時計と同時性

アインシュタインの「動いている物体の電気力学について」(1905)つまり「特殊相対性理論」論。20世紀物理学を誕生させたこの論文は、幾つかの読み解かれ提示されるべき問題をたたえながら、ほとんど読まれてこなかった。つまり、原論文は、教科書的に整理され体系化された「特殊相対性理論」とは異なり、様々な迂回や、時に偏微分方程式や幾つかの思考実験を必要とするような論理の錯綜を含んでいる。そして、それは「時計と同時性」の問題に集約される(経済学における「貨幣と等価性」と比較せよ)。この文章で行ったのは、アインシュタインの原論文には、その理論の基礎に「時計と同時性」にかかわる論理的困難がはらまれていること、そして最終的に「特殊相対性理論」の基礎の不在を示すことである。(ちなみに、ぼくの大学の専攻は科学哲学です)。ロングバージョンとショートバージョンを作ったが、これは短い方。  
書いていた当時、暴力飯場の争議に日雇労働組合で押し掛け、その中休みの時間に「時間の構成不可能性」の問題を考えたことなんかを思い出す。    
  

登場人物       マッハ
                            アインシュタイン
                            カルナップ
                            マルクス
                            ヘーゲル
                            キルケゴール
 
α                                        
 マッハはその「力学」(1883)でこう言っている。
「事物Aが時間とともに変化するというとき、このことは、事物Aの状態が事物Bの状態に依属しているということしか意味しない。振り子の行程が大地との布置関係に依属する時、振り子の振動が時間の中で進行する。振り子を観察する際、われわれは大地の布置への依属関係を考慮する必要はなく、何であれ別の事物と比較することもできるので(…)、これらの事物はいずれも非本質的であるという思念が生じがちである。…われわれは事物の変化を時間に即して計ることはできない。時間というものは、むしろ、事物の変化を通して到達した一つの抽象である。というのも、一切の事物がまさに相互に依属しあっているので、われわれは特定の尺度に頼るわけにはいかないからである。」(第2章第2節「ニュートンの時間・空間・運動」)
 マッハのこの文章は、「ニュートンの時間・空間・運動」概念に対する批判として書かれた。つまりニュートンが「プリンキピア」で定式化した「絶対時間」、すなわち「絶対的な、真の、数学的な時間は、それ自身で、そのものの本性から、外界のなにものとも関係無く、均一に流れ、別名を持続(ドウラチオ)ともいいます。相対的な、見かけ上の、日常的な時間は、持続の、運動による(精密にしろ、不精密にしろ)ある感覚的で外的な測度で、人々が真の時間のかわりに使っているものです。一時間とか、一日とか、ひと月とか、一年とかいうようなものです」(河辺六男訳)に対する批判。
 マッハによれば、「時間とは何を意味するか」という問いに対しては、外界と全く無関係に流れる「絶対時間」の概念によって答えることはできない。「〃絶対時間〃(どんな変化にも無関係な)について云々することはできない。この絶対時間はどんな運動を用いても測定できず、したがって、それは実用上の価値もなければ科学上の価値もない。それに関する何かを知っていると言う権利をもっている人は一人もいない。それは無用な〃形而上学的〃概念である」からである。したがって、この問いに対する解答は、「事物の変化と他の事物の変化」との関係から出されなければならない。
 分かりにくさを恐れて、マッハのいうことをもう少し説明あるいは展開してみよう。「われわれは事物の変化を時間に即して計ることはできない」。例えば「あらゆる物はお互いに連関しあっていることや、私達自身も私達の記憶も、自然の片われにすぎないことを忘れてはならない」(「マッハ力学」伏見譲訳)とすれば、われわれが「時間がたった」ことを知覚するのは「事物の変化」を通してだからである。
 だから、「事物の変化を時間に即して計る」というのは(マッハによれば)論理が逆転している。「時間というものは、むしろ、(2つ以上の)事物の変化(の比較)を通じて到達した一つの抽象である」。つまり、われわれは事物の変化の比較を通して「時間」なるものを想定するのであって、その逆ではない。「事物Aが時間とともに変化するというとき、このことは、事物Aの状態が事物Bの状態に依属しているということしか意味しない」。だがわれわれは意識しないうちに、(B、C、D…の)「事物はいずれも非本質的だという思念が生じ」、抽象的な「絶対時間」によって「事物Aが時間とともに変化する」という考えを持ってしまう。つまり、事物A、B、C、Dは相互の比較なしでも、それぞれがそのまま「時間に即して」変化するように考えられてしまうに至る。
 このようなマッハの着想は、ア・プリオリな所与でしかなかったような「時間概念」の成立の起源を問うという点で、極めて刺激的である。しかし、ここで一つ素朴な疑問が起こるのは、マッハがいう「一切の事物がまさに相互に依属しあっているので、われわれは特定の尺度に頼るわけにはいかないからである」という箇所からである。「われわれは特定の尺度に頼るわけにはいかない」。「事物の変化を時間に即して計ることは全くできない」というマッハの考え方からすれば確かにそうなる他はない。「絶対時間」というような絶対的尺度はありえない。しかし、実際にはわれわれは時間に関して「特定の尺度」を持っているのではないだろうか。つまり「時計」を。確かに時計といえども「事物」の一つでしかない。われわれが事物Aの変化を時間的に「計る」ということは、現実には事物Aと「時計の針」を(「同時性」という概念によって対応させて)比較するということである。しかし、もしマッハのいうように「一切の事物がまさに相互に依属しあっている」のなら、なぜそのうちの一つが「時計」という「特定の尺度」となりえたのだろうか。事実われわれは日常的にも物理的にも「時計」を「時間」を表すものとみなしており、それを使って「一時間とか、一日とか、ひと月とか、一年とか」言っている。それは、いわば「事物の変化を通じて到達した一つの抽象である」時間が一つの「事物」に化けて出たような現象なのである。その抽象の眼に見える化身である「時計」によって、われわれはあたかも事物の変化を「時間に即して計る」ことができるように考えはじめる。あたかも一つの事物の変化に、そのままある量の「時間」が対応しているかのように。
 それは、結果から言えばニュートンによって完成した古典物理学の思考法そのものである。したがって、古典物理学に対する批判には、「時計」という、「一つの抽象」の目に見える化身に対する考察が不可欠であるのかもしれない。もちろん、マッハは「時計」に対する考察をも行っていた。だが、先取りしていうならそれはおそらく問題に対して十分なものではありえなかった。むしろ、マッハは問題の一つを、その一端を初めて明らかにしたのであり、そしてその問題の展開は彼自身の意図を越えていくものだったというべきなのかもしれない。「時間とは何か」という問題は、「時計とは何か」という問題へと引き継がれるだろう。「時計とは何か」、つまり、それはどこからやってきたのか。それは、「時計の起源」の問題である。ただ、それは歴史的起源ではなく、あくまで論理的起源の問題として考察されなければならない。
 
β
 しかし、上の(最初の)マッハの文章は、実はアインシュタインの文章からの再引用だったのである。アインシュタインの文章とはマッハへの追悼文「エルンスト・マッハ」(1916)であり、彼はここで「力学」からの上の箇所を含む幾つかの引用をしていた。
 その中でアインシュタインは更にこう言うのである。「事物の整序に際して有用と認められた概念は、とかく権威を帯びがちであり、その世俗的起源は忘れられ、動かしがたい所与であるかのように受け取られやすい。そうなると、概念は〃思惟の必然性〃とか〃アプリオリな所与〃などと銘打たれる。このような謬見によって、しばしば学問的進歩の途が長期にわたって閉ざされてしまう。それゆえ、旧くから馴れ親しんでいる諸概念を分析する仕事、それの資格および有用性がどのような状況に依存しているか、個々の概念が経験的所与からどのようにして生まれ育ってきたかを明示する仕事に習熟しておくことは、断じて無用の遊戯ではない」。そしてそうした諸概念を分析する仕事に対する「専門科学者」と「既製概念が不可欠だと信じている哲学者」たちの抗議について語り、アインシュタインは言う。「読者は、私がここで、とりわけ空間論・時間論上の或る種の概念、ならびにまた、力学上の或る種の概念、つまり、相対性理論によって変様を蒙ったたぐいのものをあてこすっていることに、先刻来すでにお気付きのことと思う。ここにあっては、発展の地ならしをしたのが認識論者たちであったことを誰しも否定できまい。私自身について言えば、少なくとも、とりわけヒュームおよびマッハによって、直接にも間接にも大いに助成されたことを承知している」。(「エルンスト・マッハ」板垣良一訳)
 アインシュタインの特殊相対性理論の空間、時間概念の発想に関して、マッハの影響があったことはよく知られている。マッハは、力学こそ物理学の確実な基礎であるという、特に19世紀に支配的だったドグマを打ち砕き、さらにニュートンによって定式化された「物質の量」としての質量、絶対時間、絶対空間の概念のそれまで気づかれなかった形而上学性を暴き、それによって相対性理論のひとつの先駆をなしたということ、それは科学史上の定説の一つである。アインシュタイン自身もこの追悼文をはじめ、各所でマッハの相対性理論への影響について語っている。例えば、「自然科学的思考の根本概念をプラトン的オリンピアの野から引き降ろし、その地上的由来を暴露しようとすることがどうして必要なのだろうか。この概念をそれにこびりついているタブーから解放し、そうすることでその概念形成により多くの自由を獲得するためである、というのがその答えである。この批判的な意識を導入したのは、なんといってもヒュームとマッハの不滅の功績である」(「相対性と空間の問題」、1952、金子務訳)。
 しかし、さらにアインシュタインは「エルンスト・マッハ」でこう語る。「マッハがまだ若く感受性に富んでいた時期に、光速度の不変性の意義をめぐって物理学者たちの間に問題がすでに持ち上がっているようであったら、マッハが相対性理論に考え及んだということは、ありえないことではない。マックスウェル、ローレンツの電気力学から来るこの光速度の不変性という刺激が欠けていたので、マッハの批判的欲求も、相隔たった場所での出来事の同時性の定義が必要だという感触をよびおこすところまでは行かなかった」。 アインシュタインは「相隔たった場所での出来事の同時性の定義が必要だ」と言うのである。それこそが古典物理学から「相対性理論」への突破口となるだろう。それは、彼自身がたどった道筋であったのだから。
 相対性理論の最初の論文「運動している物体の電気力学について」(1905)は、アインシュタインが時間概念の変更ということに気づいてから5〜6週間のうちに完成されたということが知られている。1905年までのアインシュタインは、マックスウェルの電気力学とニュートン力学との、動いている物体の相対性に関する理論的不整合を解決する試みを続けていた。そして彼は最終的にその解決となる原理を16才のときから考え続けていた光のパラドックスに見いだし、更にこのパラドックスの解決が「時間の絶対的な性格についての公理、すなわち同時性の公理」の意識化、つまり定義にあることに気づいたのだった(アインシュタイン「自伝ノート」 etc)。そうして成立した「運動している物体の電気力学について」は、周知のようにその本文を「同時性の定義」から始める。しかし、その「同時性の定義」にはじまるアインシュタインの理論の記述は、実は教科書的な叙述に対して一見無用な錯綜を示し、体系化、パターン化された「特殊相対性理論」からは抜け落ちる過剰と空白とを見せている。
 この錯綜は、主に「時計」と「同時性」をめぐるものなのである。「相対性理論」は古典物理学の時間・空間概念を根底から変革したとはよく言われている。だが、それはアインシュタインの場合、何よりもこの「時計」と「同時性」とが孕む問題に注目することを通してだった。そしてそれは彼自身言うように、マッハそしてヒュームの影響下に行われた。しかも、アインシュタインは多分彼らを越えてこの問題を追及した。そしてその結果、彼は物理学そのもの、つまり相対性理論を含む物理学理論が孕まざるをえない「時計」にかかわるパラドックスの存在を明るみに出しているようにさえ見えるのである。
 現時点の物理学が、相対性理論と量子物理学との上にいまだあるとすれば、我々はアインシュタインの思考した世界の延長にいる。そして我々は彼が見いだしたこの「時計」と「同時性」をめぐるパラドックスから抜け出していると言えるだろうか。我々は今、アインシュタインの特殊相対性理論の第1論文「動いている物体の電気力学について」の冒頭を、読み返してもよいだろう。そこには、とりわけマッハの「絶対時間」概念の批判によって触発された、古典物理学に対する批判的思考が凝縮して示されている。そこから「古典物理学」から「現代物理学」へと転回する、そして「連続」(ポパー)とも「切断」(クーン)とも言いがたい、ねじれの一点が存在するのである。我々は、マッハ─アインシュタインという科学史上の定説としてある関係の中で、「時計」の問題がどのように取り扱われていたかを追っていきたいと思う。それは、その後の物理学の発展からは忘れられた問題であり、そして最終的にこの問題が実は今なお未解決であることをこの文章は示そうとするのである。
 
