学校で野宿問題の授業を――「極限の貧困」問題と教育の課題    生田武志
      (「世界」2008年4月号)


 社会状況の変化の中で、教育現場で様々な社会問題や人権問題が取り上げられるようになった。その中で、野宿者(ホームレス)問題は学校やフリースクールでどのように取り上げられているだろうか。もしあまり取り上げられていないとすれば、その理由は何だろうか。
 ぼくは、一九八六年から日本で野宿者が最も集中する「釜ヶ崎」で、日雇労働者や野宿者の運動に関わってきた。そして、二〇〇一年から学校教員とのつながりやホームページを通して近畿各地の中学校や高校、フリースクールで七〇数回の「野宿者問題の授業」を行ない、千人以上の教員に対する研修を行なってきた(ぼくは、「野宿者問題の授業」を日本で最も多くやってきた人間かもしれない)。その中で、教育現場と野宿者をめぐる様々な問題を感じるようになった。ここで、その幾つかについて報告し、提言する。

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 野宿者問題と教育の関係については、まず「野宿者襲撃」の問題から始めなければならない。
 二〇〇五年一〇月、姫路市の河川敷で野宿していた六〇歳の雨堤(あまづつみ)さんが中学、高校生たちに殺害された。雨堤さんは、生活していた橋下の金網の中に火炎ビンを投げつけられて焼死したのだった。少年四人は以前から現場付近で野宿者に嫌がらせを繰り返し、十月二十二日未明にも投石や鉄パイプで金網をたたくなどの嫌がらせを開始した。ビールビンなどで作った火炎ビンは計四本で、高校生が投げた一本が発火して雨堤さんに燃え移った。雨堤さんは足に障害があり逃げ遅れたらしい。リーダー格の高校生は京都の高校に在学しており、事件後の卒業式では卒業生代表として「人としても思いやりを見失わず、凛とした姿で生きていくことが必要だと思います」という内容の答辞を読んでいた。
 二〇〇六年一一月、愛知県岡崎市で野宿していた六九歳の花岡美代子さんが河川敷で頭や顔、上半身を鉄パイプでめった打ちされ、肋骨が折れ脾臓(ひぞう)が破裂して失血死した(二八歳の男性と同市の中学二年の男子生徒三人が逮捕、補導)。これは日本で初めての女性野宿者の殺害だった。新聞報道によれば、一人の少年について同級生の女子生徒は「弱い子をかばうこともあってやさしかった。女子には人気があった」と語った。
 ほとんど報道されないが、こうした死に至るような襲撃は文字通り氷山の一角で、その他に無数の襲撃が日本全国で日常的に起こり続けている。ぼく自身、野宿の現場を訪ねる夜回りなどの活動の中で何百という襲撃の話を聞き続けてきた。その内容は、殴る蹴る、エアガンで撃つ、ダンボールハウスに放火する、消火器を噴霧状態で投げ込む、花火を打ち込む、ガソリンをかけて放火するなど様々だ。夜回りをしていると、高い頻度で襲撃の話を聞く。
 われわれの社会には様々な差別があるが、野宿者ほど直接的な襲撃を受ける人々はいない。現状の野宿者の多くは、失業などによって収入源を失った結果、元の住居を出ざるをえなくなった「極限の貧困」にある人々である。「貧困者への襲撃」がいま、日本では多発しているのだ。
 野宿者襲撃についての包括的なデータは日本では存在しない。だが、襲われた当事者や目撃者の話や報道から見ると、多くの場合、襲撃は一〇代の少年グループによって起こされている。そして、襲撃は「夏休み」「冬休み」「テスト期間」に一気に増えるという特徴がある。一方、逆の「野宿者がこどもを襲った」という話はほとんど聞かない。
