野宿者人権教育の授業実現へ向けての提言


はじめに                     
1・野宿者に対する差別・偏見、襲撃の実態     
2・考えられる要因と教育問題         
3・他の地域での取り組み例            
4・野宿者人権教育の授業実現に向けての具体的提案 
5・協力体制・ネットワーク作りに向けて  
おわりに
                     



はじめに

「野宿者ネットワーク」は、2003年9月2日に大阪市教育委員会に対して「大阪市内の学校で野宿者問題を取り上げることを求める申し入れ」を行なった。これは直接には、同年8月13日、大阪市浪速区日本橋東で、野宿者を襲撃した疑いで大阪市内の市立中学3年生を含む3人の少年が逮捕・送検されたことを受けてのものだった。
 新聞報道によれば、
「大阪府警浪速署は13日、ホームレスの男性を鉄パイプなどで殴り、軽傷を負わせたとして、大阪市内の市立中学3年の男子生徒(15)、住居不定の無職少年(15)、同(16)の計3人を、傷害容疑で逮捕・送検した、と発表した。3人は「追いかけられて、必死に逃げるスリルがおもしろくてやった」などと供述しているという。調べでは、3人は11日午前1時45分ごろ、同市浪速区日本橋東3の路上で、廃品回収業のホームレス男性(54)の背中を無言のまま鉄パイプで小突いて倒した後、腕や頭を殴打し、腕に軽い打撲傷を負わせた疑い。3人は児童養護施設で知り合った遊び仲間という。「(被害者は)被害届を出さないだろうと思い、過去にもホームレスばかり5回くらいやった」などと供述しているという。」(毎日新聞8月13日)
 野宿者ネットワークは、1995年以来、毎週土曜日、日本橋、心斎橋、難波、阿倍野など野宿者の多い地域を回る夜まわりを行なっている。事件が起こったのは、われわれが通年的に夜回りを行なっているコースにあたっている。
 この事件では、加害者の一人として「大阪市内の市立中学」の生徒が逮捕されたことから、教育委員会に対する「申し入れ」を行なった。しかし、今回逮捕され発覚した少年たちの野宿者への襲撃行為は、繰り返される襲撃の一部でしかない。われわれは夜回りの中で、野宿者への襲撃が頻繁に行われており、かつ悪質なものであることを把握してきた。
 襲撃の詳しい内容については別紙資料で触れるが、エアガン襲撃、花火の打ち込み、投石、消火器を噴霧状態で投げ込む、全身にガソリンをかけて火を放つ、殴る蹴るの暴行等々が、日本橋でんでんタウン周辺だけでもほぼ3日に1回程度の割合で起こっていた。ここ数年に日本橋を中心に繰り返された襲撃は、明らかに複数の(主に10代の少年の)グループによって行われている。目撃した野宿者の話によれば、そのほとんどは「中学・高校生ぐらい」の若者だという。2003年にも、夏休みに入ると同時に日本橋近辺で野宿者への襲撃行為が連日発生し、後頭部をいきなり棒で殴られる、花火を腕に打ち込まれる、ゴミ袋を投げ込まれるなどの被害が続いていた。被害を受けた野宿者のほとんどが、難を逃れて寝場所を他の地区に移してしまったほどである。そして、今回逮捕された少年グループ以外、逮捕された者はいない。事実、主に若者による野宿者への襲撃行為は、その後も止まっていない。今まで10数年そうだったように、野宿者問題が解決しない限り、このままであれば野宿者への襲撃はこれからも続くと考えざるをえないのである。

 各種の報道で確認されるように、日本橋、大阪に限らず、若者による野宿者への殺人を含む襲撃行為が長年にわたって全国各地で頻発している。襲撃が報道されることがきわめて稀であることを考えれば、襲撃の実態は野宿者の多い地区では「日常茶飯事」となっていると考えるべきかもしれない。
 たとえば、野宿者襲撃が日本で最初に社会問題となったのは、1983年に横浜市で起こった、14才から16才の少年10人が野宿者を次々に襲い、3人が死亡、十数人が重軽傷を負った事件だったが、この事件の後、こうした野宿者襲撃は1975年頃から横浜近辺で「常識」になっていたことが新聞社の調査によって明らかにされた。朝日新聞によると、事件後に盛り場で補導された少年少女のうち57人が「襲撃をやった」と認めた。このことは、野宿者をめぐる問題について何らかの働きかけや啓蒙・教育活動を行わない限り、襲撃行為が一部の少年少女の間に「常識」として定着してしまう、ということを示している。

