2004/11/30■ 連続した「ニート」による両親殺人事件

24日、25日と連続して起こった両親殺害事件について、今週大きく報道されていた。その中では、容疑者の二人が「学校に行かず、就職もしていない」ニートだったことが焦点となっている。(28歳男性は「引きこもり」だったが、「ニート」の定義には「引きこもり」も含まれる)。
実際、「NEET=15〜34歳で卒業者かつ未婚者であり、通学や家事を行なっていない者。 2003年時点で52万人とされる」という説明書きが何度もテレビに出るのを見た。本場のイギリスでもさほど有名ではないという「ニート」という言葉の日本における知名度は、これで一気に上がったにちがいない。
テレビで何度も見たが、一般からのニートに対する評価はすぐに想像がつく通り、「甘えているだけ」「親が悪い」「そんな奴は家からたたき出せば働き出す」「昔はそんな奴はいなかった」「そんな奴のために税金を使うには許さない」などなどだった。
ただ、今回の事件についてのテレビのワイドショーを時々見たが、事情に詳しい専門家に出演させている場合がさすがに多く、ぼくが見たのでは、ヨン様似の弁護士が「あんなのに『ニート』なんて言葉を作る事自体まちがっている。ただの甘えだ」と言うのに対して、カウンセラーの信田さよ子が(上野千鶴子と「結婚帝国 女の岐れ道」という対談本を出している)反論していた。しかし、多くの人の印象は橋下(はしもと)弁護士と同じなのだと思われる。
事件自体については正当化する余地はない。ただ、28歳の男性が言っていた「こちらが殺される前に殺そうと思った」という言葉はやはり衝撃だ。「殺される」とは、「心理的に居場所がない、存在する価値が保てない」という意味だろう。つまり、彼にとっては「家庭」というものが「居場所」ではなく、「殺すか殺されるか」という場所でしかなかったわけだ。一方、家族の方も引きこもり男性を抱え込んだまま、どこにも相談することもできなかったようである。家族がカプセルの中に閉じこもり、ひたすら問題を悪化させていったのだろう。
この家族は明らかに破綻していたが、事件自体は氷山の一角で、こうした家族はものすごく多いはずだ。もはや、家族が家族だけでそのトラブルを解決するのは不可能な時代なのではないか。ちょうど、家族だけで幼児保育や高齢者介護をすることの不可能性が「保育園」や「介護保険」を導入させたように、ニート問題についても何らかの家族への公的・私的対策が必要なのだろう。(「家族のことに他人は口をはさめない」という理屈は、ドメスティック・バイオレンスや児童虐待の激化によって、とっくに意味を失っている)。
信田さよ子は、「対策としては、とにかく子どもを外に出して、金を出してもいいから一人暮らしをさせることだ。家賃を払い、電気代を払い、ご飯を炊き、洗濯をし、という生活の基礎を自分で経験する事が重要だ」と言っていた。例えば、デンマークでは成人年齢である18歳になると、進学や就職と無関係にほとんどの子は親の家を出る。それは、デンマークでは失業した若者のほぼ全員(80%)が福祉国家の給付金を受け取っていて、その福祉給付の水準で独立した暮らしが可能だからだ。これほどでなくても、日本でも行政が若者の独立、就業を支援する必要が緊急にあると思う。これに対して、何らの支援もなく「ニートを家から追い出せ、そうすれば働き出す」と言うのは単に無謀である。事実、フランスやとくにイギリスなど、福祉国家も家族も十分な福祉を提供してくれないような国々では、若年無業者の多くはホームレスになる。例えばBBCニュース2002年10月7日付によると、
「スコットランドでは、毎年1万6000人が25才前にホームレスになる。今、ティーンエイジャーたちは、その一人にならないため Scottish Council for Single Homeless によるアドバイスを受けている。毎年約6万人のティーンエイジャーが学校を離れ、同時にその多くが家を出るのだ。」

「ニート」への非難は、かつての「不登校」への非難とほぼ同じように見える。不登校についても、「社会から逃げているだけ」「甘えている」「学校に行けなくて悔しい人もいるのにいったい何だ」という非難がずっと続いてきた。今では、「不登校は誰にでも起こりうるもので、それは個人の問題というより学校をめぐる社会全体の問題の一つの現われ」として理解されつつある。
ある意味では、「ニート」とは「不登校」の労働バージョンと言えるだろう。学校の意義が相対的に低下した結果「学校に行けない」「行かない」こどもたちが現われたように、労働(というより「社会」)の意義が低下し、「働けない」「働かない」若者が急増しつつあると考える事もできる。
また、その一方で「ひきこもり」を極点とするように、「そもそも人や社会と関係を持てない」パターンも増えている。ニートについては、幾つかの要素や要因を把握した上で整理して考える必要があるのだろう。そうでなければ、かつて不登校について「不登校は病気だ」や、その裏返しの「不登校はこどもの鋭敏さの現われ」という一元的な理解がされたことの繰り返しになりかねない。(「不登校になるのはむしろ鋭い感性のこども」という言い方は時々されるが、不登校のこども本人はそういうおおざっぱな言われ方をいやがるだろう)。
しかし、こうした事件に見られるように、日本の「家族」機能が相対的に崩壊し(日本の場合、離婚などの端的な「崩壊」ではなく、家族がこどもなどの成員を抱え込む結果、病理的崩壊を起こしている)、企業は正規労働者を絞り込んで若者をどんどんフリーターや無業者にしている状態では、行政が音頭を取って家族補完計画をやっていくしかない。あるいは、従来とは全く別の「家族」形態を創造していくことである。
一つ思うのは、「企業」に対してはNPO、「行政」に対してはNGOが対抗的に作られ今やかなりの運動力を発揮しているように、「家族」(Family)に対してNFO、あるいは「Home」に対してのNHOがあるべきではないかということだ。いまや従来型の家族に多くを期待することは、最も避けるべき愚行であるにちがいない。


■2004/11/18■ 日本橋の「趣都」化、デュシャン展、岡田代表

ひさびさにカゼをひいて、なかなかしんどい…
この間、夜回りで日本橋でんでんタウンを自転車で流していると、先週までなかった店があるのに気がついた。看板を見てみると、「コスチューム・パーティ」と出ているので驚いた。
そう言えば、ここ数ヶ月の日本橋の変貌は相当に激しい。一本入った裏通りを中心に、同人誌やまんが専門店、ガンダム系の専門店などなどが続々と誕生している。森川嘉一郎の「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ」では、オタクの個室が都市空間へと拡張したような場所へと秋葉原が変わっていったという内容で、大阪の日本橋についてもその傾向がすでに見られるという指摘がされていた。この本が出た2003年2月にこれを読んで、「日本橋の趣都化というのはまだ先の話では」と思ったが、1年半経ってそれが本当になってきたようだ。
家電の街だった日本橋は、梅田近辺の家電メガストアの影響などで客足が鈍り、2年ほど前から「食べ物屋」や「深夜営業スーパー」「コンビニ」などに営業替えしているパターンが増えていた。そのおかげで、深夜も客が出歩くようになり、そのためか野宿者襲撃が急激に減るという思わぬ効果もあった。(それまで、日本橋はおそらく日本で最も野宿者襲撃が激しい場所だった)。
個人的には、家電の街より「趣都」の日本橋の方が歩いていて楽しいが、完全にそっちに変貌すると、野宿者が寝れるような場所ではなくなって、夜回りのコースも変えなければならなくなるかもしれない。そしてそれは、案外近い将来のことかもしれない。
ちなみに、うちの近所の阿倍野再開発地域も、一週間見てないと、いきなり建物が建ってたり消えていたりと、風景が突然変わってしまうことがある。自分の近所が見る見るちがう街になっていくというのもおかしな感じがするものだ。


大阪の国立国際美術館で開催中の「マルセル・デャシャンと20世紀美術」展に行く。入ってすぐの部屋には『階段を下りる裸体No.2』があり、そこで長いこと動けなくなる。コンセプトとそれを実現する技術が一体になった素晴らしい絵画で、目が吸い付いて離れなくなってしまうのだ(高校の時から複製は見慣れているが、実物はやはり決定的にちがった)。それにしても、裸体が階段を降りる様子を描くのにマンガで使う「動線」が使われている。見ていておかしいのだが、この「おかしさ」あるいはユーモアはデュシャンの全作品を通じて現われている。
例えば「泉」がそうであり、特に「L.H.O.O.Q」がそう。ただ、レディメイドでは「自転車の車輪」が一番見ていて興味深かった。これも図版で見慣れた作品だが、「自転車の車輪」が美術館に展示されているという現実は、図版では再現できない(本当にただの「車輪の写真」だから)。自転車の車輪のニュートラルさに対して、「泉」は改めてみると、やはりある種の「挑発性」が前面に出ている。これはデュシャンには珍しい「若さ=青さ」の現われだっさたのではないかとさえ感じられる。
この特別展では、デュシャンのほぼ全作品が(レプリカも含めて)展示されているが、「大ガラス」と「遺作」(これも見事なレプリカ)はいくら眺めていても、やはり謎が残り続ける。東野芳明の「マルセル・デュシャン」(絶版?)での必死の解読の試みなどを思い出すが、わからないものはやはりわからない。晩年のレオナルドの描き続けた「大洪水」の絵のように、ただ眺めて圧倒され続ける他はないのだろうかと思いながら「のぞき穴」から遺作をずっと見続けていた。
帰りに、買ったカタログを見ていると、レディメイドについてデュシャンが「私は探したりしない。ものが私を発見するのだ」と言っている。ぼくはカフカの断片、「探す者は見出さない。探さない者は見出される」を時々引用するが、デュシャンのこの言葉は昔読んだはずなのにすっかり忘れていた。あらためてこの言葉について考え込んだ。