γ
 アインシュタインの「運動している物体の電気力学について」(1905)は既に触れたようにその本文を「同時性の定義」から開始する。ただ一言触れておくのだが、この論文に関しては、それが「特殊相対性原理」(すべての物理法則は、互いに平行に、一直線上を一定の速度で運動しているすべての慣性系に対して同一の形式で与えられる)と、「光速度不変の原理」(慣性系に対する真空中の光の速度は、光源と観測者の相対運動のいかんにかかわらず、つねに一定の値をもっている)という2つの原理からの数学的な演繹のみによって導かれた理論である、ということがよくいわれてきた。あるいは「中学生でもわかる初等代数や幾何学を用いて、相対性理論の根幹ともいえる重要な公式を導いている。その説明は、出発となる前提から、目指す結論に到るまで、両者を結ぶ最短コースをたどって、実に平明な、しかし説得力にあふれた論旨で、読者をゴールまでひきずっていく」(内山龍雄、岩波文庫「相対性理論」まえがき)というように。それは確かに間違いではない。ただし、それは教科書的に整理され体系化された「特殊相対性理論」に関する限りである。実際のアインシュタインの原論文は、特に根幹となる重要な公式であるローレンツ変換を求めるまでに、様々な迂回や、さらに偏微分方程式を必要とするような論理の錯綜を含んでいて、とうてい「最短コースをたどって実に平明な」といえるような叙述形式は持っていない。
 そしてその錯綜は、第一にこの冒頭の「同時性の定義(Definition der Gleichzeitigkeit)」に現れる。特殊相対性理論の内容が「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」の2つを議論の前提としてもち、それによって数学的に演繹されたものだということは事実である。だが、その演繹では「同時性の定義」はむしろ周辺的な問題に属している(適当な教科書、例えば松平・大槻・和田「理工教養 物理学U」を参照のこと)。にもかかわらずアインシュタインは第1節「同時性の定義」から「運動している物体の電気力学について」の本文をはじめる。そして「特殊相対性原理」「光速度不変の原理」の2つの基本原理はそのあと、第2節「長さと時間の相対性」で(本文で)はじめて与えられるのである。したがって、アインシュタインの叙述からいえば、「同時性の定義」は2つの「基本原理」に先行している。したがって「動いている物体の電気力学について」を読む場合、この第1節「同時性の定義」でアインシュタインがどのようなことを語るかが第1に問題である。その冒頭の箇所を引用する。
「いま、ニュートンの力学の方程式がよい近似で成り立つような一つの座標系を考える。表現を適確にし、かつこのような座標系をあとで導入する他の座標系と言葉のうえではっきり区別するために、この座標系を定常系(ruhende System)と呼ぶことにしよう。
 もし質点がこの座標系について静止しているなら、その位置は、測定用の固定した標準と、ユークリッド幾何学の方法とを求める用いることによって、その座標系に関連して定義することができる。そして、その位置は直交座標系によって表すことができる。
 質点の運動を記述する場合には、その座標の値は時間の関数として与えられる。ここで一つ注意すべきことがある。それは、このような数学的な記述は、〃時間〃をどのように考えるか(Was ist hier unter “Zeit" verstanden wird )を明確にしないかぎり、物理的には無意味だということである。時間が関係するわれわれのすべての判断は、常に同時に起こる事件についての判断なのである。たとえば、私が〃あの汽車はここに7時に到着する〃というとき、それは〃私の時計の針が7時を指すことと、あの汽車の到着とは、同時に起こる事件である〃という意味なのである(原注)。〃時間〃の定義についてのすべての困難さは、〃時間〃の代わりに、それを〃私の時計の針の位置〃によっておきかえれば解決できると思われるかもしれない。事実、このような定義は、時計のある場所だけについては正しい。しかし離れた二つの場所で起きる別の時間の二つの事件を関連させようとするときには正しくないのである。」。そこで、例えば事件の発生と同時に、そこから観測者に向かって信号を送る、という方法をとっても、それでは観測者のいる場所によって時間的順序が変わるという欠点がある。
「以下では、この線に沿ってもっと実際的な時間の測定法を考えることにしよう。
いま、A点に一つの時計があるとする。A点にいる観測者は、Aのごく近くに起こる事件の値を、これらの事件と同時である時計の針の位置を測ることによって決定することができる。また空間のB点に、A点にある時計とすべての性質が等しい時計がもう一つあるとするとき、B点にいる観測者は、B点のごく近くで起こる事件の時間を測定することはできる。しかし、時間を比較するためにそれ以上の仮定をしないかぎり、A点での事件とB点での事件とを比べることはできない。われわれは、これまでの議論では〃A点での時間〃と〃B点での時間〃を定義しただけである。しかし、われわれはAとBとに共通の時間は定義していなかった。なぜなら、AからBへ光が進むために必要な〃時間〃と、BからAに光が進むために必要な〃時間〃とが等しいということを定義によって確立しないかぎり、この共通な時間はまったく定義できないからである。いま光が〃A時間〃のtA にA点を出発してB点に向って進み、〃B時間〃のtB にBで反射してA点にもどり、再び〃A時間〃のt′A にAに着いたとする。定義により、もし                          tB −tA =t′A −tB                    が成り立つならば、この二つの時計は同調していることになる。」(中村誠太郎訳、ただしドイツ語原文は“ Annalen der Physik" 1905、17巻の原論文 “Zur Elektrodynamik bewegter K rper"より補った。以下同様)。そして最終的にこういわれる。
「このようにして、思考物理実験の助けによって違った場所にある定常的な時計の同調ということの意味を定め、〃同時性〃とか〃同調〃とか〃時間〃とかいう言葉の定義を明確に定めた。一つの事件の〃時間〃とは、その事件の起こった場所にある定常的な時計によって、その事件と同時として決まる時間である。」。「時間」、そして「同時性」の定義はこのようにして与えられた。
 こうした「運動している物体の電気力学について」の「同時性」の定義が真に画期的である理由の一つは、従来ニュートンによって与えられていた絶対時間の概念、それによれば「外界のなにものとも関係なく」定まる「時間」概念の定義に対して、ここではそれを「いくつかの出来事」の関係、特に「いくつかの出来事が同時刻に起きたか否か」という関係によって定義しえた、あるいはしようとした点だったのである。この時間の定義は、究極的には「現在」「過去」「未来」という「時間」の概念を、「出来事の関係」、より正確にいえば「時計の針がある位置を示すという出来事と、他の出来事との関係」によって構成する試みだとみなすことができるだろう。この試みどおり、「時間」の概念が完全に「(その一方が「時計」である)出来事の関係」によって構成されたとすれば(そして「時計」の論理的起源が与えられたとすれば)、絶対時間という概念は完全にその必要を失うはずである。そして、物理学の言語から「時間」という言葉を追放し、それを「出来事の関係」によって還元することさえ原理的には可能となるはずである。
 さて、この「同時性の定義」によって、われわれは地点Aと地点Bで起きた二つの出来事の時間的な順序を考えることができる。「tB −tA = t′A −tB 」という関係を満たすとき、Aの時計とBの時計は合っているのだから、それぞれの場所にある時計の針の示す数値を比較すれば、Aの事件がBの事件に対して「同時」か「未来」か「過去」かを決定することができるはずである。アインシュタインの挙げた「光の反射」の例でいえば、「tB」と「同時」なのは上の関係式からの計算によって、tB =(tA +t′A)/2 となるだろう。これは(当然ながら)古典物理学から見てもまったく妥当な考え方である。したがって、古典物理学では、(tA +t′A )/2 よりわずかでも数値の大きい「A時間」は、tB に対して「未来」であり、(tA +t′A )/2 よりわずかでも数値の小さい「A時間」は、tB に対して「過去」となるだろう(ここで、古典力学ではある地点から別の地点への「作用の速さ」の大きさは、例えば重力が瞬間的に作用する〃遠隔作用〃であるというように、原理的には無制限であり、いくらでも大きな値をとることができたことを思い返すべきである)。
 しかしこの「定義」は次の第2節で「光速度不変の原理」「特殊相対性原理」が導入されることによって、古典物理学では存在しえなかった物理的効果をはじめて示すことになる。事実、「光速度不変の原理」から、「作用」の伝わる速さは最大限が光速cであることを見て取ることは不可能ではない。アインシュタインの出した例でいえば、光が点Aを〃A時間〃 tA に出発して点Bに〃B時間〃 tB に反射され、再び点Aに〃A時間〃 t′A に立ち戻ったとすれば、点Bの tBでの出来事と、点Aの tA から t′A までの出来事(tA とt′A を除く)とは、光速c以上の速度をもつものはないとすれば、決して因果関係を持ち得ないはずである。この第2節「長さと時間の相対性」の叙述で、アインシュタインは静止系に対して軸が速度vで動いている剛体の棒の先頭をA、後端をBとしてそれぞれに時計を固定し、その棒と一緒に走る観測者が前と同様の「光の交換」を行うという思考実験を行う。その時、「特殊相対性原理」と「光速度不変の原理」とによって、tB −tA =rAB/(c−v) および t′A −tB =rAB/(c+v) の関係が成立することを示す(rAB は走っている棒を静止系から眺めた場合の長さ)。「したがって、運動している棒とともに運動する観測者は二つの時計は同調していなかったというであろうが、定常系の観測者は二つの時計は同調していたと主張するであろう。このようにして、同時性という概念には、絶対的な意味をもたすことはできないということがわかるであろう。二つの事件が一つの座標系から見て同時刻に起こったように見えても、その座標系に対して運動している別の座標系から見ると、もはや同時刻の事件と見ることはできなくなるのである」。これによって、「同時刻という概念」の相対性が示される。その結果、tB と「同時」である「A時間」は(tA +t′A)/2 であるとしても、それは観測者のいる座標系によって異なる時点を指すものとなる。
 さて、そして「動いている物体の電気力学について」は、このあと第3節でローレンツ変換の公式を導く。そしてさらに第4節で、運動している剛体が収縮しているように見えること、互いに運動している時計が合わないということを示し、そして第5節で「速度の合成則」が示される。この中では、とりわけローレンツ変換を導くにいたる第3節「座標系と時間の変換理論・一つの座標系からこれに対して一様な並進運動をしている他の座標系への変換」でのアインシュタインの思考実験の繰り返しによる錯綜した叙述、思考の過程を解析していくことはこの上なくスリリングなことではあるが、この短い文章では割愛せざるをえないであろう。
 ここで最も注意すべきことは、この「同時性という概念」の相対性の証明が、上のような「実験から決定できるような方法を与える定義」によってはじめて可能となっている、ということである。「同時性という概念」が出来事とは無関係な「絶対時間」の中の概念だとされていた古典物理学の中では、「絶対時間」は測定も実証もできないものであり、したがってそこでは、「ある出来事と他のある出来事が同時である」ということも説明不要な自明のものとされていた。そこからは「同時性という概念」の物理的な定義も、したがってその「相対性」の証明も不可能である。だからこそ、その「同時性という概念」を測定によって定義しえるものとして構成しなければならない。それによって、「同時性」をはじめとする「時間」の概念ははじめて物理的意味をもち、その相対性の証明も可能となる。
 繰り返すようだが、アインシュタインにとってはこの「同時性の定義」こそが「古典物理学」から「特殊相対性理論」への突破の第一歩であった。アインシュタインはこう語っている。「この(光の)パラドックスのなかに特殊相対性理論の萌芽がすでにふくまれていることがわかる。現在ではだれもがもちろん、このパラドックスを満足に解決するすべての試みが、時間の絶対的な性格についての公理、すなわち同時性の公理を無意識のうちに押し止め認識しないままにしておくかぎり、かならず失敗することを知っている。この公理とその恣意的性格を認識することが実際にすでに問題の解を含んでいることは明らかである。この中心的な点の発見に必要だった批判的思考は、私の場合には、特にデイビッド・ヒュームとエルンスト・マッハの哲学的著作を読むことによって決定的に押し進められた」(「自伝ノート」中村誠太郎、五十嵐正敬訳)。
 ニュートン力学では定義するまでもなく自明なものとされてきた「時間の絶対的な性格」(「絶対時間」)、「同時性の公理」に対して、アインシュタインは「同時性の定義」こそが特殊相対性理論の理解の解を含んでいると捉えた。したがって、上に見た「同時性の定義」に、アインシュタインの従来の物理学に対する「批判的思考」が凝縮されていると考えることが可能である。
 
δ
 上に引用したアインシュタインの「同時性の定義」の中には、論理的に問題が全くないわけではない。というよりも、この定義にはいくつかの前提があり、定義はその前提を不断に使用せざるをえないという論理的構造を形作っている。
 先の引用の中の「原注」として、アインシュタインは欄外でこう言っていた。
(「Die Ungenauigkeit,werche in dem Begriffe der Gleichzeitigkeit zweiter Ereignisse an (ann hernd)demselben Orte steckt und gleichfalls durch eine Abstraktion berbr ckt werden mu ,soll hier nicht er rtert werden.」)「(ほとんど)同一の場所で起きた2つの事件の同時性という概念の中にある不精確さ、これも同様に、抽象化によって解決されねばならないものであるが、これについてはここでは議論しないことにする。」(私訳)         
 これは、特殊相対性理論(「運動している物体の電気力学について」)の中の4つの「注」の第1のものである。ここでアインシュタインが「ここでは議論しないことにする」ものが、「運動している物体の電気力学について」、特にその「同時性」の定義の中で一体何を意味していたのかが問題である。
 この「注」は、もともと「たとえば、私が〃あの列車が7時にここに到着する〃と言ったとき、それは〃私の時計の短針が7を指すということと、列車の到着とは同時刻に起きる出来事である〃ということを意味する(原注)」という箇所に添付されていた。そしてそれがはらむ問題は、次の「同時性の定義」の箇所で顕在化する。「いま、A点に一つの時計があるとする。A点にいる観測者は、Aのごく近く(unmittelbaren Umgebung)に起こる事件の時間の値を、これらの事件と同時である(gleichzeitigen)時計の針の位置を測ることによって決定することができる。また空間のB点に、A点にある時計とすべての性質が等しい時計がもう一つあるとするとき、B点にいる観測者は、B点のごく近くで起こる事件の時間を測定することはできる。しかし、時間を比較するためにそれ以上の仮定をしないかぎり、A点での事件とB点での事件とを比べることはできない。われわれは、これまでの議論では〃A点での時間〃と〃B点での時間〃を定義しただけである。しかし、われわれはAとBとに共通の時間は定義していなかった。」。しかし、Aのすぐ近くに起こる事件に対して、Aにある時計によってどうやって時間的な数値を与えることができるのだろうか。そこでアインシュタインは「事件と同時である時計の針の位置を測る」という。けれども、「事件と同時である」とは何を意味しているのだろうか。アインシュタインは「〃A点での時間〃と〃B点での時間〃を定義した」というが、例えばA点での「事件」と「時計の針がある位置を示すという事件」が「同時」だということは、どのようにして定義されたのだろうか。この箇所はこれから「離れた場所での二つの事件」が「同時である」ということを「tB −tA = t′A −tB 」という関係によって定義しようとする前提の箇所なのである。
 したがって、これは一種の循環論法ではないだろうか。「同時」を定義するために、すでに「同時」が使われているとすれば、それは「同時」の「出来事の関係」による定義の不完全性を意味しているのではないだろうか。もちろん、「運動している物体の電気力学について」のこの箇所は、あくまで「離れた場所に起きた事件」の「同時性」を問題にしているのであって、「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」とは問題の次元がはじめから違うものとして考えられているのだろう。しかし、では「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」は、どのようにして定義されたのかという疑問は依然として残る。つまり、われわれは自分の「すぐ近く」に起きた事件と、時計の針がある位置にくるという事件が「同時」だということを、どのようにして示すことができるのだろうか。例えば、「すぐ近く」で起きた事件が、ただちに時計の針を止めるというような装置を作ることによって、それを示すことができるだろうか。しかしこの場合、事件から時計の針への「作用」があるとすれば、その速度は光速以下の「有限」でしかない以上、二つは「同時」ではありえないはずである。
 ここでもし、それぞれのそばに(時計の物理的大きさが許す範囲において)時計を置いてその二つの場所で「光の交換」を行い、その示す数値が「tB −tA =t′A −tB 」という関係を満たすことを確認し、それによって「同時性」を定義するとすればどうだろうか。しかし、それでは「時計」と「出来事」の「同時性」を再び前提することになり、循環論法に陥ってしまう。つまり、「時計」と「出来事」の間の「同時性」は、それとはまったく違った形で定義しなければならない。
 一つの考え方は、「(ほとんど)同一の場所」での一つの事件と時計の針がある位置を示すという事件が、原理的に因果関係がありえないことを何らかの手だてによって示すという方法を求めることである。そのためには地点Aでの「出来事」の集合の中で、一つの「出来事」に対して現実に「原因」にも「結果」にもなっていない無数の「出来事」の中から、「原因」にも「結果」にも原理的になりえない「出来事」を確定しなければならない。
 ここで少し考えて、例えば地点Aでの互いに因果関係の無い「出来事X」と「出来事Y」とが「同時」かどうかを考えるとしよう。この場合、あらゆる「同時性」の概念がまだ定義されていないのだから、出来事に対して「時計の数値」を指定することは当然できない。だとすれば、例えば見た目にどんなに「出来事X」より「出来事Y」が「後」に見えるとしても、それの証明を「時計の数値」の比較によって行うわけにはいかない。では、それをどのように行うことができるのだろうか。もし、「出来事X」が「出来事Y」の「原因」あるいは「結果」であれば、それによって「前後」を定義することができるであろう。しかし、ここでは両者に「因果関係がない」ことが前提なのだ。だとすれば、「(ほとんど)同一の場所で起きた」互いに因果関係のない「出来事X」と「出来事Y」が「同時」であるかそうでないかの「因果関係による定義」は不可能となる。では、他にこの二つの出来事の「同時性」の成否を定義する方法はあるのだろうか。しかし、時計による数値の貼りつけ以外では、因果関係による定義の他に方法はないように思える。その場合、われわれには「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」の定義は不可能に陥らざるをえない。
 したがって、「(ほとんど)同一の場所」では、特殊相対性理論の内部で「同時性」を「定義」することは不可能である。つまり「同時性」をはじめとする「時間」の概念を、「(その一方が「時計」である)出来事の関係」によって構成するという試みは、その一点で不可能に陥らざるをえない。ただ、ある意味ではこの「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」は特殊相対性理論の中で、数学基礎論でいう「無定義用語」のようなものとして機能していると考えられるのかもしれない。それは原理的に「定義」不可能(あるいは不必要)なものと見なされ、それを出発点として「同時」「未来」「過去」を定義、構成していくことが可能とされていく。それは直感的にいえば、「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の間の同時性という概念」は最も明らかな、疑う必要のない概念であり、したがってそれに対する定義、問いはもともと必要とされない、ということである。事実、ある種の科学哲学者などを別にすれば(この「ほとんど同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」の定義の不可能性は、科学哲学内部ではすでに知られている内容である)、物理学者をはじめ、多くの人がそう考えているだろう。かつて古典物理学の中で離れた場所での「同時性」がそう扱われていたように。それは、物理学内部でこのアインシュタインの添付した「注」がほとんどまったく問題とされていないことに対応している。 
 しかし、アインシュタイン自身はその「概念」に対してこう述べるのである。「(…)という概念の中にある不精確さ、これも同様に、抽象化によって解決されねばならないものである」と。明らかにアインシュタインは、この「概念」が明らかであり、それに対する問いは不必要であるとは考えようとしていない。むしろ全くの逆である。この「注」を普通に読めば、理論の過程で現れた派生的な問題に一応の注意をとどめておくという風に見える(しかし、事実はそうでなかったことは以下で述べる)。しかし、事実としてここで述べられていることは、特殊相対性理論の理論構成の根拠そのものの「不精確」と「未解決」とである。少なくとも、アインシュタインが自分の理論の基礎となる「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念」の不精確さに、ここで明確な解決を与えることができなかったということは確かである。それはいいかえれば、「絶対時間」の概念の「出来事の関係」への還元の「未解決」を語るものであり、アインシュタインのいう「〃時間〃をどのように考えるかを明確に」するという課題の「未解決」を語るものである。
 
