2012年11月8日・大阪府立豊中高校
3年生に80分の授業・生徒の感想文

★今までの僕のホームレスに対する考えというのは、汚い、恐い、自分達とは違う人種、というものでした。もちろん、ホームレスと話したことなど無いし、どちらかと言えば避けていました。
 しかし、今日の生田さんの講演を聞いて、僕の考えは180°変わりました。若いホームレスと女性のホームレスが増えていることや、体に障害をもつホームレスの存在、10代の少年のホームレスに対する暴行や、ホームレスの考えなどを知ることで、ホームレスの実態を少なからず理解することができました。
 僕は今まで、ボランティアというものを快く思っていませんでした。というのも、ボランティアをすることに、ボランティアをして、善い行いをしているという自分に酔うことや、就職のときに有利であるという、本来の目的から外れた利益に価値を見出しているような気がするからです。
 しかし、今日僕が感じたこの熱い気持ちは、そのような今までの概念によって妨げられるようなものではありません。僕は大学に行ってから何をしたいのかを今まで考えていませんでしたが、これはやってみたいと思えるものでした。でも僕が今日感じた思いは、単にホームレスがかわいそう、という同情ではなく、ホームレスの社会に対する考えの根底にあるものを変えたい、というものです。もちろん、社会からの疎外感や社会に対する嫌悪感はあるでしょうが、それや社会からの助けを拒む、ということになると、この問題は全く解決に至りません。問題の解決には周りが敵ではない、ということを的確に伝えることだと思います。
そのためにも、さっさと大学に入って、自分もこの活動に参加したい、と思いました。

★私はこの講演を聞く前に、母と野宿者の方について、話をしたところでした。母は昔から貧困問題や野宿者の方たちの生活について興味があったようで、その影響で私も母の買ってきたビッグイシューをたまに読んだり、母と問題について話したりする機会が周りの普通(と言っていいのかわかりませんが)の友人よりは多かったように思います。
 私は通学に電車を使っています。一年ほど前から、豊中の駅前でもビッグイシューの販売員の方を見るようになりました。私も買おうと思ったのですが、足が進みませんでした。制服を着た、茶髪の高校生が買っていった雑誌で得られた300円が、この人をどんな気持ちにさせるのだろうと思ったからです。うまく伝えられないのですが、逆の立場なら、私は少し不快になると思うからです。私の考えすぎ、性格の問題かも知れませんが、自分よりはるかに年下の、ちゃらちゃらした外見の人間のお金を、私なら使えないと思うからです。
 こんな不安ばかりで、ボランティアはおろか、ビッグイシューを買ったりするようなささいなことすらできずにいます。なので、一度夜回りをして、野宿者の方のお話を聞いたりしてみたいです。

☆今日のお話を聞いて、今まで持っていたホームレスの人達へのイメージが少し変わったように思います。一番変わった点としては、あの人達は段ボールやアルミ缶を何時間もかけて集めて、そのなけなしのお金でその日を生きていたりと、ちゃんと働いて自力で生きている人なんだということでした。ホームレスの人々がそういったものを集めてお金にしているということは知ってはいたけれど、漠然としていて、ちゃんとわかっていなかったんだと思いました。こういうことを知り、その人達の事情を理解していたら、社会のゴミだとか、そういう印象は絶対に浮かんでこないと思うし、襲撃なんて、とても出来ないと思うのです。
 周りの人々次第で、救われる人がいるというのがとても大切なのだと思いました。誰かが助けてあげられたら、こんなことにならなかったというのなら、彼らにとっての一番の悲劇は、しつぎょうしたことでも病気をしたことでもなく、誰にも頼れないその孤独ではないかと思いました。火を付けたり、殴ったりする人に対しては、よくもまあ、そんなことが人間に対してできるなと思いますが、彼らもまた、誰にも頼れない、甘えられない、つらいとき助けてくれない、という悲しみを持っていたりするのだろうかと思いました。
 DVから逃げてきて行き場のなくなった女性はそんな孤独ばかりか、見つかるかもしれない恐怖まで抱えて、あまりにもかわいそうで、辛くて、胸が締め付けられる思いでした。総じて思うのは、大事なのは、人と人とのつながり、どうしようもなく困った時、ふと手を差しのべてくれることが、どれだけの人を救えるか、考える機会となりました。

