前に日本橋で寝ていたら「生活保護が受けられる」と言われて兵庫県某市に連れて行かれ、生活保護を取ったはいいが、最後にはまったく金を渡されなくなったという人がいた。その結果、逃げてきてまた日本橋で野宿していたわけだ(その人は釜ヶ崎であらためて生活保護を受けることになった)。
あまりに問題なので、野宿者ネットワークのメンバーでその某市の福祉事務所に話を聞きに行った。すると、福祉の職員が言うには、「わたしどもは、確かに本人さんに保護費を渡している。そのあと、本人さんがその金を誰に渡そうと、わたしどもの関知するところではない」というお答えだった。
もちろん「それはおかしい」といろいろ話したが(「放っておいたら、おたくの福祉がどんどん食い物にされるぞ!」)、最後まで福祉事務所の答えは変わらなかった。弱い立場の人間を利用して金儲けしようとする悪い奴らは後を絶たないし、それを監視すべき行政もあてにならない。結局、支援団体ががんばって野宿者への生活保護を申請し、そして「悪徳業者による生活保護の話には気をつけよう!」と野宿者に注意を呼びかけるしかないのである。



3遺体発見のキャンプ場経営会社、大阪で無届け求人(読売新聞)

 山梨県都留市朝日曽雌(あさひそし)のキャンプ場駐車場から成人男性3人の遺体が見つかった殺人・死体遺棄事件で、同キャンプ場を経営していた「朝日建設」(今年8月倒産)が、大阪市西成区で違法な求人活動を続けていたことが8日わかった。
 同社は、日払いで働く作業員を集め、都留市を中心に建設現場に派遣することを主な業務にしていたが、県内だけでなく大阪市西成区や東京都台東区などからも作業員を集めていた。
 大阪市西成区で労働者に職業紹介や労働相談を行っている大阪府の外郭団体「西成労働福祉センター」によると、同区で求人活動をする際は、建設雇用改善法に基づき、センターへの事前の届け出が必要。しかし、同社は届け出をしないまま、1999年1月ごろから街頭で求人活動を続けていた。雇用保険法で定められた雇用保険印紙を、作業員の雇用保険被保険者手帳に張らないこともあったという。  同センターに「朝日建設で働いたが、賃金がもらえない」と苦情や相談が相次いだことから、センターは同社に適正な賃金の支払いとあわせ、求人活動について届け出るよう再三指導を繰り返したが、従わなかったという。
 一方、同社の元従業員の話では、同社の日当は8000円だが、様々な理由を付けて差し引かれる事が多かったという。同社では、先に「小遣い」として1000円が手渡されたが、1日2500円の寮費、寮内の娯楽室で飲んだ酒代を給料から天引きされた。さらに、同社が都留市内で経営する居酒屋や、関係のある市内の飲食店に月に何度か連れ出されてツケで飲食。明細は渡されず、後から多額の料金を賃金から引かれ、結局、「小遣い」以外もらえなかったり、マイナスになったりしたこともあったという。
(2003/10/8/14:46 読売新聞 無断転載禁止)


2003/10/3■ ジェズアルドの「Ave,dulcissima Maria」のスコア入手・ありがたい楽譜のオンライン化

長年探し続けて手に入らなかったジェズアルドの曲の楽譜をついに手に入れた。
この「近況」の2002年9月28日に書いたが、
「最初に買ったCDは何だったのか。ジェズアルドの「土曜日のためのレスポンソリウム・聖母マリアのための4つのモテト」ピーター・フィリップス指揮タリス・スコラーズ(アカペラ)だった。カルロ・ジェズアルドはルネサンス後期のイタリアのアマチュア作曲家(貴族)で、妻の不倫の現場に仲間と押し入り、妻と不倫相手をその場で剣で惨殺し、妻の生んだ子どもも不倫相手の子と疑って殺してしまったエピソードで知られている。その後、再婚したが、鬱病がひどくなり、晩年はほとんど邸宅から一歩も出られない生活を送ったという。ジェズアルドは、音楽史的にはマドリガルの方で知られている。当時としては前衛的な半音階技法などを駆使したマニエリスティックな作風が、ルネサンス末期の生んだ「徒花」として評価されていたわけだ(画家で言えば、人生でも作品の点でも同時代のカラヴァッジオが近いんだろうな。事実、このCDのジャケットはカラヴァッジオの「キリストの埋葬」だ)。しかし、ぼくが聴く限り、マドリガルは確かにおもしろいが、当時のマドリガルのモンテヴェルディ、マレンツィオ、ルツァスキといった巨匠の作品と比べれば内容的にはイマイチだ。それに対して、このCDに収められた「聖母マリアのためのモテト」は本当に素晴らしい。絶望の極みに立った人間が最後に歌う救いを求める祈りであり、その純粋さと深みは、ほとんど妖気の立ちこめるような空気を呼び出している。これはあらゆる音楽の中でぼくが一番好きなものの一つである」。

今日たまたま「2ちゃんねる」のクラシックスレッドで「楽譜がダウンロードできるサイト」というのを見ていたら、ルネッサンス以降の合唱音楽の楽譜を大量にアップしているサイト「The Choral Public Domain Library」が紹介されていた。見てみれば、その内容自体びっくりだったが、GESUALDOを調べてみたら34曲出てきたのにはもっと驚いた。多くはマドリガルみたいだったが、そのなかでついに
「Ave,dulcissima Maria」を発見した。
この曲は、ここ10数年の間に数えきれないぐらい聴き返したが、そこはふつうの人間の聴覚の限界で、声部間の構造まではどうしても聞き取れなかった。ポリフォニーの場合とりわけそうだが、楽譜があれば一目瞭然のことが、楽譜なしでは構造を聞き取ることがほとんど不可能になる。音大受験の準備で「聞いた曲を楽譜に書く」みたいなソルフェージュ訓練はある程度やってるが、この曲みたいに5声になるともう無理だ。それだけに楽譜がどうしても欲しかったが、それがウェブ上でこんなにすんなり手に入るとは。
2000年にパソコンを買ってネットに初めてつないだとき、ただちに「グーテンベルク」からカフカの原文をダウンロードして「わ!」と感激したが、あの感動を再び味わった。
ただ、グーテンベルクに対して、楽譜の公開はあまり進んでいない。事実、ジェズアルドの楽譜もまだまだ少ない(「Maria,Mater gratiae」がなかった!)。しかし、今後もっと発展するのだろう。なにしろルネッサンスの音楽だから、著作権問題はまず起こらない。できたらウェーベルンの全作品も公開してもらいたいが、これはいつの日のことになるのだろうか。


2003/9/29■ 「ビッグイシュー日本版」のその後

夕方、テレビ朝日ローカル放送のニュースで、(9月11日に触れた)野宿者が路上で売るストリートペーパー、「ビッグイシュー・ジャパン」の発行後の様子を放映していた。
販売者は「ビッグイシュー」一部を90円で仕入れ、200円で販売し、110円が収入となる。野宿者の多くがしている「アルミ缶を100個集めて150円」という過酷な労働を考えれば、一部売って110円というのは悪くない。
テレビでは、中之島の野営テントで生活する62歳の人がビッグイシューを売る様子を扱っていた。この人は18歳のときからそば職人をしていたが、2年前に店からリストラにあい、その後は日雇労働なんかをしていたが、やがて家賃にも困るようになって野宿になったという。
この人は梅田やナンバでビッグイシューを売っていた。若者やこども、そして「寄付なんかだったら抵抗あるけど、これだったら胸張って協力できる」と言う人などが次々と買っていく。その日の売り上げは86冊だった。
全体で、野宿者の販売員は40人。これまでのビッグイシューの売り上げは、大阪全体で1万冊になったという。
すごく好調な出だしである。登場した(中之島テントで生活している)人は、「夢としては、そば屋さんをもう一回やりたい」と言っていた。


2003/9/28■ 天王寺での「野宿者問題の授業」の感想文

6月27日に天王寺の通信制高校・YMCA学院高校でやった「野宿者問題の授業」に対する生徒の感想文のコピーをもらってきた。
授業の内容は、■夜回りで出会う襲撃の話■夜回りに見る野宿者の状況■夜回りで出会う人■日本における野宿者問題の概説■いすとりゲームとカフカの階段、という流れ。
先生によると、ここの生徒は他の学校の退学者、もと不登校経験者が多い。家庭については母子家庭がかなり多く、卒業生の7割程度は専門学校へ進学するという。
もらったもののうち、特徴のある感想文を(学校の許可を得て)3つ紹介。


元々、野宿者に対して、いいイメージは持っていなかった。きたない、臭い、働いていない、邪魔だと思ってた。しかし、自分が、家を出て、生活した時、その日を食べるにも困り、犯罪に手を染めたことがある。「生きるため」と言い訳をしている自分が情けないので、その時には、この人達も大変なんだと思った。しかし、いざ近くにいると、異臭がして、遠ざかってしまう。この人達の為にも、生活の場を与えて欲しいと思う。
 小学生の頃、野宿者に怒鳴られた事があった。一部だろうけど、こういった人を見ると、今は、「生活が安定すれば、余裕がもてるのだろうな」と思う。


野宿者の人達についての話を聞いた中で一番印象に残っている事はイヤガラセの事です。生田さんが一番最初に話された内容です。私は生田さんがとてもイヤガラセに怒っているように思えました。また、野宿者の人達のいろいろな話の中で、イヤガラセの事を一番みんなに分かってほしいのかなと思いました。今回、野宿者の現状について話を聞いている時、すごく私の気持ちの中で野宿者の人達に対して見方が変わったと思います。今までの野宿者の人達のイメージは酒飲みで昼間っからねていて、夜は汚いゴミ集めでした。でも話を聞いているうちに1つずつ野宿者の人達のイメージがひっくり返されていきました。今は、ちゃんと働いてるんだな ただ周りの人達と違うところは住まいを持たない事だけ その他はふつうの人だというように意識するようになりました。ゴミ集めだってちゃんとした仕事、そのおかげで助かっている人達だっていてるはずだし、汚いと思うけど、そのゴミを出しているのは私達です。それを考えると、人間はみんなもちつもたれつやと思います。野宿者だからと言って この世にはいらない存在ではありません。生きている限り 私はこの世にいらない人なんていないと思いました。野宿者の人達がこれから先少しでも現状が良くなるように、少しでも前に進めるように私は協力したいと思います。これからも野宿者の人達について学んでゆきたいと今回の講演で思うようになりました。生田さんありがとうございました。