民主党の岡田代表・大阪市西成区・あいりん地区を視察
岡田代表がやってきて、シェルターを見学した他、ぼくもやってる特別清掃の現場にやって来て、NPO釜ヶ崎から、特別清掃やシェルターの存続の要望を受けた。下で触れたように、特別清掃は存続が危ぶまれているが、さてどうなるのか…


■2004/11/7■ 開発教育セミナーのお知らせ

12月4日〜5日に下のようなセミナーがあります。このセミナーで野宿者問題を取り上げるのは2回目。初めての去年は、ぼくがほとんど一人でしゃべりまくった形だったけど、今年は現職の先生たちが中心になって、いろんな教材やアイデアを作って、それを実際にやってみるという形になっています。

2004年度 第6回 開発教育セミナーのお知らせ
「野宿生活から見える日本の社会 〜偏見から理解へ〜」


 みなさんは野宿生活を送っている人をどのように理解していますか。
野宿者支援に関わっている方と一緒に、野宿者が生み出される社会のしくみとありようを、不安定就労の現状や襲撃事件を通して考えます。
昨年のセミナー後、夜回りに参加し、支援者の方とともに「野宿者問題を考えるための参加型教材」をつくってみました。ワークショップを通して、野宿者問題をともに
考えましょう。

☆日時:2004年12月4日(土)16:00〜5日(日)12:00

☆場所:日本クリスチャンアカデミー関西セミナーハウス
      京都市左京区一乗寺竹ノ内町23 http://academy-kansai.com

☆講師:生田武志さん(野宿者ネットワーク代表) 

☆各セッションの内容

 第1セッション 4日(土)16:00〜18:00
  「ホームレス」ってどんな人?
    1.アイスブレイキング:数字を足したら100になる
    2.フォトランゲージ:あっそうか!
    3.クイズ:どうやって生活しているの
    4.ワーク:こんな時代もあったよね♪
    5.ふりかえり

 第2セッション 4日(土)19:00〜21:00
  私たちの暮らしと野宿生活者
    1.フォトランゲージ:何か変だな?
    2.ロールプレイ:シェルター建設をめぐって
    3.ふりかえり

  交流会&スペシャルセッション
     ドキュメンタリー映画「あしがらさん」上映会 21:15〜22:30
      「あしがらさん」ビデオやパンフレットを販売します
    
 第3セッション…5日(日) 9:00〜12:00
  いま、私にできること
    1.ウェビング:なぜ襲撃はおこるのか
    2.ダイヤモンドランキング:野宿者問題を解決する9つの方法
    3.いま、自分に何ができるか
    4.ふりかえり

☆参加費 
  @全日程参加 宿泊・夕食と朝食あり 9000円
  A全日程参加 宿泊なし・夕食あり  6000円
  B一日のみ参加  5000円

 *年間登録料 2000円

☆参加申し込み方法
  関西セミナーハウス活動センター 開発教育研究会 (担当:高橋)
HP http://academy-kansai.com/des/
   TEL 075−711−2115  FAX 075−701−5256
   E-mail: program@academy-kansai.com


■2004/11/1■ Japan quakes kill 21, thousands are homeless
             「日本の地震で21人が死亡、数万人がホームレスに」

新潟の地震はいまも続き、被害はなお拡大している。その様子を新聞やテレビで見て驚くばかりだが、その中で野宿者問題に関わるわれわれにとっても気になる記事を幾つか見つける。
その一つは、自動車で寝続けた結果、「エコノミークラス症候群」による死亡者が続出していることだ。 釜ヶ崎周辺や他の地域でも、廃車で寝ている野宿者の姿は時々見かける。それを見て、今までは「雨もしのげるし、路上でダンボールを敷いて寝るよりはずっと快適だよなあ」などと思っていたが、これはとんでもない誤解で、実は大変危険な生活だったわけだ。
また、多くの被災者は体育館などで集団で雑魚寝しているが、そうした生活での疲労やストレスは当然ながら大変なものだという。「ストレスに加え、将来への不安も感じている」という医師の談話もある。避難生活の中で、ショック死も続発している。被災者からは、「よく眠れない」「あったかい風呂に入りたい」「プライバシーがない生活は苦しい」「畳の上で寝たい」「毛布が足りない、布団がほしい」などの声が伝えられている。ところで、これはわれわれがいつも聞いている野宿者の声そのままである。いわば野宿者は、慢性的な避難生活を送り続けていることになる。逆に言えば、震災被災者はいわば急性の野宿生活者なのだろう。
事実、ネットで「homeless」を検索すると、最近は上のように「日本の地震で数万人がホームレスに」という記事が幾つも出てくる(世界のどこの地震や火災についても「homeless」と表記される)。もともと、英語の「homeless」は「何らかの理由で住居を失い、シェルターや寮、モーテル、知人宅などで過ごしている状態の人」を(おおざっぱには)指しているので、被災者も失業などによる野宿者もみんな「homeless」だ。
しかし、日本のメディアは被災者を「ホームレス」とは何があっても言わないだろう。仮にそうすれば、被災者も一般の人々も「ふざけるな」と激怒しまくるような気がする。要するに、日本語の「ホームレス」は「浮浪者」の言い換えでしかなく、「野宿者」=「浮浪者」=「ホームレス」になっているからだ。我々の関わる野宿者は、様々な意味で被災者とは当然異なる存在だが、しかし多くの人々からの見方はいくらなんでもあまりに違い過ぎやしないかとよく思う。例えば、行政の対応やボランティアの数、メディアの対応についてそれを感じさせられるわけである。
地震について印象深かった記事の一つは、朝日新聞10月29日朝刊に出た、阪神淡路大震災に関わった精神科医の中井久夫による論説だった。全体としては現場担当者に対するケアの必要性を語った文章だが、その中にこういう箇所がある。
「救命艇の漂流者に関するフランス人医師の自己実験によれば、人は救助があると信じる限りは持ちこたえられるが、孤立感にとらわれると驚くほど早く力尽きてしまう。(…)被災者に対しても、災害発生から1週間前後までは孤立感を感じさせない支援が重要だ。そして4〜5週間までは心理的ダメージを和らげるため、体験を共有し合う取り組みが求められる。この二つの段階を経て初めて、被災者は生活の再建に立ち向かえるようになることが多い」。
野宿者についてはどうだろうか。同じ事が言えるにちがいない。しかし、野宿者の多くは「救助があると信じる限りは持ちこたえられるが、孤立感にとらわれると驚くほど早く力尽きてしまう」という後者の例になっているのではないだろうか。研究者の作ったデータによれば、大阪の野宿者の自殺率は通常の6倍、結核死亡率は44倍、餓死、凍死は比較にならないほど多い(「大阪市における野宿者死亡調査」2000年の路上死 213例の分析結果から」参照)。
これは、もしかしたら「孤立感にとらわれると驚くほど早く力尽きてしまう」という実例になっているのではないか。もちろん、物質上の致命的な不足ということがあるにしても。そうだとすれば、あまり役に立たないようにも見える「夜回り」のような支援活動も、やはりそれなりの重要な意義があるのだろうか、という気もしてくるわけである。
(そういえば最近の夜回りで、顔見知りの野宿者から「来てもらうと安心するんだよ」と言われ、そういう風に受けとられているとは思わなかったので少し驚いたことを思い出す)。


■2004/10/25■ 近頃気になったニュースを幾つか

台風が次々にやってきて(史上最高の頻度とか)全国で被害が出ていたが、各地の野宿者の被害はどうだったのだろうか。普通に建ててる家でも壊れるぐらいの強風なのだから、ビニールシートをしばって固めた程度のテントがそんなに持つとも思えない。気になっていたので、昨夜の夜回りでみなさんに聞いたところ、「テントは下をしっかり養生して空気が入らないようにすればなんとかなる。あとは木とかでかい石とかにくくりつけることだ」と言っていた。実際、ぼくのまわった範囲では、一部が飛んでバタバタいってたテントはあったが、完全に吹き飛んだテントはなかったらしい。とはいえ、大阪はいつも台風の被害は少ない方なので、他の地域ではどうだったのかと思うわけだ。
と思っていたら、きのうから地震で新潟が大変なことになっている…

野宿者、命綱「清掃」事業が交付金廃止で存続の危機 

気になるも何も、ぼくが今やってる仕事が来年4月以降も続くかどうかという記事だ。清掃に来てる労働者のみなさんも、当然ながらこの話題でもうもちきりだ。本当のところは12月ぐらいにならないと全くわからないが、仮に交付金が打ち切られて代わりが何もないとなると一大事になる。反失業連絡会も署名集めなどいろいろ手は打ってきたが、しかしどうなるのだろうか。

両親殺害容疑で36歳長男逮捕 20年間引きこもり
経済的に困り将来悲観 引きこもり両親絞殺

事件自体の衝撃もあるが、経済的に困窮したことが大きな要因として報道されていることが気になっている。詳しい記事がないのでよくわからないが、この家族は「持ち家」で「年金」があって「3人暮らし(一人息子?)」だったようだ。そういう状態でさえ、親の一方が介護が必要になればたちまち経済的に困ってしまうとしたら、これは相当数のひきこもりにとって「人ごとではない」のではないだろうか。
朝日新聞の記事では、父親は生活保護の申請に行ったが、年金が生活保護基準より多かったので却下されたとされていた(生活保護については、単身の野宿者しか経験がないので、こういう家族の場合についてはよくわからない)。引きこもりの中年化と親世代の体力の衰えによって経済的な問題はどんどん深刻化していくだろうが、生活保護がそこで機能しないとすれば、こういう悲惨な事件や、家族もろとも野宿生活という事態が多発する恐れがあるのではないだろうか。

探しものは何ですか:ニートという生き方/1

ニートについての毎日新聞の連載記事。冒頭から「ホームレスになった23歳のニート」という話。日本では、すでに「仕事がないための野宿」と「心理的に働けないための野宿」が同時進行しているわけである。
「ひきこもりやニートは親が甘やかしているだけだ。放り出せば自分で何とかするはずだ」とはよく聞くセリフだが、仮にそうしても、多分「ニート(ひきこもり)」問題が「若年ホームレス」問題になるだけである。「不登校なんてただの甘えだ」という、かつてよく言われたセリフと同じで、そのような暴論では何の解決にもならないだろう。


■2004/10/10■ J.デリダの死

今日、印刷用紙を買いに日本橋のでんでんタウンに行ったら、アーケード下で新作映画のDVD(もちろん海賊版)を売っていた。中には「華氏911」まであった。価格は1000円也。
いくら何でもまずんじゃないですか?