 野宿者襲撃が日本で最初に社会問題となったのは、一九八三年に横浜市で起こった、一四才から一六才の少年一〇人が野宿者を襲い、三人を殺害、十数人に重軽傷を負わせた事件だった。この事件の後、こうした野宿者襲撃は一九七五年頃から横浜近辺で「常識」になっていたことが新聞社の調査によって明らかにされた。報道によると、事件後に盛り場で補導された少年少女のうち五七人が「襲撃をやった」と認めた。このことは、野宿者をめぐる問題について何らかの働きかけや教育活動を行わない限り、襲撃が一部の子どもたちの間に「常識」として定着してしまうことを示している。
 数々の野宿者襲撃事件を見ても、少年たちの家庭環境や成績に一定のパターンは必ずしも見られない。二〇〇二年一一月の埼玉での中学生三人による野宿者襲撃は、鉄パイプや角材、鉄板などで殴りつけ、ブロック塀に頭を打ち付けて殺害するという残虐なものだったが、その三人はいずれも非行歴はなく、裁判で親たちは「友達同士で殴り合ったこともない」と証言した。主犯格の少年は、スポーツが得意で人権標語で表彰されこともあり、もう一人の少年は母親思いで小さい子の面倒見もよいという評判だった。八三年の事件では、少年の親の一人はPTA会長だった。姫路の火炎ビン事件の主犯少年は卒業生代表として答辞を読んでいた。要するに、どういうこどもがいつ野宿者をなぶり殺してしまうか、(パッと見では)われわれには全くわからないのだ。
 襲撃の背景には、野宿者に対する無知と偏見がある。報道などによると、襲撃を行なった少年たちは「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「無能な人間を駆除するって感じ」「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと言っている。こうしたイメージを持つに至る要因には、親をはじめとする大人たちの影響が大きいだろう。ぼくは授業の前などに中学生、高校生にアンケートを時々取ることがあるが、その中で「家の人から野宿者について何か言われたことはありませんか」という項目を時々置く。すると、「話しかけられても無視しなさい」「目を合わせてはいけない」「あんな人になりたくなかったらもっと勉強しなさい」「ホームレスは働きたくないからああして寝てるんだ」といった答えがたびたび返ってくる。あくまで例えばの話だが、親が子どもに「障害者から話しかけられても無視しなさい」と教えるようなことが考えられるだろうか。しかし、野宿者についてはそれが普通のように通ってしまっているのだ。周囲の大人によるこうした「すり込み」がこどもに与える影響は非常に大きい。
 そもそも、われわれの社会は、大阪市が行なった公園からの追い出し(行政代執行)のように、他に行き場所のない野宿者の「排除」を繰り返している。ある意味では、野宿者襲撃は「排除」の最も直接的な形である。公園から法的に「排除」するのではなく、石を投げ、火をつけて寝場所から追い出すのだ。野宿者の一人は、「石を投げるのは子供たちかもしれない、けれども大人は直接手を下さないだけで、実際には同じ事をやっている」と言っていた。襲撃する少年たち(襲撃者には大人も少女もいるが)が抱えている内面的問題も重大だが、何よりも一般に浸透している野宿者への偏見と差別を解消しなければ襲撃を阻止することはできない。
 一方で、野宿者襲撃の一つの特徴は「いじめ」との強い共通性である。家庭裁判所調査官研修所監修『重大少年事件の実証的研究』(二〇〇一)によれば、「集団で凶悪事件を起こした少年」(ここで検討された事例には野宿者襲撃事件も含まれる)の多くには共通した傾向が見られた。一つは、「家庭」「学校」「友人関係」の中で「自分に自信が全く持て」ないという傾向である。そのため、「親から見捨てられたり、友人から仲間はずれにされてしまうのではないかなどと思って」「過度に仲間に同調」する。その上で「優位に立って他人に攻撃を加えることで、低下していた自尊感情が高まるように思えるようになって、次第に暴力に親しんでいった」。野宿者襲撃の背景には、おそらく「いじめ」と共通する多くの点がある。事実、「いじめ」の問題は、若者による野宿者襲撃の際にしばしば言及される。「集団の力による個人=弱者への暴行」という点でそれは共通するからだ。その意味で、いじめが「学校内虐待」だとすれば、野宿者襲撃は「学校外虐待」として一対の関係にあるのかもしれない(また「家庭内虐待」との関係も合わせて考えるべきかもしれない)。
