3──終結としての

 10代の終わりころ、君はその演奏を聞く。いったん冒頭から再生し始めると、約50分の間、途中でやめることができなくなるほどに吸引力を持ったその演奏に、君はひどく感動する。そしてその演奏を、君はそれから何年も繰り返し聞くことになる。いわば、すさまじい集中力の果てに生まれた限りなく明晰な白昼夢の世界、それは君の「一枚のレコード(LD)」とでも言うべきものなのだろうか。事実、それは君にとって、唯一無二な価値をもった、音楽の一つの極点のようにも感じられたのではないだろうか。
 しかし実際には、その演奏は他の演奏に対する批評なのだった。確かに、高橋悠治も言っているが、商業的録音の登場以来(いわゆるクラシックの)演奏は過去の演奏に対する批評となった。T.S.エリオットが「伝統と個人の才能」で言うように「どの詩人でもどの芸術部門の芸術家でも、その人ひとりだけで完全な意義をもつ者はない。その意義、その価値は死んだ過去の詩人たちや芸術家たちに対する関係の価値である」。しかし、この演奏の特異性は何よりも、その価値が「死んだ過去の芸術家たちに対する関係」にあるのではなく、その演奏家自身の演奏に対する関係にあるという点にあった。つまり、その演奏は「再録音」であり、自身の「最初の録音」に対する徹底的な批判なのだった。
 1955年、22才の時にデビューアルバムとして録音したその曲を、48才になった演奏家は26年を経て再録音する(そして、それは彼の生前最後に発表されたアルバムとなる)。彼によれば「複雑で対位法的なテクスチュアを扱うには慎重で落ち着いた態度がどうしても必要になる。ところが旧盤では、そういった慎重さがところどころで、いや、いたるところで欠けていることがわかって僕はうんざりしてしまった」そのために。
 しかし、そのデビューアルバムはまさに彼の頂点となる達成だったのではないだろうか? 吉田秀和は回想して言うのだが、「わたしはまたヨーロッパにわたり、いろいろな音楽家と話す機会をもった。そうして、少なくともバッハの演奏に関心をわけあう音楽家の中で、このレコードをあげたとき、無関心とか冷淡とかいうのは問題外として、いわば目を輝かして『あれは、もうこれ以上のことが考えられない名盤であり、ああいう演奏があったということ自体が驚異だ』という態度を示さない人のないことを経験した」。事実、この演奏家はそのデビューアルバム以降、極めて高度な音楽的達成を示すアルバムを数々発表し続けるが、にもかかわらずこの最初のアルバム(しかもモノラル)が、彼を代表するものとして生涯にわたって評価され続ける。
「特に目立つのは彼のまったく思いもよらぬところからポエジーをつかみ出してくる傾向であり、それは近年ますます増えている彼のベートーヴェンのレコードに端的に表れている。ことにあの奇想天外な遅めのテンポには――かつての後期のソナタのレコードではあんなに速かったのに!――この天才にとり憑いた魔霊(デーモン)が《誇張のデーモン》と背中合わせに生存しているのかと思わせるものがある。しかしこの記念すべき処女録音では、知性とデモーニッシュな魔力とは――いかにもバッハの音楽にふさわしく――黄金の均衡を保っている」(吉田秀和)。しかし、ある時期以降この「黄金の均衡」は失われていったように見える。彼のピアニストとして空前の知性と叙情の統一(それはラドゥ・ルプーのような極上のリリシズムをもったピアニストに「私にもgGピリオドがありました」と言わせるのだが)とは分裂する。そして、多くのレコードは、確かに極めて高度な芸術性をもつものではあるが、しかしかつてあった匂い立つような生命力を欠く、どこかしら息苦しい、むしろマニエリステックな性質のものになっていった(それでも、他の多くのピアニストの演奏をその芸術的達成においてはるかにしのぐのだが!)。そこで、例えばイーヴォ・ポゴレリッチのようなピアニストは、コンサートをやめて以降の彼の演奏は生命感が失せてしまってどれも聞けたものではない、と言い放つことになる。確かに、それは正しいのだろう。だが、そのある時期以降の彼の演奏の中でのほとんど唯一の例外が、この「これ以上のことが考えられない」デビューアルバムを「そのあらゆる側面について再考」し直した、ゴルトベルク変奏曲の再録音盤だったのではないか。
 
