2004年1月14日〜15日・宇治市立宇治中学校での「野宿者問題の授業」の報告
(「総合的な学習の時間」3年生26人対象)

●最初に
(生田武志)

宇治市立宇治中学校での「総合的な学習の時間」3年生26人対象の「野宿者問題の授業」の報告です。
中江淳子先生とは、2003年12月の開発教育セミナー「野宿者の問題から日本の開発を考える」でお会いし、その後、授業の実現に向けて打ち合わせをしてきました。中江先生が野宿者問題についての授業を行なうきっかけについては、下にある「経緯」で
「生徒達が大阪を訪れ、個別にNGOなどを訪問する体験学習を行った際に立ち寄った中之島図書館で、野宿生活をおくっている人々と出会い、否定的な思いを持つに至ったことが、この学習を行うきっかけとなった。」
とある通りです。
(中之島にいた野宿者の多くは、ぼくも属する釜ヶ崎反失業連絡会の野営闘争に参加していた人たちのはずです。)

2003年12月11日の生徒へのアンケートのあと、
▼今年1月14日、担当の中江淳子先生による「野宿している人って怖い?汚い?
なまけもの?」
▼1月15日、生田武志による「野宿者問題とは何か〜野宿生活者の実態から〜」
というそれぞれ1時間ずつの授業を行ないました。

野宿者問題の授業を、ここ数年、各地の学校で続けていますが、その多くでは、前後の時間に担当の先生が何時間か、野宿者問題に関わる授業を行なっています。
つまり、授業の多くはわれわれと学校の先生たちとの共同作業です。多くは、こちらが授業に行く前に「生活保護法」や「野宿者問題の概略」について勉強する、というスタイルです。中には、きのくに国際高等専修学校の「社会的弱者を考える」クラスのように、半年間にわたって野宿者問題などについて学んだ上で、釜ヶ崎で2泊3日の研修をするような場合もあります。
野宿者問題の授業にあたっては、野宿当事者や現場で活動する者が授業に出かけて生徒たちと直接語るという方法に大きな意義があることは間違いありません。
ただ、われわれが1回だけ学校に行ってしゃべって終わり、というやり方であれば、それはただの「講演会」「人権研修会」です(もちろん、何もないよりは「講演会」があるだけでもはるかにマシです)。
野宿者問題の授業では、生徒たちや先生たち自身が、野宿者の置かれている問題についてどのように考え、自分たちと野宿者が共に生きているこの社会にどのように目を向けていくべきか、ということが問われているのだと思います。単なる「知識」の問題ではありません。授業では、野宿当事者や活動する者のする話と同時に、先生と生徒たちがそうした問題について自分たちの問題として真剣に考え、話し合う時間を持って欲しいと思っていました。
「冷静に考えれば、中途半端な私が授業をするより、生田氏に2時間すべてをお任せした方が良かったかも知れません。それでも敢えて1時間を私が担当させていただきました。それは、日頃、子どもたちとともに生活し、一緒に学んでいる教師の生きる姿勢が、子どもたちの生きざまに繋がっていくと私自身が考えているからです」
と下の「授業を終えて」で中江先生が言われていますが、こうした行き方こそわれわれの望んでいるところです。野宿者襲撃が社会での人間どうしの関係の一つの破綻を示しているとすれば、それに対抗するには、「野宿者問題の啓蒙」と同時に、新たな「つながり」の創造をもってするしかないかもしれません。
学校では、「自分と同じような(長所も欠点も持った)人間」であることをわきまえた上で、場合によっては死に至るような深刻な虐待、「いじめ」が度々行われています。野宿者襲撃という社会的な「虐待」についても、「いじめ」と同様に、野宿者がどんな人たちかを知ったところで、襲撃を行なう若者はやはり存在し続けるかもしれません。現場からの「知識の伝達」「啓蒙」は絶対に必要ですが、問題はその先にさらに続くのでしょう。
今回の授業で出た生徒たちの感想は、短時間の授業としては、内容の豊かさを感じさせる、思いの深いものが多かったと思います。
短時間のものですが、一つの例として、授業の概略を報告します。



■(以下・中江淳子)

宇治中学校3年生「総合的な学習の時間」〜繋がりのなかで〜
  特設授業『ホームレスってどんな人』



日 時:
12月11日(木)6校時 アンケート実施 …別紙資料1

1月14日(水)2校時 授業者:中江淳子(宇治中学校)
            「野宿している人って怖い?汚い?なまけもの?」

1月15日(木)6校時 授業者:生田武志(野宿者ネットワーク)社会人講師
「野宿者問題とは何か〜野宿生活者の実態から〜」


対 象:3年生 26名 
 総合的な学習の時間における個人別体験学習で、大阪の中之島を訪れた時に
      野宿生活をおくっている人たちと出会い、否定的な感情を抱いた生徒
   3年生の各クラスから、テーマごとに寄せ集まったメンバーで構成

経 緯:宇治中学校では「総合的な学習の時間」の3年間の共通テーマを「ともにいきる」とし、生徒自身が、地球上の人や自然…etcさまざまなものと自分との繋がりを学び(感じ)、生徒自身が将来、どのようにいきるかを考えるきっかけになるような学習にしたいと考え、つぎのような学習活動(カリキュラム)を計画している。
1年 前期:ふるさと学習  後期:環境学習
2年 前期:職場体験学習  後期:多文化共生学習(国際理解)
3年 前期:福祉体験学習  後期:個人のテーマ別自由学習

この3年間の学習計画の中で、3年生の後期「個人別テーマ学習」において、「世界の子どもたち」や「難民」を自分自身の課題として選んだ生徒達。この生徒達が大阪を訪れ、個別にNGOなどを訪問する体験学習を行った際に立ち寄った中之島図書館で、野宿生活をおくっている人々と出会い、否定的な思いを持つに至ったことが、この学習を行うきっかけとなった。
この生徒達は、2年半の様々な学習活動のなかで、世界のこと、特に途上国での飢えや貧困・子供達の暮らし・難民問題に関心を持ち、それを個人のテーマとして探究している。そのような生徒が、日本の中の「経済難民」であり、極めて困難な状況の中でも懸命に生きている野宿生活者に対して否定的な思いを抱いたことは、担当している教師にとってはかなりショックな、これまでの私自身の指導不足を思い知る出来事であった。また、中学校の現場で社会科を担当している私自身が、俗にホームレスと呼ばれる人たちのことを何も知らず、否定的な思いを抱いた生徒に何も説明出来ないことは、更に大きな問題であると感じた。
このような状況から、生徒とともに私自身も、野宿生活者を理解するための学習の必要性を痛感し、野宿生活者について学習する時間を特設することにした。
また、その時々に生徒が抱いた疑問に沿って、世の中をみつめる学習を展開することが、本来の「総合的な学習の時間」のねらいだと考える。

