c.s.l.g
 
紡木たくの「ホットロード」は、ぼくには長い間、人生で経験し得ることの(質的な意味での)すべてがそこに描き込まれていると思われた。そして、この文章はいわば「ホットロード」の「補角的世界」を作り出そうとする試みだった。その試みは、「聖書間の空白のページ」と「天使が通る」比喩を見つけた時、着地に至ったと感じた。本文の他にノートをとるために2年使ったが、この文章を書き終えたとき、(おそらくは10代の半ばからの)長い年月にわたる何かが終わったという強い実感と、いわば、それまでとは世界がちがって見えるという思いを持った。「c」「s」「l」「g」はそれぞれ、クロード・ドピュッシー、ゼーレン・キルケゴール、ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン、グレン・グールドを指している。



0──導入としての


 一体どういうことなのか、君は10代の頃からこう感じていた、彼以降現れた作曲家たちの誰よりも、「印象派」と呼ばれもしたドビュッシーが最も重要な作曲家だったのではないかと。つまり、ドビュッシーの幾つかの作品を聴くと、そこに聴き手はいまだに(!)分析しえない、音組織に関するまったく新しい思考が現れていることを感じる。そしてそのドビュッシーの思考を正当に受け継ぎ、それを乗り越えた作曲家は必ずしもいなかったかもしれないということも。
 その思考を正当に受け継いだ可能性を持つ少数の作曲家の一人、ブーレーズはこう言っている。「独学主義、現代性、西欧圏の瓦解という三つの現象は、互いに緊密に結び付き合い、ドビュッシーに、その時代のあらゆる運動のはずれで、そのかけがえのない相貌、すなわち、孤独で前衛的な姿勢を与えている。ドビュッシーはもっとも孤立した音楽家の一人でありつづける」。「このドビュッシーの所業は、どんなアカデミズムにも通約できず、体験されていないあらゆる秩序、即座に創造されたのではないあらゆる規則と両立しないが、西欧音楽がその後の発展においてそうしたものを拒絶しつづけたところを見ると、その所業は、そのような西欧音楽と無関係な姿でありつづけたにちがいない。すなわち真の水銀液なのだ!」(「徒弟の覚書」船山隆・笠羽映子訳)。このドビュッシーの「孤独で前衛的な姿勢」、新しさはどこからやってきたものなのだろうか。ブーレーズによれば、それは「独学主義、現代性、西欧圏の瓦解という三つの現象」だという。そしてその結果、「ドビュッシーは、音楽創造のあらゆる側面について再考することを余儀なくされた」。
 しかし、それは何に対しての「再考」だったのだろうか。それを「従来の西欧音楽」と言うよりも、「ヴァーグナー」と言う方が正確だろうか。つまり「(ローマ留学)当時の私は、日常作法の最も単純な規則をさえ忘れてしまうほどのヴァーグナー崇拝者だった」185(「音楽のために」杉本秀太郎訳)。「数年間、バイロイトに熱心にかよったのち、私はヴァーグナー方式というものに疑問をおぼえはじめました。(…)ヴァーグナーの天才を否定するというわけではありませんが彼はあの時代の音楽に終止符を打ったのです。(…)そんなわけで、ヴァーグナーのあとに付くということでなくて、ヴァーグナー以後というものを模索しなければならなかったのです」55。おしまいには彼は、「ヴァーグナーは、かつて音楽に奉仕したことなどなかった」71とさえ言うことになる。
 おそらく、ドビュッシーが「あらゆる側面について再考」しようとしたものは、ヴァーグナーに集約された、そして彼によって一つの限界に達した音楽に対するある種の思考法だった。とりわけそれは、ひとつの必然性として体系化されてきた公理的「和声法」であり、そして古典、ロマン派ドイツ音楽が駆使してきた動機展開による作曲法だった。「フランス音楽に対して望みうる最良の方向、それは次のようなことです。現在、学校でやっているような和声学の勉強が廃止される日を迎えること。あんなものは、世にもあっぱれ見事に滑稽な、音集めのやり方にすぎません」56。「純粋音楽の分野で、これまでに繰り返されてきた試みは、古典的な展開に対する憎悪を私に植えつけていました。ああいう展開の美しさというものは、まったく技術的なもので、音楽仲間の大物が食指を動かすだけです。私の切願といえば、音楽に一種の自由があるということでした」54。ドビュッシーは、ドイツ音楽に典型的に現れたこうした伝統的な作曲法を徹底的に批判し、それとは別の方向を切り開こうとする。つまり、ドビュッシーの作曲家としてのオリジナリティは、西欧音楽が過去に積み上げてきた音楽的思考に対する、彼の批判の方法にあるわけである。
