DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。)


2006/2/19■ 「〈野宿者襲撃〉論」への書評・コメントなど

月曜から久しぶりに風邪をひいて、いまだにかなり苦しい…
書評・コメントについて、ネット上で気がついたものである程度のボリュームのものの一覧。順不同。

いちヘルパーの小規模な日常
juvenile camp
junippeの日記
世界、障害、ジェンダー、倫理
中井佑治のムーンシャイナー
「壁の中」から
千人印の歩行器
heuristic ways
ビーケーワン書評

いずれの評からも幾つかのことを考えされられています。


2006/2/13■ 中根光敏による「〈野宿者襲撃〉論」書評

今日、出版社から2月18日付けの図書新聞が送られてきて、そこに中根光敏による「〈野宿者襲撃〉論」の書評が載っていた。(社会学・広島修道大学。「場所をあけろ!―寄せ場・ホームレスの社会学」の著者の一人)。
書評はかなりスペースがあるのだが、「追記」として靫公園・大阪城公園の行政代執行や扇町公園・西梅田公園のテント撤去について触れていて、「野宿者が安心して眠れないような公園で子どもが安全に遊べるはずなどない」としめられている。
本に対する評価としてはこう書いている。
「これまでにも野宿者襲撃を論じた本は何冊かあった。けれども、それらのほとんどは、襲撃した若者(たち)と襲撃された野宿者を弱者カテゴリーに抽象化し、結局、襲撃した若者(たち)の不幸な境遇を哀れんだり理解したつもりになったような、実に安っぽい「お涙頂戴物語」だった。/生田による〈野宿者襲撃〉論は、現代思想や現代社会論を駆使して思考をめぐらせ展開されていく。被害者である野宿者が追い込まれていく社会的状況と、加害者である若者が追い込まれていく社会的状況とが、共に共有する弱者という「厳然たる事実」の深層へと迫ろうという形で、まるで複雑に絡まってしまった二本の糸を丹念にほぐすかのように展開されていくのである」。
評価されているのかもしれないが、ちょっと待て。「これまでにも野宿者襲撃を論じた本は何冊かあった」。ぼくの知る限り、北村年子、青木悦(2冊)、吉田俊一、西村仁美が野宿者襲撃について本にまとめている(そのすべてを「〈野宿者襲撃〉論」で引用させてもらった)。しかし、その「それらのほとんどは、襲撃した若者(たち)と襲撃された野宿者を弱者カテゴリーに抽象化し、結局、襲撃した若者(たち)の不幸な境遇を哀れんだり理解したつもりになったような、実に安っぽい「お涙頂戴物語」だった」などということはありえない。それぞれの本に対する評価は控えるが、「それらのほとんどは」襲撃した若者の生い立ちと社会的背景、そして野宿者問題に肉薄しようとしたルポルタージュで、かけがえのない貴重な労作だった。
評者は、これらの本を本当に読んでいるのだろうか?(読んでいるとしたらさらに理解できないが)。書評に引用されているが、野宿者襲撃について書くことには、個人の経験と能力と超える困難を強いられるような思いがつきまとう。上に挙げた本の多くには、そうした困難に対する苦しみが刻まれている。どの本を指しているのかわからないけど、それら「ほとんど」について「実に安っぽいお涙頂戴物語」はないでしょう。
というわけで、どうにも釈然としない書評なのだった。

(18日追加)
評者のホームページでは、15日付でこの書評について下のように書いていた。
「『図書新聞』2762号(2006年2月18日付け)に生田武志著『〈野宿者襲撃〉論』という本の書評を書いた。(…)
今回は、編集者から依頼された書評だったんだけど、書評そのものの本道(?)からすると、お行儀の悪いものとなってしまった。決して、よい子はマネしないほうがいい。というのは、当の著書自体にほとんどふれずに、書評を書いてしまったからだ。また、初稿ゲラが出た後、大阪で野宿者に対する大規模な強制撤去が起こったために、編集者から「その事件に関して原稿枚数を気にせずに原稿を追加してほしい」という要請があったために、なおさら、書評らしくなくなってしまった。私の書評を読んで、この本を買った人がいたとすると、「何だ思った本と全然違うじゃないか」って憤慨する人もいるかもしれないけど、御寛容を乞うしかない。」
自分でわかっているなら、「よい子」のお手本になるように、あらためてちゃんと書評を書いてホームページにでも出してはどうかと思う。


2006/2/10■ Widespread Epidemic of Hate Crimes & Violence Against Homeless People(野宿者襲撃は広範囲に多発している)

毎年、The National Coalition for the Homelessはアメリカ全土での野宿者襲撃事件(Hate Crimes & Violence Against Homeless People)の詳細なレポートを公開しているが、2005年度版が最近出た。まだ読んでないが、過去数年のレポートは日本の襲撃事件を質量ともに上回る激烈な内容だったので想像はつく。(日本の襲撃事件については、野宿者ネットワークのホームページの中に「野宿者襲撃年表2000〜」を作っているのでご覧あれ)。
NCHによると、「悲しむべき事に、襲撃の広範囲な多発は、メディアや不寛容な人々によって強められたホームレスへのネガティヴなステレオタイプによって増幅された」。そして、NCH Hate Crimes Statementによれば、「襲撃者の多くはスリルを求める10代から20代初めの若者である」(これは数年前のレポートから指摘されている)。そして、「善き市民、サマリア人(Samaritans)が路上で目となり耳となることが必要だ」「それによって、若者が襲撃を模倣するようなことを防げるかもしれない」(おおざっぱな訳)としている。
さらに、「われわれの最良の提案は、学校に支援者とホームレス当事者あるいは経験者を招き、クラスで授業(プレゼンテーション)をすることだ。これらの話し手は、個人的な経験を分かち合い、生徒からの質問に答え、ステレオタイプや偏見を打ち破る。そしてホームレスの人々の人間性を示す。NCHは、「ホームレス問題に向き合う」「話し手」事務局を運営し、一年に約300のプレゼンテーションを持ち、聞き手は高校生を中心に17000人に達した。これはわれわれの最も重要な社会教育上の戦略である」としている。
(Our best recommendation would be for schools to invite homeless advocates and homeless/formerly homeless people to make class presentations. These speakers would share their personal stories and answer questions from the students, breaking down stereotypes, prejudices, and exposing the humanity of homeless people. NCH operates the “Faces of Homelessness,” Speakers’ Bureau, making nearly 300 presentations a year reaching a combined audience of 17,000 people, primarily high school students. This is our most important public education strategy.)
ホームレス問題では、その規模や深刻さにおいてアメリカはわれわれの20年ぐらい先を行ってる感じだと思うが、支援者の対応においても20年遅れで追いかけているというところだろう。


2006/2/8■ 島本慈子による「〈野宿者襲撃〉論」書評

出版社から2月5日付けの京都新聞が送られてきて、そこにノンフィクションライターの島本慈子による「〈野宿者襲撃〉論」の書評が載っていた。
最後のパラグラフは
「野宿者というタイトルを見ただけで、関係ないと素通りする人は多いだろう。しかし、子どもが起こす殺伐とした事件は、大人がつくっている寒々とした社会の反映である。子どもの事件を心配するなら、本書のような真摯(しんし)な論考に目を留め、競争社会がはらむ「命の選別」の是非について、まず大人がまじめに考えるべきだろう。」。これはどうもありがとうございます。
島本慈子といえば、「住宅喪失」「ルポ解雇」「砂時計のなかで―薬害エイズ・HIV訴訟の全記録 」の著者だ。どれも読んでみようと思ってた本なので、これを機会に読んでみよう!


2006/2/7■ 「カフカの階段」の改訂版

先日、「いす取りゲームとカフカの階段」が大阪市内の小学校5年生対象に使われた報告を読んだ。「いす取りゲームとカフカの階段」は、ぼくの関わっていないあちこちで授業に使われている。これが野宿者問題の授業のスタンダードな教材の一つとして定着していったらそれはそれで本望だと思う(ところで、どの学校でどのように使ったかをこちらに報告してくれるとありがたいんですけど)。
ただ、「カフカの階段」は2001年に作ったが、最近よくよく見てみると書き換えた方がいいと思う点が幾つかあった。それで、1月末と今日、手入れをして、いわば「Ver1.5」を作った(「いす取りゲーム」と「カフカの階段」に入れている。このページから印刷しても画像はかなり鮮明なはず。ただし、ブロードバンドでないとキツイかも)。
今までのいわば「Ver1.0」との変化。
○「野宿に陥るときは段々だけど、復帰するときは一段になってる!」を
「野宿になるときは段々だけど、もどるときは一段になってる!」に変更。
○野宿の状態になったカマやんが「目を回して歩いている絵」を「リヤカーでダンボールを運んでいる絵」に変更。
理由。
野宿について、われわれは「野宿を強いられた」「野宿を余儀なくされた」と表現することが多い。野宿を好きでする人はほとんどおらず、その要因は社会の構造的な問題にあるから。ただ、野宿そのものは「悪いこと」ではない。「野宿に陥る」という表現は価値判断を含んでいるが、野宿者問題の解説の中でわざわざそれをする必要はないので、「野宿になる」とニュートラルな言い方に変更した。
また、「復帰する」については、2002年に成立した「ホームレス自立支援法」以来「ホームレスの社会復帰」という表現が非常に多く使われ、ぼくの感覚ではすっかり「手あかがついた」ので、「戻る」という平明な言葉に変更した。
絵については、野宿者の多くがダンボールやアルミ缶を集めているという状態を示すために「リヤカーでダンボールを集めている絵」に変更した。
もう一つ、「仕事をして家もある状態」も、様々な事情で(普通の意味で)就労していない人も野宿になっている現実がある以上、単に「家のある状態」の方がいいかなあとも思ったが、なんと言っても現状では「失業→野宿」というパターンが一般的なのでこのままにした。ただし、近い将来、こどもや未成年者、障害者、高齢者などが野宿のかなり大きな層となったときは変更すべきだろうと思う。
なので、「カフカの階段」を使うときは、従来の(「〈野宿者襲撃〉論」に収めている)Ver1.0ではなく、(「いす取りゲーム」と「カフカの階段」にあるVer1.5を使うようにお願いします。


2006/2/4■ 香山リカによる「〈野宿者襲撃〉論」書評

2日に東京新聞1月29日号が速達で送られてきて、そこに香山リカの「〈野宿者襲撃〉論」書評が載っていた。
書評の最後のパラグラフは
「野宿者襲撃問題が起きれば、すぐに「ホームレスの排除」「暴力的な青少年の取り締まり」といった場当たり的な対処に動きがちな昨今だが、豊富な体験と知識に裏打ちされた著者の言葉なら、多くの人びとに届くのではないか。殺伐とした社会に希望を点す一冊と言えよう」。これはどうもありがとうございます。
(ただ、ぼくは香山リカが「〈野宿者襲撃〉論」での摂食障害(拒食症)の解釈についてどう思ったかぜひ知りたかった。摂食障害についての本は幾つか読んだけど全く納得いかず、あの解釈は一人で考え出したので)。

また、直接メールや手紙で今まで(知り合い以外で)2人から感想をもらっているが、どちらも23歳ぐらいの女性、つまり「神戸の事件の少年と同じ世代、そして「17歳の犯罪」が問題となったとき、ちょうど17歳だった世代」(引用)だった。この世代から真っ先に反応が来たことを興味深く(そしてうれしく)思っている。


▼下の(2月2日の)野宿者ネットワーク名のメールに注釈をつける。

○「事実として、野宿者とは失業者のいわば最終形であり、根本的に就労問題なのです」「野宿者とは、失業の結果、住居を失い、月収が平均2〜3万円しかないという「究極の貧困」問題です」
→確かに現在の野宿問題は主要に失業によるが、実際の要因はそれほど単純ではない。これについては「野宿者がよく言われるセリフ」を参照。

