野宿者襲撃論
(後篇―T)



T・野宿者襲撃の性質は変化しつつあるのか?


 野宿者襲撃の性質は、近年、幾つかの面で変化を見せているように思われる。それを示す事例の一つは、ガソリン類を使った野宿者への放火襲撃である。
 野宿者への放火襲撃は、大阪市で2001年7月に3件連続して起こった。その経過を下に示す。これはぼく自身が関わった事例である。

2001年7月19日前後
 浪速区日本橋の路上で野宿者への放火襲撃。
「明け方、空き缶集めを終わって寝ていたら、ズボンにガソリンをかけられ燃やされた。手で火を消すことが出来た。近くに中学生ぐらいの2人組がいて逃げていった。」
(放火された本人からの聞き取り)

7月19日
 午前4時20分、日本橋の路上で62才の野宿者に対する放火襲撃。救急隊により病院へ搬送される。
23日に野宿者ネットワークのメンバーが面会に行ってきた。以下、その報告。
「Kさんの話。アルミ缶を集めている。いつも(事件の)現場に寝るわけではないが、その日は疲れて、ダンボールをひいて寝た。午前3時ぐらいまで寝つかれなかった。仰向けに寝ていて、気づいたら股が火に包まれて燃えていた。(事件発生は、おそらく4時ごろ)。慌てて消そうとしたので他のことはわからない(なぜ燃え上がったのかわからない)。が、「ヒャハハハ」という高い笑い声が聞こえた。とにかく燃えているズボンとパンツを脱ぎ捨てた。(状況を聞く限り、このとっさの行為が上半身への引火を防いだと思われる)。現場でも、警察と話をしたように思うが、よく覚えていない。その後病院には警察は来ていない。
 担当医師によると(Kさんの同意を得て病状照会)、陰部、両下肢の火傷、全身の10%。大体2度の火傷だが、10%のうち2%(手のひら2枚分ほどの範囲)は3度、つまり重傷。部分的には、やけどが深いところがあるので、手術することになるだろう。現時点では2ヶ月ぐらいの入院か。」

7月29日
 日本橋で三たび野宿者への放火襲撃。
(以下、読売新聞30日付より引用)
「29日午前5時52分ごろ、大阪市浪速区日本橋5の路上で、ダンボールをしいて寝ていた野宿生活者の男性(62)が若い男に油のようなものをかけられ、火をつけられた。通りかかった焼き肉店の店員が119番通報。そばにいた別の野宿者とともに、布団で火は消し止めたが、男性は胸や腹にやけどを負い重症。若い男はそのまま逃げた。浪速署は殺人未遂事件で捜査。調べでは、男性は火をつけた男について当初、『約1.5メートルで、黒い服を着て髪がオールバックだった』といっていたが、その後「よく覚えていない」などと言い直し、はっきりしないという」。
 襲撃された野宿者は大阪市内の病院に入院。
 この29日の襲撃現場は、ぼくの夜回りの担当区域にあたっていた。31日、お見舞いに行ってきた。その報告。
「まだ救急病棟にいました。痛みがひどいなどの理由で、薬で意識を抑えられています。したがって本人から話を聞くことはしばらくできない状態です。最初見たとき、顔も含めて全身に火傷している状態なので驚きました。担当の医師によると、全身35%の火傷、18%は3度の火傷、救命できるかどうかというところ。数回は手術を行ない、退院は少なくても2〜3ヶ月以上かかるであろう、そして後遺症もそうとう残るであろう、ということです」。
 この日、お見舞いに行き、襲撃にあった野宿者の様子を見て、「犯人は完全に殺す気でやっている」ということが直ちにわかった。顔、胸部、腹部、下半身、すべてが焼けただれていたからだ。人間は皮膚の3分の1以上を火傷すると普通、死ぬ。これは、いたずらとかおふざけとか、そういうレベルでは全くなかった。
 現場近くで野宿している人たちに直接聞いたところ、朝6時頃、「ああー」というすごい声でびっくりして外へ出てみると、火のついた状態で襲撃された野宿者が走ってきた。あわててみんなで水をぶっかけたり布団でくるんだりして火を止めたという。この29日の現場については、放火襲撃の8時間ほど前の夜回りで、19日の放火襲撃についての情報と、「こういう襲撃があったから気をつけよう」という警戒を呼びかけるビラをまいたばかりだった。その直後にやられてしまったことになる。
 また、当時の夜回りでは、同場所付近でこの件に関連するらしい話を複数の野宿者から聞いていた。17日前後、明け方に10代ぐらいの若い2人組がやってきて、空き缶に油を入れ、花火を発火装置にして遊んでいる。そして、寝ている労働者のダンボールに向けて花火の火を向ける、など。
 その後、入院した2人の野宿者は1年以上の入院生活の末に退院し、生活保護をとってアパート生活を始めている。
 下半身を焼かれた人は、後遺症は残ったが日常生活に支障はなく、比較的元気に暮らしている。
 全身を焼かれた人は救命に成功し、その後、臀部の皮膚を全身に移植する手術を繰り返した。そして退院後は「障害1級」の認定を取得し、介護者の手を借りて生活する状態になった。入院中、何度もお見舞いに行ったが、重度の火傷とショックのために言葉が不自由になり、見舞いに行っても沈黙が続いた状態のことを思い出す。

