2001年1月23日 ―「野宿者襲撃について」



 テレビ放送で「野宿者を襲撃する若者」(日本テレビ)に対するインタビューを見る。高校生の時、襲撃(野宿者を殴る、蹴る、持ち物に放火する…)を繰り返し、今大学生になった21歳のS君がインタビューに答えている。彼は、頻発する若者たちの野宿者への襲撃についてこう言っている。「殴ることもそうですけど、殴ることだけではなくて、みんなで殴るのがストレス発散になると思うんですね。テストの点数がどうとか、成績についてどうとか言われるのが、まあ、ストレスと言えばストレスですね」。
 小学生の時から塾に通い、中学生のときにはトップクラスの成績だった彼にとってのストレスの原因は、いい子を演じ続けることだったという。「でもやっぱり親には反論というか、殴ったりもできないし、それをすると自分にとってもマイナスになるし、それを考えると、ホームレスなら殴られても構わないかなとも思います。無能な人間を、なにもしない人間を駆除する、掃除するって感じになりますけどね」「(聞き手)むしろ正義感があったってこと?」「そうですね、正義感、ある意味、ちょっとかっこいいのかな、裏の仕事屋、裏の正義みたいな」「何かをしなければ生きる価値ないし、何もしなくてホームレスになったっていうのはほんとに価値がないことだとぼくは思います」。
 もちろんここには野宿者の実体についての無理解がある。つまり、なぜか世間の多くの人々は、野宿者はみんな好きで野宿をしている、仕事や人間関係の難しさから逃げ続けたあげく、ああしてホームレスになったんだと思いこんでいる。彼はこの世間一般の偏見に洗脳されている。もちろんそれは社会一般に対する啓蒙によって解決すべき問題なのだ。しかし、ぼくがこのインタビューを見て思ったのは、彼が「何かをしなければ生きる価値がない」と言うこのセリフは、むしろ彼自身が学校や家庭でさんざん言われてきたことではなかったか、と言うことだった。いい成績をとることが、そのまま学校、家庭、友達関係といったあらゆる場面での優位を保証するとすれば、一生懸命勉強して(成績に関して)有能な人間であるための努力を続けることを余儀なくされる。そうしなければ、精神的な意味での自分の居場所がなくなるからだ。まさに心理的に「駆除」され「掃除」されることになる。学校を中心にした狭い世界の中では有形、無形のこうした「何かをしなければ生きる価値はない」という圧力が日々かかり続けている。もちろん、彼ら彼女らがこんな価値観を本気で信じているとは思われない。学校の外の世界で適当に息を抜ける者は、もちろんそんな価値観など話半分に聞いているだろう(それでも相当なストレスではあるだろうが)。だが、そうした価値観を身をもって生きてしまう優等生にとっては、「無能な人間は駆除される」という圧力は、彼らの心身を日々傷つけることになる。その結果、彼らはその価値観、「何かをしなければ生きる価値ない」という無言の圧力を他者に向け、その言葉を文字通りに実行してストレスを解消してしまう。つまり、ここでは彼ら自身が価値観の実行者である野宿者襲撃という形で。事実、若者たちが野宿者についてよく言う「働け」というセリフは(もちろん、野宿者は働きたくとも仕事がないのだ)、彼らの常に感じている「勉強しろ」「学校へ行け」という有言無言の圧力の言い換えではないのか。いわば、彼らは自分に向けられる抑圧を受け入れるそのために、その抑圧を文字通りに他者に向けて実行しているのだ。
 したがって、このような考え方が的はずれでないなら、若者の野宿者襲撃に対しては事実の啓蒙がまず必要ではあるが、問題はそれまでにはとどまらないだろう。学校とそれを取り巻く社会の何らかの解体、変化が必要となるのだろう。もちろん、現在のような能力主義、管理主義的な学校にいるからといって、みんながみんな野宿者襲撃をするなどということはない(したがって、S君のような襲撃者個人に対する責任追及は欠かせない)。だが学校・社会がそんなである限り、そこにいる若者のある一定数が、野宿者などの被抑圧者に対する差別、襲撃を起こす可能性がより強まることは予想できるのである。そこでは、成績がすべてであるような強迫的な価値観の中だけに生きる必要はないので、人生にはいろいろな選択肢があるし、その中には、それこそ人に迷惑をかけない限り「何もしなくて」生きていく権利もあるということを納得していくことが必要だろう。また、啓蒙以前の問題として、野宿者なりの自分とは異なる状況におかれている人間に対して、少しは正しい判断ができるような社会常識なり感受性なりをある程度身につけることが必要だろう。つまり、野宿者のいる現実に対して、学校と社会こそが変化すべきなのだ。
