DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。)


2006/8/24■  第37回部落解放・人権夏期講座

この講座に「野宿者問題をどう教えるか」というタイトルの講演をやってきました。
関西に住んでいるけど、高野山はまったくの初めて(ちくま学芸文庫の「空海セレクション」を読んで驚嘆したこともあって、一度は行ってみたかった)。
南海線で1時間半かけて極楽橋駅に行き、こういうケーブルカーに乗る。



こういう景色の場所に出て、


こういう講堂で話をする(講演者のうしろは空海の像)。



用事をすませて電車に乗って2時に着いて、3時から話をして、明日早朝から用事があるので5時半に帰った。高野山に来ても、観光はゼロ!

全体で2000人が参加しているということで、どの講演も人が多かった。企業の人権担当の人などが多いということだ。
講演のあとの質疑で、野宿者対策に関わる行政の人から、「行政も無策ではないのだから、教育現場で行政の取り組みについてきちんと触れて欲しい」という意見があった。現場に関わっていると、どうしても行政の施策について批判的になるところがあって、話もそうなりがちだ。しかし、行政の中で努力している人にしてみれば、確かにそれでは納得いかないと思えるだろう。
というわけで、学校の授業の中では、行政の施策について語る場合、もっと慎重なアプローチをしないといけないなあと考えされられました。


2006/8/10■ 
解消すべきは、「野宿」ではなく「構造的貧困」(経済的・関係的な)である 
(「現代思想」の「ホームレス」特集を読む)
(8/14一部変更)

数年前の野宿者問題の授業で、高校生が「野宿はやっぱり他人の迷惑になると思う」「私の親戚のおじさんは家はあるのに路上で野宿をしている。親戚はみんな心配してるし周りの人にも迷惑だと思う」と言ったことがある。
ぼくは、「でも、昔、猿岩石やドロンズがユーラシア大陸横断やアメリカ大陸縦断とかやってたけど、野宿しながら旅してたでしょう。でも、みんなそれをすごく応援してたよ」と答えた。
生徒「でも、猿岩石とかは目的を持ってやってたんだと思う」
ぼく「そのおじさんも、なんか目的持って野宿してるんじゃない?」
生徒「あー、そうなのかなあ」。
野宿者問題の授業の感想文を読むと、「野宿者がいない社会になってほしい」みたいな内容が時々出てくる。しかし、それは「意に反して野宿を強いられている人」についてあてはまっても、野宿を自分の意志でしている人については話が違ってくる。ま、自分の意志で野宿している人については授業では時間の関係であまり触れられないので、そういう感想が出てきがちになるのだが。
あと、生徒の言うように「野宿は周囲の人に迷惑だ」というのは確かにあるかもしれないが、現実を見てると「そうでもない」ことは多い。例えば、ぼくが夜回りしている公園では、公園のテントの野宿者が近所のマンションの住人の犬を夜の間テントで預かったり、逆に住民がテントの人の犬を散歩させたりという交流が続いていた。公園の清掃も毎日して、近隣住民から「あんたたちがいると公園がきれいで助かる」「あんたたちがいるから公園に夜来ても安心だ」と言われていた(野宿者ネットワークのホームページで報告している日本橋公園の話)。「公園が使えなくなる」というのもよく聞くが、少々の数なら公園の目立たないところにテントを張っているので、そんなに迷惑でもないのではないだろうか。「公園が使えなくなる」というのは「野宿者がいるとこどもが危ない」という話と同じで、そう言ってる人の偏見を物語っているだけのことが多いように思う。
というわけで、「野宿を選ぶ」ことの意味などについてここで触れる。

現代思想8月号の「ホームレス」特集を読んだ。
冒頭の橘さんをはじめ、知り合い何人かが登場していることもあって読んでて興味深い。橘安純さん(一緒に授業もやった)の句は、こうして雑誌の形で読むと、野宿という背景を抜きにしても俳句としていいものだとあらためて思う。
「どこにねる なぜねる ここにねる」
「一つずつはずかしさ消して路上に寝る」
「横になり ほっとするダンボールの我家」
などなど、野宿という状況を語りつつ、その中で生きる個性や生活の情景がくっきりと浮かび上がってくる。最近、「現代俳句の鑑賞101」という現代のいろんな俳人の句を集めた本を読んだけど、橘さんの句はその中に並べても大きな存在感を持つのではないかなあと思う。
一つ一つの文章について触れていくとキリがないが、全体では小川てつオの文章が非常におもしろい。小川てつオはブログで「ホームレス文化」をやっていて、ぼくも時々読んでいた。「現代思想」の文章にもあるが、
「なぜ、だれもホームレス生活の豊かさを語らないのか?」
「ホームレスは、政治運動をするためにここにいるわけではなく、ここで生活をするためにここにいる。そのような落差は、支援団体のビラによく見られる「仕事や住む所があれば、だれも公園に住みしない」というような文に現れる。それは、たしかにそうであるかもしれない。しかし、それだけ言ってここの生活の豊かさに言及しないなら、ここで繰り広げられている生活を否定することになる。運動の駒として捉え、人々の内実に無関心な態度が、チラリと見えてしまうのである」。
これはもっともな視点だ。例えば、ぼくは釜ヶ崎という「寄せ場」に20年関わっているが、釜ヶ崎が「悲惨な最下層の不安定労働者の世界」みたいな視点だけで語られたら、それは寄せ場に住んでいる人間の多様性を否定するものではないかと感じるだろう。むしろ、釜ヶ崎にこそ閉塞した一般の社会にない可能性があるのではないか、と。
一方、野宿の場合となると、ぼくも含め、どうしても「野宿問題の深刻さ」を語ることに偏りがちになる。それは、日雇労働者が失業して野宿になる、その結果として「究極の貧困」に陥り、最悪の場合には路上死に至るという現実があるからだ。「日雇労働」と「野宿」とでは苛酷さが確実に異なる(小川てつオが主に公園のテント生活について語り、夜回りなどでは主に路上の野宿者に関わるという現場のちがいもあるだろう)。しかし、そこだけに焦点を当てて、野宿生活の中に現われた多様性や可能性を無視することは、寄せ場についてそうするのと同じくやはり許されないだろう。
「ホームレスの人々は、実は、働いている(缶集め、他)、汚くも臭くもない人がほとんどだ、ということを声高にいうことより、怠け者、働かない人、汚い人、精神的にまいっている人、落伍者が、活き活きと暮らせるホームレス社会の方が、それを排除して事足れりとしている社会よりも、許容度が高く、倫理的に優れている、と言いたい」。
もちろん、野宿者の大多数が空き缶集めや露店などの(時給100円程度の)仕事を長時間して生活している以上、「野宿者の多くは実はすごく働いている」と言うことは正しいし、それを認識していない世間にはどんどん言うべきだ。一方、寄せ場もそうだが、野宿生活の中には、「労働」とはちがう形での社会との関わり、そして貧しい者どうしが互いに助け合うという社会のあり方も存在している。それは大きな可能性として発展すべきものとしてある。しかし、それはどのように維持し、発展していくべきものなのだろうか。


この点については、小川てつオ+中桐康介+高沢幸男による討議でさらに様々な点が論じられている(中には知り合いもいるけど、ここではみんな呼び捨てさせてもらいます)。
3人の野宿者問題への関わりや公園などでの経験は読んでいて大変おもしろい。行政の「自立支援」の虚偽性を突き、特に公園でのテント村での野宿生活の豊かさを強調し、そこには野宿以外の「普通」の生活にはない交流や自由や創造性がある、と言う。特に公園で生活している立場からの中桐康介、小川てつオによるテント生活の話題は興味深く、ぼくらのようにふだんアパートとかに住んで支援をやってるのと比べると、やはり見えている光景が違ってくるなあと感心してしまうし、自分の関わり方についていろんな点で反省させられる。
3人の討議のテーマの一つには、行政の「自立支援」に対する強い反発がある。ホームレス自立支援法制定以降、行政は「ホームレスの自立を促し、社会復帰させる」と声高に言い始めた。それに対して、当事者・支援者から「野宿者は自立して生きているし、社会の中で生きている」という反論がされてきた。実際、この「自立」という言葉は(障害者自立支援法の言う「自立」と同じく)いかがわしい。(同じように、「社会的排除」という言葉も問題があるかもしれない――野宿者は「社会の外」に排除されているのか)。行政の「自立支援」が「(不十分な)支援に乗らない野宿者」の排除とセットになっているだけになおさらだ。
もう一つは、支援団体の多くが「野宿解消」を目的にしていることに対する批判である。野宿の中で生み出された様々な生活や交流を一般社会の中に解消してしまってそれでいいのか、という憤りが発言のあちこちから伺える。
しかし、この討議の全体の流れには疑問もある。高沢幸男は、野宿の構造的な要因として、日本の終身雇用制度の崩壊と製造業などのグローバル化による雇用の空洞化・喪失を挙げる(ただし、終身雇用制度の崩壊については異論があるので最後に「注」をつける。また、野宿の要因は他にもあると思うが、それについては「野宿者がよく言われるセリフ」を参照)。しかし、こうした失業と貧困、最終的に野宿を生み出す「構造的貧困」に対する闘争のヴィジョンがこの討議の中ではほとんど語られない。高沢幸男は「新しい働き方を提案するとか、就労ではない自立の過程を認めていくとか、そういうところはどんどんやっていかなくては」と言うだが、具体的にそれがどういうものなのか全く語られない。なので、(3人の活動についてあらかじめ知っている読者は別として)一般の読者にはそれが見えてこない。
そして最後は、「若い人達が野宿者になりやすい社会になったらいいのになあ、と思う(小川)」「楽しいよね。サラリーマンで、持ち家のために、命担保にして、ローンでがんじがらめされるよりも、ずっといいよ(高沢)」「僕らは野宿にすごい希望を持っているよね。若い人こそどんどん野宿してほしい(中桐)」と言うのだが、こういう流れにしてしまっていいのだろうか。
つまり、現状の野宿者問題は、高沢幸男も言うように失業をはじめとする幾つかの要因による経済的格差の増大の中、「究極の貧困」としての野宿が増大していることにある。その中で、特に若年層の貧困と野宿が問題になりつつある。そういう中で、「若い人達が野宿者になりやすい社会になったらいい」なんて言ってる場合なのだろうか。「ローンにがんじがらめにされた」ような一般社会と「野宿は悲惨だから社会復帰しなければ」というような支援の姿勢を批判する意味はわかるが、だから「もっとみんなで野宿しよう」ではそれのただの「裏返し」に近い。というか、それだけでは野宿を生み続ける社会の構造的貧困の追認になりかねないのでは。
野宿生活の豊かさを語ることには意味がある。ただし、それは他の場合で例えて言えば、「フリーター生活の豊かさ」あるいは「ひきこもり生活の豊かさ」を言うのと似ている。
確かにフリーターもひきこもりも野宿も、それぞれ、現代日本社会への(身を張っての)批判、あるいはオルタナディヴという意味を持ち得る。しかし、例えば現状のフリーター問題は、企業・資本が人件費節約のために正社員を使い捨てのきく低賃金なフリーターに置き換えていることにある。その中で例えば「若い人こそどんどんフリーターになってほしい」と言っていると、それは現状の追認にしかならないのではないか。フリーターは、確かに会社へ献身する労働を拒否する新たな労働のスタイルの兆しを示している。しかし、それを推し進めていくためには、「フリーターを増やしていく」のではなく、正社員を含めた労働・社会全体のシステム変革を目指す方向でなければ意味がない。
野宿問題についても同様で、一般社会の不自由さ、いびつさを批判し変革するためには、「野宿者を増やす」というより、構造的貧困を生む労働・家族・行政という社会全体のシステム変革を求める必要があるのではないだろうか。


ここで問題を一つ整理しておこう。現在、野宿者の大多数は「構造的貧困」の結果として「意に反して野宿を強いられている」。「仕事さえあったらこんなところで野宿なんかしない」と言っている人々である。当然、この人々に対しては「野宿解消」の支援をする必要がある。
一方、小川てつオや、生徒の言ってたおじさんのように、野宿を自分の意志で選んでいる人々もいる。また、最初は野宿を強いられたものの、その生活の中であらためて野宿継続を自分の意志で選ぶ人もいる。
ところで、いまの大きな問題は「野宿を強いられている人々」の多くが現状では「野宿継続」を選ばざるをえないということだ。どういうことかというと、「野宿の解消」を望んでいるが、現状の野宿対策があまりに不十分であるため、「対策には乗れない・今の野宿生活を継続する」としている人がすごく多いのだ。
行政の野宿者対策は、おおざっぱに言うと「自立支援センター」と「生活保護」だ。「自立支援センター」は、野宿者がそこで最大6ヶ月(ふつうは3ヶ月)生活しながらハローワークに通い、仕事を見つける。しかし、この期限内に常勤労働に就けた人の割合は実は1割ぐらいで、残りのかなりの人たちは不安定就労に就くか、そうでなければ仕事が見つからずに野宿に戻っている(自立支援センターに入るときにテントの撤去を求められるので、元いた場所にも戻れない)。まだ若いとか、使える資格があるならともかく、資格もないし50代だという野宿者の多くは自立支援センターに行くことにあまり意味を見いだせない。
生活保護については、行政は事実上「60〜65歳以上」の人に限るという方針を採っている。現実として50代の生活保護は、障害認定などがない限りは大変難しい。その結果、野宿者の多くがそうである「50代で、体がどっか悪いが入院するほどではない」という人たちは、生活保護にもかかることができない。要するに、いまの野宿者のかなり多くは「自立支援センター」「生活保護」のどちらにも乗れないので、「それなら当分は野宿でがんばろう」となるわけだ。
支援者・支援団体はどうするべきだろうか。話は明確で、「個々の野宿者の選択を尊重する」ということに尽きる(もちろん、現実には「個々の選択」にも様々な要因がからんでいるのでそう簡単な話ではない)。野宿を脱出したい人には、「就労」「生活保護」などによる支援。一方、「いまの社会はおかしい。野宿生活で違った生き方を目指したい」あるいは「昔の生活はどうあれ、今は野宿で頑張りたい」という人。そういう人については、多くの支援者は「そんな事言わずに生活保護を受けなはれ」とか「自立支援センターに入ってなんとかしなよ」などとは言わない。要するに、現状の行政の施策では、支援者の多くは当座は「野宿生活を支援する」「機会があれば生活保護・公的就労などの支援をする」しかない。現場で活動する限り、「野宿解消か否か」といった一般的なイデオロギー対立は要らないので、現場で必要とされることをするしかないからだ。しかし一方で、社会運動である限り社会システムそのものの変革という目標をどう考えるかという論点があり、そこでいくつかの考え方が出てくる。
しかし、しばしば語られる「野宿解消か否か」という対立は、おそらく真の問題を隠す「ニセの問題」なのである。