ねらい:野宿生活者の本当の姿や思い、野宿に至る状況などを学ぶことが、生徒の心の中にある否定的な思いを解消する事に繋がり、また、野宿生活者との不幸な出会いを、「ともにいきる」社会の実現にむけ、生徒自身が自分達が生活している社会を深く見つめ直す機会となる事を願い、学習に取り組んだ。
その目標を達成するために、学生の頃から長く野宿者支援の運動に関わり、青少年への啓発に尽力されている生田氏にご協力をお願いした。
社会人講師である生田氏との共同授業としたのは、おっちゃん達の傍にいて、同じ空気、同じ匂いの中で生活している人にしか伝えられない、野宿生活者の姿や思いを伝えて欲しいと願ったから。また、私自身が生田さんに出逢い、生徒達が彼に出逢うことが、生徒にとっても良い学びになると考えたからである。


1月14日(水)授業報告
*授業にあたって
  この授業に取り組むにあたって、書籍やHPの情報の他、以下のことを参考にした。
12/6・7 開発教育セミナーに参加(主催:開発教育研究会)
  「野宿者問題から日本の開発を考える」 講師:生田武志 氏         
22 「京都の夜回りの会」の夜回りに参加
25 釜ヶ崎医療パトロール夜回りに参加
26 中之島の野営地でのインタビュー
1/ 1 三角公園の越冬祭り & 炊き出しに参加
2 三角公園の餅つき & 炊き出しに参加
10 釜ヶ崎医療パトロール夜回り & 医療センターの蒲団敷きに参加
その他、野宿者ネットワークの方をはじめ、ビッグイシューを販売しているおっちゃん、三角公園で話したおっちゃん、一緒にボランティアをした方…etc これまで自分が知らなかったことを、多くの人に教えていただきました。

授業の流れを考えるにあたり、私は正直なところ悩みに悩んだ。セミナーで知った野宿者問題は、私にとっては衝撃的な内容であった。そして、夜回りで出逢ったおっちゃん達は、ごく普通の心優しいおっちゃんだった。野宿者問題を学べば学ぶほど、知れば知るほど、この問題を身近なものに感じるようになった私は、だからこそ、自分に授業ができるのか、自分が授業をしても良いのかと、思い悩むことになった。そして悩んだ末、たどり着いた答えは、「今はまだ分からないことや出来ないことは、無理にはやらない。私が釜ヶ崎に行って、おっちゃん達と接して感じたことを、そのまままっすぐに伝えよう」ということ。以下はその内容である。

*授業の流れ

導入:教師である私自身も、これまでホームレスと呼ばれる人のことは何も知らなかったこと・ホームレスと呼ばれる人に対して偏見をもっていたこと・でも、学んでみたら知らないことがたくさんあり驚いたこと、を話す。
そして、みんなが私に学ぶ機会を与えてくれて、この1ヶ月、私が学んだことをみんなに伝えるね…といって授業に入った。

展開:1.中之島でホームレスと呼ばれる人たちに出会ったときの気持ち。ホームレスと呼ばれる人たちに対して持っているイメージを出してもらう。

汚い・怖い・臭い・怠け者・公園や図書館にいて邪魔  
                       …というものがでた

生徒から出てきた内容に対して、私が学んで知ったことで答える
        
・汚い・臭い
そう思われることをおっちゃん達が一番気にしているんだよ 
公園なんかの水道で身体も拭いているし、洗濯もする。お風呂にも行く。でも風呂代360円は高いよね。

・怖い
実際に喋ってみたら、全然怖くない、普通のおっちゃん達だよ。
お酒を飲んでいるのは、寒さを凌ぐためかな。それから、寂しさを忘れる為かなと私は思った。ビッグイシューを売ってるおっちゃんは、「家族と2年も会ってないねん。お金貯めて会いにいきたい。でもなぁ〜」って話してたから。

それからね、いま仕事がなくて、おっちゃん達は毎日4時半頃から仕事を探しに行くんだけど、歳だからっていって1週間2週間…と仕事を断られ続けたら、酒でも飲まなやってられない気持ちになるよ。働くっていうのは、どんな仕事でもやり甲斐があってね。それが奪われた状態は、ほんまにやり切れない気持ちだと私は思う。
それとね、世の中には、カツアゲしたり悪い事をしたり他人を騙したりして金を稼ぐ人がいるよね。おっちゃん達は、それができひんから野宿生活をしていると思った。どっちかというと正直でいい人達なんじゃないかなと思うよ。

・公園や図書館にいて邪魔

みんななら住むところがなくなったら、どこに行く?
人間が生きていくときに、必要なものってなに?
公園は誰もが使っても良いところだし、水があって公衆トイレもある。他の人の土地に入ったらあかんやろ。そしたら公園に行くよね。それか河川敷かな。
あの日は雨だったから、中之島の図書館にもいはったのかもね。図書館はみんなの場所だから。中之島図書館の職員の人たちが、おっちゃん達の事情を理解して受け入れていたとしたら、いい人達だと私は思うな。
それから、中之島にたくさんのブルーシートのテントがあったのは、野宿しているおっちゃん達を応援している人たちがつくったテントだったんです。
明日は、その応援している人に教室に来てもらって、話をしてもらうね。だって、私はまだ知らないことや、分からないことがたくさんあるから。

・怠け者

昼間から寝てるからこんな風に思うのかな?
日本の失業率5%、それも高齢じゃ仕事がないよね。5%の失業率っていったら、クラスで2人は仕事がないんだよ。おっちゃんら、働きたいねん。でも、仕事がないんやで。
だから、おっちゃん達は、空き缶あつめや段ボール集めをして生活している。それは、夜中に集める人が多いんだって。冬は、この寒さじゃ眠れないだろうし、夏は炎天下に動き回ったら熱中症になるよ。夜、それも深夜に働いているから、昼に寝ているんだね。その、仕事もアルミ缶は1コ2円・段ボールは1kg5円。段ボールを集めて1日1000円稼ごうと思ったら、200kg…200kgって言ったら、相撲取り一人分。みんなはお相撲さんを自転車に乗せて一日中走れるか?すごい重労働だよね。アルミ缶だって、大阪から奈良や京都まで集めに行くらしいよ。それも自転車や歩きで。

