DAYS                     めったに更新しない(だろう)近況

▼「いす取りゲーム」と「カフカの階段」については「極限の貧困をどう伝えるか」あるいは「いす取りゲーム」と「カフカの階段」の比喩についてを参照してください。
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2019/1/13■ 年末年始と「30年ぶりの引っ越し」その後

毎年、元旦は西成公園で野宿の人たちとのもちつき大会、前日のその準備の買い出しと、年末年始は越冬の用事で過ぎていく。
2018年は個人的に三〇年ぶりの引っ越しが一大イベントだった。以前、引っ越しについて「福祉のひろば」連載で書いた。
三〇年ぶりの引っ越し(2018年7月号)
その続きが三〇年ぶりの引っ越し その2(2018年8月号)
その続き 台風被害と野宿者のテント村(その2)(2018年12月号)
ここにある住んでたアパートの写真
やはり、大阪は台風被害が大変でした。


2018/11/23■ 「福祉のひろば」の対談・関東学院大の入試問題

福祉のひろば」12月号で「2018年の貧困・生活保護問題を振り返って」を加美嘉史さんと対談してます。8ページ。
連載の「現代の貧困を訪ねて」は115回で「台風被害と野宿者のテント村(その2)」。6月の台風被害問題についてと、30年ぶりの引っ越しの完結編という感じ。それにしてもこの連載、もうすぐ、まる10年(12×10=120回)だね…

日本著作権教育研究会から、関東学院大学の経済学部経済学科・オリーブ入学者選抜の2019年度入学試験に『貧困を考えよう』を使用したという「著作物使用のご報告」があった。
「経済の貧困と関係の貧困」に関するP214〜217の引用について、「著者の見解を500字以内でまとめたうえで、あなたが考えたことを300字以内で述べなさい(著者の見解への賛否は採点に関わらない)」。試験時間60分。
その解答、ぜひ読ませて欲しい!


2018/11/9■ 『反ヘイト・反新自由主義の批評精神』書評と「健康で文化的な最低限度の生活」の感想 

岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神 いま読まれるべき〈文学〉とは何か』書評を「週刊読書人」2018年11月2日(第3263号) に書いてます。
この本を依頼されたのはありがたかったです。

水島宏明さんメールがあって、「生田さんの見解うかがって引用させていただきたいと思います。メールで結構ですので、このドラマへの評価を教えていただければ幸いです。」ということで、感想を送ったものが記事になってます。
本来なら全話見てしっかり書き込むところだけど、ここでは「個人的な感想」を書いてます。もちろん、こういった内容がテレビドラマで放送されるのは画期的なんですが、支援活動もしている友人たちと一緒に見ていると、こういう感じになるんだよね…


2018/7/20■ 稲葉剛さんとの対談本・30年ぶりの引っ越しなど

稲葉剛さんとの対談、『当たり前の生活って何やねん?! 東西の貧困の現場から』(日本機関紙出版センター)が6月に出ました。
大阪で行なったイベントの記録になってます。それぞれの活動を振り返り、今後を考える内容ですね。

フェリス女学院大学シティズンシップ教育グループ 編『少しだけ「政治」を考えよう!/若者が変える社会』(松柏社)の書評を書いてます。(週刊読書人2018年6月22日)。
学生だけでなく、社会人が読んでも相当ためになる本ではないだろうか。

6月4日に30年ぶりに引っ越した(西成区内)。
雑誌「福祉のひろば」連載で引っ越しについて書いてます。三〇年ぶりの引っ越し(2018年月7号)

最近のインタビューなど
労働情報970(2018年6月1日)
野宿の現場から俯瞰する日本社会当事者主体で「椅子取りゲーム」を変える
(人民新聞2018年3月15日)
(葦)命を守り続けた32年間(朝日新聞2018年2月23日)

ここに書くの、1年半ぶりになっている…。わけはあるけど、またいずれ。


2017/1/4 年末年始

12月31日は、翌日の西成公園での野宿の人たちとの食事のため、もち米や野菜など食材の大量の買い出しで半日つぶれる。今年は、CPAO―大阪子どもの貧困アクショングループから野菜をいただき、大分助かりました。夜は、土曜なので夜まわり活動。
元旦は、朝8時から西成公園で一日もちつき。

鰹でダシをとって食材を煮込み、醤油、酒、みりんで味付けしていく。大量の食材が溶け込んで、家庭ではなかなかできない深みのある一膳になります。
三角公園では越冬まつりで、野宿者ネットワークのアピールをする。
写真はSHINGO☆西成のライブの模様。

年末年始は、いつものことながら越冬で過ぎていく。

このページの記事
2017/1/4 年末年始
2016/12/15 フィリップ・ストレンジ・朝日新聞「いま子どもたちは」の山王こどもセンターの記事
2016/11/29 社会貢献者表彰など
2016/10/18 『山谷 ヤマの男』書評とか
2016/10/5 ついに天王寺公園封鎖
2016/9/20 天王寺動物園夜間封鎖
2016/9/9 『負けない人たち』
2016/8/9 『〈野宿者襲撃〉論』への言及
2016/7/24 『ひとびとの精神史』第9巻
2016/7/10 『貧困を考えよう』
2016/7/6 天王寺動物公園、通路を夜間封鎖へ
2016/7/4 摺動テープ 貧困を考えよう
2016/6/17 週間金曜日の「あしたがあるさ」・「リベラシオン」
2016/5/15 欄の会2016年5月号へのおてがみ
2016/5/5 修正・金子勝「JAPAN is BLACK」第3回
2016/5/3 歯が砕ける・金子勝の「JAPAN is BLACK」第3回
2016/4/15 『虹4』・カゼ3連発と音楽の本いくつか
2016/4/1 大阪市西成区・花園公園で野宿者テントへの行政代執行
2016/3/18 倉敷珈琲館の謎
2016/3/8 『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 2刷と修正いくつか
2016/2/15 本の紹介・「市政研究」・共同通信の「人」欄
2016/2/5 啓明小学校・本屋の『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)
2016/1/8 『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)の発行
2015/12/20 辺野古基地建設代執行訴訟で友だちを久しぶりに見る
2015/12/11 odnとロリポップでホームページ
2015/9/23 監視カメラは「防犯」カメラなのか―「いす取りゲーム」としての監視カメラ
2015/8/24 こどもが野宿している事態をどう考えるか―寝屋川事件
2015/8/14 『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』書評
2015/8/4 カフカの階段update

2016/12/15■ フィリップ・ストレンジ・朝日新聞「いま子どもたちは」の山王こどもセンターの記事

朝日新聞に掲載中の「いま子どもたちは」で、12月15日から山王こどもセンターのことが8回連載されてます。
ぼく(28年前からの元バイト・ボランティア・理事・評議員)も話を聞かれたので、どこかで出るかも。

ここでフィリップ・ストレンジと岡田暁生『すごいジャズには理由がある』のことを書いたけど、そのフィリップ・ストレンジが登場するライブがご近所であった。


KAMAPUB 2016年12月14日 21:30〜
臼井優子(vo) フィリップ・ストレンジ(p) 光岡尚紀(b) 松田順司(ds) 

本を読んでからずっとライブを聴いてみたかったけど、フィリップ・ストレンジがアメリカに戻ってたのでその機会がなかった。今回、「西成ジャズ」に参加と聞いて、うちから歩いて5分のKAMAPUBにやってきました。クリスプなピアノに聴き入りました。
前もライブで聴いた光岡尚紀のベースは聞き応えあったなあ。


2016/11/29 社会貢献者表彰など

朝日新聞の足立記者から電話があり、「朝日新聞で連載している『子どもと貧困』を書籍化しますが、生田さんの「二人のひろし」についてコラムで言及したのでお送りします」。
ということで、朝日新聞取材班『子どもと貧困』を贈っていただきました。ありがたいです。

28日、公益財団法人・社会貢献支援財団から「社会貢献者」ということで51名(団体)ともどもに表彰を受けてきました。個人としての受賞です。
ぼくたちの関連だと、昨年は「もやい」が表彰されてます。
今年はじめに共同通信の「人」欄でインタビューをうけたのが全国の地方紙で掲載され、それを財団が見て候補になったそう。
話が来たとき、正直どうしようか考えたんですが、「副賞50万円」と聞いて「それなら」と決めました。
野宿者ネットワークは年間予算100万円そこそこの団体(人件費ゼロ)なんですが、最大の経費が「寝袋代」なわけです。以前は夜まわりで冬季に100個は配っていたし、近年も数十個配ってます。夏用のペラペラの寝袋では冬の野宿には役に立たないので、定価5000円(まとめ買いで4000円)ぐらいのいいやつを毎年買ってます。
この金額がけっこうな負担なので、助成金に応募したりしてますが、これがまた数年に一回しかあたらない。なので、「50万円入れば1年分の寝袋が買える」と考えたわけです。
また、野宿者ネットワークが在庫に置いている寝袋は、2011年の東日本大震災のときは仙台の夜まわり団体に、今年の熊本地震のときは熊本の支援団体にそれぞれありったけの数十個、郵送しました。どちらもまだ寒い時期の被災だったので、車中泊の人や野宿の人たちのために使ってもらえたようです。というわけで、震災がいつどこで起こるかわからない現在、寝袋は持っておけば必ず役に立ちます。(あと、野宿者ネットワークでお世話になってる団体にもカンパの予定)。
27日〜28日、授賞式に帝国ホテルに行ってきました。前に講演に呼んでもらった「反貧困ネットワーク広島」、2011年に泊まり込みでボランティアに行った「仙台ワンファミリー」の人たちも受賞で来てて、いろいろお話ししました。51団体(個人)には神戸の女性シェルターネットの方や、沖縄で夜間中学を運営されている方、大阪で生活困窮者レスキュー事業に関わっておられる方もいて、いろいろ情報交換できて、それは有意義だったかな。
帝国ホテルを出て、友だちと会って、寒い中、一緒に両国駅近くの「北斎美術館」に行ったら、「閉館日」で閉まっていた! ま、いずれ来ることにしよう。



2016/10/18■ 『山谷 ヤマの男』書評とか


↑「賞味期限切れ」の自販機を初めて見た!(西成区にて)。
「売れるの?」と思ったが、数日後には「売り切れ」になっていた…

多田裕美子著『山谷 ヤマの男』(筑摩書房)の書評を共同通信に依頼され書きました。約800字。神奈川新聞など各地方紙で掲載されてます。
「日雇労働者の街として知られた東京山谷。ここで百人を超える男たちの肖像を撮影した女性カメラマン。エピソードと写真を収録する。」内容の本です。

「月刊Journalism」9月「 混迷する世界、本質を読み解く 時代を知るための120冊」で、雨宮処凛さんの「現代の貧困を知る10冊」で『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)が出てました。ありがたし。


2016/10/5■ ついに天王寺公園夜間封鎖

昨日夕方、「今日、天王寺動物園入口が封鎖される」と、各新聞社から電話がありコメントを求められた。
ついに夜間封鎖し、20人ほどの寝場所がなくなったことになります。