 なお、野宿者襲撃は日本だけでなく世界各国で発生している。例えば、The National Coalition for the Homeless (NCH)はアメリカの野宿者襲撃に関する詳しいレポートを毎年公表しているが、それによると一九九九年から二〇〇五年までに全米で四七二人のホームレスが殺害されている(うち四八人つまり一〇%以上が女性)。NCHは、こうした襲撃への対策として「ホームレス問題の話し手と向き合う事務局」による取り組みを行なっている。これは、学校に支援者とホームレス当事者(あるいは経験者)が出向いて、クラスで授業をするというものだ。話し手は、自分の野宿経験を生徒たちに話し、生徒からの質問に答える。こうした交流によって、野宿者への偏見を打ち破り、野宿者一人一人の人間性を生徒に示していく。現在、NCHは一年に約三〇〇のプレゼンテーションを持ち、聞き手は高校生を中心に一七〇〇〇人に達したという。襲撃に対処するには、野宿者問題の授業、特に当事者と生徒との交流が重要だということである。
 しかし、日本では学校での野宿者問題の授業は日本全国でも数えるほどにとどまっている。野宿者の集中する東京、大阪でも、野宿者問題についての教育の取り組みはほとんど行なわれていない。大都市の児童・生徒にとって野宿者の存在が日常のものであり、冒頭で触れた姫路、岡崎の事件のように地方都市でも残酷な殺害事件がたびたび起こっている中、教育現場の対応は社会状況に対して信じられないほど遅れている。
 現在、全国で野宿者問題への取り組みがほとんどない事態には、「野宿者、ホームレスは結局は自業自得ではないか」「貧困になるのは自己責任だ」という偏見が大きく影響しているのだろう。また、教員自身が野宿者問題について知らないし、どう教えればいいのかよくわからないという問題もある。なにより、学校に野宿の現場との接点がない。教育現場での野宿者問題への取り組みのためには、教育委員会、教職員と、野宿者問題にかかわる現場の支援団体、野宿当事者が交渉を持ち、情報を交換し、可能な取り組みの方法を共に模索していく必要がある。事実、中学、高校生による深刻な野宿者襲撃事件が起こったとき、現地の教育委員会や校長は、常に「いのちの大切さの指導」や「人権教育の徹底」ということを言う。しかし、そのような抽象論、一般論は児童・生徒にとってはほとんど意味を持っていない。野宿者問題の現場に立った具体的な啓発プログラム、教育実践が必要とされているのだ。そうした取り組みが作られないまま、襲撃という、野宿者を傷つけ、そしてある意味ではこどもたちをも不幸にする事態が放置されている。
 その中で、神奈川県川崎市の取り組みは注目される。一九九五年、川崎市でも襲撃が多発し、川崎市教育委員会は支援団体「川崎水曜パトロール」との交渉を重ね、野宿者襲撃対策に本腰をあげることになった。当初、市教委は「人権教育をしている」「学校に指導した」「警察に警戒強化を頼む」などの発言を繰り返していたが、野宿者による襲撃証拠の提示と証言や、「今日、明日できることをやれ」という姿勢によって、交渉当日夜のパトロールへの参加、当日と翌日の緊急対策会議を決定させたという。この結果、川崎市では市教育委員会による取り組みとして、教職員向け「啓発冊子」作成、冊子の市内の一八〇校全部(市立の幼稚園、小・中学校、及び市立と県立の高校)への配布と学校への市教委の指導、人権教育推進委員会設置と各学校に人権推進教育担当教員の任命、「襲撃防止ホットライン」(二四時間三六五日電話)設置、その他にも、路上訪問を含めた学校での授業、「川崎市子ども会議」での討論 、学校の授業での川崎水曜パトロールの会による講演などが実施されている。現在は、野宿者の多い二行政区の小・中・高校全てで年一回は「野宿者差別をなくす」授業が行われている。こうした教育現場での取り組みの結果、野宿者への襲撃はそれまでの半分以下にまで激減したと報告されている。教育現場の取り組みは、襲撃事件に対して劇的な効果を持つのである。
