DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。)

スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。


2007/3/19 プアプア批評3・「秋葉原・日本橋・長居公園」 

釜ヶ崎は住民票問題で揺れている。
また3月3日には携帯電話やメールでそのつど人を集める「スポット派遣」(日雇い派遣)大手の人材会社フルキャストグループ(東京)で、登録スタッフの労働条件向上にむけた労使協定が成立した。「日雇いスタッフにも年次有給休暇を保証し、日雇い労働者向けの雇用保険を適用することなどを明記する」という。新しい日雇労働運動がいよいよ始まろうとしている。
しかしこの頃、この10年覚えがないぐらい忙しくて、それらについてここで書いてるヒマがないのですわ。

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)3月号に連載コラム「プアプア批評」の第3回を載せています。タイトルは(載ってないけど)「秋葉原・日本橋・長居公園」。120年前の日本橋のスラム住民の追い出しと今年の長居公園の行政代執行を重ね合わせて書きました。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。

なお、久留米市では次のような催しがあった。
3月17日(土)14時〜 ホームレス支援担い手育成プロジェクト・
第1部:「なぜ少年達は野宿者を襲撃するのか」(生田武志氏講演会)上映と久留米の現状報告(襲撃・人権の観点から)
第2部:いのちのうたデュオ・コンサート
 谷本仰(vln・うた・鳴り物)+中島由紀子(piano)
会場:石橋文化会館小ホール

12月にやった北九州市での講演を撮影したものを上演したという事だ。許可を求められてOKしたが、個人的には「講演会の上映って見てておもしろいかなー」と思うけど。久留米市には行ったことがない。なんか、自分の分身が知らないところで活躍しているような心境です。


2007/2/18 コムニタス・フォロで野宿者問題の授業

コムニタス・フォロ(若者たちの居場所 生きた学び場)で「野宿者問題の授業」をやってきました。
3時間、襲撃や医療問題、夜回りで出会う人たちなどについて話しながら、参加してくれた人たちといろいろと意見交換しました。みんな、反応が早いし、いろいろ考えているんだなあ、と思いました。
話題になった一つは、野宿者への偏見と不登校への偏見には同じ構造があるかな、ということ。不登校している子どもに対して「自分がこんなに我慢して学校に行ってるのに、学校に行かずに楽をしているのは許せない」みたいな反応が常にあるのと同じように、野宿者についても「自分たちは我慢して働き、重い税金を払い、狭い家に住んでいるのに、ホームレスはそれを全部放棄して楽をしている」という(事実ではない)反応がある。それはあるいは、自分の生活の「裏返し」を相手に投影してるだけで、本当なら考え直すべき対象に向かわずに、攻撃を弱い者の方に向けているのではないか、という話が出ました。

授業の後は、野宿者ネットワークの夜回りにみんなが参加。みんなで日本橋の方を回った。ぼくと一緒に回った人が、野宿している人に「なんでホームレスになったんですか?」 と聞いた。その人は丁寧に経過を教えてくれたけど、そういう話をするのはやはり気が進まないようだった。
その場を離れたあとで、「そういう質問は信頼関係がないとしない方がいいんじゃないですか。例えば不登校の子に初対面で『なんであなたは学校に行かないんですか』と聞くようなものでしょう」と言った(不登校と野宿とではいろいろ事情は違うけど)。すると、その人も「確かに、自分のことを人に話すのはしんどいですね」と言っていた。(野宿になった経過ですごくしんどいことがある人もいるのでそう言ったが、しかし、いきなり質問することで関係ができることもあったりするので、この点は微妙かもしれない。)
なお、フォロの代表の山下さんがこちらのブログで夜回りの感想を書いてます。


2007/2/16 長居公園のテント排除の行政代執行

2月5日の長居公園の行政代執行では、当事者と支援者が強制排除についての芝居を上演することによって抵抗を試みた。座り込みは、あくまで芝居の上演を支援する、という形のものだった。
残念ながら、何度か上演されたこの芝居をぼくは見る機会がなかった。が、長居公園で「大輪祭り」をはじめとして続けられてきた地域や若者と野宿者との交流の一つの結実だったことは間違いないだろう。
しかし、テレビ報道では、去年の靫・大阪城公園の時と同様、支援者と行政・市民が衝突する場面だけを流し続けていた。一般の人はこうした報道を見て、「公園を不法占拠しているホームレスとその支援者が、行政の施策を無視し、こともあろうに公園に居座ろうと楯突いている」と(去年と全く同じように)見たのかもしれない。
とはいえ、新聞報道では産経新聞や神戸新聞でポイントを突いた良質な記事も出た。2年続いてということもあって、去年のように非難のメールが野宿者ネットワーク宛てとかに幾つも来るということはなかった。(ちなみに、ネット上では「支援者は公園に居座ることを支援するのではなく、自立することを支援しろ」という声が結構あった。実際には、大阪だけで路上死する野宿者が毎年200人以上という現実の中、支援者は日常的に、夜回り、医療相談、炊き出し、生活保護の手続き、法律相談、無料宿泊などの様々な活動をしている。それは、主には「とにかく生き抜くこと」の支援だと思う。また、公園での祭りや交流会も行なっているが、それは、人間は人との交流や創造性が生きていく上で必要だからだ。むしろ、今回の行政代執行には2000万円近くが投入されたらしいが、行政こそその金を「排除」のためではなく「公的就労」などの就業支援のために使ったらよかったと思う。)
と思っていたら、何故か13日になって次のようなメールがやってきた。
「長居公園の強制退去の報道をテレビで見ました。」「公園は市民の憩いの場であって住むところではありません。」「ルンペンはそうなる前に職を選ばず仕事を探す、生活補助を受けるべきでありそれでどうしようもない場合は首をつるべきです。」等々という内容。
(野宿者ネットワークの他、釜ヶ崎パトロールの会、長居公園仲間の会、NPO釜ヶ崎、神戸の冬を支える会などにも同時送信されている。)
名前も名乗らないただの中傷メールなので返事は出さないが、去年、野宿者ネットワークとして出したメールを下にもう一度引用しておく。野宿者問題をめぐる状況は、1年経っても別に変わってないからだ(ただし一部変更)。
行政代執行の最大の問題は、追い出された人々が、住み慣れない場所で生活を一から再建しなければならないということだ。行政代執行は数時間で終わるが、排除された人々の生活はもちろんずっと続く。今回の行政代執行で追い出された人の中には、ぼくが数年来のつきあいのある人も、10数年前からの知り合いもいる。行政代執行自体はもちろん大きな問題だが、それが問題なのは、その影響が何年ものスパンで続いていくからだ。


疑問にいくらかでもお答えしたいと思います。

一つは、
「確かに、中には「ホームレスを望んではいないが、止むを得ず路上生活しなければならない」という人もいるでしょう」という点です。これは前提となる事実の問題ですが、
2003年の厚生労働省による調査では「路上生活に至った理由」として、
「仕事が減った」が 35.6%、「倒産・失業」が 32.9%、「病気・けが・高齢で仕事ができなくなった」が 18.8%とされています。
つまり、事実上「失業」による野宿がほとんどです。わたしたちは毎週夜回りをし、そのほかにも日常的に野宿をしている人たちと関わっていますが、そこで出会う野宿者の多くが「仕事さえあればこんなところ(公園・路上)で寝ていない」と言っています。というより、その人たちは仕事があった時は野宿していませんでした。事実として、野宿者とは失業者のいわば最終形であり、根本的に就労問題なのです。
また、各種の調査で明らかなように、そして夜回りなどをすればすぐに分かるように、野宿者の大多数はアルミ缶やダンボールを集めて生活しています。アルミ缶の場合、1個集めて1.5円、つまり100個集めて150円という収入です。1日中探し続けても1000円いくかいかないかという超低賃金重労働です。そんな割に合わない仕事をしているのは、ひとえに「他に仕事がないから」です。
実際、野宿者が激増したのはこの10年間ですが、それは失業率の推移とほぼ平行していました。「ホームレスはしたくてしているだけだ」という意見はよく聞きますが、もしそれが正しければ、この10年の間に日本で野宿が好きな人が突然増えたということになりますが、そんな奇怪な話はありえません。

▼「そもそも、路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反しているということをご存知でしょうか。」
知っていますし、野宿をしている人たちも知っています。問題は、ではどうすればいいのかということです。
路上や公園などの「公有地」で生活することは「不法占拠」とされています。しかし、世の中には「公有地」の他には(おおざっぱに言うと)「私有地」しかありません。そして、他人の「私有地」で生活しようとすると、今度は「不法侵入」で訴えられます。まさか他人の家に入って暮らすわけにはいかないのです。