野宿問題を考えるとき大きなヒントになるものに、例えば「神戸・淡路大震災」がある。あのとき、多くの人が「天災」によって家を失い野宿状態になった。そして、被災者同士の助け合いがあちこちに展開され、同時に日本全国から主に若者のボランティアが集まった。
おそらく、野宿問題は当時の神戸といくらか似ている。いまの野宿問題の多くは、失業という「人災」による究極の貧困の結果としてある。その中で、野宿者どうしの助け合いやボランティアの集まりが自然発生的に創られてきた。
神戸の震災については、平山洋介の『不完全都市 神戸・ニューヨーク・ベルリン』(学芸出版社)を最近読んでいろいろ考えた。従来、長屋や低家賃の賃貸住宅、中小の自営業によって生活してきた多くの低所得者は震災によって仕事と家を失い、避難生活から郊外の仮設住宅、そして公営住宅へと移動していった。一方、被災した都市は、崩壊した低家賃住宅から比較的高家賃なマンション群へとその居住形態を変化させていった。この結果、多くの低所得の被災者は元の住所に戻ることができず、従来あったコミュニティはちりちりバラバラになって消えていった。社会問題となった仮設住宅での「孤独死」はその変化を示す最悪の一例だった。
神戸の場合、「孤独死」に代表されるような問題がある以上、かりに「あくまで避難生活にとどまる、テント暮らしを続ける」という人が現われても不思議ではない。数カ所のテント村で被災者グループがテントを「自力仮設」に置き換え、公園でログハウスやプレハブによる仮設住宅建設に取り組んだ例はそれだったのだろうか(兵庫区元町公園では2000年春まで存続)。そうしてみれば、社会問題として取り組むべき目標は、「低所得者でも安定しかつ充分な設備の整った住居を持つことができること」に加えて「新たな住居地域でも(震災前あるいは震災時にあったような)相互扶助のコミュニティを作り出すこと」にあったのかもしれない。
この例は野宿問題についてもある程度あてはめて考えることができる。野宿の現場では、野宿者どうしの助け合いやボランティア・支援の活動が創造されている。一方、生活保護でアパートに入っても、コミュニティから切り離された孤独感や生きがいのなさからアルコール依存になったり金銭問題を抱えたりなんらかの病気になってしまう人が後をたたない。
支援者は野宿当事者の選択する生き方の支援をする。しかし、それと同時に「野宿の原因としての構造的貧困(経済的格差の増大)に対して闘うこと」、そして「(野宿者に限らず)低所得者でも安定しかつ充分な設備の整った住居を持つことができること」さらに「新たな住居でも(野宿前あるいは野宿時にあったような)相互扶助のコミュニティを作り出すこと」、小川てつオの言葉で言えば「活き活きと暮らせる」ことが取り組むべき目標としてあるのではないか。
つまり、われわれが解消すべきなのは「野宿」ではなくて「構造的貧困」なのだ。一つは、もちろん「経済的貧困」。基本的には、すべての人に生活保護水準程度の収入はあるべきだろう。当たり前だが、月に数万の収入では電気・衣服・食事・本CDなどの教養娯楽で「自分のやりたい・選びたい事がなかなかできない」という制約が大きくかかる上、こどもを作り学校(高校・大学とか)へ行かせるという選択肢も非常に苦しいからだ。(また、支援者の多くはそこそこの収入がある人がほとんどだが、自分は充分な収入があるのに野宿者に対しては「これからも月3万円ぐらいの生活で頑張ろう」なんてとても言えないだろう)。
そして、「構造的貧困」は「経済的な貧困」だけでなく、野宿の中で現われた相互扶助や生活の多様性・可能性を一般社会で実現していくという「関係的な貧困の解決」でもある。野宿問題の一般化の原因の一つには、「地域共同体の崩壊」「家族像の変容」という要素が間違いなくある。この両方の「構造的貧困」の解決が必要なのだ。
例えば、討議の中で小川てつオの「無料のキャンプ場」という提案をしている。中桐康介が言うポートランド州のキャンプ場でのテント村の合法化は初めて聞いて、それはいい話だなと思った。
ただ、「無料のキャンプ場」によって勝ち取られるのは「居住地の合法化」すなわち「排除がなくなった」ということだ。それだけでは、野宿生活における「不十分な住居」と(月収数万円という)「極限の貧困」の問題は解決されない。テント村の合法化によって維持されるのはコミュニティだろう。野宿生活のコミュニティには豊かさがありうる(ただ、これもやはり公園や地域による。同じ公園でもちょっと離れたテントの人は「顔もよく知らない。話したこともない」という「都会のマンション」みたいな話はよくあるからだ)。
つまり、われわれは関係の「豊かさ」と経済的「豊かさ」の両方を追究しなければならない。「自立」という言葉で言えば、自分の生き方を自分自身で決める「自立」のためには「関係的な豊かさ」と同時に、ある程度の「経済的豊かさ」(ここでは生活保護水準を想定)が必要となる。確かに「人はパンのみで生きるのではない」が、「パン」もそこそこ必要ということだ。そして、「それは野宿でなければ実現できない」ということはないだろう。むしろ、社会全体の中で「構造的(経済的・関係的)貧困」をいかに解消していくかということが野宿者問題を通して最大の問題として問われていると思う。
もちろん、世の中には「銭形金太郎」に出てくる人みたいに、収入が月に数万でも豊かに生活していける人、「私個人は貧乏でも良い」と言う人もいるので、その人に「経済的に豊かになれ」と言う必要はない(ま、ああいう生活はフツーの人にはまず無理だが)。それと同じように、コミュニティや人間関係を避けたい「人間嫌い」「独立独歩」の人もいるわけで(もちろん野宿者にもこのタイプの人がいる)、その人に「コミュニティ関係で豊かになろう」とお節介をする必要はない。問題は「個々人」ではなく「社会構造」だからだ。
具体的にはどうすればいいのだろうか。短期的には、先に言ったように個々の野宿者の選択の尊重を前提に、公的就労や社会的起業などの形で(野宿者の多数がそうである)就労希望の人たちに充分な収入の見込まれる仕事を保障すること。そして、働くことができない・仕事が見つからない人のうち、希望者に(生活保護法の規定通りに)生活保護を適応すること。現状の野宿者問題の大半はこれだけで解決できる(現実には、それすらままならないのでみんな困っているのだが)。自らの意志で野宿を選ぶ人については、生徒の言っていたおじさんがそうであるように、生き方の一つの選択として尊重すべきだろう。そして、より長期的かつ包括的な問題として、社会全体の中で「構造的(経済的・関係的)貧困」を解消し、現在のとは別のルールに基づく社会を構想し実現するということがある(これについては、近いうち「フリーター・ひきこもり・ホームレス」で触れる)。
小川てつオの言う「怠け者、働かない人、汚い人、精神的にまいっている人、落伍者が、活き活きと暮らせるホームレス社会」の素晴らしさは確かに存在する。問題は、こうした「活き活きと暮らせる」場を社会全体の中にどのように作り出していけるかということにある。『〈野宿者襲撃〉論』の最後で、釜ヶ崎の「いす取りゲームのいすをゆずってしまうような、別のルールに基づく別の社会の魅力」について書いたが、競争と能力によって人間の尊厳が計られる現状の社会の「いす取りゲーム」のルールを変化させ、それとは「別のルール」をどのように社会全体に走らせるかということが課題なのだと思う。そしてその課題に立ち向かうとき、寄せ場や野宿の現場は、社会に対して一つの貴重な可能性を示し続けるはずである。


あと、「現代思想」で「なすび」による『「反権力のリゾーム」としての「『持たざる者』の国際連帯行動」の模索』について一言言っておく。次の一文。
「日本においても、「ホームレス」を保護の対象とする事業や「市民」に向けた啓発活動ではなく、「ホームレス」問題を必然的に内包する社会に対して課題横断的な連帯活動・民衆活動がどうしても必要であると感じていた」。
自分の活動に理論的位置づけを与えるのはいいんだけど、なんでそのために他の人がやっている活動について「ではなく」という否定的な位置づけをしなければならないのか。というのも、この人はインパクション2005年145号でも次のように書いていたからだ。
「襲撃に対する取り組みは、「啓蒙活動」などではなく、明確に新自由主義的グローバリゼーションに対する運動の一環として意識し直さなければならないし、運動方針の大きな柱として立てるべきだろう」。
授業やセミナーといった形で「市民に向けた啓発活動」もやっている者として、こういう言い方が繰り返されることに強い疑問を持つ。襲撃については、例えば川崎市では野宿者の多い2行政区の小・中・高校全てで年1回りの「野宿者差別をなくす」授業などが行われ、その結果、野宿者への襲撃がそれまでの半分以下にまで激減したと報告されている。「啓発活動」は現場の野宿当事者にとって大きな意味を持っている。
例えば、部落問題やエイズ問題などについての啓発活動の意義を否定する事ができるだろうか。まして、野宿者問題については学校現場や一般市民対象の啓発活動が日本ではほとんど存在しない中で、全国あちこちで数少ない人間が前例のない野宿者問題の啓発活動を根付かせようと必死に苦労している。そうした努力をある程度は知っていて「などではなく」はないだろうと思うわけだ。
もちろん、「課題横断的な連帯活動・民衆活動」「新自由主義的グローバリゼーションに対する運動の一環」は必要だ。なすび論文では「NO−VOX」との連帯行動を扱っているが、ぼくもその7月5日の大阪市役所行動に参加しましたよ。要するに、いろんな角度から活動を継続していくべきなので、一方的に「などではなく」と人のやってる活動を否定するのは野宿者運動全体にとってマイナスでしかない。
だから、書くなら「啓発と同時に」とでもするべきでしょう。


▼終身雇用について「注」▼

「賃金構造基本統計調査」(1992年)によれば、従業員1000人以上の大企業について55〜60歳の従業員のうち高卒後ずっとその企業に勤めていたのは14%、大卒では32%となっており、一般に思われているほど「終身雇用」は一般的だったわけではない。
そして、玄田有史の「仕事のなかの曖昧な不安」(2001)によれば、
「『終身雇用』とよばれた長期雇用の仕組みも、中高年にはむしろ強化されつつあるのが実情である。統計を見ても、中高年の同一企業内平均勤続年数は増えている。(…)男性も女性も、20代から30代前半の正社員の同一企業内での平均勤続年数は90年代を通じてほとんど変わっていない。50代以上の男性ではむしろ上昇している。それは長期雇用や終身雇用の弱まりという世論とは正反対の動きである」。
また「長中高年雇用者の賃金決定のうち、年功的な要素は徐々にしか変化していない」。
要するに、「かつて日本の企業は終身雇用を維持していたが、それは90年代に入って崩壊してきた」というよく聞く話はあまり信用できない。確かに、会社もろとも、工場もろともに破綻し失業するというパターンは増加したが、「運命共同体」である会社そのものが消えるのだから、それを「終身雇用の破綻」と言えるかどうか。
「仕事のなかの曖昧な不安」が強調するように、進行しているのは、フリーターの増大、若年正社員の長時間・過重労働化、フルタイムとパートタイムの賃金格差の増大などである。


2006/7/28■ 「communities in crisis」の一部を参考までに

NHKスペシャル「ワーキングプア」を見た。それを見て、2005年2月にアメリカで発表された「危機にある共同体」を思い出した。
日本はアメリカの後をひたすら追い続けているが、その「世界一豊かな国」アメリカで激化し続ける貧困問題のレポート。その一部訳を「〈野宿者襲撃〉論」で引用したが、それをここにコピーしておこう。

「アメリカ合衆国は世界で最も豊かな国だが、何百万ものアメリカ人が毎年飢餓とホームレスを経験している。約350万人が毎年ホームレスとなり、3630万人が十分な食事の取れない世帯で暮らしている。」
「貧困と飢餓に関する公的なレポートによると、貧困とホームレス状態の危機にある人数が増えている。2002年から2003年にかけて、合衆国で貧困のうちに暮らす人数は130万人増えて3590万人になった。予想されるように、貧困とともに飢餓の割合も増えている。2003年には、食料が不十分な世帯は、3年続けて増大して1300万人のこどもを含む3630万人に増大した。」
「深刻な景気の後退と1980年代初期の社会保障プログラムの大幅なカットが、飢餓とホームレス数の目に見える増加をもたらした。」
「Bread for the World Institute は、食料援助プログラムが全国で15万あると推定している。シェルターの数も劇的に増加(skyrockested)した。Urban Institute は、合衆国でベッドが使えるシェルターの数は、平均的な夜で1988年の27万5000から1996年の60万7000以上に増加したとする。」
「The U.S.Cencus Bureau は、2003年に3590万人が貧困ライン以下の水準で生活し、その数は2002年から140万人、2000年から480万人増大したとしている。」
「飢餓とホームレスの最大の要因の3つは、低賃金、失業、高い家賃である。」
「合衆国の労働者の4分の1は、1時間あたり9.14ドルで働いており、年に52週間をフルタイムで働くとして、年間19000ドルの収入となる。これは、4人家族の貧困レベルを数百ドル上回るに過ぎず、生活を続けていくには困難な収入である。例えば、賃貸家賃については、1時間9.14ドルの労働者が2ベッドルームのアパートを確保できる州は存在しないし、1ベッドルームのアパートを確保できるような州も13しかない。」
「合衆国における近年の雇用状況が、飢餓とホームレスの増加をもたらしている。2001年から2004年に合衆国は120万の民間の仕事を失った。そして2000年から2003年に、合衆国における失業は2ポイント以上上昇し6.4%の高さになった。現在、公的には800万人の人々が失業している。けれども、労働統計局は、他に600万人が不本意にパートタイムで働くか雇用されておらず、その人たちは仕事を探すことをあきらめているので、公的には「失業」とみなされていないとしている。」


2006/7/25■ 夢の中の私

こちらのブログ(はてな登録で発見)でぼくが登場している…
あ、anode=junippeさんとは直接話したことはないと思うんですが、「〈野宿者襲撃〉論」について「かなり苦しい(胸が苦しくなるような)読書でした」「野宿者襲撃の加害者の証言を読んでいて強い感情的反発(拒絶反応)が生じたからです」と書かれているのを見て、とても納得しました。書いてて「地獄巡り」のような心境でしたから。
しかし、「君はカミュをそんなにもっているのに読まないなんてけしからん、すべての答えはそこにあるのだ!! と怒鳴る」って、とんでもなく非道いヤツですね。
今日、ぼくの方は、「ゴドーを待ちながら」を読み直さないとなあと思って「ペケット戯曲全集」を久々に引っ張り出しました。恐ろしく深刻な内容というイメージが強く残ってたんたげと、読み直してみると、冴えたギャグの連発で驚きました(ペケット自身が「悲喜劇」と言っているし)。「ゴドーを待ちながら」には関西弁による翻訳があったと思うけど、確かに「漫才」としても成立しそうです。
(「ゴドーを待ちながら」については、横田創さんとのNaked Cafeのやりとりでこう書いたことがあります。〃「不可能なものへの愛」にすべてを賭けたシモーヌ・ヴェイユには「神を待ち望む」というタイトルの本があります。そこには、「不可能な神」への愛が強烈に語られているまさにそのために、かつての彼女に満ちていた現実的な「隣接性」が失われて行きつつあります。
一方、「神を待ち望む」のパロディのような「ゴドーを待ちながら」というタイトルの作品を書いたペケットはどうでしょうか。エストラゴンとヴラジミールという2人組が作り出す世界は、様々な飛躍やギャグ、そしてこの世ならぬ恐怖と笑いに満ちあふれています。ここには、ある意味で「不可能なものの待望」と「現実的な隣接性」の奇跡的な一致があるわけです。〃)