ホームレス寝場所は 大阪市、天王寺公園通路を夜間閉鎖(朝日新聞)
目的は不審者対策?ホームレス排除? 大阪・天王寺公園で夜間閉鎖開始 野宿者支援団体から批判の声(産経新聞)
天王寺公園.夜間封鎖で門扉運用開始(毎日新聞)
天王寺公園の夜間通路封鎖 ホームレス支援団体反発(共同通信)


2016/9/20 天王寺公園夜間封鎖追い出し策≠ノ住民賛否

今日の産経新聞の記事でコメントしてます。
記事にあるように、野宿者ネットワークとして公園事務所に申し入れを行ない、話し合いをしてます。しかし、あの20人ほどの寝場所がなくなるのは、どうも避けられない模様。
なお、「工事と並行して、別に野宿の場所を確保するなど他にもやり方はある」というのは、かつて西成公園や関谷町公園で、野宿者ネットワークが野宿当事者とともに市と話し合って行なった方法を言ってます。
それにしても、記事で、「ジャンジャン横丁」で商店を営む男性店主が「ホームレスが寝ていると、正直イメージが悪い」と言ってますが、「究極の貧困」状態にある人たちの生活問題を「イメージが悪い」で捉えるのはどうなんでしょうか。それに、寝るのは動物園が閉まる夜以降で、商店、特にジャンジャン横町とはあまり接点ないと思うんだけど。
また、天王寺動物園の近辺について「以前は近寄っちゃいけない場所だった」「娘とも安心して来られるようになりました」と何人か言ってるけど、それって、もしかして実害のない「偏見」(風評?)なのでは。「以前は酔っ払いに絡まれたりがらが悪かった」ともありますが、ぼくも長年ここにいるけど、酔っ払いに絡まれることはまずないし、また、酔っ払いはたいてい野宿者ではないので今回の話と関係ないし、さらに、ほろ酔いのおじさんが突然話しかけてくるのはこの地域の「風土」「文化」の一つなのではないだろうか。
ジャンジャン横町とかが、どこにでもあるような「おしゃれな街」になるのは地域にとって長い目で見て得策ではないと思うんだが…。

記事にあった「抗議申し入れ書」はこちら。
抗議申し入れ書
天王寺動物公園事務所長 様
大阪市長様

 大阪市は今秋から、天王寺動物公園(天王寺区)内の3か所ある通路の入り口にセンサー付きの門扉を取り付け、午後10時〜翌午前7時まで封鎖すると伝えられています。
これについて、2016年7月6日の読売新聞では、「同公園では昨年10月、芝生広場「てんしば」ができたほか、高さ日本一の高層ビル「あべのハルカス」も近く、来場者が急増。さらに集客力を高めるため、現在約30人いるホームレスを退去させることでイメージアップを図る考えだ」と報道されています。
 野宿者ネットワークは1995年から夜まわりを行なっており、この地域で野宿している人たちとの情報共有、生活相談などを続けています。予定されている封鎖は、観光客の集客や「イメージアップ」のために野宿者を追い払うという非人道的なもので、見過ごすことができません。「目立つところから追い出せばそれでいい」という野宿者排除は、問題を解決することなく、むしろ野宿者に大きな負担を強い、その生活や健康を大きく損なうものとなります。しかも、この計画について、現場の野宿者には事前の相談などがなく、多くの人が報道によって初めて知ることになりました。
 野宿者ネットワークの夜回りでは、昨年から、野宿者から「天王寺駅タクシー乗り場前に警備員が立っている。朝8時から晩8時まで立っているとのこと。おそらく寝るどころか立ち止まることもできない様子」「天王寺公園駐輪場周辺を市から委託された警備員が防犯パトロールをしている」という声を聞いてきました。このような、企業や行政が野宿者排除を繰り返す事態がこれから進行することを危惧しています。
 野宿者を排除する通路封鎖計画を凍結し、現場の野宿者および支援者と話し合いを持つことを申し入れます。
 話し合いの日時については、一週間以内に回答お願いします。

2016年7月19日(火)
野宿者ネットワーク


2016/9/9 『負けない人たち』・「釜ヶ崎から、ジェントリフィケーションを問う」

今日発売の金子勝『負けない人たち』(自由国民社)の第3章「福祉に携わる人たち」で金子さんにインタビューされてます。
「経済学者・金子勝が、地域や生活世界でどういう具体的なチャレンジが行われているのか、それを担う人たちは何を背負って何を目指しているのか、具体的に「負けない人たち」からナマの声を聴き出します。列島各地に胎動する変化の兆しを訪ね歩くレポートによって、近い未来、どういう社会を創るべきなのか、そんな未来図が見えてくる1冊に仕上がりました」ということです。
前にウェブで出たものの完全版ということですね。冬に山王こどもセンターでお話ししたものです。

「寄せ場」28号で原口剛さん(ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市』訳者、新刊に『叫びの都市』)による書評、「釜ヶ崎から、ジェントリフィケーションを問う 生田武志『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』への応答」が載ってます。原口さんから贈っていただきました。
『釜ヶ崎から』の増補した冒頭の章が12ページにわたって論じられてます。この章では「大阪都構想」と「西成特区構想」の関連、釜ヶ崎のジェントリフィケーションの進行と、結構生々しい話題を扱ったんだけど、これという反響がないなあと思ってました。こうしてじっくりと評されるのはそれ自体「有り難い」です。
原口さんの評は批判も含めてとても内容のあるものなので、きちんと応答したいです。



2016/8/9 『〈野宿者襲撃〉論』への言及

木村友祐さんのツイート
とてもありがたいですが、一つには、『〈野宿者襲撃〉論』の続編のような原稿(野宿問題じゃない内容)で、『聖地Cs』について触れているんだよね。この小説は、震災によって露呈してしまった最も重要な問題の一つを提示していると思います。
原稿が掲載になるか本になったら(なるのか?)、木村さんに贈呈することにしよう。(あ、「野良ビトたちの燃え上がる肖像」も読んでみよう。 
しかし、岡和田晃さんの文芸時評のある図書新聞は近所で入手できるとこあるのか?)



2016/7/24
 『ひとびとの精神史』第9巻「震災前後 2000年以降」・「住民と自治」

ヴォルフ・エディション(8枚組CD)を日々聴いている今日この頃ですが、
岩波書店のシリーズ『ひとびとの精神史』の第9巻「震災前後 2000年以降」が届いた(7月26日発行)。この中で、「貧困と野宿の縮図・釜ヶ崎での30年」を書いてます。
内容上、『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (旧・『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』)と重複を避けることができないんですが、使ってなかった資料やメモに拠って、なるべく重ならないようにしました。
しかし、この第9巻、執筆者がほとんど男性ばっかだね…

月刊『住民と自治』8月号に「大阪の子どもの貧困の実態と連鎖を断ち切るために」の一部を書いてます。こどもの里の取り組みについて、映画「さとにきたらええやん」を紹介しながら書いてます(まだ、雑誌そのものを手にしてないです)



2016/7/10 『貧困を考えよう』

野宿者ネットワーク総会のあと、少しでも世の中を変えたくて選挙に行って来たこの晩ですが、
今日の朝日新聞の書評欄、湯澤直美さんによる「ひもとく 子どもの貧困」で、テス・リッジ『子どもの貧困と社会的排除』、青木紀『貧困 生活保護受給母子世帯の現実』、ぼくの『貧困を考えよう』の3冊が挙げられ論評されていた。
「『貧困を考えよう』は、貧困から見えてくる私たちの社会を考えることは、『この社会の中で自分たちはどう生きていくのか』を考えることにつながるはずだ、と投げかける」などと書かれてます。ありがたし。
しかし、他の2冊は読んだことないな。
「こういうのに載ると、本の売れ行きって良くなるのかなあ?」と考えていると、アパートの下からピンポーンと呼び鈴が鳴り、出ると知り合いがいて「今日朝日新聞で出てた本、生田さんのところにありますか?」と聞かれた。一冊あったので、その場でお売りした。
その後、投票所に歩いていると知り合いから電話が入り、「生田さん、新しく本出したの?」「あ、そうなんだ、3冊欲しいんだけど、本屋に行けばいいかな?」。
このように、少なくとも4冊は売り上げたようである。
この本、先日、岩波書店から「7刷発行のお知らせ」が来た(この間「5刷」と書いたのは6刷の間違いだったみたい)。7年前の本がこのように論評されたり増刷されると、「まだ本として生きているんだなあ」と感じます。


2016/7/6■ 天王寺動物公園、通路を夜間封鎖へ…大阪市

今日の読売新聞夕刊の記事でコメントしています。しばらく前にインタビューされたもの。
記事によると、
「大阪市は今秋から、天王寺動物公園内の通路を夜間、封鎖する。集客力を高めるため、現在約30人いるホームレスを退去させることでイメージアップを図る考え」だそうだ。
この夜間封鎖について、「新世界町会連合会」総会では、「天王寺駅などから来るお客さんに遠回りさせ、不便を強いることになる」「災害時の避難路がなくなる」「ホームレスも客となり、共存してきたのが新世界だ」などと反対意見が相次いだというのはもっともなことです。

ぼくの発言として「追い出しても別の場所に移るだけで本質的な解決にはならない。ホームレスの自立支援には、丁寧な話し合いを重ね、社会の一員と自覚してもらう環境づくりが欠かせない」とあるけど、うしろの発言はぼくの言い方ではないです。
ふだん、「ホームレス」とは言わないし、「自立支援」という言葉も使わない(「フリーターズフリー」3号で、「自立支援」という発想を批判する文章を書いている)。それと重なるけど、「社会の一員と自覚してもらう」という「上から目線」の言い方もねえ。(あとで思い至ったが、「野宿の人たちも社会の一員ということを周囲の人たちが理解する必要がある」みたいなことを話したかもしれない。だとすると、「自覚」する主体が逆になっている!)
野宿者ネットワークのMLでは、
〃記者から質問され、去年から、「天王寺駅タクシー乗り場前に警備員が立っている。8時から8時まで立っているとのこと。おそらく寝るどころか立ち止まることもできない様子」「天王寺公園駐輪場周辺を市から委託された警備員2名が防犯パトロールをしている」ということがあり、いまみや一貫校前のテント排除もあり、大阪の名所や西成特区構想関連で野宿者排除があり、きなくさい感じを受ける、といったことを答えました。〃
と報告したけど、そういうことを主に話しました。
いろいろ話した事を記者さんがまとめるんだけど、「なんか違う」ものになってしまう。新聞のコメントって難しいね。