現実に、大多数の野宿者が(生活保護水準以上の)「仕事と部屋のある生活」に戻りたいと思っています。しかし、そのための手だてがきわめて少ないという問題があります。そもそも、ハローワークに行っても、「住所が野宿状態」では相手にしてくれません。また、仮に就職できたとしても、いままでアルミ缶やダンボールを集めていたのに、今度は給料日までの生活費に困ります。つまり、金がないと就職もできません。また、野宿者の多くは50代であるため、そもそも就職先がなかなか見つかりません。

こうした問題を少しでも解決するために、様々な支援団体が努力をしています。まず、大阪全体で路上死する野宿者が毎年200人以上という現実があり、それに対応するため、夜回り、医療相談、炊き出しなどの活動が行なわれています。また、生活保護の手続き、法律相談、職業訓練の支援、無料宿泊なども行なわれています。
「団体さんがホームレスの方々を引き取って保護されてはいかがですか?」とありますが、大阪だけで1万人近くの野宿者がいる以上、わたしたちの限界は別としても(自分たちなりに時間とお金をつぎ込んで活動していますよ)、そうした手段で問題が解決するわけがありません。そもそも、失業問題が根底にある野宿者問題は、社会的な就労問題・社会保障問題として解決するしかありません。善意の個人が引き取ればよい、という考え方は明らかにちがいます。野宿者問題を「個人の責任」「自業自得」という考え方がよくありますが、「引き取ればよい」というのは、野宿者問題の解決策を「支援者の責任」にしてしまっているだけです。
例えば震災で家を失った被災者へのボランティア活動をする人に向かって、「支援するなら被災者をおまえの家に引き取れ」などと言う人がいたら完全におかしいと思いますが、それとほとんど同じです。

また、新聞などで報道されたように、行政は「野宿者は自立支援センターに入れ」と言っています。この施設では、最大で半年間いることができ、そこから仕事を探すことができます。いまのところ、ここからの就職率は40〜50%とされています.。ただし、就労の内訳を見ると、常雇いではなく臨時雇いの清掃員やガードマンが多いという特徴が出ています。
この自立支援センターに入ることももちろん可能ですが、ここから就職できるのは「年齢が若い人」「使える資格がある人」に集中します。つまり、まだ若いとか、使える資格を持っているとかいう人はそれなりに行く意味があるのですが、そうでなければ3ヶ月(あるいは半年)たって野宿に戻る可能性がきわめて高いのです。もちろん、自立支援センターに入るときは公園のテントをたたんでいくので、野宿に戻ると寝場所探しからまた始めなければなりません(また、自立支援センターの多くは「二段ベッドの10人部屋」という居住状態で、数ヶ月でも生活し続けるのはかなり大変だと言われています)。そして、自立支援センターの定員は大阪で数百人ですから、文字通りの「焼け石に水」状態なのです。
野宿者問題に関わっている人ならみんな知っていることですが、野宿者の多くは「50代で、入院するほどではないが体がどこか悪い」という人が大多数です。つまり、自立支援センターに行っても就職の可能性が少ないし、かといって生活保護を申請しても通る見込みがほとんどないというケースばかりです(行政は、50代の野宿者の生活保護申請はほとんど門前払いしてしまうか、申請を受けても「就労努力がない」という口実で数ヶ月で切ってしまうことが多いのです)。つまり、簡単に「乗れる」話ではないという現実があります。

ではどうすればいいのかというと、「働ける人には仕事を紹介する」「仕事のできない人には生活保護を適用する」ということだと思います。
「生活保護法」は、ご存じのように「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行ない、その最低限度の生活を保障する」もので、憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という「生存権」の規定に基づいています。
野宿者とは、失業の結果、住居を失い、月収が平均2〜3万円しかないという「究極の貧困」問題です。もちろん、生活保護の対象です。しかし、野宿者が福祉事務所に相談に行くと、たいてい、こう言われて追い返されていました。「あなたはまだお若いじゃないですか。まだ働けるでしょう」「あなたには住む家がないじゃないですか。住所のない人には生活保護はかけられませんよ」。
 今まで行政は、生活保護の適用は「住所があって」「60〜65歳以上」の人に限るという方針を採ってきました。実は、これは法律的根拠がまったくないただの「慣例」です。住所があって収入がなくなった人については保護をかけるのに、住むところさえ失った野宿者には生活保護を拒否するという、わけのわからない対応が今までまかり通ってきました。
野宿者への生活保護の適用のため、様々な支援者・団体が活動しています。一緒に役所に行き、役所と相談し、アパートを探し、などの活動によって、いわゆる最低限度の生活を取り戻しています。その上で、再び就労していく人もいます。
「路上で生活するという行為は軽犯罪法に違反している」という話がありましたが、それ以前に行政が憲法と法律(生活保護法)を遵守していないという現実があるのです。
また、いわゆるホームレスは欧米では日本とは桁違いの多さです(例えば2004〜5年の冬季、ニューヨークでは39000人がシェルターで寝ており、さらに数千人が路上で寝ています)。しかし、先進国で日本ほど路上で人が野宿している国はないと言われています。多くの国では、生活保護水準に近いシェルターを公的、私的に運営しており、ほとんどのホームレスはそこで夜を過ごしているからです。

野宿者問題にとって最大の課題は「仕事」です。例えば、ビッグイシューのように野宿者自身が路上で雑誌を売る事業が最近現われています。そうした野宿者支援の会社の起業は、欧米では珍しくありませんが、日本でもようやくそうした起業家が誕生してきているのです。
また、わたしたち野宿者ネットワークが属している「釜ヶ崎・反失業連絡会」は、大阪府・大阪市との交渉の結果、55歳以上の野宿者を対象に、道路や公園、保育所の掃除・整備の仕事を公的に出す「公的就労」を実現しています。これは、輪番制で3000人ほどの野宿者が登録して、順番に一日5700円の仕事をしています。いままで整備がされていなかった公園、予算がつかないためにボロボロだった保育所がきれいになり、「こっちも来てくれ」「あっちも行ってくれ」と非常に好評です。仕事をしたくてもできなかった野宿者が社会に役の立つ仕事をして、それでお金が少しでも入るのですから非常にいい事業です。
しかし、この事業によって野宿者が仕事に就けるのは一ヶ月に3回程度です。つまり、月に入るのは1万6000円ぐらいです。これは野宿を脱するほどの収入にはならず、あまりに中途半端な規模です。この事業のための予算は数億ですが、以前に大阪市の職員への厚遇問題で100億円以上のカットが検討されたことを考えると、お金の使い方が何か間違っているのではないかと考えざるをえません。

そもそも、行政代執行で野宿者を公園から追い出しても、行き場所のない野宿者は他の公園や道路に行くだけで何の解決にもなりません。多くの野宿者にとって、そして支援者にとって、最も望ましいのは(生活保護水準以上の)「仕事と部屋のある生活」に戻ることです。近隣の住民にとってもそれが最も望ましいはずです。ただ、行政がおもいっきり中途半端な対策しか出さないため、野宿当事者と住民に不必要な軋轢が生じ続けているという面があると思います。
もちろん、わたしたち支援者の力不足は常に痛感していることです。今後とも力を尽くしていきたいと思っています。


2007/1/28 プアプア批評2・「WB」VOL..8 

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)1月号に連載コラム「プアプア批評」の第2回を載せています。主に「カフカの階段」について書きました。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。

ところで、この「早稲田文学」にはビッグイシュー紹介のページがある(9ページ)。実は、「早稲田文学」の編集者とビッグイシューの責任者の仲介に少し関わったので、「こういう形になったのか」と思って見た。「早稲田文学」という文芸誌と「ビッグイシュー」の協力関係は意義があると思う。
そのページには
「生田武志氏の連載「プアプア批評」で触れられている、「カフカの階段」を昇って自立するために、たとえば『ビッグイシュー』では、次の3つのステップを提案しています」
として、ビッグイシュー販売によるアパート入居、就職活動のアウトラインがイラストつきで触れられている。
さて、この「自立」だが、実は「野宿者の自立」という表現については野宿当事者、支援者の間でかなり議論がある。一つは、野宿者の多くは月収3万円ぐらいの空き缶集めなどの仕事を一生懸命して、ダンボールハウスやテントを作って生活している。また、いわゆる「仕事」をしていなくても、一人一人が懸命に生き抜いている現実がある。そうである以上、それを「自立していない状態」と言うのはどうなのか、という議論である。
ビッグイシューもそうだが、野宿者支援の一つの目標は、(生活保護水準以上の)「仕事と住居を得られること」にある。(もちろん、生活保護の取得も目標の一つだ)。つまり、究極の貧困状態の「仕事と住居」から生活保護水準の「仕事と住居」への支援。それは、「非・自立」から「自立」への支援なのだろうか。
ぼく個人は、野宿者問題は「究極の貧困問題」だと思うので、問題は「自立支援」ではなく、「貧困に対する闘い」だと思います。


