釜ヶ崎と西成特区構想の動き

 大阪市は西成区で「医療機関等登録制度」を8月から試行しようとした。西成区の生活保護受給給率は23.5%だが、その受給者について「一つの診療科につき一つの医療機関、一人の受給者につき一つの薬局」を登録し、それ以外の医療機関や薬局の利用を認めないという制度だ。
 この登録制度は一見、「当たり前」に見えるかもしれない。だが、特に精神科では患者と医師の「相性」が重要な意味を持つため、信頼できる医師に会うために病院を変えていくことがよくある。また、西成区で実際にあった事例だが、狭心症による胸痛で病院に行くと「神経痛」と誤診され、次の日に心筋梗塞に進行して死亡したケースがある。その人が生活保護受給者だった場合、診断に疑問を持ったら、ケースワーカーに別の病院の医療券を請求しなければならない。だが、ケースワーカーは「医者が言うんだから神経痛でしょう」と言う可能性が高い。仮にその人が死亡した場合、ケースワーカーの責任が問われるのではないだろうか。ここでの問題は、命と健康に関わる選択肢や自己決定権が「西成区の生活保護受給者」だけ制限されていいのか、ということにある。
 大阪市によると、この制度は重複受診や重複薬剤などを抑制することが狙いだという。だが、生活保護費総額のうち、医療扶助費が占める割合は、大阪市は45.0%、西成区に限れば43.4%。いずれも全国平均47.2%(2010年度)より低く、西成区だけを問題視する理由はない。そもそも、医療費を抑制したいのであれば、医療内容は担当ケースワーカーが把握しているのだから、不必要な受診や投薬があれば、本人を指導すればそれで済む。にもかかわらず、一部の悪質ケースを根拠に、すべての生活保護受給者の権利を制限しようとしているのだ。片山さつき議員が河本準一の母親の生活保護受給を取り上げ、「生活保護の扶養義務を強化し、支給額を10%引き下げよう」と言ったが、「特殊な問題ケースを意図的に取り上げて全体を制限しよう」とする点で、この「医療機関等登録制度」と同じ発想に立っていることがわかる。
 大阪市は、西成区を手始めに市全域でこの制度を広げる予定だという。また、世耕弘成自民党政調・生活保護に関するプロジェクトチーム座長も「行政による病院の指定や少額の自己負担の導入などによって(生活保護受給者の)無規律な受診に歯止めをかけなければなりません」(『自由民主』)と言っている。この意味で、西成区の制度導入は、全国の生活保護に関する一つのモデルとして捉えられる可能性がある。
 これに対して6月4日、「生活保護問題対策全国会議」「反貧困ネットワーク」や「野宿者ネットワーク」など27団体で、導入撤回を求める要望書を市に提出した。その結果、6月21日、大阪市西成区は、医療機関を1診療科につき原則1か所に限るとしていた従来の案を「医学的必要性に応じて複数の選択も可能とする」とし、必要性があれば複数薬局も可とする、転医にあたり医師の紹介状等が必要という説明は削除、名称も「医療機関等確認制度」に変える、という方針を示した。
 こうした医療機関に関する制度はいまのところ西成区独自の制度で、事実上、橋下市長の言う「西成特区構想」の一部である。西成特区構想は、「法律上の特区ということではなく、事実上の特区的な発想」(2月25日、第一回西成特区構想プロジェクトチーム会議より)で進められるもので、橋下市長が「西成区をえこひいきする」(『日本経済新聞』6月11日付)と明言する大阪市の重点政策である。6月11日には、西成特区構想担当特別顧問の鈴木亘・学習院大学経済学部教授を座長に、初の有識者座談会も開催され、9月末に提言をまとめる予定になっているが、すでに幾つかの案が出されている。
 たとえば、クーポンを生徒の保護者に配布し、市に登録した学習塾やスポーツ教室で使ってもらう「教育バウチャー」を、大阪市は西成区で就学援助を受けている世帯の中学生約950人対象に9月から実施する(来年度から市内の中学生のうち、高所得世帯を除く7割程度に月1万円分を支給)。また、大阪市教育委員会は釜ヶ崎区周辺の市立小3校を統合し、2015年度に小中一貫校を開校する方針を出した。今宮中の敷地に約10億円で新校舎を建て、市内全域から通学可能で、私学の進学校並みの教育内容を実施する「スーパー校」にする「西成特区構想の目玉事業」(読売新聞)である。また、鈴木亘氏は、西成区に「灘高校のようなトップ進学校の分校設置などによる高レベル教育の提供を提唱し、治安対策を強化し、子育て世代にとって魅力あるハード、ソフトを整備すべきだ」としている(産経新聞)。
