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 「ホットロード」の画面とセリフには何が描かれていたのか?
 家出の日、「ママ」に向かって「きたない」「すごくきたない」という言葉を思わず使った和希は、その家出の間、夕方の「空とか景色とかぜんぶ青いの」を見て「キレイ」(U―179)と言う。そして暴走の中、テイルランプの光の輝きを見て「こんなキレイなものはきっと他にない」「なんにも考えないでいられる 死んでもいい」(U―128)と言う。
 そして、そのテイルランプの光の輝きは、「ホットロード」の中に第一ページから最終回に至るまで、それが物語のライトモチーフであるように繰り返し画面に現れていた。それは、物語の流れの中を現れるというより、むしろストーリーとは無関係のように「ホットロード」の画面に数え尽くせないほどに現れていた。
 そのテイルランプの光は和希が春山と初めて出会う場面で、場面そのものとは無関係のように繰り返し描かれた。そして和希が春山に口移しで薬を飲ませて、ホッと息をついたときに彼女の目の前に現れた(V―148)。そして和希の15才の誕生日、「15歳 夏 たくさんのテイルランプを 見てた」という形で語られていた。また、その前日、パトカーから逃げ続ける中で「前を走る単車の テイルランプが好き」(V―88)という形で語られた。
 そして「族」の世界から離れ、高校生になった和希が「あのときは…何もみえなくて」、「もしこのこと知ってて あの頃にかえれるなら… もう一度 かえれるなら」と言うときにも、同じように和希の前に現れた。そして、それはテイルランプの光から変奏された形で、夜空に輝くライトの光として、和希の家出のシーンに登場していたのかもしれない(U―93〜4)。そもそも「ホットロード」はその第1ページを「夜明けの蒼い道 赤いテイルランプ 去ってゆく細いうしろ姿」「もう1度 あの頃のあの子たちに逢いたい」という作者自身の言葉から開始していた。ある意味で、「ホットロード」は「キレイ」なものを、テイルランプの光を描く物語だった。そう言う他ないまでに、テイルランプの光は「ホットロード」の画面を一貫して輝き続けていた。
 その光は多分、生身の人間の醜さを遠く離れたような、輝く無機的な美しさで和希を惹きつける。そもそも、なぜ和希は家出のとき、「ママ」に向かって「きたない」「すごくきたない」という言葉を使ったのだろうか。「拒絶」や「不安」を語ろうとするなら、他にも別の言葉があったはずなのに、和希は「きたない」という言葉を使う。それが「不潔」という言葉と同じだということはすでに言った。だが同時に、そのことは「ホットロード」の和希が「きたない」とは逆のものを、つまり「きれい」なもの、美しいもの、純粋なものを、自分では気づかないままに意識しつづけていたことを語っていたのではないだろうか。「ホットロード」の中での和希が、必死に本当に「キレイ」なもの、限りなく純粋なものを求めていたことを読み手は疑うことはできない。「きたない」と言うとき和希は、自分にとっての問題が彼女にとっての「キレイ」なものとの関係の中で初めて意味をもつことを、自分でも気づかないままに示していたのかもしれない。
 和希のいうその「キレイ」さが「ホットロード」にまるでライトモチーフのように幾度も現れることは、逆に和希が「きたない」といわなければならなかったものの決定的な重要性を示さずにはいない。この「きたない」と「キレイ」の対立、それは「ホットロード」にとってあらゆる意味において激しくすれちがうまったく反対のものを意味していた。つまり、その闇の中の光のきらめき、その「冷たさ」「無機性」「抽象性」、それは、和希に訪れていたはずの肉体の変化、肉体の「温かさ」や「有機的な変化」、「女性になること」「大人になること」と全く逆の世界を描き出していたのかもしれない。春山は和希のことを、「だって あいつ すげーキレーなんだもんよ 中身が」(W―138)と言う。和希の存在の中を走った亀裂、そして彼女がたどった「道の激しさ」(=「ホットロード」)、それはこの「キレイ」と「きたない」との激しい衝突なしには語ることができないのかもしれなかった。