哲学者のJ.デリダが死んだ。哲学の衰退、哲学の死ということはさんざん言われているが、デリダの死によって、現存する主な思想家がこれでほとんど消えてしまったという現実はやはり重い。
ぼくがデリダを読み出したのは大学に入った1984年頃からだ(この時期の学生の多くがそうであるように浅田彰の「構造と力」のおかげ)。読み出して、すぐに「この人の本は日本語で読める限り全部読もう」と思って、以降実際にそうしてきた。
デリダの持った意義については、プラトン以来の西洋哲学のロゴス中心主義の乗り越えといったことがよく言われている。確かにそれは、従来の哲学が意識することなく依存してきた前提をくつがえた。しかも、単に「転倒」させるのではなく、従来の哲学を対象に論じながら、その対象自身に自らの前提を失わさせるように導くという戦略、デリダ自身の言葉で言えば「哲学者の通った道をそのままにたどり、そのやり口を理解し、その詭計を借り、その持ち札で勝負し、思うがままに策略を繰り広げさせておいて、実はそのテクストを横領してしまう、そういう方法」(「限定経済学から一般経済学へ」)を取っていた。
こうした「哲学自身にそれが意図しなかったものを語らせてしまう」方法は、「哲学に対する精神分析」という評価を生んだ。デリダはそういう評価を否定していたが、それが哲学的思考と精神分析学的思考の「視差」を捉えるものだったことは疑えない。デリダ自身、自分の思想はフロイトとハイデガーという20世紀における最大の思想的事件、その両者の間にありえるはずだった対話を少しでもたどることだ、ということを言っていた(「他者の言語」)。これは、例えば物理学で言えば、「一般相対性理論と量子力学を接合させた時にあり得る理論を作りたい」というようなものである(ユダヤ的思考とドイツ的思考という点でも相似する。まあ、物理学にはユダヤもドイツもないが)。その意味では、デリダは哲学におけるホーキングだったと言えば理系の人にはわかりやすいだろう。もちろん、そんなことはきわめて限られた才能にしかできはしないのだが。
ぼく自身は、デリダを読み続けながら、素晴らしくおもしろいと思いながら、これはある種の迷宮に人を導くことにしかならないのではないかという気がしていた。当時のぼくの関心は「エウクレイデス原論」をはじめとする数学史だったが、デリダを読んだ影響として、当然のように「原論」の定義第1「点とは部分のないものである」が、デリダが意識における明証性として(特に「声と現象」で)議論の対象とした「いま・ここ・わたし」にあたるのではないかと発想した。しかし、こういう方向はあまり生産的ではなかった。
むしろ、柄谷行人の「日本近代文学の起源」を参考にしながら、数学における「幾何学と代数学の翻訳」という点から「原論」を読んだとき、公理主義とゼノンのパラドックスで扱われた無限との関係(アルパド・サボー)から、デカルトの解析幾何学、カントールの無限論、ヒルベルトの形式主義、そしてロビンソンの超準解析に至るまでの数学史が新たな視点から整理できることに気がついた。(デリダはフッサールの「幾何学の起源」の翻訳・研究から出発したが、数学的思考についてはセンスがよくなかったと思う。「科学言語には翻訳の問題はありません」などと言っているのがいい例だが)。
そして、意識の明証性としての「いま」についても、別の考えをするようになった。これは釜ヶ崎に来てからだが、レヴィナスの「時間と他者」を読んでいたときに「他者との間には同時代性は成立しない」という箇所を読んで、すぐに「これはもっと厳密に『他者との間には同時性は成立しない』と言うべきではないか」と直感した(もちろん、レヴィナスのような一種の純正ユダヤ主義思考ではとうていデリダに対抗できない)。そこから、アインシュタインの「動いている物体の電気力学について」(特殊相対性理論)が「同時性の定義」から始まっているのを思い出すのはわずかな距離だった。
つまり、デリダが言う意識の明証性としての「いま」は、「同時性」として捉えることができる。(「時計が合っている」のは「他の時計」に対してであるように、個人だけの「いま」というものは存在しない)。そして、そこには物理学には決して解決できない「時計と同時性」のパラドックスが現われる。デリダのこの方向について思うのは、それがある一つの方向での徹底的な突き詰め(どん詰まり)だったということだ。
デリダは60年代から70年代にかけて代表作と言われるものを書き、その後も続々と本を出し続けたが、「デリダ節」はいい意味でも悪い意味でも相変わらずのまま、むしろ社会的問題への発言を強め、世界的大知識人という様相を強めていった。そして、ぼくはいま何を考えているかというと、「フリーター論」のために「労働とジェンダー」関係の本を読みあさったり、「野宿者襲撃論」みたいな文章を書こうとしている。デリダを読み始めてちょうど今年で20年だが、思えば遠くへ来たもんだと言うべきだろうか。しかし、あまりそういう気はしないので、労働とジェンダーのようなジャンルについても、デリダは何か大きなヒントを与えてくれるような気もする。たとえ本人は死んでしまったとしても。


■2004/10/5■ 近頃気になったニュースを幾つか

ホームレス移動診療 国境なき医師団が大阪市内・無料で

(世界の途上国や紛争地帯で医療活動にあたるNPO法人「国境なき医師団(MSF)日本」(東京都新宿区)が、大阪市内に事務所を構え、ホームレス対象の移動診療を今週中にも始める。ワゴン車を使った無料の活動。大阪府はホームレスが全国で最も多く、健康状態の悪化した人が放置されている現状を改善すべきだと判断した。MSFの先進国での診療所開設は異例といい、日本を本格的な「支援対象国」とする。 )

国境なき医師団のメンバーとは何回か会って、釜ヶ崎の状況などを話したことがある。釜ヶ崎近辺よりは梅田などの医療状況が問題だということも話したが、結果としてこういう形に落ち着いたわけだ。診療所の計画もあったが、地元の反対がすさまじかったという話も伝え聞いた。日本の野宿者はホントに難民状態にあることがこれでもわかる。

収容:チェス元世界王者フィッシャーさん、日本でなぜ今?
 ◇政府間の思惑に翻ろうされ 「手続き、異様に速い」


偉大なチェス王者を救って 羽生さんが首相に嘆願メール

フィッシャーが日本にいるという話は聞いていたが、今やこんなことになっている…
渡井美代子さんと結婚していたということだが、渡井さんの「最新 図解チェス」(フィッシャーとのつきあいが結構詳しく書かれている)を愛読していた者としては、「やっぱりそうなんだ」と変に感心してしまいました。
それにしても、フィッシャーが隠遁してしまい、当然あっただろうカスパロフとの頂点対決が失われてしまったことは、ほとんど人類史的損失だったと思う。物書きや造形作家は一人でも作品を作れるが、棋士は一人では棋譜を残せないのだ。

失業者でもフリーターでもない若者達 ニート急増が問うもの

ニート問題についての新聞記事は幾つか出ているが、最も読んでておもしろかった。ホームレス問題とのつながりにおいても見えてくることがあります。

円周率暗唱で5万4千けた ギネス申請へ、千葉の男性
(千葉県茂原市のボランティア原口證さん(58)が25日、円周率の暗唱の世界記録に挑み、これまでの記録を更新する5万4000けたを暗唱した。)

イチローの記録に日本とアメリカが驚いているが、もしかしたらそれに匹敵するかもしれないほどの驚異的な世界記録の誕生。しかし、ほとんどさっぱり報道されないのはなぜなのか。野球はやってる人口も多いし、なんだかんだ言っても人気のスポーツだからか。確かに円周率の記憶が趣味だという人は近くにあまりいない。
ぼくは、中学2年のときに数学の先生が円周率50ケタをプリントしてくれたのを見て、同級生たち(現・京都大学経済研究所教授の柴田章久もいた)と一緒にその50ケタを憶えたことがある。もちろん、憶えたって何の役にも立たないが、円周率には人にそうさせる独自の魅力があるようだ。実際、円周率を10ケタ20ケタ憶える人はたまにいるが、自然対数の底「e」や「ルート2」、あるいは「ルート11」や「1000の立方根」を何十ケタも憶えようという人はまずいない。
その後も、円周率の本を何冊か見つけては読んだ。例えばオイラーの公式で「x=π」の場合のシンプルかつ驚異的な結論には、初めて見た人は誰でも感動するはずである。
その後、高校1年の時に円周率1000ケタの暗記に挑戦した。きっかけは、新聞の日曜欄にサラリーマンの友寄英哲さんが(確か)3万ケタを暗記して世界記録を作ったという記事を見たこと。すごいなーと感心して、だったら自分でも1000ケタくらいやってみようと思って、学校の休み時間は3次方程式の解の公式を求める一方で(当時は数学少年だった)暗記を重ねていった。結局800ケタで息尽きたが、今でも100ケタはすらすら暗唱できる。
そういうこともあって、1999年秋に「群像」新人賞にはじめて応募したとき、ペンネームを「π」にした。「π」にしたのは、円周率が大好きというだけの理由だった。
最終選考に残ったという電話は2000年の確か1月に入ったが、編集の人は「ペンネームのπ、これは、選考委員のみなさんに与える印象がマイナスだと思います。実名にするか、別のペンルームにされてはいかがでしょう」と言うのだった。「そうですかー」と言ったが、数日は考え込んでしまった。結局、他のペンネームは考えつかないし、どうしてもというものでもないので、最終選考のゲラは実名で出すことにした。結局それで優秀作になったのだが、「π」のままだったらどうなっていたんだろうと、あとで時々考えた。


■2004/9/29■ UTADA・ビョーク・キング・クリムゾン


ここ10日間に、3回ズボンのファスナー(「社会の窓」)を開けたまま町中を歩いてたんだけど、なんでだろう?(いずれも向こうから来る人の「変な顔」で気づいた)。不注意なのはずっと前からだしな…。
ま、車にひかれたりするよりはマシだから、いいっか!