 若者による野宿者襲撃の要因の一つとして、家庭や学校での心身のストレスを今まで指摘してきた。若者たちは、「殴る蹴る」の肉弾的暴行によって鬱積したストレスを発散し、その過激な暴力によって自分たちの存在を確認しているということである。そこでは、暴力それ自体にエネルギーがかけられている上、殺人に至ったとしても「結果的に殺してしまった」という様相が強い。つまり、それは「殺人」としてはきわめて効率が悪い行為なのだ。
 事実、死に至る襲撃をした少年の多くは「殺す気はなかった」「死ぬとは思わなかった」と「殺意」を否定する。われわれから見れば「それだけやったら死ぬに決まってるだろう」としか思えないが、しかしそれは少年たちの単なる言い逃れではないかもしれない。彼らの目的は「殺し」ではなく、「集団で殴る蹴る」ことそれ自体であるかのようだ。
 しかし、今回のような放火襲撃の場合、「ストレス発散としての集団的な暴行」として語ることができるかどうか、疑問がある。つまり、放火襲撃にはかなりの程度で殺意が込められている上、ガソリンをかけて火をつければそれで済む。それは、自分の手を汚さない上に、「殺し」「虐待」として簡単で非常に効率がよい。そして、襲撃者にとって証拠がほとんど残らないという利点がある。さらに、7月29日の襲撃は単独犯の可能性が高い。
 もちろん、正確なことは襲撃者を捕まえない限りわからない(犯人は、今に至るまで捕まっていない)。だが、近い将来、殺人・虐待を目的としたこのようなタイプの襲撃が多発的に始まるのではないかという危機感をわれわれは持たざるをえない。事実、アメリカなどではホームレスに対する襲撃の頻度と残虐さが日本のそれを大きく上回るが、その中でもガソリン類による放火や、銃撃、スタンガンなどによる襲撃がたびたび報告されている(注)。
「ストレスの解消としての襲撃」から「野宿者の焼却、存在の抹殺を目的とした襲撃」への重心移動が、日本でもやがて始まっていくのかもしれない。

(注)
放火襲撃は海外で度々報告されているが、その中から比較的詳しく報告された事例を一つ以下に引用。

オーストラリアのティーンエイジャーがホームレスの男性に火を放ち、それを自ら録画していた。(2004年7月21日付け)