 こうした頻発する野宿者への襲撃行為については、いくつかの要因が考えられる。襲撃を行なった少年たちは、「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「無能な人間を駆除するって感じ」などと言っている。こうした若者の発想が、行政や市民の野宿者への偏見・差別といった社会意識を反映したものであることは疑えない。つまり、大人が「迷惑だ」と言って野宿者を何の対策もないまま公園や駅から追い出し、こどもに「話しかけられても無視しなさい」「勉強しないとあんな人になっちゃうよ」などと教えていること自体が、野宿者を社会的孤立へ追いやり、さらには襲撃の後押しをしている。襲撃する少年たち(襲撃者には大人も少女もいますが)が抱えていると考えられる「襲撃によるストレスの発散」「他者への攻撃による自己の存在確認」といった内面的問題ももちろん重大だが、何よりも一般に浸透している野宿者への偏見・差別を解消しなければ襲撃をなくすことはできないと思われる。

 しかし、学校での野宿者問題の授業は日本全国でも数えるほどにとどまっている。大阪市内でも、(少数の学校で行なわれた例を別として)野宿者問題についての教育現場での取り組みはほとんど行なわれていない。大阪市内の児童・生徒にとって、野宿者の存在が日常のものであり、なおかつ中、高校生による襲撃が頻発していることを考えれば、こうした無策状態は社会状況に対して深刻なずれを示していると言わざるをえない。

 現在、大阪市に限らず、全国で野宿者問題への取り組みがほとんどなされていない現実には、一つには野宿者、ホームレスは結局は自業自得ではないか、という社会全体にある偏見が大きく影響していると思われる。また、教員自身が、野宿者問題について知らないし、知ろうとしても、簡単に入手できる資料などが非常に少ないために情報が得られないという事情がある。なによりも、野宿の現場との接点がないことが問題である。つまり、教育現場での野宿者問題への取り組みのためには、市教育委員会、教職員と、野宿者問題にかかわる現場の支援団体、野宿当事者が交渉を持ち、情報を交換し、可能な取り組みの方法を共に模索していく必要があると思われる。
 事実、中学、高校生による深刻な野宿者襲撃事件が起こったとき、現地の教育委員会や校長は、常に「いのちの大切さの指導」や「人権教育の徹底」ということを言うが、そのような抽象論、一般論は児童・生徒にとってはほとんど意味を持っていない。野宿者問題の現場に立った具体的な啓蒙プログラム、教育実践が必要とされているのである。
 学校で「野宿者問題の授業」が行なわれるためには、まず教員自身の野宿者問題への現状の認識が必要になるだろう。そのために、支援団体、野宿当事者、行政の担当部署などと協力し、教員の研修が継続されていく必要がある。また、学校での野宿者問題への取り組みが保護者や地域から否定されたり、それによって学校との間に軋轢を生むことは望ましくない。そのためには、保護者をはじめとする地域社会に対する野宿者問題の啓蒙を同時に進めていく必要があると思われる。
 野宿者問題に対する国、大阪府、大阪市の対策は、公的就労の実施、生活保護の適用、職業訓練などを通じての再就職といった方向を明示している。「仕事さえあればこんなところで野宿なんかしていない」という多くの野宿当事者の声を受け、地域、行政、支援団体、野宿当事者による全社会的な対策が行われるべきだが、学校での「野宿者問題の授業」はそうした流れの一つとして位置づけられるはずである。
 市立の学校で野宿者問題の授業を行なった教員の一人は、「大阪にいる限り、野宿者の問題は避けては通れない」と言っている。このことは、大阪市のすべての学校、すべてのクラスについて当然にあてはまる。野宿者問題への取り組みは、大阪の教育現場でもっとも緊急に必要とされるものの一つである。
 大阪市教育改革プログラムによれば、「人権はすべての人にとって大切でかけがえのないものです。本市ではこれまで、人間尊重の教育を基盤として、同和教育をはじめとする人権教育の深化・充実に努めてきました。(…)学校が人権尊重の雰囲気に満ちた社会のモデルとなるよう、これまでの成果をもとに人権教育を積極的に推進します」とある。大阪市自らが宣言するこの方向に沿って、野宿者問題の人権教育を積極的に推進されることを要望する。
 野宿者ネットワークは、「野宿者問題の授業」を数校で行なってきた。その授業の中で、児童・生徒たちが野宿者問題について、単なる「無視」や「軽蔑」から、「理解」と「共感」へとその反応を変えていくのを目の当たりにしてきた。われわれは、こうした実践が大阪市のすべての学校で行われることを望んでいる。
 