ε
 しかし、この文章で最初に触れようとしていたのは、「時計」の論理的起源という問題だったのである。
 我々は最初に、マッハの「力学」による「絶対時間」概念に対する批判を見た。「絶対時間」とは「〃形而上学的〃概念」であり、「時間というものは、むしろ、事物の変化を通じて到達した一つの抽象である」。「われわれは事物の変化を時間に即して計ることはできない。(…)一切の事物がまさに相互に依属しあっているので、われわれは特定の尺度に頼るわけにはいかないからである」。しかし、我々は時間に関して「特定の尺度」を常に使用している、つまり「時計」を。そしてその「時計」によって、われわれはあたかも事物の変化を「時間に即して計る」ことができるように考えはじめる。
 アインシュタインの「同時性の定義」は、「時間」を「幾つかの出来事が同時に起きたかどうか」という判断に還元していった。そして、この定義は「ある出来事」とそのすぐそばの「時計の針がある数字を指しているという出来事」との間の「同時性」の定義に集約される。上に見たのは、その「同時性」の定義の不可能性である。しかし、これはすでに明らかなように、問題の半分でしかない。「時計」の論理的起源、すなわち論理的定義の問題が依然として残されているからである。
 アインシュタインの引用するマッハの時間論は、結果として、つまりマッハ自身の意図はどうであれ、「同時性という概念」とともに「時計の起源」の謎を呼び起こしている。アインシュタインがマッハの影響下に追及したのは、主に「同時性」の問題だったが、「時計」の論理的起源の問題もそれと同様、問題の核心に依然存在していることは確実なのである。そして、アインシュタイン自身が、「同時性」とともにこの「時計」の論理的起源の問題を意識していたことを我々は疑うことができない。彼は例えば1921年にこう言っている。
「測定用の物体の概念は、相対性理論においてそれと結びついて配置されている測定用の時計の概念とともに、それに対応するものを現実の世界には決して見いだしえないものです。また明らかなことは、剛体にしろ時計にしろそれが物理学の概念構成において演じている役割はそれ以上還元不可能な要素としてではなく複合的な構成物としてのそれであり、理論物理学の構造においてそれらが自立的な役割を演ずべき理由はなんらないのです。しかしながら私としては、理論物理学の今日の発展段階からすれば、これらの概念はやはり自立的な概念として扱われてしかるべきだと深く信じております。なぜならば、われわれはいまだにこれらの実体の正確な理論的構造を与えることのできるような、理論的な基礎のはっきりした確かな知識というものからは程遠い段階にあるからです。」(「幾何学と経験」井上健訳)。
 ここでアインシュタインは、「時計」と「剛体(物差し)」の理論的構造が与えられていないということ、そしてその2つが物理学の中で「自立的な概念として扱われてしかるべきだと深く信じて」いるということをいう。これは、彼の物理学の中では「時計」と「物差し」は理論の中で解決することも抹消することもできない、いわば「未解決の不精確さ」としてある、ということである。(ただし光の概念を用いれば、「時計」と「物指し」とは互いに論理的に導出可能である。つまりどちらかの論理的定義が与えられれば、他方の定義も与えられる)。物理学は、古典物理学の段階でさえすでにある程度発達した時計の形態の上に現れた。そこで物理学者は、時計を「自明」なものとしてうけとり、そこに何らかの謎があるとは全く考えようとしなかった。しかし、アインシュタインは特殊相対性理論への突破口として「時計」と「他の事件」との間の「同時性という概念」にたどりつく。そして結果として、「時計」と「同時性」が「理論物理学の構造においてそれらが自立的な概念」としてあるという事実にぶつかるのである。1905年にアインシュタインが相対性理論の第1論文の「注」で「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念の中にある不精確さ、これも同様に、抽象化によって解決されねばならない」といったとき、それと同時に「時計の概念」にもまた「不精確さ」がひそんでおり、「これも同様に、抽象化によって解決されねばならない」というべきだったのはないだろうか。この「同時性」と「時計」という「概念の中にある不精確さ」は切り離すことができないはずなのである。
 では、再び問おう、時間にとっての「特定の尺度」=「時計」はどこからやってきたのだろうか。そして、その論理的根拠はどのようにして与えられるだろうか?
 
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 「時計」の論理的起源の問題は、主に科学哲学の分野で追及された問題である。例えばカルナップは「物理学の哲学的基礎」(1966)の第U部第8章「時間」の中で、時間を測定するための「周期性」の問題を論じている。この本は科学哲学を専攻する者の多くが読む古典であって、時計の論理的起源の問題に関するいわばセントラル・ドグマとみなすことができる。したがって、我々はとりあえずこのカルナップの論考をたどっていくことからこの問題を追うことにしようと思う。しかしながら、ここでの最終的な目的は、このカルナップの時計に関する論考を破綻させることにあるのであるが。
 カルナップは言う。「あらゆる時計は周期的過程をつくりだす器械にすぎない」「はじめに、〃周期性〃の2つの意味をはっきりと区別しなければならない。1つは弱い意味で、もう1つは強い意味である。弱い意味では、ただある過程が繰り返し繰り返しおこりさえすれば、それは周期的である。脈拍は周期的である。振動している振り子も周期的である。
しかし弱い意味では、スミス氏が自分の家から外出するのも周期的なのである。それはスミス氏が生きているあいだに、何百回も、繰り返し繰り返しおこるのである。それは、繰り返されるという弱い意味では、あきらかに周期的なのである。」「これとは対照的に、よくできた時計の天輪は強い意味で周期的である。2つの型の周期的には、あきらかに大変な差がある。」
「時間を測定する基礎として、どの型の周期的をとるべきであろうか。わたくしたちはまず、もちろん強い意味で周期的な過程をえらばねばならない、と答えたいような気がする。スミス氏が家から外出することはあまりにも不規則なので、時間の測定の基礎にはできない。また脈にこの基礎をおくことさえもできない。脈は、スミス氏の外出よりは、強い意味で周期的だということにずっと近いけれども、まだ十分に規則的ではないからである。(…)。必要なのは、できるだけ強いかたちで周期的な運動なのだ。/しかしこの論法には、何かまちがっていることがある。時間間隔が等しいということを決定する方法をすでにもっているのでなければ、ある過程が強い意味で周期的だ、ということはけっしてわからないのだ。わたくしたちが規則によって確立しようとしているのは、まさにこのような方法なのである。この循環論法を、どのようにしてさけることができるだろうか。強い意味での周期性という要求を完全に放棄してしまうことによってのみ、それをさけることができるのだ。強い意味での周期性は、どうしても放棄しなければならない。それは、この周期性を認識する基礎がないからである。わたくしたちは、等時間間隔の前科学的概念を利用することすらせずに時間を測定するという問題にアプローチしている、うぶな科学者の立場にいるのである。」(沢田、中山、持丸訳)。
 しかし、ここで少しだけ立ち止まろう。カルナップはそれ以上説明を加えない、ここでいう「うぶな科学者の立場」は具体的には何を示しているのだろうか。それは、歴史的な意味での「太古の科学者」を指しているのだろうか、あるいは「幼児期」の時間概念を指しているのだろうか。しかし、人類の歴史の中で科学者である限り(というより「人間」である限り)、おそらく彼あるいは彼女は「等時間間隔の前科学的概念を利用」していたのではないだろうか。少なくともわれわれには、時間の「等間隔の前科学的概念」をまったく持たない状態とは、おそらく想像することさえ不可能に近いのである。ある時間間隔が、他のどの時間間隔と比べても長い、短いということが全くわからない、ということなどどう考えてもありそうにないからだ。したがって、カルナップのいう「等時間間隔の前科学的概念を利用することすら」できない「うぶな科学者の立場」とは、われわれがつねにすでに「自明」のものとして利用している自然な「前科学的概念」をいわば細心の注意を払って払いのけることによってはじめて到達しえる、きわめて「意識的」な思考実験の産物だと考える他はない。その意味で、カルナップの行う「うぶ」さへの遡行は、歴史的なものというよりは論理的なレベルでの遡行と考えるべきである。つまり、「等時間間隔の科学的概念」の厳密な「基礎づけ」のためには、何らかの「等時間間隔の前科学的概念」を暗黙のうちに前提してしまうことは、絶対に避けなければならない。あるいは、「等時間間隔の前科学的概念」の成立は、「意識」の成立と同じほど古いのかもしれない。だとすれば、カルナップの行うこの「うぶな科学者の立場」への遡行は、きわめて「意識的」な思考による「意識」の成立以前への遡行だというべきかもしれない。
 なお、この「計測的な時間」および空間の「生理学的時間、空間」からの起源についてはマッハは繰り返し考察を行っている。マッハはこのようにいっている。「われわれが生理学的空間の分析を進めて行く際に出会う主要な困難は、以下のような所にある。それは、われわれがこの主題について考え始める時、教育を受けた人間としてすでに科学的、幾何学的表象を身につけており、いつでもこの表象を自明のものとして受け取っている、ということである。(…)この分野を研究する人は、偏見のない見方に達するために、作為的に素朴な立場に身を置き、まずもって多くの習い覚えた事どもを忘れるように努めねばならない。」(強調 生田 マッハ「計測的空間に対する生理学的空間」、「時間と空間」野家啓一編訳、所収)。このマッハのいう「作為的に素朴な立場に身を置き」とは、カルナップのいう「うぶな科学者の立場にいる」というのとほとんど同値である。こうしたマッハの時間、空間論の基本的な着想がカルナップの「時計論」につながっていることは、おいおい示していくことにする。
 カルナップは上の議論に続いて、ある周期的な過程(どんなに「弱い」周期性のものでもかまわない、なぜなら何をもって「強い」「弱い」というかの基準はないのだから)によって時間(事象の変化)を測定する図式を考える。それは、ある周期的な過程がある事象の存在している間に何回起きたかを数えることによって、行うことができよう。「測定しようと思う事象がおこっているあいだに、単位周期がなん回おこるか、その数を数える」
「この数が事象の長さになるだろう。相等性についての規則は明白である。すなわち2つの時間間隔(あるいは時間的に非常に離れているかもしれない)は、もし両方が周期的過程の基本周期〈elementary period〉を同じ数だけ含むとすれば、等しいのである」。しかし、その測定の方法は「たとえば、スミス氏が自分の家から外出することに、基礎をおくことができるのだろうか。おどろくべきことに、答えは、できる、ということである。(…)いま理解すべき重要な点は、たとえスミス氏の外出のように不規則な過程にもとづいているとしても、いったん時間を測定する図式が確立されると、ある周期的過程が別の周期的過程と等値〈equivalent〉かどうかを決定する手段がえられたのだ、ということである」。
 ここでカルナップは「等値」という概念を導入する。「時間を測定する基礎として、周期的過程Pがとられた、と仮定しよう。Pと、もう1つの弱い意味の周期的過程Qが〃等値〃であるかどうかをみるために、いまPとQとを比較することができる。たとえばわたくしたちのえらんだ過程Pが、ある短い振り子の振動である、と仮定しよう。これを、もっと長い振り子の振動であるQと比較したいのである。2つの振り子の周期が等しくない、という事実を考えると、どのように2つを比較するのだろうか。もっと長い時間間隔をとって、2つの振り子の振動を数えればよい。短い振り子の10振動が長い振り子の6振動と一致することがわかるかもしれない。そしてテストを繰り返すたびに同じ結果になる。(…)短い振り子の100周期といった、もっと長い時間間隔をとれば、この比較はもっとうまくいく。(…)このように、この比較をすきなだけ精密にすることができる。もし過程Pのある数の周期が、つねに過程Qのある数の周期に相当すれば、2つの周期性は等値である、と言われる。/この意味でたがいに等値である周期的過程の、非常に大きなクラスがある、ということは自然の事実である。これは、わたしたちが何かアプリオリに知り得たことではなく、世界を観察することによって発見するのである。これらの等値な過程は強い意味で周期的である、とは言えないが、そのうちどれか2つを比較して、等値だということを見いだすことはできる。振動する振り子はすべてこのクラスに属する。掛け時計や、腕時計の天輪の運動や、空をわたる太陽の視運動〔みかけの運動〕なども、これに属する。まえのパラグラフで説明したやりかたで、どれか2つの過程を比較するとき、等値であるとわかる過程は、自然のなかで非常に大きなクラスをなしていることが見いだされる。わたくしたちが知っているかぎりでは、この種の大きなクラスはただ1つだけ存在するのである。/もし、この種の等値な過程のクラスに属さない周期的過程、たとえば脈拍に、わたくしたちの時間目もりの基礎をおくことにきめるとすれば、どんなことがおこるだろうか。その結果は少々おかしなことになるであろう。しかし、わたしたちが強調したいのは、時間測定の基礎として脈拍をえらんでも、どんな論理的矛盾にもおちいらないだろう、ということである。このような基礎にたって時間を測定することは〃まちがい〃である、と言うのは意味がない」。以上により、「時計」のカルナップによる論理的基礎は示された。ここでは、「一様性」の問題は「過程Pのある数の周期が、つねに過程Qのある数の周期に相当すれば、2つの周期性は等値である」という「等値」の概念に還元され、それによって論理的基礎が与えられたわけである。
 カルナップの議論の中でポイントとなる点は、もちろん「等値」の概念である。まず、「いったん時間を測定する図式が確立されると、ある周期的過程が別の周期的過程と等値〈equivalent〉かどうかを決定する手段がえられ」る。そしてその測定の結果、「もし過程Pのある数の周期が、つねに過程P′のある数の周期に相当すれば、2つの周期性は等値である」。つまり、時間間隔を測定するための「絶対的な等間隔という概念」が全くなくても、2つの周期的過程の「等値」だけは語ることができる。そしていうまでもなく、これはマッハのいう「ある運動は別の運動に関して一様だとは言える」ということと(「一様」が量的なものであるのに対して、「等値」が数的なものであるということを別とすれば──そして量的な概念は、それが「物差し」を前提しているがゆえに避けなければならない)事実上同じことを意味している。カルナップはこの概念を最大限に利用する。この概念をより形式的に表してみよう。
        x回周期の周期過程P=y回周期の周期過程Q          
 そしてこれは「つねに」成り立つのだから、「恒等式」である。(この恒等式による表現は、もちろん「物理学の哲学的基礎」にはない)。
 この点について再びマッハの議論を見ておこう。「だが、周囲に見られる諸過程の時間的経過を査定するためには、生理学的時間感覚では余りに不精確であるし、当てにならない。そこで、われわれはある物理学的経過事象を他の物理学的経過事象と比較し始める。たとえば、振り子の振動を一定の落下空間を通る落体運動と、あるいは振り子が振動する間に回った地球の回転角と比較するわけである。その際、厳密に定義された一対の物理学的経過事象があり、両者の始点と終点がある時点で一致する、つまり時間的合同性を示すことをわれわれが経験すれば、この性質はどの時点であろうと保持される。このような厳密に定義された経過事象は、今度は時間の尺度として用いることができる。物理学的時間測定は、このような事実に基づいているのである。確かにわれわれは、とかく本能的に、時間的実体性の表象を時間測定の尺度に転入しがちであるが、物理学の領域では、この表象は何の意味も持たないことを銘記しておかねばならない。測定は尺度に対する関係を述べているのであって、尺度それ自身に関しては何も定義してはいないのである。」(「計測的時間に対する生理学的時間」)。カルナップの上の議論がこうしたマッハの「時計論」をある程度踏襲し、それを洗練し、明確にしたものだといってもおかしくはない。ただ、ここでマッハが「両者の始点と終点がある時点で一致する、つまり時間的合同性を示す」と語る点は重要である。「測定」「比較」には、両者のある時点での「一致」、つまり「同時性」が必要とされる。これはカルナップが触れていなかった、しかし重要な点である。「時計」についての議論の中でも、「同時性」は前提されている。
 さて、ここでカルナップが使う「相等性」と「等値」という2つの言葉の区別を確かめておかねばならない。「相等性」とは、仮に「単位周期」としてとった一つの周期的過程によっていくつかの時間間隔を測定し、その中にある「単位周期」の数が等しいならその時間間隔どうしは「等しい」、という意味である。したがって、もしある周期的過程の5回周期をある「単位周期」で測定した時その大きさが「10」であり、あとで同じ過程の6回周期を測定するとそれも「10」だった、ということはありえる。しかし「相等性」という概念からは、この5回周期と6回周期は「等しい」のだ。例えばカルナップが例として挙げるように、脈拍を「単位周期」としてとれば、太陽の一回り(一日)が、他の場合の太陽の二つ回り(二日)と時間的に「等しい」ということがありえるだろう。これは「明らかに」おかしく見える。しかし、それはあたかもユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学のように、論理的矛盾はどこにも含まないはずである。マッハのいうように、「絶対時間」というような「特定の尺度に頼るわけにはいかない」以上、その結論が斥けられる論理的な根拠はありえない。しかしこの場合、上の「x回周期の周期過程P=y回周期の周期過程Q」のような等式は「恒等式」としては成り立たない。
 ある意味で、カルナップのいう「等値」の概念は、そうした基準の相対性に対して、現行の基準を擁護する一つの対応とも見ることができるだろう。「どれか2つの過程を比較するとき、等値であるとわかる過程は、自然のなかで非常に大きなクラスをなしていることが見いだされる。わたくしたちが知っているかぎりでは、この種の大きなクラスはただ1つだけ存在するのである」。脈拍を基準とするなら、上のような等式が「恒等式」として成り立つ対象は、脈拍と直接の因果関係をもつ自分の体の中以外では存在しえない。「イコール」「=」がつねに成立するのは、この「ただ1つの大きなクラス」のみにおいてなのだ。ただ、カルナップはそれに続いてこういう。「どちらの場合にも論理的矛盾がないのであるから、ただしさも、まちがいも、ここには含まれない。これはただ、世界を単純に記述するか、複雑に記述するか、どちらを選択するかということにすぎない」。カルナップはこの点を繰り返す。「これは非常に重要な点なので繰り返し強調するのである。時間測定の基礎として、ある過程を選択することは、ただしいとか誤っているとかいう問題ではない。どんな選択も論理的に可能である。どんな選択をしても、整合的な1組の自然法則がえられるであろう。しかし、振り子の振動のような過程にもとづいて時間を測定するとすれば、あるほかの過程を使用する場合よりももっと単純な物理学がえられる、ということがわかるのである」。そして、結果としてカルナップは「このクラスのなかのどの1つをとるかは、大きな問題ではない」という。「時計」の問題の解決である。
 しかし、この「ただ1つだけ」の非常に大きなクラスをとるか、脈拍のようなメンバーが自分自身しかないようなクラスをとるかの選択は、「単純」「複雑」という相対的なちがいなのだろうか。問題は、上の「恒等式」が成立するかどうかなのではないか。もし脈拍を基準として選ぶなら、自然落下する物体について、ガリレオの見いだしたv=gt という方程式すら成り立たないであろう。したがってニュートンの運動方程式も成り立たない。アインシュタインの相対性理論も成り立たない。しかし、もし仮に「脈拍」でなく、例えばある物体が地面に自然落下し(理想的に)何度も跳ね返るという「周期」を「単位周期」として選べば、相対的に「複雑」なものではあっても一貫した物理法則が得られるはずである。なぜなら、その「単位周期」はある数学的変換によってあの「ただ1つだけ」の非常に大きなクラスの周期と「等値」になりえるからだ。しかし、脈拍は決して一貫した(恒等式による)物理法則を与えることはできない。それは、この「単位周期」が、自分の体の中の何らかの(つまり因果関係にある)周期を除けば他のどんな周期とも「等値」にはなりえないからだ。したがって、問題はカルナップの言う相対的な「単純」「複雑」ということではなく、「単位周期」が他の(地球の自転、公転、振り子の運動、波動の伝播方向への進行、中性子星のパルス…といった)様々な周期と「等値」になりえるかどうかだと考えるべきである。他のどんな自然現象の「周期」とも「等値」になりえないものは、上の「恒等式」の右辺にも左辺にもなりえない。それを「単位周期」として選ぶのは「まちがい」ではないが、「無意味」なのだ。したがって、「時間を測定する基礎としてどの型の周期性をとるべきであろうか」という問いに対しては、多くの他の自然現象の「周期性」と「等値」になりえるもの、と答えるべきなのである。そしてそれが本当に「一様な」周期なのか、と問うことは、まったく意味をもたない。われわれにとっては、「ある運動は別の運動に関して一様だとは言えるが、ある運動がそれ自身一様であるか、という質問は全く意味をなさない」ように、他の多くの自然現象の周期性と「等値」になりえる「周期」だけが「意味をなす」にすぎない。マッハのいうように、「測定は尺度に対する関係を述べているのであって、尺度それ自身に関しては何も定義してはいない」。問題は、上の「恒等式」が成り立つものだけである。さきにいったように、時間を測定する尺度を求める場合にカルナップが最大限に利用しなければならなかったのは、まずこの「等値」であり、その条件としての「単位周期」による時間を測定する図式であった。上の「x回周期の周期過程P=y回周期の周期過程Q」という恒等式には、実は以上の問題点が凝縮されている。そこで、これからこの「恒等式」を使って、以上の議論をあらためて形式的に展開していくことを試みることができるはずである。
 