この間、UTADAのアルバムとビョークのニューアルバムがほぼ同時に出たので続けて聴いた。
UTADAのアルバムは、彼女のアルバムとしては初めてだが関心が持てない。アメリカのビルボードチャートbPとかは聴いててもおもしろいと思えないことが多いが、それと同じような感じだ。アレンジも巨額の制作費のわりには冴えてないと思ったが、どうなんだろう? 
宇多田ヒカルについては、デビューアルバムを聴いて以来、「抜群におもしろい」と、この間の「ヒカルの5」DVDも含めて聞き続けてきたが、今回ばかりは「何かちがう」という感じがする。もう一度聴けばどこが「ちがう」のかわかるかもしれないが、もう一度聴いてみる根気自体が起こらない。
一方、ビョークのニューアルバム「Medulla」 は聴いてまず感動し、何度か聞き返してみた。「ヴェスパタイン」ライヴのDVDのことを2003年11月4日に書いたけど、最近のビョークは聴き応えいっぱいだ。
90年代、シュガーキューブスを解散してソロデビューして以来のビョークには、最初の「デビュー」以来だんだん関心を持てなくなっていた。つまり、ゴールディーと組んでブレイクビーツを導入したりして「90年代で最も重要な女性シンガー」とか言われていた時期だ(そう言えば、ゴールディーってその後どうしてるんだろう?)。多彩なスタイルと独特の歌声という取り合わせだが、聴いても「一回聴けば十分」という感じで、ぼくにとっては「とおりすがり」のアーティストになっていった。
「Medulla」 はほとんどの音を人声だけで作り上げた作品で、ドラム、コーラス、ベースラインなどを喉で作り上げる超絶技巧だけでももちろん楽しめる。(日本人ヒューマン・ビート・ボックスDOKAKA(ドカカ)らが参加)。ハーモニーを重視した人声のみの音楽という点では、「21世紀初頭のマドリガル」という印象もある(日本でみんながやってるアカペラは、「スポーツ」という感じがする…)。広々と風のように広がっていく歌声と緻密な人声の重なりが、次第に何か静かな悲しみを歌い上げていくのだが、それはアイデアの実験性と重なりながら、聞き手に強い充実感を残していく。
このアルバムがどのように評価されていくのかわからないが(アマゾンのレビューではイマイチの評判のよう)、ぼくが最近聴いたロック・ポップス関係では最高だった。文字通り待ちに待ったプロディジーのニューアルバムが期待以下だっただけに、なおさらだ。
クラシックもそうだけど、ロックにしても、個人的にお気に入りのアルバムは、一般に発表当時売れもせず評判にもならずという場合がよくある。例えばキング・クリムゾンの「ディシプリン」もそうで、ぼくの中ではこれがキング・クリムゾンのベストだった(ロックを同時代的に聴き出したのは90年代からなので、リアルタイムでは聴いていない)。ビョークの「Medulla」ももしかしてそうなるのだろうか。
そんなことを考えていたら、タワーレコードでキング・クリムゾンのディシプリン当時(1984)のライヴが輸入DVDで出ていた。早速買って聴いてみた。ポリリズムとロックが組み合わせられた音楽はやっぱり独自のもので、それをライヴで実演するテクニックの見事さにも感心してしまう(東京ライヴで、中にはロバート・フリップが浅草で感に堪えぬ表情でおまんじゅうを食べてるシーンもある)。今聴くと、ミニマリズム的アプローチとロックのアプローチが中途半端に入り交じっているという感じもするが、現在の大半のロックをはるかに越える革新性と音楽性を放っていることは絶対に疑えない。


■2004/9/12■ 第30回エイサー祭り・大綱曳き

毎年行ってるが、大阪市大正区のエイサー祭りに行ってきた(自転車で行ける)。
今年の目玉として、与那原で使われている「大綱」を現地から持ってきて「与那原大綱曳き」がここで行なわれた。与那原で400年前から行なわれている神事ということで、下の写真にある大綱を使ってみんなで綱引きをする(誰でも参加できる。あっしもやってきました)。
扮装した「支度」を乗せた綱が踊り竜の感じで運ばれ、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら行進する。ヤンヤヤンヤと騒然とする中で綱を組み合わせると、参加者一同で一斉に綱を引っ張り、2回綱引きをする。勝負がつくと、女性たちが鉦・太鼓の後に合わせて「サーサーサー!」とかけ声かけて踊りまくる。
見たこともない巨大な大綱(90メートルで5トン)が行進して、それを使って「綱引き」するという明快な祭りだけに、見ていてとにかく異常な迫力だ。綱引きはみんなでやるので、当たり前だがすげーおもしろい。終わった後、女性たちの勝利を祝う踊りが鉦や太鼓で延々と続くが、これはホンマものの「狂躁状態」だった。
「祭り」といえば、地域の「祭り」はあることはあったけど「盆踊り」するだけの退屈な代物だった。京都にいるときは祇園祭も見に行ったけど、何がいいのかさっぱりわからなくて、長い時間大変困った。これに対して、沖縄の祭りは中身の密度やすっ飛び具合が全然違う。なんか凄いです。

↓綱を合体させ、一つにする様子


↓クイチャーになると、みんな一斉に踊り始める


(2年前に書いたものを下に引用)
大阪市大正区のエイサー祭りに行ってきた。1920年代のソテツ地獄以来、大正区には沖縄出身の人が多く生活している(現在では2世、3世の人が主流)。ヤマトでは、沖縄への強い差別があったため、エイサーをはじめとする沖縄の文化は長い間あまり表だって継承されることはなかったという。1970年代以降になって、自分たちの文化を見直そうという機運が高まり、関西沖縄文庫などの活動拠点を作り、その流れでこのエイサー祭りも行われるようになった。
例年のことながら、公園内にはびっしりと人が詰まって、移動するのも大変だ。周囲はテントが並び、シーカーサーやゴーヤー茶、沖縄関連の本などを売っている。参加団体は沖縄、愛知、東京などからも来ていた(愛知琉球エイサー太鼓連、東京沖縄県人会青年部…)。
12時開始で、暗いなるまで勇壮なエーサーが続く。エーサーの間、指笛が鳴り続け、あっちゃこっちゃでカチャーシーを踊る人が出始める。最後には全員が立ち上がってカチャーシーを踊り、とんでもない熱狂状態で幕を閉じる。


■2004/9/11■ ニート・フリーター・ホームレス

昨日の朝日新聞の記事
フリーター217万人、無業者52万人 労働経済白書

 厚生労働省は10日、最近の雇用・失業動向をまとめた04年版労働経済の分析(労働経済白書)を公表した。15〜34歳の未婚の若者で、仕事も通学もしていない無業者は03年で推計52万人、フリーターは過去最多の217万人に上ることがわかった。無業者とフリーターを合わせると、この世代全体の約8%にあたる。白書は「経済社会の維持、発展という観点からも憂慮すべき問題」と指摘、「働くこととの接点を広げ、意義や楽しさ、充実感を実感できるようにしていくことが大切」と対策の必要性を強調している。
 若年層の無業者は今回初めて発表した。52万人のうち男性は6割強で、女性を上回った。年代では25〜34歳が約6割を占めた。02年より4万人増えたとしている。
 フリーターは学校を卒業し、アルバイトやパート勤めの人などを集計、02年より8万人増えた。企業の採用抑制や即戦力志向の高まりによる就職難と、若者の就労意欲の欠如とが増加の背景にあるとしている。
 03年の完全失業率は5・3%と13年ぶりに低下した。しかし、雇用の内訳をみると、派遣社員や契約社員など「非正規雇用者」が1504万人で全雇用者の28%と過去最高に。一方、正社員は3444万人で同65%と9年連続で減少した。「専門性の高い人材が求められる一方、非正規雇用が増えて就業形態の多様化が進んでいる」としている。
(09/10 14:11)