2007/1/26 25日の夕刊から(読売新聞)

野宿者の段ボールに連続放火 警官装い「世直しや」 酒店経営者逮捕 西成署

 大阪市西成区などの路上で昨年暮れ、野宿者が寝ていた段ボールが連続して燃える火災があり、同区山王の酒店経営、N被告(60)(脅迫罪で起訴済み)が殺人未遂と建造物等以外放火の容疑で、西成署に逮捕されていたことがわかった。
 N被告は「目障りだった。殺すつもりはなかった」と供述。犯行時、手帳を見せて警察官を装い、 「世直しや。ここから出て行け」と叫んでいたという。
 調べではN被告は昨年12月25日午前3時55分ごろ、同区山王の商店街で段ボールにライターで火を付け、野宿していた男性(61)を殺害しようとした疑い。男性にけがはなかった。
 約10分前には北約1キロの浪速区日本橋で段ボールが燃え、野宿者が顔などにやけどを負った。防犯カメラにN被告に酷似した男がライターで火を付ける映像が残っており、浪速、西成両署は関連を調べている。
 N被告は逮捕容疑の犯行直後、西成区山王の別の商店街で野宿者3人を「警察だ。出て行け」と脅し、段ボールに火を付けた。逆に取り押さえられ、西成署に建造物等以外放火容疑で逮捕。今月15日、脅迫罪に切り替えて起訴された。
 大阪市内の野宿者は全国最多の約6600人。市民グループ「野宿者ネットワーク」(生田武志代表)はこの半年間に、野宿者への暴行を50件以上確認。放火のほかナイフやエアガンで襲うケースもあった。生田代表は「愛知では強盗殺人事件も起きており、野宿者はおびえている」と、大阪府警に警戒強化を求める一方、ビラを配って野宿者に注意を呼びかけている。



野宿者ネットワークの「夜回り報告」で書いているが、年末に連続放火があり、一人が顔にかなりの火傷を負い、山王で野宿者3人が襲撃者を捕まえた。その犯人が報道されたわけだが、地元の市民だった。
というか、この酒店はぼくの近所で、ぼくは宅急便を送る時、よくこの店に持って行っていた。だから、この人の顔も知っている。地元というものの複雑さを感じた。野宿者にとって、一般市民は時として本当に恐ろしい。
なお、「大阪府警に警戒強化を求める」とあるが、実際には、記者には「日本橋は襲撃が激しかったが、深夜にパトカーがよく回るようになって、かなり減ったようだ」という言い方をした。(「野宿者はおびえている」という表現もしてないと思うなあ)。
ぼくとしては、警察に「警戒強化を求める」よりも、市民に対して「野宿者の現実をきちんと知ってください、できれば夜回りに来て下さい」と呼びかけたい。


2007/1/25 テレビ番組二つ

おととい、スカイプで電話会議をした。東京、埼玉、神奈川、京都、大阪の5人でパソコンを前にして2時間ぐらい話す。
インターネット電話だから通話は無料だし、会議中、チャットやファイルの共有もできる。4人の声が同じ平面から聞こえるのが奇妙な感じ。だが、遠い地域の人たちと同時に会議ができるのは本当に助かる。これからもたびたび使うことでしょう。

24日の「報道ステーション」の特集は、「ホームレスに勝ち組負け組〃格差〃広がる釜ヶ崎事情」。
またヘンなタイトルだなあと思ったが、内容は一応まともだ。42歳の鉄筋工で、一日1万5000円とかで仕事にバリバリ行ける日雇労働者と、60代で仕事に行けず、空き缶拾いで一日数百円で暮らす野宿者との対比。
ただ、見終わった後なんかひっかかった。考えてみれば、ぼくが釜ヶ崎に初めて来た1986年にも「仕事に行ける現役日雇労働者」と「仕事に行けなくなった高齢・病弱の野宿者」はどちらも存在していたからだ。日雇労働者が何かのきっかけで野宿になる、というパターン自体は今も変わらない。ただ、以前は「大部分が現役で一部が野宿」だったのが、今はそれが逆になったわけだ。
それを指して「釜ヶ崎にも(いま話題の)格差が広がっています」というのは、かなり無理なつなげ方ではないだろうか。

今日のNHK総合、夕方5時15分からの「もっともっと関西」の特集は、「長居できない長居公園 立ち退き迫られるテント生活者は」。桂文珍がレギュラー出演している。
行政代執行が確実視されている長居公園について語り、その中で、ぼくたちが関わっている日本橋公園の話題も出てきた。テントを破壊された原告の人が日本橋公園で、「自分達が住んでいるテントをいきなり天王寺公園事務所に壊された」「承諾書を書かされたが、納得して書いたわけではなく、何度も何度も「出で行け」と言われてイヤになってしまったからだ」という事情を話していた。(一方、ナレーションは「ブルドーザーで壊された」とか、事実じゃないことも言っていた)。
番組は、「強硬手段を取り始めた大阪市」というタイトルを出して、「これが事実だとすると、大阪市が強引にテントを撤去しようとしているようだ」と言っていた。もちろん、本当に事実なんですよ。ぼくは目の前で職員たちがテントを壊し続けて生活用具を捨てていくのを見てましたから。
この番組は、こうした現実を伝えた上で、自立支援センターの問題点などについても触れた上で、「お互いに納得のいくような解決策が必要だ」と言っていた。最近の野宿問題を扱ったテレビ報道の中では最もまともな内容だった。


2007/1/24 訴訟二つ・「部落解放」増刊号

23日の午前、公園での住民票に関する山内裁判は大阪高裁で逆転敗訴となった。
判決要旨によると、「『生活の本拠としての実体』があると認められるためには、(…)単に一定の場所において日常生活が営まれているというだけでは足りず、その形態が、健全な社会通念に基礎づけられた住所としての定常性を具備していることを要するものと解することが相当である」。
では、山内さん(をはじめとする野宿者)の「住所」はどこなのか。
住民票が認められないため、野宿者の多くは選挙権の行使や、仕事のために必要な携帯電話を買う書類などを作ることができないでいる。年金の手続きや、特別清掃の登録にも支障が生じる。
判決要旨は、テントがブルーシートやベニヤ板で作られた「簡易な構造であって」、「独立の電気設備もない」ことを指して「健全な社会通念に基礎づけられた住所」ではないと言う。
貧困のために「電気設備も」なく「テント」でしか生活できない人たちは、裁判官たちの「健全な社会通念」によってより社会から排除されるのだ。

23日の午後、野宿者ネットワークが関わってきた日本橋公園のテント破壊事件について、大阪地裁で提訴を行なった。(野宿者ネットワークのページ参照)。
提訴の際、原告、弁護士団と一緒に記者会見を行なった(朝日新聞の記事になっている)。
行政代執行ももちろんひどい事例だが、日本橋公園の場合は、工事予定もないのに「不法占拠だから出ていけ」と一方的に通告され、現実に居住している状態でテントを破壊され、中にあった生活用具一式を廃棄されるという凄まじいものだった。

「部落解放」増刊号の「部落解放・人権入門 2007」がきのう郵送されてきた(1月25日発行・1050円)。
この号は、2006年8月に高野山で行なわれた「人権夏期講座」の講座内容を収録した報告集で、ぼくがやった「野宿者問題をどう教えるか」の記録も載っている。
しばらく前に講演記録が送られてきて、それに手を入れた。ただし、実際の講演内容から、特に「野宿者はどのような生活をしているか」などの箇所がざっくり削られている。ま、仕方ないですかね。


2007/1/23 北海道の夜回りと炊き出し
(24日一部追加)


19日、「北海道の労働と福祉を考える会」の夜回り、そして20日に同会の炊き出しに参加してきました。
以前から一度は見てみたいと思っていた北海道の野宿の状況。直接の知り合いはいなかったけど、いきなり「北海道の労働と福祉を考える会」に連絡して、参加させてもらいました。
初めて行く北海道は、着いてみると銀世界だった。着いて、まず「労福会」の方2人からいろいろと話を聞かせていただいた。
例年よりすごい暖冬だそうだけど、夜回りしている時間(8〜10時)はマイナス4度くらい。7〜8人で札幌の大通駅(雪祭りをする大通公園の地下)などをまわっていく。