 もちろん、こうした「きたない」ものと「きれい」なものとの対立が意味を持つこと自体は決して特別なことではない。例えば「V」で挙げたファンタジーのいくつかがそうであるように、登場人物の「成長」を語る作品の多くは、そういう言葉を使わないとしても「きたない」ものと「きれい」なものとを描いて、それが一緒のものになっていく過程を描いている。つまり、世の中には「きたない」ものもあり「きれい」なものもあるが、潔癖な登場人物も、人間的成長によって一見「きたない」ものも受け入れることができるとされている。
 しかし、「ホットロード」の和希にとって問題だったのは、そうした混じりあえるような「きたない」と「きれい」ではなかった。おそらく彼女にとって決定的な問題だったのは、自分を含めたこの世界の中に、本当の「きたない」もの、そして本当の「キレイ」なものがあるということだったのではないだろうか。彼女の言う「きたない」ものは、いわば「キレイ」なものには決して交わらない真の「きたな」さだった。だからこそ、彼女はそれをほとんど命がけで拒絶しようとしたように見える。彼女にとって「キレイ」を求める唯一の道は、「きたない」ものに対する「拒絶の純粋さ」に自分のすべてを賭けるということ以外にないのかもしれなかった。
 そしてその拒絶の純粋さは、「ホットロード」の中の「暴走」や「家出」をはじめとする、和希の周囲への、そして自分自身への激しい攻撃として現れた。確かにそれは、一見無目的で破壊的な行動、いわばフラストシーションの解消以外の何ものでもないように見える。普通に見れば、それはほとんど「自殺行為」でしかないようにさえ思えるのである。しかしある意味ではそれは、「きたない」ものと「キレイなもの」とのすれちがいが彼女に引き起こした、他に選択の余地のない必然的なものなのかもしれなかった。
 和希は「ホットロード」の中で、「大人になっていくこと」を「きたなく」なっていくことだと言えたかもしれない。そして、「大人になっていくこと」に対する唯一徹底的な拒絶は、文字通り「自殺」である。事実、「まるで自分の体をわざといじめているような感じだった」(U―85)という春山、「いつ死んでもいーよーな瞳をして」繰り返し赤信号に突っ込む春山は、ほとんど「自殺」未遂というべきものだったのではないか。そして和希自身、「こんなキレイなものはきっと他にない」というものの前で「死んでもいい」と言う。その時和希は、他人からは不明な理由で自殺していった多くの10代の少年少女たちのすぐそばに、つまり「生と死の境界」線上にいる。普通、「死」は遠いところにあって若い頃には実感できず、中年期や老年期になってはじめてそれを間近に感じるようになると言われている。しかし実際は、死は「あまりに遠いので目に入らない」のではなく、むしろ「あまりに近いので目に入らない」のだ。「机をステージに」で「知らないうちに 時間だけが すぎてくみたいで ときどき… 死んでもいいかなぁ なんて… 思うんだ」と言う佐藤真紀のように、彼女たちのまわりには「生と死の間」が常に存在している。
 彼女は、その「死んでもいい」状況の中で、何を見ようとしていたのだろうか。彼女はそこで、ある意味では「知らないうちに 時間だけがすぎてく」ことを否定しようとしていたのだろうか? 「知らないうちに 時間だけが過ぎていく」こと、つまり「知らないうちに 大人になっていくこと」を。そして、一切の繰り延べを拒絶して、目の前のこの「ほんの一瞬」だけに、彼女は自分にとってのすべての意味を突きつめようとしていたのだろうか。
 なぜなら、彼女の言う「きたない」ものと「キレイ」なものは、今という「一瞬」にこの世界のすべての意味を凝縮して、彼女に突きつけてくるからだ。つまり、自分自身の存在そのものが、回復不可能な形で「きたなく」なっていくとすれば、その先の未来をどうして考えることができるだろうか。放っておけば「知らないうちに 時間だけが すぎていく」。それは、彼女にとって、すべてが失われることを意味する。