 また、姫路市では、先に触れた火炎ビン事件の後、市教育委員会が支援団体(路上生活者ふれあいサークルレインボー、野宿者ネットワーク)の協力によって、「ホームレス問題を扱った人権総合学習」(五〇数ページ)を作成し、市内の公立校全校と全担任に対して配布した(二〇〇六年度)。そこには、野宿者問題に関わる資料、社会的背景、学習指導案が含まれる。また、その中には「児童・生徒向け資料 正しく知ろうホームレスQ&A」として「ホームレスって?」「どんなくらしをしているの?」「どうしたらホームレスから抜け出せるの?」などの内容が盛り込まれている。同時に、姫路市教育委員会は市内全戸に配布する六ページの冊子「じんけんアラカルト」の二ページを使って「ホームレス問題」について触れている。
 野宿者が全国で最も集中する大阪市では、二〇〇三年の市立中学生による野宿者襲撃事件をきっかけに、ぼくが所属する野宿者ネットワークが市教育委員会と交渉を開始し、その結果、教育委員会が「教育必携 人権教育推進編」として、野宿者問題について六〇数ページの資料を作成し、全校と新任教員に対して配布した(二〇〇六年度)。また、教員による大阪市人権教育研究協議会は、野宿者問題プロジェクトチームを編成し(野宿者ネットワークや野宿当事者も参加)、資料集「生きていたいから野宿する 野宿生活者問題の講演記録・実践事例を集めて」(一三九ページ)を作成し、全校に配布した(二〇〇七年度)。それと平行して、学校での「野宿者問題の授業」もいくつかの小学校、中学校、高校で行なわれている。しかし、市教育委員会に要望し続けている「すべての学校での年一回の野宿者問題の授業の実践」はまだ実現していない。
 東京、北九州、静岡など幾つかの地域でも、主に支援者によって「野宿者問題の授業」が実践されている。だが、その数はまだ非常に少ない。こどもたちが現実に野宿者と交流する機会の多くは、現場の支援者によって作られている。たとえば釜ヶ崎では「こどもの里」と「山王こどもセンター」(いずれも釜ヶ崎キリスト教協友会)で、こどもたちが野宿者を訪ねる「こども夜回り」が行なわれている(「山王こどもセンター」では通年月一回、「こどもの里」では越冬期に週一回)。こどもたちはおにぎりを作り、学習会に参加し、路上の野宿者を回っておにぎりを渡していく。そして、今まで話したことのなかった野宿者と様々な交流を持つ。その夜回りに参加した中学一年生が感想でこう書いている。
「私の中学校でも、よく「しんいまみや」と「三角公園」(いずれも釜ヶ崎の中)にはこわいおっさんがねてるとかゆうてる子がおる。それにクラブの試合で新今宮えきから電車にのるとき、友だちが、「お母さんがあのへんこわいから、みんなでいっしょにいきやってゆうてたし、あたしもこわいから、みんなでいこおや」ってゆわれた。私が「ぜんぜんこわないわい」ってゆうても、なんか、頭から「こわい、こわい」と思ってるみたいで、ぜんぜんきいてくれへんかった。「こわい」とか「きたない」とか思ってる子や大人はおっちゃんらをなぐったり、石ぶつけたりすんのとたいしてかわらへんと思う。ええかっこして「かま(釜ヶ崎)のおっちゃんらをバカにすんのは悪いことやー!」とかゆうてる人らも心の中ではやっぱり青カン(野宿)すんのはきたないなあとかあると思う。私も去年の秋までは、頭ではわかっててもやっぱり「いややなあ」とか思うことが何回かあった。でも、バトロールやって、おっちゃんらの話をきいてきどつかれた人をじかに見たりすると、「きたない」「いやや」とゆう考えはきれいさっぱりなくなった。だからみんなパトロールをしてみたらいい。私は、パトロールに行きはじめて、しょう店がいとかいろんなとこで道ばたでひっくり返ってぐーぐーねてるおっちゃんを見ると(さむくないかな)とか(あのおっちゃんだ…だいじょうぶやろか?)とか思うようになってきた。今は「こわい」と思ってる私の友達も一度、パトロールをすれば考え方がかわるんちゃうかなー」(こどもの里)
