頻発する野宿労働者への襲撃事件           2000年8月2日

 野宿者ネットワークは、3年前より毎週土曜日、釜ヶ崎周辺(浪速区の日本橋でんでんタウン周辺、阿倍野・天王寺、心斎橋)を夜回りしているが、その中で数々の野宿労働者への襲撃事件を、聞き出してきました。
以下は、その事実です。


【1】野宿労働者襲撃事件の特徴

・襲撃事件頻発の時期 
 3月上旬から、春休み期間、5月連休時までに頻発。
 7月から9月期の夏休み期間に頻発。

・襲撃者の年齢 
 中学生のグループから20歳代の若者まで。
 ただしサラリーマン風の者の襲撃もあり、というように幅広い。
 若者による襲撃が多数を占めると考えられるが、決して若年層のみに限定できない。

・襲撃の様態
 車両を用いたものでは、圧倒的に花火・エアガンによる襲撃が多い。
 中には、車から降りてきて木刀で殴られた労働者もいる。
 なお、エアガンの弾は、プラスチック弾とは限らず、金属製の弾も用いられており、ダンボールを貫通する。               
 他に、自転車を用いた木刀・鉄パイプ襲撃。ロケット花火の発射、煙幕玉の投てき、消火器の噴射、生卵の投てきなど多様。
 特に、ダンボールヘの放火などの悪質なものも目立つ。(放火事件の場合、まさに気付くのに遅れたなら生死にかかわる事態の発 生が予測される。また、消防署・警察署への通報も頻繁化していると考えられる。)
 通行中のダンボールの蹴り込み、火のついたたばこの投げこみ、空き缶の投げこみなどは日常茶飯事。

【2】襲撃事件の具体的情報
 以下のリストアップは、野宿者ネットワークの「夜回り」エリアの一部である浪速区の日本橋でんでんタウン(堺筋)西側エリアおよび 中央区難波千日前の道具屋筋で、2000年3月から7月までの5か月間に発生した襲撃事件の一覧である。
 同区域は、およそ南北に900m、東西に300m四方のエリアであり、これほど狭い区域で5か月間に、のべ44件の襲撃事件情報が野 宿者ネットワークに寄せられるほどの事態が発生している。

 44件の襲撃事件の内訳は、以下のとおり。
 放火事件6件、エアガンを用いた襲撃10件、花火を用いた襲撃13件、木刀での襲撃3件、消火器の噴射4件、その他8件。
 また、以下の文章中の「表通り」とは堺筋に面した西側アーケード街を指し、「裏通り」とは堺筋より西側に入った区域を指す。


3月2日、午前4時ごろ
表通り、白い乗用車(20歳ぐらいの着者4人乗り)からエアガンを発射される。

3月4日、時間不明
表通り、中川ムセン前、エアガン襲撃。

3月6日、午前4時
表通り、中川ムセン前、エアガン襲撃。

3月12日、午前3時
道具屋筋の相互商会前で放火。ダンボールに火をつけられる。

3月13日、午前0時ごろ
道具屋筋の商店「地野」のむかいでダンボールに火をつけられる。本人が気付き消火。

3月13日、午前4時30分ごろ
表通り、ジョーシン5番館前、黒のワゴン車(ナンバーは「せ35-67」)から20歳前後の若者2名が降りてきて30センチほどの木の棒で左足の太ももと頭を殴られる(被害者のSさんは小便のため路肩の排水溝のところに立っていた)。付近で野宿する労働者が救急に連絡、杏林病院に搬送。警察も救急からの連絡で着、事情説明。

3月14日、午前0時
道具屋筋の商店「平野屋」でダンボールに放火。

3月14日、午前0時過ぎ
道具屋筋の商店「北野」でダンボールに放火。「地野」2階に住む住民が気付き消火。
道具屋筋での放火は3日連続4件。

3月18日、午前4時ごろ
表通り、中川ムセン前か?、白い乗用車(20歳:ぐらいの若者4人乗り)がエアガン襲撃。

3月中旬(4月1日から2週間ほど前)
表通り、ソフマップ前。ダンボールで寝ていたら声と音が聞こえた。女性の声で「そんなに離れていたらあたらない」、直後にパンパンパンと発砲音。朝起きたらエアガンの弾がダンボールの中にこぼれていた。