(夜回りの次の日の北海道大学獣医学部前)

そもそも、北海道で野宿など本当にできるのかが疑問だった。だが、回ってみると、本当に大阪と同じように何人もが寝ている。人があまり通らない駅の軒下などで、寝袋に入ったり毛布にくるまったりしていた。
ぼくが回った19日は、夜回りの途中で凄い風で一時「吹雪」のようになった。目を開けていられないほどで、翌日会った野宿者は「ゆうべは雪がきつかったなあ」と言っていた。それでも、夜回りでは死者に出会うことはほぽまったくないという。
不思議なことに、ダンボールハウスを作っている人はほぼゼロらしい。テントもほぼ存在しない。「人目につかない」暮らしをすることに徹底している様子がある。そのせいか、札幌では(他の地域ではあれほど深刻な)野宿者襲撃がほとんど報告されていないということだ。確かに、炊き出しの様子を見ていても、みんな比較的きれいな服を着ていて(衣類出しが頻繁にあるという)、見た目では野宿かどうかわからない場合が多い。
翌日は、午前中に野宿している人たちに住所を提供し、そこから就職活動してもらう民間施設に案内して頂いた。夜回りで、仕事を探したいけど、住所がないとどうにもならないと言う人にここを紹介し、部屋に入ってもらう。アルバイトなどで食費だけは入れるようにして、期限はないので自分のペースで仕事を探していく。こうして、何人もが仕事を見つけてアパートに入っていったという。ここで出会った様々なケースについて、責任者の方から話を伺った(北海道で野宿している人には、釜ヶ崎近辺で野宿していた人も何人かいるという)。
午後に札幌市民会館で炊き出しがあり、64人が集まった。弁当を食べたあとは、厚生労働省による野宿者の全国調査のため、「労福会」の人たちが聞き取りをやった。(ぼくは衣類出しの番をしてました。)
21日に少し時間があったので、札幌から電車で30分の小樽へ行く。北海道の海を見てから小樽オルゴール堂(入場無料)へ。小樽を歩くと、ガラス工房、イタリア料理店、郷土料理屋、旅館などが並んでいる。この並びは、倉敷(ぼくの地元)の美観地区とまったく同じだ(倉敷にもオルゴール館がある)。観光地というのは、どうしてこんなに同じ作りになるんだろうか。
ただ、小樽オルゴール堂は予想を超えて充実していた。数々のアンティークのオルゴールの他、自動演奏のスタインウェイ・ピアノや、自動演奏のパイプオルガンというものを生まれて初めて見た。中には315万円で売られている超高価オルゴールがあって、100円出すといろんなディスクから一つ音楽を聴かせてくれる。実際に聞いてみると、普通聞くオルゴールとまったく違う次元の音が響き渡るのに驚いた。「澄み切って響く超低音」というものを生まれて初めて聴いた。あそこまで行くと、一つの楽器として完成されている。
小樽駅に戻ると、駅前で明らかに野宿している男性が荷物を抱えてしゃがみこんでいた。無責任に声をかけるわけにもいかないので黙って通ったが、北海道のいろんな駅前で、こうして野宿している人がかなりいるのではないかと思えてきた。


2007/1/22 狩谷あゆみの野宿者襲撃に関する論文について批判を幾つか

狩谷あゆみ編「不埒な希望 ホームレス/寄せ場をめぐる社会学」(松籟社・2006年11月発行)は、野宿者問題に関わる研究者による論文集。フィールドワークと文献調査の行き届いた論文集で、読んでいていろいろな点で参考になる。付箋をあちこち貼っていった。「シェルターレス」に載った論文のショートバージョンなどもあるが、一般向けの本としてはこの方が確かに読みやすい。
ところで、読んでいて気になるところもあちこちあって、それは特に狩谷あゆみの論文「加害者と被害者を引き離す――野宿者襲撃をめぐる言説」とコラム「『男』が『男』を殺すとき…HomophobiaとHomeless-phobia」、いずれも野宿者襲撃に関する文章だった。まず、内容以前に事実認定についての誤りが幾つもあるからだ。
「野宿者襲撃は、各地の野宿者支援団体によって、その『事実』が報告されてはいるが、被害に遭った野宿者が殺されない限りは、マスメディアによって報道されることはない」というのはまあ「筆の勢い」として(軽傷、重傷の場合でも報道されることは結構ある。ぼくが作っているこの年表を参照)、
「怒りをあらわにした野宿者から、実際に加害者を捕まえたとか、反撃したという話は聞いたことがない」というのはどうだろうか。「反撃した」例は、新聞報道されている。「2005年7月5日、尼崎市内でホームレスの男の小屋に花火を投げ込むなどしたとして、尼崎西署は五日までに、男子高校生四人を補導した。当初、このホームレスが高校生の一 人の首を絞めたとして、暴行容疑で同署に逮捕されたが、調べに対し「この生徒らに、住んでいた小屋に花火を投げ込まれ、仕返しでやった」などと供述。高校生らは事実を認めた。」(神戸新聞)
加害者を捕まえた例は、ぼくは何度も聞いている。日本橋では、毎週のように中学生たちが襲撃に来るので、野宿しているグループで張り込みをした。みんなで「寝たふり」をして、襲撃が始まるとみんなで一気に起きあがって自転車の中学生グループを捕まえた。その場で親を呼び出し、親子に厳重注意したという。その後、このグループからの襲撃は止んだらしい。
西成公園でも、投石をする中学生、小学生をテントの人たちが捕まえた。しっかり話をして、住所を確認したと聞いた。最近では、釜ヶ崎近辺でダンボールハウスに放火をした男を野宿している3人で捕まえて警察に突きだした、という話を聞いた。
おそらく、こうした例は全国でいっぱいあるだろう。なので、狩谷あゆみ個人が「聞いたことはない」というのは、新聞で報道されている事例さえあるのだから単なる経験不足である。それに、自分が聞いたことないからといって、よく調べずに話を一般化するのは論文としてマズイだろう。
それから、「これまで、野宿者襲撃に関するルポルタージュや論文において、野宿者襲撃が「男性による男性に対する暴力」であり、そしてその多くが集団によって行なわれてきた点は触れられてこなかった」とある。
まず、襲撃者の中には女性が存在する。先の年表には、2003年6月11日、「練馬区の公園で若い女性が、寝ていた野宿者男性にいきなり刃物で切り付けて逃走した。男性は首を2カ所切られて重症」という事件がある。また、日本橋に自転車で襲撃に来る中高生グループ、乗用車でエアガンを撃ってくるグループには、数人の女性がいたりする。
また、被害者の中には女性が存在する。例えば、2001年6月7日「大阪・ミナミで若い男性が野宿者の女性を川へ突き落とし、殺人未遂の現行犯で逮捕される」という事件。また、これは「不埒な希望」出版後の事件だが、岡崎市ではついに女性野宿者が殺害された。そもそも、ダンボールハウスを蹴ったり放火する襲撃者は、いちいちダンボールハウスの中を覗いて「男だったら襲う」なんてことはしない。単に「野宿者」だから襲うので、ダンボールハウスで寝ていた女性は今までかなり被害に遭っているだろう。
日本で野宿者襲撃の被害者に女性が少ないのは、何よりも野宿者の中の女性が圧倒的に少ないからだろう。「〈野宿者襲撃〉論」で引用したが、
「欧米のホームレス問題 実態と政策」によれば、「ミュンヘン市で行われた調査によれば、ホームレス女性の56%は持ち物を強奪され、34%は肉体的に痛めつけられ、3分の2は性的な虐待を受け、3分の1は強姦された経験をもつという」。
また、The National Coalition for the Homelessによれば、アメリカでは1999年から2005年までに、homeless people 472人が殺害されたが、そのうち48人、つまり10%以上が女性だった。
つまり、「野宿者襲撃が加害者も被害者も『男性』である」とは誤解である。したがって、この前提で立てられた論考はほとんど意味をなさない。
そして、これはぼくの「〈野宿者襲撃〉論」に関係するのだが、ぼくは「少年たちが野宿者襲撃をしているとすれば、少女たちは何をしているのか?」の章などで、野宿者襲撃の加害者がなぜ男性に集中するのか、またなぜそれがほとんど集団で行なわれるのかという点をかなり詳細に検討している。なので、「これまで、野宿者襲撃に関するルポルタージュや論文において、野宿者襲撃が「男性による男性に対する暴力」であり、そしてその多くが集団によって行なわれてきた点は触れられてこなかった」という箇所を読んだときは、かなりがっかりした。一生懸命書いたことが、議論として共有されていないからだ(もちろん、参考文献に挙げられていない)。「〈野宿者襲撃〉論」は2005年12月ぐらいの発行なので、「不埒な希望」の1年近く前の本である。野宿者襲撃に関する本なんて、数年に一度しか出ない。普通に公刊されている数少ない参考文献を無視するのは、学者としてどうなのさと思う。(何かやむを得ない事情でもあったなら仕方ないが…)。
さて、この論文の肝心の内容は、基本的に北村年子の「大阪道頓堀川『ホームレス』襲撃事件」に対する批判である。これについては、「見解の違い」の範疇として言うが、北村年子の本は、野宿者襲撃の被害者と加害者の間にある構造的問題を追究した非常に貴重な内容で、この点について現在もこれ以上の本はないと思う。これに対して、例えば「日雇労働者、あるいは野宿者に対する社会的差別への追究や自己批判が少ない」という批判はありえるだろうが、あまり生産的な議論とは思えない。それよりは、議論に不足している点をお互いに補いつつ、野宿者襲撃の構造的問題をもっと追究する方がいいのではないかと感じている。


