3年生のみなさんへ




12月1日に野宿者問題の話をした生田武志です。
話の最後に「質問があったら感想文に書いて下さい」と言いました。感想文を読むと、いろいろ質問や疑問が出ていたので、返事を書きます。

まず、「野宿者」と「ホームレス」はどうちがうのか、という質問がありました。
 基本的には同じです。
 昔、新聞などでは、野宿している人のことを「浮浪者」と言っていました。「浮浪者」とは、「仕事をするのがイヤで、ゴミ箱をあさって食べ物を捜し、路上で寝ている人」という感じです。しかし、そんな人はめったにいません。「浮浪者」はさすがにおかしいということになり、マスコミは言葉を言い換え始めました。つまり、「ホームレス」です。
 しかし、ぼくたちはこの「ホームレス」をずっと使いませんでした。なぜなら、それが「浮浪者」のただの言い換えということがまるわかりだったからです。けれども、「ホームレス」がすっかり普及して、野宿している人も時々「われわれホームレスは…」と言うようになりました。そこで、ぼくたちも使うことがあります。
 ところで、カタカナの「ホームレス」と英語の「homeless」ですが、この二つは意味がぜんぜん違います。カタカナの「ホームレス」は「浮浪者」ないし「野宿者」ですが、「homeless」は海外では「住居を失った状態」全般を指します。
 例えば、地震が起こり多くの人が家を失ったとき、英語では例えば「Japan quakes kill 21, thousands are homeless」(地震で21人が死亡、数千人がホームレスに)という具合に報道されます。英語の「homeless」は「何らかの理由で住居を失い、シェルターや寮、病院、知人宅などで過ごしている状態」の事をおおざっぱには指しているので(国によって多少定義がちがいます)、被災者も失業による野宿者もみんな「homeless」です。
 野宿者問題を語るためには、この英語の「homeless」が一番適当かもしれません。これだと、入院中だけれども他に住む場所のない人(大阪市だけで3800人が該当)、施設から出ても行くあてのない人なども入るからです。しかし、日本語にはこの「homeless」にあたる言葉がないのです。

感想文には、
「何か自分達にできることをしていきたいです!!」「私にできることがあるならぜひやりたいです。野宿者の力になれればいいなと思います。」「野宿者のために私は何かできるだろうかと思いました。」「野宿者が普通の生活に戻れるように、私たちは手助けしなければならないと思います。」とありました。
でも、「私に何ができるのかがわかりません」という意見もありました。
 みなさんに何ができるでしょう。
 1日にも言いましたが、野宿者が販売している「ビッグイシュー」という雑誌があります。1冊200円で、そのうち110円が野宿者の利益になります。ビッグイシューを売っている人を見かけたら、ぜひ買ってみて下さい。内容も若者対象で、おもしろいと思います。
 募金をすることもできます。ぼくがいる野宿者ネットワークでは、特に冬の間はお金を集めて「寝袋」を買っています(一個で数千円)。気温零下になる夜にも毛布一枚で野宿している人が何人もいるので、凍死しないように渡しています。もし募金があったら、片桐先生に渡してもらえると寝袋、あるいはカイロや衣類として使えると思います。
 それから、本を読んで野宿者問題をもっと知ってみる、という方法もあります。中学3年だと、例えば
松島トモ子『ホームレスさんこんにちは』
入佐明美 『地下足袋の詩(うた)歩く生活相談室18年』
ありむら潜『カマやんの野塾−漫画ホームレス問題入門』
北村年子『大阪・道頓堀川「ホームレス」襲撃事件―“弱者いじめ”の連鎖を断つ』
松繁逸夫 安江鈴子 共著『知っていますか? ホームレスの人権一問一答』
櫛田佳代『ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』
関 朝之・はせがわいさお『ガード下の犬ラン―ホームレスとさみしさを分かち合った犬』(これは小学生対象)
 ぼくも『〈野宿者襲撃〉論』という本を出していますが、大学生向きかなあ(付録に、1日の話と大分重なる中高校生向けの「野宿者問題の授業」を入れています)。
 もしよかったら、一度夜回りに来てください。夜回りには幼稚園児も小学生も中学生も来ることがあります。ただし、高校生までは絶対に保護者の同意が必要です。