 だからこそ、和希は自分にとっての「きたない」もの、「キレイなもの」の意味を、今この一瞬に全力を挙げて突きつめようとする。逆に言えば、「きたない」ものと「キレイなもの」のすれちがいの中で「死」にギリギリに近づく和希には、自分たちのいる「ほんの一瞬」のあとの時間は、その意味をすべて失っていく。事実、「ホットロード」での和希や春山の暴走は、「瞬間に生きているにすぎない」「刹那主義」的だと否定的に言われるのではないだろうか。しかし、そうして非難する人は、逆に「今できなくても、将来できる」「今日できなければ明日できる」という時間の繰り延べを、つまり「きたない」と「キレイ」のいつか来る調和を根拠なく信じているだけの話なのかもしれなかった。しかし、彼女にとってはこの「一瞬」以外、時間はその意味を失っていた。彼女にとっては「今」という瞬間はかけがえのないもの、つまり「今できなければ、すなわち永遠にできない」のだった。そして、彼女にとってその「ほんの一瞬」は、「1年と10年」、あるいは「1年と一生」、「1秒と100年」の区別の意味さえ失わさせる破壊的な瞬間となっていた。そして、その「一瞬」の中では、彼女にとっての「不安」「孤独」「生と死」といったものも、おそらく極限までその意味を変えて現れていた。
 「ホットロード」の中で、和希は「こわい」という言葉を何度か口にしていた。この「こわさ」あるいは「不安」は、「T」で言ったように画面上の「暴力」をどんなに激しくしても、その延長上では決して届かないような「こわさ」だったのかもしれない。「いつも あの瞳があたしを止める。自分も危ないことしてるって思わせる。そんで こわくなる」(U―120)。「こわくて たまらない」(U―174)。「族の世界は 思ってたよりもずっと こわかった」(V―52)。「ずっと走ってた── なにからなにまでうまくいくのとはちがう 楽しくてもこわい 指の先までズンズンするような」(W―25)、そして鈴木くんが言う「でもボクは和希ちゃんや他の… たとえば暴走族じゃない子たちにも そんな時は一度はきてしまうもんじゃないかって思ってる」「それは大人にとってはすごくこわいことだし 一歩まちがえれば大変なことだけれど」(…)「彼らにとって一番こわいのは」「とめられない自分なのかもしれない…」。 
 なぜ彼女たちは、自分で自分を「とめられない」のだろうか。多分、彼女は自分の存在そのものをよぎっていく「何か」に突き動かされていた。彼女にとって、自分の存在そのものが自分の意志とは無関係に、そして避けようもなく「きたなく」なっていく。つまり時間とともに自分の存在そのものが変容していく。彼女は、自分の存在に走ったその修復不可能な崩壊を、言い換えれば自分の存在に走った亀裂を感じとっていた。そして、まさにその亀裂から「きたない」ものとは逆の「キレイ」な「光」がやってくるのを感じていた。彼女は、自分の存在の彼方からのその「光」を、テイルランプの輝きを命がけで追っていたのだろうか。「こわい」のは、それが彼女を、自分の存在に「あまりに近い」死へまで誘い込むからだ。だが、その「キレイ」なものは、「きたなく」なっていく彼女の中には決して収まり得ないために、自分で自分をとめられないほどに彼女を惹きつける。例えば仮に和希が、自分が実現できるかどうかわからない将来の「夢」を追いつづけている少女として「ホットロード」に描かれていたとしたら、確かにそこにもある種の「不安」が描かれていたはずである。自分が本当にその夢を実現できるかどうかわからないという不安。先が見えない、自分の努力は報いられないかもしれないという不安。そうして夢を追う者は、その不安の中で自分の努力の意味を疑うこともあるかもしれない。「夢」は、実現できるかどうかわからないからこそ「夢」なのだから。けれども、その「不安」があるからこそ、人は自分の夢へむかって真摯に生きることができるのかもしれない。
 逆にいえば、人は「不安」や「夢」を失うこと、つまり、時間をかければできる、いつかは必ず自分の努力は報いられるという目的を考えることで、ある切迫したひたむきさを失っていくのだろうか。その意味では、「ホットロード」はそんな「夢を持つ立場」に似て、ただそれを過激に突き詰めた果ての世界を描き出したと言えるのかもしれない。つまり、「ホットロード」の和希や春山は自分が実現できるかどうかわからない「夢」ではなく、永遠に実現不可能なもの、自分が決してたどりつくことのできないもの、ただそれだけを求めて走り続けているようにも見えるからだ。和希も春山も確かに不安なまま何かへと走り続けるけれども、それは「夢」のように、いつかある将来に実現するかもしれないようなものではなかった。「夢」を追い求める者は、そこに至るまでに5年なり10年なりの時間を持っている。しかし、和希や春山には「時間がない」。いわば「今できなければ、永遠にできない」のだった。