 こうした構想の中、行政の言う「治安対策の強化」も進められている。西成署は「橋下徹市長が子育て世代の呼び込みを念頭に西成特区構想を打ち出したこともあり」(産経新聞4月12日)、「違法露店ゼロ」を掲げてパトロールを強化している。露店に対する警告や逮捕を繰り返し、その結果、露店の数は昨年7月の約130軒から10〜20軒にまで激減した。昨年2月には、道路に機動隊員を並べ、物理的に出店を遮る「実力行使」による露店の排除も行なっている。露店は、仕事を失った日雇労働者・野宿者が多く従事しており、問答無用の「露店排除」は、そうした人々の生活をおびやかす結果になっている。一部の露店が違法コピー商品などを売っていたことは確かだが、ここでも一部の悪質なケースを理由に、現実的には問題のない野宿者のリサイクル業が排除されたのだ。
 釜ヶ崎では、この「山王こどもセンター」と「こどもの里」(いずれも釜ヶ崎キリスト教協友会)が数十年にわたってこどもたちを支える活動を続けてきた。この二つの施設は、大阪市の「こどもの家事業」として活動を行なっている。「こどもの家事業」は、大阪市が学童保育に代わる事業として創設したもので、1989年度に始まり、現在市内に28カ所あり、幅広い年齢層の子どもや障害児が来ることができる事業として位置づけられる。
 しかし、驚くべき事に、橋下市長はこの「こどもの家事業」の2014年度からの完全廃止を予告した。この結果、「山王こどもセンター」などの28の「こどもの家事業」の施設が存続に関わる事態になった。
 野宿者ネットワークがこども夜回りで協力している「山王こどもセンター」は、ひとり親家庭や生活保護を受けている家庭が圧倒的に多く、何人かは親子での野宿を経験している。以前いた子どもには、お母さんが飛田遊郭のセックスワーカー、あるいはお母さんが覚醒剤の売人で子どもが顧客リストを持たされている、あるいは母子家庭でお母さんが時々家に帰ってこなくてお金がない家で子どもが暮らしている、などの例があった。山王こどもセンターには、こうしたこどもたちや家族と話し合い、病院や役所と連携しながらのさまざまな対応を続けてきた。
 「こどもの家事業」を行なう幾つかの施設は、事業の存続を求めて、署名活動を行ない、5月29日に大阪市議会議長へ約2万7千人分の署名とともに陳情書を提出した。今も署名活動を継続しているが、先行きのまったくわからない状態が続いている。
 「西成特区」「生活保護の制度改革」には、橋下市長の「こどもの家事業」廃止予告がそうであるように、西成区、とりわけ釜ヶ崎に対する無理解が反映している。世耕弘成議員はこう言っている。「先日、生活保護率の高い大阪の西成区を視察しましたが、多くの人が就業意欲の喪失によって、日雇い労働よりも生活保護を選択している現状がありました。仕事がなくても、生活保護に頼らずに頑張っている人の方が低収入であるケースなどは改めなければなりません」(『自由民主』)。あるゆるデータが示すように、多数の日雇労働者が生活保護に移行したのは、仕事が激減し、「野宿か路上死か生活保護か」という選択肢しかなくなったためである。世耕議員は、わざわざ現場に来ても現実を理解できず、偏見だけを強めてしまったのだろう。生活保護や西成区に関わる改革は、今後進んでいくだろう。それは最低限、現場に対する正しい理解に基づいて行わなければならない。
 釜ヶ崎の状況は、西成特区構想をきっかけに大きく変化する可能性が高い。いままで関わってきた日雇労働者、野宿者、生活保護受給者との関係を深めながら、他の団体と連携しつつ、野宿者ネットワークとしての活動をどう進めていくのかが問われていくことになる。

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