 地方の学校では、近くに野宿者があまりいないことから、「うちでは関係ない」と思い込んでいるかもしれない。しかし、二〇〇三年以降、全ての都道府県で野宿者が生活している状態だ。また、テレビや本などでは偏見に満ちた「ホームレス」像がたびたび描かれる。例えば、ベストセラー『バカの壁』の次のような箇所。「働かなくても食えるという状態が発生してきた。ホームレスというのは典型的なそういう存在です」「ホームレスでも飢え死にしないような豊かな社会が実現した。(…)失業した人が飢え死にしているというなら問題です。でもホームレスはぴんぴんして生きている。下手をすれば糖尿病になっている人も居ると聞きました」。そして、児童・生徒は、いずれ大都市などに出て野宿者と接触する機会が増えるだろう。都市圏、地方、郊外に関係なく全国で「野宿者問題の授業」は必要とされている。

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 ぼくが「野宿者問題の授業」を始めたきっかけは、身近で繰り返される襲撃という「若者と野宿者の最悪の出会い」を「別の出会い」に転換させたいという思いからだった。
 二〇〇一年、大阪YMCA国際専門学校・国際高等課程(高校にあたる)での一〇〇分×一三回連続という前例のない規模の「野宿者問題の授業」を何人かで行ない、以後、近畿各地で授業を続けてきた。主には単発の授業を一人でやっているが、連続授業のときは、野宿当事者と一緒に行って生徒にやりとりをしてもらうようにしている。「野宿者はどのように生活しているか」「野宿になる原因や社会的背景」「襲撃の実態」「解決の方法」などについて話し、「空き缶集めのようす」や「こども夜回り」のビデオなども使っている。
 今まで私立、公立、そしていわゆる底辺校、進学校と様々な学校で授業を行なってきたが、一般にはキリスト教系の私立校からの依頼が比較的多い。一方、公立学校からも依頼があるが、そのうち一部は襲撃事件を起こした学校だったりする。つまり、事件が起こり、対策を行ない、最後にぼくのところに話が回ってくるというパターンだ。うやむやにせずに対策を行なうという意味では良心的な学校と言えるが、そのたびに思うのは「どうせ呼ぶのなら、事件が起こる前に呼んでくれないか」ということだ。
 つまり、事件が起きて犠牲者が出なければ、学校はなかなか「野宿者問題の授業」を行なわない。むしろ、一般の教員は「野宿者問題を教育現場で取り上げる」ことに非常に消極的のようだ。例えば、大阪府内のある中学校で、一年生が釜ヶ崎に研修に行って野宿者問題を学ぶという授業プランが職員会議で提案された。しかし、学年主任がこう言って強く反対してプランは流れた。「あんな失敗した人間の集まる場所に生徒が行って、何の意味があるんだ」。
 そういった話を聞いて思うのは、学校の先生も「ただの人」ということだ。野宿者や日雇労働者(不安定雇用)への偏見という点で、一般の人と特に変わりがあるわけではない。
 また、大阪市の心斎橋で野宿しながらダンボール集めをしているTさんは、小学六年生の女の子と仲良くなって、一〇〇キロ集めて六〇〇円というダンボールの収入から、時々ジュースを買ってあげたりしていた。しかし、そのことを知った学校の担任の先生は、その子に「ああいう人とつきあってはいけません」と注意したという。その結果、Tさんとその子は以前のように仲良くできなくなり、Tさんは「そのことが寂しい」と言った(二〇〇七年の夜回りで聞いた話)。例えば、学校の先生が子どもに「在日の人とつきあってはいけません」と教えるようなことは考えられるだろうか。しかし、野宿者についてはそのような「差別」が学校で普通に教えられるのだ。その意味では、児童・生徒への授業以前に教職員への研修が必要とされている。