 そもそも、これだけ野宿者問題が眼に見える緊急問題となっているのに、それについてなんの対応もとることができない学校は、その点ですでに現実に対してずれてしまっている(もちろんフリースクールなども同様だ)。何しろ学校の先生だって、野宿者問題やまして日雇労働の問題などあまり知らない(というか、知ろうとしていない)。そして、学校を出た優等生の多くはサラリーマンになるのだろうが、大阪市役所前野営闘争の際のカンパ活動のときなどいつもそうなのだが、一番反応がないのがこの大阪の中心部のサラリーマンたちである。とにかく、こんなものにはかかわりたくない、という感じなのだ。
 それにしても、野宿者襲撃ほど、一つの階層に向けてたびたび行われる路上での暴力行為は(女性に対する襲撃は別とすれば)現代日本においては他にないのではないか。ドイツでは移民に対する襲撃が頻繁であるらしいが、日本ではそれが野宿者であるわけである。ぼくは日本橋などで毎週野宿者を訪問して回る夜回りをやっているが、特に夏休み、春休みでの若者の野宿者襲撃はすさまじい頻度になる。寝場所に花火を投げ込まれる、消火器を噴霧状態で投げ込まれる、エアガンで狙い打ちされる、鉄パイプやバットで襲われる、などやりたい放題の状態なのだ。ぼくたちは、襲撃を未然に阻止して、あわよくば襲撃にくる若者たちを捕獲しようと、襲撃頻度の高い場所に数人で深夜張込みをしたことがある。毎週夜回りをして襲撃のひどさを聞いていると、こうして話を聞いているだけでいいのかな、実際に襲撃を防止できるように何か自分たちですべきではないのかな、と自然に思えてくるからだ(本来そういうことは警察がやるべきことなのだが、襲われた野宿者が訴えに行っても、「そいつらを連れてきたらなんとかしてやる」「あんたがあんなところに寝ているのがそもそもあかん」などという具合で、およそ話にならない)。残念ながら(?)そういうときには襲撃はなくて、空振りに終わっている。かりに襲撃に出くわしたとして、我々の(あくまで有志の集合です)もっともうまくいった場合の筋書きは、具体的には、彼ら彼女らをどこか逃げ出せないし取り返しにこられない場所に確保し、我々と野宿者有志とでじっくりお話をし、朝には解放する、というところである。何しろ彼らは、世間による洗脳を徹底的に受けていて、ちょっとやそっとでは考え方を改められないのはわかっているから、短い時間で何とかするならこんな逆洗脳ぐらいしかない。というよりも、彼ら、彼女らが洗脳されて持っている野宿者への偏見を一部でも打ち壊して、あとで自分たちで考え直すきっかけを直接に与えたいということである。
それにしても野宿者襲撃が「正義」とは。しかし彼の言う「正義」が、社会的競争の中で結果的に下層に立たされた人たちを排除、抹殺するということであれば、それはある種の市場主義者たちの主張と本質的には同一なのではないか。そして社会的競争に敗北し、例えば野宿に至った人たちに社会的援助を行うことは不必要ですべて自己責任でなんとかすべきだという主張は、むしろ世の中のマジョリティのものではないか。だとすれば、社会的マジョリティがただ単に傍観にまかせて、あるいは公園の「整備」とか町内の「環境保全」とか(あるいは高齢者などのための「動く歩道」建設とか!)いった理由をつけて野宿者を「駆除」し「掃除」しているところを、襲撃する若者たちは市民社会の「裏の仕事屋、裏の正義」として直接暴力に訴えているだけなのかもしれない。「裏の正義」というS君は、明らかに自分たちの行動の本質が社会のマジョリティの支持を受けている事を確信している。事実、野宿者は若者に殺されなくても、仕事がないというそれだけの理由で次々と路上で死んでいっているのだから。
 そしてぼくたち自身はといえばどうなのか。この張り込み行動に誘って乗ってきたのは(釜ヶ崎にかかわっている人で)約半分だった。例えばその中には、「気が進まない。それよりも、そういう行為に及ぶ若者の気持ちを理解すべきだ」という反応があったという。それはよくある反応と言えば言えるが、どう考えたって、若者の気持ちを考える前に、襲われる側の野宿者の気持ちの方を考えるべきだろう。我々が襲撃者撃退を試みるとして、それは自分たちがかかわりを持つ野宿者に対しての理不尽な暴力があまりにひどいのでやろうとしているだけで、特に理屈はないと言えばないのだ。それだけに、このような反応はわからないのだった。それに、襲撃はある意味ではわかりやすい、したがって対処の仕方の明快な野宿者差別なのだ。それに対して、一般社会からの野宿者、日雇労働者への差別・偏見は、それに対する対処がずっと複雑で扱いにくいものなのである。村上龍が中学生1600人にアンケート調査したものの中に「ホームレスをどう思いますか? 襲撃する子供をどう思いますか?」という設問があって、それに対して一人だけ「襲撃する子どもよりも、ホームレスを悪く言う大人の方が腹が立つ」という答えをしていたが、ぼくはこの意見に深く共感する。





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