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 この章は、カルナップのいう「等値」(equivalent)の概念、前章の定式化を使えば、「x回の周期的過程A=y回の周期的過程B」という恒等式を中心に進む。振り返れば、物理学にとって基礎概念となる時間、空間はマッハのいうように「事物の変化を通じて到達した一つの抽象」であり、それはあくまで「事物」どうしの関係から定義されなければならなかった。
 つまり物理学的思考様式が支配的である世界は、「きわめて多くの出来事の集合」として現れ、個々の「出来事」はこの世界の要素という形態として現れる。したがって、マッハにならえばわれわれの研究は出来事の関係の分析をもって始まる。アインシュタインは、時間が役割を持つような判断は「同時に起こる事件についての判断」、とりわけ「ある出来事と時計の間の同時性」という概念に帰すると考えた。したがって、そこでは問題は「同時性の概念」および、「時計」の定義、いいかえれば「時計」の論理的根拠である。カルナップは時計のその論理的根拠を示すために、「周期的過程」から出発した。そして物理学にとって意味を持つ「単位周期」は、他の周期的過程と「等値」になりえる「周期的過程」であった。
 つまり、ここではわれわれは実際において「周期的過程」の「等値」という概念から、または「等値」の比率から出発して、その中にかくされている周期的過程の持つ物理学的な「時間」なるものをさぐらなければならない。われわれは「時間」について問おうとするなら、まずこの物理学的時間の現象形式に帰らなければならない。そして、人はこれだけは知っている、すなわち、さまざまな周期的過程は、それぞれ「振り子の振動」「太陽の運行」「波動の進行」といった雑多な形態をしているにかかわらず、現実にはそれと極度に対照的なある共通の時間に関する形式を持っているということ──つまり、「時計」という尺度である。だが、ここでは物理学内部ではほとんど試みられたことのない一事を考察しようとしているのである。すなわち、この「時計」の発生を証明するということ、したがって、周期的過程の「等値」関係に含まれている「時間」概念が、どうして最も単純な最もめだたない様子から、そのきらきらした「時計」による形式に発展していったかを追求するということである。これをもって、同時に時計の謎は消え失せる。
 
A 単純な、個別的な、または偶然的な「時間」形態                
 x回の周期的過程A=y回の周期的過程B あるいはx回の周期的過程Aはy回の周期的過程Bに「等値」である。
 (振り子の振動10000回=地球の自転1回 または10000回の振り子振動は1 回の地球の自転と「等値」である)。
 
一切の時間の形式の秘密は、この単純な時間の形態の中にかくされている。したがって、その分析が、まことの難事となるのである。
 ここでは、二種の異なった周期的過程AとB、われわれの例でいえば「振り子の振動」と「地球の自転」とは、明白に二つのちがった役割を演じている。振り子の振動は、その「時間」を地球の自転で表現している。地球の自転はこの時間の表現の材料の役をつとめている。第一の周期的過程の持つ時間は、相対的等時間として表されている、いいかえれば相対的「時間」形態にあるのである。第二の周期的過程は等時間として機能している、すなわち等「時間」形態にあるのである。
 この両者は(マッハのいう意味で)相関的に依存しあい、交互に条件づけあっていて、離すことのできない契機であるが、同時に相互に排除しあう、または相互に対立する極である。すなわち、同一の時間表現の両極である。我々は、例えば振り子の振動が持つ時間を、振り子の振動によっては表現することはできない。それは「絶対時間」の概念に戻ることを意味するからだ。振り子の振動10000回=振り子の振動10000回というのは、絶対時間の概念を排除しようとする限りなんら時間表現とはならない。したがって、振り子の振動の持つ「時間」はただマッハのいうように相対的にのみ、すなわち他の周期的過程においてだけ表現されうる。
 むろん、「振り子の振動10000回=地球の自転1回 または10000回の振り子振動は1回の地球の自転と〃等値〃である」という表現は、「地球の自転1回=振り子の振動100回 または1回の地球の自転は10000回の振り子振動と〃等値〃である」という逆関係を含んではいる。しかし、地球の自転の持つ「時間」を相対的に表現するためには、恒等式を逆にしなければならない。そして我々がこれを逆にしてしまうやいなや、振り子の振動は地球の自転のかわりに「等時間形態」となる。したがって、同一の周期的過程は同一時間表現において、同時に両形態に現れることはできない。この二つの形式は、むしろ積極的に排除しあうのである。
 さて、どういうふうに一周期的過程の単純なる時間表現が、二つの周期的過程の時間関係にかくされているかということを見つけ出してくるためには、時間関係を、まずその量的側面から全く独立して考察しなければならない。振り子の振動10000回=地球の自転1回または =20回または =x回となるかどうかということ、このようないろいろの割合にあるということは、つねに、振り子の振動と地球の自転とが「時間」の大きさとしては、同一単位の表現であり、同一性質のものであるということを含んでいる。
 しかしながら、二つの質的に等しいとされた周期的過程は、同一の役割を演じるものではない。ただ振り子の振動の持つ時間だけが表現されるのである。そしてそれはいかにして表現されるか? 振り子の振動に「等値になりえるもの」としての地球の自転に、関係せしめられることによってである。つまり、振り子の振動は、他の周期的過程を自分に「時間を持つもの」として「等値」することによって、自分自身を「時間を持つもの」としての自分に関係させる。
 しかし、この恒等式の両項の非対称は、根源的にはどこからきているのだろうか。それには、まずカルナップのいう「いま理解すべき重要な点は、たとえスミス氏の外出のように不規則な過程にもとづいているとしても、いったん時間を測定する図式が確立されると、ある周期的過程が別の周期的過程と〃等値〃かどうかを決定する手段がえられたのだ、ということである」という文章を思い出さなければならない。「測定」は、「等値」という概念以前に確立されなければならなかった。したがって、恒等式の左辺はつねに測定すべき「時間対象」であり、右辺は測定するための「単位周期」なのだ。だからこそ、振り子の振動という周期的過程の持つ「時間」は、地球の自転という周期的過程そのものによって表現される。外見からは、振り子の振動は地球の自転とは感覚的にちがったものである。しかし「時間」という概念からは、それは「地球の自転に等しいもの」であって、したがって、地球の自転に見えるのである。
 ここで一つことわっておかなければならないことがある。それは、いままで普通に行われているように周期的過程は一つの過程であり、またそれは「時間」を持っていると言ってきたのだが、これは正確に言えば誤りである。周期的過程は、その持つ「時間」が、その自然形態とちがった独自の現象形態、すなわち「等値」となりえる形態という現象形態をとるとともに、ただちに本来の性質であるこのような二重性として示される。そして周期的過程は、この形態を、決して孤立して考察する場合に持っているのでなく、つねに第二の異種の周期的過程に対する時間関係、または「等値」関係においてのみ、持っているのである。だが、このことを知ってさえいれば、先の言い方は無害であって、叙述を簡略にするのに役立つ。
 しかし、一周期的過程の属性は、他周期的過程に対する関係から発生するのではなくて、むしろこのような関係においてただ実証されるだけのものである。だから、地球の自転もその等「時間」形態を、すなわち直接的な「等値」可能性というその属性を、同じように天然にもっているかのように、ちょうど重いとか暖かいとかいう属性と同じもののように見える。このことから、等「時間」形態の謎が生まれるのであって、それは、この形態が完成した形で「時計」となって、物理学者に相対するようになると、はじめてブルジョワ的に粗雑な彼の目を驚かせるようになる。そうなると彼は、金時計や銀時計の神秘的な性格を明らかにしようとして、これらのものを光り輝くことのもっと少ない周期的過程にすりかえて、楽しげに、その時々に周期的過程「等値」の役割を演じたものの目録を述べ立てて、それによって「時計」の謎を解いたように思い込むのである。しかし、実は彼は、振り子の振動10000回周期=地球の自転1回周期というようなもっとも簡単な時間表現が、すでに等時間形態、つまり「時計」の謎を解くように与えられていることを、想像してもみないのである。    
 
 B 総体的または拡大せる時間形態
 z回の周期的過程A=U回の周期的過程B または=v回の周期的過程C または=w 回の周期的過程D または=x回の周期的過程E または=その他。        
  (振り子の振動10000回=地球の自転1回 または=バネによる振動215400 回 または=別の振り子による振動16000回 または=地球の公転1/365.25 回 またはレコードプレーヤーの回転47520回 または=その他)
 
 一周期的過程、例えば、振り子の振動の持つ「時間」は、いまでは周期的過程の世界の無数の他の要素に表現される。すべての他の周期的過程は振り子の振動の持つ「時間」を反射する鏡となる。こうして、「等値」である周期的過程の表現の無限の序列の中にあるから、周期的過程の持つ「時間」は、周期的過程の自然形態がどんなものであろうと、その特別の形態にたいして、無関心であることになるわけである。
 また、「振り子の10000回周期=地球の自転1回周期」という第一の形態においては、これら二つの周期的過程が、一定の数的比率で「等値」となるということは、例えばある人の左手の脈拍の周期が右手の脈拍の周期と「等値」であるというように、偶然の事実であるかもしれない。これに反して、第二の形態では直ちに、偶然の現象と本質的に区別され、かつこれを規定する背景が、露われている。すなわち、こうした無数の周期的過程が「等値」であるという「非常に大きなクラス」の存在がここではじめて現れているのである。いいかえれば、第一の形態においては、確かに「等値」「=」という表現をとってはいたが、それが本当にあの物理学的に意味をなす「非常に大きなクラス」の恒等式であるかどうかは定かではなかったのだ。これが、この第二形態の存在する意味である
 しかし、周期的過程のこの相対的な時間表現は未完成である。というのは、その表示序列がいつになっても終わらないからである。また、あらゆる周期的過程の相対的「時間」は、この拡大された形態で表現されざるをえないのであるが、そうなると、あらゆる周期的過程の相対的「時間」形態は、すべての他の周期的過程の相対的「時間」形態とはちがった無限の「時間」表現の序列である。──拡大された相対的「時間」形態の欠陥は、これに相応する等「時間」形態に反映する。すべての個々の周期的過程の種の自然形態は、ここでは無数の他の特別な等「時間」形態とならんで、一つの特別な等「時間」形態であるのだから、一般にただ制限された等「時間」形態があるだけであって、その中のおのおのは他を排除するのである。簡単に言えば、この第二形態では、ある周期的過程の持つ「時間」を表現するのと別の周期的過程の持つ「時間」を表現するのとではちがった形になってしまって、統一的な形態をもたないということである。
 だが、拡大された相対的「時間」形態は、ただ単純な相対的「時間」表現、または第一形態の諸「恒等式」の総和になっているだけである。例えば、
    振り子の振動10000回=地球の自転1回
    振り子の振動10000回=バネによる振動21540回 等々
これらの諸恒等式のおのおのは、だが、両項を逆にしても(論理的には)同じ恒等式である。
    地球の自転1回=振り子の振動10000回
    バネによる振動215400回=振り子の振動10000回 等々
 実際、われわれが地球の自転の持つ時間を振り子の振動によって「測定」するとすれば、
(絶対的な基準はないのだから)必然的にある人から見れば、振り子の振動の持つ時間を地球の自転によって「測定」していることになっていなければならない。──かくて、も
しわれわれが、「B」の序列を逆にするならば、すなわち、われわれが、実際にはすでに序列の中に含まれていた逆関係を表現するならば、次のようになる。
                                        
 C 一般的時間形態                                                    
 地球の自転1回              = 
 バネによる振動215400回      = 
 別の振り子による振動16000回   = 
 地球の公転1/365.25回        =   →   振り子の振動100回周期
 レコードプレーヤーの回転47520回  = 
 A周期的過程x回             = 
 その他の周期的過程           = 
                        