○「まさか他人の家に入って暮らすわけにはいかないのです」
→海外では無人ビルを占拠する運動も行なわれている。しかし、日本でそれをやると多分即座に排除か逮捕かされるだろう。

○「住所があって収入がなくなった人については保護をかけるのに、住むところさえ失った野宿者には生活保護を拒否するという、わけのわからない対応が今までまかり通ってきました」。
→現実には、「住所があって収入がなくなった人」についても生活保護を門前払いする行政の違法行為が常態化している。日本放送の『ニッポン“貧困社会” 生活保護は助けない』(06年1月放映)を参照。

○「多くの国では、生活保護水準に近いシェルターを公的、私的に運営しており」
→これは欧米の対策を評価しすぎか。例えばアメリカの U.S. Dept. of Housing and Urban Developmentの統計では、ホームレスの40%が路上などのシェルターのない状態で生活している(2005年初め)。一方、例えばイギリスについては、「rough sleeper」(野宿者)は千人以下で「homeless」(「住居を失った状態」全般)は50万人以上、とされている(BBC NEWS2005年9月12日によれば、イギリスのrough sleeperは459人)。イギリスではホームレス数が増えていく一方、そのほとんどが一時的住宅や施設、シェルターに入った結果、「野宿」(rough sleeping)が急激に減った。「Now the homelessness is not about people living on the streets」(いまやホームレス問題は路上で暮らす人たちのことではない)(BBC NEWS 2004年12月13日)と言われている。

○「野宿者にとって、そして支援者にとって、最も望ましいのは「仕事と部屋のある生活」に戻ることです」
→実際には、野宿当事者・支援者の間でも野宿問題についての考え方は幅があり、一概には言えないところはある。


2006/2/2■ 公園野宿者の強制排除・それに続く幾つかの動き

靫(うつぼ)公園の行政代執行には前夜から執行終了まで現場にいた。様々なことがあったが、その様子については釜ヶ崎パトロールの会・ブログなどで見ることができる。
また、これはまったく報道されていないが、両公園の行政代執行と同時刻に、野宿者ネットワークの関わっている西成公園で、市職員70名を動員した抜き打ち工事が始まっていた。さらに、扇町公園のテント4張りを撤去し、抗議行動に参加していた西梅田公園の野宿者のテント1張りを撤去していた。今までなかった大阪市側の同時展開作戦。今後、野宿者問題の焦点が靱公園・大阪城公園から西成公園へとただちに移っていく可能性が極めて高く、緊張がとけない。

今回の行政代執行は、行政の「やるときはやってやる、文句あっか」という強引さはもちろんだが、報道を通じて野宿者と支援者のイメージがかなり悪化したのではないかという印象も持っている。例えば、当日夜のテレビ朝日の報道ステーションでは「行政は自立支援センターなどを用意しているが、ホームレスたちは自由がないなどとして入りたがらない」と言っていた。完全に偏見を煽っている。(関西テレビのローカルニュースがマシだった)。31日の朝日新聞の「行政もホームレスも歩み寄りを」(どっちもどっちだね)という解説も閉口したが、2月1日づけの記事になると見出しが「『野宿が気楽』 施設敬遠」だ。野宿者問題の現場にいる者にとっては信じられないようなねつ造である。
現場を知らない一般の人はこうした報道を見て、「公園を不法占拠しているホームレスとその支援者とかが、行政の施策を無視し、こともあろうに公園に居座ろうと楯突いている」という具合に見るのかもしれない。「2ちゃんねる」のこの件についての書き込みも凄かった。そこで「支援団体」とリンク付きで名指しされた「釜ヶ崎パトロールの会」には普段はほとんどないコメントが100以上つき、「おまえらが不法占拠のホームレスを甘やかしている」「支援団体はホームレスを自分の家に引き取れ。そうしないで支援と言っているのは偽善だ」みたいな書き込みが今も続いている。
野宿者ネットワークのホームページも31日からアクセスが3倍ぐらいになり、「団体がホームレスを引き取って保護しては?」「そもそも、路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反している」といったメールが何通かきた。靫・大阪城公園のニュースを見て、「支援団体ってどんななのか」と見にくる人がかなりいるのだろう。下に、そうしたメールへの返信内容を引用しておく。
一方で、靫・大阪城公園の行政代執行のニュースを見て、野宿者問題のページを捜し、野宿者ネットワークのホームページを見つけて夜回りに参加した、という人もいた。かつてのイラク人質事件での「自己責任論」騒動が思い出されるが、今年のこうした動きがどのように転がっていくのか、いまはまだよく読めないでいる。


メールをありがとうございます。
疑問にいくらかでもお答えしたいと思います。

一つは、
「確かに、中には「ホームレスを望んではいないが、止むを得ず路上生活しなければならない」という人もいるでしょう」という点です。これは前提となる事実の問題ですが、
2003年の厚生労働省による調査では「路上生活に至った理由」として、
「仕事が減った」が 35.6%、「倒産・失業」が 32.9%、「病気・けが・高齢で仕事ができなくなった」が 18.8%とされています。
つまり、事実上「失業」による野宿がほとんどです。わたしたちは毎週夜回りをし、そのほかにも日常的に野宿をしている人たちと関わっていますが、そこで出会う野宿者の多くが「仕事さえあればこんなところ(公園・路上)で寝ていない」と言っています。というより、その人たちは仕事があった時は野宿していませんでした。事実として、野宿者とは失業者のいわば最終形であり、根本的に就労問題なのです。
また、各種の調査で明らかなように、そして夜回りなどをすればすぐに分かるように、野宿者の大多数はアルミ缶やダンボールを集めて生活しています。アルミ缶の場合、1個集めて1.5円、つまり100個集めて150円という収入です。1日中探し続けても1000円いくかいかないかという超低賃金重労働です。そんな割に合わない仕事をしているのは、ひとえに「他に仕事がないから」です。
実際、野宿者が激増したのはこの10年間ですが、それは失業率の推移とほぼ平行していました。「ホームレスはしたくてしているだけだ」という意見はよく聞きますが、もしそれが正しければ、この10年の間に日本で野宿が好きな人が突然増えたということになりますが、そんな奇怪な話はありえません。

▼「そもそも、路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反しているということをご存知でしょうか。」
知っていますし、野宿をしている人たちも知っています。問題は、ではどうすればいいのかということです。
路上や公園などの「公有地」で生活することは「不法占拠」とされています。しかし、世の中には「公有地」の他には(おおざっぱに言うと)「私有地」しかありません。そして、他人の「私有地」で生活しようとすると、今度は「不法侵入」で訴えられます。まさか他人の家に入って暮らすわけにはいかないのです。

現実に、大多数の野宿者が「仕事と部屋のある生活」に戻りたいと思っています。しかし、そのための手だてがきわめて少ないという問題があります。そもそも、ハローワークに行っても、「住所が野宿状態」では相手にしてくれません。また、仮に就職できたとしても、いままでアルミ缶やダンボールを集めていたのに、今度は給料日までの生活費に困ります。つまり、金がないと就職もできません。また、野宿者の多くは50代であるため、そもそも就職先がなかなか見つかりません。

こうした問題を少しでも解決するために、様々な支援団体が努力をしています。まず、大阪全体で路上死する野宿者が毎年200人以上という現実があり、それに対応するため、夜回り、医療相談、炊き出しなどの活動が行なわれています。また、生活保護の手続き、法律相談、職業訓練の支援、無料宿泊なども行なわれています。
「団体さんがホームレスの方々を引き取って保護されてはいかがですか?」とありますが、大阪だけで1万人近くの野宿者がいる以上、わたしたちの限界は別としても(自分たちなりに時間とお金をつぎ込んで活動していますよ)、そうした手段で問題が解決するわけがありません。そもそも、失業問題が根底にある野宿者問題は、社会的な就労問題・社会保障問題として解決するしかありません。善意の個人が引き取ればよい、という考え方は明らかにちがいます。野宿者問題を「個人の責任」「自業自得」という考え方がよくありますが、「引き取ればよい」というのは、野宿者問題の解決策を「支援者の責任」にしてしまっているだけです。
例えば震災で家を失った被災者へのボランティア活動をする人に向かって、「支援するなら被災者をおまえの家に引き取れ」などと言う人がいたら完全におかしいと思いますが、それとほとんど同じです。

また、新聞などで報道されたように、行政は「野宿者は自立支援センターに入れ」と言っています。この施設では、最大で半年間いることができ、そこから仕事を探すことができます。いまのところ、ここからの就職率は40〜50%とされています.。ただし、就労の内訳を見ると、常雇いではなく臨時雇いの清掃員やガードマンが多いという特徴が出ています。
この自立支援センターに入ることももちろん可能ですが、ここから就職できるのは「年齢が若い人」「使える資格がある人」に集中します。つまり、まだ若いとか、使える資格を持っているとかいう人はそれなりに行く意味があるのですが、そうでなければ3ヶ月(あるいは半年)たって野宿に戻る可能性がきわめて高いのです。もちろん、自立支援センターに入るときは公園のテントをたたんでいくので、野宿に戻ると寝場所探しからまた始めなければなりません(また、自立支援センターの多くは「二段ベッドの10人部屋」という居住状態で、数ヶ月でも生活し続けるのはかなり大変だと言われています)。そして、自立支援センターの定員は大阪で数百人ですから、文字通りの「焼け石に水」状態なのです。
野宿者問題に関わっている人ならみんな知っていることですが、野宿者の多くは「50代で、入院するほどではないが体がどこか悪い」という人が大多数です。つまり、自立支援センターに行っても就職の可能性が少ないし、かといって生活保護を申請しても通る見込みがほとんどないというケースばかりです(行政は、50代の野宿者の生活保護申請はほとんど門前払いしてしまうか、申請を受けても「就労努力がない」という口実で数ヶ月で切ってしまうことが多いのです)。つまり、簡単に「乗れる」話ではないという現実があります。

ではどうすればいいのかというと、「働ける人には仕事を紹介する。あるいは職業訓練をする」「仕事のできない人には生活保護を適用する」ということだと思います。
「生活保護法」は、ご存じのように「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行ない、その最低限度の生活を保障する」もので、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という「生存権」の規定に基づいています。
野宿者とは、失業の結果、住居を失い、月収が平均2〜3万円しかないという「究極の貧困」問題です。もちろん、生活保護の対象です。しかし、野宿者が福祉事務所に相談に行くと、たいてい、こう言われて追い返されていました。「あなたはまだお若いじゃないですか。まだ働けるでしょう」「あなたには住む家がないじゃないですか。住所のない人には生活保護はかけられませんよ」。
 今まで行政は、生活保護の適用は「住所があって」「60〜65歳以上」の人に限るという方針を採ってきました。実は、これは法律的根拠がまったくないただの「慣例」です。住所があって収入がなくなった人については保護をかけるのに、住むところさえ失った野宿者には生活保護を拒否するという、わけのわからない対応が今までまかり通ってきました。
野宿者への生活保護の適用のため、様々な支援者・団体が活動しています。一緒に役所に行き、役所と相談し、アパートを探し、などの活動によって、部屋のある最低限度の生活を取り戻しています。その上で、再び就労していく人もいます。
「路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反している」という話がありましたが、それ以前に行政が憲法と法律(生活保護法)を遵守していないという現実があるのです。
また、いわゆるホームレスは欧米では日本とは桁違いの多さです(例えば2004〜5年の冬季、ニューヨークでは39000人がシェルターで寝ており、さらに数千人が路上で寝ています)。しかし、先進国で日本ほど路上で人が野宿している国はないと言われています。多くの国では、生活保護水準に近いシェルターを公的、私的に運営しており、ほとんどのホームレスはそこで夜を過ごしているからです。