野宿者に対する差別・偏見、襲撃の実態


 2000年以降に報道された全国での野宿者に対する襲撃行為について、概略を別紙資料に列挙した。(資料1)
 これらの襲撃を見ると、その加害者の多くが若者であり、しかも小学生から高校生までの児童・生徒が中でもきわめて高い割合を占めていることがわかる。
 しかも、襲撃事件で報道されるものは、実態のごく一部でしかない。以下に挙げるのは、野宿者ネットワークが夜回りで把握した襲撃の実態である。目撃情報から、加害者の非常に多くが中学から高校生年代の若者であることがわかる。(資料2)
 児童・生徒の野宿者に対する偏見・差別は、もちろん襲撃行為には限られない。その背景にあるのは、野宿者に対する無知と無理解である。そして基本的には、児童・生徒の野宿者への無理解と偏見は、一般の大人たちのそれと全く同じ構造を持っている。「働こうと思えばできるのに働こうともしない」「野宿になったのは努力が足りなかったからだ」「野宿になったのは自業自得だ」「不法占拠や恐喝などの犯罪行為を繰り返している」「こどもにとって危険な存在」などなどである。
 事実、児童・生徒の間では、「ホームレス」という言葉が「からかい文句」として広く使われている。野宿者の置かれている状況や個々の事情を知らないまま、社会に広まっている「浮浪者」「失敗者」「怠け者」といったイメージだけが児童・生徒の間に浸透していることは確かなようである。