2006/7/15■ 近頃かなり驚いた記事


『ニート』『フリーター』 厳しい将来 小学校でも『予防授業』
東京新聞7月2日

 仕事を持たないニートや定職に就かないフリーター。背景はそれぞれ異なるが、正社員に比べて生涯の経済的な格差は大きい。そうした彼らの現実を知り、将来を考えてもらおうという授業が小学校で始められている。 (渡部穣)

 ■文科省が委託事業 
 「一生アルバイトをした人と正社員と、給料の差はどれくらいになるか? 二百万、二千万、二億。一つ選んで」。答えは平均で約二億円と告げられると「えーっ、そんなに!?」。子どもたちから驚きの声が上がった。
 川崎市立小倉小学校の六年生の教室。先月中旬、ビジネス専門学校講師の鳥居徹也さん(40)が、総合学習の時間に講義した。内容は「フリーター・ニートになる前に受けたい授業」。クイズ形式で積極的な発言を促し、テンポの良い語りで子どもらを引き込んでいく。
 文部科学省の委託事業として、鳥居さんは昨夏から全国八十以上の中学校と高校を回った。「小学生でも理解できる」と助言され、今年から小学高学年に枠を広げ、同小は初めての授業だった。
 「フリーターにはボーナスがない」「退職金がない」。鳥居さんは次々とアルバイトが“損”な例を示した。ニートについても「親の甘やかし」や「失敗や挫折」などの背景を挙げ、自立に向けた精神的な支えの大切さや、失敗を恐れず努力することの意義を訴えた。
 「フリーターって大変」「苦手な勉強も頑張ってみようかと思った」。授業が終わった直後に前向きな感想を述べる児童が多く、鳥居さんは手応えを感じた。
 ところが、授業後のアンケートで「フリーターになってもいいと思った」と答えた子がいて、驚いたという。鳥居さんが「ハンバーガーが百円で食べられるのは、安いお金で長時間働いてくれるフリーターのおかげ。すべて正社員なら、五百円になっちゃうかも」と話したのに対して、「ハンバーガーが高くなるのは嫌」と受け止めたのだ。
 「子どもは純粋で、ストレートなんですね」と鳥居さんは頭をかいた。中高生には全くなかった反応という。
 小学生にフリーターらの話は早すぎるという声もある。しかし、鳥居さんの授業を行った東京都中央区立阪本小の向山行雄校長は、「会社員は満員電車に揺られて、くたびれた中年のイメージしかない子が多い。自由気ままに暮らしている若者をカッコイイと思う子に『フリーターは見かけほど楽じゃない』という事実を伝えるだけでも意味がある」と話す。
 ニートの自立支援を行うNPO法人「育て上げ」ネット(東京都立川市)も金融会社の支援を受け、今秋から中高生向けの出張授業に乗り出す。「ニート予防を目指した金銭教育プログラム」と名付け、準備を進めている。「金銭教育を通じて、一人暮らしでいくらかかるのかなど、生きる力を身に付けてほしい」と工藤啓理事長。
 ニート問題に詳しい玄田有史・東大社会科学研究所助教授は「社会に出れば、税金や年金の支払いなどの義務を負う。早いうちからリスクの感覚を知り、学んでもらうことは役に立つはず」と話している。
 ■全国で約277万人に
 ニートとは、Not in Education、Employment or Trainingの頭文字(NEET)を取った造語。進学も就職もせず、職業訓練も受けていない15−34歳の若年無業者を指す。厚生労働省の2004年の推計でニートが約64万人、パートやアルバイトで暮らすフリーターは約213万人いるとされる。
 ニートやフリーターは経済的自立が困難で、非婚率が高い。少子高齢化や若年労働者の減少に拍車をかけ、年金など社会保障の支え手が減る不安が指摘されている。国は、「若者自立塾」や「ジョブカフェ」の創設など就職支援に力を入れ始め、来年度から年長フリーターの正社員化にも取り組む予定だ。


こういう授業が全国で行なわれているんですか。しかも文部科学省の委託事業で。
新聞報道は現実とはかなりイメージがずれることが多い。それにしても、この授業は「フリーターになるとこんなに損をする。だから、みんな頑張ってフリーターにならないようにしよう」という流れに見える。(ぼくも野宿者問題の授業を学校でやっているが、それにあてはめると「野宿生活はこんなに大変。だから、みんな頑張って野宿者にならないようにしよう」という感じか。そういう授業があったらほとんど「犯罪的」だと思うが)。
しかし、そもそも、同じような仕事をしてるのになんでフリーターと正社員はそんなに収入がちがうのだろうか。そっちの方が問題ではないのだろうか。というか、パート・アルバイトなどの不安定就労層が激増した第一の理由は、人権費削減のために多くの企業が正社員数を絞り込んだためだった。そうなのに、こどもたちに「フリーターは損だ(だから正社員になろう)」と言うのは、問題にする相手が違うんじゃないだろうか。
一言で言えば、これでは構造上の問題を個人の「自立」や「努力」の問題にすり替えているだけのように見える。第一、正社員数が限られている以上、誰かが「頑張って」正社員になれば、その代わりに誰かが正社員になれなくなる。「みんな頑張って正社員になろう」という話は最初から無理なのだ。
これは野宿者問題について、いす取りゲームとカフカの階段で言っていることなんだけど、この東京新聞の記事は2ちゃんねるで板が立って、その中で、「とりあえず、雇用問題を語るときはまずこのあたりを読んでくださいね。いす取りゲームとカフカの階段」という書き込みがあった(ぼくの書き込みじゃないよ)。その他、この記事とカフカの階段のページを並べて紹介してるブログもあった。(そういえば昔、2ちゃんねるの『ニートらに「やりたくない仕事をやれ!」とタイゾー論展開』スレッドにも「誰かタイゾーにこれを読ませてあげて下さい」と「カフカの階段」のページがリンクされていた)。
いす取りゲームの話は、失業率と野宿問題に関する比喩だったが、もちろん「正社員」のいすの取り合いと考えることができる。現在、失業率が改善しているが、これはよく知られているようにそのほとんどがパート・アルバイトなどの不安定就労層が増えた効果なので、いす取りゲームは「就労―失業」から「正規雇用―不安定雇用」のそれへとその軸を移動していると考えられる。
6月の朝日新聞のインタビューで竹中大臣が、「不良債権を処理せずに放っておいたら、いま二百数十万人の失業者が、たぶん400万〜500万人になっていた。所得ゼロの人がそれだけいたら、格差はもっと拡大していたでしょう。経済をよくすることは格差を縮めることです。小泉内閣はまさにそれをやったんです」「格差ではなく貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」と言っていた(「社会的に解決しないといけない」「貧困はこの国にはない」って!)。
しかし、実は90年代以降のいわゆる「ニューエコノミー」期のアメリカでも、経済成長と失業率の改善が顕著だった。しかし、極限の貧困であるホームレス問題はその中でも進行し続けていた。失業率の「いす取りゲーム」から、正社員と不安定就労層あるいは低所得層の「いす取りゲーム」への軸移動があっただけで、結果として絶対的貧困の問題が解決されたことはない。多分、日本はその方向をまっしぐらに追いかけているのだろう。


2006/7/12■ 「連帯の新たなる哲学」と「芸術起業論」を同時に読む

阿倍野の本屋に行くと、「四六判宣言―文庫では読めない本たち―」フェアというのをやっていて、その中に「〈野宿者襲撃〉論」が並んでいた。セレクトしてもらってありがたいことですが、これでもう少し売れて読んでもらえるかな? 

5月20日発行のロザンヴァロンの「連帯の新たなる哲学」(原著は1995年)は評判がよいようで、朝日新聞の書評でも好意的だった。そして、読んでみると確かに刺激的な考察を含んでいる。
その内容については何人かがウェブ上で要約しているが、帯にあるように「危機に瀕した『国民の連帯』を再創造するため、社会契約の原理にまで遡って民主主義を考える」ことを焦点として、様々な論点が考察されている。
「固有の意味での政治社会的空間の弱体化が問題になっているのだ。連帯が強固に組み立てられておらず、その結果、連帯の感情を一貫したかたちで表現するのが困難になっている。いわばきわめて近いところと、きわめて遠いところとを『漂って』いるのだ。『人道的』援助の発達に、財政・社会負担からの脱税の増加が随伴しているのが、その徴候である」。(日本でも国民年金の不払いなどが問題になっているし)。
従来の「連帯」が失調しているのは、一つにはそれを機能させた社会保障制度が「保険」の概念によって構成されていたからだ。つまり、リスクを想定して拠出金を出し合う保険制度は、「国民」の被るリスクが大同小異であることを前提に作られている。しかし現在、長期失業者、ホームレス(homelessとしての)が特定の人々に固定される傾向がある現在(すなわち「社会的排除」)、保険制度は機能不全を起こしつつある。それを、著者はロールズの言う「無知のヴェール」に修復不可能な裂け目が生じていると表現する。
これを昂進させているのが、ヒトゲノムプロジェクトがそうであるような遺伝子レベルの予測医学の発達である。従来、偶然や不運でしか語れなかった発病リスクが、各個人における予見可能性へと変化する。自分が発病リスクが少ないとわかれば、その人は従来の保険には入りたがらないだろう。逆に、発病リスクが高い人に対して、従来の保険制度はハードルを上げていく傾向を持つだろう。
こうした分断化に対して、新たな社会契約の哲学的基礎付けを行なわなければならないという著者は言う。国民にとって、全員が一挙に共同のリスクを追うものとして「戦争」があった。「われわれは戦争の道徳的等価物を必要としている」というウィリアム・ジェイムスの言葉をを引用しながら、徴兵制の問題や共同体について考察する箇所があるが、これは現在の日本においても現実的な議論となっているところだろう。
この他にも、様々な論点が考察されているが、この本は後半に至ってやや調子を変える。ベーシック・インカムについて触れて、それは「社会的なものへの新たな取り組みというよりは、むしろ補償(生田注、社会保障としての「保険」ではなく)を行なう社会の極限を構成するものに私には思われる。それは、福祉国家の古典的概念化が終焉したことを示す逸脱的で逆説的な姿なのである」と言う。
こうした上で、「たいして、まさにこれとは逆に方向に向かって、受動的福祉国家の限界を乗り越えるべく関わっていかねばならない。労働による社会参入こそが、排除にたいするあらゆる闘争の礎石であり続けるべきである」「人間が戦ってきたのは、保護者として人々を気遣う福祉国家によって衣食住を与えられる権利のためにではない。みずからの労働によって生活する権利、みずから得る収入を社会における職能に由来する承認に結びつける権利のために、戦ってきたのである」。
ここから、本書は「ウェルフェアからワークフェアへ」というアメリカの福祉政策を一部批判しつつ、結論的には(若者や失業者への職業訓練の強化がそうであるような)労働への参入、その労働による社会への参入という方向を示すことになる。訳者が後書きで言うように、これはイギリスの「第3の道」に(理論的にはともかく)現実的にはかなり近いものになる。
さて、一読すると、著者は「労働による社会参入」をかなり無批判に前提しすぎているのではないかという印象はある。例えば、「みずから得る収入を社会における職能に由来する承認に結びつける権利のために」人間は戦ってきたと言うのだが、その場合、就労不可能な人々(障害を持っている、高齢である、心理的に働くことができない、などなど)の社会的「承認」はどうなるのだろうという疑問が当然出てくる。また同様に、ここで言う「労働」は「家事労働」を含んでいるのか、という疑問も出てくる。多分原書でとっくに批判されているだろうが、本書はジェンダーの視点をほぼ全く意識しておらず、その点でも労働論として致命的に欠陥を持っている(他の著書では扱っているのだろうか)。一言で言うと、「労働による社会参入こそが、排除にたいするあらゆる闘争の礎石であり続けるべきである」というのはあんた個人の信念でしょう、信念で社会問題を語るなよ、という印象をどうも持つわけだ。結論部が「第3の道」に現実的にかなり近くなることも含め、原著の出た10年前はともかく、2006年現在こうした結論を読むと、どうも色褪せたものに見えてくるのは避けがたい。
事実、労働の問題はこの10年でかなり変化したのではないだろうか。例えば、ひきこもりと(いわゆる)ニートの中には、肉体的にではなく心理的に働くことができない層が一定数存在する。それに対しては「それは甘えだ」というのが一般的だが、それは不登校が「心理的に登校不可能」であるという意味で、不登校の労働バージョンである可能性がある。したがってそれは個人の「心理的」問題としてではなく、労働と社会との関係についての構造的問題として取り組まなければならない(これはぼくの「フリーター・ひきこもり・ホームレス」の一つのテーマだが)。そもそも労働とはなにか、労働の形はいまあるような形のものしかないのか、ということが問われている可能性があるからだ。
さて、村上隆の「芸術起業論」を同時に読んだ。日本の閉鎖的な美術教育、欧米の動向を追うことで満足してきた芸術家体質を批判し、世界(具体的にはアメリカ)の文脈で生き残りうる作品を作り出してきた自身の発想が思い切りよく語られている。
「欧米では芸術にいわゆる日本的な、曖昧な、『色がきれい……』的な感動は求められていません。/知的な『しかけ』や『ゲーム』を楽しむというのが、芸術に対する基本的な姿勢なのです。/欧米で芸術作品を制作する上での不文律は、『作品を通して世界芸術史での文脈を作ること』です」。
「『スーパーフラット』でぼくがやろうとしたことは、日本の美術の歴史から美術の未来の方向を割りだしていくことです。/『欧米の分析方法から自己言及的な日本像を導き、その向こうに見える普遍的な美意識を世界の美術の文脈の一つに組み入れる』。/これは美術の歴史への挑戦でした。」
この本には様々な実体験が語られていて読み物としても大変おもしろいが(海洋堂とのやりとりは特に傑作)、読んでいて、村上隆が美術についてやっていることは、労働と社会についても応用できるかもしれないと考えさせられる。つまり、現代日本という特殊な社会は「おたく」文化を生み出し、それを村上隆は世界の美術の文脈に導入した。それと同様に、日本という特殊な社会が生み出した「労働と社会」の関係も、世界的な文脈から読み返し、いわば「欧米の方法から自己言及的な日本像を導き、その向こうに見える普遍的な(労働と社会に関する)意識を世界の文脈の一つに組み入れる」ことはできないか、ということだ。それはわれわれに与えられた一つの課題なのではないだろうか。
(ところで「芸術起業論」では「西洋で認められている日本人ですぐに思いつくのは、小澤征爾です。/彼こそは本物の巨人です」としている。ウィーン歌劇場の音楽監督という「欧州の文化の核心の頂点にいます」というのが理由の一つらしいが、しかしこれは何かの間違いではないだろうか)。