 また、襲撃が起こっても、学校は事件を認めようとしないことがある。夜回りで「近くの中学校の生徒二人からツバを吐きかけられた」「石を投げつけられた」という話を聞き、その中学に話し合いに行ったことがある。校長と教頭が対応したが、どちらも「生徒に聞いたが、全員やってないと言っている」と言った。また、「ウチの生徒は貧しい家庭にいる子が多いが、生徒どうしで理解して助け合っている。貧しさの苦しさは分かっているから、生徒はそんなことはしない」と言った。苦しい立場にいる人間が更に苦しい立場の人間に暴力をふるうという現実が残念ながらあるが、それを理解していないようだ。しまいに、校長は「ツバを吐かれたという道にはウチの生徒は絶対通らない」と断言した。「そんなことないだろう」と思ったが、水かけ論になるのでその場は黙って、後日、問題の場所に放課後の時間に張り込んだ。すると、生徒たちは普通にその道を通っていた。証拠として後ろから写真を撮って、再び校長に申し入れると「その道を通る」のは認めたが、ツバの吐きかけ自体は最後まで突っ張ね続けた。現場で捕まえでもしない限り、被害者が何と言おうと一部の学校は「知らぬ存ぜぬ」を続けるのかもしれない。
 授業実現にあたっての問題の一つは、地域の大人たちの反応である。大阪市立のある小学校では、三年生の「総合学習」で野宿者問題の連続授業を行ない、その一コマで近隣の長居公園の野宿当事者をゲストティーチャーとして招く授業を行なった(二〇〇六年度)。野宿者と支援者が野宿生活や背景にある問題を語り、こどもたちの質問に答えていくというものだった。その時の児童の感想文には次のようなものがあった。「わたしがようち園のときに野宿の人が長居公園にいたのをみかけました。そのとき「わー何、この人家ないー。」と言っていました。今日の学習であんなことを言ってはいけないなぁと思いました。野宿している人たちは、なまけものじゃないとよくわかりました。しゃべったらとってもいい人だとわかりました」「野宿のおっちゃんは、おきらくで、お酒をのんでいると思っていたのに、朝はやくからアルミ缶やダンボールをあつめ終わったあとにのんでいると知らなかったのをおしえてくださったせ山さんはーいひとだと思ったです」。
 この授業は産経新聞、朝日新聞で報道されたが、その後、様々な波紋が広がった。児童の祖父からは「ホームレスのことを子どもが聞いていかがなものか。危険な面がある」という内容の電話が市教育委員会にあり、さらに市議会の保守党議員から「問題にする」との動きがあった。さらに、地域の連合町会から学校長に「二〇〇〇年の長居公園シェルター問題の時に非常にもめた。野宿当事者を呼ぶとは、この授業はあてつけなのか」という内容の申し入れがあった。校長は「野宿者の人権を守っていく教育実践を進めていくのは市教育委員会の方針であり、本校の方針でもある。今後もこのような取り組みを進めていく」と答えたが、地域住民の偏見はこうした授業について常につきまとう難しい問題だ(その意味でも、姫路市が全戸配布した「じんけんアラカルト」は意義がある)。
 教師には「野宿者問題の授業」に消極的な人がいる一方、夜回りや炊き出しに何度か参加して、その経験を元に事前授業を行ない、その上で支援者や野宿者を招いた授業を行なう人もいる。教師のそうした姿勢は、こどもたちにとっての授業の意味を大きく左右する。つまり、事前授業も何もなく、ぼくや野宿者を呼んで授業をするだけだと、それは子どもたちにとって、「そういう話もあるんですか」というただの「講演会」になってしまう。もちろん、それはそれで意味はある。だが、教師自身が夜回りなどで野宿者と出会って話し、その中で感じた思いを子どもたちに伝えると、子どもたちは遠いと思っていた「野宿」の問題を、身近な教師を通じてより現実的にとらえることができる。その時、教師がいわば「現場と子どもたちの接点」になるのだ。