この厚生労働省の発表ではフリーターが217万人となっている。去年の内閣府の「国民生活白書」では417万人とされていた。「フリーター」という言葉の曖昧さのために、両者の定義が全然ちがうので数が2倍近くちがっている(例えば、厚生労働省の「労働白書」では男性については5年以上の就業継続者をフリーターから除いているなど)。こうした定義の問題については、日本労働研究雑誌No.525(2004年4月号)小杉礼子「フリーター」とは誰なのか に詳しいが、ともかくフリーターと(ひきこもりを含む)ニートが日本でどんどん増えていることだけは確かなのだろう。
ぼくは2000年ごろから「フリーターは多業種の日雇労働者である」「したがって、フリーターの一部は野宿生活化する」と思うようになった。それについて、「2001年2月7日 フリーターは野宿生活化する?」と「フリーターに未来はない?」という2つの文章を作った。
しかしいま、「フリーターに未来はない?」をボツにして別の形で書き直している。一つには考え直す点があったからだが、その一つは「ニート」だった。つまり、今まで「(不安定就労によって)仕事がなくなったことによる失業→野宿」として日雇労働者・フリーターの問題を考えていたが、「心理的に働けないことによる無職→野宿」というパターンが今後は現実化していくのではないかと思うようになってきた。
少なくとも、いまや「仕事がないための失業」(主に日雇労働者と中小企業・自営業者の破綻による)と「心理的に働けないための無業」が同時進行している。その同時進行は、現代日本における「貧困のための飢餓」と「心理的に食べられない拒食」の同時進行を連想させもする。この「失業」と「無業」の関係は何なのだろうか。
もう一つ考えているのは、「女性労働」の問題だ。フリーターの半数以上が女性である以上、ジェンダーの問題を抜きにすることはできない。実際、女性フリーターの問題は男性フリーターの問題とまったく別であるかのように思われるほどだ。例えば、「国家のため」「会社のため」「家族のため」という働くインセンティヴが消滅したことがフリーター激増の一因になったとぼくは考えてきたが、これは女性フリーターにはあまりあてはまらない。
「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をやっている」と書いたことがあるが、これは「女性パート労働と日雇労働者が…」と言うべきだったのかもしれない。企業社会から見た周辺労働者という意味で、両者は似た位置にあったからだ。
「ニート」と「女性労働」の問題を考えているうち、その中核に日本的「企業社会」の問題があるのではないかと思うようになってきた。それで、「ニート」「ひきこもり」「女性労働」「企業社会」に関する文献を読み続けている。企業社会と国家行政と近代家族の絡み合いという事態が本質にあるのではと予想している今日この頃である。

ところで、フリーター問題やニート問題については多くの人が発言しているが、野宿者問題の現場からこうした領域について言及する人は比較的少ないかもしれない。
そんな中、寿支援者交流会の主催による学習会、「引きこもりと野宿生活者」(10月9日)の告知を「寄せ場メール」で知った。
「引きこもりの人は親が死んだら自分はどうなるんだろうという恐怖を常に持っているといいます。野宿生活者も親からのフォーローアップがあれば、野宿する事のなかった人もいます。野宿と非野宿の分水嶺に、本人の資質とは全く関係ない、親の経済力が働いている部分があるようです。
実際に引きこもりの経験者の話しなどを聞きながら、この点を考えていきたいと思います。」
とある。とてもおもしろい企画なので行きたいけど、寿は遠いな! 
また、サイト「東京ホームレス」 (村上知奈美)では、昨日付の日記で、上に触れた厚生労働省の発表を毎日新聞から引用して、「現在、ホームレス状態にある人は、「失業」をきっかけとするパターンが最も多いと思われます。「ニート」の増加により、将来のホームレスに新たな層が生まれ、ホームレス人口はますます増えていきそうです。」とコメントがある。ちなみにこのサイトでは、作成者が野宿者に直接インタビューした記事が幾つか載せられていて、それぞれ興味深いものになっている。


■2004/9/6■ 近頃いただくメールを公開


ずっと毎日平均2通ほどのウイルスメールをもらっているけど、最近は別パターンのメールが来るようになった。固有名詞やアドレスリンクなどは伏せて、以下にコピーします。みなさんのところにも届いてませんか?

(1)もう締め切りましたか?

はじめまして。○○オブジョイトイと言います。
セックスフレンドを募集されていましたが、
もう締め切りましたか?まだでしたら、
ぜひなってみたいと思っているのです。
近い処に住んでる人ですし、とても気になったので。
簡単なプロフを、自己紹介をします。
名前は○○ですが、
友達からはオブジョイトイと呼ばれています。
しゃべり方や文章が日本人じゃないなんて
言われて、そういうあだ名になったのです。
ですが、日本人です。
あと、顔とかしぐさが、エロいらしいってのもあるの
です。
自分でも、オブジョイトイと名乗るようにしています。
歳は21歳です。今までの男性経験は、14人です。
オブジョイトイ、セックスが好きで、趣味です。
趣味は趣味と割り切ってるので、風俗で働こうという
気持ちはありません。いまは空間デザイナーの見習い
をしています。
それからオブジョイトイ、ちょっとMッ気があります

ここまでで、もし希望するセックスフレンドじゃないと
感じたら、そのまま無視してください。
お返事いただけたら、もっと具体的なことを
決めていきたいです。私の画像も送ります。
いきなり送ると、ウイルスかと思われそうなので。
オブジョイトイでした。

(2)どもどもです♪○田と申します☆

はじめまして☆○田と申します。えーとですね、
以前メル友募集してましたよね??その書き込みに
とても興味を持っててアドレスを控えてたんです。
ちょっと前の書き込みでしたけど。
ぜひぜひ仲良くなりたいと思ってるんです☆
自己紹介を致しますね☆
○田○美、22歳でフリーターをしております♪
趣味は旅行以外では読書で、好きな作家は筒井康隆さんです。
スリーサイズはまだ言わないほうがいいかな(笑)?
そんなワケでして、○田、お返事待っております!
趣味や、どこに住んでるのか教えて欲しいです☆
あ、あと何て呼んだらいいでしょうか?○田のことは、
○田と呼んでください☆
(↑このメール、野宿者ネットワークのアドレスあてで来てた)

なかなかおもしろいメールで楽しめました。
でも、全体にひねりがないです。人物造形がもう少しひねってあったらもっと楽しいのに。(2)のメールで、「好きな作家は筒井康隆」ってところ、「好きな作家はジェーン・オースティンとヴァージニア・ウルフです」とか「作曲家のジェズアルドにもう夢中です!」とか書いてあったらいいんじゃないかと思いました。


■2004/8/29■ 「シスター・キャリー」「誰も知らない」


腰痛で寝込みながら、DVDで何度も「ロード・オブ・ザ・リング」3部作(合計約11時間)を見る。
原作を読んだ人は多くがそう思うだろうが、この映画は短かすぎる。「この2倍ぐらいの時間でやってくれたらいいのに」と見ながら思うが、それぐらい見事なダイジェスト構成と映像化だ。監督ピーター・ジャクソンでは、ヴェネチア映画祭銀獅子賞の「乙女の祈り」(94)を公開時に見た。これもおもしろい作品だったが、「ロード・オブ・ザ・リング」は本当に「撮ってくれてありがとう」という作品だ。ぼくは特にローハンのエオウィンのミナス・ティリス戦での活躍がお気に入りです。

ドライサーの「シスター・キャリー」(1900)は、「アメリカ文学のなかでもっとも重要な小説作品の一つ」「アメリカ最高のリアリズム小説」、あるいは「ドライサーは今日に至るまでアメリカ最大の小説家」(フレドリック・ジェイムソン)などムチャクチャに評価が高いが、最近はじめて読んだ(文庫で900ページを超える)。
あらすじは、田舎からシカゴに出てきた貧しい娘が工場つとめを始めるが、やがて小金持ち男の愛人になってちょっと優雅な暮らしをするようになる。さらに別の男と一緒にニューヨークに行き、男は失業してホームレスになるが、主人公は女優として成功し、相当の有名人になる、というもの。
今では絶滅してしまったような話者による説明文など(「仕事をさがして歩き回るキャリーのあとについていく前に、彼女の未来が広がるはずである舞台を見ておきたい。1889年のシカゴは、前代未聞の成長を遂げている真っ最中で(…)」のような)、現在の小説ではお目にかかれないテクニックがいっぱい出てくるのはリアリズム小説では珍しくないが、しかしこの小説ほど文体の一様性が「壊れている」ものは珍しい。「ドライサーの文体ほど悪名の高いものはなかった。常套句にみちた論壇調の堅苦しい文体と感傷的な詠嘆調が交錯したり(…)、文体の統一や均整は見られない。醜悪な悪文の典型例としてあげられたことも少なくない」。原稿には新聞の切り抜きがそのまま貼り付けられていたり、「手紙文とか、広告文とか、評論文とか、社会史的な記述とか、哲学思想的な議論とか、異質な形式の文章が無頓着に並列されている」(訳者解説)。
そして、この小説の大きなテーマの一つは明らかに「貧乏」である。キャリーがシカゴで求職活動し、工場労働をするシーンから身につまされるような「リアリズム」で描かれるが、こうした志向は物語の後半、主人公の一人ハーストウッドが失業し、鉄道のスト破りで電車を運転したり、野宿者となってボランティアの世話になったりする場面で全面的に発揮されている。実際、読んでいて驚くことの一つは、この時期(1890年代)のニューヨークのホームレス問題の有様が「見てきたように」異様に丁寧に描き込まれていることだ。ホームレスのために市民からドヤの宿泊代のカンパを集める宗教的ボランティアのセリフなどが一つ一つ書き込まれているが、小説なのになんでこんなとこまで描くのかと不思議でさえある。(実際、この小説は大学の社会福祉学部で教材として使われたりしている)。また、スト破りへの労働者の抗議の様子は作者自身がレポートした新聞記事をそのまんま使っているとか、どうも通常の小説の枠を超えている。しかも、それらは「社会的な現実をリアリズムで描いた」というパターンではなく、「異質な形式の文章が無頓着に並列され」「文体の統一や均整は見られない」形で行なわれている。読んだ印象は、小説と現実との衝突したきしみが作者の手を借りて現実化したとでもいうような、奇妙な圧倒感である。
ところで、こういう小説は現在の日本で書かれているのだろうか。少なくとも「貧乏」に関してこのような「軋み」を伝えるような小説は浮かんでこない。最近読んだものを思い出すと、吉田修一の「パレード」、佐藤友哉の「フリッカー式」、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」と、みんな自分より年下の作家だったりするが、それらの作家には「貧困」はあるだろうか。一つ思いつくのは、吉田修一の「パレード」だ。これは5人くらいの男女がルームシェアしているという設定の小説で、登場人物たちがお互いに深くかかわっているようなないような関係を作っているのが読んでて楽しい(さらに、ラストにとんでもない「悪」の存在があったりする。出色の小説だと思う)。しかしそういう内容とはまた別に、「同棲」でもないし昔風の「青春群像」でもなく「ルームシェア」しているという設定は、もしかしたら若年層の構造的「貧困」に関わっているのかもしれない。実際、若年労働問題ではワークシェアリングが一つの鍵になると思うが、生活に関してはルームシェアが貧困の一つの解決方法になるかもしれない。少なくとも、親にいわゆる「パラサイト」しているより、ずっといろんな意味で可能性がありそうではないか。
ただ、最近の作品の中で「貧困」に最も関わったと思ったものは、当然ながら映画「誰も知らない」だった。バブル期に東京で起きた実話に基づくこの映画は、親に放置された4人きょうだいが、やがてお金がなくなり、電気や水がとまったので、公園で体を洗い洗濯し、コンビニで残り物を親切な店員からもらうなどの様子を描き続けている。見ていて思ったが、これは部屋(アパート)が一応あるだけの極限の「貧困」問題だ。家賃が尽きたら、きょうだいは野宿になっていただろうが、寝る場所がある以外、やってることはわれわれが知ってる普通の野宿者とまったく変わらない。
これは、野宿をもたらす3つの要因「行政の失敗」「市場の失敗」「家庭の失敗(変容)」のうち、「家庭の失敗」にあてはまる例である。それがバブル期にさえ起こったということは、なんと言っても「社会的弱者」としてのこどもの存在を考えさせられる。ホームレス・チルドレンは、アメリカで100万人以上、中国でも15万人を超えるとされているが、日本でもいずれ似たような事態が起こるかもしれない。その意味で、この映画は「特異なお話」ではなく、「予見的」なものとなる可能性さえある。ただ、映画を見て感じるのは、こどもたちの視点からとらえられるみずみずしい風景であり、きょうだいの生活であり、極限的な生活から描かれるこどもたちのギリギリの美しさである。一種の絶望(貧困)とみずみずしさとが同居したこのような作品は最近では見た憶えがない。