追加
6日夜、天王寺公園入口でこの問題について毎日テレビのインタビューに答えました。いつ放映されるかは未定。


2016/7/4 摺動テープ  『貧困を考えよう』 

2年半使っている電子ピアノの低音の鍵盤が、しばらく前からスカスカ異音がしていたが、まあ使えるのでそのままにしていた。しかし、最近、よく使うC♯の鍵盤がひっかかって音が出にくくなった。
5〜6年前、別の電子ピアノの同じような故障でカワイの修理の方に来てもらったことがあるが、それを見ていて、素人でなんとかなるものではないことはよくわかった(そもそも、交換する材料がないと無理して開けても何もできない)。そこで、カワイに連絡すると、前と同じ方が修理にやってきた。
故障の原因は、以前と同じく、鍵盤に取り付けてある「摺動テープ」が摩耗したりしてずれていたこと。結構、あちこちの鍵盤でガタが来ているという。それで、88鍵すべてのテープを交換することになった。
作業が終わったあと、修理の方は不審な表情で「ここの一番低い音域の鍵盤が結構きてるんですけど…」と言う。「そこ、よく使うんです」(あっし)。
こういう↓作りの曲を半年弾いてると、どうしたってそうなるんだよ…



それにしても、摺動テープを交換すると「タッチが浅い」感じに変わった。違和感はあるが、許容範囲か。ピアノって、一台一台タッチがみんな違うしね。

貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)の5刷が届いた。
部数はそんなに多くないけど、ぼくの本の中では一番増版が多い本になっている。
でも、7年前の本なので、全面的に書き換えた方がいいのではないかと考える今日この頃です。



2016/6/17 週間金曜日の「あしたがあるさ」・「リベラシオン」

「週間金曜日」6月17日号の金子勝さんのインタビュー連載「あしたがあるさ」で、金子さんに答えていろいろ話してます。しばらく前、山王こどもセンターでお話しした内容です。

リベラシオン(福岡県人権研究所)162号に「大阪市の生活保護をめぐる問題」を書いてます。
2014年の「大阪市生活保護行政問題調査団」で取り上げた多くの問題の他、橋下徹市長が「VISAプリペイドカードによる生活保護支給のモデル事業」を打ち上げた問題、2015年度から生活保護申請時の新規貸付金が数週間の生活費として上限2000円(!)の貸付しか行わなくなった問題、生活保護を申請すると、「敷金礼金は出せないから、ゼロゼロ物件を探しておいで」と言われる問題、そしてそれらについての市との交渉について書いてます。
最後に書いたように、「大阪市は日本全国の「不安定雇用から失業、野宿、生活保護へ」という過程を数十年先んじている。大阪市で起こっている生活保護行政の問題は、全国で共通の課題となっていくかもしれない。われわれはこれからも、「違法行為をやめて、困窮者に寄り添った生活保護行政を行なえ」と繰り返し行政に対して言い続けなければならない。」ということなんですね。


2016/5/15 蘭の会2016年5月号へのおてがみ

多くの人にとっては花粉症が終わる季節ですが、イネ科雑草のカモガヤのアレルギーを持つぼくには、きのうあたりからが一番キツイです。こちらの情報によると、「花粉の飛散期は、丁度今頃、5月から梅雨開けまでですが、一部秋にもあるようです。抗体保有率は、アレルギー性鼻炎の方のおよそ30%程度。そのうち、3分の1程度の方に症状がみられるようです。症状はスギ花粉症と同じく、くしゃみ、鼻水、鼻づまりの3主徴に加えて、目の痒み、咳、喉のイライラ感、咳などです。」「イネ科雑草花粉症に関していえば、未だ、舌下免疫療法は確立されておらず、残念ながら、自己防衛と対症療法に頼らざるを得ません。」
ということで、抗ヒスタミン剤を飲んで、「くしゃみ、鼻水、鼻づまり、目の痒み、咳、喉のイライラ感、咳」に自己防衛と対症療法で耐え続ける今日この頃です。

ウェブ女流詩人の会 蘭の会 2016年5月号におてがみを書いたのがアップされてます。これ、大分前に書いたので、自分でもすっかり忘れてた…
「フリーターズフリー3号」について、自費で雑誌を出すことの難しさと意義について書いてます。
ぼくの書いた「反貧困運動と自立支援―それは何からの自立なのか?」については、熊本で深刻な震災が起こり、ヘイトスピーチ対策法案が成立しそうないま、これが議論の材料として使われるとありがたいところです。


2016/5/5 修正・金子勝「JAPAN is BLACK」第3回

金子勝の「JAPAN is BLACK」第3回
 の内容で、ミスがあった!
「高校や専門学校を出た段階で500万〜600万円の借金を抱えている」とあって、それが見だしにもなってますが、
「高校」ではなくて「大学」です。
高校の奨学金や大学の奨学金などを合計して500万〜600万円ということです。
高校卒業時に500万〜600万円ということはないよね。
インタビュー記事の校正で見落として、ネットの記事を見てていま気づきました。
担当者に修正のお願いを出しました。記事を読んだ方、不注意ですみません。


2016/5/3■ 歯が砕ける・金子勝の「JAPAN is BLACK」第3回

おととい、部屋でくつろぎながら、久しぶりにポテトチップをパリパリ食べてると、「ガチッ」と砕けないものを噛んだのに気がついた。「異物混入か?」と思って吐き出すと、白い小石のようなものが。とりあえず置いておいて、それからしばらくして、なんとなく口の中を舌で触ってると、右上の奥歯が根元を残して半分ぐらい消えているのに気がついた! 
それまでその歯に違和感はなかったので、何がどうしたのか、まったく不明。ぜんぜん痛くないけど、どう考えても放置できないので、次の日、歯医者に行った(歩きながら、源実朝の「大海の 磯もとどろに寄する波 割れて砕けてさけて散るかも」が頭に浮かんだ) 。
「どうしましたか」と聞かれ、「右上の奥歯が砕けました」と言うと、歯医者は「えっ!」と一瞬びっくりした。レントゲンを撮ると、「虫歯ですね」「今日はセメントを詰めておきます。連休なので、痛くなったら大変ですから頓服薬を出します。本格的な治療は来週にしましょう」ということだった。
昔、歯が痛いのをずっと(理由もなく)ガマンして壊疽を起こしたことがあるけど、痛くもかゆくもなくても虫歯になって、割れて砕けてさけて散ることがあるんだなあ…

金子勝の「JAPAN is BLACK」第3回 で話してます。金子さんがこちらに来られて、山王こどもセンターで話した内容を簡単にまとめたものです。 


2016/4/15 『虹4』・カゼ3連発と音楽の本いくつか

北日本新聞社『虹4』。北日本新聞で毎月連載の「虹」の「教育と福祉をつなぐ手 子どもの貧困 放っておけない」(2015年6月1日)で取材を受けましたが、それを含む連載分が本になったそうで、送っていただきました。「子どもの貧困が広がる中、あいりん小中学校のような活動が全国で必要になってくる」とかしゃべってます。

今年元旦、西成公園のもちつき大会が終わってから正月早々にカゼをひき、体が痛くて一週間ほど寝こんだ。
それが治って一ヶ月後の2月15日、またカゼになり、予定が入ってた講演やフィールドワークを3回無理してやって、それから声がほとんど出ない状態になった。結局、なかなか治らず二週間近くも寝込んだ。症状がカゼみたいで長引くB型インフルエンザだったのかもしれない。
そして三月半ば、信じられないことにまたカゼをひいた。今度は体と頭がガンガン痛くて、数日は味覚も全然なくなるという、なかなかの状態だ。痛みで眠ることもできないので、めったに飲まないカゼ薬を飲んでしのいだ。症状の強さを考えると、これもインフルエンザだったかもしれない。
こうして、2016年は毎月カゼで寝込むという災厄の年になった。年6回カゼをひいたのが今までの自己最高記録だが、今年はそれを更新しそうな驚異的ハイペースである。
それにしても、インフルエンザの予防接種受けときゃよかった…

寝ている間、頭が痛くて本も読めないときは、AmazonのFire TV Sticのストリーミングで「スタンド・バイ・ミー」とか「ジェイン・オースティンの読書会」とか「恋はデジャ・ブ」(この中で一番おもしろかった)とか「ダ・ヴィンチ・コード」とか映画を見てたが、たいてい寝ながら本を読んでいた。特に興味津々で読んだのが『武満徹 音楽創造への旅』
立花隆が『文學界』に6年近く連載した武満徹へのインタビューを元にした原稿で、実に780ページほどの大冊だ。武満徹へのインタビューに加え、関係者へのインタビュー、様々な資料調査によって、「戦後日本現代音楽史」として重要な本になっている(偏りはある。たとえば演奏者としての高橋悠治については絶賛しているが、作曲家としてはほとんど触れていない、とか)。
武満徹の多くの曲について背景情報が豊富で、いくつかの曲はこの本で存在を初めて知った。たとえばブーレーズが指揮した、当時の武満徹の総決算だという「アーク」とか。それから、「地平線のドーリア」は本人が最も納得のいく作品の一つだが、小澤征爾も「あの曲、申し訳ないけどわからないよ」と言う、あまり理解されない曲だということも初めて知った。本を読んでて、あれこれすごく聴きたくなって、発売当時は高くて見送ったCD12枚組の「武満徹全集 第1巻 管弦楽曲を買った(税込22479円也)。
武満徹の曲で最も印象的なのは、高校のときに聴いた小澤征爾指揮・高橋悠治ピアノの「アステリズム」だ。曲の最後でオーケストラが信じられないような持続でクレッシェンドし、音楽が爆発して散乱していく。日本人離れした強靱な美意識に唖然とさせられた。この曲も10代以降全然聴いてないので、この全集で聴き直してみよう。
武満徹の曲で、自分で弾いたのは「Rain Dreaming(夢見る雨)」だけだ。こちらで書いたように、同一の音型を繰り返す中、右手が一拍ずつズラされていく。ミニマリズムを思わせる音の流れが雨のように続く。そこでは、チェンバロの不協和音が(バルトークの場合のように「刺さらず」)、柔らかく官能的に響く。
初めてこの曲をチェンバロで聴いたとき、本来鋭いチェンバロの不協和音が豊かな詩情を持って響くのに感心した。高橋悠治は武満徹の音楽について、「耳ざわりがいい音楽だし、ある種の情緒があるから。危険がないから」「危険といえば、あの人はすごく影響を受けやすい人で、そういう意味では危険はあった。なんか新しいことを思いつくじゃない? それをした場合、彼の方が全然うまく、きれいにできるわけ」と言う(権代敦彦との対談)。
「革新的」じゃなくて「上手」「器用」という批判だろう。事実、「Rain Dreaming(夢見る雨)」も、たとえばクセナキスのチェンバロ曲(あるいはバルトークのいくつかの曲)ほど「革新的」ではなく、「上手」に作られた音楽かもしれない。この「Rain Dreaming」も含め、80年代以降の武満徹の音楽が(『武満徹 音楽創造への旅』にあるように)ジャスパー・ジョーンズが言った「おまえは美にこだわりすぎる」という方向に向かったのは間違いないだろうと思う。けれど、現代のチェンバロ曲でこれほど多くの聴き手を惹きつける曲なんて、そうはないんじゃないだろうか?(これはピアノだけど、最近出たファーニホーのピアノ曲全集のCDを聴いたけど、「素晴らしい」とは思っても、「何度も聴きたい」とか、まして「自分で弾きたい」とか全然思えないんだよね)。
その意味で、武満徹は演奏者にとって、いくら感謝してもしきれないような作曲家なのだ。