2006/7/1■ 荻原裕幸「デジタル・ビスケット」を読もう

こちらのブログに、記事に対するぼくのメールとその返信が出ています。

この数年間、「万葉集」「古今集」「新古今集」「山家集」「金槐和歌集」「芭蕉句集」「蕪村句集」なんかを読み続け(日本語が読めるなら古典詩歌を読まないともったいないじゃないか)、数ヶ月前から現代短歌・俳句を読み始める。「10代から読んでたらよかったなあ、そしたらずいぶん言語観が違ったなあ」と後悔しているが、ある程度読んで、その中で塚本邦雄と荻原裕幸が抜群におもしろいと気がついた。
塚本邦雄は1年前(2005年6月)に亡くなったが、1962年生まれの荻原裕幸は現在も活動中で、2001年までの全歌集「デジタル・ビスケット」(沖積社)も手に入る。荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘は80年代短歌の「ニューウェーブ」と言われたらしいが、他の人の短歌をいろいろ読んだ中でも「デジタル・ビスケット」が特におもしろい。高橋源一郎は穂村弘の第1歌集「シンジケート」について「俵万智が三百万部売れたのならこの歌集は三億冊売れてもおかしくないのに」と言ったというが、そう言うなら「デジタル・ビスケット」は30億冊ぐらい売れても悪くないだろう(しかし、2001年発行のこの本は現在第2刷!)
第1歌集「青年霊歌」(1988)の時期、例えば
「まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す」
「われの死ののちの風景思ひつつ見る太陽がいつぱいの街」
「人ごみに過去も未来も見うしなひ青春といふ言葉むなしき」
といった焦燥に満ちた短歌は、1992年の「あるまじろん」で一気に形式上の破壊へと突き進む。例えば
「だだQQQミタイデ変ダ★★ケレド☆?夜ハQ&コンナ感ジダ」
「ぽぽぽぽぽぽと生きぽぽと人が死ぬ街がだんだんポポポポニアに」
「ブロッコリーのごとき鬱なり(恋人=母+湿原+リアリズム)」
これは単なる「破壊」なのだろうか。むしろ、これら(いわば)「文字化け」歌、「ぽぽぽぽ」歌、「論理式」歌は今読むと平明ですらある。一つには、それはコロンブスの卵のように、いったん書かれると「当たり前」のように見えてくるからだ。(例えばこの延長で、「絵文字」歌、(万葉集の一部の歌のような)「解読不可能」歌、「部分欠落」歌、「純粋数式」歌もどんどん作っていけるだろう。というか、誰かすでにやっているのでは)。誰かがやるべきだったことがここで実行されたという意味で、これは歴史の更新という手応えを持つ。だが、「あるまじろん」で一気に炸裂したこうした破壊は単に形式的な変革の興味以上に、むしろ今読んでも非常に美しく、感動的なのではないだろうか。しばしば引用される
「▼▼▼街▼▼▼街▼▼▼▼▼街?▼▼▼▼▼▼▼街!▼▼▼BOMB!」
がそうであるように、個人的な形式変革への衝動と、1990年頃に起こった世界の変容(ここでは湾岸戦争)が交差し、それがこの歌集の一見実験的、抽象的な形に唯一無二の現実性を与えているからだ。
「時代」という言葉、そして実年齢の話題が荻原裕幸の短歌には「くどい」と思われるほどに繰り返し登場する。「あるまじろん」には「近代野球のディコンストラクションとしての魔球大リーグボール」「のやうなポップでダンディな魔球にしたいと考えていた」とあるが、実際には、押さえがたい焦燥と近代短歌のディコンストラクションと世界的な「1989年革命」以降の変化が交差してしまったところにこの歌集の価値の多くはあるように見える。個人的には、「ぽぽぽぽ」歌と「▼▼▼▼」歌が読んでて最もおもしろい。
ところで、「記述の外部に類似する世界のモデルを探すよりも、記述そのものに内在する歪みや震へみたいなものを感じてもらへたらいい」と言う94年の第3歌集「世紀末くん!」(このタイトルはいかにも弱い)は、各章のはじめに小文があるが、どうも歌そのものよりもその小文の方が詩的かつ論理的に強力という奇妙な作品ではある。
「結論の出ないまま三十歳になったけれど、今になって気づいたのは、世界観を言葉に翻訳できるなんて錯覚だったんだといふこと。現在の混沌きはまるあれこれ、この翻訳不可能な状況を、どうにか他者に届かせようともがくうちに、ぼくの日本語は歪み初めてゐた」「『超・日本語生活』とは、日本語を超えたといふことではない。超えようとすればするほど、閉ぢこめられてしまふ、その現実を見るといふことなのだ。大切なのは、日本語を超えることではない。隷属もせず、否定もせず、逸脱もせず、日本語と隣あはせにあることだらう」。
ぼくはこうした言葉にかなり共感するが、それは言語による思想の不完全性への突き詰めからそこからの「隣」への脱出という方向転換が、80年代後半以降の時期に文学や思想に関わった世代の多くに共通するものだったからだろう。言語と世界の等式の崩壊を察知してしまったとき、われわれは言語の「歪み」を通じてしかリアリティを伝えることができないという段階に至る。しかし、それは「日本語と隣あわせ」の領域を示すことができるだろうか。
「天王星に買つた避暑地のあさがほに夏が来たのを報せておかう」
「ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の」
「オフィスにはとても麒麟なOLがゐてしまうま語をときどき話す」
これらの短歌は「世紀末くん!」の中ではかなりわかりやすく、そして「いい歌」(秀歌)である。しかし、「世紀末くん!」の多くの歌は、むしろ読み手をひたすら途方に暮れさせる。そして途方に暮れるだけでなく、「嫌になるくらゐ時間をかけて推敲した」作品を含むというこの歌集は、10年を費やした高橋源一郎のかの「ゴーストバスターズ」(1997)にも似たある種の閉塞性をも感じさせている。
「一九九四年、見るものも聞くものもどこか刺激が弱い。やつぱり自分自身を旅する他ない時代なのだろうか。でもたぶんぼくの中なんてからつぽで、のつぺりとした風景がどこまでもひろがつてゐるばかりで(…)」
こうした状況認識から作り出された歌は、現実そして自己への逆説的な接点を生み出そうとして、空虚な形式性へと陥りがちになる。これは個人の力量の問題なのか「時代」の問題なのか、それとも短歌というジャンルそのものの問題なのか。
「デジタル・ビスケット」に収められた最新歌集は「永遠晴天症」だが、そこでは「今、時代を生きようとすると、体温を奪われる。言葉も温度を失う。現在を生きることは、この低温を肯うことだ。温度のある言葉は偽物。異なる時代への逃避だ。毎晩、残業のオフィスで、そんなことを思っている」と語られる。
「雲はだめ風もだめ虹もだめ、ここにあるものだけを信じろ」
「ぼくはいま、以下につらなる鮮明な述語なくしてたつ夜の虹」
「ぼくの失速または日本がペケットの戯曲のように加速している」
「ゴドーとの約束さへもない日々に☆を列ねてゐるだけの午後」
いま「ここにあるもの」を肯おうとしても、「日本」は「ぼく」を置き去りにして加速し、「ぼく」は待つべきものさえ一切ない「☆」だけが並ぶ午後に取り残されると言う。こうした中、「永遠晴天症」で美しく響くのは、絶望的な「低温」状態を歌い上げた次のような歌となる。
「ぼくの疲労を街のからだにときはなち雪のかをりの黄昏となる」
本屋に行って、荻原裕幸の30首が収められた「短歌ヴァーサス」5号(2004年10月)を買ってきた。
「出口とおもふものはいつでも入り口で傾いた夏がさらに傾く」
「うちがはは微かに海の匂いして遠い世界のかたちを見せる」
歌人として荻原裕幸は、ジャンルとしての短歌、1990年以降の「現在」、そして年齢を重ね変容していく自己という3つの交差点に立って、そのほとんど絶望的な困難を語り続けている。そのあまりに困難のためか、短歌は次第次第に言葉通りの「平明さ」へと近づいていく。(同じ「短歌ヴァーサス」5号に収められた加藤治郎の、例えば「日曜はトースト二枚跳ね上がり)壊れた言葉(幸せみたい」といった作品が、より新鮮なイメージを示していると思える。)
さて、荻原裕幸は「出口」を発見するのだろうか。高橋源一郎が「ゴーストバスターズ」の後、(「日本文学盛衰史」のような作品を含む)多作の時期に突入したように、例えば「明治文学」や「古典詩歌」を「現在」と衝突させることによって、「疲労」「低温」から新たな時空の創造へと転換することはありえるのだろうか。荻原裕幸だけでなく多くの人が、1990年前後の世界の変容と、自分という存在と、文学あるいは思想というジャンルの交差点に立ってその困難に直面していた。ぼく自身もその自覚を持つ。その意味で、荻原裕幸の短歌とその行方はわれわれにとって人ごととは感じられない意味を持っている。
だからこそ、読んでいない人はなにはともあれ「デジタル・ビスケット」を読もう。

ついでに。「俵万智が三百万部売れたのならこの歌集は三億冊売れてもおかしくない」。これは、ではあんだけ読まれた「サラダ記念日」とはいったい何だったんだという話になる。
「サラダ記念日」をベストセラーの最中に読んだとき、確かに抜群におもしろいと思いながら、なんか見たことあるような光景だという感じがつきまとった。それが何かがはっきりしたのは、筒井康隆の「カラダ記念日」を読んだときだ。
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」が
「『この刺青いいわ』と女(スケ)が言ったから七月六日はカラダ記念日」、
「空の青海のあおさのその間(あわい)サーフボードの君を見つめる」が、
「空の青海のあおにも染まずして赤く染まった君(ダチ)を見つめる」
というように「サラダ記念日」をヤクザの世界に置き換えていく「カラダ記念日」は、その表現が実に見事にハマッていた。つまり、俵万智の短歌の道具立ては、ある種のヤクザ映画の通俗性と完全に通じ合っていた。
「皮ジャンにバイクの君を騎士として迎えるために夕焼けろ空」
「砂浜を歩きながらの口づけを午後五時半の富士が見ている」
のような短歌を「ヤクザの出入り」に置き換えると、とんでもなく「クサイ」映画的演出が浮かび上がる(本が手元にないので引用できませんが)。「サラダ記念日」の後書きにあったように、本当に「原作・脚本・主演・演出=俵万智、の一人芝居――それがこの歌集」だ。「サラダ記念日」については多くの人が批評をしたが、パロディ「カラダ記念日」が作品のポイントを最も明確に示していたと思う。要するに、この「(純)クサさ」を口語短歌で軽やかに描いたことによって、「純」な「サラダ記念日」は多くの読者の「心を打った」わけだ(実際、「新鋭歌集の最前線」特集の「短歌ヴァーサス」5号には、似たような短歌がいっぱい並んでる)。そして、その後の「チョコレート革命」のような俵万智の軌跡は、この方向で驚くほど一貫している。


2006/6/27■ クリスティーネ・シェーファーの「冬の旅」

20世紀後半で突出した(クラシックの)女性歌手と言えば、エリザベート・シュヴァルツコップとマリア・カラスだった。シュヴァルツコップは超人的な声質のコントロールと分析能力の高さで、マリア・カラスはほとんど歌の一節だけでその場の世界を一変させてしまうような異様な声の存在感によって、類のない怪物的な歌い手だった。その他にももちろん多くの優れた歌手が出たが、この2人に匹敵し得る存在に、現在クリスティーネ・シェーファーだけがなりつつあるのかもしれない。
クリスティーネ・シェーファーのレコーディングは数少ない。5年ほど前に出たドビュッシーの歌曲集、「ルル」全曲DVD、「詩人の恋・月に憑かれたピエロ」DVDがあって、その全部が並はずれた出来映えになっていたが、今月出たのがシューベルトの「冬の旅」。
「冬の旅」の演奏は幾つも聴いているけど、その中ではホッター/ドコウピル盤とゲアハーハー/フーバー盤が相対的にいいと思った。けれども、それも決定的なものとも思えず、これでは「冬の旅」という音楽の輪郭が定まらないと感じていた。重苦しい悲劇的な「冬の旅」という従来の感覚が無前提に踏襲されているわけで、例えば、 第1曲の「おやすみ」の冒頭のピアノ伴奏の音型からして、なんでこんなに重くてスローなんだろうと思っていた。
シェーファー/シュナイダーの演奏は、そうした従来の感覚をすべて徹底的に考え直したものと言える。まず気付くのは、テンポとアーティキュレーションの的確さ。第1曲の冒頭も、他の演奏と比べるとずっと早く、ペダルによるぼかしが少ない。しかも、聞いた瞬間に「これはもともとこういう音楽だったのではないか」と感じさせる説得力を持っている。「詩人の恋」の時もそうだが、シェーファーの伴奏者は、全曲を通して歌手の解釈との一致度が非常に高く、歌手ともどもに長い時間を要した突き詰めを行なった跡が著しい。
シェーファーは、硬質で濁りのない純度の高い歌声を聞かせるが、無駄な要素を極限までそぎ落としたその歌とそれに一致して動くピアノは、「冬の旅」のメロディと和声の生々しさを非常な精度で描き出していく。ここから見ると、他の演奏はあまりにおおざっぱでありすぎて、「精度の悪さを表現と取り違えているのではないか」と(実際にはそんなことはないのに)感じさせるほどだ。かといって無機質であるのでもなくて、特に弱音でのシェーファーの歌声は、触れるとこちらが切れてしまうような痛切さを一貫して放っている(個人的には、エゴン・シーレのデッサンの「線」を連想するが)。ほとんど従来からは次元の異なる「冬の旅」の演奏となっているのではないか。
「詩人の恋・月に憑かれたピエロ」DVDにはシェーファーへのインタビュー映像が収められていて、そこで彼女は「10代の頃、ツィンマーマンのオペラ『兵士たち』を繰り返し見に行きました。あの冒頭の不協和音を聞くとゾクゾクするんです。あのマリアをいつか歌ってみたいと思っています。周りの人たちは『喉を潰すから止めろ』と言うけれど」と言っていた。それを聞くと、「ああ、この人も」と勝手に親近感を持ってしまうが、シェーファーの歌う「兵士たち」のマリア、これを聞く機会はいつか持てるのだろうか。


