■きのくに国際高等専修学校の生徒たちの報告書から


野宿者問題の授業を行った「きのくに国際高等専修学校」(和歌山県橋本市)の生徒たちが報告書を作り、送ってくれました。
この生徒たちは「社会的弱者を考える」という授業を半年間受け、その一貫として「野宿者問題の授業」を受け、釜ヶ崎での研修を行ないました。
報告書の内容は、「はじめに」「ホームレスの人口の現状について」「なぜ日雇い労働者が釜ヶ崎に集まるのか」「釜ヶ崎における職の意味」「野宿者の収入源」「野宿者への対応」「高齢者特別清掃事業」「ホームレス自立支援法」「野宿者の現状」「授業の流れ・7ヶ月の歩み」から成っています。
すべてをここで出したいところですが、ここでは「はじめに」だけをアップしました。生徒のみなさん、ありがとう。


■はじめに  三年 下村紗智子

私が最も伝えたいなと感じるのは難波や天王寺でみかけるホームレスの人達は仕事がないということだ。ホームレスであること・路上で寝起きすることはなまやさしいものじゃなかった。夜回りに参加して日本橋や天王寺に毛布配りに行った。0度になる冬にアスファルトにダンボールと毛布でしのぐひとがほとんどだった。私が夜回りでしたことは毛布を持たない人に渡すこと、病気や襲撃にあってないか尋ねること、どこで寝泊まりしているか覚えることだった。
今年の越冬でも、一人のホームレスが遺体となって発見されたが、これからそんな人がでないためだ。「一週間前まではここで人が寝ていたんだが」と毎週夜回りに参加している人が言った。5、6回そういったのを聞いた。国が公共の邪魔にならないように野宿者が寝られないようにしているのだ。それによって変わるのはそこで寝ていた人がまたどこか違う寝場所をみつけなければならないということだけなのだが。
ホームレス問題で一番恐ろしいのは、社会との認識のずれだと思う。年々ホームレスが増加する一方で、周りを振り返ると仕事をしないからホームレスになるんだとただいう人がたくさんいる。多くの映画や物語でも自由気ままなものとしてホームレスは出てくる。
普段何気なく生活している社会にはところどころ穴が開いていて、その穴にこの人達はいる様に感じる。この社会には穴がたくさん開いているみたいだ。今まで社会のことを完備された道のように考えていた。なにかがあった時、政府かなにかの何とか保障があると思っていた。でも穴には安全ネットさえ取り付けられていない。そんなところに穴があることも、穴の中に人がはまっていると考えたことがなかった。無知が恐ろしい。
しかし、とにかく私はホームレス問題にぶつかって、社会というものを肌で感じた気がする。自分と社会の結び付きをこの問題は教えてくれる気がする。


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