DAYS                                            
            めったに更新しない(だろう)近況

(文中で、野宿者問題の授業に関して「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の譬えがどうだ、とよく書いていますが、それについては「いす取りゲームとカフカの階段の比喩について」を参照してください。)

スパムメールを毎日多数削除してますが、間違って知り合いや用事のメールも削除してしまうかもしれません。「返事があって当然なのに、1週間しても返信がないな〜」というときは、(その可能性があるので)お知らせ下さい。


最近の「近況」はこちらから

2007/9/30リベラシオンの記事、書評など

「リベラシオン」127号(福岡県人権研究所)に「野宿者襲撃に対する教育の取り組み」として、大阪、姫路、福岡、川崎などでの実践について記事を書いています。特集「ホームページ支援の現場から」の一つ。

今日の読売新聞の書評で『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』が取り上げられている。ノンフィクション作家の梯久美子さんによるもので、「読みながら、気になるデータや衝撃的なエピソードの部分に付箋を貼っていったら、本が付箋だらけになってしまった」と始まり、「現場の目線で書かれたルポには類書にない厚みがあり、分析も冷静だ」「社会に警鐘を鳴らすだけではなく、現実の取り組みにもとづいた柔軟で力強い議論が展開される良書である」とある。ありがとうございます。
ただ、「野宿者は経済的貧困だけでなく、助け合い相談できる相手がいない「人間関係の貧困」の中にいる」とあるが、実際には、「社会全体に「関係の貧困」が広がった結果、野宿に至るケースが増加した」ということだろう。また、野宿者どうしの「助け合い」は広範囲に見られ、野宿者が特に「関係の貧困」にあるとも言えないと思う。また、「著者らは(…)孤立化を防ぎコミュニティを回復する試みを始めている」とあるが、他の人はともかく、ぼく個人は夜回りや病院訪問、野宿者問題の授業などで精一杯で、本で取り上げた東京の「もやい」や北九州ホームレス支援機構のような「関係の貧困」への取り組みはあまりできていない。そこは心苦しいところだ。
ところで、『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』はかなりいろいろな雑誌の書評や紹介で取り上げられている。今まで、共同通信配信による書評(東京新聞など)(未見)、「週刊現代」「SPA!」「voice」「週刊金曜日」、そして「PLAYBOY」(未見)「BRIO」「Invitation」(立ち読みで確認)に取り上げられている。「BRIO」では「新書の窓から」のコーナーで、船曳建夫蟹瀬誠一の対談形式で本について議論がされている。
ありがたいことだが、今まで読んだことも見たこともない雑誌に取り上げられるのは奇妙な感じだ。ところで、「フリーターズフリー」の「フリーター≒ニート≒ホームレス」についても、もう少し取り上げてくれないかとつい思うのだが…


2007/9/26 プアプア批評 

腰のリハビリをしながらストラヴィンスキー・エディション(レコーディング史上最も価値のあるセットの一つだと思う)を聞き続けている今日この頃ですが、
フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)10月号に連載コラム「プアプア批評」の第5回を載せています。今回は、フルキャストの事業停止問題から始めて、自分の本(ちくま新書)の新刊紹介をしました。
しかし、フルキャストに関して、日雇い派遣では日雇雇用保険の適用がなされていない問題があると書いたけど、原稿を送ってから保険が適用されることになって、すでに時期遅れになってしまったなー。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。

ウェブ上で『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』の書評は幾つか出ているけど、今日は日経ビジネスオンラインの日刊新書レビューで出てました。
あと、ここから幾つか評を見られます。


2007/9/18 谷川茂による『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』書評

「週刊金曜日」9月14日号に谷川茂(編集者)による書評があった。
「前者(ルポの部分)は、著者の体験にもとづく迫真のルポとなっており、釜ヶ崎に集まる労働者がいかに苛酷な状況で生活しているのか、その現状をうかがい知ることができる」と紹介し、「今後の展望を述べた部分」については、ワークシェアリングは「理想」ではあるが困難だろう、しかし非正規雇用問題は野宿者問題と同様、もっとも重要な社会問題だ、という内容。(ワークシェアリングその他の改革プランについては「フリーター≒ニート≒ホームレス」で詳しく展開しているので、そちらを検討してもらえればありがたい)。
また、「voice」10月号の「ワンポイント書評」にも取り上げられている。こちらは大変簡単な紹介。
雑誌などの書評の他、ネット上での批評もいろいろ出ていて、関心をもって読んでいる。ここの「本を買うお金がなく、大型書店ですべて読ませて頂きました。内容は大変興味深く、現在、ワーキング・プアの私にとって他人事ではありません。もうすぐ野宿するしかないだろう私にとって明日は我が身のことなので、ちょっと立ち読みするつもりが一気に読んでしまいました」というのには驚いた。他にも、「一気読みした」という人が何人かいるので、かなり読みやすくはあるようだ。

しばらく前から、歩くと左足が痛むなーと思っていたけど、おとといの夕方から痛みが強くなったので、きのう病院に行ってきた。診断は「座骨神経痛」。注射を打たれて、腰の牽引のリハビリを始めた。現在、30秒も歩くと足がギンギンに痛むという有様。ただ、立ってるだけや自転車に乗ってるだけだと痛まない。
今の仕事はメインがガードマンなので、なんとか仕事には行ける。しかし、これが以前の土方仕事や道路清掃(ゴミ満載のリヤカーを押し続ける)だったら、当分はとても仕事どころじゃなかったなー。


2007/9/13  今柊二による『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』書評

「SPA!」9月18日号のコラム、今柊二(畸人研究会主幹)の「新書一冊決め」で書評があった。
「80年代の日雇いから、昨今増加した女性野宿者、日雇い派遣労働者に至るまで、体験者にしか語れない〃現場で見た真実〃によって濃密に構成されており、驚きのあまり一気に読み上げてしまう」とある。これはありがとうございます。

つい今さっきの報道で、「日雇い派遣にも失業手当 厚労省、新たに適用へ」とあった。(東京新聞など)
「厚生労働省は13日、失業した日雇い派遣労働者に、一定の条件を満たせば日雇い労働者向けの失業手当を支給することを決めた。」「手当は「日雇い労働求職者給付金」。2カ月に26日以上就労した日雇い労働者が3カ月目から失業日に給付を受けられる。給付金は日額7500円から4100円。」
これは、われわれが給付を受けている、いわゆる「白手帳」による日雇い雇用保険のことだ。これによって、日雇い派遣労働者もようやく失業保険が受給できるようになる。
なお、この雇用保険は仕事が少ないときの一種のワークシェアリングとしても機能する。そして、寄せ場の日雇労働者がそうであるように、今後は「一月に13日」の仕事を確保できるかどうかがカギとなるだろう。


2007/9/9 インタビューなど

「FONTE」(全国不登校新聞社)225号に「社会構造が生み出したフリーター、ニート、ホームレス」としてインタビューが載っている。「フリーターズフリー」に載せた「フリーター≒ニート≒ホームレス」についてのインタビュー。聞き手は山下耕平さん。