2006/6/13■ ジョルジ・リゲティの死

12日、作曲家のリゲティが83歳で死亡した。疑いなく現存する最大の音楽家の一人の死。
「2001年宇宙の旅」(1968年公開)でも作品が使われたリゲティは、ハンガリーから亡命し、当初はバルトークの影響の強い作品を書いていた。亡命後、トータル・セリエルの影響を強く受けるが、それが聞き手にとっては偶然性の音楽と区別がつかないということを批判して、全く新たな音程構造からなるクラスター音楽を創始する。それと同時に、クラスターを「100台のメトロノーム」で演奏するというような、ケージ的な発想にもある時期近づきながら、その後、リズム構造の重層化とずれを利用し、ミニマリズムの発想を批判的に摂取した斬新な作品を作っていく。その後もジャズ的なイディオムをも取り込んだ作品を作り続け、最後まで作曲を続けた「ピアノのための練習曲」のように、空前前後の超絶技巧と作曲上の数々のアイデアを織り込んだ素晴らしい作品を生み出していく。また、ナンカロウを評価することによってこの作曲家の再発見に力を貸したように、様々な音楽への目配りも利いていた。
要するに、この50年間、現代音楽の歴史と対決しながら、それに対して内在的かつ批判的な姿勢を保ち、たえず変化しながら最高度にクリエイティヴな作品を生み出し続けてきた。長らく後進の作曲家たちからその「叡智」を深く尊敬されてきたのはそのためだった。しかもそれが、「2001年宇宙の旅」で使われたように、現代音楽など絶対聴かない層からも時としてバカ受けしてしまう。実際、「ピアノのための練習曲」のように聴いててひたすらおもしろい現代ピアノ曲は他には存在しないだろう。最近も、この練習曲集の自筆譜ファクシミリを見ながらウレーンによるCDを聞いて、あらためてそのアイデアの斬新さに驚いた。
一般に、クラシックのいわゆる現代音楽は、前衛化の果てに一般の聞き手との接触をほぼ完全に失い、ほとんど現代数学と同じくらいの数の聴衆しか持てないマイナーな存在になってしまった。その中で、リゲティは現代音楽の先鋭を主導しながら、同時に膨大な層の聞き手に訴える音楽としての力を持った希有な存在だった。
1968年前後、ジャズ、ロック、クラシックは大きな変貌を遂げた。しかも、その「68年革命」を越える地平をその後の音楽が持ち得ていないことも確からしく思われる。例えば、ジャズについては、ニルス・ペッター・モルヴェルを聴くと、「ビッチェズ・ブリュー」から30年以上が経って、なおその「延長」をジャズの最新型として迎えなければならないという状態について、ロックについては、クラフトワークの2005年に出たライヴアルバムを聴いて、1970年に結成されたこのテクノユニットが、依然として「最も新しく聞こえる」という事実に驚くわけだ。その中で、絶えず変貌を遂げたリゲティは、ぼくにとって1968年以降の音楽を見る上で最も興味深く重要な音楽家の一人だった。
というわけで、しばらくしたらリゲティのチェンバロ作品「ハンガリアン・ロック」をさらうことで、一ファンとしての追悼をしようかと思う。


2006/6/12■ 「歴史地理教育」の書評など

用事で入佐明美さんたちと会って、喫茶店で3時間近く話し込む。釜ヶ崎の路上で労働者の話をひたすら聞き入る入佐さん(こちらに講演の案内が)には、20年前、釜ヶ崎を案内してもらったことがあって、それは大変鮮烈な思い出になっている。それから時々顔は会わせているけど、ゆっくり話をしたのはこれが初めて。野宿者支援の具体的な話の他、意外な共通の趣味(秘)があって話が盛り上がる。
釜ヶ崎は狭いところだけど、活動している人間どうしはゆっくり話す機会が意外とないです。

雑誌「歴史地理教育」6月号(通算700号)に「〈野宿者襲撃〉論」の書評が載っている。宇治市立木幡中学校の本庄豊さん。本文には「本当は身近であるべき少年たちと野宿者を襲撃とが対立関係にある構造を、生田は自らが体験した豊富な事例から説明する」「社会科教師必読の書である」とある。これはありがとうございます。
本庄さん(こちらに洛南タイムスの連載が)は、野宿者ネットワークの夜回りや公園の交流会にも来て下さいました。

5日で触れた「暴動」の記事と同じような話だけど、かつて書いたあげく「廃棄処分」にした「フリーターに未来はない?」がいつのまにか人に読まれている。(例えばここ)。この文章は、自分のサイトから完全に消去してるんだけど、なぜこうして読めるようになっているのか訳がわからない。
「フリーターに未来はない?」は、その後「フリーター・ひきこもり・ホームレス」(未公開)というかなり長い論文に解消したので無効にした。しかし、引用された箇所を見ると、それらの多くは「フリーター・ひきこもり・ホームレス」の結論部分でも使っているところなので、その意味ではまだ有効に見える。それにしても、なんでウェブ上で読めるんだろうか。しかし、こんなふうに読んでもらえるのなら、ま、いいか。


2006/6/5■ 「1990年10月2日 暴動」

最近、戦後の(いわゆる前衛)短歌・俳句をひたすら読んでいる今日この頃ですが、
よく見に行く「成城トランスカレッジ!」にぼくの書いた「1990年10月2日 暴動」がリンクされている。
実はこれ、いったん書いて、後に改稿して「〈野宿者襲撃〉論」の終章に収めたもの。そのため、ぼく自身のホームページのリンクからは完全に切り離していた。こんなページよく発見したなあ。というか、どういう意図のリンクなんでしょうかこれ。
動画の方も前に見たことある(というか、現場にずっといたので生で体験していた)。久しぶりに見てみると、やっぱ凄いなあと思う。
そういえば、最近のフランス暴動については雑誌で特集組んだり単行本が出ている。それなのに、日本で起きた暴動については(雑誌「寄せ場」が特集をしたのは当然として)当時もそれからも一般の学者や文学者、評論家が一切論じようとしないのは何故なのでしょうか。外国の暴動のことは一生懸命考えるけど、日本の暴動は無視というこのパターンは何を意味しているのでしょうか。
ここで書いたように、「一般的な人々が、寄せ場、日雇労働者、野宿者への差別、偏見、無関心を根強く持っていることは言われるまでもなく明らかだったが、それがこの暴動の際にも働いていたのではなかったか。そもそも、一般的な人々は、なぜ釜ヶ崎の人々があれだけの行動に出たのか、全く理解の外なのではなかったか」ということなのでしょうか。
というわけで、とりあえず「1990年10月2日 暴動」に関心を持った人は、「〈野宿者襲撃〉論」を読むことをお勧めします。


2006/6/2■ NHK教育テレビ「地球データマップ」・「ひろがる格差」

6月1日、NHK教育テレビの「地球データマップ」という中高生向けの番組の第4回「ひろがる格差」で野宿者問題が取り上げられ、藤沢火曜パトロールの会や野宿生活者の生活施設「ポルト湘南・茅ヶ崎」などが紹介された。(午前11時30分〜50分放送。再放送は6月8日)
2日前くらいにNHKの担当者から電話があり、ここのホームページから「野宿者ネットワーク」と「野宿者問題の授業」のページをリンクしていいか、あと参考文献に「〈野宿者襲撃〉論」を出してもいいか、という確認があり、OKした。この野宿生活に追いこまれる人たち(ホームレス)に出てますね。
番組自体は、なにしろ20分くらいなのでごく簡単なものだけど、中高生向けにこういう内容が作られるのはいいことだよなあ。


2006/5/22■ 池袋ジュンク堂でのトークセッション・池袋の夜まわり

20日は夜7時から9時前まで、池袋ジュンク堂の4F喫茶で「野宿者/ネオリベ/フリーター -アンダークラスの共闘へ-」という、「〈野宿者襲撃〉論」、「ネオリベ現代生活批判序説」(白石嘉治・大野英士編)、「フリーターにとって「自由」とは何か」(杉田俊介)3冊の刊行記念トークセッション(杉田+白石+生田)に出た。
内容については、参加された方によるこちらのブログでまとめられている。これを見ると、ほとんどぼくが喋った内容になっているが、以前に「白石+杉田」のトークセッションがあったので、お二人から「今回は生田さんがメインで話すということで」という流れだったため。
(一つ訂正すると、「2006年は野宿者への「排除」と「襲撃」が本格的に強まった年に位置づけられる」というより、最近の事件として靫・大阪城公園の行政代執行と日本橋公園のテント破壊、姫路の火炎ビン事件について触れ、「個人的には「2006年は排除の年」と位置づけている」と言った)。
「無産大衆神髄」などで知られる矢部史郎さんも来られてて、会場質問をしていった。その様子についてはこちらのブログに書かれている。
セッションが終わると、来てた中学の同級生や出版社の人などいろんな人と話す。中でも、池袋で夜回りや医療活動をやっている人たち(「てのはし」というグループ)が参加していたので、その人たちと話し込んだ。トークセッションの打ち上げがあるというので、その人たちも誘って居酒屋でずっと池袋や東京の野宿者の話を聞いていた。
まず、池袋では公園はあるが、行政のチェックが厳しくテントが張れない。というか、ホームレス地域生活移行支援事業の対象が主に公園でテントに住む人たちだったので、確かにテントは東京各地で減ったが、追い出されたりして路上で野宿している人はむしろ増えている感じだという。池袋では、上野あたりから移動してきた人がかなり多いらしい。体の悪い人や、何らかの障害を持った人も多く、「野宿労働者」とも言えないタイプの人が多くなっている。夜回りをしていると、「3日何も食べてない」という人もいたりするという。
いろいろ興味ぶかいので、「打ち上げが終わったら、池袋近辺の野宿の様子を案内してくれませんか」とお願いすると、ありがたいことにOKしてくれた。そこで、数人で12時過ぎから夜回りに出て、2時間ぐらいあちこち回った。東京芸術劇場の周囲が一番多かったですね。不思議だったのは、ダンボールも新聞も敷かず、コンクリートの上にダイレクトに寝ている人がかなり多かったこと。「何でダンボールを敷かないんだろう。体が痛くなるんじゃないですか」と聞くと、「みんな、慣れてるんじゃないかなあ」ということだが、そういうものでしょうか。そのあとは、始発が出るまで何人かでファミリーレストランみたいなところでしゃべり続けた。
ちなみに、今回は新幹線で往復したので、トークセッションの謝礼より高くつきました。赤字のトークセッション!

(追加)
トークセッションでもいろいろお世話になった人文書院の編集の方から、「新幹線代にもなっていないので」ということで、ユベルマンの『残存するイメージ』を送っていただくことに。ありがとうございます。
なお、上にリンクしたブログにもあるが、日雇労働者・野宿者とフリーターの関係について喋ったのは、「フリーター・ひきこもり・ホームレス」(未公開)で書いた一節で書いてた内容で、そこから引用するとこうなる。
〃野宿者問題の変化の中で、ぼくは2000年から「フリーターは多業種の日雇労働者である」「そうである以上、将来フリーターの一部は野宿生活化する」と思うようになった。(釜ヶ崎を除く)全国の寄せ場の事実上の衰退、消滅という事実について考えていて、この点に気づいた。「不安定就労から野宿へ」という社会問題の主役が、現在の日雇労働者から、やがてフリーターなどの若年層へと移っていくだろうということだ。それは、思いついてみれば、なぜ今まで気が付かなかったのかが不思議なほど当たり前の話だった。いわば、「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をやっている」、あるいは「日雇労働者を中心とした野宿者がリハーサルをし、フリーター層が本番に臨もうとしている」ということである。〃
「リハーサルと本番」という言い方はウォーラーステインに倣ったもの。


2006/5/16■ アメリカのホームレス数が急減・安江鈴子による「〈野宿者襲撃〉論」書評


U.S. homeless numbers decline NATIONWIDE: 'Supportive' housing seen as good start という記事が5月14日付けで出ている。
要するに、近年のアメリカのホームレス問題への取り組みの結果、全国でホームレス数が急減した、これはホームレス問題が大きな社会問題となった1980年代初頭以来の変化である、というもの。
ホームレス問題を2012年までに終わらせるというブッシュ政権によるコンセプト「Housing First」については、この近況の10月14日のところでかなり詳しく触れた。その効果がてきめんに現われてきた、ということらしい。
も一度引用すると、このコンセプトは「衰弱しきったホームレスを路上からシェルター、治療センター、刑務所、精神病棟に移動させ、そののちまた路上に戻すという従来のサイクルを放棄するものだ」。つまり、ホームレスの人々を様々なケアの伴うアパートに入ってもらうもので、「このプランを一言で言うと、ホームレス問題の治療法はホームである」。ホワイトハウスの該当部局責任者によれば、「ホームレスの人々に毛布を配るな。炊き出しをするな。彼らには家とサービスを与えろ。そうすれば、最終的にはその人々は仕事を得ることができるだろう」。
事実、今回の記事でも、シェルターのベッドで対処するよりもサポーティヴハウスで対応する方が3倍安上がりだ、という社会学者の意見が引用されている(これは日本の場合、シェルターとか自立支援センターみたいなハコモノを作って人件費のかかる担当職員を雇うより、サポートサービスのある低家賃住宅を野宿者に提供する方が安上がりだし効果的ではないか、という話になる)。
この記事を見ていると、一部の支援団体(NCHとか)以外、市長も当局者も支援団体も万々歳のように見える。なにしろ最後の一文が「我々がいま見ている成功は限定的だが、それは最後まで完走できることの証なのだ」となっている。ずいぶん鼻息が荒い。しかし、アメリカのホームレス問題はそんなにうまく解決していけるのだろうか。
この記事でも、幾つかの留保がされている。一つは、ホームレス・ファミリーへの対応が後回しにされていること。そしてさらに、ブッシュ政権のもとで貧困問題への予算(家賃扶助のような)がどんどんカットされている中で、こうしたホームレス問題への取り組みは「貧困問題の予算の共食い」をしているだけなのではないか、というもの。
考えてみれば、どんどん住宅を造ってホームレスの人々を入れていけば、「家がない」というホームレス問題はとりあえず即座に「解決」する。しかし、ホームレス問題とは、1970年代後半から先進諸国で現われ始めた新たな貧困問題の極限形ではなかったか。つまり、構造的貧困そのものを何とかせずに、家を作って形の上で「ホームレス」を減らしていけば、それで何とかなるのだろうか。
そこで、10月14日に書いたことをあらためて引用せざるをえない。
〃アメリカのホームレス問題の根本問題は、この記事にもあるように「低賃金、景気の後退(つまり失業)、高い家賃」にある。つまり、貧富の差の劇的な拡大とインフレ、失業率の上昇というアメリカの政治・経済の根本姿勢がこの世界に前例のない「世界一豊かな国の中での極限の貧困」を生み出し続けているという面が強い。そうした根本問題を変更せず、ホームレス向けの住居を建設し続けることで問題が解決されるのか、大変に疑わしい。「Housing First」が「Housing only」にならない保障はあるのかという話である。〃
ではどうすればいいのか、というのがわれわれの課題であるわけだ。


月刊「部落解放」5月号に安江鈴子さん(新宿ホームレス支援機構)が「〈野宿者襲撃〉論」の書評をしている。
「野宿者襲撃をテーマにした書物としてはたいへん画期的な書物である。襲撃する若者の深い心の闇と、地球規模で出現し路上に棄民されている野宿者の存在を俯瞰し、両者の連帯を希求しているからだ」と始まる一ページ分の文章。要領よく内容を紹介していただき、ありがとうございます。
(なお、「部落解放」のこの号の特集は「検証 障害者自立支援法」)。


2006/5/3■ 毎日新聞の記事など

4月4日に続いて、姫路の火炎ビン襲撃事件について毎日新聞から電話で取材を受けた。今回は4人の少年の一人について逆送(刑事処分相当として検察官送致)になった件について。今日の朝刊にその記事が載っている。
ぼくの箇所を引用すると、
〃支援団体 野宿者ネットワーク(大阪市)の代表生田武志氏は「大人の軽べつ的な態度が、「野宿者は社会の敗者」との差別意識を子供たちに植えつけている」と指摘する。生田代表は毎月、関西の中学・高校で野宿者が置かれた社会環境などを伝えている。生徒の多くが野宿者について「勉強しないとああなる」などと言われた経験があり、抗議後の感想文の8〜9割には「『野宿者は汚く、楽をしている落ちこぼれ』と親に聞いた」といった内容が書かれているという。一方で「野宿者も同じ人間と気付いた」などと、支援活動への参加を希望する生徒も少なくない。〃