かつて大阪に住んでたピアニスト、フィリップ・ストレンジと岡田暁生による『すごいジャズには理由がある』を読んだ。
「ジャズの「実質」とは、リズム、メロディ、ハーモニー、形式、そして音色にほかなりません」「音楽そのものの発展にもとづいたモダン・ジャズ史を描き出そうと試みました」という視点から、アート・テイタム、チャーリー・パーカー、オーネット・コールマン、マイルズ・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンズの音楽について語りあった本。
一番関心をもって読んだのがアート・テイタムの章で、ここでは「All the Things You Are」の一部をストレンジが採譜したものを例に、和声分析を行なっている(市販のコピー譜もあるが、ストレンジによると「間違いだらけ」で「こんな間違いをすると、アート・テイタムの何がユニークなのか、まったくわからなくなってしまいます」ということだ)。
「モダン・ジャズではドミナント(X)の和音のとき、その5の音に♯を付けたり♭を付けたり、あるいは9の音に♯を付けたり♭を付けたりして半音変化させるということが、よくおこなわれます。(…)♭5は伝統的な和声法ではもっとも回避される増4度の音程になります。♭5はビバップの代名詞ともなった音程です。こういうものをアート・テイタムは、じつに驚くほどたくさん使っているのです。」
他に、ある和音/調性をやはり増4度関係の和音/調性で代用するというモダンジャズでいう「代理和音」あるいは「裏コード」、ストラヴィンスキー(ペトルーシュカ)やバルトークも使っていたものだが、アート・テイタムはこれも各所で駆使している。
ただし、これだけだと、「当時としては先進的でしたね」(今から見たら古いね)という話になってしまう。しかし、アート・テイタムの場合、これは目に付いた一例で、和声、リズム、対位法と音楽のあらゆる面で、その音楽の発想が、当時のジャズの枠にはとても収まるようなものではなかった、ということなのだと思う。
ストレンジは他に、レッド・ガーランドやバド・パウエルが「右手がサックス(メロディ)・左手は伴奏」というスタイル(クラシック古典派でよくある)なのに対して、アート・テイタムは「両手で4声で考える。右手の子指がメロディ(ソプラノ)、右手の親指がアルト、左手の親指がテナー、左手の小指がベース。そしていちばんだいじな声部が、じつはテナーなんです」と言う。つまり、演奏スタイルが、他のピアニストとは比較にならないほど複雑なのだ。ストレンジが言うように「たぶんあらゆるジャズ・ミュージシャンの中でも、いちばんコピーがむずかしい人だ」。
ぼくは、ジャズピアノの中ではアート・テイタムとセシル・テイラーに最も関心があって、それは、この二人がピアノという楽器の持つ可能性をそれぞれのスタイルで人間の限界ギリギリまで展開させたと思うからだ。セシル・テイラーはある意味わかりやすい(?)けど、アート・テイタムは、「上品なラウンジ・ミュージック」みたいに受け取られているかもしれない(ぼくが聴かせた人たちはみな「きれいなピアノだけど…これが何?」という感じだった)。
しかしよく聴くと、よくあるような当時のポピュラーソングが和声、リズム、対位法のさまざまな面で複雑な変化を与えられ、異常なスピードの手さばきで次から次へと音にされているのがわかる。音源を聴いてると、人間とは思えないような超高速で頭脳が演算し続け、指が回転している様子が見えてくる。ホロヴィッツはアート・テイタムを生で聴いて仰天し、トスカニーニも一緒に連れて行ったわけだが(プライベートで、テイタムのコピーを弾いていたそうだ)、それはアート・テイタムの指と頭脳のこの異常な、一世紀に何人はいるとも思えない能力に驚いたのだと思う。
この本は、そういうアート・テイタムの特性を、譜面に起こして具体的に示してくれてて本当にありがたい。あと、オーネット・コールマンの章とかビル・エヴァンズのとこもおもしろくて、今この二人の演奏を聞き返しているところです。


2016/4/1 大阪市西成区・花園公園で野宿者テントへの行政代執行



3月30日、大阪市西成区で、2つの野宿者のテントに対する行政代執行が行なわれた。
花園公園と通路にあるテントで、ここでは1998年にもテントを排除する行政代執行が行なわれた。同一の場所で18年ぶりの行政代執行ということになる。
テントへの除却命令は、2月5日を期限として大阪市長から出されていた。それに対し、「強制排除に反対する釜ヶ崎の会」から抗議文を出した(野宿者ネットワークも賛同)。

抗 議 文

花園公園の強制排除に抗議します


大阪市は花園公園の中の組合所有のテントと看板、公園外のFさんのテントに対して除却命令をかけてきました。 

Uさんは、センターと南海本線との間にあったガードレールの内側にテントを設営して生活していました。大阪市の執拗な追い立てにも負けず最後まで残っていましたが、争いを好まないUさん。やむを得ずテントを引き上げ、廃品回収をしながら転々と寝場所をかえておられました。

花園公園にある組合のテントが空いてくるので、「そこを使いませんか」と声をかけると「本当ですか。ありがたいことです」と二つ返事で入居を決められました。

ところが大阪市は花園公園からもUさんを追い立てるのです。心優しいUさんは、大阪市との衝突を避け、テントを空ける時間が増えています。

花園公園の外にはFさんが寝起きをしているテントがあります。子供たちの襲撃をうけ、投げつけられたコンクリートが頭に当たり負傷したこともあります。また大阪市の職員がテントの一部に損傷を与える被害をこうむり、大阪市への抗議行動を続けてきましたが、大阪市は謝罪もせず居直り続けてきました。そのFさんに、今度はテントから立ち去れと言うのです。

テント撤去は生存権の侵害、看板撤去は表現の自由の侵害です。また橋下徹前市長は「まちづくり検討会議」で、強制排除はしない旨の意見を述べました。ところが吉村洋文市長に変わったとたん、除却命令を発してきたのです。到底承服できません。

テント生活している人たちを追い立てるだけでは何の解決にもなりません。行政代執行は野宿している人たちに不安感を与えるだけです。私たちは生存権、表現の自由を守ります。立ち退くつもりはまったくありません。

2016年2月5日(金)

 「強制排除に反対する釜ヶ崎の会」
 

2月12日には「萩之茶屋まちづくり拡大会議」定例会があり、町会、簡宿組合、自彊館(三徳寮)、市民館、労働福祉センター理事、センター労組、釜ヶ崎キリスト教協友会、大阪府(労動部)、大阪市(福祉局)、西成区、西成警察(防犯)が参加し(行政代執行を行なう建設局は不参加)、行政代執行については「止めなくていけない」という意見だったという。事務局から緊急で「萩之茶屋まちづくり拡大会議」名で大阪市長に対する要望書が用意された。
かつて、野宿者テントに対する行政代執行は頻発した。しかし、大阪では、野宿者のテントに対する行政代執行は9年近く行なわれなかった。行政代執行のような強制排除は、野宿者にとってはもちろん、行政にとっても住民にとってもプラスにならないという認識が広がっていたからだ。
2012年、ぼくも参加した「西成特区構想有識者座談会」で公園問題が話し合われたが、そこでは、大阪市で繰り返された行政代執行は「負の歴史」であり、過去の強引な過ちは繰り返すべきではない、話し合いによって個別の解決をしなければならないという意見が委員の間で主流だった。もちろん、テントの存在を疑問視する人はいるが、それは時間がかかっても話し合いによって解決すべきだ、と多くの人たちが考えていた。
そうした中、野宿者が多い釜ヶ崎近辺で行政代執行が強行されたのは、ここが「いまみや小中一貫校」の真ん前だったからだと考えられる。
花園公園から通路をへだて、写真に写っている「いまみや小中一貫校」がある。ここにあった今宮中学校は、2015年度から小学1年生からの英語学習や小学校から一部教科担任制を取り入れるなどで話題の「いまみや小中一貫校」になった。
橋下前市長は「西成特区構想」で西成区への子育て世代の呼び込みを訴え、先進的な教育を行なう場としてこの学校の計画を推進した。しかし、他地域の保護者の一部は「あいりん地区は犯罪が多い」と考え、この地域での子育てについて消極的だったとされる。(しかし、大阪市の「人口当たりの全刑法犯件数」(2009年〜2011年)を見ると、西成区は6位。2011年の場合、1位の中央区の1000人あたり犯罪件数101.2件に対し、西成区はそのわずか4分の1の25.7件。ぼくも参加した「西成特区構想有識者座談会」では、大阪府警察による「犯罪発生マップ」から「どの街頭犯罪をみても顕著であるが、あいりん地域は、その周りに比べても、突出して犯罪発生件数が『低い』ことがわかる」と言われていた)。
そうした声に対応して、大阪府警があいりん地域内に45台、大阪市が通学路に(従来の6台から)36台の監視カメラを増設するなど、地域の「監視化」を行なっていった。突然浮上したこの行政代執行も、この「西成特区構想」の流れに関連すると考えられている。
写真にある、花園公園のすぐ外にあるテントに住むFさんは、1970年から釜ヶ崎で日雇労働者として働いていた。18年前の行政代執行は見物する立場で、「まさか自分がこうなるとは思わなかった」そうだ。バブル崩壊後、2001年頃に生活保護の申請に市更相(現在の西成区保健福祉センター分館)に行ったが、7、8千円あるなら使い切ってからまた来いといわれ帰され、4、5日後、再び行くと「ハローワークで仕事をさがせ」など言われ、結局申請できなかったという。その後、空き缶集めをしながら廃車を探しまわりそこで寝る生活だった。夜中に子どもからテントを叩かれ安心して眠れず、2年間各地を転々とした。釜ヶ崎にあるシェルターに行こうとしたが、聴覚過敏で、集団で寝るのが精神的にとてもしんどく無理だったという。空き缶集めで生活していて、主に夜に集めるため、シェルターに夜6時〜朝5時まで入ると空き缶集めができず収入が絶たれるという問題もあった。花園公園で知人のテント生活者を通じ、空きテントに入ることができた。いまは花園公園しか安心して住める場所がないという(記者会見より)。
以下は、花園公園内のテントを使っていたUさんの陳述書。