2007/1/7 1月5日朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」
(8日・ちよっと変更)

下の写真にある布団敷きの徹夜の当番に一日入ったが、いろんな人がやってくる。
12時過ぎ、普通の格好(作業着とかでなく)の若者がやってきて、「ここで寝れますか」と聞いてきた。「いいですよ」と言って支度をしたが、どう見ても20代なので年齢を聞くと、「なんで年齢なんか…」と言いつつ、「28歳」と言った。相談しようと思ったが、倒れ込むように寝てしまったので話はできず。朝も、まわりの労働者が布団と毛布をたたんでいる中、何もしないでどこかへフラッと行ってしまった。繁華街での夜回りでは20代の野宿者も時々出会うが、釜ヶ崎の中でこれほど若い野宿者に会うのは珍しい(その後も20代が数人来ているようだ)。
さらに深夜の1時半頃、向こうの方から道路を這って少しずつこちらにやってくる人影が見えた。ちょっと前に騒いでもめた酔っぱらいが出て行ったので、「ああ、また酔って帰ってきたんだ」と思って布団をスタンバイした。だが、よく見ると違う人のようだ。行って話を聞いてみると、63歳で「脳梗塞の後遺症で膝が悪くてよく歩けない、物覚えも悪くなってさっきあったことも憶えられない」と言う。他に方法はないと判断して救急車を呼んだ。(後で確認すると、入院はしなかった)。
この日は結局、74人が布団敷きで寝ていきました。

1月5日朝のテレビ朝日「スーパーモーニング」で、野宿者ネットワークの30日の夜回り、1日の西成公園のもちつき、強制排除間近と言われる長居公園の様子などが放映された。
「スーパーモーニング」のディレクターから取材要請を受け、野宿者ネットワークで相談してOKした。それで、西成公園で応対し、夜回り、もちつきも同行してもらった。
ディレクターは野宿者問題について元々関心を持っている人で、「スーパーモーニング」は以前2回、特別清掃の労働者を取材した番組を放送しているが、それを担当していた。別れた娘を思う親心に焦点をおいた人情ものだったが、特別清掃の意義や問題点についてまともに触れていた。
さて、当日の新聞のテレビ欄を見てみると、タイトルは「仰天! ホームレスの〃高級住宅街〃年越し」。これで思いっきり脱力したが、一応録画してあとで中身を見た。内容のメインは西成公園に住んでいるご夫婦の年越しの様子(ぼくもちょっと出て喋っている)。日常の光景や公園の仲間どうしのやりとりを描いていて、それはそれで興味深いが、以前の内容と比べると切り込みが弱い。さらに、ナレーションで「ここ西成公園はホームレスのビバリーヒルズと言われています」と言っていたが、そんなこと言ってる人、本当にいるんですか。
そもそも、ベニヤ板とかシートで作りあげたテントや小屋がなんで「高級住宅」なのか、全くわからない。海外の難民キャンプや被災地の仮設住宅(仮設住宅は野宿者のテントや小屋よりはるかに「高級」だ)を報道して「高級住宅街です」「ビバリーヒルズと言われています」とナレーションをつけるなんて軽率なことをテレビ局をするとは絶対に考えられないが、野宿者についてはそれが通ってしまうのはなぜなのか。
放映後、ディレクターから電話があったので、「あのタイトルは何ですか」と言うと、その人がつけたタイトルではないと言う。そして、「間口を広く興味を引くものにして、内容はまともに、というのが番組の方針です」と言っていた。しかし、タイトルも内容のうちだし、ものには限度があるのではないだろうか。
要するに、野宿者問題も、被災者の問題や難民の問題と同じ程度にまともに扱って下さいよ、と言いたいです。


2007/1/2 天王寺での小林さんの追悼

2日前の難波・戎橋での藤本さんへの追悼に続き、釜ヶ崎越冬闘争の人民パトロールでの小林さんへの追悼。
2000年7月22日、高校生たち4人の若者が、天王寺駅前商店街で野宿していた67歳の小林俊春さんを襲撃、暴行し、その結果、小林さんは内蔵破裂によって死亡した(小林さんは釜ヶ崎で日雇労働者として仕事をしていたが、不況と高齢との影響を受けて野宿に追い込まれ、一ヶ月ほど前からその場で段ボールハウスで野宿していた)。
襲撃した4人の若者は、事件当夜「狩りにいこう」「ノックアウトするまでやろう」と誘い合い、コンビニで襲撃目的の花火を買い、酒で勢いをつけて6件の襲撃事件を起こしていた。天王寺の襲撃の1時間前には、同じ区内の公園で71才の野宿者者のテントに爆竹を投げ込み、驚いてテントを出た野宿者労働者に暴行を加え、さらにビニールひもで首を絞めた。また、他の野宿者から数千円の現金まで奪い取っていた。
下の写真は、小林さんが引きずり出されて暴行された現場である。




2006/12/31 難波、戎橋での藤本さんへの追悼

1995年10月、戎橋でダンボール集めをしながら野宿していた当時63歳の藤本さんが、24歳の若者によって水死させられた(この事件については北村年子「ホームレス襲撃事件」に詳しい)。
事件直後、釜ヶ崎の有志で現場に祭壇を組み、何日も泊まり込んだ後、追悼会を行なってみんなで花を投げた。
越冬闘争中の人民パトロールでは、毎年この現場にやってきて藤本さんを追悼し、献花する。
下の写真は、今日の追悼で道頓堀川に浮かぶみんなが手向けた献花。



下は医療センター前布団敷きのようす。毛布もない人たちが集まってくる。



2006/12/28 岡崎市の女性野宿者襲撃と長居公園の強制排除

今日、岡崎市の女性野宿者殺害事件について、28歳の容疑者と、豊田市で起きた強盗事件で逮捕された中学2年の少年(14)2人のうち1人が強盗殺人容疑で再逮捕された。もう1人は、殺害事件当時13歳だったことから刑事責任を問えず、児童・障害者相談センターへ通告される。
この事件の報道の幾つかから情報をまとめておく。この事件は、おそらく日本で初めての女性野宿者の殺害事件だった。