野宿者問題にとって最大の課題は「仕事」です。例えば、ビッグイシューのように野宿者自身が路上で雑誌を売る事業が最近現われています。そうした野宿者支援の会社の起業は、欧米では珍しくありませんが、日本でもようやくそうした起業家が誕生してきているのです。
また、わたしたち野宿者ネットワークが属している「釜ヶ崎・反失業連絡会」は、大阪府・大阪市との交渉の結果、55歳以上の野宿者を対象に、道路や公園、保育所の掃除・整備の仕事を公的に出す「公的就労」を実現しています。これは、輪番制で3000人ほどの野宿者が登録して、順番に一日5700円の仕事をしています。いままで整備がされていなかった公園、予算がつかないためにボロボロだった保育所がきれいになり、「こっちも来てくれ」「あっちも行ってくれ」と非常に好評です。仕事をしたくてもできなかった野宿者が社会に役の立つ仕事をして、それでお金が少しでも入るのですから非常にいい事業です。
しかし、この事業によって野宿者が仕事に就けるのは一ヶ月に3回程度です。つまり、月に入るのは1万6000円ぐらいです。これは野宿を脱するほどの収入にはならず、あまりに中途半端な規模です。この事業のための予算は数億ですが、以前に大阪市の職員への厚遇問題で100億円以上のカットが検討されたことを考えると、お金の使い方が何か間違っているのではないかと考えざるをえません。

そもそも、行政代執行で野宿者を公園から追い出しても、行き場所のない野宿者は他の公園や道路に行くだけで何の解決にもなりません。多くの野宿者にとって、そして支援者にとって、最も望ましいのは「仕事と部屋のある生活」に戻ることです。近隣の住民にとってもそれが最も望ましいはずです。つまり、希望は一致しています。ただ、行政がおもいっきり中途半端な対策しか出さないため、野宿当事者と住民に不必要な軋轢が生じ続けているという面があると思います。
もちろん、わたしたち支援者の力不足は常に痛感していることです。今後とも力を尽くしていきたいと思っています。

野宿者ネットワーク



2006/1/27■ 公園野宿者の強制排除に反対するデモ・集会

30日にあると言われる靫(うつぼ)公園・大阪城公園の野宿者への強制排除(行政代執行)に反対するデモ(靫公園→大阪市役所)、扇町公園での住民票登録を求める「山内裁判」の傍聴(正確には、公園への転出届けを却下した北区に対する却下取り消しを求める審査請求裁判)、「エルおおさか」での裁判報告・強制排除反対集会(失業と野宿を考える実行委員会主催)に行ってきた。
デモについては、下の写真の感じ。集会では、野宿者ネットワークとしてぼくも両公園野宿者への連帯表明の挨拶をした。
そのなかで最も盛り上がったのは山内裁判の完全勝訴だった。新聞やテレビでかなり報道されているらしいが、ネットでも記事が出ている。公園内のテントを住所と認定、ホームレス勝訴(読売新聞)。とにかく、原告も弁護士も支援者も「勝つとは全然思ってなかったので驚いた」と言ってる予想外の判決だ。
18日に書いたように、行政が野宿者に対して仕事の保障や生活保護の無条件適用をすれば基本的に野宿者問題は解決するが、行政はそうはしないので、野宿を強いられる人々が大阪府だけで1万人以上いる。そして記事にあるように、野宿者は「住所がない」=「住民票がない」という理由のため、年金、健康保険、銀行口座、携帯電話などを持つことがまったくできない。そこで、ともかく今現実に住んでいる公園で住民票を取れるように求めたのがこの裁判だった。
弁護士によれば、「土地使用に権原がなくても居住実態があれば住民票は出すべきだ」というのが判決の趣旨であるという。考えてみればまったくその通りだが、最近の司法判断はあまりにあてにできないので「どうせダメだ」とみんな思っていた。そうしたところに、生存権・市民権という点から言っても大変妥当な判断が出たことになる。この結果を受けて、こうした裁判はこれから各地で行なわれていくことになるだろう。
さて、この判決については、すでに「裁判する金があるならアパートを借りろ」「支援者が家に住まわせろ」「不法占拠を認めるのか」「私も今から公園行って全部占拠してきます。そしてそこを居住地にします」といった書き込みがかなりされている。もちろん、どれも知識不足か偏見から来ているとはひとまず言えるのだが、こうした反応の多さは、(「〈野宿者襲撃〉論」でも触れたが)公園という「公有地」と野宿者問題との関係について、あるポイントを突いているからだと思う。こうした一般的な反応をどう捉え、どう対応していくかはこれからさらに重要な意味を持ってくると思う。


2006/1/23■ 幾つかの記事

大阪市の大阪城公園・靫(うつぼ)公園、仙台市の榴岡(つつじがおか)公園の動きと平行して、荒川河川敷の野宿者への退去勧告の記事が出ている。もちろん、工事などの口実による排除は、記事にならないだけでどこでも日常的に起こっていた。しかし、行政代執行に至るような非常事態がこうも全国で立て続けに起きることは今までありえなかった。
野宿者問題については、支援者の間で大きく評価の分かれた「ホームレス自立支援法」の成立した2002年は大きな節目だった。だが、もしかしたらこの2006年はそれに続く野宿者問題のターニングポイントとなるのかもしれない。一つには、行政は「横並び」であるため、どこかが強制排除に乗り出すと「あそこがやったんならこちらもできる」という具合に連鎖反応が起こりうるからだ。

マイナス32度とかになっているモスクワのホームレス問題についての記事(ログインしないと読めない…)が出ている。なにしろ日本などとは次元のちがう極寒なので、放っておいたらたちまち野宿者はみんな死んでしまう。そこで、市当局はバスの全車両を動員して野宿者をかき集め(round up)、また、地下通路や駅などにシェルターの住所を掲示している。さらに「ホームレス、特にこどもたちはバスに入ってもらい、そこで暖まって食事をし、必要な医療扶助を与え、必要なら防寒着をあげている」という。
ところでこの記事には、「1999年に終わった冬には、市の報告では108人のホームレスとアルコール依存症患者(「酔っぱらい」と訳すべきか)が凍死した。2001年には359人だった。けれどもこの冬は、もうすでに123人が路上で死んでいる」とある。
以前に、この「近況」でも触れたし「〈野宿者襲撃〉論」でも引用したが、「モスクワ市では控えめに見て10万人がホームレスであり、去年の10月1日から今年の1月までに9330人が凍死した」(「TIME europe」2003年2月8日)。凍死者の数があまりにちがいすぎるのだが?
実は、「TIME europe」の記事はあまりに数が多いのでさすがにちょっと不審だった。もしかしたら、これは0が一つ多いのではないか、といまでは疑っているところである。
もちろん、100人だろうが1000人だろうが、凍死者が出ること自体が問題なんだけどね…

「〈野宿者襲撃〉論」がらみでもう一つ。文中で「Fortress America: Gated Communities in the United States」を自分で翻訳して引用したが、最近、それの翻訳本が出ていることに気がついた。「ゲーテッド・コミュニティ」2004年発行。原書を読んだときには翻訳は出てなかったし、こんな本は翻訳されないだろうと思ったのでちゃんと確認していなかった。知っていれば、当然そこから引用しただろう。
「翻訳は知っているけど、あえて引用しなかった」ということではないので念のため。

朝日新聞で「〈野宿者襲撃〉論」がらみのインタビュー記事が出たが、何人かから「ここの言葉はどうか」「ここはなんのことか知らない人にはわからない」などの指摘をされた。確かにその通りなのだが、記事については、インタビューで答えたことを記者がまとめて書いており、ぼく自身は一切チェックしていない(事前にチェックできるなら指摘の箇所は当然変更している)。
以前に共同通信の記者から聞いたが、記事について、取材相手からの「発表前のチェック」は基本的に断わるのだそうだ。90年代前半にオウムの取材をした際、オウム側から事前チェックを要求され、それに応じたところ、徹底的な内容の変更を余儀なくされた事があったという。それがオウム事件発覚後大問題になり、以後、マスコミはたとえ取材対象であっても記事は事前に見せない姿勢に転換しているという。
よくある「識者の数行コメント」もそうだが、記者がいろいろ聞いた結果をまとめると、実際に言ったのとはニュアンスがかなりずれることがある。インタビュー記事についてはそういうものかもしれない。したがって、記事についての文章責任は、取材対象であるぼくにはあまり負えないのである。


2006/1/19■ インド・デリーのホームレス数の増大

インド・デリー市のホームレス問題についての記事が出ている(1月12日付)。インドの野宿者というと、なんとなくマザー・テレサのイメージがあって、「昔ながらのスラム街での家族もろともの野宿」という印象があったけれど、この記事を読むと、もはやそういう感じではない。
「1935年以来の記録的寒さにあるデリーでは、ホームレスの人々の苦しみを解消する決定的な行動がより緊急を要している」
「非公式な推計では、デリーでは常時約10万人のホームレスがいる。(…)それに対して、シェルターは最大限で6200人を入れられるに過ぎない。また、非公式の推定では、デリーには1万人の女性ホームレスがいる。そして、現在女性ホームレスのために3つのシェルターがあるが、これは100人を入れられるに過ぎない」。
そしてそのシェルターがどういうものかというと、「disrepair荒廃」「umsanity不衛生」で、「水、医療体制、トイレ設備の不足、スタッフの虐待と酷使、そして汚れても洗濯していないベッドに多くの人が不満を訴えている。」
では、こうしたホームレスの増大は何によるのか。一つには次の事件があった。「2004年の1月から4月の間、市当局は「都市再開発」の一貫として、ヤムナパシュタの住居から13万人を強制退去させた。侮辱を加えた上で、16%の人たちだけが賠償を受けられるとされたが、代わりの住居もないまま、大多数は悲惨なホームレス状態を余儀なくされた」(このヤムナパシュタの強制退去についてはこの記事を参照のこと)。
しかし、デリーのホームレス問題の要因はそれだけではないと言う。
「ホームレス問題の根底にある構造的原因」として、「地方の減少する生計と経済的機会、公平な土地改良の不足、社会的迫害、ダムなどのインフラ建設による排除、地方の孤立、強制排除、渇水と凶作、ドメスティック・バイオレンス、こどもの虐待、などによって起こされた人口移動」である(やや訳が曖昧)。
つまり、都市と地方との経済格差の拡大、都市再開発による都市部貧困層の排除政治的迫害、自然災害、家族像の変容などが複合しているようである。12月28日のところでアフリカのホームレス問題の記事について触れたが、アフリカの都市部ホームレスについても、都市開発による格差拡大(地方の農業の貧困化)と家族の崩壊がその一因になっていた。かなり世界的に普遍的にみられるこれらの要因をどのように捉えるか、これからより大きな問題になってくるのではないかと思う。