考えられる要因と教育問題


 こうした、事実からかけ離れたイメージを持つに至る要因には、親(保護者)をはじめとする大人たちの影響が大きいと思われる。児童・生徒の親は、野宿者について「話しかけられても無視しなさい」「あんな人になりたくなかったらもっと勉強しなさい」「目を合わせてはいけない」「ホームレスは働きたくないからああして寝てるんだ」などと子どもに教えることがある。周囲の大人たちによる幼少期からのこうしたすり込みがこどもに与える影響は、当然ながら非常に大きい。これに、テレビ番組などのメディアの「ホームレス」=「浮浪者」、「ホームレス」=「怠け者」というイメージ操作が加わる。若者による野宿者襲撃では、殴る・蹴るのあげく内臓破裂で死亡させる、ガソリン類を全身にかけて放火するなど、常識を越えた残虐行為がたびたび行われているが、それらは野宿者に対する上記のような強い偏見と差別なしに考えることはできない。
 しかし、若者による野宿者襲撃は、野宿者への差別・偏見だけでは語ることの出来ない要因があると思われる。事実、襲撃を行なった若者たちは、次のように語っている。
○「骨が折れるとき、ボキッと音がした。それを聞くとスカッとした」「やつらは抵抗しないから、ケンカの訓練にもってこいだった」「抵抗するのがいたら、それはそれでおもしろかった」
○「殴ることもそうですけど、殴ることだけではなくて、みんなで殴るのがストレス発散になると思うんですね。テストの点数がどうとか、成績についてどうとか言われるのが、まあ、ストレスと言えばストレスですね」「でもやっぱり親には反論というか、殴ったりもできないし、それをすると自分にとってもマイナスになるし、それを考えると、ホームレスなら殴られても構わないかなとも思います。無能な人間を、なにもしない人間を駆除する、掃除するって感じになりますけどね」「何かをしなければ生きる価値ないし、何もしなくてホームレスになったっていうのはほんとに価値がないことだとぼくは思います」。
○「ホームレスは臭くて汚く社会の役に立たない存在」「格闘技ゲームの技を試し、日頃の憂さをはらしたかった」
○「ストレス解消のためにやった。社会のゴミを退治するという感覚だった」
 こうした発言から読みとれることの一つは、「野宿者への差別・偏見」とともに、「ストレスの発散」である。たとえば「何かをしなければ生きる価値がない」というセリフは、むしろ彼自身が学校や家庭でさんざん言われてきたことであったのかもしれない。いい成績をとることが、そのまま学校、家庭、友達関係といったあらゆる場面での優位を保証するとすれば、一生懸命勉強して、成績に関して有能な人間であるための努力を続けることを余儀なくされる。そうしなければ、精神的な意味での自分の居場所がなくなるからだ。まさに心理的に「駆除」され「掃除」されることになる。学校を中心にした狭い世界の中では有形、無形のこうした「何かをしなければ生きる価値はない」という圧力が日々かかり続けている。
 もちろん、児童・生徒はこんな価値観を本気で信じているとは思われない。だが、そうした価値観を身をもって生きてしまう児童・生徒にとっては、「無能な人間は駆除される」という圧力は、彼らの心身を日々圧迫し続けることになる。その結果、彼ら彼女らはその価値観、「何かをしなければ生きる価値ない」という無言の圧力を他者に向け、その言葉を文字通りに実行してストレスを解消してしまうのかもしれない。そして、若者たちはそのストレスのはけ口を求めて弱者を狙う。つまり、路上で無防備に寝ざるをえず、他の社会から疎外されている「社会的弱者」を標的に選ぶのである。
 しかし、「野宿者への偏見」と「社会生活でのストレス」というなら、それは社会のほとんどの人にあてはまってしまうだろう。「社会一般の野宿者への偏見」は当然誰もが持っているし、「社会生活でのストレス」もおそらく多くの人たちが抱えている。だとすれば、社会全体に共通するこのような要因だけでは、児童・生徒による野宿者襲撃は説明がつかない。
 考えられる一つの要因は、上で触れたことだが、幼少期から野宿者への偏見をすりこまれたことによる「共感の完全欠如」である。児童・生徒は幼いときから大人たちに野宿者への偏見を教え込まれている。さらに、児童・生徒は、大人たちが「迷惑」という理由で行き先のない野宿者を商店街や駅から追い出し、公園の「整備」や町内の「環境保全」といった理由で野宿者を「排除」する様子を見聞きしている。こういう有様を生まれた時から経験しているこどもたちが、野宿者を「自分たちとはカテゴリーのちがう存在」「共感する必要のない低位の人間」と判断したとしても不思議ではない。その意味では、児童・生徒が野宿者に対して行なう残虐な襲撃行為は、かつて日本人が戦争期にアジアの人々に対して行なった残虐行為と類比して考えられるのかもしれない。
 そして、考え得るもう一つの要因は、「他者への攻撃による自己の存在確認」というべきものである。最高裁の調査によると、集団で凶悪事件を起こした少年の多くには共通した傾向が見られたという。親からのしっ責や圧力、過剰な期待のため常に緊張していたり、自分に自信が持てず過度に仲間に同調する、いじめられ体験といじめ体験の両方がある、学業不振などで学校生活に敗北感や疎外感を抱いている、など。
 こうした「自己の存在の不確実感」あるいは「居場所のなさ」は、「集団で凶悪事件を起こした少年」に限らず、多くの児童・生徒に共有されているものかもしれない。たとえば「いじめ(学校内虐待)」は、「仲間関係への過剰適応による自己の存在確認」と「他者への攻撃による自己の存在確認」が対になって生み出される行為であると言える。そして、若者による「集団の力による弱者への暴行」という点で、「いじめ」と野宿者襲撃とは共通の性質を持っている。
 学校では、「自分と同じような、長所も欠点も持った人間」であることをわきまえた上で、場合によっては死に至るような深刻な「いじめ」が度々行なわれる。これと同じ事が野宿者襲撃についても言い得るかもしれない。つまり、野宿者が現実にはどういう人たちかということを児童・生徒が認識したとしても、「いじめ」と全く同様に、襲撃を行なう若者はやはり存在し続けるかもしれない。
 したがって、問題は事実の啓蒙であると同時に、「仲間関係への過剰適応」や「他者への攻撃」といった形ではない、別の形による「自己の存在確認」あるいは「居場所の確保」である。そしてそれは、教育現場固有の問題であると同時に、若者と野宿者との関係において問い直されるべき問題である。「野宿者問題の授業」では、野宿者の置かれている問題について児童・生徒が知識を学び、解決策を考えていくことと同時に、自分たちと野宿者が共に生きているこの社会にどのように目を向けていくべきか、野宿者問題を生み出す社会のありようと自分たちとの関わりとどのようなものであるのかということが問われなければならない。単なる「知識」の問題ではなく、野宿者問題という現実から見た「社会と自分たちの関係」こそが問われるべきである。それは、同時に「社会の中での自分たちの存在とは何か」「自分たちがいるべき居場所とは何か」という問題でもある。
 若者による野宿者襲撃とは「若者と野宿者との最悪の出会い」だと言えるだろう。それは、別の形の「出会い」に転換されなければならない。そして、野宿者襲撃の問題から浮かび上がる若者の内面的・構造的な問題が複雑で深刻であるだけ、「出会いの転換」から児童・生徒が得る価値は大きいはずである。