 諸周期的過程は、その持つ「時間」をいまでは第一に、唯一の周期的過程で示しているのであるから、単純に表していることになる。また第二に、同一周期的過程によって示しているのであるから、統一的に表していることになる。それら周期的過程の時間形態は、単純で共同的であり、したがって一般的である。
 この新たに得られた形態は、周期的過程の世界の諸時間を、同一なる、この世界から分離された周期的過程の種で表現する、例えば振り子の振動で、そしてすべての周期的過程の持つ「時間」を、かくて、その振り子の振動と等しいということで示すのである。
 「振り子の振動」に等しいものの形態において、いまではあらゆる周期的過程が、ただに質的に等しいもの、すなわち「時間」を持つもの一般としてだけでなく、同時に量的に比較しうる「時間」の大きさとしても現れる。すべての周期的過程が、その時間の大きさを同一材料で、振り子の振動で写し出すのであるから、これらの時間の大きさは、交互に反映しあうのである。例えば「バネによる振動215400回=振り子の振動10000回」、さらに「レコードプレーヤーの回転47520回=振り子の振動10000回」。したがって、「バネによる振動215400回=レコードプレーヤーの回転47520回」というようにである。あるいは1回のバネによる振動には、ただ1回のレコードプレーヤーの回転におけるものの47520÷215400=22、1パーセントだけの「時間実体」が含まれているというようにである。
 周期的過程の世界の一般的な相対的「時間」形態は、この世界から排除された等「時間」形態である「振り子の振動」に、一般的等「時間」の性質をおしつける。振り子の振動自身の自然形態は、この世界の共通な時間態容であり、したがって、振り子の振動は他のすべての周期的過程と直接に「等値」可能である。この物体形態は、一切の「時間実体」の眼に見える化身として、一般的な社会的な蛹化としてのはたらきをなす。そしてここでは、「振り子の振動」はすべての他の周期的過程にとっての等「時間」の類形態として現れる。
それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらの他に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個体的化身が存在しているようなものである。
それゆえ、「振り子の振動」が、一つの他の周期的過程が「時間」の現象形態としての「振り子の振動」に関係したということによって、個別的な等「時間」形態となったのと同じように、それは、すべての周期的過程に共通な、「時間」の現象形態としては、一般的な、等「時間」形態一般的な「時間」肉体抽象的な「時間」実体の一般的な物質化となるのである。
 さて、このことはよく銘記されなければならないのだが、等「時間」形態(右辺)の発展は、相対的「時間」形態(左辺)の発展の表現であり、結果であるにすぎない。
 すでに第一の形態──振り子の振動10000回=地球の自転1回──がこの対立を含んでいる。しかしまだ固定してはいない。同じ恒等式が順に読まれるか、逆に読まれるかにしたがって、振り子の振動と地球の自転というような両周期的過程の極のおのおのが、同じように、あるときは相対的「時間」形態に、あるときは等「時間」形態にあるのである。この場合においては、なお両極的対立を固定させるのに骨が折れる。
 第二の形態では、依然としてまだ各周期的過程の種類ごとに、その相対的「時間」を全体として拡大しうるのみである。言葉をかえていえば、各周期的過程自身は、すべての他の周期的過程が自分に対して等「時間」形態にあるから、そしてそのかぎりにおいて、拡大した相対的「時間」形態をもっているにすぎないのである。この場合においてはつねもはや恒等式の両項を移し換えると、その総性格を変更し、これを相対的「時間」形態から一般的「時間」形態に転換させてしまうほかはないことになる。
 最後の形態である第三形態は、ついに周期的過程の世界に対して一般的社会的な相対的「時間」形態を与える、それは、唯一の例外を除いて、この世界に属するすべての周期的過程が一般的等「時間」形態から排除されるからであり、またそのかぎりにおいてである。
ある周期的過程、すなわち振り子の振動は、したがって他のすべての周期的過程と直接的な「等値」可能性の形態に、あるいは直接的に社会的な形態にある。というのは、他の一切の周期的過程がこの形態をとっていないからであり、またそのかぎりにおいてである。 逆に、一般的等「時間」という役割を演じる周期的過程は、周期的過程の世界の統一的な、したがって一般的な相対的「時間」形態から排除される。振り子の振動が、すなわち、一般的等「時間」形態にあるなんらかのある周期的過程が、同時に一般的相対的「時間」形態にもなるとすれば、その周期的過程は、自分自身に対して等「時間」としてつかえるということにならなければなるまい。そうするとわれわれは、「振り子の振動10000回周期=振り子の振動10000回周期」という式をえることになる。もしも「絶対時間」の概念、つまり「時間実体」というものを認めるとすれば、これは内容のない繰り返しであって、そこには時間も時間の大きさも表現されてはいないということで済むであろう。しかし、マッハのいうように「われわれは事物の変化を時間に即して計ることはできない」とすれば、この恒等式は本来現れるはずのないものである。事実、第二形態では右辺に「振り子の振動」は現れないはずである。しかももしその恒等式が成り立つとすれば、それは一般的等「時間」形態にある「振り子の振動」が、同時に一般的相対的「時間」形態にあることによって、いわば獅子や虎やその他のすべての現実の動物たちと同じ論理的レベルに「動物というもの」が現れるという結果になるだろう。したがって、この特定の周期的過程、「振り子の振動」は一般的等「時間」形態から排除されなければならない。われわれは、「時計」は「絶対時間」を表示するだけのものであるというような思考法は否定しなければならない。また、その中で矛盾なき統一的な「時計」概念をつくりだすためには、この特定の周期的過程の一般的等「時間」形態から「排除」し、それによって「動物というもの」をつくりださなければならない。すなわちこの「第三形態」がどうしても必要となるのであり、これがこの形態が存在する意味である
 さて、相対的「時間」形態から排除されるこの特殊なる周期的過程は、等「時間」形態がその自然形態と社会的に合一するに至って、「時計」なる周期的過程となり、または「時計」として機能する。周期的過程の世界内で一般的等「時間」の役割を演じることが、この周期的過程の特殊的に社会的な機能となり、したがって、その社会的独占となる。この特別の地位を、第二形態で「振り子の振動」の特別の等「時間」たる役を演じ、また第三形態でその相対的「時間」を共通に「振り子の振動」に表現する諸周期的過程のうちで、一定の周期的過程が、歴史的に占有したのである。すなわち、「地球の自転」、いいかえれば昼夜の交替、「一日」である。したがって、われわれが、第三形態において、周期的過程「地球の自転」を周期的過程「振り子の振動」のかわりにおくならば、次のようになる。
 
 D 「時計」形態
                      
 振り子の振動10000回         = 
 バネによる振動215400回       = 
 別の振り子による振動16000回     = →   地球の自転1回周期
 地球の公転1/365.25回        =  
 レコードプレーヤーの回転47520回   = 
 A周期的過程x回             = 
                        
 第一形態から第二形態へ、第二形態から第三形態への移行にさいしては、本質的な変化が生じている。これに反して第四形態は、ただ「振り子の振動」のかわりにいまや「地球の自転」が一般的等「時間」形態をもつに至ったということ以外には、第三形態と少しも異なるところはない。進歩があるのは次のことだけである、すなわち直接的な一般的な「等値」可能性の形態、または一般的な等「時間」形態が、いまや社会的習慣によって終局的に周期的過程「地球の自転」の特殊な自然形態と合一してしまったということである。
 「地球の自転」が他の周期的過程に対して「時計」としてのみ相対するのは、「地球の自転」がすでに以前に、それらに対して互いに「等値」である周期的過程として相対していたからである。すべての他の周期的過程と同じように、「地球の自転」も、個々の「測定」行為において個別的の等「時間」としてであれ、他の周期的過程による等「時間」と並んで特別の等「時間」としてであれ、とにかく等「時間」として機能した。しだいに「地球の自転」は、あるいは比較的狭い、あるいは比較的広い範囲で一般的等「時間」として機能した。「地球の自転」が、周期的過程の世界の「時間」表現で、この地位の独占を奪うことになってしまうと、それは「時計」なる周期的過程となる。そして「地球の自転」がすでに「時計」なる周期的過程となった瞬間に、やっと第四形態が第三形態と区別される。言いかえると一般的「時間」形態は「時計」形態に転化される。
 すでに「時計」なる周期的過程として機能する周期的過程、例えば「地球の自転」=「一日」における、一周期的過程例えば「振り子の振動」の単純な相対的「時間」表現は、いわば「時間」形態である。「振り子の振動」の「時間形態」はしたがって、「振り子の振動10000回=地球の自転1回」、または、もし1回周期の地球の自転の「名称」が「24時間」(あるいは「一日」あるいは「1440分」あるいは「86400秒」など)であるならば、「振り子の振動10000回周期=24時間」である。
 「時計」形態という概念の困難は、一般的等「時間」形態の、したがって一般的「時間」形態なるものの、すなわち第三形態の理解に限られている。第三形態は、関係を逆にして第二形態に解消する。そしてその構成要素は第一形態である。したがって、単純なる周期的過程形態は「時計」形態の萌芽である。
 さて、叙述は次の段階に移らなければならない。
 
θ                                        
 「時計」は、見たばかりでは自明で平凡な物であるように見える。しかしこれを分析してみると、時計はきわめて気むずかしい物であって、「形而上学」的繊細さと「神学」的意地悪さで一杯であることがわかる。すなわち、それは「自明で平凡」どころか、形而上学的な領域にまで至る理論的困難を物理学および哲学にもたらすのである。しかし、ただ「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの出来事の同時性という概念の中にある不精確さ」に、そして時計の「自立的な概念」について触れるアインシュタインは、その困難の存在を例外的に理解していたように見える。
 カルナップの「時計」理論は、特殊相対性理論の内部では無定義のままである「時計」を論理的に構成しようとするものだったといえるだろう。それは物理学内部の問題に対して、「物理学の哲学的基礎」というべき領域をなすであろう。しかし、その「哲学的基礎」は物理学、「運動している物体の電気力学について」に対して本当に厳密な基礎を与えることができたのだろうか。それはふたたび「物理学」内部に反転し、最終的に基礎の不在である循環論法をなすのではないだろうか。つまり(一つの抽象である「時間」の化身である)「時計」を「出来事」から論理的に構成する試みは、不可能に陥るのではないだろうか。それを示すことが、この章の目的である。
 「時計」の論理的基礎づけは、カルナップの行ったように、まず「測定」「比較」の方法の定義によって、互いに「等値」である周期的過程を仮定し(第一形態)、そしてその「等値」が非常に大きなクラスであることを仮定する(第二形態)。そしてそのクラスの中からただ一つの周期的過程が排除され、それが他のすべての周期的過程と「等値」可能な形態となる(第三形態)。そしてやがてそれが「時計」となり、それによってあたかも「事物の変化を時間に即して測定する」ことができるかのように見えることになる(第四形態)。つまりすでに「A周期的過程x回=B周期的過程y回」というもっとも単純な時間表現にもある、他の周期的過程の持つ「時間」の大きさを表示する一周期的過程が、その等「時間」形態を、この関係から独立して社会的な自然属性として持っているように見えるということをわれわれは知った。われわれは、この誤った外観がどのように固定していくかを追及した。この外観は、一般的等「時間」形態が、ある特別な周期的過程の自然形態と合一すれば、または時計形態に結晶すればすでに完成している。一周期的過程は、他の周期的過程が全面的にそれぞれの持つ「時間」をこの一周期的過程で表示するから、そのためにはじめて「時計」となるようには見えないだろう。逆に、この一周期的過程が「時計」であるから、他の周期的過程が一般的に自分たちの持つ「時間」をこの一周期的過程で表示するように見える。媒介する運動は、その運動自身の結果を見ると消滅しており、なんの痕跡も残していない。
 しかしわれわれは、その「消滅し、なんの痕跡も残していない」媒介する運動を、いま再現し、その運動の結果である「時計」という形態の発生をたどってきたのだった。すでに注意したように、それは「うぶな科学者の立場」、「作為的に素朴な立場に身を置き、まずもって習い覚えた事どもを忘れるように努めねばならない」種の思考実験であり、歴史的な意味での遡行ではなく、論理的なレベルでの歴史的遡行であった。つまり、人間生活の諸形態に関する思索、したがってその科学的分析は、一般には現実の発展とは対立した途を進み、このような思索は、post festum(後から)始まり、したがって、発展過程の完成した成果とともに始まる。「諸事物の変化」に物理的「時間」の概念を捺印し、したがって物理学の前提となっている「時計」という形態が、すでに社会生活の自然形態の固定性をもつようになってはじめて、人間は自分たちがむしろ不変であると考えているこのような諸形態の歴史的性質についてでなく、それらの形態の内包しているものについて、考察をめぐらすようになる。しかし問題は、ここでの「媒介する運動」が、それ自体すでに「媒介する運動」を前提してしまっているということなのだ。言い換えれば、「消滅し、なんの痕跡も残していない」媒介する運動を論理的に再現してみると、それは更に「消滅」させることが不可能な「痕跡」を呼び起こしてしまうことがわかる。
 問題は、つまり一切の時間形態の秘密は、単純である時間形態「x回の周期的過程A=y回の周期的過程B あるいはx回の周期的過程Aはy回の周期的過程Bに等値である」にかくされている。われわれがある周期的過程によって他の周期的過程を「測定」するというとき、実際には何が行われていたのだろうか。マッハがいっていたように、われわれは「対象」にあたる周期的過程のある回の周期を「始点」として、それと「同時」な「時計」にあたる周期的過程のある回の周期を記録し、さらに「対象」にあたる周期的過程のある回の周期を「終点」として、それと「同時」な「時計」にあたる周期的過程のある回の周期を記録するのである。そして「時計」にあたる周期的過程の記録された二つの回によって、「時間」を表現する。
 しかし、われわれはこの二つの周期的過程のある回とある回とが「同時」だということをどのようにして言うことができるのだろうか。アインシュタインによれば、それは二つの周期的過程のそれぞれのすぐそばに「時計」を置いて、その時計が合っていることを確認しなければならない。しかし、今の周期的過程の「測定」は、まさに「時計」を定義するために行われているのである! したがって、ここでは「時計」を定義するために「同時性」を必要とし、その「同時性」の定義のために「時計」を(したがって再び「同時性」
を)必要とするという循環論法に巻き込まれる。それを避けようとするなら、比べる二つの周期的過程を「(ほとんど)同一の場所」においてだけ考えることであろう。この場合、「時計」の定義はこの「(ほとんど)同一の場所での同時性という概念」に還元されよう。
しかし、これが「定義不可能」であることはすでに見た。しかも、比べる周期的過程が「(ほとんど)同一の場所」でしか考えられないということは、著しく一般性を欠く話であって、これを物理学の基礎として成立させることは、相当の論理的無理を通さなければならないのである(例えば、いったん比べた周期的過程どうしが、離れた場所でも依然として「等値」だということを、どのようにして言うことができるだろうか?)。
 したがって、これは事実上「時計」という概念の論理的定義の破綻なのである。つまり、アインシュタインは「時間をどのように考えるか」を定義するために、「時計という概念」と「(ほとんど)同一の場所での同時性という概念」とをはじめに無定義に前提しなければならなかった。しかしここでは、その無定義な「時計」を論理的に導出するための第一歩である「周期的過程」の「測定」のために、やはり「時計という概念」あるいは「(ほとんど)同一の場所での同時性という概念」をはじめに前提しなければならないというのである。
 したがって、われわれは最終的にアインシュタインのいう定義されざる「(ほとんど)同一の場所で起きた二つの事件の同時性という概念の中にある不精確さ」あるいは「時計」という概念の「自立性」に出会わなければならない。つまり、「時計」抜きには二つの(離れた場所での)周期的過程のある回とある回の間の「同時性」を設定する手続きはない。結果として出来事から「時計」を演繹するという試みは不可能に陥る。
 つまり、ここでわれわれは「時計」を定義するために「(離れた場所での)同時性」を前提しなければならず、そしてその「同時性」を定義するためには、「時計」を前提しなければならないという循環論法の中にいる。より正確にいえば、われわれが古典から借用した「第一形態↓第二形態↓第三形態↓第四形態」は、すでに「第一形態」が「同時性」を前提し、したがって「時計」を前提していることによって、「第四形態第一形態第二形態第三形態第四形態」という循環論法をたどる。それはいいかえれば、われわれは「ひとつの抽象である」「時間」を表示すべき「時計」を、具体的に存在する「出来事」と一緒に初めから考えなければならないということを意味する。「はじめに時計ありき」。「獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というものが、動物界全体の個体的化身が存在しているようなものである」。われわれは第三形態で、この「クラスとメンバー」の区別を行っていたのではなかっただろうか。しかし、その区別はこの循環論法の中で破綻させられている。我々は「動物というもの」を作り出す(第三形態)ためには、「動物というもの」を前提(第一形態)しなければならないのだ。結論。相対性理論の中にいる限り、こうしてアインシュタインとともにわれわれは、理論物理学の初源に「事件」と「時計」とが同時に現れるというパラドックスの前にたつことになる。
 