2006/1/18■ 大阪市・仙台市の公園からの野宿者強制排除の動き

大阪市の靫(うつぼ)公園、大阪城公園、仙台市の榴岡(つつじがおか)公園で暮らす野宿者への行政からの強制排除への動きが新聞などで報じられている。
靱公園については「世界バラ会議大阪大会(2006年5月)」に向けた公園整備のため、大阪城公園については「全国都市緑化おおさかフェア(2006年3〜5月)」に向けた整備工事のため、榴岡公園については、「河北新報」によれば「昨年3月に公園内にホームレスの緊急一時宿泊施設(シェルター)の路上生活者支援センターを開所。周辺の住民に対し、市は『支援センター設置から1年後には公園を不法占拠するホームレスをゼロにする』と説明していた」とされている。現在は「戒告書」配布など行政代執行への手続き段階だが、強制排除が行なわれる可能性がきわめて高い。
野宿者への強制排除への動きがこれほど立て続けに起こるのはなぜなのか。一つは、以前は野宿者問題について完全に無策だった行政が、近年「ホームレス自立支援センター」のような施設を全国に設立し始めたためかもしれない。要するに、「行き場所(対策)はあるのだから、公園での不法占拠は即刻止めろ」と言っているわけだ。
しかし、統計で明らかであるように、自立支援センターに入ってもそこから就職できる可能性はほぼ半分だ。まだ若いとか、使える資格を持っているとかいう人はそれなりに行く意味があるが、そうでなければ3ヶ月(あるいは半年)たって野宿に戻る可能性が高い。もちろん、自立支援センターに入るときは公園のテントをたたんでいくので、野宿に戻ると寝場所探しからまた始めなければならない(元の場所にはたいてい「立ち入り禁止」のロープが張られてしまう)。また、自立支援センターは相部屋のため、そこでの生活自体に強いストレスがかかることが知られている。それくらいなら、と多くの野宿者は自立支援センターを敬遠している。
そもそも、野宿者問題に関わっている人ならみんな知っていることだが、野宿者の多くは「50代で、入院するほどではないが体がどこか悪い」という人がすごく多い。つまり、自立支援センターに行っても就職の可能性が少ないし、かといって生活保護を申請しても通る見込みがほとんどないというケースばかりだ(行政は、50代の野宿者の生活保護申請はほとんど却下してしまうか、申請を受けても「就労努力がない」という口実で数ヶ月で切ってしまうことが多い)。要するに、現状の行政の「対策」は多くの野宿者にとってあまりに中途ハンパで大して役に立たないのだ。そんなのに自信を持って「対策はあるのだから公園から出て行け」と言われても、ほとんどの野宿者は途方に暮れてしまう。「河北新報」には「仙台夜回りグループの今井誠二理事長は『センターは自立支援ではなく、ホームレスの一掃が目的だったと言わざるを得ない』と厳しく指摘」とあるが、実際その通りだろう。
いま野宿している人の多くは、口をそろえて「仕事さえあればこんなとこで寝てない」と言っている。野宿に至る最大の要因は、どんな調査も示しているように仕事がなくなる「失業」なのだ。行政が野宿者に対して仕事を保障し、仕事ができない場合は無条件に(つまり憲法と生活保護法が言っている通りに)生活保護を適用すればいまの野宿者問題は基本的に解決する。そういったまともな対策をせずに公園から追い出しても、行き場所のない野宿者は他の公園や道路に行くだけで何の解決にもならない。一言で言えば、「行政は強制排除をするな、仕事の保障そして生活保護の適用を行なえ」ということである。


2006/1/12■ 小澤の不等式

石井茂の「ハイゼンベルクの顕微鏡――不確定性原理は超えられるか」(2006年1月5日発行)を読んだ。1927年に定式化されたハイゼンベルクの不確定性原理の破れを示し、その新たな定式化を行なった小澤正直の研究を紹介し、そこからあらためてアインシュタインとハイゼンベルク・ボーアとの論争などを再検討している。さらに、重力波の検出、多世界解釈、超準解析による量子力学理論など関連する話題が触れられている。
ここでの焦点の一つは、今までの不確定性原理の説明の二重性である。一つは、量子レベルにおいては観測行為自体がオブジェクトを攪乱するため正確な観測がある限度以上は不可能であるということ。もう一つは、量子レベルのオブジェクトの位置や運動量は本質的にゆらいでおり、位置の不正確さと運動量の不正確さの双方を一定以下に抑えることはできない(標準偏差の問題)、ということ。
「測定のプロセスとは関係なく定義できる標準偏差σと、測定の際に生じる誤差εおよび擾乱ηを、明確に区別する議論は長い間、行なわれてこなかったのである。(…)もちろん誤差や擾乱は標準偏差の存在と無関係ではなく、当事者は何らかの関係を付けていたのかもしれないが、そのような議論は当時の論文などには残されていない。しかし、標準偏差の間で成立するケナードの不等式が、ガンマ線顕微鏡の思考実験が意味するものと物理的に同じだということは、簡単には納得できないのではないだろうか」。
小澤の不等式は、まさにこの二つを区別した上で、その関係を定式化している。式自体は簡単(249ページ)だが、その意味はこうである。
「小澤の不等式を一見して分かるのは、誤差と擾乱のいずれか一方がゼロになることがあっても、つまり位置と速度のどちらかを完全に正確に知ることができたとしても、もう一方の値がまったく不明(不確定さが無限大)になることはない、ということである。しかも、本章の冒頭で述べたような初学者が感じる疑問も解決されている。量子がもともと持っている不確定な性質を表わす標準偏差と、そういう量子を測定したときに必然的に伴う誤差や擾乱を、ともに不等式に組み込み、別のものとして説明できるようになっているからである。」
この新たな不確定性原理の定式化によって、従来の様々な論議は再検討を余儀なくされる。事実、アインシュタインとボーアの有名な論争は、「アインシュタインは議論の中で、まさに自分の相対性理論を忘れていることをボーアは指摘した」といったようにまとめられていたが、小澤の不等式から見ると事態がまったく異なってくる。「小澤の不等式を適用した結果をよく見ると、時刻の測定が正確であっても(…)矛盾は生じない。(…)結局、エネルギーも時間も、不確定さをいくらでもゼロに近づけることが理屈の上では可能になるのである。考えようによっては、そういう思考実験をアインシュタインは時代に先んじて提案したと言えるのかもしれない」ということになる。
小澤正直についてはこの紹介を見よう。2の「超準解析学と数理物理学」については、この本の中でも触れられている。かつて超準解析を一時だけ勉強した(テクニカルなことはほぼすべて忘れた)ぼくは、このテーマにもっとも関心をそそられた。
「古典力学の数学モデル(標準モデル)に無限小概念を加えたモデル(超準モデル)を考える。そして、量子力学は古典力学に対する超準モデルによる拡大であり、プランク定数はそこにおける無限小として表わされるとすれば、どうなるであろうか。より広い意味で、物理学の数学モデルを扱えるようになるのではないか、ということである。勝手な連想であることを断わった上で言うと、ボーアの相補性とその一つの表れでもある不確定性原理が、無限小概念を棄てて成立した「ε・δ」論法と同じ役回りのように見えてくるのである。」
ホントかよ! そんなことができるんですか? 「ε・δ」論法が無限小という「実体」概念を棄てて「過程」として微分を定義したものとすれば、超準量子力学はボーアの相補性(と不確定性原理)をより微細な領域にある実体の「表われ方」として表現したものということになる。「勝手な連想」ということだが、すごい夢のある話ではあるな。
とにかく、この本を通じて尊敬できる仕事を行なっている学者の存在を知ってとてもうれしい(単にぼくが無知だっただけとも言えるが…)。


2006/1/11■ チェンバロで弾くバルトーク

10代後半のとき、バルトークの「ミクロ・コスモス」全6巻の楽譜を買って、第6巻の何曲かをピアノで夢中で弾いていた。当時、ハマってたわけだ。
そして、ここんとこはコチシュの弾くCD8枚組のバルトーク・ピアノ曲集を聞いている。バルトークのピアノ曲というと「アレグロ・バルバロ」や「戸外にて」が有名で、事実それらは21世紀の今なお衝撃的な内容だ。しかし、あまり知られていない初期ピアノ曲も、ドビュッシーの影響の上に立って、かつ雄弁で華麗な作風を見せてなかなか聴き応えがあったりする。
この中には「ミクロ・コスモス」もまるまる2CD分入っていて、それを最近ずっと聞いていた(他人の演奏で聞くのは初めて)。そして、第6巻の「ハエの日記」を聞いたとき、「これはピアノで弾くよりチェンバロで弾いた方が合うな」と気がついた。シンプルな音型、ポリフォニーとアーティキュレーションの優先性、まさにピアノよりもチェンバロ。そう思って楽譜を読み返してみると「半音階的インヴェンション」などチェンバロのために書かれたかのような曲が幾つもある。当然、バルトークはチェンバロを想定して書いたわけはないのだが。
チェンバロのレッスンに行って、先生に「これはチェンバロで弾けそうです」と楽譜を出すと、一目で「本当だ」と言っていた。ところが、思いついてネットで「チェンバロ バルトーク」を検索してみると、水永牧子桑形亜樹子(この人のリサイタルを聴いてソルミゼーションに関するセミナーも聞いた)がチェンバロでミクロ・コスモスを取り上げている他、4〜6巻をユゲット・ドレフュスがチェンバロで弾いたCDまで見つかった。思いつくことは同じだった!
というわけで、しばらくチェンバロで20年ぶりにバルトークを弾きます!(部屋で練習できるのは電子ピアノだけど) 


2006/1/6■ 朝日新聞・「EN」の「〈野宿者襲撃〉論」紹介

「〈野宿者襲撃〉論」についての取材記事が朝日新聞12月28日夕刊「テークオフ」のコーナーで出てました。年末に釜ヶ崎で取材を受けていろいろ答えたもので、今日、記者さんから送られてきました。
大阪版ではやはり夕刊の「テーブルトーク」というコーナーで、1月中に掲載されるということです。
それと、WEBマガジン「EN」今月号に「〈野宿者襲撃〉論」書評が載ってます。

なお、釜ヶ崎越冬闘争についてはこちらのブログをご覧あれ。実は、下の写真の医療センター前布団敷きでは死者が出ました。以下引用。
「12月28日パトロールの報告
北回り81人、南回り173人、医療センター前26人
おとといの27日のパトロールの最後のほうに出会った人に、「布団しきやってるから行きましょう」と話して、「行く」と言って、いっしょにリヤカーで行きました。手の怪我の手当てしようと言ったら「いらない」と言って仲間と一緒に布団しきのところで寝ました。その人が朝(28日)亡くなりました。昨夜のパトロールに出る前のミーティングのとき、みんなで黙祷しました。」
肝硬変で直前まで入院していた方という話です。とにかく、釜ヶ崎の越冬では死者が多い…


2006/1/2■ 釜ヶ崎は越冬闘争中

例年のことですが、釜ヶ崎は12月25日から1月10日まで越冬闘争です。
下は医療センター前布団敷きのようす(この後、ここで寝る人はどんどん増えていく)。



2005/12/28■ アフリカとイランの都市部ホームレスの記事

最近の記事に、イランとアフリカの都市部のホームレスの報道が出ている。
アフリカについては、12月23日付のYoung and homeless fill Africa's city streets。ここでは、スーダンの首都ハルツームの路上で暮らす14歳の少年アハメドを取り上げている。彼の履歴や生活の様子が語られているが、記事によると、「彼らはアフリカで爆発的に発展する都市部における、先例がなくしかも増え続けるホームレスの若者の一例である。(…)このホームレスの若者についての信頼できるトータルの数の推計はないけれども、研究が示すところでは、100万人ぐらいかもしれない」
「アフリカはかつては、過酷な環境でもこどもを保護する大家族の伝統的システムを誇っていた。しかし、この25年間、渇水、戦争、エイズ、経済的破綻などの複合的な問題によって家族はバラバラになり、何十万というこどもたちが自分で生き延びていかなければならなくなった。」「この問題は1980年代に最初に気づかれ始めた。(…)地方の家族にいた多くのこどもたちが、外で金を稼ぐか、それとも単に家を出ることを要求されるようになった。」
支援団体によると、「路上で暮らすこれほど多くのこどもたちを、かつては決して見ることはなかった。問題の一つは、アフリカ中の都市開発が、こどもたちを先の見えない環境に追いやっているということだ。(…)こどもたちは、働いて正直に生きようとするつもりだった。けれども、トラブルに巻き込まれ、薬物にはまり、時としては性的搾取や大人による搾取に直面する」。
別の支援者によると、「農業は充分に収入を得るものではなくなってしまった。そして戦争が起こり、エイズがすぐにやってきた。いまや、問題はダルフール紛争によって複雑化している。われわれは多くのこどもたちがここに来て傷を負い孤児となるのを見ている」。
こうしたホームレス化の結果、こどもたちがどうやって生活しているかというと、同じ境遇のこどもたちとグループを組み、「半端な仕事や、ちょっとした盗みや慈善に頼って生きている。商売人のために重い荷物を運び、店を掃除し、彼らの車を洗い、小銭を稼ぐ。また、食べ物の売店にくっついて、施しを狙う。また、こどもたちはくず鉄を盗んで売って、残りものの食べ物を捜してビンの底をつついている」(テキトーな訳の上ごく一部だけなのでなるべく原文を読んでください)。
アフリカの都市部ホームレスは、政情不安と都市開発による格差拡大(地方の農業の貧困化)などが複合しているようである。それにしても100万人のホームレスの若者って。もっとも、イギリスでも最近よく「クリスマスの日にもイングランドでは12万7992人のこどもがホームレスである」(政府の発表なので実数は確実にもっと多い。ただしイギリスのホームレスチルドレンの多くは家族ごと一時的施設で寝起きしている)みたいな記事が出ているので、いずこも数では同じようなものなのかもしれない。

大変珍しいことに、イランにおけるホームレス問題の記事が出ている。「毎晩、イランの首都では15人のホームレスの人が死んでいる」という記事。イランの莫大な石油の収入にかかわらず、貧困とホームレス問題は大都市に普遍的な問題なんだという。何千もの人たちがシェルターもないまま厳しい寒さの中を寝ている(写真も出ているね。釜ヶ崎で撮った写真みたいだ)。イランの国営メディアでは、野宿者のことを「ダンボールで寝る人」と呼んでいるそうだ。
しかし、一晩で15人というのを計算すると、テヘランでは一年で(夜に)5475人が路上で亡くなっていることになるのだが!