愛知県岡崎市で、野宿していた花岡美代子さん(69)が11月19日午前1時ごろ、乙川にかかる明神橋の下の河川敷で、頭や顔、上半身を鉄パイプでめった打ちされ、肋骨(ろっこつ)が折れたり、脾臓(ひぞう)が破裂したりして失血死し、20日朝に遺体で発見された。花岡さんは、暴行後、護岸下の川に投げ落とされていた。
岡崎署の調べでは、同市内では11月6〜22日に、花岡さん殺害を含め7人の野宿者が襲われる事件が計8件あり、現金を奪われたり暴行されたりした。
この事件で、二八歳の男性と同市の中学2年の男子生徒3人(いずれも14歳)が逮捕、補導された。二八歳の容疑者は、愛知県警の調べに対し、花岡さん強盗殺人事件に関して「金を持っていると思ってやった」と供述。花岡さんは、年金の支給などで普段から現金5万〜6万円を財布に入れていた。容疑者は一時期、花岡さんの近くで野宿に近い暮らしをしていたことがあり、捜査本部は容疑者が花岡さんが現金を持ち歩いていることを知ったうえで襲った可能性が強いとした。
容疑者は履いていた鉄板入りの靴で花岡さんの腹をけりあげるなどし、少年らは、直前に近くで手に入れた鉄パイプなどで殴打したという。凶器となったパイプは女性が暮らしていた明神橋で、耐震補強工事に使われており、現場付近に多数置いてあった。
殺害事件当時、ただ1人の14歳で再逮捕された少年について、近所の男性は「普通のシャツにジーンズ姿。髪も黒くて普通の中学生に見えた」と話す。昼間に自宅近くで顔を合わせて不思議に思うこともあったが、声を掛ければ、しっかりと返事したという。同級生の女子生徒も「弱い子をかばうこともあってやさしかった。女子には人気があった」。
 事件当時13歳だった少年(14)は、小学校時代に岡崎市へ転校してきた。悪ふざけはしても特に問題行動はない「ごく普通の生徒」。11月いっぱいは、ほとんど学校に通っていた。小学校時代は愛犬をかわいがったり、近所の人にあいさつをしたりと、「人なつっこいイメージ」があった。所属していた運動部を辞めようとしたときも、顧問の教員から「彼は部のムードメーカー。結論を急ぐ必要はない」と慰留されたという。
中学校の卒業アルバムに写る28歳の容疑者は色白で小柄。おとなしく、運動も得意ではなかった。同級生からたびたび、集団でいじめられた。見かねた女子生徒が級友に仲裁を促したことも。
 「人を動かすことはできなかった。むしろ命令されるパシリ(使い走り)のような存在だった」。同級生の男性は記憶をたどる。
 その一方で、おとなしい友人や後輩には威圧的な態度も。そんな行動が同級生には生意気に映り、再びいじめられる悪循環だったという。

また、長居公園からは寄せ場MLで次のメールが来ている。

 長居公園仲間の会/釜ヶ崎パトロールの会の中桐です。
 今日12月26日、大阪市が会見を開き、長居公園の野宿の仲間のテント村について法的手続き(行政代執行)に入ることを公表しました。来月1月5日には「除却命令を行うという弁明機会付与の通知」を出し、10日頃に「除却命令」を出すとのことです。
 ちょうど一年前の2006年1月5日には、大阪城公園・うつぼ公園の野宿の仲間に対し「弁明機会付与の通知」が届きました。1月13日には「除却命令」が、1月24日には「代執行令書」が交付され、1月30日に行政代執行による強制排除が行われました。ほぼ同じスケジュールで、1月中旬から下旬にかけての時期に強制排除となる見通しです。日程には、07年1月28日に長居公園で予定されている「大阪国際女子マラソン」とのからみもあると思います。
 長居公園のテント村には現在10名の仲間が暮らしています。数名の仲間は「自立支援事業」を受け皿にした排除に抗議して抵抗を続ける意向で、仲間の会としても代執行の当日も抗議行動に取り組む考えでいます。
 その日まで、仲間はいつも通りの生活を続けます。また、強制排除された後も、どこかで野宿しながらでも生きていかねばなりません。その、ひとつながりの生活自体が、特にこの越冬期、野宿の仲間にとっては闘いです。仲間の会はたとえ強制排除されたとしてもその後も仲間とつながり続け、野宿を支えともに生きる活動を続けていきたいと考えています。
 みなさまにはそれぞれのスタンスから、大阪市に抗議を寄せていただくことをお願いします。また、9月27日に事前弾圧により逮捕された4人の仲間はいまだ大阪拘置所の中におり(別件逮捕のひとりは10月18日に釈放されました)、保釈の目処も立っていない状況です。
 大阪市経営企画室         電話・06-6208-9720 
 大阪市ゆとりとみどり振興局    電話・06-6615-0614 FAX06-6615-0659
 大阪市市民局 市民部 広聴相談課  電話・06-6208-7333 FAX:06-6206-9999
 大阪府警察本部          電話・06(6943)1234
 よろしくお願いします。
 立ち退き期限となる12月31日には、テント村で毎年恒例となったもちつきをやります。早朝から夕方まで、うたや紙芝居もありで楽しくやります。17時ごろからは、テント村の仲間6人+若者でしばいの上演をします。野宿の仲間の生活や、それぞれの思いをテーマにしたしばいです。お時間のある方、ぜひ観にいらしてください。
 他の機会にも、ぜひ長居公園のテント村に遊びによってください。


2006/12/26 第37回釜ヶ崎越冬の開始

例年通り、25日から釜ヶ崎の越冬闘争が始まった。 メインテーマは「安心して働き、生活ができる釜ヶ崎を!」
医療パトロールが25日〜1月10日まで(夜9時45分〜)、
三角公園の炊き出しが23日〜1月10日まで、
医療センター前布団敷きが25日〜1月10日(夜7時〜)、
人民パトロールが30日から1月3日、 
越冬まつり(三角公園)が31日から1月3日まで。
大阪市役所へのお礼参りが1月4日。
いつも越冬期には、特に釜ヶ崎近辺で毎年死者が集中する。厳寒の去年と比べて暖冬だが、今年はどうなるのだろうか。


2006/12/19 年末になるとホームレス情報がやってくる

毎年のことだが、年末になるといろんな国のホームレス情報がニュースで出てくる。
「ロンドンでは9万人のこどもたちがホームレス」では、イングランド全体では13万人以上のこどもたちがホームレスであるとしている。
政府統計によれば、ロンドンでホームレスである家族の数は絶え間なく増え続け、現在48360家族にのぼっているという。
BBCニュースによると、UK全体で10万家族がホームレスである。ここではその一人である8歳の少女、クロエが紹介されているが、そこで彼女は「ホームはハウス以上のもの、それは安心していられるところ」"Home is more than just a house, it's a place you can feel safe," と言っている。(彼女たちはホームレス対策の一時的住宅にいるので、とりあえず「ハウス」はある)。
なお、この記事によると、ホームレスのこどもたちが「学校でしつこいいじめに遭う」(to be persistently bullied at school)確率は通常の2倍である。クロエもその一人で、彼女はある日、クラスメートから「きたないホームレスの浮浪者」(dirty homeless tramp)と呼ばれて泣いて学校から帰ってきたという(ひでー話だな!)。
アメリカではどうか。Hunger, Homelessness Remain Critical for Families; Leading Causes Cited are Unemployment, Mental Illness, Lack of Affordable Housing によれば、飢餓とホームレス問題はアメリカの主要都市でひたすら昂進し続けているとされる。ホームレス問題については、シェルターの受け入れ容量が追いつかず、都市の86%で緊急シェルターが施設不足のためにホームレスの家族を門前払いした。また、緊急シェルターに入っているホームレス数の24%がこどもであり、シェルターでのこどもの数はどんどん増えているという。これらの都市によれば、ホームレス問題の主原因は精神障害、低家賃住宅の不足、薬物依存、低い給料、ドメスティック・バイオレンス、刑務所からの社会復帰、失業、貧困であるという。
一方、Thousands of homeless NYC youth are LGBTによれば、ニューヨーク市では8400人のレズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー、トランスセクシュアル(LGBT)の若者がホームレスであるとしている。「これはニューヨーク市にいると思われるホームレスの若者、1万5000〜2万人の42%にあたる。一方、アメリカの人口の3〜5%がゲイ、レズビアンとされる」
そして、「57万人から160万人の若者が毎年ホームレスであるか家出しているかだ」。(According to the U.S. Department of Health and Human Services, between 570,000 and 1.6 million youth are homeless each year or run away.)。
性的少数者がこれほどホームレス状態になる主要な原因は「性的指向やジェンダー・アイデンティティに関する家族の間の葛藤、そして第二に、シェルターの従業員によるハラスメント、差別、暴力である。」 「ホームレスのLGBTの若者たちは、性的虐待、薬物依存、精神的なもめ事に対して一般よりも傷付きやすい」「LGBTの若者たちが直面する困難はあまりに大きいので、子どもたちは家を離れてホームレスになる」。
そして、ロシアである。All the Homeless Peopleによれば、「ロシアのホームレス数は人口の約3%である」(日本にあてはめると360万人!)。
「モスクワのホームレス数は10万人である。が、政府はこれは多すぎると言い、活動家は少なすぎる、2倍だろうと言う」(日本の例を考えても、現場の活動家の言う数字が正しいだろう)。
そして、モスクワでの凍死者は冬季に300人だが、この数字についてこの記事は幾つかの調査と対照して問題点を挙げている。まず現場でホームレスの人々と直接コンタクトのあるモスクワの支援団体の調査によれば、彼(女)らが直接コンタクトのある「ホームレスの人々の10人に1人が冬季に死亡していく」という。また、かつてぼくも引用したが、「タイム」誌の「2002年の10月1日から2003年の1月9日までの間、モスクワでは9330人が低体温によって死亡した」という記事が引用されている。この記事の数字は、10万人のうち10%が死亡したと考えれば、大げさではないのだろう。
「われわれは何をするべきなのか? 一つの手段は、国境なき医師団がした提案、極寒の夜にはホームレスの人々を地下鉄に避難させるということである。実際、これは気温がマイナス30度以下に下がった1月に行なわれた」。
(「マイナス30度以下」って…)
極寒のロシアの一方、常夏(だっけ)の島ハワイ。For 1,000 or More Homeless in Hawaii, Beaches Are the Best Optionによると、ハワイでは1000人以上がホームレスであるとしている。この人々は、ビーチでテントを張って野宿している。ハワイの場合は、家賃の高騰がその主因であるらしい。
世界的に見れば、日本の野宿者問題は今のところはまだまだ小規模だと思えてくる。