 4人のティーンエイジャーが、オーストラリア・ヴィクトリアの公園で野宿していた男性に放火し、それを録画していた。
 アーサー・バロウズ(66)は去年11月、ミルドゥラの街の木の下で焼死しているのを発見された。
 メルボルン児童裁判所は、少年たちは家に帰った後、殺人の様子を撮影したビデオを見ていたとしている。
 警察が現場に到着したとき、木が勢いよく燃え、バロウズがマットレスにうつぶせになっているのを発見した。彼はカーペットやアームチェアのある移動式の小屋に住んでいた。
 3人の少年(16歳が二人、15歳が一人)が殺人の疑いで逮捕された。彼らは抗弁しなかった。4人目の18歳は、ヴィクトリア高等裁判所で裁判に立ち会った。
 一人の友人が昨日証言した。彼女はその夜、彼らの一人の家でビデオを見たという。他の証言者は、少年たちがこの件に関与したことを認めていたと証言した。一人は「ビデオテープを壊した」と言ったという。彼らは「地味で静か」な少年だったが、火事はただの事故で、彼らははそこを「ぶらぶらしていた」だけだと主張している。
 16歳の少年の一人は放火の後で手首を切り開こうとしていた、と証人は言った。
 当初の裁判所の聞き取りでは、事件はアメリカのビデオ、「バムファイト」に刺激されたという。このビデオは、ホームレスの人たちが(ギャラをもらって)殴り合う様子を撮影している。
 バロウズは、以前は炭鉱労働や鉄道の仕事をしていたが、障害を負い、松葉杖で歩く状態だった。
 警察は、4人はビデオカメラと盗んだケーキを詰めた箱を持ってバロウズの小屋に行ったとしている。彼らはバロウズに無理矢理ケーキを食べさせようとした。しかし彼は、毛布の下に隠れて寝たふりをした。放火の後、彼らは警察に事情を聞かれた場合に備えて、口裏合わせをしていた。
URL:http://www.nzherald.co.nz/storydisplay.cfm?storyID=3579533&thesection=news&thesubsection=world



 こうした「ストレスの解消としての襲撃」から「野宿者の存在抹殺を目的とした襲撃」への変容には、襲撃者の意識の変化が背景にあるのだろうか。
 一つ言えることは、前者の襲撃の場合には「ストレスの解消」のための手段として野宿者がいわば「たまたま」選ばれているのに対し、後者の場合には「野宿者の殺傷」を目的として対象が意識的に選ばれていることである。つまり、従来とは逆に、「ストレスの解消」という目的が二次的になり、憎悪、あるいは殺傷の対象として野宿者を完全に固定しているのである。
 「集団で殴る蹴る」ことから「殺し・虐待」への目的の変化は、一つには、長い年月にわたって野宿者の存在が常態化し、そこへ向けられる憎悪、差別が固定化してしまったことが作用しているのかもしれない。社会における差別が固定すれば、対象への直接的攻撃はたびたび現れる。そしてそれは多くの場合、「他者集団への攻撃による自己集団の優越の確認」という形を取る。それは、アメリカにおけるアフリカン・アメリカンやヨーロッパにおけるユダヤ人に関して見られる襲撃とある程度まで似ているだろう。
 事実、現代日本において、障害者だから、朝鮮・韓国人だから、女性だからという理由でガソリン類をかけて放火するなどという事件は聞いたことがない。つまり、野宿者に対しては、少年たちの意識は明らかに何かが違う。その意味では、野宿者襲撃は現代日本の差別事件の中でもおそらく特異な意味を持っている。野宿者をめぐる状況の変化の中で、「野宿者の存在抹殺を目的とした襲撃」の問題は、今後大きな意味を持ってくるように思われる。