 陳 述 書
2016年3月15日

 私は大阪市出身で、昭和23年生まれの68歳です。
 釜ケ崎に住んでからはずっとシェルターを利用していましたが、2012年にシェルター受付券をめぐってシェルター職員とトラブルを起こした後、シェルターを利用せず野宿するようになりました。
 ちょうどそのころ、折り畳み式のテントを手に入れましたので、センター横の南海電車の高架下の路上にテントを張りました。私かそこで生活するようになったとき、高架下の路上でテント生活する人は1人も居ませんでしたが、2〜3年経つうち自然に増えていきました。
 大阪市の職員が月に1回出向いてきて、掃除をするので荷物をどかして下さいという貼り紙をしていきましたが、対応はソフトでした。当時「大阪都構想は大阪市を無くして、現場で働いている職員もほとんど解雇される」と聞いて、私私大阪市を無くすことに反対でしたので都構想反対のビラまきを手伝ったりしました。そして、市の職員が掃除しやすいように荷物をどかしたりして、協力してきました。荷物を置いたまま、好きな本を読むため中央図書館まで通うこともでき、幸せでした。
 しかし、都構想が住民投票で否決され白分たちの身分が保証された途端、大阪市職員の対応がガラリと変わりました。西成区の福祉課の課長が部下を3, 4人連れて来て、「ここを退いて下さい」と言うのです。私は建設局ではなくどうして福祉課の職員がそんなこと言うんだろうと思いながらも、「2か月待って下さい。その間に荷物を回収して、自主退去します」と言いました。
 課長は最初、「2か月、待つ」という返事でしたが、2〜3日通い詰める中で、私の受け答えに腹を立てたのでしょう、「すぐに撤去する」と言い放ちました。私か「手続きを踏まないで撤去するのは不法行為ですよ」と言うと「文句かあるなら裁判してくれ」と答えてきました。
 当時、高架下で生活するのは私1人になっていました。課長が腹を立てて去って行った次の日、パッカー車が来て、私の荷物をゴミとして処分してしまいました。この荷物の中には、大切にしていた哲学や数学の古本が何冊も入っていました。
 大阪市の職員は、都構想が住民投票で否決された途端、手の平を返して強行路線で出てきたのです。恩を仇で返すとはこのことを言うのではないでしょうか。
 高架下を追われて困っているとき、稲垣さんに「空いている小屋がありますよ」と声をかけられました。暑い時期で公園には蚊が出るので、涼しくなったら寝泊りさせてもらおうと思っていました。荷物を公園の小屋に移動させ、1日4〜5時間、小屋で過ごすことを何回か行ってきました。
 公園で小屋に向かう途中、大阪市の職員に「荷物は置かないで下さい、ここは大阪市の土地です」と言われたことがあります。今年2月、私は荷物を運び出しました。
今は分散している荷物を管理しながら、夜は医療センター前で寝て、昼間はセンターの1階で過ごしております。
 私はアダム・スミスの国富論に感銘を受け、私の信条としています。わかりやすい言葉で言えば「浪費家は公共の敵、節約する人間は公共の恩人」ということです。「お金は使わず貯める」「ものを大事にする」ということを実行しているのです。私の荷物は私の信条を現したものです。それをゴミとして処分されたことは、私の生き方そのものが否定されているようで、強い憤りを感じます。

かつて、長居公園や大阪城公園などで繰り返された行政代執行が行なわれたことで、釜ヶ崎に緊張が強まっている。
野宿者やそのテントを排除する動きは長年続いている。だが、野宿者を力づくで追い出しても、追い出された人は別の場所に移動させられるだけなのだから、当然何の問題の解決にもならない。野宿になる原因は、多くの場合「家賃(ドヤ代)を払うことができない」という「貧困」にある。狙い撃ちで野宿者を追い出すことにエネルギーを費やすより、社会として貧困を解決する施策を考えた方がはるかに建設的であるはずだ。
ここ数年、野宿者の数は急減してきた。それは、従来のように(そして今回の行政代執行のように)「目立つ場所から追い出してしまえばそれでいい」という非人道的な方法から、生活保護をはじめ、常識的な支援へと施策を切り替えたことが大きい。その場合、信頼関係を築きながら、個々の事情に応じて時には長期的なやりとりが必要になることもある。その意味でも、今回の行政代執行はあまりに拙速だと感じる。
今回のような強引な排除を繰り返す限り、行政、地域、支援者、野宿当事者の間の不信と対立が止むことはない。


2016/3/18 倉敷珈琲館の謎

『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)の簡単な紹介が読売新聞に載ってました。新聞での紹介は日経、朝日に続いて3つ目。

近畿大学付属看護専門学校の2016年度入学試験に『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』の一部が使われたと、問題ともども郵送されてきた(日本著作権教育研究会から)。この本、入試に何度も使われるなあ…

前からコーヒーの生豆を手網で焙煎したり、最近はエアロプレスでコーヒーを作ったりしてるけど、近頃コーヒーの本を何冊か読んでいた。コーヒーを作るのには『田口護の珈琲大全』や『コーヒーの科学』(ブルーバックス)とかが参考になったけど、ある意味一番興味深かったのは嶋中労の『コーヒーに憑かれた男たち』だ。
この本では、「カフェ・バッハ」の田口護(まもる)、「もか」の標交紀(しめぎ ゆきとし)、「カフェ・ド・ランブル」の関口一郎が「コーヒー屋の御三家」として取り上げられるが、この3人に加え、大阪の襟立博保が「ひっとすると『御三家』のさらにうわてをゆくコーヒー馬鹿だったかも知れない」という。
1907年生まれの襟立は、1950年代から難波の喫茶店で雇われマスターをしていたが、そのコーヒーの見事さは際立っていたらしい。のちに「もか」のコーヒーで有名になる標交紀は、大阪で襟立の淹れるコーヒーを飲み、その味に感嘆した。
「標は自分の名声が確立した後になっても、『わたしの技術など、襟立先生のそれに較べたら、ほとんど子供だましみたいなものです』などと、師である襟立に対し敬を失することがなかった。あまりに自らを語ること少なく、ひたすら襟立の名人ぶりを賛美しつづけたため、襟立を知らぬ者たちの間ではイメージばかりが異常にふくれあがり、いつしか稀代のコーヒー名人として偶像視されるようになっていった。それはそうだろう。標のコーヒーは日本有数、いや世界有数かも知れないのに、その標のコーヒーをはるかに凌ぐコーヒーがあったというのだから」。
この標交紀は、日本だけでなくヨーロッパ、中東、アフリカ、中南米のコーヒーを飲み歩き、「世界中、それこそ名店といわれる店から名もない店に至るまで、くまなく見て回ったけど、味に関してはまったく話にならなかった。それが正直な感想です」と言う人物である。
襟立とはどういう人だったのか。
襟立博保は、早稲田の建築学科を経て、戦前に建物の構造設計を仕事にしていた。戦後、コーヒー屋を始めてからは、失礼な客との口論やケンカが絶えず、店を潰しては新規開店を繰り返したという。ふだんは、時間があればベルクソンやハイデガーなど哲学書を読み耽っていた。人間関係はかなり難しい人だったようだが、そのコーヒーに惹かれた人たちから畏敬される存在になった。晩年には喫茶店を辞め、西成区花園南の自宅(うちの近所だよ!)で焙煎したコーヒーを小売りして生活していたという。
襟立は「生涯弟子は取らない」と公言していた。「もかの標やダフニの桜井は、真の意味での襟立の弟子ではない。桜井の言葉を借りれば、『コーヒーの学び方は教わったが、技術的なことは何ひとつ教えてもらえなかった』のである。標も、後に襟立の考案した赤外線付き焙煎機を譲ってもらうが、操作法を伝授してもらう矢先に、襟立は突然逝ってしまう。標と桜井にとって襟立は『心の師』というべき存在なのである」。
だが、襟立は晩年、畠山芳子を唯一の弟子とし、二年間、徹底して指導していく(「昭和元禄落語心中」の八代目有楽亭八雲みたいな話だ)。「倉敷珈琲館では襟立を単なる師ではなく『正師』と呼んでいる。全人格をもって指導に当たってくれた人の意なのだという。」
1971年、畠山芳子は「倉敷珈琲館」を倉敷美観地区で創業する。この倉敷珈琲館は名店として多くの人に知られる店になった。
ぼくは小学3年から倉敷に住んでて、中高生の頃(79年から83年頃)から倉敷珈琲館に時々行っていた。当時、一番高い「ハイマウンテン」は一杯800円と相当高値だったが、初めて飲んだとき、コーヒーが「一滴一滴生きている」のに心底ビックリした。液体そのものが命を持っているみたいに新鮮で躍動してて、これと比べると他のコーヒー店のは「缶コーヒー」みたいなものだった。
その後、京都をはじめいろんな喫茶店に行ったし、4年前に書いたように全国を講演で回るようになってから、地元の有名店に行ってコーヒーを飲むようにした(料理の名店に行くと数千円とか下手へたすると万でお金がかかるが、コーヒーなら数百円ですむ!)。しかし、どこに行っても倉敷珈琲館みたいなコーヒーにはめったに出会わなかった。
さすがに自分の地元の喫茶店が日本一というのはないだろう、「記憶の美化」かとも思ったが(最近の倉敷珈琲館のコーヒーは昔とはかなりちがう)、『コーヒーに憑かれた男たち』を読んで、その謎がようやく解けた。幸運なことに、中高生のぼくは、ご近所でおそらく「日本有数、いや世界有数かも知れない」コーヒーを飲んでいたのだ。


2016/3/8 『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 2刷と修正いくつか

『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)の2刷がきのう届きました。
初版からいくつか修正と変更がありまして、
▼P150 5行目 捜す→探す
▼P250 2行目 2015年→2016年
▼P252 5行目 すべり代→すべり台
▼P264 1〜2行目 やがで→やがて
以上はケアレスミスの修正。

▼P24に、あいりん総合センターから「あべのハルカス」を見る写真を入れてたけど、文庫だと写真が小さくて「ハルカス」がよくわかりませんでした。
そこで、あらたに撮影した「釜ヶ崎の三角公園からあべのハルカスを見る」写真に変更。これも、文庫サイズの写真だと小さいけど、ま、初版の写真よりマシです。
編集者によると、ちくま文庫の新刊増刷ってあまりないらしく、有り難い話です。

ちなみに写真はこれ。


2016/2/15 本の紹介・「市政研究」・共同通信の「人」欄

『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)の紹介が1月24日の日本経済新聞、2月14日の朝日新聞の書評欄で載ってました。書評というか、簡単な紹介です。

大阪市政調査会の『市政研究』第190号(2016年冬季)に「大阪市の「子どもの家事業」廃止問題」を書いてます。
「子どもの家事業」廃止問題については、原稿や話を何度か依頼されたし、「こどもの貧困」に関連して講演の中で話してきました。この原稿は、廃止後の各施設に電話でお話しをうかがったりして、今までで一番内容のあるものになってるはずです。
それにしても、この「特集」の執筆者、知り合いばっかだね…

共同通信の「人」欄のインタビューを受けて、全国の地方紙で掲載されてます。


2016/2/5 啓明小学校・本屋の『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』

3日、「野宿問題の授業」で、去年も行った寝屋川市立啓明小学校に西成公園で野宿している坂本さん一緒に行ってきた。4年生対象の授業。
学校に着くと、正面にある体育館に、去年はなかったでっかい垂れ幕がかかっている。
「誰か全国大会とかに行ったのかな?」と思って見ると、