野宿者の事を聞いたが、少し言ってる事が間違ってると思った。講師は、この世の中がイスとりゲームで野宿者はイスに座れなかっただけで努力してない訳じゃないと言っていたが イスとりゲームに座れないのは努力してないからじゃないのかなと思う。他にも、野宿者を無くすには、このイスとりゲーム状態を変えなければいけないと言って、イスを増やすかイスを分け合うなどをすればいいと言っていたが、これでは競争が無くなり進歩が無くなって野宿者は無くなるかもしれないが、日本は駄目になると思う。その辺をまた考えてみたい。


2003/9/24■ 静岡市での野宿者殺人事件

寄せ場、野宿者問題のメーリングリスト「寄せ場メール」の「野宿者のための静岡パトロール」からの投稿によれば、9月15日未明、静岡市清水地区で野宿生活をしていた井上さんが襲撃により死亡し、日系ブラジル人の22歳と17歳の若者2名が傷害致死容疑で逮捕された。殺人自体はぼくも新聞で知っていたが、結局、容疑者は22歳と17歳の若者だった。
投稿では、容疑者として逮捕された若者たちがブラジル人であったことが報道で強調されていることについて、
「むしろ、彼ら外国籍の若者たちがこの日本社会でおかれている立場を振り返ってみる必要があります。外国籍の子どもたちは言葉や文化の問題や偏見、そして経済的問題などから学校に通うことさえ困難であるという現状があります。また、若者たちの就労機会も限られており、様々な困難に直面させられています。そのため外国籍の若者たちは、日本社会の中で居場所がない状態におかれていると言えます。それは、職を失い、家族から隔絶し、寝場所さえ確保困難な野宿者と共通する問題だといえます。」と言っている。妥当な見解だろう。
しかし、こうして社会的に困難な立場に立たされる若者たちが野宿者を襲うというパターンについては、割り切れない思いがどうしても強い。
われわれが夜回りしている日本橋で襲撃をした中学生が逮捕され、それに対して市教育委員会に対して「野宿者問題を学校で取り上げることを求める申し入れ」を行なったことはすでに触れたが、逮捕された3人の若者は、実はかつて入っていた養護施設での仲間たちだったという。彼らについてそれ以上の情報は入っていないが、彼らが「戦う」べきだったのは、野宿者ではなく別のものだったのではないかという思いは消えない。なぜ、「日本社会の中で居場所がない」という「共通する問題」を持つ者どうしが「襲撃」という最悪の関係を持たなければならないのか、ということが解せないのだ。
外国籍の若者による野宿者襲撃は、日本における外国人問題の一つの面を浮かび上がらせた。欧米では、外国人問題は国内の経済格差の拡大と同様にきわめて困難な問題となっているが、それは今後の日本社会にとっても同様なのかもしれない、という予感を抱かされる。


2003/9/22■ アーノンクール等の「ドン・ジョバンニ」DVD

アーノンクールが指揮した2001年チューリヒ歌劇場でのモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」DVDを見た。古学奏法を取り入れたオーケストラのアーティキュレーションの区切り鋭い表現と、チェチーリア・バルトリをはじめとする感情表現にあふれた歌唱との同時進行は、一言で言えば、かつてアーノンクールがコンツェルト・ムジクスとウィーン歌劇場合唱団を指揮した名盤モーツァルトの「レクィエム」(同じニ短調がメイン)の黙示録的な力に満ちた華麗な演奏のさらなる拡大である。オペラの様々な登場人物とオーケストラが怒りや誘惑、笑いや嫉妬を次々と歌い上げ、それが恐怖に満ちた石像とドン・ジョバンニとの死を賭けた対決に至る。
このDVDの見どころの一つは演出の冴えにある。特に、石像とドン・ジョバンニとの対決におけるドン・ジョバンニの神をもおそれぬ(「畏れなどない」「私が臆病という罪によって咎められることは一切ない」)不屈さの演出。そして、フィナーレでドン・ジョバンニが現れて美女と抱き合い、それを登場人物たちがびっくりして見上げたところで、カーテンが閉まって登場人物たちがとり残されるという意外なシメは見事に「決まって」いる。(ただ、なんでもかんでも舞台が「真っ暗」というのはいただけなかったが)。
それにしても、このオペラ・ブッファは、最終的にドン・ジョバンニという「後悔することは何もない」「私はなすべきことをしてみせる」と言い切る「神をも恐れぬ」快楽追求者の強靱な精神を、観客に永遠に忘れさせないような形で描き出している。そして、ドン・ジョバンニたち登場人物を表現するモーツァルトの音楽は、「この世界には、これほど凄まじく素晴らしいものがあるのか」という驚愕を聞き手に感じさせずにはいない。音楽に限らず、これほどの思いをさせられることはめったにない。

同じ今日、夜回りにも来た関西医大の社会医学研究部のメンバーの希望により、釜ヶ崎のフィールドワークと1時間半程度のレクチャーを行なう。4月にやった学生有志へのフィールドワークとレクチャーの人脈の流れ。参加者は4人だったが、このぐらいだとレクチャーもマンツーマンでできて、雰囲気がいい。

それとまたまた、(4月と同様)深夜の工事騒音でたたき起こされる。
(もう、うんざり)。


2003/9/21■ ライヒ=コロットの「スリー・テイルズ」

音楽=スティーヴ・ライヒ、映像=ベルリ・コロットによるヴィデオ・オペラ「スリー・テイルズ」CD+DVDを見た(NONSUCH 税込3349円)。「ザ・ケイヴ」に続く夫妻の合作で、第1部・「ヒンデンブルク」(事故で炎上した飛行船)、第2部・「ビキニ」、第3部「ドリー」(クローン羊)から成る。
タイトルでわかるように、いずれもテクノロジーと人間との関係を追求した内容。そして、アーカイヴから収集された映像資料やインタビュー類がサンプリング、合成、並列され、それがさらに聖書・創世記からのゴダール風の引用と組み合わされる。映像自身がミニマリズムを思わせる反復と変容のリズム感覚に満ちており、それと平行して鳴らされる様々な人物の音声と音楽との相乗は効果的である。
創世記からの引用は、人間の二つのタイプについて語っている。一つは、人間は地とその生き物の支配者たるべく神によって創造された、という(マッチョなタイプの)もの。もう一つは、人間は地の塵から創造され、耕し、守るためにエデンの園に置かれた、という(謙虚なタイプの)もの。さて、「ビキニ」では、アメリカ人がビキニ諸島の住民たちを説得し移住させるシーンが映し出されるが、これはコロットによれば「支配者としての人間たちが、謙虚な人間たちのところにやってきて、全人類のために故郷を犠牲にせよ、と命令する」ようなものだという。
こうしたテクノロジーに対する人間の「傲慢」あるいは「謙虚」さは、クローン羊「ドリー」の部でも、様々な科学者(グールド、ドーキンス、ワトソン…)へのインタビューを通じて明示される。こうして、この作品のテーマであるテクノロジーと人間との関係は、ヒンデンブルクからクローン羊までの様々な映像の提示を通じて印象的にわれわれに示されていく。そしてそれは、聖書の「人間と知恵の樹」にまで遡行していく。こうした切り口は非常に見応えがある。
ヴィデオ・オペラとしての「スリー・テイルズ」のおもしろさは、こうした「テクノロジーと音楽」という意欲的な切り口と同時に、素材の映像に対するライヒ=コロットの発想の特異性にもある。ライヒは、かぎ十字をつけたツェッペリンの映像に対して、「ヴァーグナーの理想の実現」を見て、この映像に「ニーベルングの指輪」からハンマーのライトモチーフをテーマとして使った。一方、コロットはヒンデンブルクを作る労働者の動作に「信じがたいほどの優美さとダンスのような質」を見、この労働者の動作をフィーチャーした映像を作り上げた。彼女が言うように、ヴァーグナーのライトモチーフと労働者の「ダンス」が結合したこのシーンは、作品のハイライトの一つになっている。
それにしても、この作品はライヒの言うように「オペラ」なのだろうか。仮にそうだとすれば、従来のオペラと共通項のほとんどない「スリー・テイルズ」が刺激的であればあるほど、現代において「オペラの死」は確実だということなのかもしれない。ともかく、「オペラ」作曲家としてのライヒは健在である。

ついでながら、「スリー・テイルズ」CD+DVD(NONSUCH 税込3349円)は、輸入盤なのに日本語字幕が付いていた。それに加えてこの価格。DVDにはアウトテイクや各種資料もついていた。DVDは、やはりこうして1枚あたり3000円程度で出してほしい。
日本でのオペラのDVDの価格は、一般に異常に高い。カラヤンによる「ドン・ジョバンニ」DVD(ソニー・クラシカル)は、税込み8900円ほどだが、海外の同じものは3000円以下で売られている。しかし、仮に「英語字幕でもいいや」とそれを買っても、リージョンコードの相違のせいで日本のDVDプレーヤーでは絶対に見られないのだ。CDのときから日本盤のぼったくり価格は疑問だったが、リージョンコードの問題もからんで、DVDの日本価格は論外の域に来たという感じがする。


2003/9/17■ 熱狂のエイサー祭りと道頓堀川

依然としてオペラにハマり、プッチーニの未完の遺作「トゥーランドット」の素晴らしさに感嘆する今日この頃だが、
大阪市大正区で毎年行われているエイサー祭りに今年も行ってきた。
去年行ったときもここに書いたが、実はこれといって変わりもない。去年の文章をそのまま下にコピーしてしまおう。