・その他…越冬の夜回りで毛布を渡した時に「ごめんな。ごめんな。こんなことしてたらあかんねん。明日はちゃんと仕事さがすしな」と言われ、心が痛んだこと。
蒲団敷きの時、深夜にやってきたお兄ちゃんが、「俺、今回はじめてなお金がなくなってな…ほんまになありがとう」と泣きながら言っていたことを、どこかの項目で話しました。


2.野宿者の多くは、55〜65歳に集中…なぜ?「高度経済成長期の日本」
        昔、金の卵と呼ばれた工場労働者
→ オートメション化や合理化、近年の産業の空洞化によって失業。中学校を卒業と同時に「金の卵」と呼ばれ都会にやって来た人達。それがリストラにあい失業。学歴・技術など持たない人が、この年齢になって失業したら簡単に仕事には就けない現実がある。
       
日雇い労働者の人たち
→新幹線や高速道路、そこの道、万博やオリンピック、学校、公園、みんなの住んでるマンションや家…etc これらを実際につくってきたのは、汗水流してつくったのは○○建設ではなくて、日雇い労働者って呼ばれる人たちなんだよ。建設会社なんかは、この人たちを正社員として雇わず、仕事があるときだけ呼んできて工事をさせるねん。その仕事がこの不況で減っているから、高齢では仕事がもらえないんだよ。

金の卵って呼ばれた工場労働者、そして日雇い労働者って呼ばれる人たちの尊い労働の上に、今の日本の経済発展があるんだよ。
いまの日本経済発展を一番下で支えてきた、その人達がいま野宿の生活をしているってどう思う?

3.不安定就労者が多い、現在の日本の労働市場の話

新聞記事から、京都府の状況を簡単に紹介

注:展開の2・3の部分は、社会科の公民的分野の授業と多くのリンクがある

まとめ:路上で死にゆく野宿生活者
野宿生活者のうち、年間300人上の人が路上でひとり孤独に亡くなっ
ていて、この1月5日にもひとり路上でなくなっているおっちゃんがいたの。私はね、世の中の多くの人から「なんなんあの人ら…」って誤解されたまま、ひとりさみしく、それも路上で亡くなっていく人がいるってことに、心が痛む。みんなはどう?
今回、みんながきっかけで、いろいろ知ることができてホンマに良かったって思っています。

      「日刊えっとう」1月10日号から、
  『どこかいたいところはある?』『ある…心が』を紹介
 *これを読んでいるとき、思わず涙がこぼれました。
 

生徒の感想〔1月14日の分〕

・きょう先生の話を聞いて、ずーっと自分が思っていたことが一気に変わった。ホームレスの人たちは“いい人”っていうのがすごく分かった。お金がなかったら、他人のを盗るとかもできるけど、ダメだって分かっているし、きょうの話は世の中に対する見方が変わった。人の優しさを数年受けていないことは寂しいことだなと思った。でも、そうゆうのを作ったのも私ら自身ということがすごく苦しかったです。ホームレスの人たちは、縁の下の力持ちさん!ということを思いました。今度会うとき、自分の見方がどう変わっているかが楽しみに思います。

・私は今まで、野宿生活をしている人は、汚そうで喋りかけたら何か言われそうで、見て見ぬふりみたいなことをしていました。でも、今日のこの授業で「なんでそう思ってたんかなぁ」って考えると、理由が分かりませんでした。だから私は、人を外見だけで判断しないで、その人が「なんでそういう状態になったのか」ということを考えて人を判断したいと思いました。 

 ・私は今まで、ホームレスの人は汚いし、絶対に近づきたくないなぁって思っていました。親からも「近づいたらあかんで」とか「あの人らはわざと軽い罪を犯して、警察に入ってご飯食べはんねんで」とか聞いていたし、イメージはすごく悪かった。でも、今日の話を聞いて「日本のせいやん」ってめっちゃ思う。もっともっと政府の人とかに出来る事っていっぱいある気がします。〜後略〜

 ・〜前略〜 今まで私は仕事なんて探せばいくらでもあるのに…と思って、ホームレスの人達を軽蔑はしてなかったけど、可哀想とは思わなかった。でも、きょうの話を聞いて、中卒や学歴がなく高齢ではどこも雇ってくれないと知って、それだったら国は何をしてるんだ!と思いました。人権や労働権とか言っといて、肝心なこと、いま公園で実際に亡くなっている人がいるのに。これからもこのことについて自分自身考えていきたいです。
                         
・ホームレスの人ってすごく優しいんやって思った。職に就きたくても就けない現実に変な思いで生活しているのってどんな感じなんだろう? それに周りの人達からの  冷たい言葉や冷たい目って、どれだけ心に突き刺さるんやろう? こんな人達がいっぱいいる日本は、物があふれているだけで、幸せがないなって思った。どうしたらいいんだろう?よく考えさせられた。 

・今まで、ホームレスの人は汚いし、頑張れば仕事が見つかるのに何で仕事をしないのかなと思っていた。でも、きょう勉強して、いろんな理由があることが分かった。日本は他の国と比べて豊かだし、餓死するひとなんていないと思っていた。けれど、路上で年間400人近くの人が死んでいると聞いてショックだった。一番心に残ったのは、ホームレスの人達は努力しているということ。それに、みんな仕事が欲しいと願っている人達だとは思わなかった。今までいろいろ誤解していたと思う。ホームレスの人達を減らすためにはどうしたらいいのかなぁと思った。 

・ホームレスへのイメージは、社会から逃げた人というように思っていたが、話を聞いて変わった気がする。リストラ、失業の犠牲者ということや、仕事がなくても自分なりに一生懸命探して頑張っている。たとえ、人々から悪いイメージを持たれていても、 決して心が負けない強い人だなぁと思いました。初めて見た時は「あほちゃう」とか 「うわ〜最悪」とか思っていたけれど、いま考えると、ホームレスの人も自分なりに事情があるんだなぁ、そして必死に生きているんだなぁと改めてそう思いました。明日、話を聞くのが楽しみです。 