又吉の出身校だった!
寝屋川は去年の事件の記憶が鮮明で、ここの最寄りの寝屋川市駅は事件報道で繰り返し登場したが(亡くなった二人は、この小学校区ではないが近所に住んでいた)、藤原時(藤崎マーケット)、海原やすよ・ともこ、藤本敏史、原西孝幸(FUJIWARA)が寝屋川市出身と、お笑い芸人をいろいろ輩出している。「お笑い偏差値」が高い地域なのかもしれない。
又吉の後輩のこどもたちは、授業後も坂本さんを囲んで質問攻めにするとか、熱心に聞いてくれました。去年、授業した5年生のこどもたちも「懐かしー!」と言って顔を見せてくれ、いい小学校です。

今日、天王寺駅近くの喜久屋書店に行ったら、『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 が文庫の週間売り上げ2位になっていた。



レジ前では、「飛田」関連本と一緒に平積みになっている(横には「ランチパスポート」)


自分の本や論文が新聞とかで論評されることはよくあるけど、「本が売れている」場面を初めて見てびっくりした!
ま、「大阪の本屋だから」だろうね。


2016/1/8 『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)の発行

1月10日付けで『釜ヶ崎から 貧困と野宿の日本』 (ちくま文庫)を発行した。2007年に出した『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』(ちくま新書)の増補改訂版。
文庫化にあたって、事例の入れ替えやデータの修正、アップデートを行ない、2016年版として成り立つように書き直した。
また、現在進行している「西成特区構想」と「大阪都構想」を特にジェントリフィケーションの視点から検討する「序」、そして2008年以降の野宿問題の状況について「補章」を加えた。
本文では、ぼくが初めて釜ヶ崎に来た1986年の状況を詳しく描いているが、2016年でそれから30年になる。この30年間の「野宿と貧困の日本」をリアルタイムで描く内容になっていると思う。

値段は972円(税込)と「そこそこ」しますが、新書が800円(税込)だったので、そこに2章加えて更に加筆したことを考えると、相対的には「そんなもの」かもしれない。

データの間違いもいくつか修正した。ほとんどは小ミスだが、問題だったのは旧著P28の「(なお、大阪市内の行路病死、行路死数は、1998年に690人、2005年に1213人と現在も増大している)」という箇所。釜ヶ崎キリスト教協友会の資料から引用したが、その資料が死者と行路病人を取り違えていたようだ。それをそのまま引用してしまったが、今回調べ直して、明らかに間違いだったので削除した。『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』読者のみなさん、すみません。

なお、文庫化の機会にタイトルを変更して、ぼく自身はとてもホッとしています。

目次
文庫版への序―「西成特区構想」以降の釜ヶ崎
はじめに―北海道・九州・東京、その野宿の現場
第1章 不安定就労の極限―80〜90年代の釜ヶ崎と野宿者
第2章 野宿者はどのように生活しているのか
第3章 野宿者襲撃と「ホームレスビジネス」
第4章 野宿者の社会的排除と行政の対応
第5章 女性と若者が野宿になる―変容する野宿問題
第6章 野宿問題の未来へ
文庫版への補章―2008年以降の野宿の状況



2015/12/20 辺野古基地建設代執行訴訟で友だちを久しぶりに見る

辺野古新基地建設をめぐり国交相が提起した代執行訴訟が進行している。
最近、『琉球独立論』(龍谷大学で話したとき、著者にお会いしたことがある)を読んだりして、沖縄と日本の問題を考え直している。沖縄問題の本は大分読んできたが、この本では「琉球独立」という視点から琉球の歴史と日本やアメリカ、世界との関係を読み直していて、いろいろ刺激を受ける。
この本の主張の一つは、日本は事実上アメリカの植民地国家だが、その負の部分をほとんど沖縄に押しつけているため、日本人の多くがその事実を意識もしない状態にある、ということだろう。
 2004年、普天間基地所属米軍ヘリが沖縄国際大学に墜落した際、事故に居合わせた著者はこう言う。
「米軍は侵入禁止のテープを大学周辺に張り巡らし、米軍警察が現場検証をしました。沖縄県警、つまり日本の国家権力は事故現場に近づくことを許されず、日本国民を侵入禁止テープの内側に入れないという米軍の「後方支援」の役回りに徹していました。そして、現在に至るまで米政府は事故原因に関する報告書を日本政府に提出していません。アメリカが日本を対等な国家として見なしていない証拠です。
 米軍基地内は日本の法律が適用されない治外法権地帯ですが、米軍関係の事件事故が発生するとその現場も日本の国家権力が及ぼなくなるというのが現実です。日本は本当に独立国家なのでしょうか。
 ちなみに、イタリアにも米軍基地がありますが、米軍関係の事故が発生するとイタリア政府が事故原因を調査します。米軍機による騒音が住宅地域に拡散しないように飛行回数、飛行径路、上昇角度等に制限が設けられ、リポーゾ(午後一時から四時までの昼寝の習慣)の間、米軍機はエンジンを切って静かにしてやるそうです(屋良朝博『砂上の同盟一米軍再編が明かすウソ』沖縄タイムス社)。琉球では、こうした配慮はまったくありません。夜間も米軍機が爆音を放ち、琉球人の睡眠を妨害しています。そして、そのような状態を許しているのが日本政府なのです。
 米軍基地に関しては、日米地位協定が結ばれています。この協定により、米軍人・軍属、その家族は日本国内では日本国民よりも多くの権限を有しているのです。日米地位協定は、有体にいえば不平等条約です。明治の日本政府は、必死になって不平等条約を撤廃させましたが、現在の政府は日米地位協定が不平等条約であるという認識さえないのではないでしょうか。「自国民が他国民に比べて不平等に扱われているのは問題である」という、国家の統治者が当然持つべき感覚を喪失しているとしか思えません。」

沖縄の問題は日本全体の問題、とはよく言われる。だが、アメリカとの関係で、日本にいるわれわれが直面しなければならない問題のほとんどを沖縄に肩代わりさせている現状は、日本人にとって、本当にいてもたっても恥ずかしいものではないだろうか。
かつて、米兵による少女暴行事件のあと、橋本政権は基地の「整理縮小」と言っていたが、その後「整理統合」、いまは事実上「整理拡大」へ化けてしまっている。日本にいるわれわれが沖縄の基地削減、撤去に動かない限り、「琉球独立」を否定することはできないのだと思う。

その沖縄関係のニュースを見ていると、県が代執行訴訟答弁書提出(2015年11月27日)があった。
ニュースの写真の左から2番目でキリッと歩いている弁護士、ぼくの書いた「ふしぎな友だち関係」で「K」で出てくる。彼のプロフィール
その後、新聞、テレビのこのニュースでときどき彼の顔を見る。
最近、沖縄に行ってないんでしばらく会ってなかったけど、ひさしぶりにこういうとこで顔を見た!


2015/12/11 odnとロリポップでホームページ

3つのホームページ(野宿問題の授業野宿者ネットワークLastdate)を2001年11月から運営しているが、15年も経つと容量が当然だが、どんどん肥大していく。
ぼくが2001年から使ってきたのがodnのホームページ公開代理サービスで、これは「基本30MBのホームページ開設が可能なサービス」だった。今考えると「30MBで何ができるの?」という感じだが、それでもなんとかなるもので、30MBで相当数のページを写真も使いながら15年、アップしてきた。
とはいえ、さすがにここ数年、常に30MBを突破するようになってきた。odnでも容量の追加はできるけど、容量追加は5MB増やす毎に月税抜250円。つまり、35MBで月270円、
40MBで月540円、600MBで月8100円になる。もちろん、そんなに金は出せないので、5MBプラスの月270円だけ出費して、あと写真はサイズダウン、ファイルは(ジャストシステムのインターネットディスクで)アップしたものにリンクを張ってと、結構コマゴマした努力をしてしのいできた。
しかし、そういうやりくりも限界で、最近とにかく写真のアップが全然できなくなってきた。何かアップしたら、何かを削除しないといけない状態だ(最近更新しなかったのは、一つはそのため)。そこで、レンタルサーバーを使うことを考え始めた。
よく使われているロリポップはどうだろう。
調べてみると、エコノミープランで月額使用料100円で容量10GB! 今まで35MBで月270円払ってきたけど、その300倍(!)の容量で料金半分以下だ。ロリポップはぼくがホームページをアップし始めた2001年11月からサービス開始しているが、もっと早く使っておけばよかったか。
ロリポップは初期費用として1500
円かかる。けど、今ちょうど「初期費用無料サービス期間中」の渡りに船状態だったので、今月、乗り換えを開始した。
使い始めると、やはり、転送の設定がわからなかったり、ホームページをロリポップとODNにどう分けるかよくわからず、四苦八苦の試行錯誤を何日も繰り返した。それでもようやく、なんとかアップができるようになった。
3つのホームページのほとんどのアドレスは今までと変わらず、この「近況」などいくつかの重いページをロリポップに移行した(そのため、移行したページのアドレス変わり、今までのリンクは無効になっている)。
というわけで、写真をアップしてみよう。


10月25日朝4時、うちの近所でアパートが火事になって4軒焼けた。「ここも危ないか」と思ったけど、なんとか無事でした。写真は、2階が崩落して消防隊員が逃げ出しているところ。
記事によると、連続放火らしく、そのあと近所で住宅そばの洗濯機が放火された。
「路上の段ボールが焼け、50代男性があごにやけどを負った」とあるのは、野宿者への放火ということか?
その後も、「路上ホームレスやけど、西成でまた不審火 10月下旬から6件目、大阪府警が関連捜査」という記事が出た。
容疑者は後日、尾行していた警官に放火現行犯で捕まったけど、詳細は不明。
翌日のようす。

 
その12日前、日本橋でんでんタウンを自転車で流していると、すぐ横で「キキキキキーッ」とでかい音がしたので横を見ると、車が横の車と接触して「ゴロン」と横転し、逆さになったまま道路を滑っていった(金属が焼ける匂いが周囲に立ちこめた)。
逆さのまま車が停止し、まわりの人たちともども「救急車呼ばないといけないか?」と思って吃驚しながら見ていると、運転者側のドアの窓から人が這い出してきた。腕から流血していたが、とりあえず重傷でない模様。
やがて警察がやってきて、接触した運転手どうしは暗い表情で話し合っていたが、この道路はしばらく交通止めになった。
車が横転する光景を初めて見た。



2015/9/23 監視カメラは「防犯」カメラなのか―「いす取りゲーム」としての監視カメラ

寝屋川市の中学1年生2人の殺害事件への反応で、監視カメラの位置付けがどうも気になっている。犯罪学の専門家が何か言ってるんじゃないかと探してみたけど、見当たらない。自分で調べて考えたけど、以下、間違ったこと言ってたら教えてください。

9月2日、寝屋川市長は、寝屋川市駅など4駅の周辺や付近の交差点に防犯カメラを増設するとした。「不審者がいないかを監視することで、駅の乗降客や周辺住民らの安全を確保する」ため。
また、守口市は通学路など市内に防犯カメラ1000台を約3億3700万円かけて新たに設置するとした。守口は面積約12.7平方kmの小さな市だが、約110mの間隔で市内全域を監視するという。「自治体の防犯カメラ設置の動きは各地で広がっており、兵庫県伊丹市は、平成27〜28年度にかけて市立小中学校28校の通学路、周辺道路などに1000台を設置する計画。箕面市は市立小中学校の通学路に750台を設置した」(産経新聞)。
寝屋川の事件関係のテレビ報道でも、カメラによって犯人検挙が効果的に行なわれたことから、「こどもの安全のために監視カメラを設置すべきだ」とか「通学路にカメラがいっぱいある学校にこどもを通わせたい」とコメンテーターのみなさんが普通に言っている。しかし、本当に監視カメラは「防犯」に効果があるのだろうか?
監視カメラは容疑者の検挙に効果的だった。検挙率は当然、防犯に効果をもたらす。「やっても捕まらない」なら犯罪を行なうハードルは下がるが、「やっても捕まる」なら逆になるからだ。したがって監視カメラの防犯効果に疑いはない、と言えるだろうか?