ι                                      
 「人間生活の諸形態にかんする思索、したがってまたその科学的分析は、一般に現実の発展とは対立した途を進む。このような思索は、post festum(後から)始まり、したがって、発展過程の完成した成果とともに始まる。労働生産物に商品の刻印を捺し、したがって、商品流通の前提となっている形態が、すでに社会生活の自然形態の固定性をもつようになってはじめて、人間は、彼らがむしろすでに不変であると考えている、このような諸形態の歴史的性質についてでなく、それらの形態の内包しているものについて、考察をめぐらすようになる。このようにして、価値の大いさの規定に導いたのは、商品価値の分析にほかならず、その価値性格の確定に導いたのは、商品が共同してなす貨幣表現にほかならなかったのである。ところが、私的労働の社会的性格を、したがって私的労働者の社会的諸関係を明白にするかわりに、実際上覆いかぶせてしまうのも、まさに商品世界のこの完成した形態──貨幣形態──である。」(マルクス「資本論」向坂逸郎訳) 
 マルクスの言葉をマネすれば、古典物理学は時間測定の前提となっている「時計形態」がすでに社会生活の自然形態の固定性をもつようになって現れた。そして古典物理学者は、「時計」の歴史的性質についてでなく、それらの形態の内包しているものについて、つまり(時計を前提した)時間測定にはじまる物理学理論を考察していくようになる。そこでは時計は、何ら問題をもつことのない、むしろ理論的に無視しえる自明の前提として考えられている。
 だが、特にマックスウェル方程式の運動している物体についての非対称性の問題から出発して、問題を「時間の絶対的な性格についての公理、すなわち同時性の公理」に突き詰めていったアインシュタインは、理論物理学の出発点にある、解決できない「奇異な矛盾」の存在に気づいていたように見える。アインシュタインはそのパラドックスについて「運動している物体の電気力学について」のあの「注」をはじめ、いくつかの箇所で語っていた。その一つについてはすでに引用した。ここでは、彼の67才、その死の9年前の「自伝ノート」から引用することにしよう。
「まず、上のように特徴づけられる、この理論(特殊相対性理論)について一つの注意をする。この理論が、(四次元空間を別にして)二種類の物理的なもの、すなわち(一)測定棒と時計、(二)例えば電磁場や物質点などの他のすべてのものを導入するという事実は、奇異の感をいだかせる。これはある意味では矛盾している。厳密にいうと、測定棒と時計はあたかも理論的に自明なものとしてではなく、基本方程式の解(運動している原子の配位からなる対象物)として表されなければならないであろう。しかしながら、そもそもの始めから、理論の仮定が、そこから物理的事象の十分に完全な方程式を十分任意性のないように導くことができ、そこに測定棒と時計の理論を基礎づけるほどしっかりしてはいないのであるから、この手続きは正当である。座標の物理的解釈を(それ自身可能な何かを)一般にあきらめたくないならば、このような矛盾を許すほうがよいが──もちろん、理論の以後の研究において、それを取り除く必要はある。」(1946)。
 ここに、彼が26才の時に書いたあの「注」の「(…)同時性という概念の中にある不精確さ、これも同様に、抽象化によって解決されねばならないものである」から延長上にある問題が語られているのではないだろうか。物理的な理論がその最初に、「質点」や「電磁場」と同時に「時計」や「物差し」を導入するということ、確かにそれは「矛盾」であり、「奇異の感をいだかせる」ほかはない。しかし、この矛盾を解決するために「時計と物差し」とを抹消し「座標の物理的解釈をあきらめる」ならば、事実上物理的な理論そのものが不可能に陥る。そうであるなら、この「矛盾」は物理学そのものが成立する地点に存在する「矛盾」なのである。アインシュタインはそういっている。そして彼は、この「矛盾」は「取り除く必要はある」という。いま、これによってわかることは、この「時計」と「同時性」のパラドックスが、統一場理論とともに、そしてそれとはちがった形で、アインシュタインの一生を貫いた問いだったということである。例えば、アインシュタインは「運動している物体の電気力学について」の11年後、1916年に発表した、彼の論文の中で最も基本的なものの一つである「一般相対性理論の基礎」で再びこのパラドックスに近づいていた。彼は、この理論を「時計と物指し」の問題から開始し、かつあの「(ほとんど)同一の場所で起きた2つの事件の同時性という概念の中にある不精確さ」の未解決を繰り返している。論文「一般相対性理論の基礎」は「A 相対性理論の仮定に対する基本的考察」に始まり、アインシュタインはその最初を「1 特殊相対性理論に対する観察」から始めている。彼はそれをこのように言う。
「(…)特殊相対性理論が空間と時間の理論に対して与えた変革は測り知れないものがあるが、しかしなお一つの重大な点がまだ触れられずに残されている。なぜなら、幾何学の法則は、特殊相対性理論によっても、静止している立体の考えられる相対的位置に関する法則であると直接には解釈されるべきである。そしてさらに一般に、運動学の法則は、測定用の物体と時計の関係を記述するものと解釈されるべきである。一つの定常な剛体のなかに選ばれた二つの質点に対しては、いつでもはっきり定まった長さの距離が対応しており、それは物体のある場所と向きには関係せず、さらにまた時間にも関係しない。特別な座標系に関して静止している時計の針の、二つの選ばれた位置には、いつでも一定の長さの時間が対応しており、これは位置にも時刻にも無関係である。以下にわれわれは、一般相対性理論は、空間と時間に対するこのように簡単な物理的解釈を認め得ないのをみるであろう」。(矢野健太郎訳)
 続いてアインシュタインは「2 相対性の仮定の拡張の必要性」で、「古典力学において、そして特殊相対性理論においても、エルンスト・マッハによっておそらくはじめてはっきりと指摘された、一つの先天的な認識論的な欠点が存在する。われわれはそれを次の例で説明しよう」と語り始める。ここで「一般相対性理論」の必要が語られ、「等価原理」が要請される。この第2節のアインシュタインの記述もきわめて興味深いものだが、この文章では割愛せざるをえない。そして第3節「時空連続体、自然の一般法則を表す方程式に対する一般共変性の要請」が、このように語り出される。
「古典力学においては、そして特殊相対性理論においても、時間と空間の座標は直接物理学的な意味をもっている一つの点事象がX1座標x1をもっているということは、剛対の棒で定められ、ユークリッド幾何学の法則にしたがう、X1軸上のその点事象の正射影が、(単位の長さの)与えられた棒を、X1軸にそって座標の原点からx1回測って得られることを意味している。一つの点事象がX4座標x4=tをもっているということは、ある一定の単位時間で時間を測定するために作られ、座標系に対して定常であり、そして実際には空間でその事象と一致した場所にある標準的な時計が、その事象が起こったときに、x1=t 単位だけ測りとっていたということを意味する。(われわれは、空間ですぐ近くにある事象に対する「同時性」を検証する可能性を仮定する。さらに、正確に言えば、時空におけるすぐ近くとの一致性は、この基本的概念の定義を与えなくともわかると仮定する)。/時空に対するこの見方は、たとえ一般的には無意識的であったとしても、いつも物理学者たちの頭の中にあったものである。」そしてその見地は一般相対性理論の中で変化しなければならないことが示される。「重力場のない空間のなかでわれわれは、一つのガリレイ座標系K(x、y、z、t)と、Kに対して一様な回転をしている一つの座標系K′(x′、y′、z′、t′)を導入する。二つの座標系の原点と、それらのZ軸とは、いつまでも一致しているものとする。われわれは、K′のなかでの時空の測定に対しては、長さと時間の物理的意味に対する右の定義は、そのままは成り立たないことを示そう。(…)」。しかし、ここでは「動いている物体の電気力学について」の場合のように、その論理展開を詳しく追うことは省略しよう、様々な問題があるにしても。
 いずれにせよ、アインシュタインは一般な相対性が成立する共変方程式を求める作業に入っていくのだが、それを求めるアインシュタインの思考は、まずこうして「時計と物指し(剛体の棒)」と「物理学的経験」の、「たとえ一般的には無意識的であったとしても、いつも物理学者たちの頭のなかにあった」関係をたどることから開始されている。そして、ここでもあの「空間ですぐ近くにある事象に対する同時性を検証する可能性」が「仮定する」べきものとして現れる。こうして、アインシュタインは1905年、1916年、そして「自伝ノート」の1946年に、この「同時性の定義」そして「時計の論理的起源」の問題を繰り返す。この「矛盾」は物理学そのものが成立する地点に存在する「矛盾」なのであり、この「時計」と「同時性」のパラドックスは、特殊相対性理論以来の「統一場理論」の論理的基礎として、アインシュタインの一生を貫いたのである。
 しかし、アインシュタイン以降、その相対性理論を前提とした物理学は、アインシュタインが望んだこの「矛盾」の解決に成功したわけではない。むしろ、「運動している物体の電気力学について」の「注」とともに、このパラドックスはそれ以降の物理学の中でほぼ完全に無視されてしまったように見える。つまり相対性理論を「パラダイム」とする現代物理学は、アインシュタインが批判した古典物理学と同様に、その理論の最初に「時計」あるいは「物差し」を「質点」や「電磁場」と同時に置くというパラドックスを前提としながら、ある意味でそのパラドックスを無視することによって成立している。いいかえれば、相対性理論にもとづく現代物理学の持つ無矛盾性は、この「時計のパラドックス」の矛盾を前提としながら、それを無視することによって成立している「無矛盾性」だと言えるのかもしれない(ここでは、量子力学の「観測理論」──これが、「時計」という古典力学的対象と、量子力学的対象との、異なる2つのレベルのものを理論の最初に同時に前提するというパラドックスの上に立っていることはいうまでもない──は考えから除外する)。また、この「時計の起源」にはらまれるパラドックスは、科学哲学者によっても(ぼくの知る限り)問題としてすら意識されていなかった。
 しかし逆にいえば、われわれはこのパラドックスにもとづいて、(アインシュタインの行ったように)新たな変革を期待してはいけない理由はないかもしれない。ここにある「同時性」と「時計」のもつパラドックスは、新たな理論によってはじめて解消されるべきものであるのかもしれない。しかし、それがどういう形であるかは、ここでは予想することができない。あるパラドックスの存在の認知と、その本質的な解決とは多くの場合大きな時間的なズレを持つ(エピメニデスのパラドックス)。例えば、ニュートン力学が「絶対時間」「絶対空間」「遠隔作用」「慣性質量と重力質量の同一性の説明不可能」といった問題を抱えていることは、すでに同時代者、そしてニュートン自身によってさえ気づかれていた。だが、その解決のためには後代の多くの数学的、物理的な道具と事実とが必要とされたのだった。アインシュタインはそのニュートンについてこういっている。「私としては次のことをぜひ強調しておきたいと思います。すなわち、ニュートン自身は彼の知的殿堂にひそんでいる弱点を、彼以後の世代の誰よりもよく知っていたということです。この事情はいつでも私に畏敬と感嘆の念を覚えさせるものでありました。」(「ニュートン力学と理論物理学の構成に対するその影響」1927年 井上健訳)。しかし、この言葉はそのままアインシュタイン自身に対して向けられるものだったのかもしれない。つまり、少なくとも現在われわれがアインシュタインを読む時、教科書的に整理された「相対性理論」その他の「理論」を通して読む必要はない。むしろそうした「理論」に対して錯綜と過剰をはらむ原論文によって、いわば彼の天才的な明察と「彼の知的殿堂にひそんでいる弱点」とが交叉する一点において読むべきではないだろうか。アインシュタインの、そしてマッハの作品を物理学上の「乗り越えられた古典」や科学史学上の「歴史的対象」から救い出す道は、そのほかにはないように思われる。
 
κ
 上で本題は終わっているのだが、以下を付け足しておきたい。いわゆる「哲学」の時間論と「時計」との関係である。            
 いうまでもなく、「哲学」は2000年以上にわたって「時間とは何か」という問いを繰り返してきた。しかし、その中では「時計」の問題は一貫して周辺に、というよりもほとんど自明のものとして理論的に無視され続けてきた。しかし、本当に「哲学」の時間論は「時計」なしにやってこれたのだろうか。哲学者はその哲学的思考の中で、必要不可欠なものとして「時計」を前提しながら、ただそのことに気づかずにいたのではなかっただろうか。
 例えばここで我々は、哲学的時間論の一例として、ヘーゲルの文章を読むことができる。以下は「精神現象学」第1部の「T」、「感覚的確信、あるいは『このもの』と私念」の一部である。この箇所は多くの哲学者たちによって引用されてきた。
 
 即ち、「今とは何であるか」という問いに対して、我々は例えば「今は夜である」と答えるのであるが、この直接的知覚と認識(感覚的確信)の真理を検討するには、簡単な試みをすれば十分である。我々はこの真理を書きとめるのである。或る真理は書きとめられることによって少しも失うところがないのは、我々がそれを貯えることによっても、失うことのないのと全く同じである。ところでこの書きとめておいた真理を今、この真昼にもう一度、見てみると、それは気の抜けたものとなってしまっていると我々は言わざるをえぬであろう。
 夜であるところの今が貯えられるのは、この今が言われる通りのものとして、即ち存在するものとして取り扱われることを意味しているが、しかし今はむしろ存在しないものであることが分かってくる。もちろんそのものは持続しはするが、しかし持続するのは夜ではないような今としてのことであり、そうして今そのものが今である昼に対して持続するのも全く同様に昼では「ない」今としてのことであり、言いかえると、持続するのは否定的なもの一般としてのことである。だからこの持続する今は無媒介な今ではなくして媒介せられた今である。なぜなら、この今が止まり持続する今として規定せられるのは、それぞれの場合の他の今である昼と夜とが存在するのではないのを介してのことだからである。このさい、この持続する今は前から引き続いて全く同じように単純に今であり、かく単純であるので、自分のそばになお戯れているもの(実例)にはかかわることがない。昼と夜とがこの今の存在でないのと全く同じように、この今はまた昼でも夜でもあり、自分のかかる他的存在によっては全く影響せられない。かく否定によって存在し、「このもの」でも「かのもの」でもなく、このものならぬものでありながら、それでいて全く一様に「このもの」でも「かのもの」でもあるところの単純なもの、我々はこれを普遍的なものと呼ぶのである。だから普遍的なものがじっさいには感覚的確信にとっての真なるものなのである。
 感覚的確信はそれ自身において普遍的なものが自分の対象の真理であることを示すのであるから、この確信の本質として持続しているのは純粋な存在であることになるが、しかしこの「存在」は直接的なものとしてのではなく、かえって否定と媒介とをもっと本質とするようなものとしての存在であり、したがって我々が「存在」というときに私念するところのものではなく、抽象であり純粋に普遍的なものであるという規定のついた存在である。そこでこの空虚な没交渉な今に対抗して止まっているのは、感覚的確信の真理をもって普遍的なものであるとは思わない我々の私念だけである。
 対象とが最初に登場したさいに立っていた関係と右の結果において両者が立つようになる関係とを、「我々」が比較して見ると、関係は反対のものに転じている。対象は感覚的確信にとって本質的なものであるはずであったが、今や非本質的なものである。なであるはすであったようなものではないからである。却って今や確信が現にあるのは、反対のもののうちに、即ちさきには非本質的なものであった知のうちにである。(金子武蔵訳)
 