■2004/8/21■ スーダン・イスラエル・パレスチナ・沖縄

おとといの仕事でゴミを大量に入れた箱を移動中、変なひねり方をしたらしく、それから腰痛が収まらない。用事がない限り、湿布を貼ってひたすら寝て過ごしている今日この頃です。仕事柄というか数年に一度は腰痛で寝込むけど、今回はまだマシ。しかし、これから数日は寝て過ごすことになるのか?

世の中はオリンピックと高校野球とプロ野球の一リーグ問題でスポーツ一色になっているけど、いつものように「homeless」でニュースを検索すると、日本ではあまり報道されない情報がいろいろ出ているのに気づく。
一つは、スーダンについてUN raises toll to 1.2 million homeless in Darfurという記事が出ている。ダルフール紛争はスーダン西部のダルフール地方で今も進行している民族紛争で、スーダン政府に支援されたアラブ系民族による民兵と、地域の黒人住民との間に起きている(多くの被害者は後者)。そのすさまじさのため、「現在世界で最も非人道的な地域の一つ」と言われている。この紛争については、アムネスティインターナショナルからスーダン襲撃され、家を失い、避難民となった人びと、あるいは国境なき医師団のホームページでの報告がある。これらの報告を読む限り、「現在世界で最も非人道的な地域の一つ」という表現は当たっているのではないかと思ってしまう。不思議なのは、日本の新聞やテレビではこの紛争についてのニュースをほとんど見かけないことだ。イラクについては、日本が積極的に関与していることもあって非常に多量の報道がされているが、一方、スーダンのダルフール紛争についてはほとんど誰も知らない。ぼくも、「homeless」で検索しなければ気づかなかったかもしれない。
また、イスラエルのホームレス問題の記事が出ているのを初めて見た。Israel’s homeless coping with street life それによれば、イスラエルでは推定で約1万人がホームレスであり、その多くがテル・アビブとエルサレムにいて、しかも若者が多いのだという。この記事では、18歳でホームレスになった少女と51歳の男性のケースが報告されている。少女の言う言葉は、「私は家を出たあと、何度も自殺を考えた。そして、家族がわたしのことを望まないのなら、なぜ私は生まれてきたのかと自問した」というものだ。彼女はシェルターで生活しながら、ウェイトレスとして働いてファッションデザイナーの見習いをしている。もうすぐ兵役に就くことになるという。
一方、パレスチナについてはHomeless deal new blow to Arafatという記事が出ている。イスラエル軍(上の18歳の少女が就くことになる)によって住居を破壊されたパレスチナ人が、武装グループとともにガザ地区の庁舎を占拠し、パレスチナ指導部の無策を非難している。このように、「homrless」という切り口から、世界の対立し紛争する様々な地域の姿が浮かび上がる。
日本で最も気にかかるニュースの一つは、沖縄の米軍ヘリの沖縄国際大学墜落事故だ。これについては当然ながら沖縄タイムスが詳しい。いま改憲論議が続いている。よく言われるように、憲法第9条と(その75%が沖縄に集中する)在日米軍基地はセットで誕生した。少なくとも沖縄の米軍基地の撤去がない限り、9条についての改憲は全く考えられないと思う。


■2004/7/14■ 「ホームレス・サッカーW杯」に特別清掃の労働者が!

ぼくが働いている55歳以上の野宿者のための事業、特別清掃に来ている川原田さんが、「ホームレス・サッカー・ワールドカップ」に参加し、スウェーデンに行くことになった(下の記事にもあるように、ビッグイシューの関係)。いやー、なんか驚きました。
話は前から聞いていたけど、今朝のスポーツニッポンに下の記事が載っていた。そのまんまここに引用。
http://www.sponichi.com/soci/200407/14/soci162422.html
記事にあるように、スポンサーが数社ついているものの、資金がまだ足りないので各所でカンパを募っている(ぼくもしました)。関心のある方はどんどんカンパすることをお勧めします。

サッカー”ホームレスJAPAN”W杯で大暴れだ!

W杯での健闘を誓う鳥谷展千さん(左)と川原田康晴さん
◆ ”本家”より一足早く出場決定 ◆

 「中田さん、一足先にW杯に出場しますね」―。サッカーを通じてホームレス問題を世界に知らせるために開催される「ホームレス・サッカーW杯」の第2回大会(7月25日―8月1日、スウェーデン・イエーテボリ)に日本が初参加することになった。メンバーは大阪や東京でホームレスの人だけが販売できる雑誌「ビッグイシュー日本版」を売って生計を立てている30歳代から64歳までの8人。ほとんどサッカー経験がないものの、目標の3位を目指し練習に励んでいる。


◆ 25日からスウェーデンで開催 ◆

 「は〜い、じゃあパス練習」「次はシュートを打ちましょう」。大阪市内のフットサル練習場に若いスタッフの声が響く。その声にうなずいてボールを追いかけるのは、鳥谷展千(のぶゆき)さん(62)と川原田康晴さん(58)。肩で息をしながらも、顔には笑みが浮かぶ。

 2人は昨年から「ビッグイシュー日本版」を大阪市内で売っている販売員で、今年初参加するW杯の出場選手でもある。

◆ 32カ国が参加…競技通じて「失業問題」アピール ◆

 ホームレス・サッカーW杯はストリートペーパーの販売を通じてホームレスの自立を支援する団体「INSP」(本部・スコットランド)が昨年7月、第1回大会をオーストリアで開催。18カ国が参加して地元オーストリアが優勝し、計109試合で2万人の観客を集めた。

 第1回大会でホームレス問題を世界的にアピールできたことから第2回大会も決定。その開催を前に、INSPからビッグイシュー日本に参加要請があり、スタッフが販売員に声をかけ参加者を募集。東京から5人、大阪から3人の男性が希望し、アジアで初めて参加することになった。今大会の参加国は32カ国に増え、昨年以上に世界中で注目を集めるのは確実だ。

◆ 「目標3位」目指して練習にも熱 ◆

 ルールは1チーム4人(交代選手4人)で戦い、試合時間は前後半7分ハーフの、いわゆる「4対4のストリートサッカー」。鳥谷さんの目標は「外国に行って、外国人とサッカーができるのが楽しみ。最下位にならなければいいな」と控えめだが、今回が初めての海外旅行となる川原田さんは「参加が決まって仕事にも熱が入るようになった。目標?3位に入りたいな」と意気込み十分だ。

 同行するスタッフの堤康範さん(26)は「彼らが楽しむのを見たいです。こんなに大がかりではなくても、定期的にできればいいのですが」と今後につながることを希望している。

 メンバーは近日中にも上京して都内で2回、練習を積んだあと、19日から21日までの3日間に分かれて現地へ出発する予定。


◆ 資金不足でカンパ募集中 ◆

 初参加する日本チームにはスポンサーが数社ついているものの、パスポート取得費用、洋服代、練習場賃貸料などもかかり資金不足状態。現在、ホームページなどでカンパを募っているが「まだ予算の2、3割しか集まっていない」(ビッグイシュー日本)といい、同誌でカンパを募っている。詳細はホームページ http://www.bigissuejapan.com/、または=電話=06(6344)2260。