まず、よく言われるように、監視カメラは「自分が死刑になるために人を殺そうと思った」(池田小学校殺人事件)とか「自暴自棄になって人を殺してしまった」(ストーカーなど)というケースには効果がない。こういう人は、監視カメラに自分の姿が記録されようがされまいが、どうでもいいと思っている。また、最近よく指摘される「累犯障害者」のように、生活に困窮し、犯罪を行なって刑務所で暮らすしかないと考えている人たちにも、監視カメラは防犯効果ゼロだ。
そもそも、暴力犯罪の多くは「カーッとなって」やってしまうから、監視カメラのあるかどうかはあんまり関係ないのではないだろうか。逆に、冷静に計画して犯罪を行なう人たちは、あらかじめ「監視カメラがない場所」を選んでいるはずだ。
また、「費用対効果」の問題がある。たとえば、3億3700万円かけて監視カメラを設置することで仮に犯罪が減るとしても、同じ金額の対策(警備員の配置、犯罪者への治療プログラムの実施、自分を守る方法を学ぶ学習プログラムの実施など)によってもっと犯罪が減るのなら、監視カメラの設置は不効率だと考えられる。
さらに、よく言われるプライバシーやビッグデータの問題。報道によれば、「録画データは一定期間ののち消去」「記録提出は犯罪があった時のみ」という歯止めがかかっているが、個人認証や個人追跡がソフトウェアで可能な現在、監視カメラのデータにアクセス可能な人間が、特定の人のデータなど収集し、たとえばストーカー行為などに利用する可能性は常にある。
警察や公安が膨大な個人データを収集していることはよく知られている。釜ヶ崎にいるぼくの知り合いは、なにかで西成署に拘置されたとき、「おまえのことはずっとわかっているんだ」と言われ、10年前くらいから撮られ続けている自分の写真を机にズラッと並べて見させられたそうだ(警察が個人アルバムを勝手に作ってくれている!)。行政や民間では、組織的にこうしたことは行なわないだろうが、個人的に密かに行なう可能性は残る。
そして、「移転効果」の問題がある。犯罪を行なおうと考えている人は、監視カメラができたら、普通は「じゃあ、カメラのないところでやろう」と考える。すると、「カメラのある場所」の犯罪率が減る代わり、「カメラのない場所」の犯罪率が高まる可能性がある。以前書いたことだが、「監視カメラは犯罪が起きる「原因」をどうこうするものではないから、犯罪全体の水準には関係しない。したがって、「カメラが映していない場所」では犯罪はむしろ増えると考えられる。つまり、監視カメラの導入を望む市民とは、「自分の近所だけ安全になったら、よそで犯罪が増えてもいいや」と考えている自分勝手な人たちだということが(冗談抜きで)わかる。(…)もちろん、自分を守る権利はすべての人にある。ただ、それが「公共的なレベル」での犯罪防止策と同時でなければ困るわけだ。路上の監視カメラについては、プライバシーの問題や匿名性の問題が議論されるが、同時に監視カメラが「公共性」を破壊するという点が重要だと思われる」(「口実としての「自己責任」論」)。

今年3月に出た原田隆之『入門 犯罪心理学』(ちくま新書)は、1980年代以降に急速に進歩してきた犯罪心理学の研究をもとに、犯罪に対する効果的な対応策を提唱している。
少し引用すると、
・日本の治安は悪化している。
・性犯罪の再犯率は高い。
・厳罰化は犯罪の抑制に効果がある。
・貧困や精神障害は犯罪の原因である。
・虐待をされた子どもは非行に走りやすい。
これらはすべて『神話』である。
・わが国ではここ十年以上、犯罪発生件数は減少を続けているし、国際的な比較をすると、日本は依然として世界一安全な国である。
・性犯罪は、窃盗や薬物事犯に比べると、はるかに再犯率が低い。
・厳罰化には犯罪抑制効果はなく、むしろ最悪の場合、助長してしまうことがある。
・貧困や精神障害と犯罪の関連性は低く、犯罪の原因を追究するためには、ほかの要因に着目する必要がある。
・虐待と非行の関連性は低く、被虐待児が非行に走りやすいというのは偏見である。
(詳しくは『入門 犯罪心理学』をどうぞ)。
この本は、防犯のために効果的であることが実証された「科学的なエビデンスに基づいた犯罪対策」(おおざっぱには、厳罰化ではなく治療)を提唱しているが、そこで「キャンベル共同計画」のようなデータベースの利用を推奨している。「キャンベル共同計画は、犯罪心理学を含む社会科学分野におけるメタアナリシスによるエビデンスを公開することを目的として、二〇〇〇年に発足した国際組織である。そして、その論文データベースがオンラインで公開されており、誰でも無料でアクセスできる。オリジナルは英語であるが、日本語のサイトもあり、多くが日本語に翻訳されている」。
キャンベル共同計画には監視カメラについての研究がアップされている。
CCTVによる監視の防犯効果:系統的レビューのプロトコル
CCTV による監視は暴力を減少させない
CCTV による監視の防犯効果
(CCTVは監視カメラのこと)
「CCTV による監視は暴力を減少させない」というそのものズバリなタイトルの論文によれば、「研究者はCCTV による監視と暴力との間に何ら繋がりが無いことを見出した。CCTV による監視は、開かれた街路での暴力を抑止するものではない。対照的に、公共の場におけるCCTV による監視が乗物盗を4分の1減少させたこと、CCTV による監視が駐車場で行われた場合には乗物盗を2分の1の水準にまで減少させたことが分かった」。
つまり、監視カメラは駐車場などでの「乗物盗」には効果がある。しかし、路上など「開かれた街路での暴力を抑止するものではない」(統計的に有意な効果を持たない)。したがって、今回の寝屋川市の事件のような犯罪への対策としては、監視カメラの設置はリスクのある「ムダ遣い」ということになる。
「無差別殺人事件や動機のよくわからない殺人事件の犯人が、「誰でもいいから殺したかった」と証言をしたなどというニュースを聞けば、いつ自分が被害者になるかわからないという不安を抱く人もいるかもしれない。/しかし、日本の殺人事件を詳細に分析した河合幹雄は、殺人事件のほとんどが家族や友人の聞で起きていることを指摘している。最も多いのは、親が子を殺す場合で、全体の34.9%、これだけで三分の一を超えている。そのほか友人知人に殺されたケースが18.9%、配偶者に殺されたケースが11.0%である。面識のない相手に殺されたケースは、11.1%で全体の1割にすぎない」(『入門 犯罪心理学』)。
寝屋川の事件はわれれわにとって大きな衝撃だった。「身近なこどもが突然襲われるかもしれない」という「不安」に取り憑かれたあまり、多くの人たち、とりわけ行政のトップが考えなしに監視カメラにすがってしまった、あまりいい言葉ではないけど脊髄反射してしまった、ということなのではないだろうか。

今回の事件のような、未成年者(女性も含め「少年」と呼ばれる)の殺人被害について調べてみた。
2013年、殺害された未成年は103人だった(全年齢では938人なので、他の年代より半分程度。つまり、大人の方が未成年より高い比率で殺されている)。
未成年の殺人被害の「場所別」被害発生件数をみると、住宅内が62件(自宅か他人の家かは不明。ただ、普通に考えて自宅が多いだろう)、「道路上」「駐車場」「都市公園」「空き地」が合計21件だった。
(なお、未成年の強姦被害は住宅内が205件で、「道路上」「駐車場」「都市公園」「空き地」が合計153件)。
つまり、こどもにとって最も危険なのは「家」であって「路上」ではない
ただし、同年の刑法犯の未成年の被害件数20万921件のうち「窃盗」が75.4%で最も多いが、その発生場所は駐車場が最も多い(46%)。監視カメラは「駐車場」設置が効果的、というのはここでも当てはまる。(以上、「平成25年の犯罪情勢」 警察庁
また、2013年の全国の児童相談所で対応した児童虐待相談対応件数は7万3765件だった。これは、未成年が被害にあった窃盗以外のどの犯罪よりも多い!
そもそも、殺人事件で最も多いのは「親が子を殺す場合」で全体の34.9%なのだから、こどもが殺されないように社会が監視すべきとすれば、それは路上でなくて家庭であるべきだ。こどもが野宿している事態をどう考えるか―寝屋川事件で書いたように、「家庭が野宿以上にこどもたちにとって肉体的・精神的に危険な場所でありえるからだ」。
もちろん、家庭を第三者が監視カメラで監視することはできない。そこで、こどもが24時間いつでも逃げ込むことのできる「子どもの家事業」のような居場所、あるいは「無料相談電話(ネット)」サービスを広めることが効果的であるはずだ。
なお、大阪市が行なっていた「子どもの家事業」の予算は年間3億円(28施設)だった。守口市や伊丹市では3億円相当をかけて監視カメラを設置しようとしているが、監視カメラは必要最小限にして(駐車場とか)、その分の予算は「子どもの家事業」や電話相談などに使った方が、こどものためにははるかに役立つだろう。
監視カメラは、防犯目的としてかなり「安直な手段」だ。それは、ピンポイントの犯罪を監視するだけで、他の場所(つまり社会全体)を放置してしまう。そもそも、監視カメラはよく行っても「あっち」(自分の近所)から「こっち」(他人の土地)へ犯罪を移すだけで、公共的な意義を持たない。言ってみれば「いす取りゲーム」と同じだ。
社会が犯罪を防ぐために何ができるかは、『入門 犯罪心理学』で言う「科学的なエビデンスに基づいた犯罪対策」が必要となる。そこでの一つの結論は、犯罪者については「厳罰化ではなく治療」というものだった。ショックであわてて「監視カメラ」や「厳罰化」に飛びつくのではなく、データを基に対策を考える必要があるわけだ。
同様に、今回のような事件については、「監視カメラではなく子どもの家」あるいは「電話相談事業」「こどもたちが自分を守る方法を学ぶ参加型学習プログラム」というのが現実的だと思うけど、どうでしょうか。
(「子どもの家事業」については「子どもの家」事業廃止にNO! 大阪市「子どもの家」廃止 いじめや不登校、学校でなじめない子どもたちの居場所)