 さて、以上の「今は夜である」と書きとめるという思考実験(もちろん、実際にやってもかまわない)によって、我々は感覚的確信が真理であること、それが「媒介された単純」あるいは「普遍」として真理であることの「証明」を見たのである。さて、こうした「証明」は、確かに「証明」と呼ぶにはあまりに簡単すぎるし、おまけにそのために「今は夜である」と書きとめて後で自分で読むというのも、なんとなくこっけいな感じがする。しかし、笑ってばかりもいられないものが確かにここにはあるのである。こうした証明は、誰もが普通持っているような時間に対する考え方を方法的に完成させた場合、避けることのできない帰結と前提を見せている。さて、この証明を読み返すと、ここで証明の要にくるのが「書きとめておいた真理を今、この真昼にもう一度、見てみると、それは気の抜けたものとなってしまっている」という事実であることに我々は気づく。つまり真昼のヘーゲルが、それを読むと「気が抜けている」。しかしその書きとめられたものは真理であることを少しも失っていないはずである、すなわち「今」とは昼でもあり夜でもあるものである。
 しかし、書きとめられたものは「気が抜けている」ということ、それはいいかえれば、書きとめられたものがある時点では「気が入っていた」ということを意味しているのだろう。もちろんそれは「夜」という時点に他ならない。つまり、夜のヘーゲルがそれを読むと、それは「気が入っていた」のだろう。しかし、昼にはそれは「気が抜けている」。ヘーゲルの側からすれば、この「気が抜けている」「気が入っている」という「書かれたもの」に関する対立によって、「今」はその対立を越えた「媒介された単純」あるいは「普遍」へと至るわけである。
 この帰結は確かに我々が感じる「時間」、つねに止まることなく流れる時間の概念に、ある程度あてはまっているように見える。しかし、そうであればこそ、我々はこの「証明」に込められている奇妙さを明確にしたいと思う。       
 もう一度、あの文章を振り返ってみよう。「即ち〃今とは何であるか〃という問いに対して、我々は例えば〃今は夜である〃と答えるのであるが、この感覚的確信の真理を検討するには、簡単な試みをすれば十分である。我々はこの真理を書きとめるのである」。
 しかし、我々はこの文章の「例えば」という箇所に注目しよう。「例えば」とヘーゲルは言う。つまりそれ(「夜」)は、任意な対象であり、他でも取り替えのきくもの、たまたまのもの、とりあえずのものでしかないのだ、と彼は事実上言うのである。そのことは、後に彼が「この持続する今は(…)自分のそばになお戯れているもの(実例)にはかかわることがない」というのだから、念を押されたものとなる。
 しかし、この「今とは何であるか」という問いは、ほとんど「時間とは何か」という問いと同等の意味を持つものであった。この「今とは何であるか」という問いを巡って、哲学が多様な歴史を刻んできたことを我々は知っている。そして、その問いに対してヘーゲルは、あたかもそれが単に偶然のもので、もし差し支えあれば他のものでもいいと言うかのように、「例えば〃今は夜である〃と答える」。しかし、むしろ我々はなぜヘーゲルがこの問いに対し「夜である」と答えたのかを尋ねたい。なぜなら、彼は他の実例、「今は体が痛い」「今は19時である」「今は晴れている」「今はモーツァルトは死んでいる」「今は私は生きている」「今は静かだ」「今は不況だ」「今は地球が存在する」「今は私の後ろに椅子がある」「今は星が見える」「今はローマ帝国は存在しない」といった無限の例の中で、唯一「今は夜である」を選んでいるからである。
 おそらく、「夜」「昼」というものが、「時間」の概念と深くかかわるがゆえにヘーゲルはそれを選んだのではないだろうか。例えば「今はモーツァルトは死んでいる」とか「今はローマ帝国は存在しない」とかいうのは、あらゆる時間をせいぜい3分割くらいにしかしないために、彼の主張のためには不適当なのである。事実、「今はモーツァルトは死んでいる」と書かれたものは、いつになっても「気が抜けて」しまったりはしないであろう。したがって、それは彼の「証明」の役には全然たたないのである。
 それでは、例えば「今は晴れている」という例を彼は使うことができただろうか。確かにいつかは「今は晴れている」とはいえない時が、つまり「曇りである」とか「雨である」「雪である」という時が来るとすれば、彼の証明のためには役に立つのかもしれない。ところが、いつまでたってもカンカン照りで「晴れている」という確率は、ゼロとはいえないのではないだろうか。そこで、ヘーゲルが「今は晴れている」と書きはしたものの、50年経っても「晴れている」ままで、「証明」が実行されないまま彼が死んでしまう、ということも考えられないではないのである。
 しかし、そこまでいわなくとも、「晴れている」といえない事態がいつやってくるのかという完全な予想は、事実上不可能である。つまり、「晴れている」と「晴れていない」の交替という周期過程の周期数に対して、周期数が常に比例する(因果関係のない)周期過程は、存在しない。もし一つでも比例する周期過程があれば、その周期過程が(例えば)7周期する時に「晴れていない」事態が来る、と予想できるはずである。このことの意味は意外に重要である。なぜなら、もしどんな(因果関係のない)周期過程の周期数とも恒等的に比例しないとすれば、その周期過程を基準として、それを等分割する手段はないからである。例えば、われわれがある一つの時計が示す1時間のうち、どんなに(その時計の示す)最初の半時間より後の半時間が「長く感じられた」としても、その2つの「半時間」が「1時間」を等分割していると信じる理論的基礎は、その「時計」という「周期過程」の周期数が、ある他の周期過程の周期数と恒等的に比例すると信じるからである。この点についてはすでにカルナップの理論において見た。
 この結果は何を意味するだろうか。つまり、あらゆる前提を取り払って「今とは何であるか」(あるいは「時間とは何か」)という問いに対して答えようとする場合、それを「晴れている」「晴れていない」という「周期過程」によって行おうとすれば、「時間」を現状のように等分割する方法を得ることは不可能だということである。したがって、その場合われわれはわれわれが今持っているような「1秒」「10秒」という間隔、そして「1時間」あるいは「1日」という概念を持つことはできないだろう。できるのは、例えばある「晴れている」時に「1晴れ」、次に晴れている時は「2晴れ」というような時間の順序を与えることだけなのだ。したがって、もしもいわゆる「50年間」晴れ続ければ、厳密な意味においてその間「時間は止まっている」。これは「時間とは何か」ということを定義しようとするには、非常に困った事態である。しかしこれは、「今は…である」という、先のヘーゲルの証明で用いられた「今」の定義を「晴れている」「私の後ろに椅子がある」「不況である」といった例によって行う限り、避けられない結論である。彼の「証明」が作動するのは、そこで取り上げた「例」が、「晴れていない」「椅子がない」「不況でない」というように変化する限りにおいてなのだから。
 しかし、実際には彼はこの「今とは何であるか」という問いに対して、「例えば〃今は夜である〃」と答えるのである。ところで、「夜」とは要するに「地球の自転」のことであった。彼は、この「今とは何であるか」という「今」の定義に対して、「夜」を一つの「例」として導入し、そののちに「この持続する今は前から引き続いて全く同じように単純に今であり、かく単純であるので、自分のそばになお戯れているもの(実例)にはかかわることがない」と、この「例」を捨て去る。しかし、この行いはいわばちょっとした欺瞞であり、あるいは言い換えれば(「プリンキピア」のニュートンがそうだったように)「形而上学的」である。彼は、プリミティヴな、しかし十分に(「1年」に誤差「1秒」程度の)完全な「時計」を、「今」したがって「時間」の定義のために前提し、なおかつそれを、あたかもそれがなくてもよかったし、また他のものであってもかまわなかったかのように捨て去っている。事実、哲学は、時間について2000年にわたって問いながら、「時計」について問うことは、ほとんどしようとしなかった。つまり「時計」は、それ抜きには「時間」について考えることが不可能なものであるにかかわらず、「哲学」はそれを(物理学と同様に)常に軽視し、考察しようとしなかった。ここで行われていることはまさしくそうした事態なのではないだろうか。ヘーゲルは事実「時計」抜きには時間について考えること、「証明」することが不可能であるにかかわらず、それを軽視し、考察しようとしない。というより、彼はそんなものはもともとなかったかのように振る舞っている。
 「今とは何であるか」という問いに対して「今は夜である」と答えたとき、彼は疑いなく、ある一定の時間ののちに「昼」という変化が、つまり「今は昼である」といえる事態がやってくることを知っていた。つまり彼は、理想的な周期的変化、つまり「時計」のひとつとしての「地球の自転」を彼の「証明」のために用いようとしたし、またそうせざるをえなかったのである。「一切の(広義の)〃時計〃が存在しなかったとしたら、我々は〃時間〃なるものを考えることが本当にできるだろうか」という問いを、ここで我々は出すことができる。ヘーゲルは、「今は夜である」などといわずに、むしろ例えば「今は18××年11月23日22時54分7秒である」とでもはっきりいうべきだったのではないだろうか。そうすれば、第一「昼」まで待たずに1秒後には、彼の「証明」は実行できただろうし、それに彼の「時間」論が「時計」を前提していることが誰の眼にもはっきりしていたにちがいない。例えば彼は「今は夜である」の次に「今は昼である」が来ることは語っているが、その次に再び「夜」がくることを、どういうわけか黙っている。もし、彼がいわゆる24時間後に「今は夜である」と書いた紙を読んだとしたら、それが再び「気が入っている」ことを見いだしたのではないだろうか。これは随分おかしな事態ではないだろうか。したがって、彼のいう「今は夜である」とは、実はすでに数字付けされた「時計」なのである。彼はこの「証明」に、あらかじめ「今は夜である」「今は昼である」の次に来る「今は夜である」は、第2の「夜である」ことを前提している。そうでなければ、上のように彼の「証明」は24時間後、48時間後、つまり「夜」が来るたびに完全に無効となってしまうはずである。 
 このヘーゲルの「証明」は、「精神現象学」本文冒頭の(A)「意識」のT「感覚的確信、或いはこのものと私念」の1「この確信の対象」の中にある。この「感覚的確信」は、「精神現象学」の読者なら知っているようにヘーゲルの体系が出発する最初の地点であり、
「最初に或いは直接的に〃我々〃の問題であるところの知」である。ヘーゲルはその箇所に「時計」を前提し、かつただちにそれを消すのである。つまり、ヘーゲルは登りきったはしごを投げ捨てるように「時計」を消そうとするのだが、しかしはしごは投げ捨てても消えたりしないように、「時計」も少なくともその痕跡だけは決して消えはしない。彼が「今は夜である」と、彼の理論の最初に「地球の自転」というほぼ理想的な「時計」を前提したとき、彼は「時計」に理論的基礎づけを与えなければならないはずであった。そうでなければ、「時計」は彼の理論の中で理論的な「不確かしさ」をはらみ続けることになるはずである。しかし、ヘーゲルはそうするのでなく、いきなり「真昼」の方に移っていく。
 ぼくには、こうしたヘーゲルの方法が哲学的な意味において大変興味あるものに思える。ヘーゲルの時間論を標的としてきた哲学は、おそらく青年ヘーゲル派の昔からキルケゴールを経て、更に「存在と時間」第82節のハイデガーから現在まで数多くあったのである。
しかし、その中でこのヘーゲルの「時計」はどのように扱われ、それらの哲学の間をどのようにかいくぐってきたのだろうか。マッハのいうように「時間というものは、むしろ、事物の変化を通して到達した一つの抽象である。というのも、一切の事物がまさに相互に依属しあっているので、われわれは特定の尺度に頼るわけにはいかないからである」とすれば、「時計」という時間の「特定の尺度」とは、個々の「事物の変化」から到達された「一つの抽象」であり、いいかえれば「普遍的」存在である。したがって、そうだとすれば、ヘーゲルが「このもの」という個々の感覚的確信に「時計」を前提することによって、それを「普遍的なもの」へと運動させることは、一種の循環論法をなしている。この運動を、彼は「弁証法」と呼ぶだろう。「精神現象学」の弁証法はこの「時計」の存在によってはじめて成立させられているのである。しかも、「精神現象学」は、この第1節「この確信の対象」に続き、短い第2節「この確信の主観」を経て、第3節「主客関係としての確信」の中で、この「運動」の帰結の文章の中に、「一日」「1時間」「1分」「1秒」という概念を、つまり「時計」の概念そのものを出している。それはいうまでもなく、再び循環論法であり、いわば「時計」の概念がヘーゲルの理論の中で再び無根拠に、亡霊のように立ち現れたことを意味するだろう。ある意味では、ヘーゲルは「時間」について考える時に絶対に回避できない事態を経験し、実演してしまったということを意味するのだろうか。この「主客関係としての確信」の箇所は引用すべきであろう。
「だから我々はこの指摘において見るのは、ただひとつの運動だけであるが、この運動の経過は次のごとくである。1、私は今を指示する。そこで今が真なるものであることが主張せられるのであるが、しかし私が今を指示するのは存在したものとしてのことであり、言いかえると、取り消されたものとしてのことであり、かくて私は最初の真理を取り消すのである。2、いまや私は今が存在したのであり取り消されていることを第二の真理として主張する。3、しかし、存在したものは存在するのではないから、私は今が存在したという、或いは取り消されてあるという第二の真理をも取り消し、こうして今の否定を否定し、今が存在するという最初の真理に帰って行く。以上のようにして今と今の指摘とがどのような具合のものであるかと言えば、今も今の指摘も直接的に単純なものではなくして、相異なる契機を具えた運動であるということになる。すなわちこのものが定立せられるが、しかし定立せられるのはむしろひとつの他のものであり、言いかえると、このものは取り消される。しかし最初のもののこの他的存在ないし取り消し自身もまた再び取り消されて最初のものに帰って行くのである。と言っても、かく己れのうちに還帰した最初のものは「最初のもの」ではあっても、最初にあったもの即ち直接的なものとは厳密には同一なのではなく、まさに自己内に還帰したひとつのものであり、言いかえると、他的存在のうちにおいても己れたることにとどまるところの単純なものであり、即ちひとつの今でありながら絶対に多くの今であるところの今である。そうして、この今こそは真実の今であり、もろもろの時間(Stunde)という多くの今を含んでいる単純な一日(Tag)としての今であるが、かかる今即ち一時間もまた全く同様に多くの分(Minute)であり、そうして、この今(分)もまた同様に多くの今(秒)であるというように進んで行く──だから指摘することがそれ自身運動であり、そうしてこの運動が今の真実には何であるかを、即ち結果であること、言いかえると、集合された今の数多性であることを示すのである。そこで指摘するということは、今が普遍的なものであることを経験するゆえんである。」
 こうして、ヘーゲルは個別的な「今」を運動としての「今」へと変化させて、その「一日」としての「今」は24「時間」であり、その1「時間」は60「分」、その1「分」は60「秒」である、と語る。しかし、そうした「時間の尺度」は一体どこからやってきたのか? それはいうまでもなく「時計」の概念そのものである。しかし、彼はそれについては何も説明しない。事実、個別的な「今」から普遍的な「今」へ、という古代以来の、つまりゼノンのパラドックス以来の問題に対して彼があらかじめ「時計」を前提して答えてしまったとき、彼は何かある中心的な困難をその論理から振り落としてしまったとはいえないだろうか。つまり「連続」とは何かという問題がすり抜けられているのである。(ヘーゲルに対する最大の批判者であるキルケゴールが指摘したのはまさにそのことだったのではないだろうか)。
 ここでついでに、ローゼンクランツによって伝えられているヘーゲルの1806年当時、つまり「精神現象学」の構想と執筆に追われていた頃のエピソードに触れておこう。中埜肇「ヘーゲル」(中公新書)から引用する。「この年の夏学期に、彼は午後3時から講義を始めることになっていた。ある日、彼は昼食後うたた寝をした。ふと目を覚まして、夢心地のうちに時計が打つのを聞き、てっきり3時だと思った。そこで急いで自分の教室へ行って、教壇に登るや否や講義を始めた。教室にいた学生の一人が、夢中になって講義をしているヘーゲルに、骨を折ってやっとのことで、「先生、実は今2時になったばかりなのですが」と知らせた。そうこうしている間に、2時から同じ教室で講義することになっていた神学の教授が入口までやってきて、ドア越しにヘーゲルの声を聞き、さては自分のほうが時間を間違って1時間遅れて来てしまったのだと思って、仕方なしに帰っていった。何だか喜劇の舞台にでも出て来そうな光景である。/こんなふうにして、ともかく3時になった。ヘーゲルは今度は自分の講義を聞くために集まった学生に向かって、まずこう言った。「諸君、自分自身に関する意識の経験の中で、最初に現れるものは感覚から来る確信(感覚によって知ったものを正しいと思いこむことで、「精神現象学」の最初に出て来る)の真理、というよりは虚偽であります。このことを私たちは論じつつあったわけでありますが、実は1時間前に私自身がこれについて特殊な経験をいたしました」。そして少し口元を綻ばせたが、すぐにまた謹厳な態度に戻って、講義を続けたという。まことにヘーゲルの風貌が目に見えるようである。」
 この箇所は、常に「謹厳な態度」であるヘーゲルが「少し口元を綻ばせた」というわずかな「笑い」によって我々の興味を引きつけるのだが、我々はその「綻び」が、常に「時計」によって引き起こされていることに注意すべきだったのかもしれない。ヘーゲルは「感覚的確信の真理、というより虚偽」について経験したのは、何によってはじめて可能になっていたのだろうか。ヘーゲルが「間違え」たのは何に対してだったのか。時計の「2時」を「3時」と間違えたのである。彼がその間違いに気づいたのは何によってだったのか。「時計」を見ることによってである。つまり、彼の「経験」はすべて「時計」によって支えられている。もし我々がヘーゲルの同僚か何かで、このエピソードを直接彼から聞いたとしたら、「ということは、君にとっては〃真〃と〃偽〃とは時計によってはじめて成立しているのではないか」とそれこそ真面目に言ったことであろう。(ヘーゲルは何と答えただろうか)。
 
 そして、最後にキルケゴールが登場する。彼の「哲学的断片」から引用する。
「直接的知覚と直接的認識とは、欺くことがない。すでにこれだけで、真の歴史の世界が直接的知覚や認識の対象となりえないのは明白である。生成にまつわるあの紛らわしさが、真の歴史の世界のなかにはひそんでいるからである。つまり生成は、直接的知覚や認識の世界に、ある紛らわしさを持ち込み、そこでこのうえなく確固不動であるものを疑わしい存在と化してしまうのである。たとえばある人が目でもって星を直接的に知覚したとする。ところでいま肉眼に映った星は、その人が自分の内でこの星のことを生成してきたものとして意識しようとする瞬間に、その人にとって疑わしいものと化するのだ。それは、あたかも内省が知覚の手から星の存在を奪い取ってしまったかのような状況である。(「間奏曲」杉山好訳、強調は引用者)。
 キルケゴールは、「直接的知覚」と、「生成」である「歴史」との絶対的な相違を言うのである。キリストの直接的同時代の弟子と、1800年後の間接的な弟子との相違を失なわせるために(彼もまた、キリストとの「同時性」の問題に終生こだわったのだ!)。ところで、「星を直接的に知覚する」とは、「今は夜である」ということである。キルケゴールは「直接的知覚と認識」の不確かさを言うために、「星が見える」という奇妙な例を言うのだが、それは「感覚的確信」の例として「今は夜である」を提出するヘーゲルとの奇妙な符合である。
 もっとも、われわれは後代のキルケゴールの研究者を介して、「哲学的断片」の「間奏曲」に、もともと別の長い序文が書かれていたこと、そしてその内容が主としてヘーゲルへのおちょくりであり、その方法の歴史的なものへの適応の奇妙さの指摘であったことを知っている。また、それを知らなくとも、この「哲学的断片」そしてキルケゴールのほとんどすべての著作が、ヘーゲルへの揶揄と攻撃とにあふれていたことはキルケゴールの読者はだれでも知っている。「間奏曲」のキルケゴールは、彼の例でいう「今星が見える」という「同時代の直接的知覚と認識」に、「不確かしさ」が、「未来」「現在」「過去」という時間のどの概念にもあてはまることのない「不確かしさ」がひそんでいることを言葉を尽くして語っている。そしてキルケゴールは「直接的なもの」が絶対的真理であることを否定する。その「否定」においてはキルケゴールは、「感覚的確信」から弁証法によってより普遍的なものへと進んで行くヘーゲルと平行するだろう。しかし、ヘーゲルがその「直接的なもの」を「普遍的なもの」へと運動させていくのに対して、キルケゴールは「直接的なもの」そのものにひそむ「不確かしさ」を語る。つまり、「直接的なもの」への「否定」は、ヘーゲルとキルケゴールとでは完全に逆行していくのであり、一口でいえばキルケゴールはヘーゲルの行う運動、「弁証法」がひそかに前提し、それによってはじめて「運動」が行われるものを浮かび上がらせることを試みている。
 しかしヘーゲルが「ひそかに前提し、それによってはじめて〃運動〃が行われるもの」とは、何であったのか。それはただちに、上に述べたヘーゲルの「時計」を思い出させはしないだろうか。これは単なるこじつけであろうか。しかし、キルケゴールが「哲学的断片」の「間奏曲」で格闘したテーマのひとつは、ヘーゲルの「弁証法」の欺瞞的性質についてだったのであり、ヘーゲルがその思考のひそかに前提としているものを明確にしていくという意味での批判であった。だとすれば、キルケゴールはそうと意識しないままに、ヘーゲルを批判しながら、ヘーゲルの「時計」について語ってしまっているということはありえないことだろうか。おそらく、ありえるのである。そして、そうした事態は、ヘーゲルを批判しようとした後代の哲学者の誰でもなく、ただキルケゴールだけに起こることなのである。例えば、「不安の概念」の中の以下のヘーゲル批判を読んでみよう。なぜこれほどまでに「時計」の問題、「時計」のパラドックスがキルケゴールの文脈に当てはまるのかを不思議に思い、そしてその文章の中に、我々による合いの手を入れながら。
 