こういうことを襲撃問題に関連して記事として伝えてもらえるのはありがたいことだ。ただ、間違いが幾つかあって、「抗議後の感想文の8〜9割には「『野宿者は汚く、楽をしている落ちこぼれ』と親に聞いた」といった内容が書かれている」というのは事実ではない。野宿者問題の授業のページに生徒の感想文を載せているが、見てもらえばわかるように、親の話はときどき出てくる程度で、「8〜9割」なんてことはまったくない。電話取材では、「家の人が野宿者している人について何か話していましたか」というアンケートを採ることがたまにあって、「その内容の8〜9割が野宿者について否定的なものだった」と言ったと思う。それを記者がこうまとめてしまったようだ。
また、夜回りなどの活動に参加したいと言ってくる生徒はいるが、「野宿者も同じ人間と気付いた」というより、そういう生徒は「以前から野宿している人が気になっていた」あるいは「今までの自分が恥ずかしくなった」というように言うことが多い。
他人に話をまとめてもらうと、どうもこういうズレはつきまとう。

なお、ぼくが夜回りを担当している日本橋公園についてこういう事件があり、昨日からあちこち走り回っております。


2006/5/1■ 釜ヶ崎メーデー

例年のように、5月1日は釜ヶ崎のメーデー。



4月28日夜に夜行バスで東京に行って、5月1日朝に大阪に帰ってきた。
往復で9000円の安値! しかし、トイレがないバスなので、おなかを壊したらどうなるんだ!
朝からテントが並ぶ隅田川沿いを歩いて、そのあと山谷、もやいこもれび、新宿都庁、東中野、中野などに行きました。4年ぶりの東京の、主な用事は会議でした。


2006/4/27■ ガッツェローニ・バード・今後の予定

(前にも触れた)ブーレーズが指揮したドメーヌ・ミュージカルのボックスセットを聴いていて、フルートのガッツェローニの演奏にあらためて惹きつけられる。ドビュッシー、ヴァレーズ、ブーレーズの作品を吹くガッツェローニのフルートはひたすら鮮烈。
なお、ガッツェローニはエリック・ドルフィーのフルートの先生で、ドルフィーの「アウト・トゥ・ランチ」(ドルフィーでは「lastdate」の次に好きなアルバム)の第2曲は「ガッツェローニ」というタイトルになっている。

ウィリアム・バード(1543-1623)の作品をタリス・スコラーズが歌ったDVDが素晴らしい。
一つは音質の問題。CDで合唱を聞くと、ほぼ全ての場合、分離が悪くて「塊まり」になってしまう上、透明度が足りないためにひどい「濁り」が発生する。しかし、DVDで聞くと、そのかなりが改善され、リアルな合唱にずっと近いものが聞ける。
タリス・スコラーズによるバードの作品集は10年以上前にCDでよく聞いた。特に、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」や「3声のミサ」。このDVDでも「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が収録され、ルネサンス音楽としては異例に感情的な高まりを見せるこの曲を歌い手の表情を見ながら聞くことができる。
収録されたどの曲もいいが、「悲しみと不安が」や「4声のミサ」など、飛躍に満ちた音程や悲痛なメロディが透明に磨かれたポリフォニーにまとめ上げられ、聴いていて完全に音楽の力の中にはまってしまう。バードは生前から「音楽の父」「ブリタニア(イギリス)音楽の父」としてイギリス人の尊敬を集めていたが、21世紀のいま聴いてもその音楽は依然として感動的だ。モンテヴェルディとは違った意味で、やはりバードは後期ルネサンス音楽、というより西欧音楽を代表する大作曲家の一人だと思う。

11月に「〈野宿者襲撃〉論」を脱稿してから、完全に「考えても何も出てこない」状態になっていたので、考えることも書くことも(ビラとかは別として)止めて、ずっとドイツ観念論哲学や労働経済学の本などを読んでいた。
数日前から、何か出てくる感じがしてきたので、考える作業を半年ぶりに再開した。始めると、「自分がこの世でできることは結局これしかないのかもしれない」という気がしてくるが、実際にはどうなのか。
とりあえず今のプランは、
1・「口実としての自己責任論」を読み直す。積み残しがあるので「まとめ」を書くつもりだったが、当時は力量的に無理だった。それが可能かどうかを確かめる。
2・「口実としての自己責任論」は、一部を「〈野宿者襲撃〉論」後半で再構成して使ったが、場合によっては、やはり一部をすでに完成している「フリーター・ひきこもり・ホームレス ポスト工業化社会の若年労働・家族・ジェンダー」(仮題)に再構成して使う。その場合、「口実としての自己責任論」は人質問題だけに絞ったものになる。
3・「フリーター・ひきこもり・ホームレス」に不満な点があるが、上の作業とあわせて、それが解決可能かどうかを確かめる。
これだけで多分1年かかる。なお、「フリーター・ひきこもり・ホームレス」は今のところ雑誌連載になる予定。


2006/4/19■ 「世界一難しいピアノ曲」16日と20日、日本初演

ウェブ版NHKニュース4月16日より(動画付きだったが今は消滅)。
「世界一難しいピアノ曲を演奏
この曲は、イギリスの作曲家フィニッシーがおよそ30年前に作曲した「イングリッシュ・カントリー・チューンズ」です。1小節に多いところでは300もの音符が並ぶなど、曲の複雑さから世界で最も難しいピアノ曲とされ、演奏できるピアニストも限られています。16日は、東京・八王子市にある「東京富士美術館」で、ロシアの若手女性ピアニスト、ニカ・シロコラッドさんが、日本で初めてこの曲を演奏しました。シロコラッドさんは、すばやい指使いで鍵盤をたたき、指だけでなく、ときには腕やひじも使いながら、激しい音楽をダイナミックに演奏しました。(…)シロコラッドさんは「この曲を演奏するために激しい練習をしました。弾けると信じて弾くことがこの曲を演奏する秘けつです。少し変わった曲ですが、日本の人たちにも、開かれた心でこの曲のよさを感じてもらいたい」と話していました。」


昨日と今日、フィニッシー自身が演奏したこの曲のCDを聞いてて、たまたまこの記事を見つけた。NHKのテレビニュースでも演奏風景を放映したらしい。
イングリッシュ・カントリー・チューンズの楽譜の一部はこちらで見ることができる。凄い楽譜ですね。
フィニッシーのこの曲は、音の爆発的な展開と、減衰して消えてしまうまでに音が少なくなる部分とが交互に置かれている。確かにここまで跳躍音が密集して高速に弾かれる曲は聴いたことがない。CDだけ聞いていると人間業とは思えない。関東に住んでいたら、ぜひともコンサートに行きたかった!


2006/4/7■ ジュンク堂池袋店のトークセッション・毎日新聞の記事

5月20日のジュンク堂池袋店のトークセッションに出ます。
『ネオリベ現代生活批判序説』の編者の白石嘉治さん、『フリーターにとって「自由」とは何か』の著者の杉田俊介さんとの鼎談です。

ジュンク堂書店池袋本店「JUNKU 連続トークセッション」

「野宿者/ネオリベ/フリーター」――アンダークラスの共闘へ――
2006年5月20日(土)19:00〜

生田武志×白石嘉治×杉田俊介  
(野宿者支援活動)(大学非常勤講師)(障害者サポート)


野宿者、フリーター、ニート、ひきこもり、女性労働者、外国人労働者、
障害者、学生、失業者、正規雇用労働者…。
思考すべき問い、起こすべき行動は共有されている。
亢進するネオリベラリズム状況下での労働、失業、そして抵抗。


4日に毎日新聞の記者から電話があって、姫路の火炎ビン襲撃事件について野宿者ネットワークとして取材を受けた。それが今日(4日)の朝刊に使われている。
引用。「大阪市西成区などで野宿者支援に取り組んでいる『野宿者ネットワーク』によると、野宿者が襲われる事件は後を絶たない。大半が少年によるもので、生田武志代表は『泣き寝入りがほとんどで、表面化するのは氷山の一角だ』と憤る。」
となっている。(「泣き寝入り」って言ったっけ?)。
30分ぐらいいろいろ話をしたんだけど、こんなものかなあ。
記事によると、襲撃のリーダーとされる18歳の少年は、京都の高校の卒業式で卒業生代表として答辞を読み、「人としても思いやりを見失わず、凛とした姿で生きていくことが必要だと思います」と言っていたという。少年4人は今日、神戸家裁姫路支部に送致される。


2006/4/5■ 読売新聞4日夕刊「心のページ」

4月4日夕刊の「心のページ」のコーナーで、「〈野宿者襲撃〉論」が紹介された。
精神科医の小澤勲さん、哲学者の清水真木さんの記事と一緒に、本の内容の紹介が載っている。
また、反失業連絡会やミサとかで(ぼくはキリスト者ではないけど、シスターに頼まれてずっとオルガンを弾いている…)ご一緒している本田哲郎さん(神父)の「釜ヶ崎と福音」が出版された(岩波書店・2625円・3月28日発行)。
釜ヶ崎の経験から信仰と聖書観を完全に揺り動かされた経緯を描いている本。聖書原文の読み直しを通じて新たな読み方を提出していて、読んでいると、ミサで聞く本田さんの話の数年分を一気に読む思いですわ。


2006/4/2■ ピアノで弾く「平均率」第1番はハ長調か嬰ハ長調か

「いつか出ないか」と待っていた(主に)ブーレーズが指揮したドメーヌ・ミュージカルのボックスセットがあまりにおもしろくずっと聞き続ける。指揮者としてのブーレーズのピークは60年代から70年代だと思うが、このボックスで聞かれる1956年〜1967年のウェーベルン、シェーンベルクなどの演奏は、現在のブーレーズの演奏とは比較にならないほど直接的かつ鋭角。なにしろこのころのブーレーズはまだ30代だ(「主なき槌」の1956年の初録音も、その後の幾つかのレコーデングよりもはるかに「等身大」に聞こえる。なにしろ作曲した翌々年のレコーデングだ)。
現在のブーレーズでは、「エクラ」「シュル・アンシーズ」のDVDが出た。「シュル・アンシーズ」は、ブーレーズ自身が若者を前にアンサンブル・アンテルコンタンポランのメンバーを指揮しながら「この箇所はこう、あの箇所はこう」と、スローテンポ、楽器ごと、幾つのパートごとなどで演奏して解説するという「至れり尽くせり」の内容だ(本当によくわかる)。「シュル・アンシーズ」は90年代の作品だが、これを聞くと、ブーレーズはミニマリズムの衝撃もある程度は吸収した上で作曲家として現存し続けているなあと、それはそれで感心させられる。
最近はDVDに大当たりが多く、例えばラトルによるレクチャーリーヴィング・ホームVol.6では、3つのオーケストラ群によるシュトックハウゼンの「グルッペン」全曲のライヴ演奏の他、ブーレーズの「主のない槌」の演奏光景の一部も見られる。しかし、このシリーズではVol.2「リズム」が最もありがたかった。ヴァレーズの「イオニザシオン」、リゲティの「アトモスフェール」、ライヒの「木片のための音楽」、ブーレーズの「リチュエル ― マデルナの追悼のための」、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」、ナンカロウの「ピアノ・ロール第21番」の演奏風景が見られる上、なんと(ラトルの意見なのか)アート・テイタムの演奏映像の一部まで収められている(ただ、アート・テイタムの映像では、無料公開されているこちらの方がさらに素晴らしい)。
また、ジェームズ・テニーの「アンサンブルのための FORMS 1―4 エドガー・ヴァレーズ、ジョン・ケージ、シュテファン・ヴォルペ、モートン・フェルドマンの思い出に(1993)」は、テニーによる4人への追悼曲と、各作曲家の作品を並べたもので、ロングトーンによる悲痛な響きがどこまでも美しい。
最近最も感動させられたのはタリス・スコラーズのライヴ・イン・ローマDVD(パレストリーナ没後400年記念コンサート)で、ポリフォニー上で澄んだハーモニーを極限まで人工的に洗練させたバレストリーナの最も美しい作品の幾つかを最上の演奏で聞くことができる。タリス・スコラーズの大阪公演にも行ったことがあるが、なにしろ10人程度の無伴奏合唱なので、ステージから遠い安い席ではあまりよく聞こえず、すごく悲しかった。このDVDではほとんど目の前で演奏を聴くような思いで、「聞けてよかったあ」とつくづく思った。タリス・スコラーズの演奏は(例えばケンブリッジ・キングス・カレッジ合唱団とかと比べると)積極的で動きのあるパレストリーナになっている。
また、アレッサンドリーニ(チェンパロ)が指揮するコンチェルト・イタリアーノによるバッハのブランデンブルク協奏曲(2005)。DVDのインタビューでアレッサンドリーニが言うように「スピードとインヴェンション」に満ちたイタリア的な空気にあふれた演奏で、特にアレグロ楽章のリズム感覚の新鮮さと沸き立つような推進力が素晴らしい。この新鮮さと比べると、他の演奏は「いれたてのレギュラーコーヒーと缶コーヒー」ぐらい違う。(最近出たカール・リヒターのブランデンブルク協奏曲のDVDも観たが、造形表現は素晴らしいが、モダンチェンバロ(ペダルがついてる…)はチェンバロに聞こえないし、ベートーヴェンスタイルの弦楽器もいかにも重かった。かつては「これこそ最高のバッハ」と感じてたのに。「ロ短調ミサ」DVDは素晴らしかったけど)。アレッサンドリーニのDVDにはインタビューとともにいくつかの楽章の録音風景がそのまま収録されている。価格も安いし(2CD+DVDで4024円・時価)ジャケットも冴えているし録音もいい。見事な作品です。