★普段生活していて、ホームレスの人々を見かける機会はほとんどないが、市内に行ったときに何度か見たことがある。ボロボロの服を着て、髪もひげもボサボサのおじさんたちを見て、昔の私は怖いと感じた記憶が残っている。中学・高校生にもなると”いろんな事情”があってあんな暮らしを送るしかないのかなということまでは考えられるようになった。その”いろんな事情”は本当に様々だった。
 職を失って、再び新しい仕事に就くこともできず、家賃を払えなくなったので、外で野宿をしている人々。アルミ缶やダンボールを一生懸命集めてお金を集める。お金といっても、ほんとうにわずかなものだ。30kg近くのダンボールを集めて、たったの180円を受け取っていた。あの映像を見たとき、180円を受け取った、あの瞬間、本当に胸が締め付けられるような思いがした。うまく言葉で説明できないのだが、本当に、本当に、苦しかった…。
 ここで大切なのは、仕事がなくなった、だから野宿するしかない、のでは決してないということ。職を失ったあと、誰か頼る人がいれば、まずは野宿をせずに済むのだ。その人とは、家族や信頼できる友だち、生田さんのようなボランティアで活動している人たちのことだろう。
今、私の周りには友だち、先生、家族…たくさんの人がいる。受験勉強はたしかに忙しいが、周りの人たちのおかげで本当に毎日が充実している。野宿を強いられている人たちの周りにも、こんな人間関係があれば、少しは状況が変わっていくと思う。

★僕はこの講演を聞き思ったことが主に2つあります。
 1つ目は、日本の社会は、働けない者や弱者は切り捨てるという考え方が強いんだなということです。会社は自身の利益となることだけを考え、政府も特に対策を打たない。ある派遣社員がケガをしたら別の派遣を雇い、ケガ人は即刻クビにする。体調がおかしいから救急車を呼んでほしいと言えば、外に仕事ができる人がいないから、時間までやってくれと言われる。全く労働者のことを考えていないと思います。確かに僕はまだ子供であり、この考えもただのキレイ事だと言われればそこまでですが、やはり僕は社会全体で労働者のことを考えるべきだと思いました。今の日本は世界で先進国という位置づけで、発展した国かもしれませんが、心が貧しい国だと言われても否定できないでしょう。
 2つ目は、自分と同年代で路上生活者を襲ったりする奴らは本当に腐っているという事です。同年代として非常に情けなく思うし、これからの日本を担っていくような存在である人々が、こんなことをしているようでは日本の将来も危ぶまれるでしょう。自分より弱く見える者をいたぶることに快楽を感じ、暴力をふるうような人に社会を動かす力があるとは思えませんが、とても残念です。まして、その気はなくとも、相手を殺してしまった場合は、完全に悪意がありやったことなので、少年法など適応せずに、禁固20年でも30年でも言い渡せばいいのにと思います。殺人というのは、それだけの重罪だと思います。
 以上をふまえ、日本の社会は、もっと変わり、真の意味での民主主義を創造し、他国の模範になるような国にならなければいけないと思いました。

★今回の人権学習で、まず改めて、思いやりの大切さを学んだ。野宿生活者を完全に救えるかどうかはともかく、やはり周囲の人々の温もりがあるのとないのとでは大きな違いがあると思う。殺人事件の犯人と麒麟の田村裕を比較していた話にもあったように、人々の支え次第で人の心の持ちようが大きく変わるし、それがその人の人生を変えていくことだってあるのだから、私もすぐに身につくかどうかは分からないが、思いやりの心を持ち、せめて人の心を支えられるような大人になっていきたい。
 そして、今回最も印象に残ったことは、やはり襲撃だった。野宿生活者が他の人を襲うことはほとんどないというのにも正直少し驚いたが、野宿生活者が襲われるケースが非常に多いことということは思ってもいなかった。我々が勝手に作り上げてしまった偏見によって多くの野宿生活者が襲われ、命を落としてしまっていることがとても悲しかった。そのやり口も非常に残酷で目も当てられないようなものであり、何よりも襲う人間がほとんど学生であるという事実が信じられなかった。 いくら偏見や遊び半分ではあっても限度がある。少し憤りも感じた。この事実を改善していくにも、まずは個々の中の偏見を改める必要があると感じた。