もう一つ、別の話題だが、新聞記事から引用。

高崎のホームレス宿泊所、NPOが計画撤回へ 「住民の合意得られず」 /群馬


 高崎市倉賀野町のアパートをホームレスら生計困難者の宿泊施設にする計画をめぐり、事業主のNPO法人「ティ・エム介護サービス」が事業計画を撤回する方針であることが分かった。同法人の小河原秀也副理事長は「地域住民の反対が多く、合意が得られないため」と理由を述べ、10日の幹部会で正式に決める見通し。アパートは、持ち主の寝具レンタル会社が取り壊し、今秋にも宅地分譲するという。
 宿泊所は、生計困難者を受け入れ、自立支援や就労に向けて職のあっ旋をする目的で、鉄骨4階建てアパート2棟(48室)の部屋を分割して92人を収容する計画だった。
 しかし、近隣住民約300人が参加した今年2月の地元説明会で「通学路の治安は大丈夫か」「生活環境が破壊される」などの反対意見が続出。地元区長らを代表とする「高崎ホームレス宿泊所対策協議会」が設立された。以後、反対の立て看板設置や1万人を超える署名を県に提出する一方、県や市を交えた4者会談を重ねてきた。
 協議会の和田浜次郎会長は「本当に良かった。地域住民が心配していたが、これで胸をなでおろせる」と話している。【深谷徹夫】(毎日新聞)

TITLE:Yahoo!ニュース - 群馬 - 毎日新聞
URL:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040708-00000006-mai-l10

こういう住民の反対運動は、最近のパターンになっている。まあ、「ティ・エム介護サービス」がどういう団体か知らないが、「通学路の治安は大丈夫か」「生活環境が破壊される」って、そりゃないでしょう。「自立支援や就労に向けて職のあっ旋」なしに、野宿者問題にどういう解決をするつもりなんでしょうか。


■2004/7/2■ ドキュメンタリー映画「あしがらさん」大阪上映

この間、新宿の野宿者を数年間追い続けたドキュメンタリー映画、「あしがらさん」大阪上映にあたっての試写会があり行ってきた。
制作した飯田基晴さんとはちょっとした知り合いで、編集中の「あしがらさん」をビデオで見せてもらったりしていた。
野宿者の中でもかなりしんどい状態のひとが、撮影する飯田さんや周囲の人達とのつながりの中で、いろんな表情や意外な面を見せていく。単なる告発調の作品にとどまることなく、撮影者とあしがらさんとのやりとりの中で、思わず爆笑するようなユーモアや軽みが描かれてるのがひときわ素晴らしい。現場で野宿者に関わっていると、いつのまにかわれわれの前から消えていって二度と会えなくなったり病気であっさり亡くなったりと悲しい事が多いが、この映画では幾つかの幸運が重なってラストの素晴らしく明るい笑顔につながっていく。そのことを祝福し、こうした映画を見られたことを喜ばずにはいられなくなる。
現場の人間としては、映画に出てくる「おもかげ舎」のような、支援者が経営・生活援助する形で、野宿経験者どうしが一つ屋根の下で暮らすというグループホームの存在が有り難いなと思った。釜ヶ崎ではこういうのはまずないので、病院退院後はいろいろと不自由な施設か、生活保護でひとりぼっちのアパート暮らしかになってしまうのだ。
試写会には30人ぐらい来ていて、釜ヶ崎からも知り合いが何人か来ていた。挨拶をした飯田さんの誠実な人柄が好評で、知り合いの50代の女性2人組は「誠実な感じよねー」と言い合っていた。ぼくが「釜ヶ崎にはいないタイプですか」と言うと、「そうそう!」「生田くんもちょっとちがうしねー」などと言っていた…
翌日は、飯田さんと会って、釜ヶ崎の中を案内したりする。次は、できれば女性野宿者を追った作品を作ってみたいということで、それはぜひ見てみたいと思った。

以下のお知らせは、飯田さんから送ってもらったもの。行ける人は見にいかれよ。

路上発 希望のドキュメンタリー映画 「あしがらさん」
いよいよ大阪 第七藝術劇場にて公開!


7/31(土)〜8/20(金)朝11時よりモーニング上映
8/14(土)〜8/20(金)夜7時よりイブニング上映

<作品紹介>
だれもが一度は見かけたことのある路上で生活しているひとたち。
でも、立ち止まって気にかけるひとは少ないでしょう。
この映画はそんな“あしがらさん”をひとりの若者が
3年間見つめ続けて生まれた物語です。
20年以上も路上で暮らした男性が、監督との間に生まれた
信頼を通じ人とのつながりを取り戻してゆくさまは、まるで奇跡!

(2002年/日本/73分/ビデオ) 監督:飯田基晴  音楽:梅津和時 他
公式HP : http://www5f.biglobe.ne.jp/~ashigara/

<寄せられた感想>
・圧巻だった。撮る側と撮られる側、両者間に一貫して流れる愛と信頼を感じた。
北村年子(ルポライター)
・優しさを放射しながら、「あしがらさん」はドキュメンタリーの毒もたっぷりと堪能させてくれた。森達也(映画監督)

・極限の状況にありながらなお生きようとする…明日を信じ続ける。そんな生き方が伝わってきたみたいです。(20代 男性)
・自分のおじいちゃんのことを考えたり、野宿者の人の見方がかわりそう。(10代女性)
・共に生きるってすごい事だと思いました。涙が出ました。(50代 女性)
・あしがらさんの一言一言に味を感じ、笑ったり…。こんな風に笑ったの久しぶりだなぁ、なんてことに気づきました。(30代 女性)

前売り券(一般)1,300円  チケットぴあ、劇場窓口にて
当日券 一般1,500円 大学生1,300円 高以下・シニア1,000円

 第七藝術劇場 (06-6302-2073 )
大阪市淀川区十三本町1-7-27サンポートシティ6F
阪急・十三駅西口より徒歩3分
[URL] http://www.nanagei.com/


■2004/6/25■ 「ホームレスと住まいの権利」(ドメス出版)

うっかりして、この「近況」の去年12月から今年3月までの分をばっさり削除してしまった…(T_T)
誰か、部分的でもコピーかプリントしてる人がいたら、どうかぼくのところに送ってくださいませ。<(_ _)>
(追記・思いついて、グーグルのキャッシュを当たりをつけて捜してみたら、うまい具合に見つかった!いやあ、グーグルは凄いわ。)

以前、原稿を頼まれた「ホームレスの住まいの権利」(住宅白書2004―2005)、3200円也が昨日届いた。ぼくか書いたのは「学校における『ホームレス』の学習」という3ページ分。
全体で360ページで、目次をみると、
「ホームレスの人々の実態」(家のない人々、施設および病院で居住する人々、不安定居住の危機にある人々)
「住宅を失う要因とホームレス」(経済的要因、家族構造・家族関係の崩壊、心身の状態、政治的要因、災害被害者)
「ホームレス問題と居住保証の課題」(ホームレス対策の枠組み、民間組織による居住支援、欠陥住宅の居住支援、ホームレス問題と情報・教育、居住喪失の防止策、海外の住宅事情・住宅運動・ホームレス問題」)
などが並んでいる。
いろんな執筆者がいるが、中に「首都圏青年ユニオン」という項目があって、そこの委員長が執筆しているのが目を引いた。一部引用すると、
「(…)活動を4年も続けているうちに、フリーターからの脱出(=正規化)の運動だけでなく、フリーターでも最低限の生活ができる社会をどのように構築していくか、という問題が生じてくる。若年労働者にとっては、直接賃金だけでは住居費も確保できる十分な生計費を保証することができない。正規労働者であってもそのことが指摘されているのであるから、非正規雇用労働者にとっては事態はより深刻である。例えば、フリーター同士のカップルが子どもを産んでも、預けられる保育所はおそらくないだろう。フリーターは共働きしてやっと世帯収入350万を実現できるかどうかという水準である。出産後働き続けることができなければ、ただちに生活は破綻する。ところが、アルバイトということになれば0歳児保育の対象には現実的にはなれない。あるいは、公的住宅についても、都営住宅は若年労働者向けの住宅を用意していないし、あるいは神奈川県の県営住宅の入居要件には、正規雇用から得た収入があることとなっている。これでは、若年非正規雇用労働者にとって、生活に必要な社会保障を得られないということになってしまう。(…)」

「ホームレスと住まいの権利」というタイトルでフリーターの労働組合からの参加を求めるという点でも、この本の視野の広さはうかがえる。360ページとなると全部読むのは大変だが、役に立つ本であるようだ。


■2004/6/19■  they will become vigilantes ... and view this as a civic good when it's really a crime.