 グレン.グールドは、ゴルトベルク変奏曲再録音(映像版)での「これだけ大規模な作品を再び録音するのは珍しいのでは」というブルーノ.モンサンジョンの問いに、「再録音なんか滅多にやらない」と答える。
「過去20数年で、2、3曲しかないと思う。55年の録音の数年後にステレオが実用化されてモノーラルが時代遅れになった。さらにその後のドルビーシステムの発明で、最初の録音は音質的にも古びてしまった。でも、それだけでは再録音をする理由にはならない。きっかけは珍しく自分のレコードを聞き直したこと。結構よかった。しかし30の変奏それぞれが自分勝手に振る舞っていて、元になっているバスの動きについて、バラバラにコメントしているようだった。コンサート活動をやめて20年くらいにはなるし、その間この曲は1回も弾いていないから、新鮮な気持ちで見直せるのではと思った。主題と変奏の間を数学的に対応させて時間的な関係を作り出せると考えた。でも2ー4ー8ー16ー32といった意味の対応ではない。本来の考え方からすればバッハの場合、連続性は旋律にではなく和声にあるけど、私はリズムとパルスの連続性を試みたい。それなら再録音の意味もある。ドルビーもステレオも大事だが、20数年ぶりの挑戦はそのためなんだ」。
 実際には、多くのメジャーなクラシックの演奏家は、再録音をかなり行う。例えばチャイコフスキーの「悲愴」を6回録音するなど、多くの大曲を3回、4回とレコーディングした指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。カラヤンの場合、再録音は一つには過去の演奏が「音質的にも古びてしまった(したがって商業的に意味を失ってしまった)」ためであるが、またそれ以上にそこで彼の美学の洗練が目指されていたはずである。また、その再録音が演奏家の変貌を刻み付けて印象的な場合もある。例えばそのデビューアルバムとしてバッハの「マタイ受難曲」を取り上げたカール・リヒターは、その死の直前にこの大曲を再び録音する。だが、最初のレコーディングの圧倒的な峻厳さは、再録音では柔軟さとある種の温和さを印象づけるものとなり、その変化が人を驚かせる。
 しかし、グールドのゴルトベルク変奏曲の再録音は、デビューアルバムの見解の「洗練」ではないし、また「人間的な円熟」「成熟」を示すのでもない(「構造と力」に収められた浅田彰による批判以後も、この種の評価は消えない)。それが「成熟」だとすれば、再録音は旧録音における演奏の延長であり、それを更に拡大したものということになるだろう。だが、再録音は、若い時期に一挙に成し遂げてしまった自分の頂点、つまり旧盤の「完全にできあがった見解」に対する徹底的な批評であり、いわば「それに対してちがった見方」をもたらすものではなかったか? 事実、グールドは1955年盤について「30の変奏それぞれが自分勝手に振る舞って」いることを批判して再録音を行う。だが、それはこの1955年盤のまさに最良の特徴ではなかっただろうか? その各変奏の多彩さ、奔放さこそが、現在に至るまでこの録音に多くの人を引き付けていた。だが48才のグールドは、このかつての自分のまさに最良の部分を否定し、それを出発点としてまったく別の世界(まさにそれは「補角的世界」なのか)を作り上げようとする。
 また一方ではそれは、旧盤に対するグールドの人間的、芸術的「変化」を示すものでもない。つまり再録音は、旧盤のオリジナリティに対して、別の種類のオリジナリティを見せるというようなものではないからだ。再録音はむしろ、芸術におけるオリジナリティそのものへの批評となっているのではないか? つまり、こうした「ある人の真の性格」といった概念は、グールドの再録音によって相対化されている。