「野宿者の存在抹殺を目的とした襲撃」とともに、もう一つ野宿者襲撃事件について以前から感じられる傾向がある。それは、社会的に「弱者」とされる若者たちが野宿者を襲うという事実である。
 2003年9月15日未明、静岡市清水地区で野宿生活をしていた井上さんが死亡し、日系ブラジル人の22歳と17歳の若者2名が傷害致死容疑で逮捕された(襲撃の詳細についてはあまり報告されていない)。この事件について、「野宿者のための静岡パトロール」は次のようなコメントを出している。
「容疑者として逮捕された若者たちがブラジル人であったことが強調されている面もあるようですが、この点についてはむしろ、彼ら外国籍の若者たちがこの日本社会でおかれている立場を振り返ってみる必要があります。外国籍の子どもたちは言葉や文化の問題や偏見、そして経済的問題などから学校に通うことさえ困難であるという現状があります。また、若者たちの就労機会も限られており、様々な困難に直面させられています。そのため外国籍の若者たちは、日本社会の中で居場所がない状態におかれていると言えます。それは、職を失い、家族から隔絶し、寝場所さえ確保困難な野宿者と共通する問題だといえます」。
 これは妥当な見解なのだろう。だが、社会的に困難な立場に立たされる、つまり「日本社会の中で居場所がない」若者たちが、文字通りの意味で「社会の中で居場所がない」野宿者を襲うという事実には割り切れない思いがどうしても残る。
 この事件の一月前の2003年8月には、われわれが夜回りしている大阪の日本橋で野宿者襲撃をした少年グループが逮捕された。報道によると、逮捕されたのは大阪市内の市立中学3年の15歳の男子生徒など3人で、彼らは11日深夜、廃品回収の54歳の野宿者の背中を無言のまま鉄パイプで小突いて倒した後、腕や頭を殴打し、腕に軽い打撲傷を負わせた。3人は、その年に入ってから野宿者に石を投げたり棒で殴る行為を繰り返していた。彼らは「(被害者は)被害届を出さないだろうと思い、過去にもホームレスばかり5回くらいやった」「追いかけられて、必死に逃げるスリルがおもしろくてやった」と供述しているという。事実、その数ヶ月間、日本橋周辺での襲撃の頻度はすさまじく、このため、日本橋でんでんタウン本通りの野宿者の多くが襲撃を避けて寝場所を別の土地に移してしまうほどだった。
 新聞報道によれば、その3人は児童養護施設で知り合った遊び仲間だったという。彼らについてこれ以上の個人的情報は入っていない。だが、彼らが「戦う」べきだったのは、野宿者ではなく別のものだったのではないかという思いは消えない。静岡でのブラジル人青年たちの襲撃についても言えるが、「日本社会の中で居場所がない」という「共通する問題」を持つ者どうし、いわば、最も近いはずの者どうしが、どうして「襲撃」という最悪の出会いをしなければならないのかということが解せないのだ。
 さらに、2002年には中高生たちが「世直し」として野宿者を襲撃するという事件が起こっている。
 報道によると、野宿者の男性に熱湯を浴びせたなどとして、東京都江東区の中学1年と2年の男子生徒(いずれも13歳)の2人が傷害容疑で補導、同区と墨田区の高校1〜2年の男子生徒(いずれも16歳)3人が逮捕された。調べでは、中学生2人は8月3日未明、江東区亀戸の公園で、男性(52)に爆竹を投げつけ、転倒して気を失った男性に、やかんとポットのお湯を全身に浴びせ重傷を負わせた。高校生3人は7月28日未明、同区の公園のベンチで仮眠していた男性会社員(33)を野宿者と勘違いし、バケツに入った熱湯を浴びせ3日間のやけどを負わせた。高校生は二十数件の余罪を認めている。少年らは「ホームレスを軽蔑していた。世直しだと思った」などと話していたという。
 この中高生たちについての個人的情報は公表されていない。ただ、彼らが襲撃を「世直し」と表現したことは、「前半」で触れたS君が襲撃を「裏の正義」と言っていたことをただちに思い出させる。「世直し」とは「間違った社会を変革すること」であり、言い換えれば「革命」である。彼らは、自分の周囲の社会を「間違っている」と感じていたのかもしれない。そして、彼らは実際に「世直し」として社会へのアクションを起こすが、それは野宿者襲撃という形をとる。「間違った社会の変革」=「革命」が、なぜ「日本社会で居場所がない」野宿者への残虐な攻撃に向かうのか。そして、なぜ「日本社会の中で居場所がない」者どうし、あるいは「社会」に疑問を持つ者どうしが襲撃という最悪の関係を持たなければならないのか。これは、この「後篇」の一つのテーマになるはずである。

HOME