 もちろん、ドイツ音楽に対する対決はドビッュシーだけに存在した課題ではなかった。例えば、近代ドイツ音楽に対するフランス音楽の独自性は、フォレ、サン=サーンス、ダンディ、ルーセル、ショーソン、デュカなどの作品に聞き取ることができる。彼らは古典派以降のドイツ音楽の圧倒的な影響下にあって、同時にそこから独自の特色を音楽に織り込むことに成功した。しかしドビュッシーの場合、古典、ロマン派ドイツ音楽に対する断絶は、彼らとは比較にならないほど、というより次元そのものが異なるというほど根底的なのである。だが一方で注意すべきは、それは例えば彼が強い印象を受けたガムラン音楽などのいわゆる民族音楽の多くのように、ヴァーグナーに代表される音楽と「無関係」という形での切断ではなかったということだ。事実、ドビュッシーの音楽の「断片性」、つまり音楽がその内部で完結せず、絶えず他の何かを喚起し続ける特質は、ヴァーグナーの音楽の自己完結性、全体性への指向といわば「対」となるものではなかっただろうか。事実、「ペレアスとメリザンド」は「トリスタンとイゾルデ」同様、恋人どうしの名前からなるオペラであるにかかわらず、その両者の音楽はいわば考えられる限り最も遠い。しかしその一方で、例えばサティの「ジムノペディ」や「ノクチュルヌ」と比較すると、ドビュッシーの「映像」や「前奏曲集」は、そのほとんど官能的な和声と色彩感への傾斜の点で、ヴァーグナーの音楽にむしろ近いことを聞き手は感じざるを得ない。確かに「ドビュッシーは音楽創造のあらゆる側面について再考することを余儀なくされた」。だが、その「再考」はあくまで「最初の思考」を前提にした「もう一つの思考」となっている。つまり彼の音楽がいまだ解析不可能な力を放つ理由の一つは、脱出困難な必然性である「最初の思考」に対する、「継承」でもなければ「断絶」でもない、この「批評」というスタイルに求められるように思われる。
 ドビュッシーは20世紀音楽への扉を開いた。そして同時にその後の作曲家がドビュッシーを乗り越えることができないとすれば、それは我々がいまだに彼の開いた領域の中にいるということである。その領域から距離をおき得た作曲家は、多分誰よりもサティだったのだろう。そして、多分いわゆるクラシック音楽の全領域は、ドビュッシー自身が「彼以後、誰一人として音楽を作ってはいません」と断言するJ・S・バッハを含めた、バッハ=ドビュッシー=サティによって作られる3角形の中に収まりうるのだろう。そしてドビュッシー以後の音楽が、ヴァレーズ、アイヴズ、ストラヴィンスキー、ウェーベルン、ケージ、ツィンマーマン、ライヒといった幾つもの突出した可能性を持ちながら、やはりその三角形を打ち壊すことはできてはいないとすれば、いわゆるクラシック音楽は、20世紀初頭にドビュッシーとサティによって作られた音楽的断層の延長上にまだいるのかもしれない。
 そしてそのドビュッシーの、バッハにもサティにもない特質については、再びブーレーズを引用すればこのようになる。「すなわちドビュッシーは音楽的瞬間に含まれないあらゆるヒエラルキーを拒否する。ドビュッシーとともに、特に彼の最晩年の作品において、しばしば音楽的時間はその意味作用を変える。このようにして、ドビュッシー以前にはひじょうに静的なものにとどまっていた諸観念は、彼がその技法を創造し、その語彙を創造し、その形式を創造することによって、すべてくつがえされるに至った。すなわち動くもの、瞬間が音楽になだれ込んでくる。瞬間の印象や束の間の印象はドビュッシーに帰せられるが、それだけではなく、音楽的時間、より一般的には音楽的世界に関する相対的で不可逆的な概念が入ってくるのである」。それはまさにドビュッシーの音楽に我々が感じとる最大の特徴の一つだった。「断片」の音楽、そして(時間における断片である)「瞬間」の音楽。この点について彼と比較し得る作曲家は決していなかった。「瞬間」の導入という点で問題になりえる音楽家は決していない。いるとすれば、それは音楽家以外だったのである。
 例えば、それはキルケゴールである。彼は哲学に「瞬間」を導入した。そのことによって「彼以前にはひじょうに静的なものにとどまっていた諸観念は、すべてくつがえされるに至った」。彼は同時に「単独者」「原罪」「逆説」という概念を哲学に改めて導入した。そのときキルケゴールは、「その時代のあらゆる運動のはずれで、そのかけがえのない相貌、すなわち、孤独で前衛的な姿勢」を保っている(カフカの誕生でさえ、キルケゴールの死の28年後なのだから)。そして、彼の影響を公言する多くの哲学者にもかかわらず、キルケゴールは「もっとも孤立した哲学者の一人でありつづける」のではないだろうか。その意味で、キルケゴール以降の哲学の歴史は、必ずしも彼を「乗り越えた」のではないのかもしれない。
 そして、そうだとすればその事態はキルケゴールの「再考」という点に帰着するのである。彼は、哲学の問題を「再考」したのだ。では、それは何を「第1の思考」とする「第2の思考」だったのか。そして、その「再考」というものは哲学にとって何を意味するのか。あるいは、哲学の問題を「再考」した者は、彼以前に、また彼以後にまったくいなかったのか。
 それが、今しばらく考えてみたい事柄なのである。


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