★私は今回の講演を聞くまで路上生活をしている人がどうして路上生活をするようになったのかなど、ほとんど考えたことがありませんでした。どの人もただ貧しいからだと考えていました。でも実際は、働きたくても仕事がなかったり、様々な理由で家へ戻れなかったり、いろんな理由があるということを、今回初めて知りました。中でも、家庭内暴力のせいで家には帰れないといった人は、その人は悪くないのに路上生活をしなければならないなんて、ひどい事だと思いました。
 また、今回の講演を聞いて、一番驚いた事は、路上生活者の中には少なからず女性もいるということでした。街で見かける路上生活者はほとんど全員が男性なので、女性の路上生活者がいるとは思っていませんでした。女性が路上生活をするようになる原因が家庭内暴力であったりするので、それさえなくなれば路上生活をしなくてすむので、非常に残念に思います。
 あと一つ印象に残ったことは、路上生活者の人で生活保護を受け取らない人もいるということでした。生活保護をもらっていながらパチンコをしたりする人もいるので、そんな人ではなく、本当に困っている人が受け取るべきだと思いました。これからは、社会がもっと良くなっていき、一人でも路上生活をしなければならなくなる人を減らせるようになってほしいと思いました。

☆私と同年代の人による野宿をしている人を襲撃する事件についてはニュースや新聞で知っていましたが、今回の講演の中で「襲撃する人が”ホーム”レスだ」という話に、本当にそうかも知れないと思いました。と同時に、もしかしたら自分の周りにも居場所が無い人が居るかも知れない、もしいたら、どうしたらいいのだろうと思いました。人の世話になりたくないとギリギリの生活で野宿をする人がいる一方で、生活保護の不正受給をする人がいる、襲撃を繰り返す若者がいるという現実に、不況だというだけでなく、心の問題でもあるのだろうと思いました。また、襲撃を受けた人、いつ受けるか分からない中、野宿をしている人の気持ちを考えると、どれほどの恐怖だろうかと、恐ろしくなりました。
 しかし、野宿をしている人の数をただ減らすだけでなく、私を含む社会全体の、人に迷惑をかけないようにするべき、他人に関わらない、というような風潮自体を直すことが必要なのではないかと思いました。

★私はこれまで野宿している人のことを「怠け者」とか「働く努力をしていない」などと思ったことはありませんでしたが、なんとなく遠い世界の話だと思っていました。が、今日生田さんのお話を聞いて普通に学校を卒業し働いていた人がちょっとしたきっかけで困窮し、野宿者になっていくという事実を知り、とてもショックで胸が痛みました。
 私達が今から出ていく社会にそのような厳しさが待ち受けているかと思うと、とても怖いです。帰る家がなく、冷え込む夜も外で過ごさなければならない。空腹を満たす食べ物も買えない。目の前を楽しそうに人々が通り過ぎる。想像を絶する辛い日々です。でも、だから、一生懸命勉強して、自分はそうならないようにしようというのはなんだか違う気がします。
 こういった問題を扱ったテレビ番組で、ある路上生活者の所持金が300円、と言っているのを見て、私の叔母は「まあ、お金ならあげるのに…」と言っていましたが、それもまた違う気がします。
 では、何か正解なのか、そして私に何かできるのか、というと分かりません。ただ、一度路上生活者になると、生活を再建するのが大変なので、そうなる前にセイフティネットが整備されること。路上生活者になってしまった人たちに憲法で保障されている最低限の生活を取り戻してもらうこと。これらは野宿者でない私達の責任において早急にやるべきだと思います。
 また、野宿者襲撃などは、恥ずべき「弱いものいじめ」です。加害者には、支援団体の手伝いなどをして償ってほしいと思います。
 問題の根本的解決にはほど遠いですが、私は今日問題を理解したことをきっかけに受験が終わったら、自分に出来るお手伝いをしたいと思います。