ここんとこ毎年のことだが、大阪市大正区のエイサー祭りに行ってきた。1920年代のソテツ地獄以来、大正区には沖縄出身の人が多く生活している(現在では2世、3世の人が主流)。ヤマトでは、沖縄への強い差別があったため、エイサーをはじめとする沖縄の文化は長い間あまり表だって継承されることはなかったという。1970年代以降になって、自分たちの文化を見直そうという機運が高まり、関西沖縄文庫などの活動拠点を作り、その流れでこのエイサー祭りも行われるようになった。
例年のことながら、公園内にはびっしりと人が詰まって、移動するのも大変だ。周囲はテントが並び、シーカーサーやゴーヤー茶、沖縄関連の本などを売っている。参加団体は沖縄、愛知、東京などからも来ていた(愛知琉球エイサー太鼓連、東京沖縄県人会青年部…)。
12時開始で、暗いなるまで勇壮なエーサーが続く。エーサーの間、指笛が鳴り続け、あっちゃこっちゃでカチャーシーを踊る人が出始める。最後には全員が立ち上がってカチャーシーを踊り、とんでもない熱狂状態で幕を閉じる。


↑9月14日4時頃
↓9月15日5時頃


そして翌15日、用事で(「情熱大陸」にも出たピアニスト、小菅優の弾くリストの「超絶技巧練習曲」がよかったので、楽譜を見ながら聞こうと楽譜を探しに)心斎橋に行ったところ、通りがかった道頓堀はなにやら異常な空気に包まれていた。ちょうど阪神が同点に追いついて、サヨナラ勝ちする直前だ。「なんかすごい」と思って写真を撮ったが、その後、ますます人が群がり集まってとんでもない状態になったのは夜にテレビで見た。
結局、道頓堀では、朝までに警察発表で5300人(!)が川に飛びこんだという。どう考えても、ハンパではない。上を脱いでブラジャー姿で飛び込む女の子たちも写っていたが、それを見てると「ここは日本なのか」という気さえしてくる。飛び込んだのを5300もずっと数えた警察もすごいが、でも、「上がってきた」のもちゃんと5300なのか? 10人ぐらい、川の底にまだ沈んでるんじゃないかという気もするが、本当に大丈夫なのか?
ま、プロ野球にあんまし関心のないぼくにはよくわからない事態だが、それにしても、テレビや新聞で「飛び込むのはダメです」「あんなことする奴らはファンの風上におけない」と盛んに言うのはなぜだろう。何言ったって飛び込むものは飛び込むんだから、危なくないように安全対策するしかないんじゃないか。
この日はその後、通行禁止区域を車で走ったり、全裸になって騒いだり、「かに道楽」の看板の「かにの目玉」を取り出したりと、結構みなさんオーバーヒートしたらしい。しまいには、若者500人(!)が交番に向かって空き缶や石を投げだしたという。ほとんど「暴動」である。「飛び込みはやめなさい」と警察がしつこく言ったりしたんで、頭にきたんだろう。
かりに無理矢理に飛び込みを禁止したら、「ガス抜き」がなくなって、こういうやばい方向でさらに暴走するような気がする。それくらいなら、(死傷者でも出ない限り)川にダイブしてみんなで盛り上がっている方が安全だし楽しい。
それにしても、みんながダイブした戎橋は、1995年にここで野宿していた62歳の藤本さんが若者たちによって水死させられた現場だった。藤本さんを死なせてしまった若者たちがそうだった「橋の子」は、ここをたまり場にしていた(これについては、北村年子の『「ホームレス」襲撃事件ー弱者いじめの連鎖を断つ』に詳しい) 。なにか事があると、とりあえず大阪の人間はここにやってくるが、事実、いろんな事が起こる場所ではある。

追記(9.18)
「死傷者でも出ない限り」と書いたが、その直後に戎橋から落ちた24歳の男性が水死した(下にアサヒ・コムからの記事)。
自主的飛び込みか突き落とされたかイマイチ不明だが、いずれにしても「最悪の結果」だ。これによって、飛び込みに対する取り締まりは、おそらく一気に強化されるだろう。亡くなった人についても、ファンについても残念なことである。

道頓堀川に男性転落、水死 通行人に押される?

17日午後10時半すぎ、大阪市中央区道頓堀1丁目の戎橋から道頓堀川に落ちた男性があがってこない、と通行人から近くの交番に届けがあった。南署員や市消防局の救急隊員らが付近を捜索したところ、18日午前0時すぎ、同区内平野町2丁目、会社員下馬場雅也さん(24)が水死体で見つかった。同署は、通行人に押されて転落した疑いがあるとみて、傷害致死容疑で捜査している。
 調べによると、下馬場さんが橋の西側で欄干(高さ約1.2メートル)から身を乗り出し、川に飛び込む態勢を取っていたところ、通りかかった45〜50歳の男性と接触し、橋から約4.5メートル下の川に落ちた。男性はそのまま立ち去ったという。
 下馬場さんは17日午後8時ごろから、同僚の男女8人とミナミで飲酒するなどした後、戎橋に来ていた。同僚1人が橋上から飛び込んだため、シャツとズボン姿で別の同僚と橋の下の岸壁からいったん川に入って泳ぎ、その後、橋の上から身を乗り出していたという。
 当時、橋上には100〜150人がいたが、ほかに飛び込むなどしたグループはなく、下馬場さんらに飛び込むようはやし立てていた。転落直後、同僚らが川に入って探したが、発見できなかったという。
 甲府市から阪神タイガースの優勝騒ぎを見に来た男性(24)は「落ちた人は飛び込むのをためらっているようだった。通りがかった2人組の男が酔った様子で『行け、行け』と言いながら手を伸ばしたら、直後に転落した」と話していた。 (09/18 12:26)


2003/9/11■ 「ビッグイシュー日本版」創刊号

1991年にロンドンで始まり数カ国に広がったホームレスのための社会的事業、ビッグイシューが日本(大阪市内)で始まった。
ホームレスの人々が路上でこのストリート・ペーパーを販売し、収入を得る。販売者は「ビッグイシュー」一部を90円で仕入れ、200円で販売し、110円が収入となる。野宿者の多くがしている「アルミ缶を100個集めて150円」という過酷な労働を考えれば、一部売って110円というのは悪くない。要は、この雑誌が野宿者の手からどれだけ売れるかにかかっている。
今日、「NPO釜ヶ崎」でビッグイシュー創刊号を買ってきた。内容を見ると、アナン国連事務総長からのメッセージに始まり、「R.E.Mインタビュー」「マトリックス・リローデッドに出てたドレッドヘアの2人組へのインタビュー」「フリーター問題」「フェアトレード・ファッション」「戦争を拒否した若者たち」「L文学」「トランスジェンダー」などのネタが並んでいる。200円としては異様に内容豊富な、超お買い得の雑誌だった。
一方、意外にもというか、野宿者のための雑誌であるにかかわらず、野宿問題についての話はあまり載っていない。実際、紙面でも「ビッグイシュー日本版は若い人たちの関心や問題を先鋭的に取り上げる雑誌」と言い切っている。内容は若者向けで、ただし販売者は野宿者だ、という割り切り方なのだろう。社会的企業として、それはそれで一つのやり方ではある。
次号は11月に出るそうだが、街頭で野宿者の手からどれだけ売れていくか、期待したい。実際、特別清掃に来ている労働者にも販売員になっている人がいるのだ。

(朝日新聞9月11日夕刊より引用)
ビッグイシュー販売が始まる
ホームレスの人たちが街頭販売して収入を得るための雑誌「ビッグイシュー日本版」の販売が11日朝、大阪市内で始まった。JR大阪駅前では、顔写真付きの販売員証を身につけた12人が街頭に立ち、「私たちのためにできた雑誌です。1冊いかがですか」と呼びかけた。
ビッグイシューの創設者ジョン・バード氏も立ち会い、「ホームレスも社会の一員として生きていることを、みんなが認めてくれるようになるはずです」と、販売員を励まして回った。
販売員になったホームレスの男性(53)は「急ぎ足の人が多いので買ってもらうのは大変ですが、目的があると気持ちにも活気が出ます」。


2003/9/2■ 大阪市教育委員会への「大阪市内の学校で野宿者問題を取り上げることを求める申し入れ」

今日、大阪の最高温度は35.5度だった。確かに歩いてるだけで頭がくらくらしてくる暑さである。
テレビで見たけれど、去年の8月の平均気温でみると、大阪は那覇を抜いて「日本で一番暑い都市」になったという。大阪は亜熱帯の「沖縄の夏」より暑いのだ! 原因は、冷房の様式の変化、樹木、土の不足ということらしい。その結果、市内では従来多かったアブラゼミがほとんどいなくなって熱帯に多いクマゼミが大半になり、さらに市内の長居公園では熱帯地方にしか植生しないはずの毒キノコが生えだしたという。生態系そのものが熱帯へと変化しているわけだ。この調子で何年かしたら、大阪でもサトウキビやゴーヤーなんかが育ち、淀川にはマングローブが生えだすのだろうか?