月刊「聖母の騎士」2007年10月号にインタビューが載ってます。これは電話によるインタビュー。「〈野宿者襲撃〉論」を読まれた編集の方からの依頼でした。

宮崎学『近代ヤクザ肯定論』と麒麟の田村裕『ホームレス中学生』を読んだ。
『近代ヤクザ肯定論』は寄せ場に関わる者にとって必読文献になるだろう。港湾の沖仲仕として神戸にやってきた山口春吉が沖仲仕の「組」として山口組を旗揚げし、それが近代ヤクザとして発展し、全国制覇していく90年の歴史が克明に描かれていく。沖仲仕の日雇労働の構造は、ほぼそのまま寄せ場の日雇労働と重なっている。しかも、この本ではヤクザと不安定労働、被差別部落、在日コリアン、政界、財界との複雑な構造を、大量の文献と実体験を通して、多様な論点から分析していく。400ページ近いこの本を簡単に要約することはとてもできないが、多くの読者にとっては、これをを読むことでそれまでの社会観がかなり変わってしまうだろう。この本と連続しているという「近代の奈落」も読んでみなければ。
一方、『ホームレス中学生』では麒麟の田村がバラエティで時々喋っていた公園での野宿体験やその後の壮絶貧困経験をつづっている。ただし、読んでいると、アパートに生活保護で入ってから後、高校で出会った先生の話や、亡くなったお母さんの話がなんとも泣かせる。最後まで読んでみると、「いいヤツだなあ」と感心してしまう(上のウィキベティアにも「田村君は良い子だ! いいこいいこ! 田村君はほんとに良い子だ!!」と菅野美穂にべた褒めされたとあるが)。
それにしても、映画「誰も知らない」といい、こどもが事実上のホームレス状態になるケースは各地であるのかもしれない。田村くんの場合、お父さんが生活に疲れ果てて家族「解散」して失踪してしまった。近所の人たちが見かねて、兄弟3人がアパートで生活保護を取れるように世話してくれたが(兄が20歳になって「世帯主」という扱いにしたのだろうか)、今後、このようなケースは長期的にどんどん増えていくのではないかと思う。(こどもの貧困については以前に「プアプア批評」で触れたことがある。「早稲田文学」07の14ページを見て下さい)。
ただ、最近読んで一番ビックリしたのは、きのう15年ぶりに読み返した「純な心」(フローベール『3つの物語』)だった!


2007/9/5 中村智志による『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』書評

「週刊現代」9月15日号に中村智志(『路上の夢―新宿ホームレス物語』『新宿ホームレスの歌』の著者)による書評があった。内容を紹介した好意的なもの。
「読み進めると、格差社会の原型が釜ヶ崎にあったことに気づかされる。本書の核心は、著者の20年以上にわたる現場体験をベースにした柔軟な考察にある」とある。これはありがとうございます。

下で触れた、「ちくま」9月号の「『釜ヶ崎』化する日本」(『カラマーゾフの兄弟』の「前書き」のパロディ)がアップされている。
肩書きが「日雇労働者・批評家」となっているが、本でも書いたしここで触れているように、いまは特別清掃の現場指導員をやっている。これも身分は日雇労働者だが、センターに行って仕事を探すという一般の日雇労働者の形態ではない。念のため。


2007/8/31 『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』2刷

8月10日発行のちくま新書「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」の2刷が今日届いた。
2刷りにあたって、気がついた何カ所かに手を入れた。
▼P33
「一九八六〜七年当時、どのような人々が野宿していたのだろうか。ある冬の日の夜回りでは、「ぜんそくのSさん、体全体が衰弱して眼と耳も調子が悪いNさん、天王寺で野宿していて奥さんとともに生活相談のあるTさん、小脳が縮まり頭がフラフラというNさん、テンカンを持っているKさん」と会い、」以降のカッコの関係の不明確を訂正。
▼P99の移動行程は、移動したルートをもっと明確にした。
「ドカベン」(弁当屋)「特掃」(P176を参照)と説明を入れた。
▼P159
池袋西口公園ベンチの写真を別のものに変更。
など他にも何カ所か。(「49都道府県」なんて間違いもあったので修正した。)

増刷が決まったのは16日。新聞広告もなにもない時期だから、書店で予備知識なしで買った人が多かったようだ。書店で手にとって、冒頭の北海道の野宿の話や、中の写真を見て「なんだこれ」と思うかもしれない。
また、「ちくま」9月号で「『釜ヶ崎』化する日本」としてこの本について2ページ書いた。その文章は『カラマーゾフの兄弟』の「前書き」のパロディだ。この『近況の』2006年10月16日のところで書いたように、
「亀山訳「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて、思いついた。ぼくも文章を2部構成にできるのではないか。1部はいわば「リハーサル」期、そして2部は「本番」期で、この二つの時間間隔は約13年とする。1部で様々な問題を扱うが、それは2部でより大規模に繰り返され、いわばその伏線となるように構成する。」
ちくま新書では、釜ヶ崎について書いた第1章がいわば「リハーサル」で、それが第2章以降、「本番」として展開されるように構成して書いている(「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をしている」)。つまり、この新書の構成は『カラマーゾフの兄弟』の2部構成をなぞっている(『カラマーゾフの兄弟』第2部は書かれなかったわけだが)。こういう構成にしたため、その13年の間についてはほとんど触れられなかった。具体的には釜ヶ崎や大阪市役所前などで行なわれた反失業闘争など。
また、新書という形なので、枚数に制約があり、書いた文章をかなり削ることになった。一応書き上げた時のボリュームは現在の1.5倍以上あったが、それを削りに削って編集者に送り、さらに編集者とのやりとりの中でさらにあちこちを削っていった。削った内容は、たとえば、いま北九州で問題になっているが生活保護を受けたあとでむりやり(形だけ自主的に)辞退させるやり方(特に神戸の事例)、野宿者を使ってぼろもうけを続けた安田病院問題の詳細、釜ヶ崎の女性野宿者のケース、釜ヶ崎での日雇労働運動の詳細(藤井利明さんの本の引用など)、日雇労働の詳細や労働者の話、現場の様々な話など。
もし、完全に自分の思うように本を作れるなら、新書を2分冊にして、最初の巻を『第1部 寄せ場』として現在の第1章85ページを200ページぐらいにするだろう。そして、第2章以降も現在の1.5倍にして2巻目を作るだろう。とはいえ、そのような本が出せるわけはないので、現在の形になったわけである。


2007/8/28 ネットカフェ難民・実態調査の記事

今日、厚生労働省の調査による「ネットカフェ難民の実態調査」について報道されている。昨日の午後、共同通信の記者から電話で意見を聞かれ、20分ほどいろいろ話したが、それが産経新聞などで使われている。
話した内容の一つは、厚生労働省による2007年の「ホームレス全国調査」では2003年の調査と比べて6732人減少したとしているが、同規模の人が「ネットカフェ難民」という形で「homeless」化しているのではないかということ。
そして、従来の日雇労働者の場合、寄せ場の簡易宿泊所「ドヤ」で泊まることが多いが、ネットカフェに泊まる人たちは、ドヤの存在自体を知らず、別々のルートをたどって野宿にいたっているようだ、ということだ。(大阪の夜回りで会った人は、仕事ができなくなってネットカフェで泊まり続け、お金がなくなって野宿になったが、一泊2500円ぐらい使っていた。「釜ヶ崎のドヤに泊まったら1000円ぐらいですみましたよ」と言ったら、その人は「ドヤというのはまったく知らなかった。そんなに安いならその方がよかった」と言っていた)。
また、ネットカフェに連続宿泊していれば、月に6万円近くとんでしまう。それぐらいならアパートに入った方が得だが、敷金礼金などの初期費用で、それができないという問題がある。
しかし、月に6万という費用を考えれば、公園や河川敷でテントを張って(費用は1万円くらいか)生活する方が絶対暮らしやすいはずだ。急激に失業率が上昇した1997〜8年に多くの公園で爆発的にテントが増えたように、近い将来、再びテントの爆発的増加がありうるかもしれない。(その場合、今度は大阪ではなく東京に集中する可能性がある)。
行政は、「テントの排除」を目的に、行政代執行を始めあの手この手で野宿者を追い出し続けている。しかし、本当にテントを減らしたいと思っているのなら、こうした不安定就労や低賃金、貧困問題にまず本気で取り組むべきだろう。野宿になるように追い込んでおいて、「でもテントを張るのは許さないぞ」というのではまるで理屈が通らないからだ。

