夜回りに参加して
小西宏平

  私が夜回りに参加しようと思ったのは大学で福祉を学び卒業後、釜ケ崎の人々の生活を手伝えるようになりたいからだ。野宿者ネットワークに来る前に二回釜ケ崎内の夜回りに参加し、毎週参加できる夜回りに参加したかったので私の行っている聖公会の教会でこの夜回りを紹介してもらっだので参加させてもらっている。
  夜回りで毎週違うコースに回らせてもらい心斎橋、天王寺、日本橋のコースに参加した。その中の自転車に乗って回るコースに参加したときある公園で何人かの野宿している仲間だちと話した後、最後に女性の野宿者に出会った。三角座りをしていてうつむいていたところを、「こんばんは。夜回りのものですけどお変わりないですか?」と聞いてみるが、返事が返ってこない。もう一度聞くと、「帰って」と言って何も話してくれなかった。そうして私たちは立ち上がり次のところに行こうと自転車に乗ろうとしたとき、ふと後ろを振り返ったらその女性が私のほうを見ていた。しばらく目があったが彼女はうつむいた。泣いていたのかもしれない。その瞬間、一瞬だけ私の心が強く苦しくなってしまった。その後も一日中彼女のことを考えずにはいられなくなった。考えてみれば野宿は言うまでもなくゆっくり寝ることもできないので疲れてしまう。とても気持ちも疲れているだろう。それに加えて彼女は女性である。そんなところに私がお変わりないですかと話してきても『帰って。』と言われてもおかしくない。私も疲れているときに私を何も知らない人から頑張ってと言われても気分によっては怒りたくなる時だってある。この気持とは限りなく違う気持ちかもしれないけれど同じなのかもしれない。私が福祉の学問でクライエントや利用者と同じ目線で立って考えなければならないとよく耳にする。しかしその出来事があった後、本当の意味で私はそのようなことが今までできたのだろうか。彼女の苦しさを私は本当に理解できていたのだろうか。彼女は三か月間まったく話してくれていないらしいが、しばらく目が合ったのだからもしかしたら何か言いたかったのかもしれないが精神的にしんどかったから何も言えなかったのかもしれない。私は彼女にまだ一度しか会っていないが、もしかしたら回数を何度も重ねることによって話してくれるようになるかもしれない。信頼関係を深めていけたら私にも話してくれて彼女の苦しさを私も理解できるのではないかと思った。彼女に夜回りで出会ってから普段自分が勉強していることがまだまだ足りないことに気づくことができた。これから多くのことを学びどんなことを相談してくれてもしっかり答えることができるようになりたいとますます思うようになった。
 釜ヶ崎のふるさとの家に行って夜回りをするたび、新しい出会いがあったり久しぶりの人に会ったりする。この前は釜ヶ崎の中を歩いていると私が首に着けている十字架のチョーカーが見えたのだろうか。私を見て「イエス様を愛してるぞ !」と言ってくれた。それを聞いた私は自然と頭を下げ少し笑顔になった。教会に行かないと普段あまり神様の話やイエス様の話を話すことはないが、ここに来るとそのような話をしているのを聞いたり気軽にすることができる。私にとって普段の生活をしていてこのような話を聞いたりしていると受け入れてもらってるような気がしてとてもうれしく感じた。これからもいろいろなことを考えたりいろいろな人に出会っていきながら夜回りを続けていきたい。

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