そんな今日、野宿者ネットワークから大阪市教育委員会に対し、大阪市内の学校で野宿者問題を取り上げることを求める申し入れを行なった。
大阪市役所の教育委員会指導課で、教育委員会指導部主任に対して趣旨説明をし、下の申し入れ書(原案・生田)を提出した。「けんもほろろ」の対応もありうると予想していただけに、教育委員会側から意外に丁寧な対応をうけて、ちょっとほっとした。
今回の申し入れのきっかけは、下で触れた、8月13日にわれわれの夜回りの区域で起こった襲撃事件である。
とはいえ、教育委員会との交渉は、うまくいった場合でも数年にわたるものになるかもしれない。

大阪市内の学校で野宿者問題を取り上げることを求める申し入れ

大阪市教育委員会 委員長 山本研二郎殿
野宿者ネットワーク 代表 穴沢一良

 8月13日、大阪市浪速区日本橋東において、野宿者を襲撃した疑いで大阪市内の市立中学3年生を含む3人の少年が逮捕・送検されました。
 新聞報道によれば、大阪府警浪速署は13日、野宿者の男性を鉄パイプなどで殴り、軽傷を負わせたとして、大阪市内の市立中学3年の男子生徒(15)、住居不定の無職少年(15)、同(16)の計3人を、傷害容疑で逮捕・送検したとされています。警察の調べでは、3人は11日午前1時45分ごろ、同市浪速区日本橋東3の路上で、廃品回収業の野宿生活していた男性(54)の背中を無言のまま鉄パイプで小突いて倒した後、腕や頭を殴打し、腕に軽い打撲傷を負わせた疑いをもたれています。3人は「追いかけられて、必死に逃げるスリルがおもしろくてやった」「(被害者は)被害届を出さないだろうと思い、今年に入ってから野宿生活者に石を投げたり棒で殴ったりする行為を繰り返していた」などと自供しているといいます。
 
 しかし、今回逮捕され発覚した少年たちの野宿者への襲撃行為は、数多い襲撃のごく一部でしかありません。わたしたち野宿者ネットワークは、1995年以来、毎週土曜日、日本橋、心斎橋、難波、阿倍野など野宿者の多い地域を回る夜まわりを行なってきました。その夜回りの中で、野宿者への襲撃が一般に知られているよりもはるかに頻繁に行われており、かつ悪質なものであることを把握しています。
 襲撃の詳しい内容については別紙資料で触れますが、エアガン襲撃、花火の打ち込み、投石、消火器を噴霧状態で投げ込む、全身にガソリンをかけて火を放つ、殴る蹴るの暴行等々が、日本橋でんでんタウン周辺だけでもほぼ3日に1回程度の割合で起こっていました。ここ数年に日本橋を中心に繰り返された襲撃は、明らかに複数の(主に10代の少年の)グループによって行われています。目撃した野宿者の話によれば、そのほとんどは「中学・高校生ぐらいの」若者だということです。今年も、夏休みに入ったとたんに日本橋近辺で野宿者への襲撃行為が連日発生し、後頭部をいきなり棒で殴られる、花火を腕に打ち込まれるなどの被害がありました。被害を受けた野宿者のほとんどが、難を逃れて寝場所を他の地区に移してしまったほどです。そして、今回逮捕された少年グループ以外、逮捕された者はいません。若者による襲撃は、おそらく今後も続くと予想せざるをえないのです。

 日本橋、大阪に限らず、ここ数年、若者による野宿者への殺人を含む襲撃行為が全国各地で頻発していることは各種の報道で確認できます。襲撃が報道されることがきわめて稀であることを考えれば、襲撃の実態は野宿者の多い地区では「日常茶飯事」となっていると考えるべきかもしれません。
 たとえば、野宿者襲撃が日本で最初に社会問題となったのは、1983年に横浜市で起こった、14才から16才の少年10人が野宿者を次々に襲い、3人が死亡、十数人が重軽傷を負った事件ですが、この事件の後、こうした野宿者襲撃は1975年頃から横浜近辺で「常識」になっていたことが新聞社の調査によって明らかにされました。朝日新聞によると、事件後に盛り場で補導された少年少女のうち57人が「襲撃をやった」と認めました。このことは、野宿者をめぐる問題について何らかの働きかけや啓蒙・教育活動を行わない限り、襲撃行為が一部の少年少女の間に「常識」として定着してしまう、ということを示しています。

 こうした残酷な襲撃行為が繰り返される原因については、いくつかの要因が考えられます。襲撃を行った少年たちは、「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「無能な人間を駆除するって感じ」などと言っています。こうした若者の発想が、行政や市民の野宿者への偏見・差別といった社会意識を反映したものであることは疑いえません。つまり、大人が「迷惑だ」と言って野宿者を何の対策もないまま公園や駅から追い出し、こどもに「話しかけられても無視しなさい」「勉強しないとあんな人になっちゃうよ」などと教えていること自体が、野宿者を社会的孤立へ追いやり、さらには襲撃の後押しをしています。襲撃する少年たち(襲撃者には大人も少女もいますが)が抱えていると考えられる「襲撃によるストレスの発散」「他者への攻撃による自己の存在確認」といった内面的問題ももちろん重大ですが、何よりも一般に浸透している野宿者への偏見・差別を解消しなければ襲撃をなくすことはできません。

 野宿者、いわゆるホームレスの数はこの数年で激増し、大阪市だけで1万人以上、全国で3万以上と言われるようになりました(厚生労働省による調査では大阪市の野宿者数は7000人台ですが、この調査ではテント生活をする定着層しか数えておらず、ダンボールハウスで商店街に夜寝る移動層が入っていません)。特に大阪市では、公園、駅、商店街などが夜には野宿者であふれかえる状態になっています。こうして野宿者問題が深刻な社会問題であるという認識が定着するようになったにもかかわらず、市民に対して野宿者問題についての啓蒙教育はほとんどされていません。その結果、市民やこどもたちの多くが「あの人たちは仕事が嫌でああして道で寝ているんだ」「その気になれば仕事なんてあるのに、捜そうともしていない」といった、実態からかけ離れた偏見・差別を改める機会がないままになっています。
                                    
 日常的に野宿者と関わっているわたしたちは、ほとんどの野宿者が失業などの理由でやむにやまれず野宿に至っていることを知っています。また、アルミ缶やダンボールなどを1日10時間近くかけて集め、それを何百円かのお金にしてなんとか暮らしているという実態を知っています。そもそも現在の社会は、いったん野宿に至った人が再び住居と仕事を持つ生活に復帰することが極端に困難な仕組みになっています。例えば、住所がない人は、職安が絶対に相手にしてくれません。また、着ていく服もありません。就職できたとして、1ヶ月先の給料までどうやってしのいだらいいのか。これらの困難は、もちろん社会的ななんらかの支援によって解決できるはずのものです。しかし、社会からの放置状態が長らく続いた結果、大半が55才以上の野宿者は、野宿生活脱出のきっかけのないまま路上や病院で次々と死亡していくという悲惨な事態が続いています。
 しかし、学校での野宿者問題の授業は日本全国でも数えるほどにとどまっています。大阪市内でも、(少数の学校で行なわれた例を別として)野宿者問題についての教育現場での取り組みはほとんど行われていません。大阪市内の児童・生徒にとって、野宿者の存在が日常のものであり、なおかつ中、高校生による襲撃が頻発していることを考えれば、こうした無策状態は社会状況に対して深刻なずれを示していると言わざるをえないのです。

 たとえば、川崎市では野宿生活者への偏見と差別をなくすための市教育委員会による取り組みとして、
A) 教職員向け「啓発冊子」作成(2回)。
B) 冊子の市内の180校全部(市立の幼稚園、小・中学校、及び市立と県立の高
校)への配布と学校への市教委の指導。
C) 人権教育推進委員会設置と各学校に人権推進教育担当教員を任命。その核の1つとして「野宿生活者問題」を位置づけ。
D) 「襲撃防止ホットライン」(24時間365日電話)設置
が行われています。
 その他にも、路上訪問を含めた学校での授業、「川崎市子ども会議」での討論 、「地域教育会議」での討論、幾つかの学校での生徒会討論、教職員研修で川崎水曜パトロールの会による研修、学校の授業での川崎水曜パトロールの会による講演などが実施されています。
 1995年当時、川崎でも襲撃が多発し、川崎市教委は、野宿者支援団体である「川崎水曜パトロール」との交渉を重ねたのち、上のような野宿者襲撃対策に本腰をあげることになりました。
 野宿者・人権資料センター発行「センターニュース3号」より引用すると、
(交渉の)当初、市教委は「人権教育をしている」「学校に指導した」「警察に警戒強化を頼む」などの発言を繰り返していた。野宿の仲間による襲撃証拠の提示と証言や、「今日、明日できることをやれ」の一点を譲らず、交渉当日夜のパトロールへの参加、当日と翌日の緊急対策会議を決定させた。その夜パトロールに同行した市教委に、野宿の仲間たちは襲撃の状況と恐怖と怒りを丁寧に説明。市教委は「野宿者一般」が襲われているのではなく、高齢・病弱・障害をもつ人やひっそりと野宿している人が襲撃対象になっていることを確認し、そこに「いじめの構造」と同質の陰鬱なものを発見する。市教委が野宿者襲撃対策に本腰をあげた理由もそこにあり、襲撃をなくすための「啓発冊子」作成と学校での授業開始につながっていく。
 現在は、野宿者の多い2行政区の小・中・高校全てで年1回は「野宿者差別をなくす」授業が行われている。中には年6回のシリーズや、子どもたちが野宿者を直接訪ねるものもある。
 川崎では、こうした教育現場での取り組みの結果、野宿者への襲撃がそれまでの半分以下にまで激減したと報告されています。
 
 現在、大阪市で野宿者問題への取り組みがほとんどなされていない現実には、一つには野宿者、ホームレスは結局は自業自得ではないか、という社会全体にある偏見が大きく影響しています。また、教員自身が、野宿者問題について知らないし、知ろうとしても情報が得られないという事情があります。つまり、教育現場での野宿者問題への取り組みのためには、市教育委員会、教職員レベルと、野宿者問題にかかわる現場の支援団体とが交渉を持ち、情報を交換し、可能な取り組みの方法を共に模索していく必要があります。
 事実、中学、高校生による深刻な野宿者襲撃事件が起こったとき、現地の教育委員会や校長は、常に「いのちの大切さの指導」や「人権教育の徹底」ということを言いますが、そのような抽象論、一般論は児童・生徒にとってはまったく意味がありません。野宿者問題の現場に立った具体的な啓蒙プログラム、教育実践が必要なのです。
 市立の学校で野宿者問題の授業を行なった教員の一人は、「大阪にいる限り、野宿者の問題は避けては通れない」と言っていました。このことは、大阪市のすべての学校、すべてのクラスについて当然にあてはまります。野宿者問題への取り組みは、大阪の教育現場でもっとも緊急に必要とされるものなのです。とりわけ、今回の事件のように、野宿者襲撃事件の逮捕者の一人として市立中学の生徒が含まれていた場合、市教育委員会としての責任と今後の姿勢が問われています。
 野宿者ネットワークは、「野宿者問題の授業」を数校で行なってきた経験があります。その授業の中で、児童・生徒たちが野宿者問題について、単なる「無視」や「軽蔑」から、「理解」と「共感」へとその反応を変えていくのを目の当たりにしてきました。われわれは、こうした実践が大阪市のすべての学校で行われることを望んでいます。
 こうした問題について、市教育委員会がわれわれ野宿者ネットワークと話し合いの場を持つことを申し入れます。