 自分が絶対に実現不可能なもの、それが何なのかはおそらく和希たち自身にもわからなかった。しかし彼らは、それが絶対に永遠に不可能だからこそ、ある切迫したひたむきさの中を、信じられないようなエネルギーを賭けて追い続けるように見える。「ホットロード」という物語の過激さと純粋さ、それは彼女のこの「夢」を越えた「キレイ」なものへの無償のひたむきさからやってきていたのかもしれなかった。そしてその中では、和希がそれまでの14年間、感じとっていたはずの「きたない」もの、「きれい」なもの、「夢」、「こわさ」、それらは、彼女の知らないまったく別の「はじめて」(T―44)のものへと変容してしまっていた。その時、「夢」はどんな夢よりも遠い実現不可能な「夢」となり、「きたない」ものは回復不可能な「きたなさ」となり、そして「現実」はどんな現実よりもはるかに生々しい「現実」となる。それは、人生の中では、確かに「ほんの一瞬」の出来事でしかなかったのかもしれない。しかしそれは、彼女たちにとって「一瞬」にして「永遠」のようにも感じられる、ほとんど破壊的な、夢のような時間だったのではないだろうか。
 
 そして、「ホットロード」は最後の場面にやってくる。
 春山が事故で瀕死の重傷を負い、それと同時に和希が「族」を抜けて高校に入り、やがて2人は新しい世界へのスタートに立つ。そのとき、春山は18才に、和希は17才になろうとしている。
「今日であたしは17才になります 今までひといっぱいキズつけました これからはその分 人のいたみがわかる人間になりたい」「この先もどうなるか ぜんぜんわからないし 不安ばっかだけど ず―っとず――っと先でいい いつか 春山の赤ちゃんの お母さんに なりたい…」「それが 今のあたしの だれにもいってない 小さな夢です」。 
 和希は、こうして物語の最後に「ずーっとず――っと先」の「夢」を語る。「お母さんになりたい」という「夢」を。その和希は、「死んでもいい」と、一瞬の先も見ないで走っていた2年前の彼女からほとんど無限に遠い。その姿は、かつての彼女との信じられないような距離と、その痛いようなリアリティによって「ホットロード」の読者を驚かせる。和希の14歳から17歳までの「2年半」は、彼女のそれからの一生と変わらないほど永遠のように長い距離のようにも見える。
 和希はその最後の場面で「お母さんになりたい」と言うのである。そのセリフは確かに、ある実感を持って「ホットロード」を完全に終了させる。けれども、ここで和希がいう「お母さんになりたい」という言葉、多分それは、「ママになりたい」と言い換えられるものだったのではないだろうか。というより、和希は自分でも気づかないままに、ここで「ママになりたい」と言っていたのではないだろうか。
 多分、この和希のセリフには、「ホットロード」を作り続けたいくつかの流れの結末が示されていた。そして、そのことによって「ホットロード」は、そのすべての物語を完全に終了させるのである。
 まず、この「お母さんになりたい」という言葉は、「ホットロード」の和希と春山の「ラブストーリー」としてのラスト、つまりハッピーエンドを言っていた。「ホットロード」は、「春山洋志 16―18」「宮市和希 14―17」という記述と、「あたしたちの道は ずっとつづいてる」という二人の姿で最後のページを閉じる。ここでは、その出会い以来、「族」の世界の中で「ケンカしたり、また別れ話が出たり」という紆余曲折をくぐり抜けた2人の物語の結末が示されていたはずである。
 そして2つ目として、それは「ホットロード」が語っていた「親と子の物語」のラストを描いていた。和希が「ママになりたい」と言うとすれば、それは「ママ」との関係のある解決がなければ出てくることはありえない。和希は少し前に、「ママ」と自分とが「お互いに少し知ったみたい」「相手も〃生きてる〃こと」を(W―189)と言う。この文章の「U」でたどったように、母親とのつながりを失っていた和希は、春山と一緒に「たったひとつだけ ママにききたかったこと」を聞き、「ママ」との関係を取り戻す。つまりこのセリフは、「ママの誕生日」に「万引き」をプレゼントする姿で和希が現れた物語の最初以来、ずっと語られてきた「親と子の物語」の解決を語っていたはずである。 