以下、記事の全文引用(協力したんだから構わないだろう)

ネットカフェ難民は推計5400人 「自力脱出は困難」
いわゆる「ネットカフェ難民」は全国で約5400人いると推計されることが、厚労省が実施した初の実態調査で分かった。経験者は「いったん落ち込むと抜け出すのは難しい」と振り返る。
2007年08月28日 17時07分 更新

 住居がなくインターネットカフェなどで寝泊まりしている人が全国で約5400人いると推計されることが28日、厚生労働省が実施した調査で分かった。このうち半数の約2700人が、日雇い労働など非正規労働で生計を日々立てているとみられる。全国的な「ネットカフェ難民」の実態調査は初めてで、厚労省は今後の具体的な支援策を検討することにしている。

 調査は今年6〜7月に実施。24時間営業する全国のインターネットカフェや漫画喫茶など1173店と、抽出したオールナイト利用者1664人に生活実態を調査した。

 店舗調査の結果、夜から朝までオールナイトで利用する人は1日あたり約6万900人と推計。多くが「パソコンなどを利用するため」(52.8%)や「夜遅くなり帰宅がおっくう」(27.8%)だったが、「住居がなく寝泊まりのため」が7.8%いた。

 オールナイトの利用者に利用頻度を聞いたところ、「週5日以上」が17.8%、「週3〜4日」が20.1%だった。これらから、週の半分以上を常連的にネットカフェなどで過ごしている住居喪失者が約5400人いると推計した。

 住居喪失者の雇用形態別の内訳は、アルバイトなど短期直用労働者が約1200人、日雇い労働など1カ月以内の短期派遣労働者が約600人で、長期を含めた非正規雇用の労働者は計約2700人。正社員として勤務する正規雇用労働者も約300人と推計された。また、失業中が約1300人、仕事を探していない無業者も約900人と推計した。

 厚労省職業安定局は「住居のない不安定就労者の数が、多いか少ないか、意見は分かれるところ。しかし、就職していないために住居を持てず、住所がないために就職できないという悪循環があるのは確かで、これを絶つための支援を行っていく必要がある」と話している。
ネットカフェ難民「自力で脱出は困難」 その日暮らし、貯金なく

 厚生労働省が全国に約5400人いると推計したネットカフェ難民。経験者は「いったん落ち込むと抜け出すのは難しい」と振り返る。4割が路上生活を経験しており「ホームレスの一形態」とみる支援者もいる。

 「実際にはもっと多いんじゃないか」

 3カ月前まで東京で日雇い派遣労働者として働きながら、1年以上にわたってインターネットカフェで暮らしていた20代の男性は話す。

 男性はかつての生活を、「路上生活とアパート暮らしの中間」と表現する。「テレビもパソコンもあって、そこそこ快適だから『これでいいか』と思っちゃう部分がある」

 厚労省の調査では「敷金など入居費用の貯蓄の難しさ」が原因で住居が確保できないとの回答が多かったが、男性も「その日暮らしで貯金は無理。自分の力だけでは脱出できない」と振り返る。男性の場合、実家に帰ることで生活を立て直したという。

 大阪でホームレスを支援する「野宿者ネットワーク」の生田武志代表は「仕事が途絶えれば、すぐに路上生活。ホームレスの一形態ととらえるべきだ。若年ホームレスの増加につながっていく恐れがある」と指摘する。生田さんは「行政は、不安定就労の労働者がネットカフェ生活に入る前の早い段階で支援することを考えてほしい」と求めた。


2007/8/27 大阪府警によるとんでもない弾圧

以下、釜ヶ崎パトブログより引用。大阪府警は本当に見え見えの予防拘禁をやってきた。やってて恥ずかしくないのだろうか?

大阪府警による弾圧を許すな!
N君を今すぐ返せ!

大阪府警によるまたしてもとんでもない弾圧が起こりました。
8月24日午後1時ごろ釜パトのメンバーであるN君のアルバイト先や別のメンバー宅ともう1ヵ所が家宅捜査され、N君は逮捕されてしまいました。
逮捕理由は「道路運送車両法違反」という耳慣れない法律ですが、要するにN君が大阪市内では使用してはならないディーゼル車を昨年中に市内で運転したということです。しかしN君はこの車両を半年以上使っていません。
驚くべきことに、このような事例で逮捕されたのは日本で始めてということです。なぜそうまでして大阪府警はN君を逮捕する必要があったのか。

それはN君が長居公園の強制排除や住民票の強制削除など日雇・野宿労働者への攻撃に対しての抵抗を先頭で闘っていたからであり、だからこそ大阪府警は世界陸上開会式前日にN君をこのような「微罪」で逮捕したのです。
これは世界陸上開会式への抗議の声を圧殺しようとする予防拘禁に他なりません。私たちはこのような大阪府警の弾圧を絶対に許しません。

知っ ての通り、今年の2月5日大阪市はN君ら長居公園で生活していた野宿の仲間のテントや小屋を強制撤去しました。それは5000筆を越える強制撤去反対署名 を無視し、ヤラセで「排除を求める地域の声」をつくりだし、多額の税金を投入して、野宿の仲間たちの要求や質問に何一つ答えることなく強行されたのでし た。
なぜこのような暴挙を強行したのか、その理由は明らかに天皇出席の世界陸上のためです。
野宿者の強制排除と天皇制や国際的なイベント は決して無関係ではありません。これまで天皇や皇族が出席する式典のために、そして「国威」の発揚が迫られるオリンピックなど国際的なイベントのたびに、 目障りとされた野宿者はまさに「ゴミ」のように排除されてきました。昨年のうつぼ公園の代執行であり(世界バラ会議)、2005年名古屋白川公園の代執行 であり(愛知万博)、長居公園でも97年なみはや国体、2002年サッカーW杯の時にも野宿者排除の嵐が吹き荒れました。
また大阪市は日雇・野宿労働者2088名もの住民票を強制削除し、高齢日雇労働者や野宿者の失対事業である「高齢者特別就労事業」(年間約3億円)を「予算がない」という理由で削減する計画を進めています。一方で世界陸上には40億もの税金を投入しながら!
大 阪市は天皇出席の世界陸上を利用して「環境美化」「公園整備」の名目で野宿の仲間を排除し、仲間の生きる条件を次々と奪おうとしています。そしてその動き に呼応するかのように警察はN君を「微罪」で逮捕し、世界陸上開会式への抗議の声を圧殺しようとしたのです。今どきこんな無茶な手法を使って!

うつぼ・大阪城公園、長居公園の強制撤去、昨年の9・27弾圧(反排除を闘う5名の仲間の逮捕。今年8月9日には全員が執行猶予で釈放)、住民票の強制削除、特別就労事業削減計画、司法・行政が一体となって貧困者の生きる条件を次々に奪おうとしているのです。
貧困者への戦争、棄民化政策とも言える状況の中で行われる世界陸上、そして今回の弾圧を私たちは絶対に許せません。
ぜひとも多くの皆様が私たちと共に抗議の声をあげていただくように心から訴えたいと思います。

野宿者排除の世界陸上弾劾!
大阪府警はN君をすぐに返せ!
弾圧粉砕!闘争勝利!