 再録音は、旧盤のオリジナリティを「そのあらゆる側面について再考」したものであって、その意味でより「高次」なのである。ベンヤミンは「詩人の志向は素朴な初発的な直感的な志向であり、翻訳者の志向は演繹的終局的理念的な志向である」と言ったが、この表現はグールドの最初の録音と再録音について、そのままに当てはまるものではなかったか? 22才のグールドの演奏は相対的に「素朴な初発的な直感的な」ものであり、それに対して48才のグールドの演奏は「演繹的終局的理念的」である。「創作の志向はけっして言語そのもの、言語の全体性に向かうのではなく、直接的に、特定の、言葉による意味の関連だけをめざすからである」。したがって再録音は、最初の録音のように「直接的に、特定のオリジナリティの意味の関連だけをめざす」のではなく、そうした個々のオリジナリティつまり「個性」を越えた別の次元を目指すだろう。したがって、それは「成熟」(あるいは「自己実現」)といったものとはむしろ逆のベクトルへと向かうだろう。
 もちろん、22才の演奏も、48才の演奏も、それぞれがほとんど等価な天才的な達成である。だが再録音は、オリジナリティに満ちた最初の録音への批評として、個人のオリジナリティが相対化され断片化する、そして断片がそこから新たな光を生む別の世界を指している。もしも「ある人の真の性格」「芸術家の独創性」が「血球と共に循る一真実」だとすれば、そのようなものから人が脱出することができるだろうか。しかし、実際には「真の性格」とは、一種の光学的な錯覚にすぎないのではないだろうか。ちょうど、ウィトゲンシュタインがおそらく最終的に「論考」と「探究」のどちらの立場もとりえなかったように、聞き手は最終的に22才のグールドと48才のどちらが真のオリジナルのグールドなのか決定できない。「ある人の真の性格」は、円のように一つの中心によって作られるものではなく、むしろ常に他の「補角」を前提とした「(補角的)世界」でしかないのかもしれない。もしオリジナリティというものがあったとしても、そのオリジナリティに対して、それを相対化する「ちがった見方」が常に存在し得るのかもしれない。そして、この両者が統合されて、自己の完成がなされることは決してないのだろう。その意味では、オリジナリティは、常に断片化し複数化する。そして、決して統合されることのないこの複数性は、グールドにとって22才のゴルトベルク変奏曲の録音と、48才の再録音の2つとして現れる。
 高橋悠治はグールドへの追悼文でこう言っている。「グールドも『メディアとしてのメッセージ』の意味がなくなったあとは、演奏スタイルの実験を繰り返すことしかできなかった。レコードというかたちがあたらしくなくなれば、聴いたことのない曲をさがしだしてくるか、だれでもが知っている曲を、聴いたことのないやり方でひくしかない。どちらにしても、そういう音楽はよけいなぜいたくで、なくてもすむものだ」。
 確かにそれは正しいのだろう。しかしその意味では、かつて自分が録音した曲をもう一度録音するなどということは、更になくてもすむぜいたくなものでありはしないか。しかし、そのデビュー作品の再録音こそが、グールドの「演奏スタイルの実験を繰り返す」ことを逃れる、つまり彼の奏法の「腐朽した柵を打ち破る」。そしてそこから、かつて誰も知らなかった新たな次元の世界が解放される。ただ、グールド自身は自分が開いたこの新しい道をそれ以上進むことはなかった。彼の生物的な死が近かったからである。しかし、ピアノを弾くことをやめ、指揮者となった彼の最後の録音、あの想像を絶したテンポの「ジークフリート牧歌」だけがおそらく、その新たな世界の消息を最後に伝えている。
 グールドの1982年10月の死のあと、長らくピアニストたちの多くはゴルトベルク変奏曲の録音を控えることになるだろう。グールドのあの2つの録音の後で、この曲に関して何が残されているかと、少なくとも意識的なピアニストたちが考え躊躇したとしても無理はなかったからである。つまりグレン・グールド・ピリオド。事実、チェンバロによるもの以外、20世紀はついにゴルトベルク変奏曲のグールドに匹敵する演奏は持たなかったのかもしれない。いわば「その新しさは、本質的に逆説的であって、人類の発展にかかわる先取りといったものではないから、いつまでも存続する」。グールドの2つの演奏の間には「成熟」というようなものはない。むしろ、そこには「一瞬」しかない。つまり、歴史における先取りといったものとは関係のない、「永劫」に触れられた時間である「瞬間」と、そしてそこからの光と響きだけがそこにある。