他の地域での取り組み例


 全国でも、学校で野宿者問題が取り扱われる例は数えるほどにとどまっているようである。
私学、特にキリスト教系の学校では、釜ヶ崎研修などの形で、以前から野宿者問題への継続的な関わりが行われている例がいくつかある。「野宿者問題の授業」という形では、大阪YMCA国際専門学校・国際高等課程(高校にあたる)で、100分×13回の連続授業が2001年に行なわれた。これは、体系的な授業としては日本で最初の試みだった。また、きのくに国際高等専修学校(高校にあたる)の「社会的弱者を考える」クラスのように、半年間にわたって野宿者問題などを学習し、釜ヶ崎に2泊3日の研修に来るという例もある。
 公立学校では、近年の野宿者問題の深刻化を受けて、個々の学校や教室で熱心な教師による取り組みがたびたび行なわれている。その中では、静岡大付属中学で10時間ほどの枠を使って野宿者問題を扱った例がある。また、大阪府立西淀川高校で2002年に50分×4回の授業が行なわれている。
 しかし、教育委員会レベルでの取り組みは、川崎市の例が唯一のようである。

 川崎市では野宿生活者への偏見と差別をなくすための市教育委員会による取り組みとして、
A) 教職員向け「啓発冊子」作成(2回)。
B) 冊子の市内の180校全部(市立の幼稚園、小・中学校、及び市立と県立の高校)への配布と学校への市教委の指導。
C) 人権教育推進委員会設置と各学校に人権推進教育担当教員を任命。その核の1つとして「野宿生活者問題」を位置づけ。
D) 「襲撃防止ホットライン」(24時間365日電話)設置
が行われている。
 その他にも、路上訪問を含めた学校での授業、「川崎市子ども会議」での討論 、「地域教育会議」での討論、幾つかの学校での生徒会討論、教職員研修で川崎水曜パトロールの会による研修、学校の授業での川崎水曜パトロールの会による講演などが実施されている。
 1995年当時、川崎でも襲撃が多発し、川崎市教委は、野宿者支援団体である「川崎水曜パトロール」との交渉を重ねたのち、上のような野宿者襲撃対策に本腰をあげることになった。
 野宿者・人権資料センター発行「センターニュース3号」より引用すると、
(交渉の)当初、市教委は「人権教育をしている」「学校に指導した」「警察に警戒強化を頼む」などの発言を繰り返していた。野宿の仲間による襲撃証拠の提示と証言や、「今日、明日できることをやれ」の一点を譲らず、交渉当日夜のパトロールへの参加、当日と翌日の緊急対策会議を決定させた。その夜パトロールに同行した市教委に、野宿の仲間たちは襲撃の状況と恐怖と怒りを丁寧に説明。市教委は「野宿者一般」が襲われているのではなく、高齢・病弱・障害をもつ人やひっそりと野宿している人が襲撃対象になっていることを確認し、そこに「いじめの構造」と同質の陰鬱なものを発見する。市教委が野宿者襲撃対策に本腰をあげた理由もそこにあり、襲撃をなくすための「啓発冊子」作成と学校での授業開始につながっていく。
 現在は、野宿者の多い2行政区の小・中・高校全てで年1回は「野宿者差別をなくす」授業が行われている。中には年6回のシリーズや、子どもたちが野宿者を直接訪ねるものもある。
 川崎では、こうした教育現場での取り組みの結果、野宿者への襲撃がそれまでの半分以下にまで激減したと報告されている。

最近では、毎日新聞2003年12月28日によると、
「川崎市教育委員会がホームレス問題について考える教員向けの指導資料を作成し、来年1月に全市立学校に配布することになった。川崎市でホームレス男性に暴行を加えた小学6年〜高校2年の10人が逮捕・補導された事件から2カ月たつが、指導資料は「暴力の背景には偏見があり、偏見や差別を持たせているのは大人。自分自身が偏見を抱いていないか反省する必要がある」と教職員に求めている。
 資料は市教委が現場の教師やホームレス支援団体と意見交換して作成した。素案段階で21ページの冊子で、これまでの市教委の取り組み、学校での指導法など五つの項目に分かれている。事件後の課題として「基本的人権の尊重」「深夜に出歩かない基本的な生活習慣」「短絡的な行動を防ぐ自尊感情の育成」といった点を挙げ、ホームレスの人数や経済状態などの研究内容も紹介している。
 指導例では、子供たちに議論させる中で「働きたくても働けない人がいる」「野宿する人の気持ちもわかるけど、公園にいるのは怖い」といった子供たちの反応も想定。公園でホームレスに出会った場合などと結びつけ、子供が自分自身の問題として受け止められるように議論を助けるよう教師に求めている。また、「段ボールで家をつくりホームレスのまねをして遊ぶ子供を見たらどうするか」など、教師の認識を問う質問もある。
 市教委指導課は「明確な答えや、一律の対応を示すつもりはない。教師と子供が野宿生活者を一人の人間として尊重するために一緒に考えるきっかけを作りたい」と話している。」




