野宿労働者への襲撃を許さない!

天王寺での殺害事件 

 大阪・天王寺で、野宿労働者の小林俊春さんが、若者4人に襲撃され殺害された事件から、三ヶ月が経過した。
 あらためて、この事件をふり返る。
 小林さん、無念追悼!


天王寺の小林さん殺害事件の経過

 小林俊春さん。67歳。広島県の福山市出身。釜ヶ崎で長い間、仕事を求めてきた仲間のようだ。
 小林俊春さんが襲撃され殺害された現場は、大阪市天王寺区の天王寺駅前商店街。JR天王寺駅から谷町筋を四天王寺へと向かう商店街のアーケードの中ほどにある東海銀行前。小林さんは、この場に、およそ1ヵ月程前から夜間だけダンボールハウスをつくり野宿をしていたという。
 事件発生は、7月22日午前4時ごろ。襲撃グループの4人(20歳の若者1人と3人の高校生)は、自転車を用いて移動しながら、この夜だけで6件におよぶ襲撃事件を繰り返していた。
 小林さんのダンボールハウスに自転車を突っ込ませて小林さんを路肩まで引きずり出し、集団で殴るけるの暴行を加えて逃走した。同じ東海銀行前で野宿する仲間が気付いた時には、すでに小林さんが路肩で暴行を受けている最中で、襲撃者がおよそ4人であることを認識するのがやっとの状態であったという。
 暴行を受けた直後、小林さんは自力で自分のダンボールハウスまで戻り、仲間に「痛い痛い」と訴えた。仲間が通行人に頼んで携帯電話で通報。しかし救急車が到着した時点では、すでに息を引き取っていたようだ。死因は、すい臓破裂による出血性ショック死。
 8月1日、襲撃グループの4人が逮捕され、以降マスコミを通じて、以下のような襲撃グループの実態が浮き彫りになった。
 このグループは、野宿労働者襲繋の常習者で、「こじき狩り」と称する襲繋を今年はじめから繰り返し行っていた。4人以外にも襲撃に加わっていたゲームセンター仲間が十数人いると報道されている。連中は、「ホームレスは臭くて汚く社会の役にたたない存在」「格闘技ゲームの技を試し、日ごろの憂さを晴らしたかった」と「供述」しており、事件当夜も未明までゲームセンターで過ごした後に、「狩りにいこう」「ノックアウトするまでやってやろう」と誘い合い、コンビニで襲撃目的の花火を買い、酒で勢いをつけて6件の襲撃事件を起こすにいたった。天王寺での襲撃の1時間前には、同じ区内の寺田町公園で野宿する71歳の労働者のテントに爆竹を投げこみ、驚いてテントから飛び出した労働者に暴行を加え、さらにビニールひもで首を絞めるという襲撃を行っており、野宿労働者から数千円の現金まで奪い取っていた。
 襲撃者4入は、当夜の襲撃事件6件のうち天王寺の小林さん殺害事件(傷害致死)他1件(傷害)の計2件の容疑で、20歳の男が起訴、3人の高校生が家裁送致された。

 ネットワークの事件後の対応

 事件当日の7月22日は、土曜日。野宿者ネットワークが毎週行っている「夜回り」の曜日だ。この日、夕方から、日本橋東側の高速下での大阪市建設局中央工営所による「追い出し」をさせないために野宿する仲間と話し合いを行っていたネットワークは、テレビ報道そして夕刊各紙での報道によって天王寺での事件を知り、当日の「夜回り」を天王寺へと一本化した。そして東海銀行前での情報収集から今後の方針を決めていく。
 翌7月23日午前中、事件現場に、小林さん(この段階では小林さんの姓名は分かっていなかった)を追悼し、また事件の目撃情報の提供を訴える立て看板を設置した。
 さらに、釜ヶ崎反失連など釜ヶ崎で運動する諸団体に呼びかけ、現場での追悼集会を開くことを確認、合わせて、日本橋でんでんタウンなどで頻発する野宿労働者襲撃事件の実情を社会的にも訴える準備に入っていった。
 8月2日の午後にもたれた現場追悼集会には、センターに結集した釜ヶ崎の仲間が徒歩で隊列を組んで参加、また西成公園の藤井さんや大阪城公園で野宿する仲間、日本橋で野宿している仲間がネットワークのビラで追悼集会のことを知り現場に駆けつけてくれた。殺害現場に設けられた祭壇には、道行く通行人も線香をたむけてくれた。
 この追悼集会に先立って、野宿者ネットワークがマスコミ各社に記者会見を開き、公表した『資料』が、本稿の末尾に添付したものだ。
 野宿者ネットワークでは、今回の天王寺における小林さん襲撃殺害事件は、悪質化し増加の一途をたどる野宿労働者襲撃事件の昨今の状況下において、いわば起こるべくして起こるにいたった事態ととらえる。野宿を強いられる労働者が、日常的にも襲撃にさらされ、常に生命の危機にたたされている現実を社会的に訴えるために、急きょ作成した『資料』が、これである。
 同『資料』は、2000年3月から7月までの5ヵ月間に、野宿者ネットワークの夜回り時間帯(およそ午後8時から10時の間)に、野宿する仲間から聞き取ったもので、浪速区日本橋の電器商店屋街であるでんでんタウンの西側エリアから中央区難波千日前の道具屋筋まで、南北でおよそ900メートル、東西でおよそ300メートルの極めて狭い地域で発生した44件の襲撃事件をまとめたものだ。単純換算すれば、およそ3日に一度の割合で、野宿労働者の生命身体への直接攻撃を伴う襲撃事件が発生している勘定となる。
 内訳は、放火事件が6件、エアガンを用いた襲撃が10件、花火を用いた襲撃が13件、木刀などによる襲撃が3件、消火器の噴射による襲撃が4件、その他生卵などを用いた襲撃が8件。
 もとよりこれは、野宿者ネットワークが把握できた一部の襲撃事実でしかなく、実数はこの件数をはるかに上回ることが想定される。

天王寺の事件後の襲撃事件の状況

 8月2日の追悼集会の模様は、マスコミで大きく報じられた。
 また、NHK、毎日新聞、共同通信などから、野宿者ネットワークの夜回りへの同行取材の申し入れもあいついだ。
 その結果、夏休み期間から9月中旬まで頻発する襲撃事件が、例年に比べて若千だが減少したようだ。野宿者ネットワークの第3回総会において、野宿労働者への襲撃事件に対しては、社会問題化をはかっていくという「対処」策を方針化したが、小林さんの尊い生命を犠牲とした結果の社会問題化という事態について、断腸のおもいと言わざるを得ない。
 だが、それもつかの間、例年であればむしろ減少傾向に入る9月中下旬から襲撃事件は再び増加傾向にある。襲撃グループは、複数。しかもこの連中は、明らかに小林さんの事件後は一定なりをひそめ、時期を見て再び襲撃行動に移ってきたことがうかがえるという悪質きわまりない状況である。
 95年のナンバ・戎橋の藤本彰男さんの道頓堀川での溺死による虐殺以降、事態はますます悪化していると言わざるを得ない。全国各地で発生している野宿労働者襲撃事件に怒りをつのらせる現在だ。          

(文責・西)