・僕はホームレスの人達について、何も知らないなと感じた。ただ単に貧しくて住むところがないというような考えだった。でも、それは違った。働き口が今の日本に無くて、働きたくても働けないのが現状だった。いまの日本は、矛盾している所が多いと思った。


*授業を終えて
  総合的な学習の時間で担当した子どもたちの声から始まった、私と野宿生活者との出逢い。それはまた、私と世の中との出逢いでもありました。今回は、私自身がまだ野宿者問題を学んでいる途中であり、決して十分な授業実践ではありません。けれど、卒業までに子ども達に伝えなければという思いから、授業にふみ切りました。冷静に考えれば、中途半端な私が授業をするより、生田氏に2時間すべてをお任せした方が良かったかも知れません。それでも敢えて1時間を私が担当させていただきました。それは、日頃、子どもたちとともに生活し、一緒に学んでいる教師の生きる姿勢が、子どもたちの生きかたに繋がっていくと私自身が考えているからです。
  私は、ひとりの人間として、この冷たい路上で、多くの人にその存在を認めらないまま、ひとり孤独に死にゆく人がいることに心が痛みます。そして、このような野宿生活者を襲撃する子どもたちがいることにも、心が痛みます。学校現場で日々子どもたちと接している一人の人間として、やりきれない思いです。「私に何か出来ることはないか…私にも何か出来ることがあるはず」いま私はそんな思いでいっぱいです。
釜ヶ崎や夜回りに足を運ぶ回数が増えれば増えるほど、新しい出逢いや発見、自分自身への気づきがあります。そんなことひとつひとつを、自分の中に大切に積み重ね、いつの日か必ず、自分の言葉で力強く、自信を持って子どもたちに野宿者問題を語れる人になりたいと思います。そして、これからもずっと、ひとりの人間として、釜ヶ崎の人々や野宿者問題に関わっていこうと思っています。私は今、動きはじめたばかりです。



■(以下・生田武志)

2004年1月15日の授業

ぼくの担当する1時間は、ぼく自身が釜ヶ崎周辺の現場でどのような野宿者に出会うか、その人たちがどのような社会的な問題に直面しているか、それに対してわれわれがどのような取り組みをしているか、ということをメインにしゃべりました。
最近出版された、ありむら潜さんの「カマやんの野塾」から6つのマンガをB4にコピーしました。それぞれ、○中之島での野営闘争、○それによって獲得された特別清掃、○セーフティネットの不備によって野宿に陥る問題、○夜働き昼寝る野宿者、○公園を追い出されても他の公園しか行くところのない現実、○「社会再参加って何?」「ワシらが変わらなアカンのじゃなくて、野宿を生み出す社会の側が変わらなアカンのちがうか」、というテーマを扱ったマンガです。随時これらのマンガに関係づけながら授業を進めました。
以下は概略です。
▼自己紹介
▼特別清掃を獲得した中之島野営の話(マンガ)
▼日本の野宿者総数 京都と大阪の野宿者数
▼野宿者の状況
要因は失業。「仕事さえあればこんなとこで寝てない」(マンガ)
全体に55才から65才。どうやって生活しているのか?
「どうやってごはんを食べていってるんですか」という夜回りでの問いに、例えば一人の野宿者はこう答えている。「ダンボール、アルミ缶を集めてや」「一日いくらくらいになりますか」「どんなにやっても1000円にはいかんかなあ」「何時間ぐらいダンボールを集めてるんですか」「大体、10時間ぐらいかなあ」「どこらへんまで行ってるんですか」「奈良の方まで行くこともあるよ」「歩いて?」「そう、自転車とかで」。
 調査によれば、野宿者の8割はダンボールや空き缶集めをしている。ということは、大阪市近辺は大変な競争になっている。そこで、野宿者(というか労働者)の多くは、歩いていける、あるいは自転車で行ける距離なら近畿一円どこでも行くということになる。
みなさんも、アルミ缶を積んだ自転車とすれちがうこともあるでしょう。
大変な労働だが、それでも一時間あたり100円かそれ以下である。そうやって稼いだ金で、安い食堂で食べたり路上で自炊したりして食いつないでいる。「気楽な生活」どころか、とんでもない低賃金重労働なのだ。ふつう、誰だってこんな割に合わない生活は好き好んでしない。そうしているのは、「他に仕事がないから」です。
よく昼間っから寝ているのを見ますが、アルミ缶集めを夜、早朝にする人が多いからです。(マンガ)
▼食べ物→炊き出し。コンビニ弁当は、コンビニ側が砂、ゴミをかけたりする。「ホームレスが古い弁当を食べて食中毒になってはいけないから」だって!
▼犬・猫 公園で捨て猫を育ててる人がいる。テントはネコだらけ。犬がいるからアパート・病院に行けないと言う人もいる(こどもセンターでネコをあずかった例)。
話していていつも心が痛むのだが、野宿者の多くは年齢が55才から65才までに集中していて、体の具合の悪い人が多い。多いのは腰痛、足の故障、内臓疾患などだが、そんな本来、療養すべき状態の人が、真冬でも多数路上で野宿している(言うまでもないが、真冬の野宿は命がけ)。それは、健康保険もないし現金もないから。だが、そうなると我慢に我慢して最後に救急車で運ばれるということになる。そして最後に行き着くのは、路上死である。実際、ぼく自身、何度も行路死の第一発見者になっている。すぐ横でみすみす人が冷たくなって死んでいくという現実に慣れることはできない。
越冬闘争は12月25日から始まり、その後は春まで毎日夜回りが行われます。その中で、毎年死者と出会うのですが、今年も5日にそうなりました。(この日はぼくは夜回りに出ていなかったんですが)。
報告によると、労働センターの裏、バス「勝利号」のすぐ後ろのところで寝ていた人がいました。うつぶせになって、毛布もかぶってなかったそうです。夜回りに参加していた高校生が声をかけたところ、返事もなく、体が冷たくなっていました。そこで夜回りの責任者の人を呼んで、救急車を呼びました。すでに体が硬直していましたが、みんなで一生懸命から体をさすって「兄さん、兄さん、みんないるよ、がんばって」と声をかけ続けした。救急車が来たけど、もう死んでいるということで、病院には行かず、警察に行きました。学生たちは体をふるわせて泣いていました。夜回りのあと、みんなで黙祷をしたそうです。
▼夜回りで会う人(74歳でガンの手術を3回やり、今は足が痛むが段ボール集めをしているという人の話。70才の女性の野宿者の話)
▼夜回り報告から→襲撃の報告(野宿者ネットワークの「夜回り報告」を配る)
▼襲撃・襲撃する若者は何と言っているか。
「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「何かをしなければ生きる価値ないし、何もしなくてホームレスになったっていうのはほんとに価値がない」「無能な人間を駆除する、掃除するって感じ」「働けって腹が立つ」
▼「野宿者がよく言われるセリフ」→実際にはどうか?
○公園に野宿者がいるのは迷惑か? しかし、世の中には公有地と私有地しかない。公有地にいるのは迷惑だと言って、私有地に行くと、今度は不法侵入かなんかで訴えられるだろう。つまり、公園などの「みんなの場所」にいるのは迷惑だ、というのは「野宿者は消えてなくなれ」と言っているのは同じではないか。
○「野宿になるのは努力がたりないから」か? 
例えば「いす取りゲーム」を考えてみよう。人数に対していすの数が足りなくて、音楽が止まると一斉にいすを取り合うあのゲーム。この場合、いすとは「仕事」のことだ。仕事がなくなれば、収入がなくなり、いずれは家賃も払えなくなり、最後には野宿に至るというのは当然な話だ。さて、確かにいす取りゲームでいすをとれなかった人は「自分の努力が足りなかった。自業自得だ」と思うかもしれない。けれども、いすの数が人数より少ない限り、何をどうしたって誰かがいすからあぶれるのだ。仮にその人がうんと努力すれば、今度は他の誰かのいすがなくなってしまう。仮りに、すべての人が今の100倍努力したとしても、1万倍、100万倍努力したとしても、同じ人数がいすを取れないことでは全然変わりがない。要するに、問題は個人の努力ではなくて、いすの数と人間の数の問題、つまり構造的な問題なのだ。今、失業率が5%を越えているが、これは要するに、いすの数が極端に不足している状態だ。
▼最後に
野宿者問題は、多分21世紀前半の日本にとって最大の問題の一つになっていくでしょう。ここで話したようなことをちょっと憶えておいて、路上での野宿の人たちのことを少しでも心にとめておいてください。