2006/12/12 北九州の夜回り・講演など

北九州ホームレス支援機構に呼ばれて、12月9日に野宿者襲撃についての講演と対談をしてきた。(毎日新聞・北九州版の記事)。
8日に北九州に行って、北九州ホームレス支援機構の支援住宅を見学してお話を聞き、翌日の打ち合わせ。そのあと、炊き出し(散髪、医療相談、散髪なども同時に行なう)と夜回りに参加。
夜回りは手分けして北九州市のほとんど全域を回っているという。九州の夜回りはまったくの初めてで、たいへん興味深かった。何人もの女性、手話で話す人、70代の人たち、夫婦でダンボールハウスで寝ている人…。
9日は、講演のあと、中学校教諭の加藤陽一さん(福岡県人権研究所理事)と、北九州ホームレス支援機構理事長の奥田知志さんとの対談。50分の中でいろいろな話しをした(しかし、前日の打ち合わせの方がもっとおもしろかった?)。
加藤さんは、中学校たちが社会や他者との関わりをあまり持てず、言葉が育たなくなっている、また、中学生たちが家で一緒の部屋にいるのに一人はゲーム、一人はマンガというようにまるっきりバラバラで過ごす「一人遊び」状態を例に挙げて、体は中学校でも中身は低学年、あるいは幼児に近くなっている、と言っていた。また、中学校から中小企業で働きに行く取り組みを挙げて、社会と生徒の関わりを作りだす意義について触れていた。
奥田さんは、北九州での襲撃や学校での野宿者問題の授業の取り組みについて触れ、襲撃については、単にこどもたちだけでなく地域や社会そのものが自分の問題として取り組まなければならない問題である、という点を語っていた。
(長く書くキリがないけど、様々な論点が出ていた)。
北九州ではいろんな人に会い、いろんなものを見せて頂いていろいろ考えさせられました。ありがとうございました。


2006/11/26 プアプア批評・「WB」VOL..7

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)11月号に連載コラム「プアプア批評」の第1回を載せています。主に小柳伸顕さんの『教育以前』(田畑書店)について書きました。
連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。
ぼくのところにはきのう郵送で来ました。書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。


2006/11/24 京都大学での講演、京都の高校で講演

24日に「路上と大学をむすぶ有志連絡会・京都」主催の講演をやってきました。野宿者襲撃、野宿者の現状、学生の時に釜ヶ崎に関わった経緯、野宿者問題と(ひきこもり問題をはじめとする)若年就労問題、という内容。(体の調子が悪いままだったので、どっかで倒れそうでした)。
来ていただいたみなさん、熱心に聞いていただいてありがたかったです。
毎日新聞の記者が来て、京都版で記事になってます。
「路上と大学をむすぶ有志連絡会・京都」の主催では、日曜日、26日には長居公園のみなさんが来て話をするので、行ける方は行ってみて下さい。
今日は、京都の花園中学高等学校で講演でした。うーん、しんどかった…。
明日は野宿者ネットワーク主催のセミナーです。(野宿者ネットワークのページを見て下さい。)


2006/11/22 感染性腸炎だって

一週間前の水曜の夜に体の節々の痛みで眠れなくなった。同時に、体全体が熱くなったり寒くなったりなって、下痢が始まった。何度かやったカゼの下痢症状だなあと思って寝ていたが、それから一週間たっても下痢が止まらず熱も続く。どうしてもはずせない用事以外は、ずっと部屋で寝込んでいた。
さすがにこれはカゼと違うなと思って、今日、病院に行ってきたら、感染性の腸炎と診断された。小腸から大腸が炎症を起こしているそうです。(あらかじめネットで調べて、「これじゃないか」とは思ってた)。
感染性腸炎についてはこれが参考になりました。
ちなみに、ぼくが処方されたのは抗生物質のフロモックス錠、腸内の異常発酵や下痢を止めるビオフェルミンR錠、胃や腸の運動を調節するナウゼリン錠。
上のサイトでは、抗生剤や下痢止めの使用については「注意」とあるけど、これ以上この症状が続くととても体が持たないので、飲むしかないようです。
薬局では、「いま感染性腸炎がはやってて、これでうちに来る人が多い」と言っていました。感染するのはこどもが多く、予防はともかく「手洗い」ということです。


2006/11/12 「今年、野宿者襲撃が劇的に増加している」

見逃していたが、「A vile teen fad: beating the homeless」という記事が10月に出ていて、アメリカで野宿者襲撃(violent incidents against our country's most vulnerable members)が劇的に増加している、と報告している。一人は車いすごと燃やされ、一人は野球のバットで殴打され、一人(女性)は川に放り込まれて水死し、今年は9ヶ月で16人が殺された、という記事。そして、この9ヶ月の事件の62%の襲撃者は14歳から19歳だった。
この記事では野宿者への(あるいは野宿者どうしの)暴力を記録したビデオ「パム・ファイト」(日本でもアマゾンが扱っていて入手できる)の影響を指摘しているが、「そうしたメディアの影響よりも、そこから来るイメージと暴力への国のほとんど不用意な受容が問題」(変な訳ですんません)と言っている。
「もしも、他のマイノリティグループへの襲撃による殺人がこれほど多かったら、国中が大騒ぎになっていただろう」「1999年から2005年までに167人のホームレスの人々が(ホームレスでない人から)殺されている。この数は、他の襲撃による殺人(hate- crime homicides)の2倍である。この強烈な不均衡は、行為の原因を強く示す」。
事実、日本でも野宿襲撃は日常的に起こっているが、ほとんど問題にされることがない。ぼくたちも、ガソリンをかけられて放火された、火炎瓶を投げつけられた、みたいな事件を知っているので、「ダンボールハウスを何度も蹴られた」「ダンボールハウスに火のついたタバコを投げ込まれた」みたいな話を聞くと、つい「それですんでよかったね」みたいに思ってしまう。だが、これは例えば「少年が車いすをガンガン蹴っていった」「障害者に向かって火のついたタバコを投げつけた」というのと同じ事だ。そんな事があったら大きな問題だが、野宿者についてはそれらが問題とされることがほとんどなく見逃されている。確かに「この強烈な不均衡は、行為の原因を強く示す」。
この記事では、襲撃の対策として、「野宿者を自分の見えるところから排除するのではなく、問題を解決するためのコミュニティの気づき」を強調し、そのモデルとしてNCH's Faces of Homelessness Speakers' Bureauを挙げている。これについてはこ「近況」の今年の2月でも触れた。それをもう一度引用すると、
「学校に支援者とホームレス当事者あるいは経験者を招き、クラスで授業(プレゼンテーション)をすることだ。これらの話し手は、 個人的な経験を分かち合い、生徒からの質問に答え、ステレオタイプや偏見を打ち破る。そしてホームレスの人々の人間性を示す。NCHは、「ホームレス問題 に向き合う」「話し手」事務局を運営し、一年に約300のプレゼンテーションを持ち、聞き手は高校生を中心に17000人に達した。」
襲撃に対処するには、野宿者問題の授業、特に当事者と生徒の交流、ということである。
ところで、殺人事件が増えるのは特に戦争中だとされることがある(定説らしい)。殺人への許容度が高まり、国全体に暴力を許容する好戦的空気が成立するためだという。(「暴力への国のほとんど不用意な受容」だ)。
だとすれば、アメリカで野宿者襲撃の殺人が急増しているのは、イラク戦争の影響が背後にあると考えるべきなのだろうか。そして、イラク戦争に荷担し続ける日本という国ではどうなのだろうか?