釜ヶ崎パトロールの会
kamapat@infoseek.jp

大阪府警に抗議の声を!
大阪府警察本部
〒540-8540 大阪市中央区大手前三丁目1番11号
TEL06-6943-1234


2007/8/10 ちくま新書の新刊

ちくま新書から、8月6日付けで『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』を出した。(税込777円)
内容は、一般向けの「(釜ヶ崎をはじめとする)寄せ場と野宿者問題について」。
北海道から沖縄まで、非常に多くの地域や問題について触れている。何人かには該当箇所の確認をお願いしたが、あまりに多くの問題について触れているため、何らかの間違いや問題を含んでいるかもしれない。(気づいたら、教えて下さい)。
タイトル…。後書きにも書いたように「ルポ 最底辺」は編集者の命名。個人的には気が進まなくて、「他のタイトル、たとえば『究極の貧困としての野宿』ではどうか」と言ったが、編集者から「ぜひとも「ルポ 最底辺」でいかせてください」(大意)ということで、不承不承、承諾した。しかし、これも後書きで書いたように、この永田さんが声をかけてくれなければ、このような本を書く機会はなかっただろう。ぼくに本を書かせようとしたこの奇特な編集者に感謝している。
講談社でもそうだったが、校正の段階で校閲者のチェックの細かさには驚かされた。「ここまで調べてるんですか」という徹底ぶりだ。本は多くの人の力によって作られていることを感じる。
内容については、一日で読めるものなので、特に注解する必要はないかもしれない。ただ、吾妻ひでおの『失踪日記』の最初のコマは「この漫画は人生をポジティブに見つめ、なるべくリアリズムを排除して描いています」「リアルだと描くの辛いし暗くなるからね」とある。この本についても似たことが言える。一般向けの本なので、個人的なややこしい問題、難しい人間関係、運動内部の矛盾、運動団体同士の軋轢など、現場で本当に「頭が痛い」ことにはほとんど触れていない。それでも、一般の人にとってはびっくりするような中身になっているかもしれないが…

はじめに 北海道・九州・東京…その野宿の現場
第一章 不安定就労の極限 一九八〇〜九〇年代の釜ヶ崎と野宿者
第二章 野宿者はどのように生活しているのか
第三章 野宿者襲撃と「ホームレスビジネス」
第四章 野宿者の社会的排除と行政の対応
第五章 女性と若者が野宿者になる日〜変容する野宿者問題〜
第六章 野宿者問題の未来へ
あとがき


フルキャスト問題の続報

違法派遣で東京労働局から事業停止命令を受けた日雇い派遣大手フルキャスト(東京都渋谷区)は、10日から新規の派遣ができなくなる。事前に契約を終えていた取引先への派遣はできるが、1日約1万2000人の同社の派遣労働者のうち半分近くが仕事を失うとみられる。失業補償が受けられる見込みはなく、労組は「安全網のないまま放置された状態」と訴えている。

新たな仕事の募集がなくなり、日雇い派遣労働者があてにしていた給料をもらえないとしても、補償される仕組みはない。日雇い労働者への失業手当制度(日雇い雇用保険)も、厚生労働省は「現在の日雇い派遣は想定外」として適用していない。学生らが一時的に働く事例も多いとして、保険適用の前提となる「生活を支える仕事」に該当するとは言い切れないとの判断だ。
 派遣労働者でつくる派遣ユニオンは「事業停止で仕事からあぶれてしまったら、寝るところや食べるものさえ奪われかねない」と指摘している。 (朝日新聞)


フルキャストへの「今回の処分はまあ当然だろう」と下で書いたが、労働者への生活保障や就労対策がないままの事業停止は、「失業」を強いるものでしかない。結局、一番下の立場の者が割をくう形になってしまっている。


2007/8/4 JUNKU連続トークセッション「フリーターズフリーのつくりかた―労働問題の新地平のために―」

2日の夜7時、ジュンク堂書店 池袋本店で上のタイトルのトークセッションを生田、大澤信亮、栗田隆子、杉田俊介でやってきました。
内容は、われわれの覚え書きから一部引用すると
【1】01号刊行後の状況について 
出版後の反響について。メディアの反応。売れ行き。読者からの反応。など。また、イベントのこれまでの経緯について。(栗田)
 【2】刊行を通して見えてきたもの
 LLPとは何か。その意味を改めて解説。出資・企画・編集・会計などを含めた協同作業。(生田)
出版流通に関する問題。中間マージンのこと(派遣労働・ジャスラック・取次など)。『重力』『新現実』のこと。さらに、朝日新聞の件。(大澤)
今後の運動の多様なありかたを探る。(杉田)
 浅草イベントの経験。野宿者と若者貧困層がなぜ分断されているのか。今後の貧困の連帯について。(栗田)
【3】2号以降に向けて。今後FFはどんな場であるべきか。
(枕的に)FFの表紙はなぜ男か?(『生きさせろ!』の表紙も男。)(生田→栗田)
2号は栗田・杉田が責任編集の予定。2号では女性問題をますますやりたい。(栗
田)
FFが労働と芸術・文化を同時に問う雑誌であること。論争について。(杉田)
2号以降のFFについて。(大澤)

セッションのあと、参加者のみなさんとも一緒に近所の喫茶店に行き、11時までいろいろ語り合いました。


それはそうと、フルキャストが業務停止処分を受けている。某新聞報道によると、
港湾での荷さばき業務に労働者を派遣したとして、厚生労働省東京労働局は3日、フルキャストに対し事業停止命令を出した。事業停止は全国316(6月末時点)のすべての事業所が対象で、10日から1カ月間。実際に港湾への違法派遣を行った神戸市内の3支店は2カ月間の事業停止とした。
同社は1日に1万人以上の労働者を各企業に派遣。今回の命令はこれまでで最も重い処分で、労働局は「フルキャストは過去の違法派遣で指導中にもかかわらず繰り返した」と理由を説明した。
事業停止の期間中、新たな労働者派遣の開始や新規の派遣契約の締結が禁止される。継続中の労働者派遣は、派遣労働者の雇用の安定を考慮し継続が可能としている。


ぼくもフルキャストに登録していて、ほほ毎日「お仕事メール」が入ってくるが、この件についてはまだ一言もお知らせがない。「だんまり」でやりすごす気なのだろうか?
(と書いたが、フルキャストの3日付のインフォメーションに
■労働者派遣事業停止に関するお知らせ■
このたび弊社は、東京労働局から、労働者派遣事業停止命令および労働者派遣事業改善命令を受けました。日々、弊社で働いていただいているみなさまに、多大なご迷惑をおかけしますことを、心よりお詫び申し上げます。
弊社は今回の命令を厳粛に受け止め、原因となった問題点すべてに対して、全社を挙げて再発防止に取り組んでまいる所存です。ご不便をおかけいたしますが、ご理解いただきますよう何卒宜しくお願い申し上げます。
などなどのお知らせがあった。)
日雇派遣では、寄せ場の日雇労働と同様、多くの労働問題が発生していることが知られている。今回の処分はまあ当然だろうが、そもそも産業界全体が不安定雇用を拡大させている以上、単にフルキャストが処分されても他の(更に悪質な)派遣業者が拡大するだけの可能性がある。
気になったのは、フルキャストで仕事ができなくなった労働者(「キャスト」とフルキャストでは言う)のことだ。グッドウィルなどに鞍替えする人もいるだろうが、もしかしたら、特に関西在住の人では、釜ヶ崎に仕事に来る人が出てくるのではないだろうか。
釜ヶ崎では、例年のように7月最終週から仕事が増えてきて、朝5時頃の「あいりん総合センター」では、手配師が「現金行こかー」と労働者に声をかけまくっている。つまり、行けば仕事がある状態だ。フルキャストの仕事がなくなったのだから、釜ヶ崎に行って仕事を見つけ、ドヤに泊まって、「寄せ場の労働者」に転身していく若者がこの夏、ある程度出てくるのではないだろうか。
と思って、今日もセンターの様子をよく見ていたが、いまのところは若者が押し寄せる気配はないようだ。
寄せ場の衰退が言われていて、確かに釜ヶ崎の労働者が高齢化し、人口も減少しているが、こうしたきっかけからの「復活」(?)もないことはないかもしれない。