ヘーゲルとその学派は、前提なしに哲学を始めること、あるいは哲学の前には完全無欠の無前提以外に何ものも先行してはあいならぬという、とてつもない思想によって世間をあっといわせはしたが、しかし移行とか、否定とか、媒介とか、つまりヘーゲルの思想におけるもろもろの運動原理は、その体系的展開のなかで一定の居場所を与えられもしないで、何の気がねなしに使われている。これが前提でないというのならば、前提とはいったい何のことだか私にはわからない(まったくだ)。どこにも説明しないでそれを使うことが、そもそもそれを前提することなのだ(そうそう)。体系というものは、思うにすばらしく透明で内側がまる見えのもので、まるでへそを見つめる人たちのように、身じろぎもせずに中心の無を長らく見つめていると、一切のことが明らかとなり、その中身がおのずから現れ出るのと同じようなものらしい。この内側に向かって開かれていることが実に体系の公の性質なのである。ところが、事実はそのようでなく、体系的思想はその奥底の動きについては何か隠しだてをしているように思われる。否定、移行、媒介は、三人の覆面した、うさんくさい秘密のスパイで、これらが一切の運動をひき起こすのである(うまいことをいうではないか)。よもやヘーゲルもこれらの連中を不逞の輩とよぶようなことはあるまい。彼らはヘーゲルの最高の認可のもとに策動を行い、しかもきわめてずうずうしく、論理学のなかでさえ、移行の時間性から借りてきた言いまわし、たとえば「それから」「そのとき」「存在するものとしてそれはかくかくである」「生成するものとしてそれはしかじかである」、などを用いているからである(そうなのであって、それはつまるところまさに「時間」の問題なのである)。/だが、やりたいようにやらせておくがいい。論理学のことは論理学が気をつければいいのだ。移行という言葉は論理学においては才知をもてあそぶことであり、それ以外の何ものでもない。この言葉は歴史的自由の領域にその故郷をもっている。移行はひとつの状態であり、また現実的だからである(原注1)。純粋に形而上学的なもの(マッハは、「絶対時間」を「形而上学的概念」と呼んでいた)のなかへ移行をもち込むことの困難については、プラトンも十分に理解していた。だからこそ瞬間(原注2)というカテゴリーのためにあれほどの努力を払ったのである。この困難を無視することは、明らかにプラトンを乗り越えて「前進」ゆえんではなく、この困難を無視して、思惟をうまくたぶらかしながら、けなげにも思弁に思いのままに振る舞わせ、論理学において運動を行わせようとすることは、思弁というものをかなり有限的な事柄として取り扱うことである。(「不安の概念」第3章、田渕義三郎訳)
 
 これは、見事なヘーゲル批判であり、そして同時に「精神現象学」におけるヘーゲルの「時計」の見事な摘出となっているのではないだろうか。まるで2人が協力して、しかも2人ともが協力していること自体に無意識に、「時計」の問題を語っていたというように。
 もちろん、キルケゴールは時計のことなんて考えたこともなかったはずである(貨幣については考えている、「哲学的断片」第1章の見事なたとえ話を見よ)。しかし、結果として、ヘーゲルとキルケゴールの2つの「哲学」の相違、視差により、キルケゴールだけを読んでいるだけだったなら決して現れなかった「時計」の問題を我々は読むことができる。
 我々が「時間」を考える場合、決して捨象してしまうことができないにもかかわらず常に忘れているソレ。しかし、ソレは実は「時計」として意識されないまま、哲学的思考の中をひそかにかいくぐり、身をひそめ、生き延びてきたのかもしれない。そしてソレ、「時計」は、ヘーゲルとキルケゴールという2つの「哲学」の視差によってはじめてうかびあがり、我々の目の前に現れるのではないだろうか。ヘーゲルとキルケゴールは、2人で協力して、かつ2人とも意識することなしに、人間がもの(時間)を考えるときいわば無定義に前提するほかないもの、そこからはじめて人間の思考が可能になるものを語っていたのかもしれない。キルケゴールは全力を挙げてヘーゲルを批判したが、しかしそれはある意味では、すでにできあがった一つの見解に対して、それとはちがったもう一つの見方を提示するというものだったかもしれない(ベンヤミンのいう「補角的な世界」)。事実、キルケゴールは、ヘーゲルを背景として、比較対照されることによってはじめて明確に理解されるのではないだろうか。そして、彼らがその「視差」において交叉するのは、唯物論的であり、かつ「形而上学的繊細さ」と「神学的な意地の悪さ」をもった「時計」というねじれの一点においてだったのである。
 
 
 
 
 
 
(注)
 この文章では、アインシュタインの「時間をどのように考えるかを明確にする」という姿勢に、マッハの(「絶対時間はどんな運動を用いても測定できなず、したがって、それは実用上の価値もなければ科学上の価値もない」という)「形而上学的」概念批判からの強い影響を見てきた。「時間・空間」概念に関する限りではそれは問題はないが、アインシュタインの理論物理学の方法全体への思想に関する場合、このマッハの影響だけではカヴァーできない点が多くあることは明らかである。彼は「自伝ノート」でこのようにいっている。「わたしはマッハの真の偉大さを、買収によっても変えることのできない彼の懐疑と独立心とに見た。わかいときには、わたしはマッハの認識論上の観点からも強い印象を受けたけれども、今日では、その観点は本質的に保持しえないもののように思われる。というのは、彼は、思惟、とくに科学的思惟の、その本質によって構成的で思弁的な本性を正しく認識しておらず、その結果として彼は、たとえば分子運動論でのように、理論の構成的・思弁的性格がおもてにあらわれるまさにその点において理論に有罪の判決を下すからである。」(広重徹訳)。事実、アインシュタインの理論物理学に関する論考を読むと、すでに引用した「個々の概念が経験的所与からどのようにして生まれ育ってきたかを明示する」という面と共に、理論は経験から導き出されるのではない、ということが繰り返し強調されていることに気づく。例えば「純粋に数学的な構成によって、自然現象を理解するための鍵を与えるべき基礎概念やそれらの間の法則的関連を発見することが可能であるとは、私の深く信じるところであります。利用しうる数学的概念が経験によって導かれるということは決してありません。もちろん、経験がある数学的構成の物理学に対する利用可能性の唯一の判定条件であることには変わりはありません。しかし本来の意味の創造的原理は数学の中に宿るのです。したがって私は、古代の人々が夢想したように純粋思惟によって実在の把握は可能である、ということをある意味では真理であると考えるものです。」(「理論物理学の方法について」)1933年、井上健訳)。
 こうした発言は、先の引用とは全く逆の立場のもののように見える。しかし、引用したマッハの追悼文でアインシュタインは、「専門科学者は個別的なものに眼を向けているのが普通なので、このような分析を大抵は余計なもの、仰々しいものとみなし、どうかすると笑止千万なものとしてしまう。しかし、慣習的に用いられてきたある概念が、当該科学の発展に迫られて、一層鋭い概念によって代わられる段になると、状況が一変する」という。つまり、「個々の概念が経験的所与からどのようにして生まれ育ってきたかを明示する」作業は、アインシュタインにとって「個別的なもの(だけ)に眼を向けている」「専門科学者」が思いもしないような「既製概念の変更」を意味するのであって、それは少なくとも「既製概念」の中での「個別的な」実験や経験からは出ることのありえないものを指している。それは、むしろ「純粋思惟によって」行われるものなのではないだろうか。アインシュタインは「理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。」といっているが、この発言から見れば、上の二つの立場は少なくとも矛盾するものではないのである。
 この点で極度に興味深いのは、「部分と全体」に登場するハイゼンベルクとのアインシュタインの討論(1926)である。上の発言は実はこの討論からの引用なのだ。登場するこの対話のごく一部を引用する。
〃「原子の中の電子の軌道は観測できません」と当然ながら私は答えた。「しかし一つの原子から放電現象の際に放射される輻射から、振動数と原子内の電子のそれに属する振幅とを直ちに結論することができます。振動数と振幅の全体についての知識は今までの物理学においても、電子軌道の知識の代用品のようなものです。観測され得る量だけを、理論の中にとりあげることがやはり理にかなっているので、この全体だけを、いわば電子軌道の代表として導入することが自然であると私には思えます。」
 アインシュタインは反論した。「しかしあなたは、物理学の理論では観測可能な量だけしかとりあげ得ないということを、本気で信じてはいけません。」
 私は驚いて聞き返した。「まさにあなたこそ、この考えをあなたの相対性理論の基礎にされたのではなかったでしょうか? この絶対時間というものは観測されないのですから、
絶対時間について人は議論をしてはならないのだということをあなたはたしかに強調されました。基準系が運動していようと静止していようと、ただ時計の示す所だけが、時間の決定に関係するということを。」
 「おそらく私はその種の哲学を使ったでしょう。」アインシュタインは答えた。「しかし、それでも、やはりそれは無意味です。あるいは、もう少し控えめな意味で、われわれが実際に観測するものを思い出すことは発見の手順としては価値のあることと言えるかもしれません。しかし原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論をつくろうというのは、完全に間違っています。なぜなら実際はその逆だからです。理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まります。(…)たとえわれわれが従来のものとは一致しないような新しい自然法則の定式化に着手しようとしたとしても、今までの自然法則が、観測されるべき現象からわれわれの意識までの過程において非常に正確に働いているので、われわれは今までの自然法則に頼り、観測について語ることが許されるものと考えています。例えば相対性理論では運動系においても、時計から観測者の目に達する光線は、以前の理論で期待していた通りに正確に働くものであるということを仮定しています。そしてあなたの理論でも、あなたは明らかに、振動している原子からスペクトル装置まで、あるいは目までの光の輻射の光の輻射の全機構(メカニズム)は、今までいつも仮定してきたように、つまり本質的にはマックスウェルの法則に従って作動するものであるということを仮定しています。もしそうでなければ、あなたが観測可能であると名づけた量を、あなたはもはや全然観測できないはずです。ですから本当のところは、観測可能な量だけを導入するというあなたの主張は、その定式化をしようとあなたが努力している理論の性格についての仮定なのです。」〃(山崎和夫訳)
 ここでも、アインシュタインの議論、とりわけ「原理的な観点からは、観測可能な量だけをもとにしてある理論をつくろうというのは、完全に間違っています」という発言は、(ハンゼンベルクのいうように)「絶対時間というものは観測されないのですから、絶対時間について人は議論をしてはならない」という「相対性理論の基礎」とは全く逆の発想のものに見える。しかし、ここでアインシュタインが相手にしているのは「電子の軌道」と「振動数と振幅の全体」であって、「絶対時間」と「出来事と出来事の関係」ではないということに注意を置くべきである。おそらく、アインシュタインは物理的概念として「実在する」のは「出来事と出来事の関係」であって、「絶対時間」なるものは実在しないとみなしていたが、しかし「電子の軌道」というものは「実在する」と信じていたのだ。
 多分、ここでアインシュタインがいいたかったのは、現行の物理学の理論とそれにもとづく測定では「電子の軌道」は観測、記述ともに不可能だが、それは別の理論によって可能になるはずだ、ということではなかっただろうか。それに対して、「時間」に関してはそれは(実在する)「出来事と出来事の関係」ということに尽きているのであって、それ以上の明晰さは必要とされない。おそらく、アインシュタインは理論による明晰な表現をあくまで求め続けていたのであって、彼の眼からは量子力学は理論的に不徹底と見えたのだろう。そのアインシュタインの洞察は、その後の量子力学の発展から見れば、過ちでしかなかったとしても。ただ、アインシュタインの量子力学に対する態度はそれ自体大きなテーマであり、この文章の中でこれ以上追及することは避けなければならない。なお、「部分と全体」のハンゼンベルクの記述によると、彼が1927年に「不確定性原理」を発見したのは、アインシュタインの上の「理論があってはじめて、何を人が観測できるかということが決まる」という言葉を直接の鍵としてであったという。そして、この発見はハイゼンベルクにやがてこのように語らせることになる。
「観測になると、その結果は理論から予告されるはずであるが、観測の対象が世界の他の部分、すなわち実験装置、物さしなど(生田注、もちろん物理学上の実験には「物さし」と「時計」が必要となる)、観測する以前か、または少なくともその瞬間には、接触しなければならないということをはっきり知ることが非常に大切である。この意味は、確立函数に対する運動方程式が、ここで測定の器械との相互作用の影響を含むということである。
この影響は不確定な新しい要素を導入する、というのは測定の器械はどうしても古典物理学の言葉で記述されなければならないからである。こういう記述は、実験器械の微視的構造に関するあらゆる不確定さを含むことは熱力学からわかるし、器械が世界の他の部分とつながりをもつ以上は、これは全世界の微視的構造の不確定さを含んでいる」「量子力学のコペンハーゲン派の解釈は一つのパラドックスから出発する。物理学のどんな実験でも、それが日常生活の現象に関するものでも、また原子の事象に関するものでも、古典物理学の言葉で述べられる。古典物理学の諸概念は我々の実験の配列を記述しその結果を記載するような言葉を形成している。我々はこれら諸概念を別の概念で置きかえることもできないし、置きかえるべきでもない。しかもこれら概念の適用は不確定性の関係で制限されている。我々は古典的概念を使用するに当たって、これら概念の適用の範囲の制限を銘記しなければならないが、我々はこれら概念を改良しようとすることもできないし、してはならない」。
「量子力学のコペンハーゲン派の解釈を論じた際に実験装置を記述するのに、或いはもっと一般的にいって実験の対象にならない世界の部分を記述するのに、古典的概念を用いるということを強調しておいた。これら概念の使用は、空間、時間、因果律を含めて、事実上は原子事象を観測するための条件であり、この意味において、〃アプリオリ〃なのである。カントの予見しなかったのは、これらのアプリオリな概念が、科学の成立のための条件になり得ると同時に、その適用範囲に制限があり得ることである。我々が実験をするとき、我々は原子の事象から装置を通って観測者の眼に達する事象の因果の鎖を仮定しなければならない。もしこの因果の鎖を仮定しなかったら、原子の事象について何も知ることはできないであろう。それでも我々は、古典的物理学と因果律とは、適用範囲に制限のあることを心にとめておかなければならない。カントの予想できなかったのは、量子論の基本的パラドックスである」(「現代物理学の思想」河野伊三郎、富山小太郎訳)
 ハイゼンベルクは、量子力学が「観測」によって、古典物理学の対象である測定器械との相互作用を持たなければならないことを、つまり量子力学がその理論の条件として「物さし」あるいは「時計」といった古典物理学的概念を前提にせざるをえないことを「量子力学の基本的パラドックス」と呼ぶ。ある意味では、ハイゼンベルクはアインシュタインとは違った角度から、物理学理論の出発点に「時計」「物さし」が現れてしまうというパラドックスに直面していたのである。(ただ、「相対性理論」における「時計のパラドックス」に加えて、この量子力学の立場からの「時計」の問題を重ね合わせることは、この文章では完全に避けることにする)。この両者がすれちがってしまったのは確かに不思議なことではある。例えばハイゼンベルクは相対性理論の同時性のパラドックスには全然注意を払ってはいない。
                             
 
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