生徒の感想

・今 自分が住んでいる日本がこんなに悲惨やとは思わんかった。周りをもっとよく見て受け入れるべきやと思った。自分がすごーく小さな何もできひん自己中心的な人間!!ってゆうのを思い知らされた。ホームレスの人たちのことを勘ちがいして偏見してそれが差別になっていくんだなと実感しました。ホームレスの人たちにばくだんや生卵をなげつけた中・高校生は本当に腹が立った!! あと生田さんがイスとりゲームで説明してくれたのがすごくわかりやすかった。誰かのために誰かが絶対にイスにすわれないように、仕事につきたくてもつくことができないってゆうのは改善されるのにすごい長い月日がかかると思う。でも路上で誰にも悲しまれない内に死んでしまうのはとても胸が痛かったです。ホームレスをなくすのは最終目標で、今、私たちが一人一人できる事はホームレスを受け入れる広い心を持つことだと思う。私は今そうゆう心を持つことが出来たと思う。生田さんは人のためにいろいろしていて、すごく輝いて見えました。ホームレスの相談所が男性だけのところしかない(生田注、今はあるってことは授業で言った)ってゆうのもジェンダーを感じる。まずは世界に住む人々が、勘ちがいをなくしたら偏見も差別もなくなると思った。これから先ホームレスが激増した時、私はそうゆう人たちにどんな気使いや優しい言葉をかけてあげられるかと思ったとき、この生田さんのお話をしっかりと心にきざんで、これから先生きていきたいと思った。


・今日は生田さんのお話を聞いててビックリすることがたくさんあった。野宿者に対してのイジワル(イタズラ)が こんなにいっぱいあって 軽いケガでは済まないことまでやる人がいるなんて ものすごくショックでした。こんなことが起こるのは まだ野宿者の人達への理解が足りないせいだと思う。もし野宿者の立場に立ってしまったら理解されない苦しみが初めてわかるし、だからといって野宿者になれとは言わないけど、せめて こんな生活を望んでしているわけではないことを分かってほしい。生田さんの話を聞いて強くそう思いました。また野宿者ばかりに問題があるのではなく私たちにも問題があるのだから 無関心にならず どうしていくかでこれからいろんな希望が野宿者の人達に生まれてくると思いました。


・今日、野宿生活をおくっている人達の話しをあらためて聞いて、野宿生活は命がけなんだなと思いました。イストリゲーム式で仕事と人の関係を教えて頂いたのはとてもわかりやすかったです。努力は大切なことだけど、周りも変わらなければ努力はむくわれないとわかりました。というより、努力とかの問題ではない。私達と同じくらいの年で 野宿者に花火をいれたり、人に火をはなったり、最低だと思った。 
「この世にひつようのないからくじょする」 そんなことを少年達はいいながら暴行したり。この世にくじょされるような人はいない。そんな人をさばく権利は誰にもないと思う。だから、そんな少年少女がいなくなるように、今日私達にしてくれた話しを、他の学校にもぜひしてあげてください。


・話を聞いてるうちに、心が少し熱くなった。ホームレスの人を決して馬鹿にしてはいけない。ちゃんと前を見て、今を生きている。仕事をする気があるのに仕事がないというのは、やっぱり国が悪いのかなあと思う。もう一つは、なぜホームレスの人が同じ中学生や高校生に暴行されるのかなあって疑問に思う。ただ野宿しているのに、ただ公園にいるだけなのに、ホームレスの人は何もしてないのに、暴行されるのはすごく辛い。
生田さんの話はとても貴重だったし、今までのホームレスのイメージを消してくれました。これからは、見つけても、新しいイメージを持って接したい。


『ホームレスってどんな人』 野宿者問題の授業〜その後〜 03.2.7
           文責:中江淳子


「野宿者問題の授業」の直後にまとめた授業報告は、なぜ授業を行ったかという理由や簡単な授業の流れ、その当時の私自身の思いを中心にしたものでした。今回は、授業後のこどもたちの感想や反応に関わって、自分自身の授業の振り返りを行いたいと思います。