「月に憑かれたピエロ」や「主なき槌」、ブランデンブルク協奏曲の幾つかの楽章は楽譜を見ながら聴いていた。そのときあらためて感じたことがあって、ずっと気になっている事なので書いておこう。
バロック時代の楽器(あるいはレプリカ)で演奏されたブランデンブルク協奏曲のCDでは、楽譜上の「c」(ハ長調のド)が聴覚上も「c」に聞こえる。何を言ってるかというと、現代楽器による演奏では、ぼくには楽譜上の「c」が「cis」(嬰ハ)に聞こえる。
現代楽器によるチューニングはa(イ)=440ヘルツが基準になっている。しかし、音の高さ(ピッチ)は実は地域や歴史によってかなりバラバラで、バロック時代についてはそれより大体半音低いa=415ヘルツが標準とされている(諸説あり)。時代とともにピッチがだんだんずり上がってきたわけだ。つまり、バロック時代の作曲家がハ長調で想定した曲は、現代のチューニングでそのまま再現しようとすると大体「ロ長調」で演奏しなければならない。逆に言うと、ピアノでバッハの平均率の第1番を弾くと、バッハ(とその時代の人々)にはそれは「嬰ハ長調」(あるいは変ニ長調)に聞こえるはずだ。
絶対音感という概念があるが、これは通常a(イ)=440ヘルツを想定している。現代楽器のほとんどはこれで調律されているからだ。当然、ぼくもずっとこの調律で過ごしてきた。しかし、現代楽器によるバロックや古典の演奏を楽譜を見ながら聞いていると、「これでは半音高い」という違和感をすごく強く感じる。例えばリヒテルが「平均律」の第一番を弾いているのを聴くと、最初から最後まで「嬰ハ長調」にしか聞こえないのだ(CDを聴いている間、「おかしいな」と思って何度も電子ピアノで音高を確認した)。それに対して、a=415ヘルツあたりに調律されたチェンバロで同じものを聴くと「楽譜と音が合っている」と感じる。要するに、バッハの時代が想定したピッチが「ぴったり」と感じる体にいつのまにかなってしまっているらしい。なので、とりわけバロックや古典については、ピリオド楽器による演奏(いわゆる古楽スタイル)でないとピッチについては納得できなくなってしまった。
また、人によっては逆に「古楽によるモーツァルトは半音低いので違和感がある」と言う人もいる。ぼくの場合よりそちらの方がきっと多いだろう。
おかしいと思うのは、ぼくはピアノ(当然a=440ヘルツ)で毎日「平均律」などを楽譜を見ながら弾いていたからだ。そのときは、楽譜と指が同期しているので違和感は感じないのかもしれない(感じていたら現実問題として弾けないだろう)。しかし、同じピッチで他人が弾いているのを聴くと違和感を感じる。
しかし、半音もちがうというのは、音楽にとってはやはり決定的ではないだろうか。だから、いっそのこと電子ピアノも古楽ピッチで調律してしまえば一番納得できるのかもしれない。なので、最近は電子ピアノはずっと「半音下げ」の「キルンベルガー第V法」(古典調律もボタン操作で実現可能)で弾いている。


2006/3/29■ ソラブジのピアノソナタ第4番・超絶技巧練習曲1〜25番

ソラブジ(1892〜1988)の作品のレコーディングがウレーンやパウエルといったピアニストによってここ1〜2年続々と行なわれ、ようやく「超絶技巧練習曲」や「ピアノソナタ第4番」のような作品を聞くことができるようになった。しかし、聞くだけでも簡単ではない。ピアノソナタ第4番はそれ一曲だけでCD3枚組になっている。つまり、演奏時間が2時間半ぐらいかかるとんでもないソナタなのだ(一曲でコンサート一回分!)。「超越技巧練習曲」100曲は、全部弾くと「少なくとも7時間」かかるという。しかし、これはソラブジの最長の作品ではない。最長はピアノのための「交響的変奏曲」で、全部弾くと9時間かかるらしい。「ニーベルングの指輪」全曲ぐらい長いのだ。
ソラブジは、自作の公開演奏と出版を何十年も禁止し、コンサートを開くのも聞きに行くのも(グレン・グールドのように)嫌っていた。イラン人の父親とシチリア出身のスペイン人の母親を持ち、ゾロアスター教に心惹かれていたこの作曲家は、どう見ても音楽史上屈指の変わり者だった。音楽的には、スクリャービン、シマノフスキ、ブゾーニといった世紀末の作曲家の強い影響を受けた上で、それらの作曲家の長大さへの志向、表現の間接性、演奏上の超絶技巧をほとんど限界を超えて突き詰め、音楽史上類例のない独自の世界を作り上げた。
ウレーンの弾く「超越技巧練習曲」1〜25番は、様々な超絶技巧への偏愛とミニアチュア世界の構築という幾つかの点で、おそらく誰よりもアルカンを思わせる。アルカンといいゾラブジといい、その作品を聞くと「なんでこれほどの作曲家がほとんど知られてこなかったんだろう」と不思議で仕方がないが、時代の流れから孤立していたという点で、この二人の作曲家はやはり似ているのかもしれない。このCDに収められた25曲ほとんどがひたすらおもしろいが、20世紀に書かれたエチュードとして、リゲティやバルトーク(「ミクロ・コスモス」)と並ぶ作品として聞かれ続けるのではないだろうか。
「ピアノソナタ第4番」は、ソラブジ自身によるかなり詳細な楽曲アナリーゼがCD解説に引用されていて、この長大な曲の構造が一応わかる。とはいえ、冒頭から「提示部では7つの異なるキャラクターのテーマが急速に登場し、ただちに並列され、何度にもわたって対位法的に相互に挿入されていく」のを耳だけで聞き取るのはほぼ不可能だ。ただ、第3楽章は「プレリュード(トッカータ)―スケルツォ(幻想曲)―カデンツァ―フーガT―フーガU―コーダ・ストレッタ」というバロック的な楽式を持っている。パウエルが言う「自由な実験主義者、物憂い熱帯主義者、ネオバロックの作曲家という彼の主要な3つの音楽的ペルソナが」この作品で融合されているわけだ。それにしても、全曲を聞いて改めて驚くのは、2時間半のピアノソナタを聞いて「全く長くない、これが必然的な長さだ」と感じさせられることだろう。このような独自の時間感覚と世界観を持ったピアノ音楽は他には存在しない。
ともかく、どう見てもソラブジは20世紀最大の作曲家の一人であるようだ。もっと聞いて、時間とテクニックとお金(楽譜は超高い)があれば弾いていきましょう。


2006/3/25■ 「ポーランド・貧困による死の冬」

上のタイトルのポーランドのホームレス問題についての記事がWorld Socialist Web Site2006年3月11日付で出ている。
それによると、2005年の10月以来、ポーランドでは少なくとも240人以上が凍死した。2005年から06年にかけてポーランドでも厳寒が続き、−35度まで気温が下がった。
「この極寒に苦しめられる人々は誰なのか? その多くはホームレスであり、その数は1989年の資本主義への移行以来、急激に増加した。」「物乞いとホームレスは1989年以降の失業率の増大によって当たり前の光景になった」。
「政府統計によれば、ホームレス総数は30万人である。The European Federation of National Organizations Working with the Homeless (FEANTSA) は、この数は実際には3倍と考えられるだろうと言っている。」「約300万人、あるいはポーランドのこどもの30%が貧困と栄養不良状態で生活している。そして、12.7%が路上で生活している。」(注、ここは計算が合わないが?)
「ポーランドのホームレス人口は様々な人たちから成っている。離婚した夫・父親、アルコール依存、ドラッグ依存、出獄者、長期失業者、高額な医療費のために家族に棄てられた老人など。また、精神障害、家族や友達から見捨てられた未婚の母、アルコール依存の夫に虐待された女性――つまり、ポーランドが社会的保護を破壊し、自由市場を採用したことによって船の外に投げ出された人々である。」「1989年にスターリン主義者の統治が終わり、ポーランド経済が私的資本へと移行したことは、非常に多くの人々にとって不幸な結果を迎えた。雇用の縮小、国内産業の破壊、食料・燃料の予算のカットなどである。これは1989年以降のポストソビエト諸国家すべてで一貫した現象である。(…)以前の政権は、国家予算による無料で包括的な社会保障システムを持っていたが、それはリストラクチュアリングと周縁化を受けた」。
「シェルターの空間の厳しい不足と不完全な住居によって、この危機が悪化している。ホームレスの10〜15%だけが支援団体による施設に行きあたる。(…)野外での生活に向かう人もいる。洞窟、森林、あるいは棄てられた炭坑など」。

ロシアのホームレス問題のほとんど壊滅的な状況についてはしばしば記事が出てくる。(例えば、2005年4月3日・RIAの記事によれば、「ロシアには150万人のこどものホームレスがおり、加えて71万人が親の保護なしになっている。18442人のティーンエージャーが放浪とホームレスの理由で拘束された。うち2300人がモスクワの住人)。旧社会主義諸国、そして中国の近年の格差の激化とホームレス問題の悪化はすさまじいように見える。
このホームレス問題のあまりの激化は、政治的不安定が要因の、一時的なものかもしれない。さすがに、「1989年までのスターリニストによる政権」がそれでもよかったなどとは言えないのだから逆戻りをするわけにはいかないだろう。しかし一方で、この10年以上にわたってアメリカ、イギリスなどでもホームレス問題の激化が進行している現実を考えると、「経済が成長しさえすればホームレス問題は解決する」という話を信じることもできない。ではどういう方向がありえるか、ということが現在のわれわれの課題なのだろう。


2006/3/22■ 中西準子「環境リスク学」

かぜをひいている間に積ん読になってた本をいろいろ読んだんだけど、最も印象に残ったのがこれか。
まず、冒頭に収められた「最終講義」のおもしろさ。行政や大学、さらに市民団体からの批判に対して「事実」の実証によって戦い続けてきたすごい学者人生で、これほど読み応えのある講義はめったにない。そして、同時に「環境リスク」という発想の重要性をこの本によって明快に教えられるからだ。
「リスク論は実に常識的なことだと思う。リスクの大きさを比較し、少ない方を選ぼう。リスクを避けたいと思っても、お金がなければできないこともある。言ってみれば、リスクマネージメント(リスク管理)は、これにつきる。まさに、庶民の生き方である」。
「私がリスク論を始めたのは、何回も言っているが、河川の計画をしていて、人の安全のためにいいことと、生態系保全のためにいいこととが矛盾することがある、これをどうするか、悩んだ末であった。/そのために、それぞれをリスクというかたちで定量的に評価し、AのリスクとBのリスクとの折り合いをつけようと考えた。Aのリスクをゼロにしようとすれば、Bのリスクが大きくなる、Bのリスクをゼロにしようとすれば、Aのリスクが大きくなる。/だから、二つのリスクの和が最小になるようなマネジメントができるようにしたいということである。それは、Aのリスクも、Bのリスクもある程度許容することだが、二つのリスクの和は、小さくなる」。
例えば、環境ホルモンのダイオキシンとBSE(狂牛病)が大問題になっている。一般的な世論は「危険性のあるものは徹底的にゼロにしたい」というものだろう。しかし、著者によれば、これらのリスクは実はかなり小さい。ダイオキシンの現実的な発ガン性は、1980年代終わりの東京都金町浄水場の水道を飲んでいた人の発ガン性リスクと大体同じだった。つまり、水道水を飲んでいても発ガン性リスクはあるが、環境中のダイオキシンはそれと変わらないという。
狂牛病の場合、アメリカ産牛肉を100年間食べ続けたとき、クロイツフェルト・ヤコブ病を発症するのが「一人という目標をたてた場合、全頭検査で削減されるリスクは、さらにその100分の1の0.01人である。100年間の全頭検査の費用を2000億円とすれば(米国での検査単価は日本の半分)、0.01人弱の命を救うために2000億円かけることになり、全頭検査によるリスク削減対策の経済効果は極めて低い」。
つまり、全頭検査をすれば確かにリスクは減るが、それは「0.01人弱の命を救うために2000億円かけること」つまり「1人の命を救うために20兆円かける」こととほぼ同値である。資金が無限にあるなら「一人の命を救う」ためにいくらでもお金をかけるべきだが、残念ながらわれわれの社会はそうなっていない。つまり、そんなお金があるなら、他の事に使おう、そうすればもっと人命が救えるのだから、ということになる。
これは非常にもっともな議論である。本書の中に出てくる話だが、自然の野菜の中には実は数多くの発ガン性物質が含まれている。危険はあるのだが、だからといって野菜を食べないという話にはならない。全体としてリスクとベネフィットを比較してやはり野菜は食べましょう、と考えるのが普通だ。
また、「いま、こどもが危ない」と言われ、安全対策の緊急性が言われているが、そのリスクとコストを比較することは必要だろう。「あくまで危険性をゼロに」という強迫的な発想が強まっているが、多分、そんなお金は他の事に使えばもっと人命が救えるのではないだろうか。そういう意味でも、リスク論の初歩を義務教育のカリキュラムに取り入りたらいいのではないかと思ったりする。
しかし、このリスク管理というアイデアは、実は非常に悩ましい議論を呼び起こしうる。次の箇所を読んでみよう(微妙な問題なので、長いがそのまま引用する)。
「一九九〇年代初頭、メディケア(貧困者向けの医療扶助)の使い方のことで、米国オレゴン州で大きな問題がおきました。オレゴン州は、医療対策の優先順位決定のために、QWBという指標を用いていました。QWBはQuality of Well-Being の略で、直訳すれば福祉の質ですが、QOLと同義です。保健基金が逼迫し、その使い方をどうすべきかが大きな問題になっていました。
草の根の市民団体の強い支持もあって、少数の重病患者(臓器移植を必要とする)を支援するのではなく、やや軽症の患者を多数支援する方針に切り換えようとしました。これは、市民集会で示された市民の多数意見でもありました。そして、オレゴン州では、委員会が保健基金でどのようなことができるか、症状と処置の組み合わせを作り、得られるベネフィットを考慮して優先順位をつけました。上位には、どちらかと言えば回復可能な病気が、下位には回復が難しい進行性の病気、がんやAIDSなどが並びました。これらは、市民の同意を得たものです。
 ところが、一九九二年それを実行するために連邦の法律の免除をもとめたのですが、当時のブッシュ政権は認めませんでした。その理由が一九九〇年の米国障害者法に違反するというものでした。障害者の生活の質を、非障害者が不当に低く評価したとの意見も付されたのです。この連邦政府の判断は、明らかに問違いでしたが、QOLの評価が障害と結びつくとこのような誤解が生まれやすいのです。
 しかし、保健基金の規模は無限大ではないので、なんらかの基準で評価し、あるものを選び、あるものを対象外としなければならない。とすれば、このような評価は不可欠で、問題は、評価に伴う本質的な部分と、誤解に伴う感情的な面が、一挙に出てくることなのです。もっとも、一九九三年クリントン政権は、オレゴン方式を認め、今では連邦の先駆けと高く評価されています。」
つまり、より多数の人命をすくうために「回復が難しい進行性の病気、がんやAIDSなど」の重病患者への医療扶助は「対象外」になることをどう考えるか、そうしたことが現実的な問題として現われる。
かりに「人の生命は無条件に肯定されるべき」ということが絶対的基準だとすれば、このような選別設定は否定しなければならない。しかし、「保健基金の規模は無限大ではないので、なんらかの基準で評価し、あるものを選び、あるものを対象外としなければならない」という現実は無視できない。
しかし、そもそもわれわれの社会は、というより、われわれは人の命を無条件に尊重しているのだろうか。例えば、これは「環境リスク論」には出てない話だが、最近の交通事故死者は7〜8000人程度だとされている(交通安全白書によれば、2004年の「交通事故(人身事故に限る)発生件数は95万2,191件で,これによる死者数は7,358人,負傷者数は118万3,120人」)。かりに、人の命が無条件に尊重されるべきなら、われわれはとりわけ自動車の使用を即刻廃止すべきなのだ。しかし、ほとんど誰もそんなことは言わない。つまり、われわれの社会は、「年間7〜8000人程度の死と、車などによる利便性(ベネフィット)を比較すると、考えるまでもなく車のベネフィットの方が大きい」と判断しているわけだ。個人で言えば、「自動車などを運転する(利用する)ことによるベネフィットと、それらによって考えられる死傷者のリスクを比較すると、ベネフィットの方が大きい」としていることになる(「趣味はドライブ」という人だっている。「デートはドライブ」とか)。こうした判断を否定することはできるだろうか。どう考えても否定できないのではないか。こうした例はおそらく無数にあるだろう。著者の言うように「リスク論は実に常識的なこと」だが、その「常識」は非常に困難な問題をはらんでいるように見える。