 すでに触れたように、グールドのゴルトベルク変奏曲の最初の録音は彼の22才のものであり、そして再録音は48才のものだった。そしてここで、ウィトゲンシュタインの最初の著書の序文が29才のものであり、「哲学探究」の序文が55才のものだったことを思い出してもいいかもしれない。つまり、55−29=26=48−22。つまり、グールドの最初の録音と再録音との間の年数は、ウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」と「哲学探究」との間の年数と正確に一致する。まるで、グールドがウィトゲンシュタインの先例にならって自分のライフワークを仕上げようとしたかのように? 彼らにとって、「永劫」に触れられた時間である「一瞬」は、この世界での26年として現れる。むしろ、それはベンヤミンの言う意味での「血縁性」の証しだろうか。合冊本「聖書」の「形式の再現における忠実」がウィトゲンシュタインの合冊本「『論理哲学論考』+『哲学探究』」によって企てられたように、ウィトゲンシュタインの合冊本の「形式の再現における忠実」、あるいは数字の上での「合致」はグレン・グールドによって実行される。そして、この企てによって彼はきわめて希有な「複数の思考」の演奏家として存在することになる。この数学的合致という刻印に比べれば、彼らの性格上の類似は(この二人はとんでもない変わり者だったが…)ほとんどゼロ同様のように思われる。
 最後に、ピアニストという枠を超えたピアニストであると言われるグールドの特徴は、そのユーモアにあったということを言っておこう。ポリーニにも、アルゲリッチにも、ホロヴィッツにも、ラフマニノフにも、バックハウスにも、リヒテルにもなく、グールドに最も明確にあるものは何よりもユーモアだった。ピアノを弾く行為を通してピアノという楽器の限界を絶えずきわただせたグールドは、「直接的に、特定の、ピアノによる意味の関連だけをめざす」ピアニスト=ピアノ主義者では決してなかった。にもかかわらずグールドは、おそらく歴史上最大のピアノ主義者であるルービンシュタインを尊敬し、コンサートへ行き、対談までもする(「あそこにある柔軟性と幅は、だれも、あるいはどんな楽団もあれ以上のものはできません、いえ、近づくことさえできません。あれ以上自然な演奏は想像できない。同時に、ひじょうに組織化され、ひじょうにひきしまっていて、ひじょうに適正で、あらゆるものが…。(ルービンシュタインとグァルネリ合奏団によるブラームスの五重奏曲ヘ短調について)」)。そして、なおかつ彼のあられもない自慢話のスタイルを、パロディを書いて強烈に風刺する(「アルトゥール・ルービンシュタインの主題による変奏曲」)。そうしたグールドの態度は、自分を笑い、同時に相手を笑うユーモアそのものだった。
 したがって、かつての自分の最良の録音を批評する48才のグールドの演奏は、いわば複数のユーモアの実践となる。「僕が本当に興味ある音楽は、いくつかの主題が同時進行で対位法的に展開し、そのクライマックスで激昂するような音楽だけだ」。このポリフォニーを、ピアニストとしてのグールドが体現する。彼の演奏は常に、ピアノ演奏におけるある種の「意味の関連」への徹底的な批判だった。しかも、彼の嫌った19世紀的なコンチェルト様式のように、ソリストと合奏とが競い合い圧倒し合うような形でのそれではなく、互いの存在を笑い合うと同時に互いを肯定するポリフォニー、複数性としての批判だった。彼の演奏には、ピアノ演奏における幾つかの意味の関連が多元的に交差し、互いを肯定しつつその限界を晴れやかに笑い合っていたのである。 
 
 終
 
注・ベンヤミンからの引用はすべて「翻訳者の使命」による。
                   (1995・9・19〜1999・9・1)

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