2007/7/31 「Arisanのノート」へのコメント

「フリーター≒ニート≒ホームレス」を読むへのコメントです。

詳細な紹介と批判をありがとうございます。

▼「生田の提示するような「別の形」の社会をもやはり「拒絶」の対象とするような人たちの感覚に対して、この「別の形」というビジョンが、ほんとうに従来の社会と異なるものであることを、十分に示しえているかどうか、という点である。
言い換えれば、上山和樹が語ったような「公」や「社会」の像に、生田の考える「連帯」の構想がほんとうに見合うものなのか、ということである。」

 上山さんの文章から「公」という言葉を引用しましたが、ぼくの出した提案や解釈が上山さんに納得いくものだったかどうかはわかりません(実際、以前に上山さんがいる場でこの論文を元にした話をしたことがありますが、上山さんとの話は「中間集団」の話題などに行きました)。他の人にとっても、ぼくのアイデアが本当に要求に「見合う」かどうかは疑問だと思います。
 ただ、どのような(社会のシステムを変更させるような)提案も、おそらく個々人に「ほんとうに見合う」ことはないと思うんですよ。「フリーター≒ニート≒ホームレス」の最終部分では、「別の社会的労働の可能性を高める方法」「人間類型の物理的根拠が相対的に消滅する」という言い方を繰り返しました。つまり、完全な解決はありえないとしても、「相対的な解決」の可能性はこれによって高まるのではないか、という提案です。そして、それで十分ではないだろうか。
 というのは、「これによって、その人の社会的存在が完全に他者とつながる」というような社会的システムはかつても今もありえないでしょう(あるとすれば、それはむしろ一種のカルトに近いのではないだろうか)。われわれは、現在の社会の問題点をできる限り分析し、その上で可能なオルタナデイヴを提案するしかないと思います。そして、それは常に個々人にとっては「部分的」な解決にしかならないでしょう。
 Arisanの批判は、「フリーター≒ニート≒ホームレス」が図式的でありすぎて、個々人の感性がくみ取られていない、ということかもしれません。この文章は図式的な理解でいけるところまでいってみようと思って書いていた面もあるのですが、図式によって解明できる領域(「学校=社会=私」とか)は、できる限り明快にすべきだと思ったからです。


「生田のこの論文では、彼のいう「国家・会社・家族」のうち、後の二つについては非常に深い分析が展開されていると思うが、「国家」に関する部分、つまり政治的な運動体の権力構造の分析については、まだ甘い部分があるのではないかと思う。
それは、自分たちの「内なる国家」への自覚・批判が、まだ十分でないことを意味するのではないか。」
「「共同闘争」という集団的な言葉に回収されないような感覚、倫理性の芽のようなものが、苛立ち追いつめられた一人一人の心と体のなかに残っていることは忘れるべきでない」

 運動体そのものの権力構造については、運動体で活動している者として常日頃考えざるを得ないんですが、常に問題になるのは「差別」です。ある運動が、他の立場の人たちへの差別について鈍感というのは非常によくあることで、たとえば日雇労働者の運動が女性差別には鈍感、とか。「共同闘争」という言葉は、もともと様々な立場の人々が互いの立場を尊重しながらなおかつ闘争を進めていくという「反差別共同闘争」から由来しています。釜ヶ崎でも、この理念は常に掲げられてきました。しかし、これこそ「言うは易し」で、ある意味では実現が不可能な困難な課題です。ただ、逆に言えば、実現されない理念だからこそ、われわれが永遠に掲げ続けなければならないものだとも言えます。
 それをここでは「闘争としての協力ゲーム」として解釈(改釈)してみたわけです。その意味では、この「共同闘争」という言葉(理念)は、運動体そのものへの批判を含むものとして使うことができると思います。「共同」というものの意味が問われなければならない、という意味で。ただ、確かに「フリーター≒ニート≒ホームレス」では、その点はあまり追究していません。
 「内なる国家」という点で思い出すのは、オウム真理教です。オウム真理教は、既成の社会を全否定した上で、新たな社会のヴィジョンを(過激かつ独善的に)実現しようとしました。そこで興味深いのは、この教団が「国家」であり(大臣制や省庁制)、「会社」であり(様々な「企業」を展開)、「家族」であったことです(当時の信徒の回想を読むと、内的孤独を抱えた若者にとって、一般信徒の関係は真の「家族」のようだったらしい)。社会に対するオルタナティヴが、別の「国家・資本・家族」を形成するというわけです。ある意味では非常によくできた共同体で、多くの若者がはまったのもわかるというものです。オウム真理教は、現状の社会に対するオルタナティヴ(柄谷行人の言う「世界宗教」の)最悪の形態だったのかもしれません。
 しかし、ぼくの文章の最大の欠陥は、海外、諸外国との関係があまり考えられていないことではないでしょうか。たとえば、世界の変容の中で、日本がどのようなポジションを取ることができるのか、という問題です。
 世界との関係で言えば、アメリカとの関係は避けて通れません。(福田和也が言っていたことを記憶でおおざっぱに言うと)単に「アメリカに反対」することは現実的には無理である、一方で「アメリカに追随」するだけでは意味がない、したがって、アメリカに対して日本は戦略的、批判的に関係を作っていかなければならない、ということです。
 アメリカとの関係で言えば、沖縄の問題を避けて通ることができません。よく言われるように、日米の関係は沖縄への構造的抑圧の上に成立しているからです。その意味でも、常に沖縄の問題を考え、関わり続けることが必要だと思っています。


2007/7/25 「Arisanのノート」へ

「Arisanのノート」で、「生田武志氏のホームページの文章への不満」として、ぼくの7月16日分の発言が批判されている。どうしようかと思ったが、「フリーターズフリー」という「雑誌全体(経営のあり方を含む)への感想にも関わってると考えられる」(Arisan)ということなので、やはりここで意見を書いておこう。
(以下、引用はわかりやすいように太字。また、本当は「Arisanさん」あるいは「Arisan氏」とすべきだろうが、発音が「ありさん」なので「Arisan」とさせていただいた。また、本来はArisanに「こういう反論をしました」とお知らせするべきかもしれないが、Arisanの方からお知らせはなかったので、こちらも直接お知らせはしない)。

たとえば、
「『諸君』でも『世界』でも、『週刊ポスト』でもなんでもいいけど、編集者が読者からの反応について、「全部をちゃんと読んでくれてない」と不満のコメントを公言するなんてことがあるだろうか?」「『フリーターズフリー』は、同人誌ではないはずである。」
「期待したようなまともな反応が少ないのなら、「それだけの反応を寄せるに値すると感じた人が少ないのではないか?」、そもそも「全部を読もうという気を多くの人に起こさせる編集が出来なかったのではないか?」とまず自問するのが、あるべき作り手、売り手の態度だと思うが、いかかがであろう?生田氏の文章を読むと、どうもその辺の自覚が薄いように感じられる。」