(以下は自殺と貧困、失業、犯罪の問題について少し)

とはいえ、世界でいまのところ最も安全な日本で、特に「殺人」対策にエネルギーを費やすより、別の問題に取り組む方が費用対効果の面で有意義ではないだろうか? 
2013年、日本の自殺者は27283人だった(殺人被害者は938人、つまり自殺者は殺人被害者の29倍以上)。なお、未成年の自殺者は547人だ。よく知られているように、日本は先進国の中で自殺率が第1位(世界全体では12位くらい)という「自殺大国」だ。つまり、日本の場合、「殺人」対策よりも「自殺」対策の方がコストをかける優先順位がどう考えても高い。
自殺の要因は複合的だが、日本では「自殺と失業」がリンクしていることが知られている。失業と自殺の時系列的相関にあるように、「失業率が分かれば自殺率をほぼ正確に言い当てることのできる」ほどだ。「働こうにも職がなく、収入が得られない人間が増えるほど、自殺率が高まる。上図の共変関係は、因果関係的な部分を多く含んでいるとみてよいでしょう」。
一方、『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)で書いたが、「スウェーデンやデンマークではこの20年間、失業率が上下しても自殺率は低下し続けた。失業しても生活に困らないセーフティネットが整備されてきた上、国や地域で自殺予防対策が実施されてきたからだ」。
近年、日本でも自殺への対策が進められて成果を上げつつあるが、現状では「失業しても生活に困らないセーフティネット」はあまり整備されていない。また、失業率の改善にともなって自殺が減っているが、派遣労働者が増え続ける中、(資本主義の宿命として)景気循環によって不況に陥ったとき、多くの労働者が失業する「派遣切り」が大規模に繰り返される可能性が高まっている。
そして、失業の問題は犯罪にむすびついている。犯罪の九割は失業率で説明がつくにあるように、「犯罪数の実に95%は失業率だけで説明がついてしまう」という事実がある。これも日本独特の現象で、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダでは失業率と犯罪率はあまり相関していない。さらに
失業率と犯罪発生率の関係:時系列および都道府県別パネル分析
犯罪と労働市場
この上の論文にあるように、「失業率の上昇よりも貧困率の上昇が犯罪発生率を高める影響が大きいことが分かる」。『入門 犯罪心理学』では「貧困や精神障害と犯罪の関連性は低」いとされているが、「貧困率」と「犯罪発生率」の関係は無視できないのではないだろうか。
なお、日本が殺人の発生率が世界でもっとも少ない国である理由の一つとして、1945年以来、戦争に積極的には参加しなかったことがよく挙げられる。戦争を経験した国では、若者の殺人者出現率が急激に上がるという事実が知られているからだ(人を殺すことに対するハードルが下がるためと考えられている)。その意味で、「戦争に加担しないこと」は殺人を減らすために大きな意味を持つのだろう。
さきに「世界でいまのところ最も安全な日本」と書いたのは、貧困問題についても戦争の問題についても、日本が急速に国の姿を変えつつあるからだ。10年20年後には、日本の殺人や犯罪が他の先進諸国なみに高まる可能性があるのではないかと懸念している。
なお、最初に書いたように、監視カメラの問題がずっと気になっているが、一つには、昨年度から釜ヶ崎(0.62平方キロの「あいりん地区」)で、数億円を費やして監視カメラが114箇所以上設置されているからだ。これについては別の機会に書きます。

月刊誌「教育」(教育科学研究会)10月号に「野宿者襲撃殺人事件の衝撃―なぜ少年たちは野宿者を殺すのか」を書いてます。
2012年10月の梅田の野宿者襲撃事件の少年たちについて、ある程度触れてます。
なお、彼らは、新大阪駅で監視カメラがあると、軍手をかぶせて襲撃を行なってました。防犯になってません。(ただし、検挙には役だったかもしれない)。
野宿者襲撃への対策については、繰り返し触れているように、学校での「野宿問題の授業」が効果的です。川崎市の小・中・高校で年一回は「野宿問題の授業」が行われ、襲撃はそれまでの半分以下にまで激減したと報告されているし、2014年の夏休み前に東京都墨田区内全ての小中学校で「野宿者を知る」授業が行われ、夏の襲撃件数は2012年の28件、2013年の20件から2014年の3件へ激減しました。「野宿問題の授業」は、犯罪の根本要因に働きかけるという意味があるわけです。

「週間新潮」10月1日号に、電話取材に答えて少し話してます。
(相談ケースについていくつか話してますが、プライバシー保護のために地域や職業など内容を改変しています。)


2015/8/24 こどもが野宿している事態をどう考えるか―寝屋川事件

寝屋川市での中学1年生2人の殺害事件については、寝屋川市は「野宿問題の授業」などでときどき行くということもあって、心を痛めてニュースを見ている。
今日、ある新聞社から「こどもが『野宿しようとおもう』と言って実際に深夜に街にいる状態は実際にあるのか。その現状はどうなのか」という内容の質問の電話があった。
中学生などが家に帰らず、野宿しているという現実はある。この事件の被害者の背景はわからないが、『貧困を考えよう』(岩波ジュニア新書)で書いたように、2009年の時点で東京都で「家に帰っても親がいないしお金もない」「親同士がケンカしていて居場所ではない」などの理由で、夏休みに仲間どうしで公園で野宿している中学生たちのケースがあった。
大阪でもこうした例はよくある。かつて、山王こどもセンターの中学生2人はプチ家出を繰り返し、おしまいに2人で飯場に入って道路工事などの仕事をして1ヶ月以上帰ってこなかった。これはかなり「レア」な例だが、「家が居場所ではない」こどもたち、たとえば親から虐待が繰り返されているようなこどもたちが、「野宿」あるいは街中をさまよっている例は全国でかなり多いはずだ。
テレビを見ていると、「こどもが深夜に出歩いているのは異常だ」「大人が『家に帰りなさい』と声をかけるべきだ」とよく言われている。もちろん、声をかけて「すみません、わかりました」とおとなしく帰宅するこどももいるかもしれないから、それはそれで意味があるかもしれない。だが、「親が虐待をしている」「家にいると精神的に耐えられない、野宿している方がマシだ」というこどもたちはかなりの数にのぼる。そうしたこどもたちに「家に帰りなさい」と言っても、「帰れないからここにいるんだ」と思われるだけだ。残念ながら、われわれの社会はとっくに、こどもに「家にかえれ」と言ってなんとかなるような牧歌的な社会ではなくなっている。「家庭」が野宿以上にこどもたちにとって肉体的・精神的に危険な場所でありえるからだ。(『ルポ 最底辺 不安定就労と野宿』で書いたように、女性野宿者についてもそうしたケースは多い)。
この事件の場合、容疑者は過去に「駅までの行き方教えて」と頼んで中学生を車に乗せて監禁、暴行していた。今回の事件がどうなのかは不明だが、残念ながら、こどもに暴行を行なう人間が一定数いる以上、こどもたちが身を守る方法を学ぶ機会を作る必要はある。山王こどもセンターでも「CAPワークショップ」を行ない、ぼくも参加したことがあるが、こうした取り組みは必要だ。(「CAPワークショップ」は、心を傷つける暴力、体を傷つける暴力、性的な暴力等からこどもたちが自分を守る方法を学ぶ参加型学習プログラム。誘拐されそうになった時、いじめにあった時など具体的なケースに対し、ロールプレイを通し大声を出したり、逃げたりする方法を子ども自身に体験させて教える)
そして、「家に帰れない」「野宿」しているこどもたちの居場所をどうするかという問題だ。これについては、ここの2014/10/13で書いた内容を、もう一度書いておく。
これは鈴木大介『最貧困女子』 (幻冬舎新書)での、家出少女の言葉。

 「小学校終わるじゃん? そうしたら放課後に友達と遊んで、それで夕方か夜になって腹が減ったら学童に行って食事して、ゲームしたりテレビ見たりして、その後にでも親が迎えに来てくれれば良かったと思う。あと親が切れてる(虐待する)とき、夜遅くとかでも行ったら入れてくれて、泊めてくれるんだったら最高だった。実際(小学)3年のときとか、親に家から追い出されて、学童行ったのね。閉まってるでしよ? 開いてたら良かったって、いまでも思う」


これ、「こどもの里」や「山王こどもセンター」でやってること、そのままじゃん!
橋下市政のおかげで2014年度から「子どもの家事業」が廃止され、「こどもの里」や「山王こどもセンター」も学童保育として運営している。「子どもの家事業」は0歳から18歳、障害のある子もない子も来ることもできる枠組みで、貧困や虐待状態にあるこどもたちの対応に適した制度だった。
「こどもの里」や「山王こどもセンター」は今も深夜でも開いてて、こどもや20歳を越えた若者たちが相談や話をしにやってきている。「こどもの里」はファミリーホームでもあるので、そこでご飯食べたり、泊まったりもしている。
『最貧困女子』にあるように、「こうして利用価値の高い居場所ケアがあれば、そこは貧困や虐待といった家庭の問題が可視化する場ともなるはずだ。親子分離が必要なほどの状態を捕捉もできずに放置してしまうような悲劇を防ぐ防波堤にもなるのではないか。」
「現状存在する設備である学童保育といった場の充実や雰囲気を補正することは、ひとり親への経済支援などという大課題よりは随分とハードルは低いようにも思える。学童保育についてはあくまで一例だが、ここで何より大切なのは、当事者の少女らが『何に飢え、何を求めているのか』だ。」
一言で言えば、「学童保育」を「子どもの家事業」にするということだ。「家が居場所ではない」こどもたちのため、こうした施設を作っていくことが事件防止のためにも意義があると思う。


2015/8/14 『若者の貧困・居場所・セカンドチャンス』書評

釜ヶ崎は夏祭りの最中で、いま、野宿者ネットワークの紹介(アピール)を壇上でしてきたところですが、
「週刊読書人」8月14日号に青砥恭+さいたまユースサポートネット (編) の書評を書いてます。400字×3。
この本、書評用に送られたのを読んでいたら、編者の青砥さんから一冊贈っていただいたので、一冊は山王こどもセンターに進呈しました。
この本、ホントによくできてて、書評で書いたように「何度も感心させられさまざまな刺激を受け」ました。


update2015/08/4(「中高年フリーターの人数」を修正)
↓クリックするとPDFファイルがダウンロードされます。


 

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