2005/12/17■ 本を出すとどれぐらい収入が入るのか

本を読んでいると、つい「この本の印税ってどれぐらい入って著者はどれぐらい儲かるんだろう」と思うことがある。今回は自分が単行本を出したので、そこらへんがようやくよくわかった。個人的に話すときには明快に数字を出して話せるが、ここではそれをごくおおざっぱに触れてみよう。
まず、「〈野宿者襲撃〉論」の場合、著作権使用料の本体価格に対する割合(印税率)は通常の10%よりかなり低い。これは、「本の価格を安くすることが最優先」というぼくの希望に合ったものになっている(あのページ数にしては税込み1890円はかなり安いと思う)。
発売された初版部数のうち著者に対する(これだけは支払うという)保障部数があり、その分がとりあえず収入として入る(源泉徴収済み)。そして、このうち一部は本そのものとして支給される。それを贈呈本として贈ったり売ったりするわけだが、ぼくは(自分で持っとく以外)すべて贈呈した。しかし、ここでは贈呈分の本の価格も「収入」として計算しよう。
さて、この全収入から「資料代」「パソコンのハード・ソフトなどの減価償却費」などを経費として引くと純収入が出る。この場合は「資料代」だけ考えるが、それだと純収入はだいたい「10万円弱」になる。これを労働時間で割ると時給になる。1000時間以上はどう考えても費やしているので、「時給100円以下」である。
ぼくがやっていた学童保育の指導員のアルバイトは時給720円ぐらいだった。つまり、純粋に収入を得る手段として考えると、本を書くのは全く割に合わない作業である。本を書くより、学童保育の(というか大抵の)アルバイトの方が10倍近く「金になる」。もちろん、ぼくは収入を第一目的にはしてないので、自分の書いたものが本になってその上お金が入るというだけでとてもありがたい。また、繰り返すが、ぼくの場合は特殊で、他の(部数が多い・書くのが早い・印税率が高い)人は事情がちがう。
上の数字は、本が売れて増刷がかかれば当然ちがってくる。しかし、どうだろうか。編集の人から聞いたが、過去のデータから「タイトルに『野宿者』とついた本は売れない」「黒い本は売れない」ということだ(しかし、そんな本を希望どおりに作ってくれた編集者と出版社には感謝です。ただし、装丁がまっ黒なのはわけがあって、ぼくからの最初の提案は「白と黒が上下両極にあって、中間は微妙な灰色」だった。それは予算的に難しいということで「それでは本体は黒で帯は白」ということになった。)
そういう事情もあるので、がんばって本を出してくれた編集者のためにも、今回は本を売るために自分でも努力はしなくちゃとは思っている。
(群像新人賞のときは、新聞記者から「記事にするから写真を撮らせてくれ」と言われても、「写真はイヤです」と断わったものだった…)。


2005/12/4■ 円周率を歌うケイト・ブッシュ

最近、作家の横田創さんとNaked Cafeでやりとりをしてます。
もともと、本を贈ろうとしたら、横田さんのメールアドレスがわからなくなってたのでこちらの掲示板を通して聞いたわけ。

個人的に待望だったJAZZANOVA のニューアルバム「The Remixes 2002-2005」 は、相変わらず様々な音楽の異種配合によって醒めたトランスを作り出してなかなか見事だ。
ところで、このアルバムには空のCD−Rがついていて、「このCD−Rをコンピュータに入れてリンクをクリックすると、JAZZANOVA の音楽をダウンロードできるよ」「それとも、このCD−Rに Remixes 2002-2005をコピーして、車で聞いたり友だちにあげたりしてもいいよ」と(英語で)書いてある。(ダウンロードしてみたら、約60分のデータが入った)。
ここ数年、違法コピーがらみでコピーガードを組み込んだ(しかし一部のCDプレーヤーでは再生できず、おまけにプレーヤーに不必要な負荷をかける)CCCDができて問題になっている。アーティストの中には、CCCDを拒否してレコード会社を移る人もいるが、JAZZANOVA は単にCCCDに反対するだけでなく「このCD−Rにコピーして友だちにあげなよ」と明言して堂々と実行しているわけだ。音楽のコピー問題に対して、ちょっと鮮やかな戦略的アクションだろうか。

ケイト・ブッシュが12年ぶりに新作「Aerial(エアリアル)」を2枚組CDで出している。かつての暗く鋭い世界は後退し、生まれたこどもへの愛に満ちた、見たところやわらかさと広がりに満ちたアルバムではある。民族音楽やクラシック、ジャズ、ロックといった彼女が触れてきた多様な音楽が提示され、アルバムのメインテーマでもある「鳥の声」へと導かれていく。
しかし、このアルバムで個人的にもっとも興味深いのは、「π」つまり「円周率」だ。円周率の計算にとりつかれた男を歌い、ケイト・ブッシュがその中で「3.14159265358979323846264338327950288419716939937510…」と円周率を歌い上げていく。かつて円周率を約800ケタ近く暗記し、部屋に円周率6万ケタポスターを張っているぼくのような人間にとっては、この世のものとも思われぬ夢のようなナンバーだ。
そして、この本来まったく無意味な数字の羅列を歌うケイト・ブッシュの声には、かつて彼女が響かせた、地上を越えたほとんど超絶的な美しさが宿っている。ピーター・ガブリエルが「Dont give up」で使おうとした、あの超絶的な美しさである。こうして見ると、穏やかで晴れやかのように見えて、このアルバムも実はかつての「ドリーミング」のような異常さをどこかで抱え込んでいるようにも聞こえる。
ボリス・ヴィアンは「ピアフなら電話帳を読んでも人々を泣かせることができる」と言ったらしいけど、これはある意味それを地でいっている。なんでケイト・ブッシュがこんな曲を作ろうとしたのか、インタビューかなんかで話しているのかな? 


2005/11/9■ リュリ「ペルセ」・パーセル「アーサー王」など

かつて音楽メディアがLPからCDに移行したときと同様、ビデオ・LDがDVDへ移行してから、発売される作品のレパートリーが劇的に増えている。(ロックのDVDで言えば、数ヶ月前にアインシュツルツェンデ・ノイバウテンとファウストのDVDがタワーレコードで並んでいたのにはびっくりした。ファウストは買いました)。そのため、かなりマイナーな作品が簡単に、おまけにCDより安く見られるようになったが、これはオペラについても著しい。
例えば、今月新譜のジャン・バティスト・リュリのオペラ「ペルセ(ウス)」。近頃、バロック・オペラについても現代的演出が施されることが多く、それはそれでおもしろいけれども、この上演は歴史的に忠実な方向で作られている模様。指揮は、フランス古典音楽(=フランス・バロック)ではおなじみのエルヴェ・ニケ。ルイ14世のヴェルサイユ宮殿で初演されたこのオペラのトロントでの2004年のライヴ映像。
かつてリュリの音楽を初めて聴いたとき、「こういう音楽が世の中にはあるのか」と結構驚いた。格調高く、極度に儀式張った華麗にして荘重な音楽。しかし内面的表出はほとんど限りなくゼロ。ルイ14世を前に奏でられる宮廷音楽として、音楽が持ち得る機能の一つの極を実現しているわけである。そうした音楽が同じ方向の演劇・舞踏・衣装と総合されるとどうなるかという実例がここにある。
当時の衣装をまとった歌手たちとビリオド楽器が音楽を奏で、鮮やかな衣装の踊り手たちが華麗な舞いを見せる。そして、歴史的考証に基づいた(らしい)美しい舞台と舞台装置とともに、贅をこらした上演が展開される。進行とともに演奏と劇のテンションがあがり、観客も盛り上がって拍手が鳴り止まなくなる。また、メデューサ姉妹を演じる男性3人の演技など、ギャグにも欠けない。これはもう、われわれの時代からは隔絶した贅沢な別世界の時空間の再現だ。もともと、オペラはムダに贅沢な芸術かもしれないが、こうした作品を見ると現代の芸術が逆にどれほど貧困なものかを感じさせられてしまう。個人的には、映像作品として「マトリックスT」などよりおもしろいと感じさせられる。

やはり新譜のパーセルの「アーサー王」は、アーノンクールの指揮、ユルゲン・フリムの演出で、2004年のザルツブルク音楽祭の「目玉」とされた上演のライヴ。このコンビはチューリヒ歌劇場での「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」のDVDでおなじみだが、これら作品に即した演出とは異なり、「アーサー王」は時にハメをはずした、ほとんどやりたい放題な演出になっている。
もともと「アーサー王」はオペラというより、戯曲に付けた音楽作品だ。そのため、フリムは劇に対して思い切った変更を加えている。例えば、登場人物の「空気の精」は魔法使いに追いかけられてオーケストラピットに逃げ込み、アーノンクールに「何か音楽をやって! モンテヴェルディ、モーツァルト、それともヴァーグナーやブーレーズでもいい!」(魔法使い)「シュトックハウゼンでもいいぞ!」と叫ぶ。盲目の娘エメリンは、視力を取り戻すとアーノンクールを見て「なんて愛らしい眼!」と叫び、自分の顔を確認しようと「鏡を見せて」と言うと、相方の登場人物は鏡の代わりにハンディカムを見せて、エメリンの顔を大画面に映し出してみせる。また、会場に案内係を振り切って乱入した登場人物は、ザルツブルク音楽祭の交通アクセスの諸問題や、去年騒動になったヘルハイム演出のモーツァルトの「後宮からの逃走」(冒頭に全裸の男女が登場するなど過激な舞台のため初日はブーイングで演奏が中断)などなどについて言いたい放題しゃべりまくる(これはウケてた)。
最後の幕など、多少やりすぎなところもあるが、しかしこれほどにエンターテイメントに徹した演出のオペラは他には存在しないかもしれない。ただし、音楽が奏でられる場面では、曲と場面に神経を行き届かせたシーンを演出する。そうしたシーンでは、清冽さと美しさをたたえた旋律を書くことにおいて、やはりパーセルは音楽史上屈指の作曲家だったと感じさせられる。有名なシャコンヌが演奏される中、空気の精が中空をゆっくりと歩いていく第2幕の終結部はその最も素晴らしい例だろう。現代とイギリス・バロックが融合した夢のように美しい場面だった。
フリムはザルツブルク音楽祭芸術監督になるそうだが、92年のモルティエ芸術監督以来のザルツブルク音楽祭の映像作品は、やはり相対的に成功例が多いようだ。