野宿者人権教育の授業実現に向けての具体的提案


 「野宿者人権教育の授業」実現に向けたプロセスを、下に掲載のフローチャートに示した。以下に概要を説く。

(1)「野宿者人権教育推進プロジェクト・チーム」のたちあげ
 大阪市教育委員会内に、大阪市立小学校・中学校での「野宿者人権教育の授業」を実現させるための推進機関としての母体「野宿者人権教育推進プロジェクト・チーム」(仮称、以下「プロジェクト・チーム」)をたちあげる。
 このプロジェクト・チームは、社会的に蔓延する野宿者に対する差別・偏見から教職員・児童・生徒を開放し、もって野宿者問題に対する正しい認識を学校教育のなかで培うために、以下の役割を担う。
 @教職員研修。
 A児童・生徒への教育実施の実現に向けた立案。
 B関係機関との協議ならびに連絡調整。
 野宿者に対する差別・偏見によって顕在化する「野宿者への襲撃」は、近年、ますます増加し、野宿者の生命をも奪うまでに事態は悪化している。しかも、マスコミ報道を通じてさえ、中・高校生が加害者となる事態が頻発化している現状から、大阪市教育委員会とその内部に設けられるプロジェクト・チームの責任と役割は、極めて重い。
 なお、昨今の「野宿者への襲撃」の全国的な多発状況を直視する時、児童・生徒個々人に対する「生活指導」や啓発の域を越えた教育、すなわち、野宿者問題に対する正しい認識を培い、考察していく教育こそがのぞまれている。
 しかし残念ながら、野宿者問題に対する社会的認識はいまだ浅く、まして、教育現場における実践は、極めて稀有という実情にある。こうした状況は、最大の野宿者数を数える大阪市においても同様であり、市教育委員会においても、野宿者間題の深刻化について十分な理解を育んでいるとは言いがたい。よって、教育委員会内に設けられるプロジェクト・チームにあっても、市の「ホームレス対策」担当各部署との連絡・情報交換などが緊要に問われるが、現状においては、野宿者問題を専門に取り組んでいる各支援団体や諸機関との緊密な連携を築くことなくしては、野宿者問題に対する正しい認識を学校教育の中で培っていくことは困難である。
 このことから、プロジェクト・チームが、野宿者支援団体との協力体制を築き、十分な意見交換を必要不可欠とすることは自明である。

(2)教職員研修
 野宿者に対する差別・偏見は、社会的にも極めて根強い。そうした偏見は、ひとえに、野宿を余儀なくされる労働者を「働く意思をもたない者」あるいは「人生の落後者」などと一方的に決めつけ、自己あるいは自己の生活空間から排斥することによってもたらされる。野宿者に対する襲撃事件にたずさわった少年たちが「ホームレスは人間のくず」「殺しても構わない」と平然と言い放つ現状は、まさにこうした社会状況を反映するものである。
 教職員といえど、この社会的な野宿者に対する偏見から決して自由ではあり得ない。
 また、「基本的人権の尊重」という立場にたって、教育の場に身を置く者が、日本国憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権、これは小学校6年で学ぶ内容である)を文言としては承知していても、「ではなぜ生存権が保障される社会にあってホームレスが急増してきたのか」という児童・生徒の発問に、どこまで回答できるのかという疑問は残る。
 児童・生徒が、野宿者を一人一人の人格をもった人としてしっかりと認識できるようにするためには、なによりもそれを指導する教職員自身が、野宿者が生み出されてくる社会的な背景を認識し、あわせて野宿者の現状を認識するとともに、野宿者一人一人に当たり前のことながら各々の人生があり、生きざまがあることを、しっかりと見据えることが必要であろう。この視点を獲得することができれば、野宿者問題は一律に対応できる問題ではなく、児童・生徒とともに考えあっていくという方向性が明らかになる。
 以上の観点から、教職員研修について、以下の提案を行なう。
@教職員の釜ヶ崎研修
 あいりん労働福祉センターなどを視察。野宿者の現状認識のために。
A「夜回り」への参加
 支援団体の「夜回り」活動に参加。野宿の厳しい現状の認識ならびに野宿者襲撃の実態認識のために
B各校人権推進担当教員の研修
 支援団体による講習ならびに野宿当事者や経験者の講演。
C野宿当事者からの聞き取り・フィールドワーク
 野宿者が多数居住する公園などで支援団体が開催する交流会などに参加。ただし、野宿者問題の認識をある程度育んだ後に。
D教職員向け冊子の作成と各校への配布
 『冊子』には、以下の内容が必須である。
 ・寄せ場(釜ヶ崎)と日雇労働。寄せ場労働者の野宿化。
 ・バブル景気崩壊後の野宿者の拡大(若者層や女性の野宿者の増加)。
 ・全国と大阪府・市の野宿者の概要。
 ・行政(国政・大阪府・大阪市・他都市)の野宿者対策。
 ・野宿者の現状(空き缶集めや段ボール集めなどの労働、健康状態など)。
 ・野宿者に対する襲撃事件。
 ・支援団体の活動。など。