2003年9月2日


2003/8/30■ 「ニーベルングの指環」DVDを見続ける日々

レヴァイン指揮によるメトロポリタン歌劇場での「ニーベルングの指環」DVDが安価で出たので(といってもDVD7枚で合計20580円…)買って、最近は時間がある限りずっと見続けていた。
全上演時間が937分=15時間37分の超大作。「ニーベルングの指環」は、かなり以前にカール・べーム指揮による1967年のバイロイト・ライブのCD14枚組を聞いたが、このCDはブックレットにセリフもなく「あらすじ」紹介のみで、誰が何を歌ってるのか聞いててもよくわからなくなって、さすがにきつかった。だがこのDVDでは、一節ごとにつく日本語字幕、そしてオーソドックスな舞台演出、様々なアングルを駆使した映像処理、明快そのもののレヴァインの音楽作りのおかげで、巨大な楽劇の全体像が本当に「手に取るように」わかる便利なプロダクションになっている。
だれもがおそらく思うように序夜「ラインの黄金」は楽劇そのものがやや単調だが、第1夜「ヴァルキューレ」以降、「ジークフリート」「神々の黄昏」は、様々な「動機」が網の目のように張り巡らされた中で、巨大なスケールの劇がすさまじいエネルギーと多数の技法によって練り上げられ、見始めると耳と頭が疲れ果てるまで見るのをやめられなってしまう。特に、第3夜「神々の黄昏」の音楽語法の練り上げぶりは驚異的だ。ニーチェの言った「魔術師」という表現は、こうした精緻かつ巨大な音楽を指して言ったことなのかと納得してしまう。
とはいえ、見れば見るほど「英雄」ジークフリートは、ただのマッチョな単細胞野郎だし、「主神」ヴォータンはやることなすことがどうもいきあたりばったりでトンチンカンだ。こうしたキャラクターがメインに立てられたこの巨大な楽劇は、作曲家ヴァーグナーの巨大な「妄想」ではないかという気もどうしてもしてくる。ナチスの御用音楽になったことを別にしても、「普遍性」よりは、ある種の「不健全さ」を感じさせずにはおかない世界である。音楽的にも、この巨大さと精緻さを聞けば聞くほどに、ある閉塞感を感じさせるのはなぜなのか。調性音楽の限界にまで来たことを示す閉塞感なのか。ヴァーグナーの場合、その作品が単なる音楽の枠を越えて政治的な意味を今なお発揮しているが、それはヴァーグナーの「不健全さ」と関係していると思う。
現にイスラエルではヴァーグナー作品の演奏がタブーとされていて、バレンボイムが「聞きたい人だけ聞いてください」という条件で2001年7月にアンコールで「トリスタンとイゾルデ」前奏曲を演奏したのが建国以来初めての出来事だった(聴衆の一部が退席し、イスラエル政府首脳やコンサート主催者が「多くの国民の感情を傷つけた」と非難した)。(1981年には、ズービン・メータ指揮によるイスラエル交響楽団が「トリスタンとイゾルデ」の一部を演奏しようとした直前、ホロコーストの生き残りの男性が舞台に立ち、ナチによって加えられた傷跡を見せるという示威行動に出たため、演奏を中止した)。
さらにドイツでは、バイロイト音楽祭がナチスの牙城になった反省を受けて、現役首相らが公式にバイロイトを訪れることは戦後なかったという。ところが今年8月19日に、去年はワーグナー家からの音楽祭への招待を辞退したことで関係がこじれていたシュレーダー首相が、ワーグナー家との関係修復の仲介役を果たしてほしいとの事情から、日本の小泉純一郎首相を誘って一緒にバイロイトを訪れタンホイザーを見た。「感動した。ヴァーグナーの作品は全部CDを持っている」と小泉首相が言っていたのをテレビで見た。政治的に「利用」されちゃった上で、音楽と政治の危ない関係を「感動した」ですませてしまうヴァーグナーファンの小泉首相は、多分キャラクター的にヴォータンやジークフリートに近い人なんだろう。

DVDを見終わったので、あらためてカール・ベームの「ニーベルングの指輪」のCDをあちこち聞いてみた。有名な「ヴァルキューレの騎行」を聞くと、異常なほどのエネルギーでオーケストラの音楽が白熱して突進し、その熱気に歌手たちがあおられて、一気に音楽のテンションが頂点にまで達していく。上演の白熱とエネルギーのうねりが、音楽だけで目の前にはっきり見えてくるようだ。
一方で、ブリュンヒルデを歌うビルギット・ニルソン(当時世界の頂点に立ったヴァーグナー歌手)は、今聞くと、巨大な声量による絶叫調で、本当に一昔前の「ヴァーグナー歌手」のスタイルだ。レヴァイン指揮のブリュンヒルデはヒルデガルト・ベーレンスだが、こちらは気品を失わない明晰な歌唱で、ぼくとしてはこちらがはるかに聞いてて納得がいく。まあ、こういう歌手の比較は続けていくときりがないが…
実のところ、レヴァイン指揮によるメトロポリタン歌劇場のオペラのビデオ作品はいくつか見たが、その明快さと質の高さにはいつも感心しながら、根本的なところで疑問を感じる(「今時、こんなに大まじめにオペラをやっていていいのだろうか?」)。なので、「ニーベルングの指輪」では、いまだにブーレーズ指揮シェロー演出のDVDを見てないので、これをぜひとも見てみたい。

オペラ気分が続いているので、「ニーベルングの指輪」を見終わったあと、ただちに最近発売されたヴェルザー=メスト指揮によるモーツァルトの「魔笛」を見た。初めて聞いた中学3年か高校1年のときから、「魔笛」を聞くと涙が押さえられないのだが、今回もそれは変わらなかった。
しかし明日は鬼束ちひろの武道館ライブのDVDを見る予定。ガーシュウィンの「ポーギーとベス」のDVDも買っちゃったし、こうして今月は生活費以外、ほとんど金がDVDに消えていく。

 


2003/8/13■ 日本橋で野宿者を襲撃した少年たちが逮捕された

今日のMainichi INTERACTIVEから引用。

ホームレス襲撃: 鉄パイプで殴る 少年3人送検 大阪府警

 大阪府警浪速署は13日、ホームレスの男性を鉄パイプなどで殴り、軽傷を負わせたとして、大阪市内の市立中学3年の男子生徒(15)、住居不定の無職少年(15)、同(16)の計3人を、傷害容疑で逮捕・送検した、と発表した。3人は「追いかけられて、必死に逃げるスリルがおもしろくてやった」などと供述しているという。
 調べでは、3人は11日午前1時45分ごろ、同市浪速区日本橋東3の路上で、廃品回収業のホームレス男性(54)の背中を無言のまま鉄パイプで小突いて倒した後、腕や頭を殴打し、腕に軽い打撲傷を負わせた疑い。3人は児童養護施設で知り合った遊び仲間という。「(被害者は)被害届を出さないだろうと思い、過去にもホームレスばかり5回くらいやった」などと供述しているという。
 また、現場には主犯格の無職少年(18)もいたとみられ、同署は近く傷害容疑で逮捕状を取って行方を追う。【福田隆】
[毎日新聞8月13日] ( 2003-08-13-12:22 )

朝日新聞の記事では、3人は「今年に入ってから野宿生活者に石を投げたり棒で殴ったりする行為を繰り返していたと自供」。「被害者から通報を受けた署員が現場付近にいた3人を見つけた」とある。
野宿者ネットワークのページで報告しているように、ここ数ヶ月、日本橋でんでんタウンでの襲撃の頻度はすさまじく、このため、本通りの野宿者の多くが襲撃を避けて寝床を別の土地に移してしまった。野宿者ネットワークのメンバーで、いくつかの対策をやってきたが、襲撃を永続的に押さえ込むことも、少年たちを捕まえることもできなかった。
今回捕まった少年たちがこれまでのでんでんタウンでの襲撃の主犯かどうかはよくわからない(今回の現場はでんでんタウンではないし、それに日本橋の襲撃は彼らが言っている「5回」やそこらの話ではない)。これによって日本橋での襲撃が止めば、もちろんそれはそれでいいのだが、一方で、事件が「少年犯罪」扱いとなって、情報がすべてわれわれの手の届かないものになってしまうのかもしれない。 結局のところ、警察による逮捕という形で問題が決着され、われわれ自身の力によって襲撃を止めることはできなかったのかという悔いも残る。
しかし、逮捕された少年の一人が「市立中学生」である以上、野宿者問題を放置し続けてきた公教育に対しても、事件の一定の責任を求めていく必要があるだろう。いずれにせよ、ここ数年の日本橋近辺での襲撃は相当数のグループによって行われている。今回の逮捕は一定の抑止力になるだろうが、本当のところはこれからの夜回りの中で、野宿者から実情を聞き取っていくしかない。


2003/8/10■ 中之島・大阪市役所前の野営テントの水没

反失業連絡会が運営する中之島の市役所前の400人規模の野営テントは、今朝6時頃、台風のために堤防から水があふれ、腰の高さにまで水没した。
ぼくは知らせを聞いて、ちょうど東京からきた知り合い2人と現地に行ったが、現場はいろんな荷物や毛布、雑誌のたぐいが水に浸かって泥にまみれて散乱している状態だった。そして、その横でたくさんの野宿者が途方に暮れて座り込んでいた。
現地でがんばっている警備の人たちによると、今日50人ほどは各地のシェルターに行くが、残りは1日2日の間これという寝場所がない状態になるという。また、釜ヶ崎キリスト教協友会の代表の人たちも来ていたが、毛布を持ってきてもまだ底が水浸しなので使いようがない、とりあえず衣類を持ってくる、ということだった。
すでに1年近く野営を組んで、事実上の民間シェルターとして数百人の野宿者の生活を維持しつつ、この野営地は大阪府、大阪市に野宿者対策を要求してきた。しかし、まともな対策が示されることもないまま、ついに台風の浸水によって「被災」し、野宿者は数日間は野営テントを使えないことになった。
海外のホームレス関連のニュースを見ていると、アジア各国で洪水や台風のために数万人がホームレス状態になった、というような記事をよく見かける。現場はまさにそういう感じだ。しかし、現状ではただ水が引くのを待ち続けるしかない。