 そして「お母さんになりたい」というセリフは、3つめの意味、つまり「性的成長」を、つまり子供が大人になること、例えば少女が「ママ」になることの問題を、和希が自分なりに解決したことを語っていたのかもしれない。つまりこの時和希は、かつて自分が見てきた「きたない」と「キレイ」との衝突が自分の中で解決したことを、ここで語っていたのかもしれない。
 和希のこのセリフの直前で、2年ぶりに姿を見せたトオルさんが、バスの中でおなかの大きな女性に席を譲って「うちも 来月なんですよ」と言う。宏子さんは和希の「夢」を一足先に進んで、もうすぐ20才の「ママ」になろうとしている。この最終回で宏子さんが「ママ」になり、和希が「お母さんになりたい」と言うことは偶然ではありえない。2人は、自分が「ママ」になる、「ママになりたい」と言うことで、自分たちの「ホットロード」を終結させている。彼女たちは、「ホットロード」があれほどリアルな造形を拒絶していた「大人」や「親」に自分からなろうとしている(注)。「ホットロード」はその物語の後半、何度も「自分の体」について語っていた。「もっと自分たちの体を大事にしてくれ」(V―176)、「自分の体に… あやまりなさい」(W―160)、「自分の体は自分しか守れない…」(W―191)。生身の「体」へのこうしたこだわりは、和希にとって「きたない」もの、回避すべきものとしての「性」から、受け入れるべき「体」への変化を反映していた。それは「赤ちゃんのお母さんになりたい」という「夢」を実現するべき「体」である。
 こうして、和希の「お母さんになりたい」というセリフは、和希と春山との「ラブストーリー」、和希と「ママ」との「親と子の物語」、そして和希の言った「きたない」と「キレイ」の衝突の3つの「終わり」を語っていた。このセリフは、「ホットロード」の3つの流れの焦点に来るものとしてこの物語を締めくくる。物語の最初、「きょうはママの誕生日」という言葉が「ホットロード」のすべての流れを開始させたように、この物語は「お母さんになりたい」という言葉によってそのすべてを終わらせるのである。

 
 

 最初に言ったように、「ホットロード」は1985年12月から1987年4月まで連載された。そしてそれは、1964年8月生まれの作者、紡木たくにとっては21才から22才にかけての時期にあたっていた。そこには、紡木たく自身の作品にも例のないような「激しさ」と、そして同時期の多くの少女マンガからは隔絶した「痛み」が描かれていた。それは、彼女のそれまでの作品を追ってきた者にとって、あるひとつの世界が突然に現れた、という印象だった。
 物語の最初で、宮市和希は14才として現れる。そして、「ホットロード」は「きょうはママの誕生日」という言葉とともに始まる。その時、「ママ」がその「きょう」から35才で、和希が14才、そして作者が21才だったという事実は、やはりある意味を持っていたのかもしれない。つまり、「ママ」の年齢から和希の年齢を引くと、ちょうど作者の年齢が現れる。35−14=21。あるいは14+21=35。そして、その計算は「ホットロード」の始まる一日前には成り立たない。つまり、「ホットロード」は、作者が和希と一緒になるとちょうど「ママ」の年齢になる35才の「ママの誕生日」をもって、一日も間違わずにその物語を開始していた。
 この符合は単に偶然なのだろうか、それとも意図されたものなのだろうか? もちろん、作者自身のことは読者にはわからない。けれども、事実として「ホットロード」は、作者と和希が一緒になった年齢が「ママ」の年齢と一致する日にしかスタートすることができなかった。まるで、14才の和希が「ママ」との関係に立ち向かうために、「ママの誕生日」を期して21才の作者を呼び出したかのように。あるいはそれは、「14才の少女」が「35才のママ」との関係に立ち向かうために、紡木たくが21才になるのをずっと(7年間も)待ち続けていた、ということなのかもしれない。「ホットロード」の中で、「ママ」については職業も、名前も、誕生日も明記されず、ただ「35」という年齢だけしかなかったことを読者はここで思い出すべきだろうか。