【授業について】

 1.野宿者は「いい人」「すごく優しい人」なのか

 私の授業後に生徒が書いた感想の中に、授業者として気になる二つの言葉がありました。「ホームレスの人って“いい人”やんってのがすごく分かった」「ホームレスの人ってすごく優しいやんって思った」がそれです。長年、野宿者支援の活動をされている生田さんにとっても、この生徒の感想は違和感を覚えるものであったらしいです。私自身も「いい人」「優しい人」という感想には正直少し戸惑いました。何故なら、一般社会のおとなが全て「いい人」「優しい人」ではないように、野宿生活者もまた全て「いい人」「優しい人」であるはずがないからです。
 そこで翌週、この感想を書いた生徒に、どのような思いで書いたのかその真意を尋ねてみました。「私の授業のあとに書いてくれた感想に…ってあったんだけど、おとなにもいろんな人がいるように、中学生でもいろんな人がいるみたいに、野宿しているおっちゃんだってみんながみんないい人って言う訳じゃないよ」と話し出すと、生徒達は「先生そんなん分かってるで、いい人っていうのはふつうの人っていうことやで」と答えました。この生徒達の表現は、語彙の少ない、いかにも中学生らしい表現であったようです。怖い人と思いこんでいた野宿者のことを、私が自分の体験から「ふつうのおっちゃんだった」と話したことが、生徒の心の中で、怖 くはない人=ふつうの人=いい人、という風になり「いい人」という言葉で表現されたようです。
 しかし、このような感想が見られたのは中江の授業だけで、生田さんの授業後にはこのような感想は見られませんでした。ということは、表現方法のことは差し引いても、私の授業の中にそう思い込ませてしまうような所があったのかも知れません。そこは私自身が今後反省すべき点であると考えています。

 2.私が授業をしたことの成果と課題

 この授業を始める前に私が最も気にしていたことは、私の授業を受けて、生徒がみんな同じような感想を持つことでした。その点から言えば、授業後5分足らずで書いた感想であるにもかかわらず、様々な視点の感想があったことは、私にとって救いではありました。
 私は、自分自身が野宿生活者と接したときの感性を大切にして授業を行ないました。12月時点で生徒達に「いま野宿生活をしている人について勉強しているから、私が勉強できたらそのことをみんなに伝えるね」と話していました。また、生徒がホームレスと呼ばれる人に出会い、否定的な思いを持った11月下旬の体験学習の日に、私もまた大阪市内でホームレスと思しき男性とぶつかりかけ驚いたこと、その男性は今から思えば辛そうにフラフラしながら歩いていたのに「大丈夫ですか」のひと言すらかけなかったこと、もしその人が白い杖を持っていたり、車いすを使っていたり、老人であったなら、私は「どうされたんですか。何かお手伝いすることはありますか」と尋ねただろうに、そうしなかった自分自身の人間としての冷たさを生徒に話したりしていました。
 そんな事もあってか、私が授業をしている間、生徒達は私が何をしゃべるのかと、ずーっと興味津々という風でした。だから、私が話した言葉が生きた言葉としてそれぞれの心に届いたのだと思います。つまり、生徒自身が自分の感性に一番近いところで私の授業を受けとめることができたから、いろいろな感想が出てきたのだと思っています。そして、これこそが、毎日生徒達と接している私が、この授業に取り組んだ最大の成果であったと考えています。
 しかし、成果があればもちろん課題もあります。課題は、やはり私がまだ野宿者問題については生徒と同じレベルで学んでいる途中であるということです。そんな私が接した野宿生活者が、生徒達への話の土台となるわけですが、幸運にも私はまだ「ふつうのおっちゃん」だと思える人にしか会ったことがありません。私が授業の中で話したことは、そのおっちゃん達や支援者から学んだ事が中心です。私は心の中に、その人たちの姿や声を思い浮かべながら、授業中話しをしていました。生徒達の感想で野宿者への否定的な意見が見られないのは、私のこのような姿勢が大きく影響しているのだと思います。だから、私の感性を大切にした授業は、自然な形で生徒達の心に届いたように思います。けれど、感性を大切にした故に、私の授業には客観的な視点が欠けているという課題があるのかも知れません。また、私の思いを一方的に押しつけただけの、ある意味危険な授業であったかも知れないと思っています。
 ところで、野宿者問題における客観的な視点とは何でしょうか。日本の野宿者すべてと話をして、聞いたことをデーター化し抽象化したものが客観的な野宿者像なのかというと、そうではないように思います。何故なら「仕事がない」という共通項があるだけで、あとは全て個人の持ち味に拠るところが大きいからです。私は、抽象的ではない、ひとくくりではない、ひとりの人としての、固有名詞の野宿者の声や思いをこどもたちに伝えたいと願っていました。だからこそ、生徒達は感じてくれたのだと思っています。私が「ふつうのおっちゃんではない野宿者」に会っていたら、また話の展開は変わっていたのかも知れません。けれど、そこでもまた私が「ふつう」と感じるか「ふつうではない」と感じるかは私の主観に拠るところが大きくなります。
 では、生徒達が教える人の主観から解放され自由になるためには、どのような方法が良いのでしょうか。野宿者と話したことがなく、近くにいてもただ見ているだけの人は、多くの場合、野宿者に対して否定的な感情を持っているようです。こどもたちも同じです。反対に、野宿者と実際に話をしたり交流したりしたことがある人は、「ふつうのおっちゃん」と感じるようです。第三者(授業者)というフィルターを通さず、こどもたちが基礎知識を学んだ上で、実際に野宿者と会って話しをしてみることが一番良い方法であることは言うまでもありません。しかし、実際の学校現場ではなかなか難しいという現実があります。そこで今回はその橋渡しとして、野宿生活の当事者ではなく支援者として活動し、野宿生活者との繋がりが深い生田さんに社会人講師として来て頂くことにしました。(私が実施した授業のフォローも兼ねて)