 みなさんの感想で、印象に残ったものが幾つもあります。
「このような生活の苦しい人が、一番仕事が必要で、一番お金が必要なのに、そのことを分かってあげられない日本社会、世界はおかしいと思います。それも一種の弱い者いじめに値するような気がして仕方ありません。」
「いま問題になってるいじめの自殺とか野宿者問題は似ていて、自分より弱い立場の人々とどう接していいのかみんな分かってないと思う。」
 確かにそうで、ぼくも、多くの野宿者が襲撃や病気のために路上で死んでいく現実は、社会的な「いじめ」「虐待」ではないかと思うことがあります。貧困で苦しんでいる人たちを社会がなぜ放っておくのか、とても不思議です。

「私は前からずっと思っていることがあります。それは、なぜ金持ちと貧乏にわかれるのかということです。なぜ平等ではないんでしょうか? 私は疑問に思います」
 ぼくもそう思います。もちろん、いっぱい努力した人がお金を儲けるのはいいと思いますが、一方、仕事がないためや病気やトラブルのために野宿になる人がいっぱいいる社会はどこかおかしいと思います。野宿者問題とは「究極の貧困」の問題ですが、貧困の解消を社会は目指すべきだと思います。
それに関連して、こういう意見もありました。
「例えばいすとりゲームのように、いすにすわれない人が悪いのではなくて、いすの数が少ないことが悪いと話していたけど、それは、高校受験の時に、高校に入れない人が悪いのではなく、その高校のぼしゅう人数が悪いといっているようなものです。これはおかしいと思います」。
 ぼくは競争はあっていいと思っています。その結果、ある程度の貧富の差が出るのも当然でしょう。ただ、競争の結果、野宿しなければならない人がいっぱい出るような社会はおかしいと思います。憲法や生活保護法が言うように、最低限の生活の保障があるべきだと思います。

家の人からこう言われた、という意見も幾つかありました。
「ホームレスの人に何か欲しいと言われても、あげてはだめ。」「社会が悪いっていうのは、野宿者たちのいいわけであって、それは、石でつまづいた時、その石がそこにあるせいにしているのと同じだ」
 実際には、野宿者から「何かくれ」と言われることはまずありません。もし野宿者と会って何か話しかけられる事があったら、ともかく話を聞いてみて下さい。普通の会話になるかもしれないし、納得できない話だったら話を断わればいいです。それは、普通の知らない人と話すのと同じだと思います。
 石につまづく話ですが、例えばもし校庭にじゃまな石があったら、危ないからどけておくんじゃないでしょうか。学校のグラウンドに石があって生徒がケガしたら学校の管理責任になります。それと同じで、社会の責任として、野宿者を強いられる人が出ないような環境を作るべきだと思います。

「野宿をしてる人たちは自分とはどこか違う人なんだと事情も知らないのに勝手にそう思い込んでいた。その思い込みを正せてよかったです。」
「ホームレス(野宿者)のことなんて私には関係ないという意識でみてましたが、そんなことはないんだと気づかされました。」
 確かに多くの人は、「ホームレスは私たちとはどこか違う人間なんだ」「関係ない人たちだから放っておいていいんだ」と思っています。ぼくも、最初はそう思っていましたが、実際に野宿している人と話をしてみると、むしろ不器用なほど真面目な人たちが多いと気づきました。そして、そういう偏見をいつのまにか持っていた自分は、それだけでも野宿者と無関係ではないと思いました。
 社会にこうした人々がいるということ、こうした問題があるということを心にとめておいてください。みなさんがそれを心にとめておき続けていれば、きっと野宿者の問題解決のための力になっていくと思います。

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