★ホームレスというのは社会から逃げた人なのか。それとも社会によって落とされた人なのかという疑問をいつも持っていた。こめ講演を聞いて思ったのは、後者の方であった。ほとんどの人が社会によって生活を奪われ、社会に不信感を抱き、再起する気力がなくなった人たちだと知った。社会は一度はみ出たホームレスなどの人たちを拒絶し、関わってはいけないとか、人間としての存在意義がないために消してしまえばいいという風な考えをうえつけているように感じた。家や仕事がないというのは、人ではないと、そういっている様な気がして何だか自分でもよくわからない気持ちになった。だから小さい子供達にボランティアでご飯を持って行かせたり、話を聞かせたりするというのは、その人たちの存在をちゃんと認識するということが出来て、また、社会について色々と考えることができ、子供達にとってとても良い経験ができると思った。キレイな服を着ていようが、ボロイ服を着ていようが、同じ人間であり、考えて行動することが出来る。そう思うと何だが気が少し楽になると思った。この講演を聞けて良かった。

★今まで自分が思っていたこととは全く違う、それが一番強く感じたことだった。話していることは、全く知らない世界のことだった。
 「ホームレス」という事に対して、今まで自分が思っていたことの中には、たくさんの間違いや偏見があった。今回の講演で全てが変わったわけではないけれど、少しは正しく見られるようになったと思う。とにかく、強い衝撃をうけた。野宿というものがどういうもので、どんな人達がしていて、どんな現実があるのか、自分は何も知らなかった。襲われたりというニュースは、聞いたこともあったし、知っていた。でもどこかで、自分には関係のない世界で、関係のない事だと思っていた。今から思うと、とても不思議だ。日々、色々な事件があって、色々な事を思う。なのに、どうして、「ホームレス」が被害者だということだけで、関心を寄せなかったのだろう。同じ人間なのに。
 事件の中身だってそうだ。未成年が、彼らを人間ではないもののように見ている。物を壊すかのように、彼らを傷つける。こんなにも理不尽なことがあるだろうか。そんなことをできる人達の方が、人間から遠い存在のように思える。でも、原因はこの社会にもあると思う。
 社会全体を通して、偏見のようなものが多すぎる気がした。真実は分からないけれど、今回の話を聞いた限りでは、彼らはそこまで悪い人には思えない。そんな偏見を持った社会で育った子供が、そのような偏見や考えを持つことは残念ながら自然なことかも知れない。
 もっとたくさんの人に現実を、真実を知って欲しいと思った。全員とは言わないが、それでも、考え方が変わる人もいるだろう。生活保護の不正受給者も大勢いるこの社会で、なんとか自力で生きようとしている。苦しくても自殺を選ばず、必死で生きようとする。そんな彼らに対して、もう少し救いの手があってもいいのではないかと思った。自分も自分の目で見て、考え、決めたいと思った。

★私は豊中に住んで、約10年たちます。街の中でホームレスを見かけることは、ほとんどなく、野宿をするような人について関心をもったことや何か感じたことはあまりなかったです。しかし、一回だけ、ホームレスの人を意識したことがありました。
 クラブの試合の帰り、JR環状線の天王寺から大阪に戻る電車に部員の友だちと乗っていたとき、その電車が新今宮駅付近で人身事故を起こし、新今宮の駅で降ろされたことがありました。初めての出来事で不安になったので、市内に詳しい父に電話をすると、「新今宮はホームレスの人たちが多くて危ないから、なるべく駅から出ないように」と言われました。
 当時、ホームレスの人についての知識はあまりなく、人身事故に巻き込まれた恐怖もあって、その時から私の中では、ホームレスの人=危ない人と認識するようになりました。
 お父さんも特に差別をするという意味で言ったのではなく、学生が夜に知らない駅をうろうろすることにおいて危ないと言ったのだと思いますが、少なくとも、ホームレスの人がいい人であるという意味にはとらえられなかったです。
 今回の講演を聞いて、私のホームレスの人への感じ方は、180度変わったように思えます。私達のような若者が彼らを社会から疎外するからお互い何もいい事が起こらない。私たちが彼らをもっとよく知り、歩みよることで、私はこの社会から、特に大阪からホームレスの人がだんだんと減ると思います。そして彼らの将来をよりよくするために、私たち若者が何を感じ、どう行動するかどうかが、最も大切なことだと思いました。


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