も一つ書くと、新譜のユンディ・リ(李雲迪)のバーデン・バーデンでのコンサートDVD(ショパンのスケルツォ全曲とリストのソナタ)は、その中の「プロモーション・ビデオ」が必見か。ユンディ・リがくつろいだ服装でピアノを弾くと、まわりの女性(中国人かな?)たちが夢中の面持ちで彼のイケメンを写メールでバシバシ写して友達に送っていく。写メールを送られた女性が彼のもとに駆けつけてくると、そこにはすでに彼はおらずピアノだけがぽつんと残されている、みたいなもの。こんなもろアイドルなプロモーションビデオが幾つかと、ユンディ・リの赤ちゃん時代からの写真を流すフォト・ギャラリー、そしてコンサート映像というDVD。
クラシックの大抵の作品に名演が幾つもそろい、新譜CDがもはや売れなくなった現時点では、無理でもスターを作り出して売り出して行くほかない。しかし、あのドイツ・グラモフォンがこんなDVDを出すのだから末期的と言えば末期的だ。
ただし、このコンサートに聴くユンディ・リのピアノは(前にも書いたが)抜群なのである。


2005/11/4■ 「〈野宿者襲撃〉論」の近刊案内

ここ数年書いていた「〈野宿者襲撃〉論」が人文書院から単行本として11月下旬に発売になります。
内容については自分では何とも言えないですが、目次を下に出しておきます。一部はウェブ上で公開します(以前に「前半」として公開していたものは、その後にかなり増補・修正しました)。「幾つかの文章」でも触れてます。

〈野宿者襲撃〉論■(一部を除き2003.3.22〜2005.10.29)

前篇
T・「人の命は大切」なのか?
U・野宿者襲撃は「正義」だったのか?
V・「90年代、少年犯罪は凶悪化した」のか?
W・少年たちが野宿者襲撃をしているとすれば、少女たちは何をしているのか?
X・「まったり革命」とは何だったのか?
Y・「まったり革命」が追い抜かれたとき、何が語られるべきなのか?

後篇
T・野宿者襲撃の性質は変化しつつあるのか?
U・アンケートに見る中学・高校生の野宿者への意識
V・「1968年革命」と共同体の崩壊
W・「学校内虐待=いじめ」と「学校外虐待=野宿者襲撃」と
X・なぜ野宿者襲撃は思春期に特有な行為なのか?

終章・日本における「89年革命」とは何だったのか?

付録「野宿者問題の授業」


2005/10/26■ 日本橋のチェスカフェ

近々出す文章の最終ゲラの手入れに、部屋にいる時間はほとんど専念している今日このごろですが、
倉敷からともだちが来たので半日つきあった。そいつの彼女が作ってきてくれたお弁当を食べたあと、さて「これからどうしよう?」という話になると、「チェス喫茶のアンパサンに行きたい」と言う。
彼は最近ソフト相手やネット対戦でチェスをよくやっているけど、直接人間と対局したことがない。それで、(確か)関西で唯一チェスの公式戦も行なわれるこのチェスカフェに行ってみたいということだ。
実は、ぼくもここには大分前に行ったことがある。そのときは別のともだちと一緒に行って、初心者同士でチェスを一局やった。店にはコーヒーを飲みながら英語のチェス本(が店内にいっぱいある)を読みふける客がいて、マスターはぼくたちがチェスをしているのを遠くから腕組みしてじっと眺めていた。なかなか他では味わえない雰囲気だ。
アンパサンはうちから歩いて20分ぐらいのところで、2時頃行ってみると、中は一般のお客が一人いるだけだった(普段はフツーの喫茶店として営業しているわけ)。ともだちはコーヒーを注文した後、いきなりマスターに「チェスをやってもらえませんか」と切り出すと、「そうですね…。いまヒマだからやりますか」と乗ってきた。
その後、ともだちは初めてのチェスクロックやタッチアンドムーブみたいなルールに驚きながら、当たり前だがコテンパンに負かされた。けど、「やっぱり実際に人間と指すのはちがう」と喜んで、お店で売ってるチェスの駒とマットを買い込んでいった。マスターはそいつが倉敷から来たと聞いて「チェスをご近所に広めてください」と言っていた。店には文庫本が幾つも積んであったが、裏表紙の解説を読むと、それはチェスが登場する小説なのだった。徹底してるぜ。
ぼくも近所にそのともだちがいたら、ここにチェスをしに週に一回ぐらいは通うんだけどね…(実はここは夜回りのコースで、週に一度は夜にここの前を通ってるんですよ)。


2005/10/20■ 杉田俊介「フリーターにとって『自由』とは何か」
(10月22日増補)

杉田俊介「フリーターにとって『自由』とは何か」(人文書院・10月25日発行)を読んだ。
「フリーター的で、長期的な安定や保障とはまったく縁遠い生活の中でもがいている」者の視点から、同じ立場の者へと呼びかけていることが明確な文章。そうした主体によるこれだけの質・量の内容を持つフリーター論はまったく見たことがない。その点だけでも、社会的に大きな意義がある。
このフリーター論は、多くの若者が不安定就労を強いられ、最終的に社会的な排除へと押し流されている現状を繰り返し確認し、かつその「排除」自身が隠蔽されていることを告発する。「機会均等が本当はありえない所でそれを前提にし、他人に押し付けることは、より弱い立場におかれた人間を二重に――現実的な排除と、その排除という事実自体の排除――抑圧する」。
そして、この「抑圧」「隠蔽」は、強い立場にある者の既得権のためであると同時に、「われわれ」自身の弱さのためでもあるのではないかと言う。つまり、われわれ自身が現実を直視することを回避する結果として、この隠蔽はもたらされているのではないか、という強い自省がここでは常に働いている。「何もかもを個人の努力の結果(自己責任)に期するのは無理だ。いや、『社会・環境がすべて悪い』と責任を転嫁したいのではない。おそらく個人の真の〈責任〉の所在は、社会構造・制度のラディカルな分析と平行して、はじめて公共的に問われうる――そう考えてみたい」。これは、おそらく社会と自己の責任を問う唯一の道である。
しかも、本書の焦点の一つは、「フリーター問題」という形で扱われると見失われてしまうものにある。つまり、「フリーターと正社員」「若年労働者と中高年世代の労働者」という対立として考えるのではなく、そうした「偽の問題」を生み出す構造こそが問題なのだ。 「勝ち取りたいのは、『食い逃げ世代』と『フリーター世代』、前者と後者を同時に――でも違った形で――閉じこめている社会的・歴史的な〈構造〉の全体を批判的に捉え、こわし、これを真の未来、『別の』未来へと化学変化=分岐させていくための、具体的なオルタナティヴの提案や制度論であり、またそれを根源から支える個々人の倫理感覚だ」。
この視点から、女性の派遣労働、主婦のパート労働、野宿者問題、中高年労働者との関係、家族問題との関係などがフリーター問題との構造的関連から問い直されていく。そこから若年労働をめぐる社会構造の網の目が浮き彫りにされていくのだが、こうした論点の取り上げ方は、読んでいて「目の付け所がいい」と感じさせられる。読者は、著者の論考を読み進めながら、フリーターという不安定就労問題が(リバタリアニズムを一つの焦点とする)社会権力の今日的変容と深く絡み合っていることを見ることになるだろう。
しかし、この本は上で言う「具体的なオルタナティヴの提案や制度論」「それを根源から支える個々人の倫理感覚」について語り得ただろうか。具体的な一つの方向は、「ぼくらは一生フリーターでも生きていける」と明言されているが、それを可能にする新たな社会的構造についての理論展開はあまりされていない。われわれが何らかの当事者の言葉に興味を持つとすれば、「当事者としての実感」「それを根本とした分析」(ひきこもりの場合、上山和樹の「ひきこもりだった僕から」のように)、更に「現実への視点の変更をなしうるアイデアの提示」ではないだろうか。この本では、「当事者としての実感」「それを根本とした分析」において優れているが、「変更をなしうるアイデアの提示」の多くは課題として残されている。
しかし、それは読者への「具体的にどうするか、それを我々自身が考えていこう」という呼びかけとして提示されているのかもしれない。この本の最終部分は、「生活の多元的な平等のために―分配の原理論ノート」という分配をめぐる他者論、そして「未来―Kさんへの手紙」という読者への手紙にまとめられている。ギリギリの地点での原理的な「他者との関係」(そして読者へのよびかけ)が、フリーターにとっての「自由」とは何か、という問いの最も根源にある条件として提示されている。それをどのように展開し現実化できるかということは、この社会にいるわれわれ自身がこの本を一つのきっかけとして考えていかなければならないのだろう。
最初に言ったように、行政や学者といういわば高みの立場からのフリーター論はあっても、不安定就労の立場にある若者からのフリーター論は今まであまり存在しなかった。この本は、同じ立場にある者たちへ向かって、「これを自分自身の問題として考えよう、そして女性労働、日雇労働という様々な立場の人々と共通の問題を持つ(「分有する」)ことを認識し、その人々とつながっていこう」と呼びかけている。こうした呼びかけは、今ぜひともなされなければならなかった。フリーターの労働組合である「首都圏青年ユニオン」がまさにそうした活動を行なおうとしているが、本書もこうした社会的潮流の理論的方向の一つを生み出すものだと言えるだろう。この「フリーターにとって『自由』とは何か」は、その意味においても多くの人に読まれるべき意義を持っている。
実は、この杉田さんとは本書の初稿段階(やそれ以前のフリーター論)から意見を交換してきたので、完全に客観的には読めないところがある。ぼく自身の文章からの引用が幾つかある他、例えば「これはぼくが言ったことが元になってるかな」と感じる箇所が幾つかあったりする(何年も意見交換していると、どちらが先に言ったかなどというのはあまり意味がなくなってしまう)。
ぼく自身はフリーター論として「フリーターは野宿生活化する?」を2001年に書き、さらにかなり長い「フリーター・ひきこもり・ホームレス」を今年書き終えた。これ(全文あるいは一部)は、杉田さんたち何人かと「若年労働問題」についての共著として出す予定でいる。