そもそも、ぼくは「全部をちゃんと読んでくれてない」と不満のコメントを出しているのではなくて(そんなことを言うわけがない)、「ろくに読まずに、これはダメだとか言う」態度にあきれているだけだ。
また、基本的には、書き手、作り手は、自分の作ったものについて杜撰な読みや評がなされれば、反論する権利や自由は当然あるだろう。
『諸君』『世界』『週刊ポスト』の編集者が読者の反応に反論しないのは、これらが株式会社の商業誌で編集者は被雇用者だからだ。ふつう、被雇用者である編集者は(雑誌本体であれ自分個人のホームページであれ)消費者である読者に「読み方が杜撰だ」と反論はしない(できない)。ホームページでの個人としての発言ですら、そういうことを言えないように「しばり」がかけられている。(それに対し、著者は「被雇用者」ではないので反論が比較的自由にできる)。
われわれは自分たちが出資して雑誌を作成したが、これは場合によっては読者と闘うことも辞さない姿勢を立場として保持したことだと思う(この点、『重力』での鎌田哲哉の姿勢を常に意識している)。なので、Arisanが言うように「期待したようなまともな反応が少ないのなら、『それだけの反応を寄せるに値すると感じた人が少ないのではないか?』、そもそも『全部を読もうという気を多くの人に起こさせる編集が出来なかったのではないか?』とまず自問する」という(「お客様に満足していただける商品を作らなければ」=「お客様は神様です」という?)、謙虚、というより卑屈な態度をこちらに要求するのが理解できない。
多分、Arisanは『諸君』『世界』『週刊ポスト』みたいな(Arisanの文章をコピーしているだけなので、この列挙に他意はない)既成の雑誌にあり方にすっかり慣れてしまって、「『全部を読もうという気を多くの人に起こさせる編集が出来なかったのではないか?』とまず自問するのが、あるべき作り手、売り手の態度だ」という奇妙な思い込みを持ってしまったのではないだろうか。
つまり、「会社=社会=私」という構造が内面にすり込まれた結果、他の人にまで会社(資本主義)の倫理を説いている。「『フリーターズフリー』は、同人誌ではないはずである」、つまり、「同人誌」ではなく市場で取引される一人前の「商品」なのだから、その作り手は資本主義社会に「あるべき作り手、売り手の態度」を持てと説いているのだ。しかも、(オウム返しをするが)「どうもその辺の自覚が薄いように感じられる」。
これに対して、「フリーターズフリー」の組合員(少なくともぼく)は、いわば「会社≠(社会=私)」の方向を目指している。「お客様に満足していただける商品を作らなければ」というような会社の倫理とは別の「あるべき作り手、売り手の態度」を作り出そうとしているのだ。


ついでに、「フリーター≒ニート≒ホームレス」への批判があるので、それについても一言。

ただ、読み終えて、非常に漠然とした疑問を書いておくと、「国家・資本・家族」の三極構造を、「闘うべき」対象として論じているけれど、「国家でなければできないこと」、「資本でなければできないこと」というのは、やはりあるのではないか(家族についてもそう言えるかもしれないが、保留する)。
たとえば、先に少し触れた「週刊ダイヤモンド」の特集記事(「ハケンの裏側」)の内容などは、ある程度大きな資本の力がないと作り上げること、流通させることが難しいのではないかと思う。
国家を崩すには国家の力が、資本と闘うには資本の力がやはり必要ではないのか?
そういう「国家・資本・家族」と反「国家・資本・家族」との「協力ゲーム」が大事である場面もあると思うが、この「反〜」という枠組みを越えるような柔軟な「協力ゲーム」の可能性が、あの論考からは十分に伝わってこないように感じた。

まず、「フリーター≒ニート≒ホームレス」は「国家・家族、家族」の「相対化」を狙いとしていて、必ずしも「反対」することを目的にしていない。実際、「フリーターズフリー」そのものが、既成の出版社や書店と「協力」しながら企画を進行させている。
また、「国家でなければできないこと」、「資本でなければできないこと」があるのは当然で、「フリーター≒ニート≒ホームレス」で言った「ワークシェアリング」も「公的就労」も資本や国家に働きかけることを前提としている。
文中でも、たとえば
「ひきこもりに限らず、失業者、低所得者、野宿者に対して、社会保障費の一部を「家族をひらく」事業などへの「公的就労」に投入することが考えられるはずである。経済学者の小野善康が繰り返し言っているが、雇用保険(あるいは生活保護)などと公的就労事業の違いは、簡単に言うと「お金を渡すだけ」か「お金を渡して、なおかつ働いてもらう」かである。つまり、(最終的に生活保護などが給付されるのなら)「働きたいが何らかの理由で働けない」人には公的就労事業を行なう方がはるかに効率的なのだ」
と書いた。これは、いわば「ほら、こうやって公的就労をする方が結局は国家にとっても効率的で安上がりなんですよ」と、いわば「国家」を説得して(なだめすかして)こちらの方向に協力させようとしているわけだ。また、釜ヶ崎では10年来、野宿者のための公的就労を行政に対して要求し続けているが、その中でこういうレトリックを繰り返し使ってきた。「国家を崩すには国家の力が、資本と闘うには資本の力がやはり必要」なのは、現実には当然だからだ。(巻頭の討議でも、ぼくは野宿者支援について、国家の対策がないと、運動団体だけでは「うまくいかないでしょう」と言っている。「残念ながら」と言う意味あいだが)。
また、「先に少し触れた「週刊ダイヤモンド」の特集記事(「ハケンの裏側」)の内容」とあるが、その内容についてArisanは触れていないし、その記事をぼくは読んでいないので、何を言いたいのかまったくわからない。かりにArisan自身が何か取り組みを実践していて、「フリーター≒ニート≒ホームレス」にそうした実践の方向が触れられていないのを残念に思う、というならまだわかる。だが、「雑誌で読んだような実践の方向があの論文では扱われていない」という話なら、そのようなものの言い方にはさっぱり納得できない。
Arisan自身、「代案など何もない、ただの悪口みたいなもんだ」と書いているが、批判する相手が目を通す可能性があるブログやホームページに書く以上、中途半端な批判(悪口)は相手に失礼だ。書くなら、相手に何か一つ深く考えさせるか、それとも論破するつもりでやるべきではないだろうか。

(なお、以前に「〈野宿者襲撃〉論」についてArisanに丁寧なコメントをしていただいたことにはたいへん感謝している。)


2007/7/22 試験に出る「〈野宿者襲撃〉論」

河合塾から、高校3年・高卒者対象の「全統論文模試」に「〈野宿者襲撃〉論」から出題しました、著作権の処理をしたい、という手紙が来た。
使われたのは、「授業」の部分から、「野宿者、ホームレス、homeless」「野宿者問題の変容」「野宿者がよく言われるセリフ」の「公園や駅などの、みんなで使う場所で寝るのは迷惑だ」の箇所、あと「カフカの階段」。これら6ページほどを読んで、設問が二つ。
全統論文模試」とは、全統模試」のうち「小論文、論文、総合問題などの入試実態を徹底分析し、厳選された頻出の出題形式・出題内容の組み合わせをもつ問題群をラインナップ」するものであるという。受験塾の試験に「〈野宿者襲撃〉論」が使われるとは予想しなかったよ。「〈野宿者襲撃〉論」が受験に「頻出」する内容のわけないし。(幾つかの出題からの選択のようで、前のページは森永卓郎の「萌え経済学」)。
ちなみに、この試験には1万人以上の生徒たちが参加しているという。「〈野宿者襲撃〉論」は3000弱の部数だが、この試験で一気に(多分)何万人かの受験生が「野宿者問題の授業」の一部を読んで、「どういう理由で野宿者が元の生活に戻るのが難しいか」などについて、頭をひねって考えたことになる。
生徒の解答がどんなものだったのか、できれば読んでみたいものだ(無理だろうけど)。

ついでに。下で、「フリーターズフリー」について、
「ネット上などでは「この人、本当にちゃんと読んでるのか」と疑問に思うような極端に冷淡な反応が幾つか見られる」
と書いたが、たとえばこういうものです。(こういう人ですね)。