2006/3/17■ 姫路の襲撃事件の続き・尼崎北高校の感想文

姫路の事件についての続報が続いており、先に逮捕された16歳の2人に続き、ついに中学3年生と高校3年生(事件当時)が逮捕された。殺害された雨堤さんについての話も新聞から少しずつ伝わってくる。
この事件についてはマスコミの動きも活発で、ぼくのところにも関西テレビ、朝日放送、日本経済新聞(これは野宿者ネットワークとして)から取材要請があった。関西テレビは時間がなかったが、他の二つは受けた。姫路の支援団体の人とも電話で何度か話したが、地元のそちらにはすごい数の取材要請があるという。報道によるマイナスは先の靫・大阪城公園でよく知っているが、今回、報道自体は避けられないのだから、むしろできる限りこちらが利用していくようにしよう、と話し合った。
ただ、今日も朝日放送のインタビューを受けたが、襲撃の要因としてあげた2つの要因、「社会からの野宿者への偏見」と「いじめがそうであるような若者の存在確認の問題」のうち、最初のものしか使われなかったらしい(報道の人から、申し訳ない、とメールが入った)。報道を利用しようとしても、限界があることは致し方がないことかもしれない。

ところで、2月22日にやった兵庫県の尼崎北高校の授業の感想文が数日前に送られてきた(2年生)。読んでみると、感想文の中身が全体としていままで経験がないほど充実していて読み応えがあった。そのうち幾つかはこちらのページにアップしたので、よろしければご一読を。
(姫路と同じ兵庫県の高校生たちの文章ということになる。)


2006/3/14■ 火炎瓶による少年たちの野宿者焼殺事件

「火炎瓶投げた」 姫路・野宿者焼死、少年4人逮捕へ
2006年03月14日
兵庫県姫路市で昨年10月、野宿生活をしていた男性が不審火で焼死する事件があり、姫路署に恐喝などの容疑で逮捕された無職少年2人(いずれも16歳)が「むかついたので、火炎瓶を投げた」と供述していることが14日、分かった。同署は、事件にはこの2人のほか、同市内の18歳と15歳の無職少年の2人が関与していたとみており、4人を殺人と火炎びん処罰法違反の容疑で近く逮捕する方針を固めた。少年らは、火炎瓶を投げたことは認めているが、殺意については否認しているという。
 調べでは、昨年10月22日午前4時15分ごろ、姫路市西夢前台の国道2号夢前橋西詰め下で、段ボールなどが焼ける火事があった。野宿生活をしていた男性(当時60)が焼死体で発見された。現場付近では当時、この男性を含む数人が野宿生活をしていたが、焼死した男性は足が不自由で逃げ遅れたとみられている。
 4人は、リーダー格の18歳1人と16歳2人、15歳1人。少年らは、野宿生活者が足が不自由だったことを知っていたといい、同署は火炎瓶を投げれば焼死することを認識できた可能性が高いとみている。
 4人は以前から、現場付近で野宿生活者に嫌がらせを繰り返していたという。
 現場は、姫路市西部を流れる夢前川の河川敷で、市民の散歩コースにもなっている。
(朝日新聞)

繰り返された衝撃的な事件。われわれの夜回りしている日本橋でも、2001年にガソリン類を寝ている野宿者の全身にかけて放火するという事件が連発した。「〈野宿者襲撃〉論」ではこの事件について触れて、「放火襲撃にはかなりの程度で殺意が込められている上、ガソリンをかけて火をつければそれで済む。それは、自分の手を汚さない上に、「殺し」「虐待」として簡単で非常に効率がよい。(…)だが、近い将来、殺人・虐待を目的としたこのようなタイプの襲撃が多発的に始まるのではないかという危機感をわれわれは持たざるをえない」と書いたが、その予想は不幸にして現実化してしまった。
いま、姫路の夜回りをしている支援団体レインボーの人と電話で話した(事件現場は夜回りの区域ではなかったということ)。いまわれわれができることは、殺害された方への追悼、そしてこの事件をどのようにわれわれが受け止め、それを社会に対して返していけるのかを話し合い考え合う場を作ることではないかと思う。
繰り返し言っていることだが、襲撃に対して最も効果的な対策は「野宿者問題の授業」の実施だ。例えば、1995年当時、川崎市では襲撃が多発し、川崎市教委は、野宿者支援団体「川崎水曜パトロール」との交渉を重ね、教職員向け「啓発冊子」作成(2回)、冊子の市内の180校全部(市立の幼稚園、小中学校、及び市立と県立の高校)への配布と学校への市教委の指導などの対策が行なわれ、その後、野宿者の多い2行政区の小中高校全てで年1回は「野宿者差別をなくす」授業が行われている(中には年6回のシリーズや、子どもたちが野宿者を直接訪ねるものもある)。 川崎では、こうした教育現場での取り組みの結果、野宿者への襲撃がそれまでの半分以下にまで激減したと報告されている。(大阪市教育委員会に対しても、こういった対策の実施を求めて交渉を継続している)。
すべての学校で、クラスにつき年に一回は「野宿者問題の授業」を行なうこと、教育委員会を通して地域への啓発活動を行なうことは早急に可能なはずだ。それによって「襲撃」という野宿者と若者との最悪の出会いを「別の出会い」に変えていくこと。そうしなければ、こうした襲撃は今後も続発しかねない。

諸報道より追加
「食事などの世話をしていた近くの男性によると、雨堤さんは熊本県出身。姫路で配管工として就職したものの、家賃を払えず路上で生活するようになったという。」「少年らをしかった男性は「自分も火炎瓶や石を投げ付けられることがあった。雨堤さんはもの静かな人で、けんかをするような人ではなかった」と話した。」


2006/3/13■ 「解雇」そして「住宅喪失」

島本慈子の「ルポ 解雇」(岩波新書・2003年)と「住宅喪失」(ちくま新書・2005年)を(書評された縁もあって)読んだ。
野宿に至る最大の要因は言うまでもなく「失業」で、その結果として「住宅を喪失」して野宿に至る。つまり、「解雇」+「住宅喪失」によって野宿への筋道のかなりが描かれる。
労働経済学の本を読んでいると、「諸外国と比べて日本は解雇が難しい、欧米ではどんどん解雇されている」などと書かれていることがある。数字上は確かにそうなのでそんなものかと思っていたが、「ルポ 解雇」を読むとどうも話はそれほど単純ではない。
本書によると、「ひとたび労働事件の『現場』に目を当てれば、不公正な行為への歯止めがまったくないという点で、日本ほど解雇が自由な先進国は珍しい」。例えばEU諸国では不当解雇に歯止めをかけるために解雇理由を規制する法律を作ってきたし、原則として解雇が自由とされるアメリカでも人種、性別、宗教、障害などを理由として解雇した場合には懲罰的賠償金の支払いが命じられる。しかし、日本には解雇に関しては部分的な規制があるだけで、恣意的な解雇がまかり通ることになった。
「ルポ解雇」は解雇の実態や労働裁判の現状などをルポルタージュしている。いくつもの事例が語られているが、そこでの会社(や学校)側の解雇理由の「でっちあげ」「こじつけ」「いいがかり」は、読んでいて「ホントにここまでやるのか」とかなり驚かされる。そうした事例を確認するためにもこの本を一読する必要がある。
こうした解雇に抵抗するために労働裁判があるが、日本ではこれがあまり労働者のために機能しない。(EUとちがって)労働裁判所がない、審理期間が長い、そして労使の代表が裁判官となって労働事件の審理を行なう労働参審制がないからだ。
「日本は民事裁判自体の数も少ないが、とりわけ労働裁判が少ない。年間の労働裁判の件数はドイツ60万件、イギリス10万件、フランス20万件。それに対して日本は、増えたといっても平成14年度で3000件ぐらい。(…)多くの困っている人が、裁判にまではいけない現実があるわけです」(鵜飼良昭弁護士の発言)。その結果、多くの人はいい加減な理由で解雇させられてもそれを訴えることもできず、泣き寝入りしていくことになる。
「住宅喪失」では、ローン破綻や震災によって住宅を失った事情を追っている。大阪弁護士会の木村弁護士の発言によると、「住宅ローン破綻の理由は、確実に給与の減額、リストラです。(…)自己破産にいたる人たちの借金は、住宅ローンだけではありません。みんな無理してでも家のローンだけは払う。家のローンを払うために、クレジットやサラ金から借金して多重債務に陥る、というケースがほとんどです。」
それでは、そうして破産して持ち家を失った人はどこへ行くのか。同弁護士によると「現実の問題として、破産者が賃貸住宅に入居することは、厳しい、難しいです。家主はきちんと家賃を払ってもらいたいですから、破産した人は住まわせたくない。ですから仲介の不動産業者にチェックを入れさせる。(…)日本でも破産すると氏名・住所が官報に載りますよね。名簿業者がそれをピックアップして名簿を作り、不動産業者に売っているのではないかと思います」。
家もなくなり、賃貸住宅にも入れないとなれば、野宿するしかないだろう。
ところで、賃貸住宅に入るのが難しいのは破産者だけではなく、非正規雇用労働者もまたそうだ。不動産業者の話では、「お客様がこの物件を買いたいと言われたら、その人が住宅ローンを組めるかどうか、ご本人ではなくて、うちが銀行と交渉するわけです。そのとき、収入をチェックされるのは当然ですけれど、それと合わせ、雇用形態もチェックされます。/派遣社員は難しいですね。(…)契約社員もやはり、会社との契約条件はどうなっているかということを、銀行から詳しく聞かれます」。
派遣社員、契約社員が「難しい」んだから、フリーターはもっとだろう。実際、ぼくも一文を書いた日本住宅会議編集の「ホームレスと住まいの権利」には首都圏青年ユニオンの文章があって、フリーターでは賃金によって住居費を確保できないし、そもそも神奈川県の公営住宅などでは正規雇用からの収入があることを条件にしていることについて触れられている。
「住宅喪失」には、住宅金融公庫の廃止、分譲マンションに関する「区分所有法」の改正などが取材されている。雇用・住宅という生活の基盤そのものに関する大規模で構造的な変化をうかがい知る上で、これらのルポルタージュは大変有用であると思った。


2006/3/3■ 20世紀音楽の頂点としての「モーゼとアロン」

ストローブ=ユイレが映画化したシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」・ギーレン指揮・1974年の作品がDVDで発売(1月28日)された。
シェーンベルクについては、無調時代の激烈な表現や切迫感が12音主義以来失われ、最晩年の「ワルソーの生き残り」や「弦楽三重奏」を例外として音楽作品としての質が落ちたとよく言われている。また、論文「シェーンベルクは死んだ」のブーレーズが激しく糾弾した点だが、12音以降のシェーンベルクには古典音楽形式や調性音楽への接近(あるいは「統合」)の姿勢も明確にあり、その評価は現在も定まらない。
調性音楽への接近の例としては、例えば弦楽四重奏曲第4番がある。ぼくが最初に聴いたシェーンベルクの弦楽四重奏曲だが、ニ短調のようなそうでないような妙な曲想と展開は、高校生のぼくにはよくわからなかったし今でもピンとこない。ただ、そこに弦楽四重奏曲第2番・第3番にあった空前の先鋭性とエネルギーが欠如していることは間違いない。ナチスのホロコーストを描いた「ワルソーの生き残り」も確かに圧倒的な作品だが、音楽としてはやはり「月に憑かれたピエロ」などの方が数段上ではないだろうか。なので、12音以降のシェーンベルク衰退説は(12音成立当初の幾つかの作品は別として)当たっているだろうと思っていた。
ところが、久しぶりに「モーゼとアロン」を聴くと、これがシェーンベルクの様々な音楽技法のデパート(総合)であることに気づく。「月に憑かれたピエロ」にあったシュプレッヒシュティンメ(語りと歌の中間)をモーゼが担い、流麗かつ雄弁なリリックテノールをアロンが歌う。この両者の対立に民衆のささやき、合唱、二重唱などが絡み合う。さらに、複雑かつ衝撃的なオーケストラのテクスチュア。こうして、シェーンベルクがそれまで作り上げてきた音楽言語が総動員されていく。純粋に音楽として、「月に憑かれたピエロ」をもしのぐ強烈で壮大な世界がここには作られている。明らかにここには20世紀音楽が作り出した頂点の一つがある。そして、それがモーゼとアロンの「偶像崇拝の是非」という思想的対決を描き出す。
ストローブ=ユイレの映像は、オペラ映画に通例の口パクではなくて、オーケストラを事前録音し、それを歌手がイヤフォンなどで聞きながら現場で同時録音したものだという。ワンカットがおそろしく長いので、ほとんど野外ライヴ録音に近かったはずだ(そのためかなんなのか74年の収録なのにモノラル。これがステレオだったら文句なしなのに)。オペラ映画の演出としては、ゼッフィレッリのような豪華でスペクタクルな映像演出が一方では高く評価されているわけだが、ストローブ=ユイレにはそうした要素はほぼ皆無だ。モーゼを背後から見下ろし、ゆっくりとカメラが周囲を見渡していくカットからして、限界まで切りつめた即物性と異様な集中力に満ちた映像を持続させている。
この映画の一つの焦点は、未完に終わった第3幕の映画化にある。シェーンベルクが台本を書きながらついに音楽化できなかった第3幕について、ここではシェーンベルクの遺志どおり、つまり第2幕に続いて第3幕はセリフのみで演ずるという形で実現している。実は、第3幕のセリフは1幕、2幕と比べて非常に短く、しかもそれまで口の極端に重かったモーゼが捕らえたアロンに向かって長々と話すシーンに終始する。それを観ながら、こうしたモーゼのセリフを一体どのようにシュプレッヒシュティンメで音楽化することができたのだろうと考えてしまう。ついに決断を下し、荒野への民族移動という過激な大事業を指揮しようとするモーゼを、シェーンベルクはついに音楽化することができなかった。そもそもこの映画はドイツ赤軍のメンバーで映画学生のホルガー・マインス(ハンガーストライキで74年に死亡)に献呈されているが、偶像崇拝の禁止(否定神学)と過激な暴力という、ある意味では20世紀が直面した極限のテーマの一つがこの最後の幕に至って前景に露出する。それを、20世紀最大の作曲家であるシェーンベルクがついに音楽化できなかったということは何を意味するだろうか。その意味では、この3幕は大きな謎が謎のまま即物的に提示されている。
ともかく、ストローブ=ユイレの映像、そしてブーレーズ以外では最良のシェーンベルク指揮者であるギーレンの指揮ともども、この「モーゼとアロン」は(控えめに言っても)あらゆる音楽映像作品の中で最も価値ある作品の一つだと思う。


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