2005/10/14■ Facts about homelesness

10月11日付けの「U.S.A Today」に「Nation taking a new look at homelessness, solutions」という記事が出ている。今年アメリカ全土で行なわれた大規模なホームレス調査に基づく記事で、最近のアメリカのホームレス問題の一断面を伝えている。
それによると、「スナップショット(一時点)での全国のホームレスの数は72万7304人」。州では、一位がカリフォルニアの19万5637人、2位がフロリダの6万8369人、3位が二ューヨークの5万9456人。都市では、1位がロサンゼルスの8万8345人(L.A.は最近「ホームレスの首都」と言われている)、2位がニューヨーク・シティの4万8155人という具合。
ホームレスの中で、最も急激に増えているのが「こどものいる家族」で、全体の42%を占める。
ブッシュ大統領は、ホームレス問題を2012年までに終わらせるという指令を2002年出している。このコンセプトが「Housing First」で、それは「衰弱しきったホームレスを路上からシェルター、治療センター、刑務所、精神病棟に移動させ、そののちまた路上に戻すという従来のサイクルを放棄するものだ」とされる。つまり、ホームレスの人々を様々なケアの伴うアパートに入ってもらうもので、「このプランを一言で言うと、ホームレス問題の治療法はホームである」。ホワイトハウスの該当部局責任者によれば、「ホームレスの人々に毛布を配るな。炊き出しをするな。彼らには家とサービスを与えろ。そうすれば、最終的にはその人々は仕事を得ることができるだろう」となる。
実際、ニューヨークでは、2004年にシェルターに3万9000人いたホームレス数は3万2000人にまで減ったが、それは一つには「Housing First」による住居が3500ユニット確保されたによるという(全部で1万2000ユニットを予定)。
サンフランシスコでは、2002年の8640人から5404人に減少した。市長によれば、「われわれは1000人以上を宿舎に移した。スラム街の悪徳家主(slumlord)のホテルではなく」。「部屋にはドア、カギ、バスタブ、ケーブル接続がある。24時間態勢で相談もできる。移動の健康チームもある」。こうしたホームレス対策は、ブッシュ政権が計画した 「compassionate conservatism」 (思いやりある保守主義)によるものであるという。( White House was targeting homelessness for experiments in "compassionate conservatism" that focus on housing single adults. The Bush administration's $4 billion budget request for next year for all federal programs dealing with homelessness is a record amount. )
さて、この記事はわれわれにも幾つかのことを考えさせる。「衰弱しきったホームレスを路上からシェルター、治療センター、刑務所、精神病棟に移動させ、そののちまた路上に戻すという従来のサイクル」とは、現在の日本の野宿者対策そのままではないか、「スラム街の悪徳家主(slumlord)のホテル」に野宿者を入れているのが日本の現実ではないか、「ホームレスの人々に毛布を配るな。炊き出しをするな」、しかしわれわれがやっている(やらざるをえない)のはまさにそうしたことではないか、など。
基本的には、「Housing First」つまり「ホームレス問題の治療法はホーム」というのは明らかに正しい。「思いやりある保守主義」がそれをできるなら、それはそれでいいことだ。しかし、アメリカのホームレス問題の根本問題は、この記事にもあるように「低賃金、景気の後退(つまり失業)、高い家賃」にある( Christine Riddle, director of the Michigan Coalition for the Homeless. "In a low-wage, service economy with manufacturing declining and rents soaring, people can't afford housing," she says. )。つまり、貧富の差の劇的な拡大とインフレ、失業率の上昇というアメリカの政治・経済の根本姿勢がこの世界に前例のない「世界一豊かな国の中での極限の貧困」を生み出し続けているという面が強い。そうした根本問題を変更せず、ホームレス向けの住居を建設し続けることで問題が解決されるのか、大変に疑わしい。「Housing First」が「Housing only」にならない保障はあるのかという話である。
(なお、アメリカのホームレス問題については、「fact sheets on various aspects of homelessnessが非常に有益。また、アメリカの貧富の差の拡大については"Communities In Crisis がある)。


2005/10/11■ 紙芝居・「彼方からの愛」

ときどき書いてないと、知り合いから「入院でもしたのか」と思われたりするようだ。
山王こどもセンターの「社会を知ろう」のプログラムで野宿者問題をやっているけど、かなり難しい。対象が小学1年から中学生、高校生、場合によっては大人も含むので、基本的に6歳でもわかる形にしないといけない。普通のしゃべるばっかりの授業は成り立たないわけだ。そこで、マルバツゲームで走り回るとかビデオを見るとかしてるんだけど、毎月やってると次のアイデアに結構困る。
この間も、野宿者を排除する公園のロープや高架下のフェンスなんかを写した写真を用意はしたけど、実際にどう進めるかは当日朝になってもわからなかった。で、テレビを眺めていると、ニュースを紙芝居でわかりやすく解説というコーナーをやっていた。そこで、「写真を見せて、それをストーリーにして紙芝居を作ってもらおうか。絵の描ける子には絵を描いてもらって、セリフの作れる子にはセリフを書いてもらって」とひらめいた。そこで、実際にそれでやってみると、子どもは絵を描くのに写真をじっくり見るし、登場人物の野宿者のセリフを考えて、立場への感情移入もできるし、結構よかったみたい。
しかし、次回はどうすればいいのか、またもや全然わからない…

2000年のザルツブルク音楽祭で初演され、好評につき世界各地で再演される サーリアホの《L'Amour de loin》 (彼方からの愛) の2004年ヘルシンキ上演記録がDVDで出ている。
フィンランドのサーリアホ(1952〜)はダルムシュタット音楽講習会でファーニホーに出会い、すぐにフライブルクの彼のもとで学ぶ。そののち、フランスのIRCAMでコンピュータ音楽に関心を持ち、同時にミュライユやグリゼーらのスペクトル楽派の影響を受ける。1982年以来、コンピュータを用いたライヴ・エレクトロニクスを伴う作品を多く書いてきたが、「コンピュータが最初から最後まで作曲を担当するようなことを夢見る時代は終わった」という彼女は、色彩感と音響のディテールへの追求を重視する作品を作ってきた。要するに、現代音楽の限界点(先端)と常に接しつつ、たえず変化しながら様々なアイデアの作品を作ってきた非常に貴重な作曲家(かつて日本盤で2枚組の非常にいい作品集も出た)。その初めてのオペラ作品がこれ。
オペラの筋は、吟遊詩人の王子が他国の王女に恋いこがれて会いに行くというもの。ただし、この二人はどちらも「出会うことのない愛」こそ真実で、現実の接触は「リンゴによるエデンの園からの追放」ではないかと思っている。接触不可能な愛こそ真実の愛という、いわば(否定神学的に)ロマンティックなお話である。結局、王子は王女と出会ったとたん、航海途中でかかった病気で死に、王女は神を激烈に呪うがやがてそれを運命として受け入れる。この中で、登場人物は実は他にメッセンジャーとなる王子の友人(女声)一人だけ、つまり3人の出演によるシンプルなオペラである(合唱は終始姿を見せない)。
音楽について最初に気づくのは、かつての作品ではありえなかった豊かな旋律性と劇的表情の濃厚さだ(特に歌)。しかし、やはり最大の聞き物はオーケストラの音響の変容と微細さにある。スペクトル楽派特有の音響の連続的な「推移」を基調に持ちながら、ドビュッシーを強く連想させる暗示的な音楽が2時間以上にわたって繰り広げられる。それは一見単調に見えながら、様々な音楽的アイデアに満たされて聞き手を飽きさせることがまるでない。これはこれで作曲家として大変な力業だ。
ピーター・セラーズによる演出は、水を張った床面に船を浮かべ、中央にらせん状のステージを置くだけという超抽象的なもの。オペラというより寓話的な音楽劇というべきもので、その点でもドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」の後裔としての位置づけを持つだろう。
この作品は「2000年における最高の作品」という評価がされたりしている。確かに非常に聴き応えのある作品だが、むしろ、サーリアホなら更に素晴らしいオペラを実現できるのではないかという期待をさせる。現代オペラについては、ベルント・アロイス・ツィンマーマンの「兵士たち」(1965)の衝撃を越えるものはなく、むしろグラスやライヒによる「オペラの概念を変えたオペラ」としてのシアター・ミュージックが唯一歴史を更新してきたと思っているけど、サーリアホのこの作品は、伝統的なヨーロッパスタイルのオペラにも可能性があるかもしれないと思わせる。


2005/9/11■ 「万葉集」「ケプラー予想」「アマゾン・ドット・コムの光と影」3

数学史専攻だったこともあって「集合論」「数学基礎論」「解析学」「超準解析」などは教科書で勉強してきたが、最近は一般向けの数学本ばっかり読んでいる。
「ケプラー予想」は数学史上の超難問として知られている。かのケプラーが提出したとしてこの名前になっているが、要するに「同一の大きさの球を(無限の空間に)詰めていくとき、一番効率的な詰め方は何か」というもの。答えは、どう考えても、そしてみんながやっているように、球3つごとにできるくぼみに球を入れていく「六方最密充填」になる。「果物屋の店主はそのことを知っているし、あなたも私も知っているし、ハリオットもケプラーも知っていた。だが、数学者たちは断じてこれを信じようとしなかった。この方法が最密充填であることを数学者たちに納得させるために、387年という時間がかかったのである」(スピーロ「ケプラー予想」2005年5月発行)。
つまり、経験的には「当たり前」だが、数学的に証明しようとすると恐ろしく困難な命題というものが時たまあるが、この「ケプラー予想」はまさにそれだった。この本は、その証明を試みた様々な数学者の数学的アプローチと伝記的エピソードを伝えている。
「ケプラー予想」は、結局1998年にヘールズによって証明された。しかし、これはコンピュータによるもので、しかもそれが正しいかどうかの検証もコンピュータでなければ絶対にわからないというものだった。なぜなら、「取り組んだ問題のうち典型的なものでは、変数は100から200ほど、制約条件は1000から2000ほどだった。ここで変数となるのは、角度、体積、距離である。制約条件は、実際に存在可能な充填方法だけが扱われるよう、長さと角度に対して課された。ケプラー予想を証明するためには、そんな問題を10万件ほど解く必要があった」。そんな計算を人間の手でやるわけにはいかなかったのだ。
ヘールズの証明の基本的アイデアは、「証明すべきことがらを、反例となりうる有限個のケースからなるリストに還元し、それを一つずつ消去していく」というものだった。そして、これはこの本でも強調されているように、1976年のアッペルとハーケンによる「四色問題」(総ての地図は4つの色で色分けできる)のコンピュータを使った証明と同じコンセプトだった。そのため、「四色問題」の時と同様、「これは数学的証明と言えるのか」という議論があがったのである。
実際、ヘールズの「証明」は、予想が間違いないことの「確認」ではあっても「証明」ではないのではないかという気はする。とはいえ、「反例はない」ことを実証することを「証明」と言うなら、これはやはり「証明」なのだ。将来、エレガントでシンプルな証明が現われればそれにこしたことはないが、もちろんそんなことが起こるかどうかは誰にもわからない。
これは、数学におけるコンピュータの役割(したがって人間の役割)についての議論を呼び起こす。コンピュータでしか実行も検証もできない「証明」や「定理」は、今までわれわれが知っているそれと同じなのだろうか。そうだとすれば、そこでの人間の役割は何なのだろうかという議論を。
ただ、この本のテーマの一つは、このような「経験的には当たり前だが、数学的に証明しようとすると恐ろしく困難な命題」とその証明(の試み)を幾つも紹介するということにあり、その点が実は最もおもしろい。例えば、「ケプラー予想」は3次元の問題だが、その2次元版は「同一の大きさの円を(無限の平面に)詰めていくとき、一番効率的な詰め方は何か」になる。10円玉を床に一番うまく詰めていく方法はどんなものかということで、答えは5才の幼児さんでもわかるように、コインが6角形の形になる「六方配置」になる。ところで、この証明はすごく簡単そうだ。ピタゴラス時代にはできていたのではないだろうか? ところが、この証明ができたのは、なんと20世紀に入った1940年だったのだ!(フェイエシュ=トート)。
似たような問題としては、「平面をある面積で分割していくとき、面積に対して周の長さをできるだけ小さくするにはどんな形を使えばいいだろうか?」。答えは「六角形」である。しかし、これが証明されたのはギリギリ20世紀の1999年だった。しかもおもしろいことに、その証明は「ケプラー予想」を証明したヘールズがコンピュータも使わずあっさり(20ページで)行なった。
これらの証明のコンセプトはこの本の中に紹介されているが、考え方自体は素人でもわかるようなわかりやすい幾何学的思考である。にもかかわらず、厳密な証明を行なうためには「不完全性定理」や「選択公理の独立性」より手間取ったのだ。これは、数学の意外性の一つの例証になっている。
数学の難問を扱った一般書としては、フェルマーの最終定理を扱った 「フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで」 「フェルマーの大定理が解けた!―オイラーからワイルズの証明まで」とか、リーマン予想を扱った 「リーマン博士の大予想 数学の未解決最難問に挑む」があるが、それらと同様この本も、素人が読むには便利でおもしろい本の一つになっている。