 3.社会人講師(生田武志さん)の活用

 私が生田さんに初めて会ったのは、昨年の12月初旬にあったセミナーでした。
 2日間のセミナーで私は野宿者問題を学ぶと同時に、生田さんのいきかたにも触れることができました。そして生田さんのような人がこの社会にまだいらっしゃることが、私には大きな驚きでした。本当に純粋でまっすぐにいきていらしゃる、その誠実ないきかたに感動さえしました。
 私は学校に社会人講師を招くとき、噂や名前や所属先などでは呼ばないことにしています。私が実際にその人に会い、ひとりの人間として温かみがあり、尊敬できる人、この人なら何としてでも生徒に逢わせたい、と思える人を社会人講師として招きたいと考えています。そして、それは私のこだわりでもあります。
 生田さんは、まさにそんな人でした。
 生田さんの授業が生徒にとってどうであったかは、前の授業報告の生徒による感想を見て頂ければ分かると思います。やはり実際に現場で活動していらしゃる方の話は、具体的な事実に基づく正確なお話しであるため、生徒達が理解しやすいことは言うまでもありません。そして生田さんの授業は、野宿者問題に対するひとりの人間としての深い思いを感じるものでした。深い思いのある本物の言葉だからこそ、生徒はしっかりと受け止めたのだと思います。また、深い思いがあるとはいえ生田さんの授業は情緒的なものではなく、生徒達が野宿者問題を身近なものとして捉えることができ、今後どのように関わっていけるのかということを、生徒自身が考えられるものでした。そしてそれは、生徒にひとりの市民として自分に何が出来るか、自分自身はどのようにいきるか、ということを考えるきっかけを与えてくれたように感じています。さらに、授業を通して生田さんを「輝いて見えた」と感じた生徒がいたことは、「こんなふうにいきたいな」という憧れの人間像が生徒の心の中に芽生えたということであり、それはまた、生徒のなかにいきることへの夢や希望を与えてくれるものだと思っています。そしてそれこそが、生徒と世の中の繋がりの第一歩ではないかと私は思います。  
                                    
【授業のその後】〜繋がりと拡がり〜

 次の文章は、「野宿者問題の授業」後の生徒のつぶやきです。
    
・先生、卒業レポートのテーマ、今から変えてもいい? だって、やっぱり世界の子ども達のことは自分には遠い気がする。(ホームレス)のことはこんなに近いし…。だって先生会ってしまったてんで。こんなに近いねんで。
・生田さんってほんまにすごい人やったなぁ〜。生田さんって毎日はどんなことしてはんの?
・先生、昨日の夜むちゃ寒かった。誰か死んだりしたはらへん? 昨日の夜も誰か(夜回り)行かはったん? 昨日の夜、ずーっと心配でそのことばっかり考えててん。大丈夫かなぁ?
・先生、日曜の夕方のニュース見た? ホームレスのためのシェルターとかいうのつくるのを反対してる人がいるとか言ってたけど知ってる?
・ねぇ先生、ホームレスの本とか持ってる? 本貸して。
・ねぇ先生、これってどういうこと? それってなに?
・先生、経済の仕組みって資本主義と社会主義があるやろ。どっちが良いと思う?
資本主義は自由でいいし、頑張ったら豊かにもなれるけど、でもな、競争しても椅子の数が足りひんねんから、みんなが幸せにはなれへんよなぁ。どうしたら自由もあって、みんなが幸せになれるんやろうなぁ〜。

 授業後しばらく経った(1〜3週間)生徒のつぶやきを聞いていると、生徒達の心の拡がりを感じます。
 否定的な思いしか持っていなかった野宿生活者を、自分達と同じように懸命に生きているひとりの人間として捉えているから、もっと知りたいと思い、また「大丈夫なん?」とその安否を気にするのだと思います。テレビから流れてくるニュースにも耳を傾けるようになるのでしょう。野宿生活者が幸せになれるために自分が出来ることは何だろうと考えるから、学びたくなる。そして、社会科の授業で学習した経済の仕組みと結びついてくるというのは、生徒の中で色々なことが繋がり始めたからだと思います。
 いま生徒達は受験シーズン真っ只中、なのにそんなにカリカリすることなく、自分の視点で世の中を見つめ、様々な思いを巡らせて学習しています。「みんなが幸せに暮らせる社会ってどんなんやろな?」って考え、「こんな世界にしたいな」って夢を語り…etc こんな様子を見ていると、生徒達にとって野宿者問題の授業は、自分たちが暮らしている社会との出逢いであったと思わずにはいられません。

【今後の課題】 

 今回の授業は、生田さんの分も私の分も、基本的には講義式の一斉授業でした。授業前に生田さんから、生徒同士のディスカッションを入れたいという提案がありました。しかし、各クラスからの寄せ集めの講座であることや、ディスカッションすることに慣れていない現状、また野宿者問題について何も知らないなどの理由と、今回は時間的な制約もありこのような形の授業となりました。 
 授業の振り返りのところで述べましたが、一斉授業はどうしても授業者の意図で授業がつくられていきます。私自身は、学習する方法や課程が民主的であってこそ、民主的な学びが出来ると考えています。なのに今回の私の授業のようになってしまうこともあるのが現実です。また、私は中学校の現場では、知識の伝達だけではなく、生徒が自分の「心で感じること」の大切さを感じています。けれど、その「感じること」が、教師の思いの一方的な押しつけであって良いはずはありません。生徒達がともに学びあい、仲間の声から学び感じることこそ大切なのです。「野宿者問題」の学習においてもそれは同じだと思います。
 では、そのためにはどんなことが必要なのでしょうか。日頃の学校生活の中で、生徒達がどのような関係で生活しているかということが第一です。豊かで温かな人間関係の中で生活しているかどうかによって、生徒達の学びも大きく左右されることは言うまでもありません。したがって、学校現場で生徒とともに生活している私たちにとって、野宿者問題の授業は、日頃のクラスづくりから始まるのだと思います。
 もう一つは、より民主的な方法で「野宿者問題」を学ぶための教材づくりです。今はコレがプロの教師である私にとっての、一番身近な野宿者支援なのかも知れないと思っています。教えられたことは忘れます。でも、自分で気づいたことは忘れないでしょう。生徒達の気づきを引き出せるような授業づくりが今後の課題です。「野宿者問題」を学ぶための教材を工夫し、生徒同士が互いに意見を交流させたり話し合うことを通して、自由により深く学びあえることができるような授業をつくっていきたいと考えています。
 