2007/7/16 加藤陽一さんによる「〈野宿者襲撃〉論」書評

「リベラシオン」6月号(福岡県人権研究所)が送られてきて、去年の12月9日、北九州ホームレス支援機構の野宿者襲撃についての講演と対談でご一緒した加藤陽一さんによる「〈野宿者襲撃〉論」書評がその中にあった。
終結部には、「このように、「野宿者襲撃」問題を、21世紀を生きる我々が、国内外のさまざまな人々との間に、どのような繋がりと「共生」のビジョンを創造しうるのか、また、それを支えるべきコミュニケーション能力、つまり、他者感覚や想像力を、子どもたちの中にいかに養っていくのかという問題などして、整理し提示してくれている著者の問題意識を我々も共有し、「野宿者」問題により深く向き合っていければ幸いである」とある。これはありがとうございます。

「フリーターズフリー」の販売はわりあい順調だと思うが、気になる反応が幾つかある。大して読まずに(あるいはパラパラッと見た程度で)、「これはダメだ」とか「感心できない」と言う人が、身近に何人もいたことだ。(ちゃんと読んだ上で「ダメ」と言うなら、意見の相違としてそれはそれで別にいいが)。
普通、知り合いが一生懸命作ったものに対してそういう態度に出るのは「単に失礼」だろう。とはいえ、ぼくの知り合いが「性格が悪い」というわけでもない。実際、「〈野宿者襲撃〉論」のときにはそんな態度をとる人はいなかった。しかし、「フリーターズフリー」ではそういう反応に何度か出くわす。それで、もしかしたらああいう形態(新たな起業形態による雑誌)については、熱い方向か、冷淡な方向かの二つに反応がはっきり分かれるのではないかという気がしてきた。
そのうち公開できるだろうが、直接でもメールででも大変暖かい「応援」がいっぱい来る。一方、ネット上などでは「この人、本当にちゃんと読んでるのか」と疑問に思うような極端に冷淡な反応が幾つか見られる。「平均的な反応」というものがあまりないのだ。
それと、雑誌の内容についてはいろいろ言われるが、「有限責任事業組合による雑誌」という形態についてはほとんど何も言われない。出資、企画、編集、依頼、執筆、テープ起こし、校正、販売、会計を数人の組合員ですべて行なうという事がこの雑誌の大きな意義で、さらに言うと恐ろしくエネルギーを投入した点だが、そこら辺については(関心がないのかなんなのか)さっぱり意見を言われない。むしろ、「売れたら印税が入るでしょう」と言われたりする。実際には、組合員は出資をして執筆するが、雑誌が売れなければ単に赤字になるだけだ。(黒字になれぱ、基本的にそれは次号の制作費になる)。
いずれにしても、「フリーターズフリー」への反応はまだ未知数だ。ぼく自身の文章についても、これを基に生産的な議論ができればいいと思っているが、まだまとまったコメントを見ていない。


2007/6/26 プアプア批評4・「古くて新しいネットカフェ難民」 

フリーペーパー「WB」(「早稲田文学」)6月号に連載コラム「プアプア批評」の第4回を載せています。タイトルは(載ってないけど)「古くて新しいネットカフェ難民」。話題のネットカフェ難民と「フリーターズフリー」について書いてます。
(連載タイトルは鈴木志郎康の「プアプア詩」に倣いました。かつて、「これはおもしろいなあ」と読んだもんです。ただし、ぼくの「プア」は「poor」のことですが。)
書店で普通に売ってないので、頒布場所を見てください。

きのうは高校の同級生の大野くんの披露宴パーティで神戸のホテルへ。テーブルに着くと、同級生たちが10人ほど集まった。20年は全く会っていない人もいて、何人かは誰が誰だかさっぱりわからん。
一応、スーツ・ネクタイ姿で出席したけど、こういうカッコをするのは、葬儀以外では確か同級生の結婚式の7年前以来だ。釜ヶ崎関係の知り合いの結婚式や葬儀は、みんな作業着や普段着で来るのが当たり前なので、スーツもネクタイもいらない(今までの人生でネクタイを締めたのは5回くらい)。
職場関係の人も大勢集まる披露宴(170人出席)に出るのは初めてで、「異文化体験」のような感じだ。最初は「コイツ誰だっけ」という同級生ともいろいろ話せたし、時々会う同級生たちとはお茶を飲んでゆっくりしゃべって、いい時間を過ごせました。
結婚相手の女性は初めてお会いしたけど、大変しっかりした人で、「いい人をみつけたんだなあ」と思いました。規模はでかいけど、二人の人柄が出ていて、しっくりする感動的なパーティでした。
披露宴と二次会では大野くんとずっとつきあいのある中西圭三が何曲か歌って、それはそれは盛り上がった。大野くんから頼まれて、ぼくも一曲、中西圭三の伴奏でピアノを弾いた。彼の選曲で、ケルティック・ウーマンの「You raise me up」。しばらく前から家でピアノアレンジと練習をしていて、パーティ前にリハーサルをした。いざ本番では2、3ミスして「わっ」と思ったが、聞いていた人にはわからなかったそうで、まあ無難に終わったようだ。考えてみれば、中西圭三と一緒に演奏するのは1982年の学園祭以来だから25年ぶりになる。「25年」という年数にはあらためて驚いた。


2007/6/21 稗田和博「ビッグイシュー 突破する人びと」

上のタイトルの本がきのう届いた(6月20日発行 大月書店 税込み1575円)。
ビッグイシューのライターが、ビッグイシューの成立から現在までを、そこに関係した多くの人のインタビューによって様々な角度から描いた本。とても行き届いた内容で、一読をお勧めします。
この中でぼくもちょっとだけ出てしゃべっている。大分前に稗田さんにお会いして話した内容の一部だ。ところで、その中にまちがいがあるのでここで訂正しておく。
「フランスやポルトガルなどラテン系の家族の結束が強い国は、失業率も低く抑えられています」。(P212)
フランスの若者の失業率の高さは有名なので、この内容はまったくちがう。そもそも、「家族の結束が強い国は、失業率も低」いというのは、話の筋が通っていない。「かりに失業率が高くても、家族の相互扶助が機能している国では人は野宿になりにくい」ということだろう。話したとき、よっぽど頭が混乱していたか、それともテープ起こしのときに間違いがあったか、ではないだろうか。
「欧米諸国で、とくに野宿化が目立っているのは、家族の機能が低下しているイギリスとアメリカです」(同)というのも、いくらなんでも話を単純化しすぎている。(第一、イギリスでは「野宿」は激減している。「homeless people」は増えているが)。だが、口頭ではこう言ったのかもしれない。だとしたら反省です。こういうことがあるので、本にする前に一回発言内容をチェックさせてほしいと本当に思う。
ま、ここらへんの問題は、「フリーター≒ニート≒ホームレス」でデータを揃えて詳細に検討しているので、そっちを見て下さい。


2007/6/20 「フリーターズフリー」は書店に並ぶ

今日あたりから全国各地の書店で店頭販売開始です。
アマゾンでも販売しています。
下のサイトでネット販売もしています。
創刊記念イベントも続々とやっているので、ホームページ・ブログで確認してみて下さい。


Freeter’s Free Memorandum(ブログ)

ぼくの「フリーター≒ニート≒ホームレス」の中に誤りを発見。
236ページ上段、左から2行
「『会社ではない形の社会』へ参加しえない人間像は少数にとどまったからだ」

「『会社ではない形の社会』へ参加できる人間像は少数にとどまったからだ」
の間違いです。話が逆になってました。


2007/5/30 雑誌「フリーターズフリー創刊号」完成

今日、届きました。すでに個人的に販売しています。
ネット販売も、近く本格的に始めます。書店販売はしばらく先です。
332ページ、税込み1575円也。

 