 「ホットロード」と紡木たくのそれ以前の作品をわかつもの、それは「35才のママ」、というより「35−14=21」という「娘と母の関係」だった。おそらくそれが、この物語を作り出すいくつかの流れの焦点としてあった。そしてこの焦点から、和希にとっての「族」の世界が、春山が、絵里たちが、そしてあの夜が、空が、空気が、不安が、激しい共感と痛みをもって描き出された。そしてそこでは、和希にとっての「父親」の問題は、母親とはまるでちがった「胸のつまりそー」な思いのため、完全に欠落しなければならなかった。
 だがこの父親との関係は、「ホットロード」のあと、作者にとってどうしても立ち向かわなければならないもう一つの問題だったように見える。作者にとっても、そして読者にとってももう一つの物語が必要なのだ。
 そしてそれは、和希が「お母さんになりたい」と言った「ホットロード」終了の4ケ月後、小浜かよ子の物語「瞬きもせず」によって問われることになった。
 
 
                   (その4「こんなキレイなものはきっと他にない」)
 
 
 


(注)
 「ホットロード」の最後に和希が「お母さんになりたい」と言ったのは1987年である。1992年に出た「紡木たく選集」版「ホットロード」には、作者の撮った「ホットロード」の舞台の写真などが幾つか付けられているが、その中には、(おそらく)作者が幼稚園児ぐらいの男の子を抱いている写真がある。作者は多分、和希が「お母さんになりたい」と言ったころ、実際に「お母さん」になっていた。
 大塚英志は、1950年代末から60年代半ば生まれの少女漫画家たちが、90年代半ば頃、いっせいに「出産本」を書き出した事実を指摘している(「出産本と『イグアナの娘』たち」・「『彼女たち』の連合赤軍」所収)。紡木たくは1964年生まれだから、この「出産本」漫画家たち(例えば内田春菊、さくらももこ)の年代に入る。
 大塚英志の論旨は、「母と和解しえず、自らの母性も受容できないでいる女性像」を描き続けた少女漫画が、萩尾望都の「イグアナの娘」が出た91年あたりから、「産む性」をめぐって態度を変え始めた、ということにある。
「この時点で、少なくとも少女まんがというジャンルの中でも、もはや萩尾望都的「母性をめぐる葛藤」は主題としては成り立ち得なくなっていたのである。しかもそれは、女性作家の<産む性>に対する主体性の確立のゆえに主題化する必要がなくなったのではなく、もっとなしくずしの<母性>の肯定の前に「母性をめぐる葛藤」が無効化していったことによる。
それにしても、90年代初頭における少女まんがの「母性」をめぐる急激な転換は、いったいなぜ起きたのだろう。そもそも、あたかも「1.57ショック」(89年の合計特殊出生率、ひとりの女性が生涯に産む子供の数の低下)を贖うかのように、その直後になぜ、集中的に<出産本>が当の女性たち(しかもその多くは少女まんが家)によって書かれなければならなかったのか。母性の忌避から全肯定へという変節は、むろん少女まんがにとどまらない。今日(1996年)のメディア全体に拡がる出産本、出産ブームは「1.57ショック」の反動などという単純なものではなく、戦後の女性史の中で重要な変節点としての意味を持っているように思う。」
 「ホットロード」はこの「母性の忌避から全肯定」を、決定的に先導したと言えるのかもしれない。大塚英志の言うように「この時点で、少なくとも少女まんがというジャンルの中でも、もはや萩尾望都的『母性をめぐる葛藤』は主題としては成り立ち得なくなっていた」とすれば、それは、一つには「ホットロード」がこの主題をこれ以上ないほどに徹底的に描いてしまったからだとも言える。もちろん、「母性をめぐる葛藤」は、必ずしも「ホットロード」がそうしたように「全肯定へ」と至る必要はなかった。つまり、少女が大人に成長していくことを「お母さんになる」ことに限る必要は当然ながら全くなかった。その意味では、「ホットロード」の結末がその膨大な読者層に対して、あるイデオロギー的な役割を強力に果たしたということは明らかに言える。それは、少女漫画の主流が一貫して描き続けてきた「性」と「恋愛」と「結婚」の一体化という近代的なロマンティックラブ・イデオロギーである。「ホットロード」は、その流れの集大成としての意義を持つと言えるのかもしれない。