6月18日付けで、アメリカのテキサスとニューヨークで若者によるホームレス襲撃事件が伝えられている。
アメリカの野宿者襲撃(Hate Crimes/Violence Committed Against People Experiencing Homelessness)は、このリンク先を見ればわかるように日本とは文字通りにケタが違うが、この18日のニュースについては上のコメントが印象に残る。
ニューヨークの事件は、2人の15歳の少年が、廃車で寝ていた51歳のホームレス男性を引きずり出し、石とレンガ、金属製のゴミ箱で殴りつけ、逃げる男性を追いかけて殴り続けて教会の前で殺してしまった、というもの。強盗目的だったというが、情景を考えてみると、「そこまでやるのか」という恐怖がある。
テキサスの事件は、21歳のホームレス男性が火をつけられ、彼が腕をふりまわし走り回って火を消そうとする姿が監視カメラに記録されていた。犯人は8人の若者だとされているが、まだ逮捕されていない。被害者は「第3度」の火傷で入院中。
この事件について、当該地区の牧師がコメントしている。「この事件の被害者は、この24時間中で、ホームレスの人たちを狙った犯行の少なくとも3番目のターゲットだった。被害者の一人は道路を引きずられ、他の人はベルトのバックルで殴られていた。両方とも若者グループによるものだ」。
「われわれは、これがあるパターンの始まりではなかったかと考えている。私の直感では、vigilante に時々なろうとする人たちがいる。そして、本当は罪なのに、その行ないを市民的な善行と見なしている。」
vigilanteって何だと思って辞書をひいてみたら、「自警団員」「自分を正義とみなす人」「私的制裁を加える人」とあった。「自警団員」と「自分を正義とみなす人」が同じ単語で表現されるとは知らなかった。
日本でも最近増えている自警団組織については判断が難しいところがある。ゲーテッド・コミュニティの研究書 Blakely&Synder「FORTRESS AMERICA」では、結論として、ゲーテッド・コミュニティは誤った対応策であって、それよりはむしろ自警団を組織した方がよい(他にもこれこれの方法を検討をした方がよい)、となっていた。確かに、ゲーテッド・コミュニティよりは自警団の方が無限にマシであるように見える。しかし、それが「自分を正義とみなす人」になって、例えば「働きもしないで公道を占拠するホームレスの存在は悪である」などと考え出したら、とんでもないことになる。上の当該地区の牧師のコメントは、そこら辺を示唆しているようにも見える。
デリダがどこかでこんな風に言っていたが、「何が正義のあるかを、自分で決定することはできない」。つまり、何が正義であるかは、他者との関係や偶然性を抜きに語ることができない(という意味だろう)。「自分を正義とみなす人」というのは、その意味でナンセンスな存在と言える。
それにしても、監視カメラがあっても、野宿者は放火されるし犯人も捕まらないわけだなあ…


■2004/6/13■ メールのやりとり

ともだち(のHPはこちら)からメールが来て、用事と一緒にここで6月5日に書いた箇所についてコメントがありました。以下はそのやりとり(その箇所についてのみ)

▼(6月5日)
(…)一番最近の生田さんの日記を読んで、「果てのない苦しみ」はあっても「果てのない喜び」はないのか?というの話がとても趣き深く感じました。
喜びは、時空間を越えるような形で存在しているから、「果てのない喜び」というのは、形容矛盾のようになるのではないか、と。
 苦しみってヴェイユの「不幸」じゃないけれど、やはり身体をともなった、時空間があるからこそ発生するものなのではないか、と思います。
イメージ的にいっても苦しみというのは、すごく遠くにあるものが得られなかったり、自分が果てしなく下のほうに行ったり、はたまた、後悔だとか、絶望だとか、なんとなく時空間が関連するような気がします。
それに対して、「喜び」は、それこそ陳腐な言い回しだけれど「一瞬が永遠」になるようなもののような気がします。
ニーチェの永劫回帰は、まさに「永劫回帰」という言い方そのものによって、苦しみの持つ、三次元的かつ直線的な時空間から距離を置こうとしているわけだろうし。
変な話ですが、友情や恋愛における喜びでその実際の相手との友情や恋愛は終わっていたとしても、そのときに感じていた喜びは、厳然として今も喜びに感じる、なんて思えるときに、「一瞬にして永遠」ということをわたしはふと感じたりします。(…)

▼(6月7日)生田
(…)確かに「苦しみ」は時空間にあるもので「喜び」はそれを超えているかもしれませんが、そうであるにしても、「苦しみ」が無限で「喜び」が有限、というのはぼくの実感です。
カフカがともだちのブロートに「われわれは神の不機嫌の産物みたいなものだ。絶望というほどのものではなくて、神にとっては、なんかちょっと気がふさぐな、というもの程度のものなのだ」と言って、ブロートが「では、救いはないということか」と聞くと、「神にとっては、もちろん救いはある。しかしわれわれにはないんだ」と言って笑った、という話がありました。
カフカの発想は「なんかヘン」と思いますが、しかし現実を言い当てているのは他の人よりもカフカではないかと思います。奇妙なのは、「人間には永遠への道が開けている」「人間の存在は基本的に祝福されている」みたいなセリフよりも、カフカの言ってることの方にある種の「救い」を感じる、ということです。
かつて(「c.s.l.g」や「シモーヌ・ヴェイユのために」で)書いたように、「捜す者は見いだす」(人間には永遠への道が開いている、という肯定的神学)→「捜すものは見いださない」(否定神学)→「捜さない者は見いだされる」(カフカの断片。トポロジカルなねじれ)をぼくはよく考えますが、その意味では、われわれが捜す「喜び」は存在しませんが、われわれが「喜び」によって見いだされることはあるのかもしれません。ただし、見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれませんが。(…)

▼(6月10日)生田
前回メールを出したあと気づきましたが、
「われわれが捜す「喜び」は存在しませんが、われわれが「喜び」によって見いだされることはあるのかもしれません。ただし、見いだされてもわれわれには、それとわからないのかもしれませんが」
というのは、キリスト教で「イエスはあなたの横におられるかもしれない。すぐ横にいるその人かもしれない。しかし、あなたはそれに気づかないでいるかもしれない」という話(ヨハネ福音書だったか?)と同じかもしれません。
「カラマーゾフの兄弟」の挿話の中で、イエスは突然中世のスペインの町中に現われると、民衆は意義深いことに「ただちにイエスと気づいた」とされています。
だとすれば、同様に「だれもイエスと気づかない」場合もあるのでしょう。そして、それもまた意義深いことではないでしょうか。

ついでながら、「人間には永遠への道が開けている」「人間の存在は基本的に祝福されている」みたいなセリフを聞くと、ぼくは違和感を感じるんですが、それって多分、鬱病の人が楽しい音楽聞かされたり「人生は素晴らしいよ」とかいって励まされるのと似ているんだと思います。(…)

▼(6月11日)
(…)「(無限の)喜び」とキリストが見知らぬひととして現れるという話ですが、復活したキリストはしばしば「見知らぬ人」として現れます。ルカではエマオへの旅人として弟子たちにあらわれ、ヨハネ福音書では、マグダラのマリアに園丁の姿をとって現れます。
しかもイエスだと彼らがわかった瞬間、旅人であるイエスは消え去り、園丁は「noli me tangere」という。どうもわたしが喜びがわかる、喜びに触れられるというときにイメージするのはこのようなイメージです。その出会いは継続できず、所有もできず、一瞬でありながら永遠と表現するにふさわしい場面ではなかろうか、と。
ヴェイユが不幸との接触において重視したのは、不幸を受け入れるさいには、キリストとの出会いによく似た事態がその受容のさいに生じると考えたからではないか、と。不幸は果てしがないが、それを受け入れ、神に出会うのは「ほんの一瞬」のできごとだと思います。(…)


■2004/6/5■ ロシアのホームレス・チルドレンは70万人だって…

6月1日付けのMOSNEWS.COMなどの記事によると、ロシアのホームレス・チルドレンの数は2002年末の時点で70万人程度と推定され、これは第2次大戦直後のソ連時代以来の数字であるという。ロシアでは孤児の数がめちゃくちゃに増え、そのうち40%がドラッグ依存、40%が犯罪集団、10%が自殺者となり、普通の人生を送るのは10%なんだそうだ。
「TIME europe」2003年2月8日の記事に、モスクワ市のホームレス問題の記事があって、それによると「モスクワ市では控えめに見て10万人がホームレスであり、去年の10月1日から今年の1月までに9330人が凍死した」(!)とあるのを読んで驚愕したことがある(この「近況」でも書いた)。とにかくロシアは壊滅的な状況のようだ。
この間書いたように、中国ではホームレスチルドレンは15万人以上だというし、西ヨーロッパ全域では離婚に起因する母子家庭のホームレス急増が深刻だという。韓国でも女性の野宿者が相当多いという話を釜ヶ崎から見学に行った人から聞くことがある。アメリカについては言うまでもない。そこから考えると、なぜ日本で野宿者が3〜4万程度ですみ、しかも女性とこどもの野宿がこれほど稀なのか、その方がむしろ不思議になってくる。多分、これから数十年のスパンで考えれば、特に女性とこどもの野宿はこれから日本でもかなり増えていくのかもしれない。愉快な予想ではないが、「日本だけはずっと別」と考えるべき理由は特にないからだ。

さて、6月2日で40歳になった。でもま、うれしくも悲しくもない。
では10年前の30歳になった時はというと、とにかくそれまでの20代が「ひたすら苦しいだけ」だったので、30代はいくらなんでもそれよりはマシだろうと思ってホッとした(実際、30代はそうだった)。20歳になったときは、10代が終わるのが悲しかったなあ。
しかし、ぼくにとっては10年じゃなくて7年区切りの方が重要だった。というのは、約7年周期でとんでもない苦しみ方をしたあげく、生き方や発想そのものがいわば「モデルチェンジ」するという経験を生まれてからずっと繰り返しているからだ。
今考えると、20代がキツかった原因の一つは、この周期が2回来た(年齢でいうと21頃と26〜7の頃)こともあったのだろう。それに対して、30代では34頃の一回ですんだので楽だったのかもしれない。この調子でいくと、この周期は今年か来年あたりに来る。さらに、計算上では40代の間にもう一回来る。その意味では、40代は苦しいのかもしれない。
いつ来るにしても、その度に文字通りに「果てのない苦しみ」、つまり生きるか死ぬかという思いを経験することになるが、そういう「果てのなさ」の経験は、ある意味では意義のあることなんだろう。「生と死の境界」というか「生の限界」を体で受けとめるみたいなところがあるからだ。ただ、ぼくにとって疑問の一つは、「果てのない苦しみ」はあってもなぜ「果てのない喜び」が存在しないのだろうか、ということだ(例えばニーチェを読んでひたすら羨望するのは、一つはこの点である)。



「近況5」(2003年12月〜2004年5月)
「近況4」(2003年6月〜2003年11月)
「近況3」(2002年11月〜2003年5月)
「近況2」(2001年5月〜2002年10月)
「近況」(2001年11月〜2002年5月)

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