(3)児童・生徒アンケートの実施
 実際に、児童・生徒が野宿者に対して、どのように感じているのかを、把握するための調査である。
 野宿者問題の現実を、正しく認識することを目的とした「野宿者人権教育の授業」は、同時に、児童・生徒たちの野宿者に対する意識を真正面からうけとめることを必要ともしている。
 本来、こうしたアンケートは、「野宿者人権教育の授業」とともに並行して行われることが望ましく、また「野宿者人権教育の授業」の経過とともに生徒たちの意識の変化が、生徒自らの筆記によってアンケートに明記されることを、これまでの「授業」の実践から私たちは教えられてきた。
 アンケートは、教職員研修の場にも反映される。また、支援団体との協議によって、その分析も必要となるものである。アンケートの具体例は、資料3を参照。

(4) 「野宿者人権教育協議会」の設立からモデル校の指定と「授業」実施
 プロジェクト・チームの推進のもとに進められる教職員研修・生徒アンケートを踏まえて、教育委員会・教職員団体・支援団体と野宿当事者・関係機関(野宿者問題に取り組む学識経験者、教育関係者、福祉関係者、地域関係者など)による「野宿者人権教育協議会」(仮称、以下「協議会」)を設立する。
 プロジェクト・チームは、この協議会の事務局機能を担う。協議会は、「野宿者人権教育の授業」実現のための社会的合意形成を果たす。
 このもとで、モデル授業の立案(指導案の作成)、モデル地域の選定を行なう。モデル地域の選定にあたっては、特に野宿者が多い西成区などを候補とする。
 また、協議会は、モデル授業を総括し、大阪市内全域での公立小・中学校での「野宿者人権教育の授業」実現を図る。

(5)保護者向け冊子の発行
 児童・生徒の保護者に対しても、「野宿者人権教育の授業」の理解を求めるための冊子を発行し、全保護者に配布する。

(6)支援団体(野宿者ネットワークなど)の役割と現場からの協力
 支援団体は、プロジェクト・チームと定期的な協議を行ない、野宿者支援運動の中で育んだ経験から適切な助言・意見を行なう。また、プロジェクト・チームのもとで推進される「野宿者人権教育の授業」実現に向けて、教職員研修などにあたっては、以下の協力を行なう。
 @プロジェクト・チームとの連絡協議。
 A教職員研修にあたっては、以下の協力を果たす。
  ・釜ヶ崎研修にあたっての現地案内。
  ・「夜回り」活動にあたっての案内。
  ・人権推進担当教員の研修にあたっての講習。
  ・人権推進担当教員の研修にあたっての野宿当事者ならびに経験者の紹介。
  ・フィールドワークにあたっての公園交流会などへの案内。
 B児童・生徒アンケート分析への参加
 C教職員向け冊子ならびに保護者向け冊子への助言
 D協議会への参加



「野宿者人権教育の授業」実現に向けたフローチャート

協力体制・ネットワーク作りに向けて


(1)「野宿者人権教育」に対する社会的支援の必要性
 野宿者に対する偏見は社会全体に広く流布されているものであり、教育現場も例外とはいえない。児童・生徒や教員が「野宿者人権教育」を通じて野宿者に対する偏見を克服したとしても、この社会には依然として根強い偏見が存在しているのが現実である。今度は児童・生徒や教員たち自身が、周囲の偏見と自己の良心との相克に悩まされるであろうことは想像に難くない。
 このような問題を解決していくためには、教育現場外からの社会的協力も必要になる。