↑写真は「NPO釜ヶ崎」からもらいました。


2003/8/3■ 新横浜、寿、川崎、藤沢へ行く

朝から新幹線で新横浜に行って、東京や川崎で野宿者運動を担いながら「野宿問題の授業」を各学校でおこなっている人たち3人と会って、情報交換などをする。
川崎は(川崎水曜パトロールのページ参照)現時点で唯一、「市内全公立学校での野宿者問題の授業」 を実現させてきた場所。新宿でも野宿者問題の授業が繰り返しおこなわれている。一度、こうして各地で取り組みを続けているみんなで会って、授業のやり方なんかを情報交換しよう、さらに今後みんなできることを具体的に話し合おう、というテーマ。
川崎から来られた人とは初対面だったし、初めて聞く話も多くて、すっごくためになった。第一、襲撃と教育とが絡み合う問題をある程度まで突っ込んで話し合う機会は、釜ヶ崎でもなかなかない。詳しい話の内容に触れる余裕はないが、襲撃という最悪の形の出会いではなく、10代の人たちと野宿者・日雇労働者とが互いの存在を確認しあい、そこから社会を変えていく火花を作り出しうるような出会いをわれわれがどのように提示していけるかということが今後の課題ということになった。また、最近は地方都市での野宿者襲撃が多くて、それはもちろん不幸なことなのだが、一方でそうした事件がある場合、その現場近くで心を痛めて「自分に何かできないか」と思っている人も当然いるはずだ、そうした人が連絡できる全国的な襲撃問題のネットワーク(これが今のところ存在しない)づくりも必要だろう、というような話も出た。というわけで、3時間近くいろいろ話し合ったが、多くはこれからの課題として残っていく。

ところで、川崎から来られた人は、1983年の横浜での野宿者連続殺傷事件当時から、寿(日本4大寄せ場の一つ)で夜回りなどの活動をしていた人だった。1983年の事件現場である山下公園は、夜回りの担当コースだったという。4人での話が終わったあと、その人の車で、寿や山下公園などを案内していただいた。
寿に行くのはまったくの初めて。ぐるぐる回るが、よく話に聞いていたように釜ヶ崎よりは規模はずっと小さい。でも、雰囲気はほんとによく似ている。
寿の成り立ち、現在の様子などいろいろ話を聞いたが、1983年の事件の当初のみなさんの反応については、「とにかく衝撃」だったという。中学生が野宿者をなぶり殺しにするなど誰にも全く予想がつかなかった時代だったのだから。しかし、その後も襲撃は寿周辺で続き、案内の間も「ここで一人殺されました」「ここで重傷を負う事件が何件か続きました」という話が何度も出た。ただ、山下公園は80年代後半に大改修工事が行われ、当時の面影は全然残ってないんだとか。
そのあと、川崎にも案内してもらい、襲撃現場やテントの密集地などを見て回った。

そのあとは、藤沢に行って、去年も江ノ島周辺を案内してもらった人(時々釜ヶ崎に来ていたこの人の大学院の時の論文のテーマがシモーヌ・ヴェイユで、ぼくがシモーヌ・ヴェイユ論を書いたとき、話し相手になってもらいました)と会って、よもやま話をして過ごす。そのあと、横浜駅10時半発・大阪阿倍野朝6時20分着の高速バスに乗って帰り、部屋で朝パンを食べた後ただちに仕事に行き、やっと暗くなった今、一息ついてこんなこと書いている、というわけである。


2003/7/22■ CD‐R『儚(das Ephemere)』に「野宿者襲撃論」

今年の始め、HP「批評的世界」を作っている杉田俊介さんから、CD−Rの雑誌「エフェメール」のための原稿をメールで依頼された。未知の人だったが、「以前、群像のシモーヌ・ヴェイユ論やホームレスに関するコラム等を読み、そこに刻まれた「痛み」の感覚に僕は打たれました」という、ありがたい反応があったので、喜んで引き受けることにした。
そこで、ちょうど「書こうかなあ」と考えていた「野宿者襲撃論」を5月に送ったわけである。400字×180枚くらいだが、まだ完結しておらず、「前半」。
現物が今日届いたので、他の人のものもこれから読んでみるつもり。


2003/7/14■ 「ホームレスの自立の支援等に関する基本方針(案)」が出たが…

すっかり書くのを忘れてたが、今月3日、厚生労働省のホームページに「ホームレスの自立の支援等に関する基本方針(案)」が掲載された。
昨年「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」が制定されたが、そこに定められた国の責務の一つとして「基本方針」の策定があった。つまり、「ホームレス自立支援法」という大枠を作った上で、「ホームレス実態全国調査」を行い、それを基に「基本方針(案)」を作る、ということだ。そして、この「基本方針」に沿って全国の野宿者対策が現実化される。つまり、今後実行される全国の対策の「青写真」にあたるものだ。
では、出てきた「基本方針(案)」はどんなものだったのか。
読んでみてどう思いました?
この間のミサでは(相変わらずぼくはキリスト者でもないのにオルガン奏者をやっている…)、釜ヶ崎反失業連絡会の共同代表の本田神父が「基本方針(案)」に触れて、「テロリストの気持ちがわかります」と言っていた。「何度、行政に公的就労をはじめとする実効ある野宿者対策を要求してきたことか。でも、すじも理屈もまるで通らないんです」。ぼくもまったく同感だった。シスターとかもうんうんうなづいていた。
この「基本方針(案)」は、現時点での各省庁の野宿者に対する基本姿勢を示すものだが、その内容はと言えば、「寄せ場メール」で「神戸の冬を支える会」が言うように、「具体的で効果のある施策が現状以上のものになるとは期待できるようなものではありません」。
実にいろんな内容が書いてあるんだが、どう読んでもこれで野宿者がガンガン減っていくとはまるで思えない。最も期待されていた「公的就労」については「努力する」程度で、具体的な話は全くなし。その代わり、公的施設からの「強制退去」についてはちゃんと明記してある。公園などに寝起きしている野宿者は、ほとんどみんな「仕事さえあればこんなところで野宿なんかしない」と言っているんだが、この「基本方針」のやり方はまったくの逆。
この「基本方針」を書いたのは、そこそこ野宿者の実態も知っていて頭も切れる人なんだろうと思うが、多分、書いてて自分でも「こんなんじゃあ野宿者が減るわけないよなあ…」と思っていたのではないだろうか。野宿者問題には、実にいろんな(そしてくだらない)行政間の力学が働いていて、まともな対策がちよっとやそっとでは出せないようになっている(ようだ)。
この「基本方針」の登場が何を意味するかというと、「日本は野宿者の激増を押しとどめる対策作りを放棄した」ということ、そして我々の側から言うと、「今後、われわれは野宿者問題が近い将来に解決されることを想定して活動するのではなく、野宿者が今後決して減らないということを前提に活動しなければならなくなった」ということだと思う。いずれにせよ、この「基本方針(案)」が「基本方針」になった段階で、日本における野宿者問題は、疑いなく次の(悪い)ステップへ踏み込むことになるだろう。


それにしても、ここ数日の日本で最大の話題は、長崎での12歳の少年による「幼児に対する性的虐待・殺人」事件だった。多くの人が言うように、ぼくも1997年の酒鬼薔薇事件を思い出した。確かに幾つかのショッキングな共通点があるからだ。
ただ、神戸の事件では、声明文にあるように「学校という制度」への恨みがあり、また最近彼が言ったと伝えられるように、「殺人による自己の存在確認」という要素があった。今回の12歳の少年による事件に、そうした面はあまり感じられず、かなり衝動的なものだったと想像される。そうした意味では、事件の性質はかなり異なるのだろう。
しかし、なんといっても驚くのは、「12歳」という年齢だ。同じ「2歳」でも、14歳と12歳とではその間隔はあまりに大きい。イギリスでは同種の事件が2人の少年によって数年前に起こされたが、1997年から6年たって、われわれの社会も「12歳による幼児への性的虐待と殺人」というような事件を経験しなければならなくなった。被害者になった子どものことを考えると、本当にいたたまれない思いがする。
この事件に対して、相変わらず「少年犯罪の凶悪化」「親の責任(市中引き回しの上打ち首)!」「少年犯罪の厳罰化」「権利の主張の行き過ぎ」といった「常識以前」の議論が横行している。しかし、まずわれわれは、被害者への思いとともに、こういった事件の「単純化」「一面化」を拒否するべきだろう。そして、問題の多面性を把握した上で、われわれ自身が問題の解決のために行動しなければならないだろう。ぼくにとっては、少年を中心に今も行われ続ける「野宿者襲撃」が最大かつ緊急の問題であることは疑いない。