ところで、コンピュータの役割についてはこの本でも多少触れられているが、コンピュータの意義が最も熱いトピックとなっているジャンルは、一つにはチェスだろう。1997年のディープブルーとカスパロフの闘い以来、コンピュータと人間のチャンピオン(現在はクラムニク)の闘いは「いい勝負」が続いてるが、しかしいずれ間違いなくチェスもオセロと同様に、人間(のチャンピオン)はコンピュータに歯が立たなくなる。そのとき、人間がチェスについて何ができるのだろうか。
この点で、興味深いのはボビー・フィッシャーが提唱したチェスの新ルール、「フィッシャー・ランダム・チェス」だ。
「チェス960のルールは従来のチェスとほとんど同じだが、駒の配置に、かつてチェスにとっては忌むべきものと思われていた「偶然」という要素が取り込まれている。ポーン[将棋の 歩兵に相当]が前列に並ぶのは普通どおりだが、その後列の白の駒はランダムに配置される。ただし2個のビショップ[同角行に相当]は、それぞれ白マスと黒 マスに配置されなければならず、キング[同王将に相当]は2個のルーク[同香車に相当]の間に配置されなければならない。黒の駒は向かいあった白の駒と対 称をなすように並べられる。これにより開始時の駒の配置パターンは1通りではなく960通りになる。チェス960のポイントは、チェスを暗記という束縛から開放することにある。」( 注目集める元チェス世界王者考案の『チェス960』
これにより、定跡の記憶において人間をはるかに超えるコンピュータの、その点での優位は消える。 「もうチェスはプレイしない。プレイするのは『フィッシャー・ランダム』[チェス960]だ」とフィッシャーは言っているが、これはコンピュータ時代におけるチェスへの新たなアプローチなのかもしれない(ただ、これとて有効なのは量子コンピュータが実用化されるまでだろうが)。チェスの公式戦から消えたフィッシャーは、こうしたチェスに対するメタゲーム的思考において歴史に名を残していくのかもしれない。


2005/9/7■ 「万葉集」「ケプラー予想」「アマゾン・ドット・コムの光と影」2

今月、「万葉集」を読み終えた。「大化の改新」前の白鳳時代から750年代までの百数十年間に詠まれた4500以上の様々な和歌。一つのものとしては異常に内容の多い書物だが、読み終えた時の印象もかなり重い。
「万葉集」はわれわれにとって、例えば欧米人にとっての古代ギリシャ文化(ホメロスや悲劇詩人たち)に対応するのだろうか。実際に通読すると、自分の存在がここにある様々な「歌」文化の延長にあるのではないかと意識させられてしまう。一つには、近畿圏に住む者にとっては自分のご近所が題材の歌が多いということがある。さらに、柿本人麻呂、山部赤人、山上憶良、額田王、大伴家持といった歴史的歌人の歌に加えて、東歌や防人歌などの数々の庶民の歌が含まれていること、さらに「古今集」や「新古今集」 では存在し得ない様々に奇抜な歌も含まれていることにもよる。
例えば、16巻にある大舎人安倍朝臣祖父の「無心所著の歌二首」、「我が妹子が 額に生ふる 双六の 特負の牛の鞍の上の瘡」(うちのかみさんのおでこに生えている、それあの双六で使う、それ、こって牛の、おあいにく、その鞍の上のおできでした)、「我が背子が たふさきにする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚ぞ懸有」(うちの亭主がふんどし代わりにぶら下げている円石、その円石の転がっている吉野の山に氷魚がぶらさがっているわ)などは、ほとんどシュールレアリスムだ。巻16(「付録の巻」とされる)にはその他にも奇抜な歌が数々出てくる。「万葉集」は「派手な技巧はあまり用いられず、素朴で率直な歌いぶり」「力強く写実的な歌が多く、素朴で健康な古代の歌風が特色」などと言われるが、それほど単純な歌集ではない(大化の改新の主役の藤原鎌足作とされる歌もあるが、それだって俵万智の短歌の10倍凝った技法で作られている)。読み進めるうちに、こうした桁外れに多様な歌と声が次々と甦ってくるさまは圧倒的である。最も感動させられるのは、やはり柿本人麻呂の幾つかの挽歌だが。
(ただ、好みで言うと「万葉集」より「新古今和歌集」の方がおもしろい。いま源実朝の「金塊和歌集」を読んでいるけど、この時期の和歌の完成度は尋常ではないと思う。また、「古今和歌集」は比較的退屈)。
ところで、「万葉集」を読んでいて常に気になるのは、「こういう巨大で多様な歌集はどのように成立したのか」「原文は万葉仮名で書かれているが、それはどのように解読されたのか」ということ。
ぼくが読んだのは「新潮日本古典集成」5分冊版で、それぞれの巻についてその成立史の研究が解説で付いている。これがまた、万葉研究千年の歴史の厚みと言うものなのか、歌や詞書きのごく些細な点から問題点を掘り起こして成立過程と年代を確定していく恐ろしく細密な研究になっている。福音書成立史の研究を思い出させる大変な厳密さである。
「新潮日本古典集成」5分冊版には、原文つまり万葉仮名による表記がない。この原文解読の問題については、佐佐木隆『万葉歌を解読する』(NHKブックス・2004年10月発行)が大変ためになった。
「万葉集」は万葉仮名で書かれているが、これは我々一般読者が読む漢字かな混じり形式のものとは明らかにちがう意味を持つ。例えば、「たらちねの 母が飼う蚕の繭ごもり いぶせくもあるか 妹に会わずして」の原文は「垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬声蜂音石花蜘蛛荒鹿 異母二不相而」と、種種の生き物を列挙した奇抜なものになっている。また、「心にむせび」を心に「咽飯」(悲しみで胸がいっぱいになって食べたものが喉につかえる)と、「」を「孤悲」と表記するなどの工夫は無数にある。つまり、ここでは話し言葉の内容と、書き言葉の内容が別々に機能する。なにしろ当時は文字としては漢字しかなく(われわれにとって)「自然」な表記が存在しないので、こういう効果的でときに奇怪な表現が多発する。しかし、現代でも、話し言葉と書き言葉と完全に一致しているなどということはないだろう(例えば、絵文字)。
しかし、「万葉集」の表記は、歌がまったく解読不可能、あるいは解釈が研究者によってバラバラという困った問題を引き起こす。「厳密に言えば、研究者の意見が完全に一致して何も問題がないと言える歌は、むしろ少ないだろう」(「万葉歌を解読する」)。この本は、いくつかの歌について、問題となる単語や文字を共通して持つ万葉集の他の歌を片っ端に列挙し(データベースを駆使しているのだろうか)、それらに共通して考えられる解釈を問題の歌について検証していくという方法を採っている。歌への先入観を徹底的に排して行なわれるこの方法は、時として常識となっている解釈を退けて新たな読みを提示するが、しかし説得力がある。
この代表例が柿本人麻呂の非常に有名な歌、「東野炎立所見而反見為者月西渡」である。これは一般に「東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて 返り見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」と訓じられている。この読みは江戸時代の賀茂真淵によるもので、あまりに見事なので(学問的疑問はありつつも)以後ずっと一般に受け入れられている(その以前には、「東野の 煙(けぶり)の立てる 所見て 返り見すれば 月傾きぬ」とされていた)。佐佐木隆は原文の一句一句を、それと共通する要素を持つ他の万葉歌や「古事記」「日本書紀」の歌などによって(30数ページにわたって)検証した結果、この歌は「東(ひむがし)の 野らに煙(けぶり)は 立つ見えて 返り見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」が最も適切だと結論する。
これは、賀茂真淵の訓じたものとはかなり異なる歌となってしまう。佐佐木隆は「現代人の語感にこだわることをやめて右の歌を読めば、これはこれで、雄大な光景を描写した名歌だと評価してよいのではないか」と言う。この本の論証をたどってきた読者としては、「それはそうかもしれない」と納得するのである。


2005/9/4■ 「万葉集」「ケプラー予想」「アマゾン・ドット・コムの光と影」

ここ何ヶ月かの間に読んだ幾つかの本。
この「近況」を書き始めた2001年11月、「20世紀後半フランスの作曲家ジャン・バラケの全集CD3枚組をぜひとも聞いてみたいのだが、これはどこでも品切れの模様」と書いた。最近、そのCDをアマゾン・ドット・コムで入手した(3枚組み3230円)。で、それをずっと聞いているんだけど(なお、ジャン・バラケはブーレーズと同時期にセリー技法を追求し、独自の世界を作り上げたフランスの作曲家。1928―1973)、こうしたCDはインターネット通販がなければ手に入らなかったかもしれない。部屋から一歩も出ずに、しかも安価でこうした商品を買うことのできるシステムは本当に助かるんだけど、しかしこれは現実にどういう人たちがどういうふうに働いて成り立っているのだろうか。
それがずっと気になっていたところで、(5月に)読んだのが横田増生「アマゾン・ドット・コムの光と影」(2005年4月発行)。千葉県市川市にあるアマゾンの物流センターで実際に働いたそのルポルタージュ本。読んでみると、これは現代版「女工哀史」「絶望工場」みたいなのだった。
まず、アマゾンでは現場作業ほとんどがアルバイトによって担われている。「アマゾンのセンターほど、人手に頼っている現場も珍しい。なぜなら、主力商品である本の大きさが一つ一つ違うために自動化できず、どうしても人海戦術となってしまうからだ。そして、その400人いるアルバイトが少しでも怠け心を起こさないようにと、ここではすべての作業に厳しいノルマが課せられていた」。
そして、「アルバイトの比率が高いだけではない。ここでは、アルバイトが長続きしないのだ。一年もつアルバイトは10人に一人もいない。それを埋め合わせるために、毎週のようにアルバイトを雇い入れていた」。
著者は、アルバイト仲間にアマゾン・ドット・コムで買い物をしたことがあるか、と聞くと、「買ったことがある」と答えた人は一人もいなかったという。パソコンを持ってカードを使える財力のある人はアルバイトには基本的にいないからだ。しかも、アルバイトは、主に30代から50代の男女だったという(本の中ではその何人かの姿が印象的に描かれている)。
アマゾンの売りは、使った人はご存じのように、「お勧めの本」をお客さん一人一人にあわせて推薦していったり、「この本を買った人はこんな本も買っています」という案内をつけたり、読者(購買者)のレビューを付けていくという機能にある。ネット上で「ご近所(共同体)の本屋さん」が形成されるわけだ。こうした「共同体」の新たな復活と「格差の拡大」の同時進行は、ゲーテッド・コミュニティがそうであるように、現在あっちこっちで共通する動きであるように見える。
また、この本にはなんと日雇労働者まで登場していた。
「話題は、急に増えてきた派遣会社からの臨時の応援について。このころ40人ぐらいに増えていた。島崎さんは、〈人夫さん〉と呼んで、アルバイトより一段低く見ているようだった」
「派遣経由の日雇労働者のことで強烈な印象として残っているのは、彼らがはじめてセンターにやってきた11月終わりのことだった。40〜50代の労働者10人ぐらいが、朝から梱包作業をしていた。お昼になると大柄な日通の女性社員が先導して、『はい、ここからお弁当を取って』『ここで皆、一緒に食べて』『はい、食べ終わったらまっすぐ作業場に戻って』と居丈高に指示していた。少しでも目を離したら、何をしでかすかわからないと言わんばかりに険しい表情で彼らの動きを監視している。その態度はまるで〃犯罪者〃を監視する刑務官のようだった。(…)しかしその態度以上にもっと驚いたのは、中高年の労働者が、そんな女性社員の態度にムッとするでもなく、『あっちこっち渡り歩いていると、たまにはこんなこともあるんだよなあ』といった表情で受け流していることだった」。
こういう風景は、現場で何度も見てきたので「とてもよくわかる」。多分、日雇労働者はそういう「居丈高」な態度には何度も遭っているので、ムッとしながらも「またか」と思って表情を殺していただけだったのだろう。このようにして、日雇労働者、日雇労働者差別はネット時代だろうがなんだろうが延々と変わらず続いていく。(続く)


「近況7」(2004年12月〜2005年8月)
「近況6」(2004年6月〜2004年11月)
「近況5」(2003年12月〜2004年5月)
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