3月21日、午前1時23分
道具屋筋、赤い車(4人乗り)からエアガン(散弾状の発砲)と生卵による襲撃。被害
者のMさんは2発を被弾。弾丸はプラスチック。ネットワークで弾丸と卵の殻を保管。

3月21日、午前2時
道具屋筋、バイク2台が通過中に上記のMさんに火のついたタバコを投げつける。

3月23日or24日
表通り、中川ムセン前、軽の四輪から革靴を投げこまれる。

3月23日、午前3時15分
裏通り、瀬川電機前、2入組に大型の消火器を噴射される。被害者はKさん。

3月下旬(4月1日から4〜5日前)、午前2〜3時の間
表通り、サウンド寺下前、乗用車からエアガン5〜6発の襲撃。発砲時、襲撃者は「ニタァ〜と笑いながら」の襲撃。

4月2日、午前2〜3時
日本橋「でんでんタウン」、自転車6台(各二人乗りで計10名くらい)で北から南へ西側を南下。ダンボールを棒状のもの(木刀のようなもの、鉄のパイプの両方を用いていたと判断される)でつきまくりながら。中学生くらい?
→さらに「でんでんタウン」東側を北上、東側の方が被害大。

4月13日、午前1時30分
南海線ガード下(関谷町公園の南西)の北側で消火器の噴射。同所の南側でも2週間ほど前に消火器噴射の襲撃あり。3月23日の件を含め直近で3件目。

4月14日、午前0時35分
裏通り、瀬川電機前のKさん。乗用車(小型・黄色っぽく見えた・ダットサン?・3人乗り込み・ナンバーは「1863」)から花火を投げこまれ左目下にあたる。気付いて起き上がったところ、車両からエアガンを構えているところ。発砲はせずに逃走。浪速署にすぐ行き訴えるが「気の毒だが面白半分でやっている」という対応で被害届などの調書も作成せず。→同日、同車両と思われる車からのエアガン襲撃が「でんでんタウン」東側で発生。
なお襲撃車両である軽の「1863」は、99年8月27日に「でんでんタウン」表通り西側で発生した花火襲撃事件の車両である。当時の報告は、白色の軽(この車両は、黄よりも白と認識される常習襲撃車両)。

4月中旬
阪神高速下、ダンボールハウスを棒状のもので突かれ穴。

4月20日、午前1時30分
表通り、マルキン家具の前でダンボールを囲っているTさん。ダンボールに設けた空気穴から「火のついたもの」(タバコではない)を投げこまれ手で消す。近くのコンビニから水をもらい消火。コンビニが通報し警察も来る。左手に火傷。水泡が破れ化膿。

5月4日、午前2時
日本橋「でんでんタウン」東側のJ&P前で寝ていた二入に、黒い神戸ナンバーの車から花火2発が投げこまれる。内1発は太ももに命中。もう一人の労働者がラジェットを投げて反撃、車両に命中するも逃走される。

5月5日、午前1時
日本橋「でんでんタウン」東側で、白いクラウン(ナンバー「9610」)が軒並み連続で7〜8人の仲間に花火を投げつける。(上記の前日の件と関連か一このように車両を走らせながら連続して花火を投げこむ難形態は珍しい。前日の反撃に対する報復とも考えられる。)

5月9日、午前3時20分〜30分
道具屋筋、ネズミ色の軽四(乗車は4人、20歳ぐらい)から、通過中に10発ぐらいの花火が連続して投げられる。襲撃車両は、一度下見のために道具屋筋を通過、不審に思った労働盾が注意していた。

5月6日にネットワークが「でんでんタウン」で「襲撃事件」を訴える街頭ビラまき。
以降、西側では、襲撃事件が一時鎮静化。

5月22日、午前4時
マイクロパス2台(白色とネズミ色)が通過し、1台から煙幕玉(花火ではなく紫色の煙が出る)が投げられる。寝ている足下に落下、靴や地面に紫色の色素が付着するほど。通行人が火事と思い通報。消防車2〜3台、近くの交番から自転車で警察官2名が来る。