 
授業を終えて・追加
生田武志

 生徒のみなさんに書いてもらった感想などをもとに、今回の授業について振り返ってみます。
 今回の授業は、中江さんの回が50分、ぼくの回が50分です。過去に幾つかの学校で13回連続や4回連続の授業を行なってきたことを考えれば、比較的短い時間のものです。
 かりに、上のような感想のあとで何回かの授業があるとすれば、ぼくは、野宿当事者を教室に招いて生徒と野宿生活のいろんな面について質疑応答してもらう、というプランを考えたでしょう。実際、連続授業の場合、野宿当事者が来る回の授業が全体の半分以上の意味を持っています。「現実の野宿者と言葉を交わす」ことが最も意味のある授業だからです。
 授業をプランする上で最も重要な目標の一つは、野宿者が抱えざるを得ない様々な問題を示した上で、野宿当時者を「ホームレス」とひとくくりに見るのではなく「一人の人間」として見てほしい、ということです。野宿者を「ホームレス」とひとくくりにしか見たことのない生徒たちが野宿当事者と言葉を交わし、「こうやって仕事をし、こうやって生きている一人の人なんだ」と感じることができれば、それはほとんど決定的な経験になります。それは、たとえば「障害者」を「障害者」とひとくくりにしてとらえるのではなく、「こういう障害をもって、こうやって生きている一人の人間」と見ることに意味がある、というのと全く同じことです。
 単発の授業の場合、ぼくはいろんな事情から、野宿当事者に授業に来てもらうことはしません。そこで、授業では、個々の野宿者の話やエピソード、そして就労・福祉などの全体的な構造の話とを両軸にして、ぼく自身が野宿当事者とどのように関わっているか、というような話しをします。
 こうした内容は、ぼくが野宿当事者ではない以上、直接的なインパクトを欠くものかもしれません。しかし、生徒の感想の中には、「野宿者を支援している人がいるとは思わなかった」という内容のものをよく見ます。野宿当時者ではなく、野宿者を支援する立場の者の話も、その意味では意味があるのかもしれません。われわれは社会の中で「当事者」でも「支援者」でもありえるのですから。「人のためにいろいろしていて、すごく輝いて見えました」という過分な感想も、その意味でありがたく受けとめています。
 生徒の感想の中で、「やっぱり国が悪いのかなあと思う」といった意見が幾つかあるのに違和感を持つ人もいるかもしれません。しかし、授業の中では、行政に対する批判は特にしていません。事実として、野宿者が極度の困窮の中にとどまり続けざるをえない状態を知って、生徒が自然にこういう感じ方をするのでしょう。事実、野宿者は増え続ける一方なのに対して、行政の対応策は残念ながら「焼け石に水」の状態にとどまっています。事実、行政の担当者でも「十分な対応がなされている」と思っている人はいないでしょう。野宿者問題に対する行政の対応は始まったばかりで、すべてはこれからといっていいくらいだと思います。
 また、中江さんが触れているように、授業の感想で「ホームレスの人たちは“いい人”っていうのがすごく分かった」「ホームレスの人ってすごく優しいんやって思った」とあったことには、ぼくは違和感を感じました。野宿者が一概に「いい人」や「すごく優しい」ということは現実にありえませんし、そういう印象を与えることが授業の目的でもありません。ぼく自身、野宿者の人々は、「全体としては、ふつうの人」だけど「いろんな人がいる」と思っています。
 感想を書いた生徒がそれについて、「いい人っていうのはふつうの人っていうことやで」と言っていたということで、「なるほどなあ」と思いました。「野宿者はみんないい人」と言うのは、(生徒の感想にあった)「ホームレスは『あほちゃう』とか『うわ〜最悪』とか思っていた」「親からも『近づいたらあかんで』とか『あの人らはわざと軽い罪を犯して、警察に入ってご飯食べはんねんで』とか聞いていた」といった偏見のただの裏返しです。すでに全国で3万人を越える野宿者がいる中では、「みんないい人」という表現は意味をなしません。
 また、時として言われることですが、「働く気のある野宿者と働く気のない野宿者を分けて考えるべきだ」という発想も、「ひとくくり」を「ふたくくり」にしただけで、あまり変わりありません。それは、たとえば「中学生にもいろんな生徒がいる。だからやる気のある生徒とやる気のない生徒の2つに分けて考えるべきだ」という発想と同じです。そもそもそんな区別は不可能である上、無理に「やる気のない」グループを作れれば、本当に「やる気」を失います。事実として、ほとんどの野宿者が「仕事さえあればこんなところで野宿なんかしてない」と言っているのです。必要なのは、「あいつらはどうせやる気がないんだ」という予断と偏見を周りの人間が持たないことと、「頑張れば仕事が得られる」システムを作り上げ、「やる気」を失わないで希望を持っていけるような対策を実現することだと思います。ただ、残念ながらそういう対策がほとんどなされていません。
 今まで、幾つかも学校で「野宿者問題の授業」を行なってきましたが、その中では、炊き出しや夜回りに参加し始めるような生徒たちもいます。そうした生徒たちは、現実の野宿者と出会い、言葉を交わす中で、否応なく、野宿者の中にもいろいろな人がいること、そして野宿者問題にはいくつもの個人的な問題や構造的な問題が絡み合っていることを知っていきます。その中で生徒たちは、「今 自分が住んでいる日本がこんなに悲惨やとは思わんかった。周りをもっとよく見て受け入れるべきやと思った。自分がすごーく小さな何もできひん自己中心的な人間!!ってゆうのを思い知らされた」という思いを深めるかもしれません。しかし、社会の複雑さと悲惨さ、自分の視野の小ささを知ることは、同時に、生徒たちがより広い視野から、社会の中での自分の存在や、自分自身の生き方について思いを深めるきっかけになるかもしれません。
 数年前に「野宿者問題の授業」に参加した生徒の一人は、授業で考えたり刺激を受けたりしたことをきっかけに、それまで熱心でなかった語学の勉強などに一生懸命取り組み始めたということを担任の先生から聞いたことがあります。野宿者問題に限らず、学校の世界を越えた社会の複雑さや幾つかの問題に触れることは、生徒自身の視野を広げ、そこから様々な意欲や生き方への問いをかきたてる場合があるかもしれません。
 われわれは、すべての生徒が野宿者問題に関わることを望んだりはしません。授業で提供した材料をもとに、生徒自身が自分なりの方向で様々なことを考えれくれればいいと思います。そして、それが同時に、野宿者へのいわれのない偏見や差別を解消するものであればいいと思っています。

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