2007/5/17 月刊「オルタ」5月号

いま出ている月刊「オルタ」5月号「特集 世界の貧困―日本の貧困」に、 「『世界化』のなかの野宿者問題」という2800字の文章を出しています。世界的に進行する「homeless」問題の中にあって、日本はどういう状況なのか、という話題です。

下で触れた雑誌「フリーターズフリー」のページができました。今のところ仮内容で、近いうちに準備中のコンテンツがアップされます。
とりあえず、最近配っているビラがダウンロードできますよ。


2007/5/4 雑誌「フリーターズフリー」創刊の告知ビラ

ぼくが編集委員の一人である雑誌「フリーターズフリー」がようやく6月に発売になります。とりあえず、最近まいているビラ(表面)をここに紹介。


働けと言わないワーキングマガジン
 フリーターズフリー
6月発売予定 1500 円(予価) 
発行:有限責任事業組合フリーターズフリー 発売:人文書院

生を切り崩さない[仕事]を考える

■ CONTENTS
「生きづらさとプレカリアート」雨宮処凛(作家)
「働く理由」城繁幸(人事コンサルタント)
「自分がホームレスになると思っていなかった人達」斉藤広(野宿者支援/野宿当事者)
「働きたくても働けない人間だっているぞ! バカヤロー!」白井勝美 (精神障害無職者)
「おまえの言っていることは正しい、けれど人間は──」小泉圭(広告会社勤務)
「不登校の「その後」を生きる女性の語りにむけて」貴戸理恵(大学院生・不登校研究)
「生活保護とベーシック・インカム」野崎泰伸(立命館大学生存学プロジェクト研究員)
首都圏青年ユニオン 河添誠書記長【インタビュー】
ビッグイシュー 佐野章二代表×瀧氏(販売員) 【インタビュー】
「期間工やる前に読んでおけ!」ドンキー工具.Jr×大澤信亮【対談】
「私は日雇い派遣しかできません (>△<)VIVAじぶん!! ★」ちろる×栗田隆子【対談】
「ロールケーキの自己防衛」中田うい(マンガ家)
「無能力批評 disability critique」杉田俊介(介護労働者)
「フリーター≒ニート≒ホームレス」生田武志(日雇労働)
「“ないものとされたもの” これくしょん」栗田隆子(非常勤公務員)
「組合文学論」「君についての覚書き」大澤信亮(大学教員・物書き)


フリーターズフリーへようこそ!――わたしたちの出発点

働くことについての雑誌を作ろうと思いました。

世の中には「若年労働問題」をテーマにした本がたくさんあります。フリーターやニートが増えたのは社会構造のせいだという人もいるし、単に今の若者は甘えているだけなのだという人もいます。
フリーターは今後も増え続けるという見方もあれば、景気の回復や少子化によって減少するという見方もあります。政治の現場でも、政府が再チャレンジできる社会環境づくりを叫ぶ一方、経済界の代表は人材の使い捨てを宣言します。格差はあった方がいいとか、年収三百万円時代とか(そんなに稼げねーよ)、徴兵制を復活させろだとか、もう、日本は何が何だかわからなくなってきています。

ところで気になるのはこれらがみんな「彼らの言葉」であることです。彼らが「わたしたち」のことを本気で考えているのかどうかはこのさいおきます。彼らが本気であろうとなかろうと、やっぱり、わたしたちのことはわたしたちが考えるべきだと思うのです。彼らが頼りにならないから、ではなくて、それが自分たちの問題だから……。

それでは「わたしたちの言葉」はどこにあるのでしょう?

企業に勤める若い正社員や就職活動中の学生の中には、「フリーターは自己責任で負け組になった」と言う人がいます。それに対してニートのある青年は、「働いたら負けかなと思ってる」と言い返します。なぜか「若年労働問題」を語る人はみんな声が荒々しくなります。それはたぶん、相手を馬鹿にしているからでも、妬んでいるからでもありません。そこを否定されたら人生そのものを否定されてしまうような、そういうかけがえのない何かをめぐって、わたしたちは今日も争い合っているのではないでしょうか。

 わたしたちが目指すのはそんな論争のアリーナを拡げることです。当事者たちの多様な声を響かせあうことで、問いを共有し深めていくことです。誰の意見が正しいと決めたいのではありません。
そもそも決める力なんてあるわけないし、決める必要があるのかさえわかりません。だけど、一つだけ言えるのは、相手のことをロクに知りもせず、知ろうともせず、一方的に捻じ曲がったイメージを作り上げ、自分を肯定するためだけに相手を罵しるような精神を、わたしたちは絶対に拒否するということです。

(「フリーターズフリー」創刊号「巻頭言」より抜粋)

(紹介文より)
「フリーターズ・フリー」は、「“生”を切り崩さない[仕事]を考える」「働けと言わないワーキングマガジン」を目指し、不安定なまま働く当事者たちの視点によりそい、かつ、フリーター、派遣労働者、野宿者、障害者、外国籍労働者などの生を複眼的に捉えようとする、そしてそこから生きた「明日」を見出そうとする、そんな雑誌であろうとしています。
 数年来の共同討議を重ねてきましたが、LLP(有限責任事業組合)に登記し、今後「協同事業」をコアにおく事業体として活動を展開していく予定です。


2007/4/18 「〈野宿者襲撃〉論」2刷

今日、「〈野宿者襲撃〉論」の2刷が届いた。2005年12月の発行以来のこと。
正直、2刷が出るかどうか疑問だと思っていたけど、ある程度は(1刷は2000部)読まれたということで、うれしく思っています。
2刷を出すにあたって、何カ所かに手を入れた。(「カフカの階段」も最新のバージョンに差し替え)。
変更の多くは「授業」の箇所で、実際に授業をやる時に変えてきた(つまり、状況の変化によって変えざるを得なくなった)内容。この1年半で、野宿者問題の状況はかなり変化した。

大阪市東淀川区で中学生たちによる野宿者襲撃があったこともあり、野宿者ネットワークへの新聞の取材が最近2つあった。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704110015.html
http://osaka.yomiuri.co.jp/izumi/iz70401a.htm

また、朝日放送がニュースでこの事件の取材を行ない、ぼくもちょっと出てしゃべっている。
全国の野宿者問題では、厚生労働省による4年ぶりのホームレスの実態に関する全国調査報告書が4月6日に出た。いろいろ問題が多い調査報告だが、これについては全国の支援団体からコメントが出そろってから、あらためて考えてみたい。
この報告の発表があって、共同通信の記者から電話で話を聞かれ、そのコメントが産経新聞に載っている。ウェブ上では出ないので、その箇所を下に引用。

「景気回復で路上生活者は減ったのかー。目視で確認されたホームレス数が減ったとする厚生労働省の全国調査。関係者からはむしろ「経済格差は広がっている。実態が多様化しただけ」との声が上がっている。
 全国最多の四九一一人が確認された大阪府だが、四年前より約三〇〇〇人減少した。しかし、大阪でホームレスを支援する「野宿者ネットワーク」の生田武志代表は「隠れホームレスが増えた」と指摘する。
 日雇い労働者の街、大阪市西成区の通称「あいりん地区」では、生活保護受給世帯が一〇年で五倍に増えた。高齢化したホームレスや簡易宿泊所を転々としてきた労働者が、生活保護で部屋を借りるようになったからだ。
 一方で、若年フリーター層の「ホームレス化」が進んでいる。親を頼れなくなった若者が「ド短期」と呼ばれる日雇い仕事を携帯サイトで探し、夜通し滞在できる漫画喫茶を渡り歩いて暮らす。
 行政による公園からの追い出しも進み、調査では把握しにくい路地裏などに拠点を移す人も増えた。生田代表は「景気回復は格差を広げ、減少理由にはなっていない。根本的な施策が必要だ」と訴えている。」
(産経新聞 2007年4月7日)


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