6月2日、午後11時50分
道具屋筋のアーケードに付設された火災報知器を若者(集団〉が押す。あわてる野宿労働者をながめるためと思われる。

6月初旬(6月10日から1週間ほど前)
表通り、中川ムセン中店で、自転車2台(20歳くらい)の内一人が立っている看板を寝ている仲間に倒す。

6月4or5日、午後10時〜10時30分の間
自転車4入(中学生?)が、走りながらダンボールをけり続けて走り抜ける。

6月中旬〜下旬、午後11時
表通り、中川ムセン中店、白のパンから花火襲撃。

6〜中旬〜下旬、午前3時
表通り、中川ムセン中店、白の乗用車から花火襲撃。

6月21日、午前2時15分
裏通り、瀬川電気前のKさん。再び軽「1863」車両から花火襲撃。同車両である軽「1863」は、その後、天王寺方面に移動、午前4時10分に、堀越町の天王寺駅前商店街・東海銀行前(天王寺での野宿労働者・小林俊春さん殺害現場)でエアガン襲撃を行っている。

6月21日、午前3時10分
裏通り、瀬川電気前のKさん。2人連れの者に、消火器の噴射。

6月23日、午前0時過ぎ
表通り、山中車両という商店の前、エアガン襲撃。

6月24日、午前0時30分ごろ
表通り、ソフマップ6号館前。寝ている脇に置いていたダンボールの山に放火。ものすごい火。消防車2台、警察官5〜6名が来る。被害者の労働者は、以降、寝場所を移動する。

6月26日、午後11時
阪神高速下、車から、爆竹を投げられる。

7月7日、午前2時頃
表通り、ジョーシン3号館、たばこの投げこみ、ワイシャツの右脇下あたりで、たばこが止まり(仰向けに寝ていた)、ワイシャツに穴が開き、熱さと煙で目覚めた。火傷。

7月9〜15日の間、午前1時ごろ
南海線ガード下、白のパンから2度にわたる(2日間)爆竹様の花火襲撃。

7月21日、昼間
南海線ガード下、寝ているところを、火のついた花火を投げこまれる。

7月22日、1〜2時
表通り、20歳くらいの若者4人、歩いてきてダンボールをける。労働者が護身用の棒で構えたところ逃走。

7月23日、午前3時
表通り、中川ムセン、自転車に乗った中学生3人組、横断歩道を越えた東側路上より、エアガン2丁で西側を撃ち込んでくる、かなり、距離があるにもかかわらず威力あり。
弾は金属弾、通常のプラスチック性の弾丸(直径6mm)の倍ほどの大きさ。

7月25日頃、午前0時
バイク(フルフェイスのヘルメット)からクルクルまわる花火をダンボールハウスに投げこまれる。

7月27日、午前1時15〜30分
裏通り、中学生と思わしき4人(自転車2台)、黄色いシャツを着たものがボスで他の3人に指示し、ピンポン玉よりも一回り小さな花火(白い煙幕)を投げこまれた。襲撃後に、再び様子を見に来た。

7月27日、午前4時
裏通り、自転車でやって来て、エアガンを2度撃ち込んできた。


 以上44件の事実把握である。
 野宿労働者への襲撃事件は、増加の一途をたどっており、生死にかかわる悪質な事件も日本橋などで毎週発生するという事態を迎えている。今回の天王寺の襲撃事件は、野宿労働者の虐殺という事態を生起させるにいたったが、前述した襲撃事件の傾向から考え、起こるべくして起こった事態、といわざるを得ない。
 その背景には、野宿せざるを得ない労働者が多数生じる今日的な社会情勢への無理解とともに、野宿労働者への差別・偏見が強く横たわっているものと考えざるを得ない。
また人権意識の欠落と他者の生命への軽視という風潮を物語るものと考えられる。
                                   以上