2006/10/27■  学校と必修科目の話など

主に教員対象の雑誌「歴史地理教育」11月号の「窓」に「究極の貧困としての野宿者問題」(2ページ分)を書いて、それが今日郵送されてきました。
「究極の貧困としての野宿者問題」は、最近、授業や講演でよく使うタイトルです。

9月になってから大阪市の公立学校の教員対象の研修講演が続き、この2ヶ月で500人以上の教員に話をしている。個人的には、中学・高校の生徒対象に「授業」をやりたいんだけど、教師対象にもやらないと物事が進まないので、頑張ってやっております。

学校と言えば、受験に必要のない必修科目を履修させていない高校が全国でいっぱい発覚して問題になっている。受験目的に必修カリキュラムを無視して「ズル」をしていたわけで、いろんな背景や事情はあるだろうが、許される話ではないと思う。
それで思い出したが、ぼくが行っていた岡山の県立高校も、「倫理社会」が必修だったにもかかわらず、学年主任の先生が「世界史の授業で代用しますから」と言って授業のカリキュラムから完全にはずしていた(1983年の話)。実際には世界史の授業で1回か2回、2〜30分「演繹と帰納」みたいな話をしてそれで終わりだ。ひでー話だと高校生ながら思った。
ところで、当時の共通一次試験では、学校では習っていない科目を試験で選ぶ生徒が結構いて、ぼくも「倫理社会」なら普通に本を読んでればなんとかなりそうなので「日本史」を止めてそっちにした。すると学年集会で、例の学年主任の先生が「授業でやっていない科目を選ぶ生徒もいますが、試験というものは本来学校で学んだことの実力を発揮するべきもので…」と説教した。自分たちが勝手に必修科目の授業を止めておいて、そういうことをぬけぬけと言う厚顔さには本当に驚いた。さて、いまの倉敷天城高校はどうなってるのでしょうか。


2006/10/14■  ひきこもり/野宿者〜2つの「ホーム」レス


15日、「カフェ・コモンズ」で上のタイトルのイベントに出ます。詳細はこちら。
「若者の労働」をテーマにしたイベント、若者全般というよりもひきこもりやニートとカテゴライズされる若者を念頭において、という内容で依頼を受け、大喜びで引き受けました。
ただし、話そのものは時間も短いので簡単なものになると思います。


2006/10/10■  亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」T

光文社文庫で出た亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」第1巻を読んだ。今まで読んだことあるのは米山正夫訳と原卓也訳。亀山訳を読んでいると、あちこちで「おや」という違いがある。キリがないのでいちいち挙げないが、全体としては物語が「同時代の話」のような印象を受ける。登場人物、例えばイワンやヒョードルが乗るのは「馬車」ではなくて「乗用車」であるような印象だ。今後の続刊が楽しみ。
亀山郁夫は1980年代にソ連にいたが、1985年に日本に帰ってきて同志社大学でロシア文学の講義を担当した。ぼくはその講義を毎回聞いていた。フレーブニコフなどロシア・アヴァンギャルドの講義も印象に残っているが、なんといっても「カラマーゾフの兄弟」についての講義が最も印象深かった。亀山郁夫は、自分の父親との問題をからめながら、「カラマーゾフの兄弟」などの父親殺しの作品の分析を展開していた。分析は鋭く、毎回の講義が聞き逃せなかった。(講義後の課題は、確か「20世紀初頭のロシア・ソ連芸術について」で、ぼくはスタニスラフスキーの「俳優修業」について、それがあまりに人間中心主義的な演技論ではないかという事を書いて、結構いい点をもらった)。
周知のように「カラマーゾフの兄弟」は第1部が主人公の青年期のわずかな期間の出来事、第2部はその13年後の「現在」の物語で、第2部の物語の方が肝心だが「第1部」がないとよくわからなくなる、こうして物語は自然に2部構成になったと作者が序文で言っている。(「第1部」終了直後にドストエフスキーは急死した。そのため、読者、研究者は残された第1部を手がかりに「第2部」の予想をすることになる。それについては、江川卓の「謎ときカラマーゾフの兄弟」が大変刺激的。「ドストエフスキー父殺しの文学」で亀山郁夫が「第2部」のあらすじ予想をしていて、それも大変おもしろい)。
ところで、ぼくは今かなり長い文章を書いているが、亀山訳「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて思いついた。ぼくも文章を2部構成にできるのではないか。1部はいわば「リハーサル」期、そして2部は「本番」期で、この二つの時間間隔は約13年とする。1部で様々な問題を扱うが、それは2部でより大規模に繰り返され、いわばその伏線となるように構成する。
以前も、「〈野宿者襲撃〉論」のラストは「罪と罰」のラストのマネだった。その意味で、ぼくにとってドストエフスキーは読んですごく役に立つ小説家だ。


2006/10/8■  西成公園での3人の逮捕

野宿者ネットワークのホームページの方で書いているが、西成公園で野宿者ネットワークが連携・協力して活動していた「西成公園よろず相談所」の2人と西成公園の野宿当事者一人が逮捕された。(よろず相談所の一人はテント生活しているし、後者の野宿当事者もよろず相談所で活動していたので、この言い方は「とりあえず」だが)。
当日は情報が錯綜し、最初は西成公園の藤井さんも逮捕されたと聞き、急いで西成公園に行った。事実だとしたらいくらなんでも人道的にも許されないだろうと思ったが、藤井さんは公園にいた。ご本人は、「早朝、公園に機動隊や私服が配備されたとき、覚悟は決めていた」と言っていたが。
3人の容疑のいずれも、公園や路上での野宿者支援活動を対象にしている。今年の大阪城・靫公園の行政代執行以来、特に天王寺動植物公園事務所は浪速区の公園を中心に「公園でテント生活をするのは違法行為だから出て行け」と繰り返し、行き場所のない人たちを公園から追い払い続けた。その結果、浪速区でテントが残る公園は、野宿者ネットワークが関わっている関谷町公園だけとなっている。追い出された人は、路上や他の公園で野宿をしているので、まったく何の解決にもなっていない。追い出されて引っ越しさせられる野宿者がしんどいだけで、典型的な弱い者いじめだ。
そうした行政の姿勢に対決し、支援者が活動をしていると、今度は様々な容疑をつけて逮捕・留置され、場合によっては数年間監禁された上に有罪にされてしまう。行政は、無意味な追い出しをする時間とエネルギーがあれば、それを野宿者の支援のために使った方が社会的に有益ではないか、警察は支援活動を弾圧するヒマがあったら、例えば関西の覚醒剤のメッカと言われる釜ヶ崎でのヤク売買の取り締まりでももっとするべきではないかと考えざるをえない。


2006/10/2■  「City&Life」2006年秋号の討論

「City&Life」秋号で、「検証! 安全・安心のまちづくり『セーフティネット編』」という討論を水内俊雄さん(大阪市立大学)、平山洋介さん(神戸大学)とやりました。
「City&Life」の特集は「『安全・安心のまちづくり』を考える」で、小出治×河合幹雄×五十嵐太郎による討論、渡辺靖へのインタビュー「ゲーテッド・コミュニティ」、石田英敬へのインタビュー「テレビ国家が増幅させる『アブナイ社会』のイメージ」、秋山由樹のグラビア『『安全・安心』の風景』といった内容。
佐藤真さんが、ブログの8月1日の箇所で当日の様子を書いています。
市販されていない雑誌の模様。詳しくはこちらをご覧あれ。


2006/9/20■  20年来の事を幾つか

最近、必要があって、20年前に釜ヶ崎に来て以来の、手元にあるすべての資料を読んで整理している。完全に忘れていたものもいっぱいあって、いろいろと思い出して精神的に不安定になります。
それと、手元にある釜ヶ崎について書かれた本をすべて読み返し始めた。まず、入佐明美さんの「ねえちゃん ごくろうさん」などから読み始める。が、読んでると思い当たるような話ばかりなので、10ページぐらい読むとたちまちずっしり疲れて、しばらく休まないとあとを読めなくなってしまう。(自分と関係ない話だったらすらすら読めると思うんだが)。
なお、入佐さんはいま「〈野宿者襲撃〉論」を読んでいるそうで、「扱うテーマは同じなのに、切り口が全然ちがうから逆に興味深い」と言っていた。「ぼくも(入佐さんの本について)全く同じなんです」と答えました。
さて、今日は釜ヶ崎の「ふるさとの家」で毎年恒例の敬老会。その出し物の一つで、入佐さんが歌を幾つか歌い、ぼくが伴奏をするというのがあった。20年釜ヶ崎にいて、入佐さんと組んで何かするというのはこれが初めてではないだろうか。
本田哲郎神父のミサでは時々ぼくがオルガン弾きを(キリスト者でもないのに)やっているけど、楽器がちょっと弾けると、意外な形でいろんな人と共演があるわけです。



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