 考えてみれば、学校の一つの意義は「社会と子どもたちの接点」であることなのではないだろうか。学校や教師が目の前で起きている社会問題を無視し続けるとき、学校は社会から遊離し閉じられてしまうだろう。もちろん、野宿者や貧困問題についてのイデオロギー的な解答や解説はまったく必要ない。問題があるということ、そして当事者の声に聞き入ること、その問題を自分の問題として考え、こどもたちに伝えることが必要なのだ。
 「野宿者問題の授業」では、野宿者の置かれている問題について児童・生徒が知識を学び、解決策を考えていくことがもちろん必要とされる。だが、それと同時に、自分たちと野宿者が共に生きているこの社会にどのように目を向けていくべきかということ、つまり野宿者問題を生み出す「社会のありようと自分たちとの関わり」こそが問われている。単なる「知識」の問題ではなく、野宿者問題という現実から見た「社会と自分たちの関係」を考えることが重要なのだ。
 実際に中学、高校などで授業をすると、生徒たちの反応の素晴らしさと多様性に繰り返し感嘆させられる。授業をきっかけに、炊き出しや夜回りに参加していく生徒も何人もいる。そうした生徒(高校三年)の感想文から一つ引用する。
「今、こうして感想文を書くために、授業に参加する前の自分を思いだしてみると、少し怖いような不思議な気持ちになります。仕事のない人達がどうしようもなくなった時、野宿をするのは考えてみればあたりまえのことなのに、どうして冷めた視線を送ってしまうのか。考えれば、「ホームレス」という言葉で野宿者をひとくくりにして、個人として、それ以前に人間性とか人格とか、そんなものに、思いを寄せることはありませんでした。/初めてバスで釜ヶ崎を訪れた時、タイの街角に立っているような感覚になりました。日本というものに持っていたイメージがガラリと変わりました。(…)野宿者問題から社会の様々な問題が見えます。日常の何気ない会話に偏見や悪意を見つけます。それは、本当になにげなく使われていて問題の根深さを見る気がしました。/生田さんの授業を聞く機会を得られて、本当によかったと思います。学校の授業の中で野宿者問題を取り上げることは意味のあることだと思います。特に私達は社会に出ていない学生という立場なので、なんというか、だからこそ、社会というものを客観的に見やすいところにいると思います。公立や私立の学校へもっとこの授業がしんとうすれば、野宿者問題の理解だけにとどまらず、社会全体が協力的な方向へ変わっていくと思います」。
 深刻な野宿者襲撃事件が起こると、しばしば「こどもを夜に出歩かせるな」「ホームレスは海のそばや山の中にシェルターを作ってそこに入れろ」という事が言われる。しかし、若者と野宿者をそのように「隔離」しても、問題が本質的に解決することはないだろう。主に一〇代の少年によって行なわれる野宿者襲撃は、いわば「若者と野宿者の最悪の出会い」である。それを解決するためには、野宿や貧困を強いられない社会を作ることと同時に、若者と野宿者との「襲撃とは別の出会い」を作り出すことが必要なのだ。「こども夜回り」や「野宿者問題の授業」は、そうした「野宿者と若者の出会い」を作る試みの一つである。
 全国の学校、各自治体の教育委員会、文部科学省に、学校で野宿者問題の授業を行なうことを求めたい。若者の貧困が進み、若者自身が野宿者となるケースが増加しているいま、「極限の貧困としての野宿者問題」を取り上げることはますます重要な意味を持っていくはずだからである。

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