2003/7/6■ マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」

かの有名なドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観た。
コロンパイン高校での生徒2人による銃乱射事件を扱ったこの映画は、この上なく衝撃的で悲しみに満ちた事件を扱いながら、ブラックジョークとユーモアを満載してアメリカの銃社会の諸現実へ切り込み、それを一気にスクリーン上で「まな板の上に載せていく」素晴らしい作品だ。
ぼく自身、野宿者襲撃みたいな「少年による殺人」をテーマに文章を書くことがあるが、とてもこんなマネはできない。この映画の「笑い」の素晴らしさは驚きというか、うらやましいばかりだ。
ところで、この映画の中で(事件に責任がある、影響を与えたということでメチャクチャに非難された)マリリン・マンソンが登場してマイケル・ムーアの突撃インタビューにちょっとだけ応えている。曰く、「洪水・エイズ・殺人… メディアは恐怖と消費の一大キャンペーンをつくりだしている。そしてこのキャンペーンは、人々を怖がらせることで、消費へと向かわせるんだ。その恐怖が人を銃に向かわせる」。「(ムーア) コロンバイン高校に行ったとしたら、何を話す?」「まず、こちらが高校生たちの話を聞くだろう。まずはそれからだ」云々。
ぼくには、映画の全ての登場人物の中で、このマリリン・マンソンの言ってる事が一番まともに聞こえたが、このセリフを聞いて、ぼくはすぐに「ファブリーズ」のCMを思い出した。「布にスプレーするだけでイヤなニオイをしっかり取り除く」「布にシュシュッとファブリーズ」のアレである。思い出したのはファブリーズだが、ここ数年、この手の「消臭・殺菌」グッズのテレビCMをもの凄くたびたび見させられている気がする。「キッチンにもお風呂にも!」の「 スプレータイプのホワイトドメスト」もそう。「除菌のジョイ」もそう。似た感じでは、「歯の表面に付着したステイン(着色汚れ)を効果的に除去するサンスターのオーラツーステインクリア ペースト」もそう。「エイトフォー」とかも、もちろんそう。
考えてみれば、これだけ上水道・下水道が完備し、伝染病も少ない日本において、その上に「除菌・抗菌・消臭」する必要がホントにあるのだろうか? 多分、全くないだろう。にもかかわらず、CMを見ていると、なんとなく「もっと除菌できたらいいな」とか「雑菌が少しでも減ったら確かに気持ちがいいな」とか思ってしまうのはなぜなのか。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」の最後に、全米ライフル協会会長のヘストン(「ベン・ハー」の主役!)がムーアの突撃インタビューに応えて「たとえ今まで襲われたことがなくても、弾を入れた銃をすぐそばに持ってると、comfortable なんだよ」と言っていたが、われわれが「除菌」に感じる「気持ちのよさ」も、この「comfortable」と似てるかもしれない。
ゲーテッド・コミュニティの住人も確か「comfortable」とか言っている。そしてアメリカで特にテロ後に進行しているセキュリティ至上主義は、この「comfortable」の延長なんだろう。
「あらゆる異常を完全に排除する」という発想そのものがすごく異常であるように、「あらゆる犯罪を完全に排除する」という発想はすごく異常で「犯罪的」なのだが、アメリカはこの路線を突っ走っているかのようだ。異常に清潔好きな人が、あまりに完全主義なために体を洗うのに何時間もかかってしまう結果、そんな重労働には耐えられずに結局アカだらけの不潔状態になってしまう、という話を聞くが、アメリカの社会はほとんどそんな感じなのか? ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人」によると、「こんな統計がある――あなたの家族が銃殺される確率は、家に銃がない場合より、ある場合の方が22倍も多い。『家の安全』を確保する唯一の方法は銃で武装することだという考えは、全くの神話だ」。
映画の中でも語られていたが、実際はいろんな面で犯罪率は減っているのに、メディアでの犯罪報道はむしろ急増していて、明らかに恐怖を扇動しているという。ところで、これは日本におけるファブリーズのCMとかと似ているだろうか。
映画を見てこんなことを連想したのは、1983年の野宿者襲撃事件で、野宿者を殺した少年が「やつらはくさい。くさいのは許せない」と目を光らせて言っていた、というのがずっと気になっていたからだ。この83年の事件以来、延々と続く少年による野宿者襲撃事件にこうした感性が潜んでいることは疑えないだろう。「清潔さのファシズム」という言葉を何かで読んだが、清潔への強迫観念は、おそらく「銃」と同様の恐怖と抑圧を呼び起こすのかもしれない。「あらゆる雑菌を、においを完全に排除する」という発想はあまりにも強迫的で異常である。この手のCMを見ていると、なんとなく日常的で明るい風景ばっかりだが、あれこそ「恐怖の扇動」そのものかもしれないと思うが、考えすぎなんだろうか。


2003/6/27■ YMCA学院高校で野宿者問題の授業

大西巨人の小説(「深淵」)をひたすら読み、ベルリオーズの11枚組BOXセット(インバル指揮)を聞き続ける今日この頃だが、
去年も同時期に授業をやった天王寺の通信制高校で70分枠の授業をやってきた。
先生によると、生徒は他の学校の退学者、もと不登校経験者が多いという。家庭については、母子家庭がかなり多い。卒業生の7割程度は専門学校へ進学するということだ。
授業の内容は、前回の反省も合わせて、
■夜回りで出会う襲撃の話■夜回りに見る野宿者の状況■夜回りで出会う人■日本における野宿者問題の概説■いすとりゲームとカフカの階段
という流れでいくことにした。前半に、現場で出会う具体的な話をかためた構成だ。
先に言ったように、単発の授業では生徒の反応はイマイチわかりにくいのだが、今回の授業では、質問や問いかけに対しては、淳心学院よりもかなり反応が弱かった。「ここでどういうきっかけがあるか、思いつきます?」とか聞いても、普段よりも答えがあまり返ってこない。ひたすらまわりの席どうしでふざけてる生徒がいる一方、ひたすら真剣に聞き入っている生徒もある、という感じである。
印象に残ったやりとりとしては、「いすとりゲーム」の解決策を聞いたところ、「いすを増やす」「人を減らす」という意見の他に、「いすとりゲームを止める」という意見を言った生徒がいた。授業の間、まなざしがひたすら真剣な生徒だっただけに印象に残った。(あとで先生に「あの子はどういう生徒ですか」と聞いたら、幾つか教えてくれて、あーなるほどなあと思ったが、個人情報はここでは書けない…)
授業が終わると、話しかけてくる生徒が2人いた。一人は母親が野宿者ネットワークの夜回りに最近来ているという生徒で、母親に対して批判的なことを言いながら、野宿者にたいする一般の人たちの偏見について、「あれはおかしい」「人ごとだとしか思ってないんだ」と自分の考え方を言っていた。もう一人は、それと一緒に野宿者への襲撃について「あれはひどい。なんとかならないかなあ」と言っていた。連続授業をやっていると、こういう生徒がどんどん爆発的な反応を示し始めたりするんだけどね。
今日は、釜ヶ崎の知り合いが見学に来ていて、終了後、先生たちを含めていろいろ話をした。先生の話では、生徒たちは学校や家庭などでなんらかの傷を負っている場合が多い。基本的に「大人は信用できない」という姿勢があるので、授業などでもそれを感じさせられる、と言われていた。なるほど、そうかもしれない。大人社会への不信と、野宿者の問題はどこかでリンクするものだろうか。今回の生徒がどのような感想を書いてくるか、興味のあるところだ。


2003/6/23■ 姫路・淳心学院で野宿者問題の授業・藤井さんの死

久しぶりの野宿者問題の授業は、姫路城近くのカトリック校、淳心学院高校(男子校)だった。「宗教の時間」で、2年生対象に50分枠の授業。この学校は大変な進学校で、この学校に入るための専門の塾もあるんだとか。駅で迎えに来てくれた先生に、「生徒が一番多く行く学校はどこなんですか」と尋ねると、「そうですねー、京都大学が20人ぐらいで一番多いかナー」と言われていた(!)。
この高校は、毎年、生徒から希望者を募って、釜ヶ崎の越冬に来て夜回りや炊き出しに参加している。今年の越冬では、その中でぼくが呼ばれて野宿者問題全般についての話をして、それが好評だったので、姫路の学校での授業に呼ばれたというわけだ。
ここんとこ授業を繰り返して、野宿者問題について最低限のことを言おうとすると、大体90分かかるということがわかってきた。90分だと、「現場の話」と「更に広いパースペクティブからの話」の両方を、まあ大体は話すことができる。
それに対して、授業が50分や70分の場合は、そこからどれだけ削っていくか、というマイナスの選択の話になっていく。今回のように50分授業の場合、どうしようかと思ったが、
■夜回りに見る野宿者の状況■姫路の野宿者の状況■日本における野宿者問題の概説■海外の野宿者問題■いすとりゲームとカフカの階段
という流れでいくことにした。
授業では、姫路の夜回り団体の人や、読売新聞の記者(次の朝刊で地方版の記事になった)や先生方が見学に来た。
実際の生徒の反応は、特に質問や意見が飛び出すわけでもなく、バタバタ寝てしまうわけでもなく、まあ普通だった。(単発の授業では、生徒の反応はイマイチわかりにくい)。あらかじめ生徒全員に「野宿者がよく言われるセリフ」についてアンケートし、どういう考え方を持っているかはつかんでいたが、それを取り上げてディスカッションするような時間は、残念ながらとれなかった。
そして3時間かかって3クラス分、汗だくになってようやく終了すると、越冬に来た生徒の一人が話しかけてきて、「今度個人的に、また釜ヶ崎に行きます!」と言っていた。こういう生徒がいると、なんか安心します。
(そう言えば、「カフカの階段」のところで、「カフカを読んだことある人は?」と聞いたら、140人中1人だった。困ったことだ!)。
そのあと、先生や記者、姫路で夜回りしている人たちと、いろいろ話し合う。授業については、現場の話がもっとあった方がいい、という意見があった。授業での生徒たちのほとんどは、釜ヶ崎に行ったこともないし、野宿者と話をしたこともない。だから、全般的な話以上に、どういう人が野宿者にいて、夜回りではどういう話をするか、というような具体的なケースがあった方がいい、ということだった。それは確かなので反省したが、基本的に、これから50分枠の授業の話が来た場合、「できたら2回分やらせてください」とこちらから頼むべきかもしれないと思った。それなら、前半で現場の話をみっちりできるし、後半で広い話が出来て、不満がない。できればそうしていきたい。でも、金曜日にも大阪で授業があるけど、これも70分枠なんだなあ…

家に帰ってメールを見てみると、反失業連絡会から(この近況の5月29日のところでも触れた)藤井さんが亡くなったという知らせが入っていた。

「80年代、90年代を通じ、寄せ場労働運動をたたかってきた藤井利明さんが、22日20時50分、癌との闘いを終え、亡くなられました。54歳でした。お別れ会、葬儀をつぎのように行いますのでお知らせいたします。
6月23日(月)午後7時より お別れ会
6月24日(火)午前9時より 葬儀
ともにふるさとの家(大阪市西成区萩之茶屋3-1-10)で行います。

23日づけ「釜ヶ崎解放」を転載させていただきます。

藤井利明さんが癌で倒れる。追悼!!
仲間に知らせがある。釜ヶ崎の日雇労働者の闘いを力強く引っ張ってくれた藤井利明さんが、癌との長い闘いのすえ、ついに倒れた。昨晩の8時50分、54歳の若さだった。
 藤井さんは、80年代山谷金町一家との闘い、90年代反失業闘争の先頭に立ってきた。過酷な弾圧に屈することなく、持ち前の根性と明るさが、仲間の団結を支えた。もうセンターであの元気な声が聞かれることはない。
 しかし、藤井さんの意志は、反失業闘争の前進のなかに生き続ける。共に進もう! 釜ヶ崎解放、野宿の仲間の解放を闘いとる日まで!!」