 ただし、大塚英志の論旨に反して、合計特殊出生率はその後も減り続け、2001年に入って初めて微増した。「ホットロード」は確かに主人公の和希と同世代の多くの読者層に大きな影響を与え続けたが、読者である彼女たちが少女漫画の中で見てきたのは、「ホットロード」のようなロマンティック・ラブ・イデオロギーだけではなかったはずである。和希と同世代の読者層は、1995年になると、再び自分と同年代の主人公が登場する大ヒットマンガを見ることになる。安野モヨ子の「ハッピー・マニア」である。
 事実、「ホットロード」の設定から、宮市和希の誕生日は1971年7月19日とされる。一方、「ハッピー・マニア」第1回(1995年夏)で重田加代子は24才だった。そこで、重田は大体1971年生まれの設定ということになる(作者の安野モヨコの誕生日は1971年3月26日なので、作者は重田の歳を自分とダブらせていたのかもしれない)。つまり、宮市和希と重田加代子は完全な「同世代」なのだ。
 「恋愛が発生したあとにそれを安定させるまでを描いたマンガがない」ということで「ハッピー・マニア」を始めたと安野モヨコは言っている。つまり、「ハッピー・マニア」は「恋愛の発生」という「ハッピー・エンド」によって物語を終える従来の少女漫画への批判であり、「ハッピー・エンド」で「性」と「恋愛」と「結婚」の一体化を前提としていたロマンティック・ラブ・イデオロギーの「あと」を語る物語になっている。
 「やってから考える女」「恋愛の暴走列車」重田カヨ子は、全国を駆け回り、交通事故に遭い栄養失調になり警察の厄介になりとメチャクチャなことをやり続けるが、読者はそれを見て爆笑しながら、「これはもしかしたら教養小説(ビルドゥングスロマン)になっているのではないか」と突然感じることになる。「女は受け身」「セックスは恋愛の過程でされるべき」「本当に愛せるのは一人だけ」といった常識をすべて「リセット」にして「恋のみち」を勢いのまま突っ走る重田は、誰でもやるかもしれないが普通はしないことを身をもって「やってしまう」からだ。
 普通の教養小説なら「(考えて)わかって」成長するだろうが、「やってから考える」重田は、なんの後悔もためらいもなく「次」に突っ走ってしまう。しかし読者は、重田が言う「恋をして盛り上がって冷めて傷ついて」「結局 人生もおなじことのくりかえし」という「恋愛の現実」を目にしてしまうことになる。
 彼女が求めているのは「ふるえるほどのしあわせ」=「ハッピー」で、それは普通の「カップルのくらし」の「不幸でも幸せでも」ない「中ぐらい」なものではない。もちろん、そんなものを「マニアック」に求めても普通、とても実現不可能なはずだ。しかし、重田はその理想をめがけて突っ走る。こんな理想を掲げていけば、現実と激しく衝突することは眼に見えている。結局、彼女は「恋愛」という理想とは相容れない「現実」をあぶり出していく。少女漫画の大枠が、少女たちのマジョリティの願望を引き受け、恋愛の「現実」への着地をハッピーエンドで語っているとすれば、「ハッピー・マニア」はそれらすべての不可能性あるいは非現実性をリアリスティックにかつコメディとして宣告してしまった。「ハッピー・マニア」は、「本当に愛せるのは一人だけ」「恋愛の結果としての結婚」といったロマンティック・ラブ・イデオロギーの非現実性を読者に示したマンガなのである。
 「ホットロード」をリアルタイムで読んだ和希と同世代の読者は、10年後に「ハッピー・マニア」を重田カヨ子の同世代として読んでいた。80年代最高の少女漫画の一つであり教養小説である「ホットロード」と、90年代最大の教養小説である「ハッピー・マニア」と伴走し、この世代の女性たちは生きていた。そして、「ハッピー・マニア」が終了した2001年、1971年生まれの彼女たちは30才になった。彼女たちにとっての「大人になること」は、どのような形をとったのだろうか?

 
 
 
 
 
ホットロード」のための4章
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