(2)「野宿者人権教育」実践において予想される問題点と必要な支援
 「野宿者人権教育」を実践しようとする教員は、様々な困難にさらされるであろう。例えば、他教員や保護者から「受験に必要ない」「時間の無駄」などと批判されることや、授業を進めていく上での負担増などである。教員が現場で抱える悩みを汲み上げ、熱意ある教員を支援する体制が必要である。同時に、教育問題関係者に課題として取り組んでもらうことも必要である。
 これまで何らかの形で野宿者とのふれあいを経験してきた、あるいは学校教育などを通じて野宿問題に関心を抱いた児童・生徒たちは、かれらの周囲で偏見が根強く残存しているならば、孤独感に苛まれるであろう。かれらが孤立しないよう、そして学校卒業後も継続して野宿問題との関わりを持てるよう、教育現場、地域社会、野宿者支援団体どうしが連携して支援していく体制も不可欠である。なにより重要なのは、保護者、地域社会に対しても啓発活動を行ない、「野宿者人権教育」の意義を理解してもらうことである。
 また、野宿者に対する偏見は、他の社会問題や差別問題を総体的に捉えながら解消されなければならない。そのためには、他の差別問題に取り組んでいる人権団体などからも助言や支援を受ける必要がある。

(3)協力体制の全体像
(2)で述べてきたような問題に対処していくための協力体制は、野宿者側(野宿当事者や支援団体)と教育現場側(教員と児童生徒)の相互関係が、後述するような様々な人々に支えられていくものとして、思い描かれている。
まず、「野宿者人権教育」を実践する教員を支援するものとして、様々な教職員組織や教育学関係者があげられる。野宿問題に関心を持つ児童・生徒を支援するためには、児童・生徒のエンパワメントに取組んでいる非営利団体の参加が必要であろう。私立学校の教員の参加も積極的に受け入れるべきであろう。各地域で、野宿者も含めながら「まちづくり」を試みている団体には、地域の児童・生徒との関わりを深めるための活動や、保護者対象の啓発活動などへの参加という形で、協力を依頼すべきであろう。また、障害者、在日外国人、部落解放団体などの人権団体との関係作りもすすめ、児童・生徒たちが、野宿問題を端緒として他の社会問題にも関心を持てるようにする必要がある。
 最後に、以上のような協力体制・ネットワーク作りを進めていくためには、教育行政の適切な支援が欠かせないことは言うまでもない。

図:「野宿者人権教育」のための協力体制のイメージ





おわりに

 現在、釜ヶ崎では、野宿者の支援団体が、就労面、医療面、介護、生活支援・・など様々な支援活動を行っている。われわれ野宿者ネットワークも、その一支援団体として、これまで、公園でテントなどによって野宿生活を強いられる労働者の支援活動、また、あしかけ7年にわたる釜ヶ崎周辺の夜まわり活動などを行なってきた。この活動の中で、野宿者への差別偏見の現場、また、度重なる野宿者への襲撃の実態を数多く把握し、何とかしなければならないとの問題意識と、とり組みの緊急性を感じてきた。
 とりわけ、野宿者襲撃は、中高生などの若者に多い現状があり、したがって、学校教育現場でもこの問題を取り上げ、野宿者問題への正しい認識を持ってもらう必要があると考え、昨年9月に大阪市教育委員会への話し合いの申し入れを行った。
野宿者問題の解決は、困難で長期を要する問題である。
 2002年8月に成立した「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」にのっとり、大阪市も「計画素案」の中で対策を打ち出してきている。その中では、就労機会の確保 安定した居住の場所の確保、など10項目にわたって課題へのとり組みが打ち出されている。とりわけ、就労機会の確保はその重要な柱であろう。また、就労保障の他に、居住・生活保護の問題など、野宿者が野宿状態から脱出していけるよう様々な選択肢が必要であろう。
 この、提言の中であげた、野宿者への差別襲撃の実態、その背景、野宿者人権教育の授業実現に向けての具体的提案、協力体制の提案などが、市教育委員会でよく検討され、できるだけ早い機会に、野宿者問題が学校教育の場で取り上げられるよう望む。 


野宿者ネットワーク 代表 穴澤一良   2004年2月26日




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