藤井さんとは、反失業連絡会の運動でよく一緒になっていた。特別清掃の仕事を一緒にやってからは、ヒマさえあれば一緒に将棋をやっていた。
とてつもないエネルギーを持っていた人で、知り合いに会うと、あいさつも何もなく前置き抜きで「オレの起訴状で病院が何と言ったかというたらやな、…」と話し始めて、延々1時間でも2時間でもしゃべり続けるという人だった。逮捕歴も相当なもので、野宿者の寝床を求めるセンター開放では、シャッターを閉じさせない「威力業務妨害」かなんかで捕まり、西成署の真ん前で警察のビデオが回っているところ、警察官に「うっかり」手を出したということで捕まりという具合で、シャバにいることが少ない人だった。ぼくも拘置所まで将棋の本を持って面会に行ったことがある。小細工のない正面衝突の人で、独特のユーモアが冴えていて、野宿者、日雇労働者の多くから支持されていた。
寄せ場の活動家は次々と若くして死んでいく。藤井さんも、ついにその一人になった。

追記・産経新聞6月27日夕刊に藤井さんについて記事が載ったので下に引用する。

大阪市西成区のあいりん地区で、日雇い労働者として働きながら、労働者のための活動を続けてきた男性が二十二日、亡くなった。
藤井利明さん。天然パーマがかかったボサボサの髪。小柄な体に日焼けした顔。日ごろから「ここは外部から孤立している。同じ人間なんだからこの状態をどうかしないといけない」と使命感を背負って、デモでは常に先頭に立ち、ハンドマイクを手に明朗で分かりやすく訴えた。
一方で、仕事は日雇い。住まいは簡易宿泊所や路上を転々とし、あくまで自分の生活は二の次だった。そんな損得抜きのいちずな活動に労働者の誰からも信頼された。
大阪府阪南市で生まれ、高卒後に堺市の工場などを経て昭和五十年代にあいりん地区にたどり着いた。
日雇い生活の一方で、釜ケ崎日雇労働組合の活動に参加した。
五十年代後半から日雇い労働者の賃金ピンはねをめぐる間題に取り組み、五年間は東京・山谷で労働者組合と敵対する暴力団との闘争に専従した。
常に先頭に立つため何度も警察に逮捕された。暴力団からも「あいつだけは相手にするな」と一目置かれる存在だった。
だがむやみに暴力に訴えたわけではなく、暴力団と警察以外とけんかすることはなかった。日ごろから「人をどついたらおしまいや」と話す優しい一面もあった。
四年前に肺がんにかかっていることが分かった。現場から外れたが、胸の痛みを薬で抑えながら労働組合などを回って活動を続けた。しかし今一年四月末に入院。病床でも労働者のことを思い、「活動できないのが悔しい」と涙をポロポロ流した。死の直前には「葬式で香典集まったら炊き出しに使ってくれ」と語っていた。
二十四日、あいりん地区の一真ん中で開かれた葬儀には、降りしきる雨にもかかわらず、日雇い労働者や労働組合関係者ら二百人以上が駆けつけ、涙を流した。活動をともにしてきた釜ケ崎支援機構の山田實理事長は、「もうこんな人は出ないだろう。一つの時代の終わり」とつぶやいた。
享年五十四。合掌。(ぜ)


2003/6/18■ 発熱の日々

5月29日のところで書いたように、5月終わりに38、5度の熱を出して寝込んでいたが、なんとか治ってただちに父の四十九日で実家に帰った。そして、6月始めに大阪に戻ると、またもや熱を出して何日も寝込んでしまった。結局、四十九日をはさんでまるまる2週間、大阪では何の用事もできずに寝て過ごしていたことになる。それにしても、これでついに今年に入って5回目の発熱! 確か10年ぐらい前に「年6回」の発熱自己記録を作ったことがあるが、今年はそれをついに更新するのだろうか。この数年、野菜と緑茶中心の食生活に切り替えて、寝込むのは年2回程度に押さえ込んでいたんだが…

あるグループの学習会でシモーヌ・ヴェイユについて話すように依頼され、その日が近づいた。それで、2000年11月に書いた「シモーヌ・ヴェイユのために」を今日、仕方なく読み返してみた。
大抵の人がそうかもしれないが、自分のかつて書いた文章を読み返すのはえらく苦痛だ。語尾の不手際とか文章量のアンバランスとかで、「今だったらこんな書き方しないぞお」という思いが先に立つ。特に、自分の個人的な経験を書いた箇所は、こっ恥ずかしくって、とてもじゃないが目が全然通せない。一方で、内容的には「これは参考になるなあ」と思う部分も多かったりする。
一言で言えば、とても気持ち悪い経験だった。

それはそうと、今、大西巨人の「神聖喜劇」を夢中で読んでるんだけど、これ本当に凄い小説だな!


2003/6/3■ 放火多発地区の恐怖

うちの近所では今年に入って放火が多発し、アパートが全焼し死亡者が出た事件を含め、ゴミ袋にガソリンをかけて放火というような事件が一日に何件も起こってたりしていたが、最近、ついにその容疑者が捕まったという。
以下、新聞記事(幾つか)から引用(実名は「T」に変更)。

■放火未遂容疑で男を逮捕 連続不審火との関連を捜査

 大阪市南部の西成、平野、東住吉、浪速、阿倍野、住之江の6区で、今年に入って約140件の放火容疑事件が発生している連続不審火で、府警は5月29日、大阪市東住吉区の民家に火をつけようとしたとして、大阪府松原市高見の里6丁目、無職T容疑者(40)を現住建造物等放火未遂の容疑で緊急逮捕した。T容疑者は「うっぷんばらしに、たくさん火をつけた。件数は覚えていない」と供述しているという。

 捜査1課の阿倍野署捜査本部の調べに対し、T容疑者は「母親がしばらく前に退院し、その世話に疲れてむしゃくしゃしていた」と、動機について供述しているという。
T容疑者はこれまでの調べに「一連の放火はほとんど自分がやった。たくさん放火したが、件数は覚えていない」と供述している。

 府警は5月22日に捜査本部を設置し、不審火が続発している地域の警察署と連携して、300人態勢で警戒を続けてきた。特に出火が集中する午前0時〜5時にかけては、ハンディカメラ20台を使い、不審者の行動などを記録していた。
(アサヒ・コムより)

ここ数ヶ月感じさせられたのは、まず「放火」の恐怖である。ぼくのアパートのある町は、うちのアパートがそうであるように、それこそ戦前から建っているような古い木造建築が多く、放火されたら最期、瞬く間に燃え上がってしまう。火災保険などには入っていないし(木造アパートは火災保険がごっつい高い)、燃えてしまえば、当然ながら財産は全部パーになる。ぼくのように、本やCDに生活費以外の収入をほとんど費やしている人間にとっては、ほとんど回復不可能な打撃である。泥棒にも鍵を壊されて何回か入られたこともあって、「火事と泥棒の心配のない家に住みたい」というのは切実な願いだが、これは収入の問題があるので簡単にはいかない。それだけに、近所で放火が多発しているという状態は文句なしの恐怖だった。
放火の問題の一つは、予測不可能ということである。何しろ、いつ、どこでやられるか全然わからない。防ごうと思えば、それこそガードマンでも雇って一晩中アパートを見張ってもらうしかないだろう。ということは、事実上防御不可能なのだ。その点では、なんとなく攻撃目標が想定できる「テロ」より始末が悪い(まあ、放火って無差別テロの一種なのかもしれないが)。
こうなると、気分としては「警察に頑張ってほしい」という感じになってくる。例えば、夜間パトロールの強化。しかし、いくら夜間パトロールしたって効果は薄い。パトロールのあとで放火して逃げればそれでおしまいだからだ。本気で効果をあげようとすれば、例えば道路にくまなく「監視カメラ」を設置するという方法がある。これは絶対に効果がある。放火犯にすれば、監視カメラがあるだけで、絶対にそこでは実行できなくなる。町中にカメラがあれば、その町内では放火は激減するだろう。もちろん、そんな「全道路・監視社会」が好ましいわけはない。しかし、「放火によるリスクと監視によるリスクのどちらをとるか」という議論は、放火が多発する地区では成立しうるかもしれない。ぼく自身は、監視カメラの設置による「治安維持」は絶対イヤだが、無差別犯罪の多発にどのような対応があるべきか、というのは難しい問題を含んでいると思う。
最近、アメリカのゲーテッド・コミュニティに関する本を読んでいる。アメリカでは高所得者層たちが、自分たちの町内をゲートで囲んで外部の人間は一切入れないようにしたりしているが、金持ちだけでなく下町でも、町をバリケードで塞いで外部の人間の進入を制限したりしている。「鍵を掛ける」という治安対策が、「街」全体で行われているわけである。こうした、事実上のアパルトヘイトは絶対に好ましくないが、このような動きは日本でもやがて始まっていくのかもしれない。
実際、この放火多発を受けて、大阪の八尾市では5月に市民による「くらしのパトロール隊」が始まった。隊員は130名の女性で、10班にわかれてパトロールし、不審火や不審者を見つけると、携帯電話で警察や消防に通報するのだという。さらに、カメラ付き携帯で現場を撮影して送信する。容疑者への心理的効果を与えることが大きな目的だという。市民の自発的な「自警団」が、警察と結びついて社会の「監視」を押し進めるのである。カメラ付き携帯の登場で、市民+警察によるきめ細やかな「全監視社会」は可能になった。こうした流れは、アメリカという前例を追いながらどのような発展をしていくだろうか? そして、その監視社会の中で、「こわい、きたない」「何をしだすかわからない」と一般に見られている野宿者はどのような位置づけを与えられるのだろうか?







「近況3」(2002年11月11日〜2003年5月29日)
「近況2」(2001年5月16日〜2002年10月16日)
「近況」(2001年11月13日〜2002年5月10日)

■HOME
 
Lastdate